【東方SS】不在

2010/2/12に東方創想話に投稿したSSです。
 


『不在』



 少し以前に数多くの同胞たちと共にこの郷に流れ着いてきて以来、私の家はこの紅いお館です。
 ここには私以外にもたくさんの吸血鬼が暮らしておりまして、お館様の庇護の下、日々を健やかに、平穏に過ごしております。
 私どもの主であるお館様は大変にご立派なレディでございまして、この郷に居住する全ての吸血鬼を束ねる盟主でもあらせられます。
 涼しげで中性的な美貌、しなやかに引き締まった剣のような長身痩躯、夜闇に輝く蒼銀の髪。穏やかでありながらも理路整然とした語り口と、いかなるときでも優雅さを失わぬ洗練された立ち振る舞い。古き時代よりこの郷に住まう、我ら吸血鬼の庇護者にして統率者、偉大なる夜の王。
 同胞たちからの信頼も厚く、郷の有力者たちとも親交深い私どものお館様は、まさにヴァンパイアロードの名にふさわしい貴きお方であると言えましょう。

 そんな偉大なお館様ですが、少々風変わりな一面をお持ちであることも、私は存じ上げております。
 私がその一面を知ることになったきっかけと申しますのは、些細な偶然としか言いようのない、ほんの小さな出来事でありました。

 その日の私は館の一角の掃除を命ぜられておりまして、そのときはちょうど、使い古された箒を片手に廊下を歩いているところでした。
 人気のないある曲がり角を何気なく折れましたところ、廊下の隅に立ち尽くす長身の人影が目に飛び込んで参りました。漆黒のマントに身を包んだ、男装の麗人。見間違えようもなく、お館様でございました。
 お館様は吸血鬼の盟主を務めておいでですから、いつも古い時代の貴族のような、華麗な衣装に身を包んでおられます。

「真祖だとかそういう大仰な肩書きを名乗っておられるご老人方は、そもそも女が表舞台に出てくること自体を好んでおられないからね。増してや幼い子供など……だからまあ、こうした格好の方が何かと仕事がやりやすいのだよ。なんとも、憂鬱なことだがね」

 いつだったか、お館様がご友人の魔法使い様にそんな風に話されていたのを覚えております。
 このときも、恐らくは高位の吸血鬼の方々との会合にご出席なさって、久方振りに館へとお帰りになったばかりだったのでございましょう。
 けれども遠目にそのお背中を拝見致しましたとき、私はどうしてだか、あれは本当に私の知るお館様なのだろうかと奇妙な疑いを抱いてしまいました。
 お館様は背の高いレディでございますし、悠然とした所作のためか、実際以上に大きなお方という印象を受けるのがいつものことでございます。
 ところがそのとき私の目に映っていたお館様のお姿は、どうしてだか普段よりも一回りも二回りも小さく思われたのです。
 それでいて不思議なことに、そのときのお館様は格別気落ちなさっているご様子には見えませんでした。どちらかと言えば何やら腑に落ちないとでも申しますか、ただただ途方に暮れているような、困惑しきりの気配が背中からにじみ出ていたものでございます。
 そんなお館様に声をおかけするべきかどうか、私は少しの間悩んでしまいました。けれどもそのまま素通りするというのも無礼なことに思われましたので、私は結局、びくつきながらもお館様に近づいていったのでした。
 近くで拝見して分かりましたことは、お館様がただぼんやりと立ち尽くされているのではなくて、どうやら床のある一点をじっと見下ろしておられるらしい、ということでした。
 何やら、そこに到底信じられぬほど奇妙なものが落ちているかのようなご様子だったのです。
 私は何分浅薄な女でございますから、そうと気づきましたら当然、そこに何があるのか知りたくてたまらなくなってしまいました。
 そこで息を潜めたまま、高い背中越しにお館様の視線の先をのぞき込みますと、廊下の隅の壁際に、少し大きな埃の塊が転がっていたのでありました。

「あら、まあ」

 思わず私が声を漏らしますと、お館様は少々驚かれたようにこちらへ振り向かれました。
 不思議そうに瞬きなさっておられますお館様に向かって、私はすっかり恐縮してぺこぺこと頭を下げました。

「申し訳ございません、お館様。掃除が行き届いておりませんで……」
「ああ、いや」

 お館様は何やらぎこちない口調でそう仰って、小さく咳払いをなさいました。
 それで、私の顔と床に落ちている埃の塊とを、どことなく落ち着かないご様子でお見比べになりまして、

「なに、気に病むことはないよ。咎めるつもりで見ていたのではないのだ。こんな小さな埃一つ見逃さぬほど完全な仕事など、なかなか出来ることではないだろう」

 お館様は穏やかなお声でそう仰って下さいましたけれども、何分私は掃除役を仰せつかっている身でございますから、そのときは身の縮むような何とも恥ずかしい心地を味わっておりました。お館様も何かお考えのご様子でただ黙っておられますので、いよいよ何を申し上げたものやら分からなくなってしまったのでございます。
 ちょうどそのとき、背後からバタバタと慌ただしい足音が聞こえて参りまして、三人組の妖精メイドが角から姿を現しました。
 私と同じ掃除係と見えて、小走りに先頭を走る娘が「ほら早く、次、次!」などと後ろに続く娘をせき立てておりました。
 その娘たちはお館様がいらっしゃるのに気づきますと、吃驚したように目を見開いて急停止して、慌ててスカートの裾などを直しながら取り繕うような笑みを浮かべたものでございます。

「ごきげんよう、お館様」
「失礼いたします、お館様」
「えと、その……ご、ごめんなさい、お館様」

 妖精メイドたちは、口々に言って逃げるように通り過ぎていきました。
 さてこんなとき、おかしそうに微笑まれて一言二言メイドたちに声をおかけになるのが、私の知る普段のお館様でございます。
 ところがそのときのお館様はやはりいつもとは違ったご様子でして、慌ただしく駆け去っていくメイドたちを放心なさったようにお見送りになって、ぽつりと、不思議そうに呟かれました。

「皆、忙しそうだね」
「はあ。何分、広いお館でございますからね」
「うん。そうか。そう、だね。それが当然なのだろうね」

 お館様は私の言葉に頷いて下さいましたけれども、そのとき私が盗み見ました横顔には、何か見知らぬ場所に迷い込んでしまった幼子のような、心細い表情が浮かんでいたものでございます。
 それはもちろん、自信に満ちたお館様のお顔しか知らぬ私にとっては見たこともないものでしたから、とても無礼なことながら何とも不安な心地になってしまいました。
 とはいえ、お館様がそんな表情をなさったのはほんの一瞬のことです。次の瞬間には私の方へ振り向かれまして、ややぎこちないながらも確かな微笑みを浮かべて下さいました。

「邪魔をしてすまなかったね。君も仕事に戻りなさい」

 私としてはお館様のご様子が気になって仕方がなかったのですが、主のお言葉に逆らうことなど出来るはずもありません。そのときは深く頭を下げてその場を辞したものでございます。
 けれども私は何分卑しい女でございますから、掃除に戻る途中、誘惑に打ち勝てずにちらりと振り返ってしまいました。
 お館様は、まだ先ほどの場所に立っておいででした。どこか遠くを見るような眼差しで、何かを願うように、あの小さな埃の塊をいつまでも見つめておいでだったようです。

 そうして、二、三日の時間が過ぎました。
 あの出来事は私の心に強い印象を残しておりまして、一体お館様はどうなさったのだろうと、幾度も幾度も足りぬ頭で至らぬ考えを巡らしていたものでございます。
 そんな分不相応なことをしていたせいでありましょうか、その日私は、普段であれば自分でも到底信じられぬほどの奇行に走ってしまったのでありました。
 それが何かと申し上げますと……ああ、思い出すだけでも背筋が震えて参ります。私は何と、お館様の寝室へ、断りもなく勝手に足を踏み入れてしまったのでございます。
 ええもちろん、一介の従者の如き卑しき身分の者が、主の寝室へ無断で侵入するなど到底許されぬことであると分かってはおりました。けれども、あのときの私は何かぼんやりとした心地でありまして、気がつけば何かに導かれるようにフラフラとお館様の寝室へ足を踏み入れていたのでありました。どうしてだかお部屋の扉が半開きになっていたのも、抵抗なく侵入してしまったことの一因でありましょう。
 今思うに、あのときの私は何か奇妙で不可思議なーーそう、運命、とでも呼ぶべき大きなものに操られていたのかもしれません。
 そうして私は初めてお館様の寝室を拝見させて頂いたのですが、一目見て驚いたことは、部屋の中が散らかり放題としか言いようのない有様であったことです。クローゼットは開きっぱなし、服はベッドの上に脱ぎ散らかされっぱなし……まるで片づけるということを知らぬ幼子の部屋のようでした。これがあの高潔なお館様のお部屋だとは、この目で見ても信じられなかったほどでございます。
 さらにとても奇妙なことは、ベッドの上に脱ぎ散らかされてありました服と言いますのが、小さな女の子の着るものとしか思えぬ薄桃色のワンピースですとか、可愛らしい紅いリボンを巻き付けた帽子ですとか、そういったものばかりであったことです。
 もちろんご本人のお洋服だとは思えませんでした。かと言って、お館様にはお子様はいらっしゃいませんし、妹君も同じく長身のレディであらせられます。その小さなワンピースやら帽子やらが誰のものであるのか、そもそも何故そこにあるのか、私には皆目見当もつきませんでした。
 そうしてまた導かれるようにフラフラと部屋の奥へと歩いていきましたところ、外へ通じるドアが大きく開け放たれて、上品な仕立てのカーテンが吹き込む風にゆらゆらと揺らめいておりました。
 その向こう側には霧の湖を見渡せるバルコニーがありまして、中央辺りに日除けのパラソルがついた白いテーブルが一脚置かれてあります。そこに長身の人影が一つ、こちらに背を向けて椅子に腰掛けておられました。
 漆黒のマントに身を包んだその人影は、もちろん私どもが敬愛するお館様その人でありました。私はそんなお方の寝室に断りもなく黙って入り込んでいるわけでありますから、本来であればその場に平伏して許しを請わなければならない状況です。
 けれどもそのときのわたしは本当にぼんやりしておりまして、今はむしろ黙ったままお館様を見つめることの方が従者として正しい振る舞いである、というように考えておりました。
 そうして私がその場に立ちつくしておりますと、お館様は椅子に腰掛けられたまま、ふと右手をお顔の辺りまでお上げになりました。その手に何か光るものを握っておいでで、私が目を細めて見ますと、ワイングラスが湖の照り返しを受けてきらきらと光っているのが分かりました。
 お館様はそのワイングラスを、二度、三度と手の中で揺らしておられました。そのご様子がまるで何かを待ちわびておられるようだったので、私はとうとう、たまらなくなって声をおかけしてしまったものでございます。

「お注ぎ致しましょうか」

 お館様は驚いたようにこちらへ振り向かれて、私を見ると不思議そうに瞬きをなさいました。
 そして何か、気落ちされたように……それでいてどことなく安堵されたように頬を緩められて、

「いや、結構だ。それには及ばないよ」

 と、穏やかなお声で仰って下さいました。
 けれども、私の方は気が気でありません。なにしろそのときになってようやく正気に立ち返ったもので、頭を下げたものかそれともその場にひれ伏したものかと迷ってしまったのです。
 そんな私を見て、お館様は面白がるように小さく首を傾げられ、

「ところで、君はどうしてここにいるのだね。何か、私に用でもあったのかい?」

 用があって入り込んだわけではありませんでしたから、私には何とも答えようがありません。
 何と言い訳したらいいものかと必死に考えたとき、ふっと頭に思い浮かんだのは、今も背後にあるであろう散らかり放題の部屋の様子でした。

「あの、お部屋のお片づけをいたしましょうか」

 私がそう申し上げますと、お館様はきょとんとしたお顔で、私の肩越しにご自分のお部屋をご覧になられました。
 そして少しの間黙考なさったあと、何か非常に納得されたご様子で、

「ああ、そういうことか」

 と、小さく呟かれました。
 そしてまた私に背を向けられますと、湖の方をじっと見つめられたまま、

「それには及ばないよ」

 と、空のワイングラスを二度、三度と傾けて、

「片づけなければ部屋は散らかり放題だし、空のグラスが知らない間にワインで満たされることもない」

 確認するように頷かれて、

「それで、いいのよね」

 ため息を吐くように、あるいは誰かに問いかけるように。お館様は、私の知らない声音で呟かれました。
 私が何とも答えられずにおりますと、お館様はまたこちらに振り向かれて、穏やかに微笑みかけてくださいました。

「弱音を聞かせてすまなかったね。どうしてだか、不意に……私も歳かな……ともかく、下がってくれたまえ。ありがとう」

 それが何のお話であるかはよく分かりませんでしたけれども、そう仰ったときのお顔はいつもの凛々しく自信に満ちあふれたお館様のものでしたので、私はすっかり安堵してその場を辞したものでございます。
 お部屋の中を通り抜ける途中、ベッドの上に脱ぎ散らかされたあの小さなワンピースと帽子が見えましたけれども、あれはあそこにあるのがいいのだということが何となく分かりましたので、一切手を触れることはありませんでした。

 私が偶然知ることとなりましたお館様の風変わりな一面というのは、今お話致しました通りです。
 私はお喋り好きな女ですが、このことを誰かに語って聞かせるつもりなどは全くありません。
 もしもこのことを知ったお節介な誰かが、勝手にお館様のお部屋を片づけてしまったりしてはいけないと思っているからでございます。

 <了>
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