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【東方SS】優しい死体の弄り方

2008/12/22に東方創想話に投稿したSSです。
 


『優しい死体の弄り方』



 一人の男が腐りかけた女の死体に向かって優しく囁きかけていた。

「なあ、覚えてるか。あの冬の日。猫の女の子が家の炬燵で丸くなっててさあ」

 その声音はどこまでも穏やかで、相手に対する愛情に満ちている。だが死体は死体である。その上腐って皮膚が崩れかけて、蛆まで湧いているような有様なのだ。返事など返ってくるはずもない。

「かわいそうになあ」

 呟きながら、男は繊細な手つきで女の顔の蛆をそっと摘み取る。白く蠢く蛆の大群は、女の右頬にびっしりとこびりついている。その汚らわしい幼虫の群れを、男は一匹一匹丁寧に摘み取っていった。焦って一気に取り除こうとすれば、女の顔を崩してしまうからだろう。男の手つきは慎重で、気遣いに満ちていた。たとえもう既に生前の面影が残っていないほどに崩れてしまっているとしても、その女の尊顔は男にとって何よりも大事にしなければならないものなのだ。
 そうして蛆を全て取り除いたあと、男はかすかに微笑みながら、女の頬に手の平を伸ばし、撫でるようにゆっくりと上下させた。わずかも触れてはいない。触れては崩れてしまうからだ。

「こんなことしかしてやれなくてすまねえな。俺は何の力もねえただの人間だからよう」

 女は何も言わない。その目は永遠に閉じられたままで、男を見つめ返すことすらない。しかし男はその沈黙すらも愛おしくてたまらないというように、力ない女の躯を抱きかかえたまま、静かな声で囁き続ける。

「それで、話の続きだけどよ」

 そうして夜通し囁き続け、空が白み始めるころになると、男の顔から急に微笑みが消え失せた。物言わぬ女の死体を無表情にじっと見つめ、苦しげに涙を流す。

「何をやってんだろうな、俺は」

 喉がひきつれたような嗚咽が、男の口から絞り出された。

「ごめんな、ごめんな、許してくれな。俺ぁもう、お前がいないあの家で眠るのが、どうにもこうにも耐えられねえんだ。もう二度とお前と抱き合って夜通しつまらない話が出来ないなんてよぉ。本当にもう、耐えられねえよ。こんな俺をどう思う。悲しんでるか、怒ってるか。なあ、なんでもいいから答えてくれよ。なあ」

 しかし死体は何も答えず、表情一つ変えることはない。男は数分も無言で涙を流し続けていたが、やがてヨロヨロと頼りなく、しかし死体を損壊しないように細心の注意を払いながら立ち上がり、墓を元の通りに整え直すと、朝の光から逃げるように去っていった。
 その一部始終を目撃していた魔理沙は、たった今呼吸のやり方を思い出したような気持ちで、大きく、大きく息を吐く。

「とんでもないもの、見ちゃったなあ。ホラー小説かよ。全く笑えねえ」

 ぼやくように呟いて笑おうとしたのだが、頬の筋肉は死んでしまったかのように、ぴくりとも動いてくれない。本当に、全く笑えねえ話だった。



 その翌日の夜から、魔理沙の苦行が始まった。昼間寝て夜のそのそと起きだしては、あの男を見張るために人里の家の陰などに潜んで待つ。男の家は知っていたので、夜の闇に隠れて見張るのは大して難しくもなかった。姿を消す類の魔法は苦手だったが、それでも力のない人間に見つからないようにする程度は造作もない。家から出てきた男にも同じ魔法をかけてやって、他の人間に発見されないようにした。こんなところを見つかりでもしたら、男と女の逢瀬はそこで止められてしまうだろう。そうなったら一巻の終わりだ。
 人里の隅に隔離されているかのように存在する共同墓地に向かうまでの間、男はやせ衰えて生気がないのに、そのくせ希望に満ち溢れた顔をしていた。長い間ずっと恋い焦がれていたものにようやく会えるという、幸福感に満ち溢れた足取り。迷いなく歩く酔っぱらいのようなその姿に、魔理沙は舌打ちを漏らさずにはいられなかった。

「すっかりイカれてやがるぜ」

 今更といった感のある言葉を小さく吐き出し、魔理沙は男の後をつける。今は深夜で人里の人間は皆寝静まり、起きている者は誰一人としていない。物見台には見張りがいるかもしれないが、この里が妖怪の賢者に保護されている平和な場所である以上、さほど気張ってはいないだろう。下手をすれば居眠りをしている可能性すらある。その上、男は人がいる可能性のある場所は一度も通らなかった。魔理沙が考える限り、もっとも安全なルートを冷静に選んでいる。もう男を見張るようになって数度目の晩だが、猫一匹とすら遭遇していない。

(イカれてるくせに、こういうところは気持ち悪いぐらいに完璧だ。愛のなせる業ってやつかね)

 胸中で溜息をつく魔理沙の前で、男は今夜も共同墓地にたどり着いた。
 世界各地の妖怪が流入しているせいか、幻想郷の文化は基本的に和洋折衷である。日々の食事から建築や芸術作品に至るまで、実に多様な文化が無理なく混在している場所なのだ。宗教にしてもそれは変わらないので、埋葬の方法も実に様々だ。男は当然のように、自分の妻を棺に横たえて土葬していた。
 そんなわけで妻の死体は腐りかけながらも完全に骨にはならず、毎晩毎晩わずかに面影を残した体で生前の夫を出迎えるわけである。

「元気にしてたか。ずっとそばにいてやれなくてすまねえな」

 速やかに埋め直せるよう気をつけて墓を掘り返したあと、男は優しく抱き起こした妻の死体に向かって話しかけた。また夜通し、愛しい女の腐り落ちそうな耳元で、絶えることなき愛の詩を囁くつもりらしい。

(勘弁してほしいぜ、全く)

 男のいる位置からでは見えない墓石の陰に座り込みながら、魔理沙は深くため息をつく。派手な魔法を好み、また得意としている彼女にとって、人払いの魔法を夜通しかけ続けるというのはなかなか骨の折れる作業だった。しかも耳に入ってくるのが狂った男の答える者なき愛の囁きである。正直、こちらの頭までイカれそうだ。
 それでも魔理沙は耐えに耐えた。たまに立ち上がって男の顔を思い切り殴り飛ばしてやりたいという強い衝動に駆られたが、必死に我慢した。
 魔理沙がここまでしているのには、もちろん理由がある。彼女にとってはずっと昔、まだ人間の里で暮らしていた頃、よく男の世話になっていたのだ。正確に言うなら、男と、今は物言わぬ骸と成り果てている女とに。
 仲のいい、善良な夫婦だった。悪戯がばれてこっぴどく叱られた魔理沙が泣きながら彼らの家に駆けこむと、いつも優しく迎えてくれたものだ。夫婦仲が極めて良好なのに子供がいなかったから、娘のように思っていてくれたのかもしれない。そんな二人が形作る穏やかな空間を、当時の魔理沙は幼いなりに愛していた。
 そういう人間的な幸福に満ち溢れていたはずの男が、今は物言わぬ妻の死体を抱きしめて、忌まわしい安らぎに身を委ねている。熱に浮かされたような瞳は、ただ妻だけに情熱的な視線を注ぎながら、しかし少しも現実を見ていない。

(深すぎる愛はときに人を狂わせる、ってか。陳腐すぎて笑えもしないや)

 男の狂おしい愛の囁きを聞き流しながら、魔理沙は一人ため息をついた。
 そうして空が白み始める頃、男はまた最初の日と同じように妻の墓を注意深く元通りにした。涙を流して謝りながら、朝の光から逃げるように去っていく。
 男が誰にも見つからずに家まで帰るのを見届けたあと、魔理沙もまた速やかにその場を後にした。なにせ勘当中の身である。里の人間に見つかりたくないのは、魔理沙とても同じだった。

(いつまで続けなくちゃならないんだ、こんなこと)

 今すぐ墜落したいような気分で空を飛びながら、魔理沙は奥歯を噛みしめた。



 家に帰るなりベッドに潜り込み、起きだしてみたらもう夕方になっていた。窓の向こう、鬱蒼とした魔法の森は夕闇の中に沈みつつある。ぼんやりとそれを眺めたあと、溜息交じりに頭を掻く。

(寝過ぎだろ、明らかに)

 現実逃避願望が睡眠時間にまで影響を及ぼしているようだ。自分の意志でやっているくせに、と魔理沙は自虐的に笑う。次の展開を忘れて舞台の上で行き場もなくグルグル回っている役者とか、糸が絡まって動けなくなった操り人形とか、そういうものになってしまったようなどうしようもない気分。胃はからっぽに近いのに、無力感で吐きそうだった。

(だからって、他にどうしろってんだ)

 人間として常識的な対応をしろと言われたら、もちろん男を止めるしかない。だがそうしたところでどうなるというのだろう。男が何物にも代えがたいぐらいに深く妻を愛していたことを、魔理沙はよく知っている。あの夜の逢瀬が誰かに知られて妻の死体が焼かれでもしたら、男はもう完全に生きる気力を失くしてしまうだろう。
 いっそ冥界に行って妻の魂を探してみようか、とも考えたが、これもリスクが大きい。男が死んだ妻に引っ張られて、そのまま旅立ってしまう可能性がある。というか、確実にそうなるという予感があった。

(あの人に生きててほしいんだよな、要するに)

 ひょっとしたら死んだ方が男にとっては幸せなのではないか、と頭の隅で考えつつも、霧雨魔理沙という人間は男に生きてほしいと望んでいる。死んだ妻の分も生を全うするべきだ、とか、生きていればまたいいことがあるかもしれない、とか、理由はいくらでも作り出せる。ともかく、生きてほしいと思っている。
 しかしながら、どうやったらこの胸糞の悪い劇を終わらせることができるのか、魔理沙には皆目見当もつかない。こんな異常事態、誰にも相談することが出来ないので、そもそも男の妻がいつ、どういう理由で死んだのかも分からないのだ。男が毎晩毎晩妻のところに通って、最終的にはどうしたいのかもさっぱり分からない。

(結局あの人の好きなようにさせてやることしかできないのか、わたしは)

 漏れ出しそうになる罵声を堪え、ぐしゃぐしゃと髪を掻き乱す。事態が自分の手に負えるものではないことぐらい分かっているが、男の愛情の深さなど知りもしない誰かに介入してほしくはなかった。興味本位で引っかき回されるのも、客観的な正論を盾に何もかもぶち壊しにされるのも嫌だった。
 そのとき不意に、階下から誰かが扉をノックする音が聞こえてきた。少し驚く魔理沙の耳に、聞き慣れた声が飛び込んでくる。

「魔理沙ー、いないのー?」

 魔理沙と同じく魔法の森に住んでいる、人形遣いのアリスだ。魔理沙は慌てて飛び起きて、一段飛ばしに階段を駆け降りた。散らかり放題の一階の隅にある鏡の前で、軽く居住まいを整える。普段通りに応対しなければ、何か悩み事を抱えているとアリスに気づかれてしまうかもしれない。

(大丈夫、バレやしない)

 墓から帰ってきたあと、疲れ果てて着のみ着のままで眠ったのは不幸中の幸いだった。魔理沙は少し気息を整えてから、おもむろに家の扉を開ける。

「よう、アリスじゃないか」
「なんだ、いるんじゃない。すぐに出なさいよね」
「誰かを待たせてるときほど楽しい時間はないぜ」
「相変わらず人情のない女ね」

 呆れたように言うアリスには、別段いつもと違った様子は見られない。

(良かった、バレてないみたいだぜ)

 まあ入れよ、とアリスを家の中に招き入れながら、魔理沙は胸中で安堵の息を吐く。
 たまたま通りかかったからなんとなく寄ってみた、という言葉通り、アリスは別に用事があって来たわけではないようだった。いつも通りの会話を交わして、いつも通り素っ気なく別れた。彼女の様子にはいつもと違ったところなど何一つ見られなかった。



 三日経った。その間も男は墓場通いを繰り返し、日に日に腐っていく妻の死体を抱いて蛆を取り除きながら愛を囁き続け、朝の訪れとともに逃げるように去った。魔理沙は逃げ出したい気持ちを必死に堪えて、忍耐強く男に付き合い続けた。だが男が墓場通いを止める気配は微塵もなく、彼が正気を取り戻すこともない。
 そうして、男は今日も墓場に辿りついた。恋い焦がれたものにようやく会えるという喜びに満ちたあの笑顔を浮かべて、注意深く墓を掘り起こしている。

(もう限界だ)

 どうしても慣れることのできない精神的な苦痛に、魔理沙はすっかり打ちのめされていた。ひょっとしたら今日こそ墓場通いをやめてくれるのではないかという想いが未だ胸の片隅に残っており、それ故に毎晩毎晩期待を裏切られたという痛みに苦しまなければならないのだ。相手が見も知らない男ならともかく、まともだった頃を知っているが故に、尚更苦痛が大きい。

「だからって、今更止めるわけにはいかないよな」

 溜息交じりに呟いた、そのとき。

「でも、それじゃあいつまで経っても終わらないわよ」

 冷徹にも思えるほどに、淡々とした声音だった。魔理沙が驚いて振り向くと、そこに見慣れた人形遣いが佇んでいる。

「あ、アリス!? どうしてここに」
「話はあと。あんたは黙って見てなさい」

 切り捨てるような声で言いながら、アリスはじっと、少し離れた場所にいる男を見つめている。

「おい、いったい」
「黙ってなさいって。大丈夫よ、あんたの悩みも、今日で終わりになるから」

 一瞬だけ、アリスの微笑みがこちらに向けられた。人形遣いの声音があまりに暖かかったものだから、魔理沙はついつい泣きそうになってしまう。慌てて帽子のつばを引っ掴み、表情を隠す。
 だが、安堵と同じぐらい、不安も大きかった。一体アリスはどうやってこの異常事態を終わらせるつもりなのか。再び男を見つめ始めた人形遣いの瞳はどこまでも真っ直ぐで、酷薄なぐらいに冷静に見えた。これから何をするつもりなのか、見当もつかない。

「なあ、アリス」

 と、不安に駆られた魔理沙の声は、もっと大きな悲鳴にかき消された。驚いてそちらを見ると、掘り起こした墓のそばに這いつくばった男が、悲鳴を上げながら狂ったように周囲を見回し、妻の名前を呼んでいる。棺の中に妻の死体がなかったことは、いちいち考えなくても分かった。

(まさか、こいつ……!)

 魔理沙は沈黙を保っているアリスを睨みつけた。この人形遣いが男の妻の死体を隠したのは間違いない。まさかこんな短絡的な方法を取るとは思ってもいなかった。思慮深い女だと心の片隅で認めていたのは、魔理沙の誤りだったのか。

「アリス、お前……!」
「黙って」

 アリスの緊迫した声音には、有無を言わせぬ力強さがあった。魔理沙は思わず黙り込んでしまう。そんな彼女の前で、人形遣いはじっと男の様子を見つめていた。何かを待っているようにも見える。彼女の両手の指が、人形の糸を操るような形で固定されていることに、魔理沙は少なからず驚きを覚える。人形遣いと言っても、彼女の糸は魔法の糸だ。いちいち指を動かさずとも人形を操ることは可能なはずだし、いつもはそうしているはずだ。とすれば、今彼女はいったい何を操ろうとしているのか。
 そのとき、不意にアリスの指が細やかに動き始めた。明らかに、何かを操っているらしき指捌き。視線は相変わらず男の方へ向いている。反射的にそちらを向いた魔理沙は、息が止まるほどの衝撃を受けて目を見開いた。
 這いつくばって嗚咽を漏らしている男に、歩み寄る人影がある。ほっそりした肩やゆったりした足運びに、見覚えがあった。

(そんなバカな……!)

 声も出ない魔理沙が見つめる先で、その女が口を開いた。

「あなた」

 聞き覚えのある声だった。男が弾かれたように顔を上げる。まるでこのシーンを演出するために拵えられたスポットライトのごとく、雲間から一条の月明かりが降りてきて、女の顔を淡く照らし出した。そこには昨日まで腐りかけていたとは思えぬほど元通りになった、穏やかな美貌がある。
 這いつくばったまま呆然と見上げる男の前に、蘇った妻がゆっくりとしゃがみ込んだ。

「大丈夫、あなた。なんだか少し痩せたみたい」

 妻が悲しげに眉を曇らせながら、やせ衰えた男の頬を優しく撫でる。その表情も腕の伸ばし方も、生前の姿そのままだ。少なくとも魔理沙にはそう見えたし、男にとっても同様だったらしい。

「ああ、お前、そんな、どうして」

 止めどなく涙を流しながら、男がうわ言のような言葉を何度も何度も繰り返す。そんな男に、妻がそっと微笑みかけた。

「あなたがわたしに会いたがっていたから、神様が時間を下さったの。ね、何か、話したいことがあったんでしょう。全部聞いてあげるから、なんでも話してちょうだいね」

 包み込むようなその囁きを聞いて、男が激しく泣きじゃくり始めた。妻は黙ってそれを抱きしめて、慰めるようにそっと背中を擦り始める。
 男の泣き声を聞きながら、魔理沙は無言で視線を戻した。彼女のそばに立つ人形遣いの指先は、今も絶えず動いている。魔理沙の背筋が激しく震えた。

(ああ、こいつ、この女、あの人の死体を弄って、操っていやがる……!)

 しかも表情一つ変えず、至極冷静に、だ。魔理沙は吐き気を感じた。今すぐアリスに掴みかかって、この死者への冒涜を即刻止めさせたかったが、そうしたら何もかも台無しになるのは目に見えている。結局、ただ黙って見守ることしかできなかった。



 ヴェールのような月明かりの下、暴かれた墓の前に並んで座った男とその妻が、穏やかな面持ちで生前の思い出を語り合っている。男はときに涙ぐんだりしながらも、絶えず幸せそうな微笑みを浮かべていた。妻の方も生前と全く変わらぬ表情、全く変わらぬ声音で、男の声に答えている。彼女のことをよく知っている魔理沙ですら、何も知らなければ死者が蘇ったと信じてしまいそううな光景だ。
 だが、もちろん事実は異なる。近年冥界との行き来が割と自由になっている幻想郷においてすら、死者が蘇ることなど絶対にあり得ないし、許されないことである。死体を弄るのも同様だ。普通の人間とは価値観がかけ離れている魔理沙ですら、その辺りの感覚は変わりない。見知った人間だろうがそうでなかろうが、腐りかけた死体を弄って元通りにして糸で操れ、などと言われたら、言った奴を即座に吹き飛ばすだろう。
 魔理沙は苦々しく、そばに立っているアリスを睨みつけた。人形遣いは今も指を動かし続けている。その指捌きは完璧と言っていい。死体を操っているということに対する躊躇や動揺など、微塵も見られない。

(異常だぜ、全く。やっぱりこいつも妖怪なんだな)

 否定しようもない生理的な嫌悪感に吐き気を覚えながら、魔理沙はアリスに問いかける。

「おい人形遣い」
「なに」
「あれ、お前が操ってるんだよな」
「分かりきったことを聞かない」
「どうやって喋らせてるんだよ」
「糸で肺の収縮を操ってるのよ。腐りかけてた肺や声帯を元通りに戻すのは大変だったわ」
「じゃあやっぱり死体弄ったのか」
「分かりきったことを聞かない」

 喋りながらも、アリスは死体操作を止めなかった。魔理沙が見る限り、表情や細かい仕草まで完璧に再現されている。そこにはアリス自身の感情の揺らぎなど全く窺えない。どうやったらこんな真似ができるのか、魔理沙には想像もつかなかった。

(だって言うのに)

 釈然としない気持ちで、魔理沙はアリスの横顔を見つめた。人形遣いの指捌きには一欠けらのミスも見られなかったが、今彼女が浮かべている表情は、そういう冷徹さとはかけ離れたものだった。辛そうに顔を歪め、止め処なく涙を流しているのである。魔理沙は自分の顔が歪むのを抑えられなかった。

「なんで泣いてんだよ、お前」
「だって」

 小さく鼻を啜りあげながら、アリスは涙声を絞り出した。

「これも所詮は一夜の夢だと思うと、ね。あの人はあんなにも愛している人と永遠に別れて、これからも続いていく人生を生き抜いていかなくてはならないのよ。その辛さを思うと、胸が張り裂けそうだわ」
「そうかい」
「そうよ。あんたにはこの切なさが分からないの?」
「今はどっちかというと嫌悪感の方が大きいぜ」
「あんたって本当に人情のない女ね」

 死体を操りながら、アリスが非難するような声で言った。



 そうして、朝がやってきた。あれだけ熱心に喋り続けていた男も、今はただ黙りこんで、妻の隣に座っている。

「そろそろ、行かなくちゃ」

 妻がゆっくりと立ち上がった。男は黙ってそれを見上げ、目を潤ませる。

「ごめんな」
「どうして謝るの?」
「弱い俺の我がままのせいで、お前にこんなことさせちまって……閻魔様にお叱りを受けるんじゃないのか」
「大丈夫よ。きっと、お許しくださるわ」
「すまなかった、本当にすまなかった」

 男の目からぽろぽろと涙が零れ落ちた。

「この現実を受け止めなくちゃいけないってのは、分かってたんだ。でも、何も伝えられないまま、お前がいきなりいなくなっちまったもんだから、どうしても……伝えたいこと伝えたくて、一言だけでいいから、お前に答えてほしくて、こんなこと」
「伝えたいことって、なに?」
「うん」

 男は涙を拭って立ち上がった。柔らかな朝日に照らされたその顔は、真っ直ぐに妻と現実とを見つめているように思える。彼は背筋を伸ばし、涙の跡が残る顔で、一言一言かみしめるように言った。

「お前がいてくれて、俺は本当に幸せだった。心の底から愛してた。これからも愛してる。ありがとう。さようなら」

 妻が優しく微笑んだ。

「わたしも愛してるわ、あなた。幸せな人生だった。本当にありがとう。さようなら」

 穏やかな声で言い終えるのと同時に、妻の体からふっと力が抜けた。男は慌てて彼女の体を支えたが、どんなに呼びかけても、もう答えが返ってくることはない。
 男はしばらくの間、物言わぬ妻の骸を抱きしめたまま、声を上げて泣き続けていた。だがやがてゆっくりと立ち上がり、妻の死体を元通り棺に横たえると、静かに墓を整え直した。
 その儀式を終えたあと、男は昇りゆく朝日を無言で見つめた。その顔は今も沈鬱な色に包まれていたが、憑き物が落ちたように晴れやかでもあった。男は少しの間妻の墓に向かって祈りを捧げたあと、前日までとは比べ物にならないほどしっかりとした足取りで、その場を立ち去った。
 後に残されたのは、静かに涙を流しながら去りゆく男を見つめる人形遣いと、納得できない心境のまま憮然と唇を尖らせる、普通の魔法使いのみであった。



 魔法の森に帰還した魔理沙は、アリスの誘いに応じて彼女の家を訪れていた。出された紅茶に口をつけることもなく、テーブルの向こうの人形遣いに向かって噛みつくように問いかける。

「で、結局どういうことなんだよ」
「なに怒ってるの、あんた」

 眉をひそめながら、アリスがティーカップを置いた。魔理沙は苛々して、テーブルの表面を指で叩く。訊きたいことは山ほどあった。

「まずは……そうだな、いつ気がついたんだ?」
「三日前、あんたと会ったとき」
「やっぱあのときか……隠してたつもりだったが、わたしはそんなに落ち込んでるように見えたのか?」
「ううん。まあ演技自体は、あんたにしては上出来だったと思うけど」
「じゃあなんで」
「家の中でバタバタやってる音が聞こえたからね。客がわたしだと分かっててあんたが身だしなみを整えるなんて、あり得ないもの。となると、なにか隠したいことがあるんだ、と思うのが当然でしょ。後はばれないように、こっそり人形に見張らせるだけで良かったわ」

 淡々としたアリスの指摘に、魔理沙はぐうの音も出ない。やっぱり隠し事は苦手だ、と思う。

「その後は?」
「情報を集めたわ。あの男の人が、なんであんなことをしているのか」

 ティーカップを小さく揺らしながら、アリスは悲しげに目を細める。
 男が毎夜あんなことをしていると知っていた人間は、実は魔理沙だけではなかった。里の守護者である慧音も気付いていたのだ。だが魔理沙と同じような理由で、どうにもこうにも手が出せなかったらしい。

「あの男の人、奥さんが本当に突然死んじゃったものだから、彼女の死を受け入れることが出来なかったみたいなの。一言言葉を交わすことすらできなかったみたいでね」
「だからあんなことを?」
「そう。本人も、馬鹿なことをしているっていうのは分かっていたんでしょうけど」

 アリスは憂鬱そうにため息をついた。

「やっぱり、ちゃんとした形で別れを告げることって大事ね。そういう段階を経ないと、まともに悲しむことすらできないんだから」
「だからお前は死体を操って、あの人にああいう儀式をやらせてやったってわけか」

 魔理沙が大きく鼻を鳴らすと、アリスは怪訝そうに眉をひそめた。

「さっきから何を怒ってるの、あんた」
「怒るに決まってるだろうが!」

 魔理沙は手の平で思い切りテーブルを叩いた。アリスがちょっと目を見開く。

「ちょっと。どうしたの。落ち着きなさいよ」
「これが落ち着いていられるか!? 知り合いの死体を好き勝手に弄り回されて、なんとも思わない奴の方がどうかしてるぜ!」

 魔理沙とて、アリスの取った手段が有効だったことは認めざるを得ない。だが、それとこれとは別問題だ。胸にこびりついている嫌悪感は、どうやっても拭うことが出来ない。
 そんな魔理沙を見て、アリスはようやく合点がいった様子で大きく頷いた。

「ああ、そういうことだったの。それで怒ってたんだ」

 まるで今まで皆目見当がつかなかったと言わんばかりの面持ちである。魔理沙の顔が大きく歪んだ。

「やっぱ、お前も妖怪だよな」
「なによ突然」
「腐りかけた人間の死体弄り回しても、なんとも思わないんだもんな。人情がないのはどっちだよ、全く」

 うんざりしながらそう言うと、アリスは心外だと言わんばかりに眉をひそめた。

「ちょっと、人を極悪人みたいに言うのは止めてくれない?」
「それ以外のなんだって言うんだよ」
「誤解してるわよ、あんた」
「なにが」
「だって、ちゃんと本人から許可をもらってるもの、わたし」

 何を言われたのか、すぐには理解できなかった。

「許可?」
「そう」
「なんの?」
「もちろん、あの人の死体を掘り起こして、修復する許可よ」
「……はぁ!?」

 絶句する魔理沙の前で、アリスは疲れたように息を吐きだした。

「大変だったわよ。冥界まで行って転生待ちしてるあの人の魂見つけ出して、事情説明して……」
「じゃ、じゃあ、あの人がお前に言ったのか? 自分の死体を弄ってもいいって?」
「もちろんよ。どうか夫が今後も元気に生きていけるようにして下さいって頼まれもしたわ。そうでもなければ他人の死体を勝手に弄ったりするもんですか。わたしは都会派なのよ。そんな常識のない真似はしないわ」

 なんだか頭が痛くなってきた。呻く魔理沙の前で、アリスは淡々と説明を続ける。
 彼女とて死体の修復は専門外だったから、永琳にも協力を求めたそうだ。男の妻の生前の姿を完璧に再現するために、慧音に話を聞いたりもした。里の守護者は最初こそ渋っていたが、アリスが本人の許可を取りつけたことと、男の心を癒す手立てがおそらく他にはないであろうことを考慮して、最終的には支援してくれたらしい。

「なんだよその万全の支援体制は……」
「ちなみに時間がなかったから、移動は紫に手伝ってもらったわ。死体の運搬とかもね」
「相変わらず暇なババァだな……時間がなかったってのはどういう意味だ?」
「腐りかけの死体を毎晩毎晩抱きしめてたら、いつ病気にかかってもおかしくないでしょう? それに、こういうのは時間が経てば経つほど治りにくくなっていくものよ。腐敗が進行しすぎれば、永琳でも修復するのは難しくなるでしょうしね」

 言い終えてから、アリスは心底安堵しきった様子で溜息をついた。

「何にしても、間に合って本当に良かったわ。立ち直るきっかけは出来たから、あの人の心の痛みは時間が癒してくれるでしょうし、奥さんの方も、旦那さんが立ち直ったことを知れば未練なく次の生へ向かえるはずよ。何もかも丸く収まって、本当に良かった」

 心底から満足げなアリスの声を聞きながら、魔理沙はギリギリと歯ぎしりしていた。
 確かに、文句などつけようもないほどのハッピーエンドではある。そもそも何もできずに傍観していることしかできなかった以上、自分に文句を言う資格があるとも思えない。
 だがそれでも、なんだか釈然としないのだ。

「ええい、納得いかん!」

 呟きながら、魔理沙は紅茶をガブ飲みする。冷めきった紅茶は酷く不味かった。



「じゃあ、またね」
「おう」

 ぶすっとした表情で言いながら、魔理沙がどこか不満げな足取りで去っていく。

(無理もないか)

 友人の小さな背を見送りながら、アリスはこっそり苦笑した。
 彼女とても、魔理沙の気持ちは理解できる。死体を弄るなど、できれば取りたくない手段ではあった。
 だが、本当に時間がなかったのだ。だからこそ、あんな方法に頼らざるを得なかった。

(だって、ねえ)

 三日前の夜に見た魔理沙の姿が、アリスの脳裏に蘇る。口は悪いが根は真っ直ぐな友人の表情は本当に辛そうで、とても見ていられなかった。彼女があれほど苦しんでいたからこそ、アリスは多少無理をしてでも男を救おうとしたのだ。

(ま、とりあえずはめでたしめでたしかな。魔理沙がわたしを嫌う分には、特に問題もないし)

 少なくとも人が死ぬよりはずっとマシだ、と考え、アリスは一人微笑んだ。



 こうしてこの小さな異変は終わりを告げた、かに見えたのだが、少し経って余計な後日談がくっついてきた。

『優しい死体の弄り方』

 という見出しが文々。新聞の一面に踊っているのを見たときは、さすがのアリスも絶句してしまった。どうやらあの晩の人形劇、烏天狗の射命丸文に目撃されていたらしい。紙面には、死体を操りながら涙を流すアリスの写真が大きく掲載されていた。記事の本文も、この小さな異変の顛末を事細かに語っていた。男の妻にきちんと許可を得た上での行動であった、ということまで書かれていたほどだ。一体どこでここまで正確に情報を知りえたのだ、と思ったら、文末に「情報提供者 Y・Y女史」と書いてあった。
 これで、事の真相が当事者である男にも伝わってしまったわけである。愛しい妻の死体を他人に弄られたと知ったら怒り狂うのではないか、とアリスは危惧したが、後に慧音に聞いたところによると、男は静かに微笑んで「森の魔法使いも、粋なことをしてくれますね」と言ったのみだったという。
 記事の論調が基本的にアリスを賞賛する姿勢だったおかげか、彼女が非難の的となることはなかった。それどころか、死に引きずり込まれつつあった男を救うために敢えて自らの手を汚した高潔な女性である、と、しばらくの間森の聖女と崇められたほどである。
 なお、これら一連の流れを知った普通の魔法使いは、やはり釈然としない表情で、

「納得いかん、納得いかんぞ」

 と何度も呟いたとのことである。

 <了>
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