【東方SS】移動式門番

2012/2/14に東方創想話に投稿したSSです。
 


『移動式門番』



 門番というのは、原則的に動かないのが仕事である。
 無論、不法侵入を試みる者がいれば退去を勧告するし、それでも従わなければ実力で排除することもある。
 だが、そういうことがない限りは日がな一日立ちっぱなしでその場を動かないのが役目なのだ。
 雨の日も風の日も雪の日も、年中休まず立ちっぱなしである。
 なんて過酷な仕事だろう。門番というのはまさしくタフガイでなければ務まらないお役目と言えよう。

(いや、わたしの場合は女だからタフガイじゃなくてタフレディかな……)

 そんなことを考えて、なんかかっこいいぞ、と美鈴はちょっと得意な気持ちになる。無学者なので実際にそんな言葉があるのかどうかは知らない。一日中立ちっぱなしだと、景色を見ながらいろんなことを考えるものだ。
 霧の湖に浮かぶ中島にある紅魔館、その門前から見える景色は、まばらな木立と静かな湖畔である。湖はいつも霧が立ちこめているが、日によってその濃淡には差がある。今日はだいぶ霧が薄く、降り注ぐ日差しによって周囲が淡い光に包まれていた。好きな類の天候である。

(いいなあ。今日は絶好のシェスタ日和だわ。何時頃から寝ようかな)

 門番は原則的に動かない仕事であるが、侵入者と主とメイドの接近を察知して即座に覚醒できるならば昼寝ぐらいは問題ない。美鈴はそう考えている。失敗することも稀にあるが、その辺はご愛敬というやつだろう。

(うん、問題ないから今すぐ寝よう)

 美鈴は即決すると、さっそく門柱に寄りかかって目を閉じる。
 睡魔はすぐにやってきた。その間、わずか0.94秒。
 のび太と競えるのが密かな自慢である。



 そうして、どのぐらいの時間うとうとしていたことだろう。
 不意に、美鈴は自分を呼ぶ声が聞こえた気がしてうっすらと目を開く。

「んん……?」

 しょぼつく目をこすって前方へ向けると、湖面を滑るような具合に水しぶきを跳ね上げながら、何か小さな物が凄い速さで飛んでくるのが見えた。
 その小さな青い物体が、こちらに向かって呼びかける。

「めーりーん!」
「おー、チルちゃぐほぉっ!?」

 予想以上に速度が速かった。真正面からの突進をモロに土手っ腹に喰らって、美鈴は悶絶する。
 突っ込んできた青い髪の少女は、そんな美鈴を見て首を傾げた。

「めーりん、なにやってんの?」
「い、いやいや、なんでもないよ……チルちゃん相変わらず元気ね」
「うん、あたい元気!」

 歯を見せて笑う少女に、美鈴も腹をさすりながら苦笑する。
 この子の名前はチルノと言って、霧の湖一帯を縄張りにして遊んでいるらしい妖精だった。しかも、世にも珍しい氷の妖精。
 たまに紅魔館の近くまで飛んでくることもあって、門番である美鈴にもよく話しかけてくる。美鈴の方でもこの無邪気な妖精を気に入っており、チルちゃんと呼んで話し相手になってやっていた。

「あれ、チルちゃん、今日は一人? お友達は?」
「みんな、今来ると思うよ。あたい一番乗り!」

 チルノが得意げに人差し指を立てた瞬間、湖の方からまたも声が聞こえてきた。

「チルノー!」
「チルノちゃーん!」

 と、今度は複数人でチルノに呼びかけている。

「ほら来た! おーい、みんなー!」

 チルノが湖の方に向かって大きく両手を振る。美鈴がまた目を凝らすと、先程のチルノよりは若干遅い速度で、いくつかの影が近づいてくるところだった。外見的には、チルノとそう変わらない年齢に見える少女たちだ。
 彼女たちは次々と門前に降り立つと、乱れた髪や服を直したり、膝に手をついて息を整えたりする。
 その中の一人が、「ちょっと、チルノ!」と怒り顔でチルノに詰め寄った。猫の耳を一対、尻尾を二本生やした、化け猫の少女だ。彼女は橙と言って、幻想郷の結界を守る八雲家の一員らしい……と、美鈴は大ざっぱに認識している。
 橙は、怒り心頭という感じに眉をつり上げ、チルノを怒鳴りつけた。

「いきなり一人で行っちゃうなんてどういうつもりよ!?」
「いきなりじゃないよ、『今からめーりんのところまで競争!』って言ったじゃん。ほんで、あたい一番!」
「それ以外に何の合図もなかったじゃないの! ずるい!」
「へん、合図に反応できない方がノロマなんじゃん」
「卑怯者にノロマなんて言われる筋合いはない!」
「なんだとー!」

 ぐぎぎぎぎぎ、と顔を突き合わせて威嚇し合う。この二人、何やらお互い対抗意識を持っているらしく、彼女らが遊びに来ると大抵一度はこうして激突する。
 美鈴としては相変わらずだなあ、と微笑ましい気持ちになる光景だ。

「ちょっと、止めなよ二人とも」
「そうそう、仕事の邪魔になっちゃうよ」

 と、二人の間に割って入ったのは、リグル・ナイトバグにミスティア・ローレライだ。それぞれ蛍の妖怪、夜雀という鳥の妖怪である。やはりチルノと同年代ぐらいに見えるが、雰囲気的にはもう少し年上にも見える。
 二人に引き離されたチルノと橙は、お互いまだ怒りが収まらないらしく、「フン」と揃ってそっぽを向く。そんな様子を見て、リグルがため息を吐き、ミスティアが苦笑を浮かべる。これもまた、いつも通りの光景だ。
 そんな四人を横目に、残りの二人が歩み寄ってくる。

「こんにちは、美鈴さん」
「こんちはー」
「はいこんにちは、大ちゃん、ルーちゃん。今日も元気ね、みんな」
「そうですねー……すみません、騒がしくしちゃって」

 ぺこりと頭を下げるのは、緑の髪をサイドで結わえた妖精の少女である。大ちゃんというのは彼女のニックネームで、大妖精という通称から来ているらしい。本名は誰も知らないし、本人も敢えて名乗らない。
 そして残りの一人は金髪の少女で、名をルーミアという……のだが。

「えーと、ルーちゃん。何やってんの?」

 その呼びかけには答えず、ルーミアは何やら美鈴の腕の辺りに鼻面を押しつけてくんくんと臭いと嗅いでいた。
 そして、目を輝かせながら美鈴を見上げ、

「朝ご飯、カレーだった?」
「当たり。相変わらず凄いね、その鼻」
「わたしにもちょーだい!」

 ルーミアは涎を垂らしながら両手を差し出してくる。美鈴は苦笑してポケットに手をつっこみ、

「さすがにカレーはあげられないけど……はい、これ」

 と、ルーミアの手に飴玉を一つ落としてやった。

「カレー味のキャンディよ」
「やった!」
「え、ルーミアそれでいいの、カレー味のキャンディって……」
「凄い不味そうなんだけど……っていうかなんで持ってるの美鈴さん……」
「あー、ルーミアばっかりずるい! あたいにもちょーだい、あたいにもちょーだい!」
「ちょっとチルノ、意地汚いことばっかり言わないでよ!」

 子供たちが集まってきて思い思いに騒ぎ立てるので、門の前がすっかり騒がしくなってしまう。こりゃ景色見てる暇もないな、と苦笑しつつ、美鈴はまたポケットを漁った。

「はいはい皆さんお静かに、飴はまだたくさんありますからねー。もらったら大人しくその辺に座ってちょうだいねー」

 言いつつ、一人一人に飴玉を配ってやる。味の方はチルノにソーダ味、大妖精に苺味などなど、それぞれの好みに配慮したつもりである。
 そうして、子供たちがそれぞれ飴玉を頬張ってその辺りに座った後、「さて」と話を切り出した。

「それで、今日はどうしたの? なんか、ここまで競争してきたみたいだったけど」
「うん、美鈴の芸見に来た!」
「あら、そうだったの」

 元気のいいチルノの返事に、美鈴は少し嬉しくなる。以前も通りがかったチルノに簡単な芸を披露して見せたことがあったが、そのことを覚えていてくれたものらしい。
 ただ、そのチルノの言葉は他のメンバーにとって予想外だったようで、「えっ」「そうなの」だのと驚きの声を上げている。
 中でも橙は相当不満そうであった。

「今日は森でかくれんぼする予定だったのに……昨日言ったこともロクに覚えてないんだから」
「まあまあ、いいじゃない。こっちもこっちで楽しそうだよ?」

 ぶつぶつ言う橙をミスティアがなだめ、こちらにチラッと視線を送ってくる。

(そういうわけだから、なんかお願いします)
(了解)

 ミスティアの視線に片目を瞑って答え、美鈴は「はい、注目!」と軽く手を鳴らした。

「それじゃあご期待に応えてやっちゃいましょうかね。と言っても道具なんか用意してないから、大したものは見せられないけど」
「なんでもいいからやれーっ! 脱げーっ!」
「チルノちゃんどこでそんな野次覚えたの!?」
「こんなところで脱いだら変態だよ……」

 騒ぐチルノに驚く大妖精、呆れ顔のリグルたちを前にして、美鈴はにこやかに芸を始めた。
 芸、と言っても体だけを使った単純な演技だ。宙返りをして門柱に飛び乗ったり、逆立ちしたままエビ反りしたり、片足で立ったままもう一方の足を首に回してみたり。
 紅魔館で門番を始める前、外の世界であちこち放浪していた頃は、これだけでも拍手喝采、うまく行けばその日の宿代ぐらいは稼げていたものだ。
 ただ、空を飛んだり弾幕を張ったり出来る妖怪の子供相手だとそこまで受けは取れないかな、というのが少しばかり不安ではある。

「謝謝」

 と、演技を負えて頭を下げた途端、見ていた全員から惜しみのない拍手が浴びせられる。
 顔を上げると、チルノはもちろん大妖精やリグル、不満顔だった橙まで一生懸命拍手してくれていたので、美鈴は少しばかりほっとした気持ちだった。どうやら、無用の心配だったようだ。

「楽しんでもらえた?」
「うん、やっぱめーりんスゲー!」
「藍様たちにも見せてあげたいです!」
「あははは、さすがにあの辺の方々相手にこんな拙い芸を見せるのは……って、どしたの?」

 ふと、リグルだけが拍手をやめて青ざめた顔をしているのに気づいた。何か、とても恐ろしげなものを見たような表情で、その視線は美鈴を通り越して後方へと向けられている。

(後ろ……?)

 と、振り向いてみて、美鈴もまたぎょっとした。
 門の内側に、実ににこやかな顔をしたレミリア、物言いたげな渋い顔で日傘を差し掛けた咲夜が立っていた。

「お、お嬢様……」
「いやいや、相変わらずの腕前ね、美鈴。途中からだったけど、大変結構な物を見せて頂いたわ」
「い、いやあ……あ、門開けますね」
「ご苦労様。ところで」

 と、門から外に出てきたレミリアは、にこやな顔をにやけ面に変化させて、

「何か、異常はないかな? 我が紅魔館が誇る優秀な門番殿?」
「え、ええと……と、特に異常はありませんです、はい」

 何とも罰の悪い気持ちで美鈴が報告すると、「待ってください!」と誰かが横から飛び出してきた。

「すみません、美鈴さんが始めたんじゃなくて、わたしたちが無理言って頼んだんです!」
「怒らないで下さい!」
「お願いします!」

 と、並んで頭を下げているのは、大妖精とリグルと橙だ。この三人は、どうやら紅魔館の主であるレミリアが美鈴の怠慢を叱るつもりだと判断したらしい。
 一方、動かないのはチルノとミスティアとルーミア。チルノは状況が分からずぽかんとしており、ミスティアは別にそんな深刻な話でもないと理解して苦笑、ルーミアはにこにこしていて何を考えているのかよく分からない。
 ともかく、そんな彼女らそれぞれの反応を見回して、レミリアは小さく吹き出した。

「大丈夫よ、別に怒っているわけではないわ……ねえ、咲夜?」
「何故わたしに聞かれるのでしょうか、お嬢様」
「だって、言いたいことがあるのはわたしじゃなくてお前の方ではないの?」
「主であるお嬢様を差し置いて言いたいことなど、私にはございませんわ」
「だって。良かったわね、美鈴」
「あ、あはははは……」

 ひきつった顔で笑いつつも、美鈴は内心冷や汗だらだらである。レミリアのそばに控える咲夜の目が、ちょっと怖い。まずいとこ見られたなあ、という気分だった。
 と、

「ねーねー、レミリア、どっか出かけんの?」
「ち、チルノちゃん……!」

 大妖精が止めるのにも気づかず、チルノが興味津々でレミリアに歩み寄る。気安すぎる態度だったが、レミリアの方ではさして気分を害した様子も見せず、

「ええ、ちょっと博麗神社にね」
「ああ、また巫女のところに血のおねだりですか」
「そりゃあね。巫女で処女とか狙わない理由がないわ」
「さいですか。お嬢様も相変わらずですねえ」

 美鈴はへらへら笑ってそう言いつつ、それにしても最近は多いですよね、と心の中で呟く。
 主の行動をどうこう言うつもりはないので、言葉にはしなかったが。

「ま、そんなわけだから門の守りはよろしくね。いつも通り」
「はい、了解しました」

 いつも通り、という言葉を強調されて、美鈴はちょっと苦笑する。
 そんな彼女の横を通り抜けて、レミリアが空に飛び上がる。咲夜もそれに続きつつ、「あまり騒がせないようにね」と低い声で釘を刺していった。

「お嬢様、咲夜さん、いってらっしゃいませ!」

 美鈴はいつものように頭を下げて見送った後、開いた正門を閉めにかかる。それを見たチルノが、「あーっ!」を声を上げた。

「なに、どしたのチルちゃん」
「閉めるなんてもったいない! せっかくだから中に入れてよー!」
「それはダメ。入りたいならお嬢様にお願いして、きちんとご招待を受けてからね」

 美鈴が澄まし顔で門を閉め切ると、チルノは不満そうに頬を膨らませた。

「ぶー。けちんぼ!」
「チルノちゃん、ダメだよそういうこと言ったら」
「そうよ。仕事の邪魔しちゃいけないんだから」
「むう……」

 大妖精と橙に揃ってたしなめられて、チルノはますます不満顔だ。美鈴は彼女の頭を撫でてやり、

「ま、中に入れるのは無理だけど、この辺で遊ぶのは構わないよ。わたしだったらお喋りにつき合ってあげてもいいしね」
「ホント!? やったー!」

 チルノが大喜びで抱きついてくる。
 相変わらず落ち着かない子だなあ、と美鈴は苦笑した。



 結局、しばらくはこの辺でお喋りしよう、という結論になったらしく、チルノたちは美鈴を囲むような形で思い思いに地面に座った。
 ちなみに、チルノだけは胡座をかいた美鈴の膝の上である。どうも、このポジションがお気に入りらしい。美鈴の体にぺたぺたと触れてはにこにこ笑って、実にご機嫌だ。
 氷の妖精であるチルノの体はとても冷たいので、本来であれば人間はもちろんのこと、妖怪でもここまで密着するのは難しい。だから、こんな風に気安く触れられる相手がいるのが嬉しいのだろう。
 一方、大妖精は心配そうに眉を下げて、

「あの、美鈴さん、本当に大丈夫なんですか?」
「平気平気。わたしってばすっごい頑丈だからね」
「おー、めーりんもさいきょーだな!」
「そうそう、さいきょーよ、さいきょー」

 はしゃいだ声を上げるチルノに、美鈴も気楽に同調する。
 実際のところ、平気な理由は頑丈だからではなくて、チルノと美鈴の能力に理由がある。
 チルノの能力は「冷気を操る程度の能力」であり、美鈴の能力は「気を使う程度の能力」だ。
 冷気も気の一種だろう、と考えたら、なんか上手いこと冷たさが逃げて大丈夫だった次第である。

(なんかもう言葉遊びみたいだけど……大丈夫なものは大丈夫なんだから仕方がないよね)

 美鈴としてはその程度に考えている。あまり深く考えたところで、無学な身で厳密な理屈付けなどできるはずがない。
 だから、これでいいのだ。

「それにしても、さっきはびっくりしたなあ」

 と、リグルがため息混じりに言う。
 橙もそれに同意した。

「だよね。わたし、怒られるかと思っちゃった」
「レミリアさんって異変起こしたりするからもっと怖い妖怪なのかと思ってました」
「んー……まあ、怒るときは怒るし、怖いときは怖いけどね」

 美鈴は頷きつつも、安心させるように言う。

「でもね、基本的に子供には優しいのよ、うちのお嬢様は」
「えー、あいつだって子供じゃん!」
「ち、チルノちゃん、駄目だよそういうこと言っちゃ」
「まあ、実際見かけは子供だけどね、でも中身はあれでいて結構おっさんだから……」

 今頃博麗神社で霊夢に突撃をかましてしばかれているであろう主の姿を想像し、美鈴は何とも言えない気分になる。

(お嬢様も昔はそこまで処女の血にこだわり持ってなかったと思うんだけどなー。年喰うとああなるのかな。そうすると、この子たちもその内『やっぱりガキの肉が一番柔らかいぜへっへっへ』とか言うようになるのかな)

 そんなことを考えて、なんかやだなー、と思ったりした。

「ねーねー、めーりん」
「ん、どしたのチルちゃん」
「中に入るのが無理だったらさ、あたいたちと一緒に遊びに行こうよ!」
「んー……」

 期待に目を輝かせているチルノを見ると、なんとも返事がしにくい。
 美鈴が困って頬を掻いていると、「駄目に決まってるでしょ」と橙がため息混じりに言った。

「あんたって本当に馬鹿ね、美鈴さんは主から任された大事なお仕事中なんだから、ここを動けるはずがないでしょ」
「えー。仕事ったって、藍みたいになんか書いてるわけでもないし……突っ立ってるだけじゃん、美鈴」
「門番の仕事っていうのはそういうもんなの! ねえ、美鈴さん?」
「ん、まあね。それだけじゃないけど」

 美鈴がそう言うと、チルノは不思議そうに首を傾げた。

「門番って他にもやることあるの?」
「もちろんよ。そうね、たとえば……」
「あ、分かった!」

 と、チルノが自信満々に指を立てる。

「魔理沙に負けることだ!」
「だ、駄目だよチルノちゃん、もっとオブラートに包まないと……!」
「……うん、そうよね、いっつもそういうところばっかり見せてるもんね……」

 とほほ、と美鈴はなんとも情けない気持ちになる。子供はよく見ているし、何より正直だ。

「え、えっと。それで、本当はどんな仕事があるんですか?」
「そ、そうだね、是非とも聞きたいなあ」

 若干ぎこちなくフォローを入れてくれる大妖精とリグルに「ありがと」と小さくお礼を言ってから、美鈴は勿体ぶって小さく咳払いをした。

「えー、おっほん。それじゃあ、始めましょうかね」
「なにを?」
「美鈴先生の門番講座! イェーイ!」
「いぇーい!」
「わー」
「ぱちぱちぱちぱち」

 真っ先にチルノが調子を合わせ、他のメンバーも思い思いに拍手したり口笛を吹いたりする。ノリのいい子たちで助かるなあ、と美鈴はちょっとほっとした。

「それで美鈴さん、門番のお仕事ってどんなですか?」
「そうね。まあ基本的にはさっきチルちゃんが言った通り、ここに立ってることかな。あとは侵入者の撃退……まあこれに関しては例の魔女に負け続けだけど」
「でも、ここに立ってるだけだと、他の場所から侵入しようとする敵が見えないんじゃないですか?」

 橙が手を挙げて質問したので、美鈴は「大丈夫大丈夫」と答えた。

「わたしも気を使う程度の能力で、近づいてくる奴をある程度は察知できるからね。よっぽど大人数で攻められない限りは手が回らなくなるってことはないよ」
「そーなのかー」
「そーなのです。ほんで、残りの仕事だけど……実際の所、これが一番大事かな」
「なんですか、その仕事って」
「お出迎えとお見送りよ」

 美鈴は少しばかり胸を張って答える。

「屋敷を訪れるお客様への挨拶、屋敷を後になさるお客様への挨拶……それと、お嬢様がお出かけになるときのお見送りと、お帰りになったときのお迎えの言葉。これを気持ちよくやるのが門番として一番大事な仕事なのよ」
「そんなに大事なの?」
「そうよー、チルちゃん。だって、しかめ面で出迎えられたりしたら、緊張しちゃうでしょ。屋敷を出るときだって、『またのお越しをお待ちしております』って笑顔で言われた方が、次来るときも気分良く来られるし」

 つまり、と美鈴は指を立てる。

「門番っていうのは、一番最初と一番最後を締める、とっても大事なお仕事なのよ」
「おー」
「なんか、そう言われると確かに素敵な仕事かも!」
「はっはっは、そうでしょそうでしょ、憧れてもいいのよ!」
「でもさあ、だったらさあ」

 胸を張る美鈴の前で、チルノが首を傾げた。

「いっつも館に入れてあげてる魔理沙も、大事なお客様ってことになるの?」
「……」
「大人は都合が悪くなるとすぐ黙る……」
「たはは……教育に悪い女でごめんね」

 そこを突かれると、さすがに弱い美鈴である。この子たちにはずいぶん情けない大人に見えてるんだろうなあ、と思うと、少し恥ずかしい。

(まあ、怖がられるよりはいいか……いや、門番なんだからもう少し怖がられた方がいいのかな?)

 内心、首を傾げる。悩ましいところであった。

「お客様かあ。こんな立派なお屋敷ににお呼ばれするなんて、きっと偉い妖怪ばっかりなんだろうなあ」
「なに言ってんの、リグちゃん」

 想像がつかない、と言わんばかりのリグルの言葉に、美鈴は苦笑する。

「リグちゃんだって、どっちかと言えばお呼ばれされてもおかしくない立場だと思うけど?」
「え……そ、そうかな?」
「そうでしょ。だって、蟲の王様なんでしょ?」
「あ、そっか」
「スゲー、リグルVIPじゃん!」
「そ、そんなことないよ、わたしなんか……」

 リグルは顔を赤くして手を振るが、チルノやルーミアが「おーさま、おーさま!」とはやし立てるので、すっかり困ってしまった様子だった。お偉い方と言ってもお嬢様とは随分違うなあ、と美鈴は微笑ましい気持ちになる。
 ただあまり放っておくのもかわいそうだと思ったので、「はい、はい」と適当なところで手を叩いて、再びみんなの視線を戻した。

「ま、要するにね。門っていうのは壁やなんかと違って、通す人と通さない人を選別するためにあるのよ」
「選別ですか」
「そうそう。単にあっち側とこっち側を区切って、何人たりとも通さない! って言うんだったら壁を作ればいいだけなんだけど、あの人は通してこの人は通さない、って感じにしたいなら、門が必要になるわけよ。で、誰を通して誰を通さないか、その選別をするのが……」
「めーりんだ!」
「そう、それが門番のお仕事。分かったかな、みんな?」
「はーい!」
「うん、元気があって大変よろしい」

 美鈴は満足して頷き、話をまとめにかかる。

「まあそういう大事なお仕事だからね、わたしは門を離れるわけにはいかないわけよ」
「そっかー……でもめーりんいっつも寝てるじゃん」
「ははは、いつもじゃないよ、休憩するときだけよ」
「休憩してるときにお客様が来たらどうするんですか?」
「そういうときはすぐ起きれば無問題よ」
「えー……」

 橙の目が若干疑わしげな感じになってきたので、あ、これはまずいな、と美鈴は話をそらすことにした。

「だから申し訳ないんだけど、みんなと一緒に遊びには行けないんだ。ごめんね」
「いえ、いいんですよ。お仕事って大事ですから。チルノも、分かったでしょ?」
「ん。んー……わかった」

 橙に話しかけられても、チルノは何事か考え込んでいるようで、対応が上の空だ。
 どうしたんだろう、と美鈴は少し気になったが、考え事の邪魔をするのも悪いな、と思って敢えて追求はしなかった。
 その後、子供たちとの話はいつもしている遊びのことや、たまに出かけるという里の話などに移った。彼女らは皆お喋りが好きのようで、中でも屋台をやっているというミスティアが特に話上手だった。相手をしてあげるつもりだった美鈴が逆に接待を受けているような錯覚を覚えてしまったほどである。
 その間もずっと黙って何かを考えていたチルノが、来たとき同様唐突に「用事ができた!」と言ってどこかに飛んでいってしまい、友人たちもそれを追いかけて慌ただしくその場を飛び立ったため、この日はお開きとなった。

「じゃあ美鈴さん、また今度。今日はありがとうございました」
「いやいや、わたしも楽しかったわ。またいつでもいらっしゃい。あんまり危ないとこ行っちゃ駄目よ?」
「はい。本当、気持ちよく送り出されるっていいものですね。それじゃあ、また」

 最後尾の大妖精が、ぺこりとお辞儀をしてみんなについていく。妖精にしては珍しく礼儀正しい子だな、と美鈴は感心した。

「……さて、お仕事を続けますか」

 呟き、美鈴は背筋を伸ばす。
 はるか前方、湖の上を遠ざかっていく小さな影に目を細め、ほんの少しだけ切ない気持ちになった。



 子供たちが再び門前に訪れたのは、その翌日のことである。時間帯も昨日と大体同じ。違うのは、昨日と違って最初からここに来る予定で来たらしい、ということ。

「おーっす、めーりん!」
「はいこんにちは、チルちゃん。みんなもこんにちはー……?」

 挨拶の途中で、美鈴は子供たちの様子がおかしいことに気づく。チルノは昨日と変わらず、いや下手をすると昨日よりも興奮した様子だったが、他の皆は揃いも揃って気まずそうな顔をしているのである。

(何かあったのかな?)

 内心首を傾げたとき、美鈴はふと、チルノが何か妙な物を持っていることに気がついた。

「チルちゃん、それなに?」
「ふっふっふ、よくぞ聞いてくれました!」

 チルノは待ってましたとばかりに、持っていたそれを突き出してみせる。
 見るとそれは、三本の棒を組み合わせた何かの道具、のようであった。

「これをね、こうしてこうして……」

 と、チルノはその道具を展開してみせる。真ん中の棒の両端に、金属の接続部品で他の棒が一本ずつ繋がっている構造だ。その部品は可動式のようで、それぞれの棒が真ん中の棒に対して垂直になるまで開くようになっているらしい。
 つまり、早い話が……

「はい、門ができました!」
「……はあ。なるほど」

 チルノの言葉通り、その道具は広げて地面に立てるとごく簡素な門のようになる。と言っても、チルノぐらいの体格の者が身を屈めてようやく通れるかどうか、というぐらいの高さと幅だ。
 それは分かったのだが、用途がさっぱり分からない。

「えっと。それで、これは何に使うの? 門番ごっこ?」
「もー。ちがうよ。めーりんはあたまわるいな!」
「あー、うん。ごめんね。それで、何に……?」
「だからさ、これは門なんだよ。折り畳み式で、どこでも持ってけんの」

 その門を叩きながら、チルノは満面の笑顔で言う。

「これでめーりん、どこでも行けるよ!」
「……はい?」

 嬉しそうにニコニコしているチルノを前に、美鈴は黙考すること数秒。
 まさかな、と思いつつ、念のため聞いてみた。

「……チルちゃん。もしかしてそれは、その門を持ち運んで立てればあっという間にどこでも門番、とかそういう理屈?」
「うん、そうだよ!」
「……その発想はなかったわ……」

 凄いこと考えるなこの子、と美鈴は真面目に感心した。門番が動けないなら門の方を動かせばいい、というわけだ。素晴らしい発想の転換だ、と感心せざるを得ない、のだが。

(……でもさすがに実行するのはなあ……面白とんち話じゃあるまいし)

 なんと返事したものか迷って、何となく他の子に視線を送ってみる。
 相変わらずにこにこしているルーミア以外の誰もが、気まずそうな視線を返してよこした。

(すみません)
(止めたんですけど)
(なんとか納得させられる返事をお願いします)

 大体、そんな感じのことを言いたいようだった。

(困ったなあ……)

 これで一緒にお出かけが出来ると信じて疑っていないらしいチルノを前に、美鈴はすっかり弱ってしまった。

「えっと。ちなみにその門は誰が作ってくれたのかな?」
「魔理沙! 昨日頼んだらすぐ作ってくれた。すっごい楽しそうだったよ!」
「そりゃそうだろうね」

 あの悪ガキめ、と美鈴は内心舌打ちする。にやにやしながらこの門を作っている魔理沙の顔が目に浮かぶようだった。
 ともかくも、さすがにこれをそのまま承諾する訳にはいかなかった。

「えっと、チルちゃん。せっかく作ってきてもらったところ悪いんだけど、わたしが守るように言われてるのはこの紅魔館の門でね」
「なにーっ! あたいの門が気に入らないってのか!」
「いや、そういう意味じゃなくて……」
「あのねチルノ、さっきから言ってるけど、門番ってのはそういうんじゃなくてね……」
「なんでさ、門の前に立ってれば門番なんでしょ?」
「うんまあ、基本はそれでいいんだけど……」

 なんとかチルノを止めようとリグルが四苦八苦しているが、結果は芳しくない。美鈴としてもどう断ったものか、すっかり困ってしまう。

「だから言ったじゃん、美鈴さんがそんなんでお出かけできるはずないって」
「チルノちゃん、気持ちは分かるけど無理言っちゃ駄目だと思うよ……」
「美鈴さんも一人でそういうの決められないと思うし」

 橙と大妖精とミスティアも、それぞれチルノをなだめにかかる。結果的に四対一の構図になってしまって、チルノの方も少し勢いがなくなってきた。

「なにさ、みんなして……」

 呟くような声で言ったあと、上目遣いで美鈴を見て、

「……それともめーりん、あたいたちと出かけるのイヤ……?」
「う……」

 何とも、いじらしい我がままだ。チルノの青い目が少し潤んでいるのを見ると、胸が痛んでくる。出来ることなら叶えてやりたい、という気持ちになってしまう。
 いつもなかなか我がままを言ってくれない子を見てきているから、尚更だ。

(とは言え……どうしたもんかな。休暇を取る……なら、もっと先に言っておかなくちゃ、だし。日を改めて、っていう方向に持って行こうか……? いや、そもそもここを離れると不安がらせちゃうかも……)

 美鈴はしばしの間、悩みに悩んだ。
 そうしてふと、その場にいる子供たちと折り畳み式の門とやらを交互に見比べる。
 それから少し考えて、ようやく心を決めた。

「……うん、そこまで言われちゃ、断るわけにもいかないね」
「えっ」
「美鈴さん?」

 チルノだけでなく、他の子供たちも目を丸くしてこちらを見る。
 美鈴は苦笑して頭を掻き、降参するように両手を挙げた。

「いや、参ったわ本当。ここまでされちゃあね……分かった、一緒にお出かけしましょう」
「マジで!? やったーっ!」
「おっとと。はは、そこまで喜んでくれるとこっちも嬉しいわ」

 勢いよく飛びついてくるチルノを抱き留めて、美鈴は笑う。

「でも、大丈夫なんですか?」

 と、リグルが不安そうに聞いてきた。

「いくらなんでも、そんな理由でサボったらクビになるんじゃ……」
「あはは、サボらないサボらない。っていうかやっぱりわたしそういうイメージなのね……」
「あ、い、いや、そういう意味じゃ!」

 わたわたと手を振るリグルに「冗談冗談」と言ってやってから、美鈴は一つ頷いた。

「心配しないで、お嬢様に事情を話して許可取ってくるから。正式にお休み頂いて代理の誰かと代わってもらえば、わたしがここを離れても大丈夫よ」
「でも、こんな急に許可なんてもらえるんですか?」

 今度は橙が心配する。美鈴はなんとも言えずに「んー」と首を傾げた。

「多分、きちんと事情を分かってもらえれば大丈夫だと思うんだけどね。っていうか、この光景を見てもらえば多分把握してもらえるんじゃないかと……」
「何の話をしてるのかしら?」

 不意に後ろから問いかけられて、美鈴はぎょっとして振り返る。
 いつの間に来ていたのか、門の内側にレミリアと咲夜が立っていた。まるで昨日の繰り返しのような光景である。ただレミリアは昨日と違ってあちこち絆創膏だらけだったが。

「お、お嬢様。なんでそんな気配を殺して近づいてくるんですか」
「そりゃ吃驚させようと思って、よ。また可愛いお客様たちと遊んでるようだったし?」
「はあ。そりゃまたいいご趣味で……あ、門開けますね」
「ご苦労。で、何の話をしてたの?」
「あー、そのことなんですけど……」

 門の外に出てきたレミリアに、美鈴はちょっと躊躇いがちにお願いする。

「あのですね、ちょっとこの子らとお出かけしたいなー、とか……」

 レミリアが眉をひそめ、咲夜がかすかに眉根を寄せる。

「……それで休みをもらいたいってこと? こんな急に?」
「そ、そういうわけです……」
「あのね……」

 レミリアが呆れたようにため息を吐く。

「そりゃまあ、わたしだって情がないわけじゃないし、一年休みなしで働けなんて馬鹿なことは言わないけれどね、休みたいならもうちょっと早く言ってもらいたいものだわ。大体お前ががここを離れたら……」

 と、レミリアは不意に言葉を切った。その場にいる子供たちと例の折り畳み式の門を見比べて、「ふむ」と小さく頷く。
 今一目見ただけで、大体の事情を察してくれたらしかった。

「……つまり、そういうことでいいのかしら?」
「ええ、多分。さすがお嬢様、理解が早くていらっしゃる」
「余計なおべっかは結構。なるほど、そういうことね……美鈴らしいと言えば美鈴らしい、か」

 レミリアは納得したようにまた頷くと、「よろしい」と大らかに笑った。

「臨時の休暇を与えよう、門番殿。今日は一日、好きに過ごしてよろしい」
「ありがとうございます、お嬢様」
「おー、レミリアいい奴だな!」
「ち、チルノちゃん、失礼だよそんな言い方……」

 はしゃぐチルノと慌てる大妖精にも、レミリアは気さくに笑いかける。

「よいよい。この門はお前たちが作ってきてくれたんだろ? 我が家の門番をそうも好いてくれるというのは、主であるわたしにとっても嬉しいことである。もっとも」

 と、レミリアは少しおかしそうに、ちらりと後ろを見やる。

「我が忠実なるメイド長殿は、少々異なる見解をお持ちのようだけれど」
「まさか。お嬢様のお決めになったことに、わたしが胃を唱えるはずがありませんわ」

 そう言いつつも、いつもよりぶすっとして見える咲夜である。美鈴は苦笑し、レミリアがからからと笑う。

「ま、そういうわけだからね、美鈴。あんまり夢中になって遊び呆けて、我が家のことを忘れないように。でないとこの小娘が拗ねてしまうからね」
「わ、わたしは拗ねてなんか……! あ、いえ」

 からかわれた咲夜が、少々気恥ずかしげに咳払いをする。レミリアはさらに愉快そうに笑ったあと、不意に真面目な顔で、

「ただ、特別に許可を出してやったのだからね、美鈴。紅魔館の、門番として、恥ずかしい振る舞いはしないように。いい?」
「御意に。ありがとうございます、お嬢様」

 絆創膏だらけのレミリアを見ていると何とも言えない気持ちになったが、美鈴は敢えて何も言わずに頭を下げておいた。

「うむ。それじゃあお前たちも、美鈴をよく楽しませてやっておくれ」
「は、はい!」
「ありがとうございます!」
「任せとけ」

 思い思いに返事をする子供たちを見て、レミリアは満足そうに頷く。そうしてからふと気づいたように、

「ああそうそう、代わりを配置してくれるように、パチェに頼んでおかないとね」

 と言って、己の体から一匹の蝙蝠を分離させ、館の方に飛ばした。見ていた子供たちから驚きの声が上がると、レミリアは若干得意そうに胸を張る。

「ふふ、あまねく夜の世界を支配する吸血鬼であるわたしにとって、このぐらいは造作もないことよ。よく覚えておくといいわ、子供たち」
「ははは、さすがはお嬢様……」

 美鈴は苦笑混じりに誉めながら、さり気なくレミリアの背後に移動して、子供たちから門の向こうが見えないようにする。
 ちらっと振り返ると、先程放たれた蝙蝠がやたらとヨタヨタしながら飛んでいくのが見えた。
 さすがに、日光の下で分身が全く影響を受けない、というわけにはいかないらしかった。



 そうして、今日もまた博麗神社に突撃して霊夢にしばかれるらしいレミリアが行ってしまうと、美鈴は門を閉じて鍵をかけた。

「……明日は包帯だらけになってたりして、お嬢様」
「え、めーりんなんか言った?」
「ううん、なんにも。さて、それじゃ」

 と、美鈴は改めてチルノたちの方を振り返る。
 先程まではレミリアの前だから緊張していた彼女らも、今はすっかりリラックスしている様子だった。
 美鈴を見上げて、程度の差はあれ皆それぞれ興奮を抑えきれない様子である。
 そこまで楽しみにされると、誘われた方も嬉しくなってくるものだ。

「それじゃ、今日は思いっきり遊んじゃおう! よろしくね、みんな!」
「おーっ!」

 全員が一斉に、笑顔で腕を突き上げる。
 かくして、美鈴は七人の子供たちと一緒に出かけることになったのだった。



 さて、出かけるとなれば、どこへ行こうか、となるのが当然の流れである。これに関しても結構揉めるかと思いきや、子供たちの意見は満場一致の即決だった。

「里へ行こう!」
「里だよね!」
「当然、里だよ!」

 妖怪と妖精の集まりにしては、えらくあっさり決まったものである。全員が人間の里を希望したのも、美鈴にとっては少々驚きであった。

「そんなに楽しい場所なんだ、里って」
「そうですね、まあお店とかもたくさんありますし……でも、何より」

 と、大妖精がちょっと申し訳なさそうに耳打ちしてくる。

「多分みんな、美鈴さんからほんのちょっとは奢ってもらえるって期待してるんじゃないかと……」
「……あー、なるほど」
「すみません、図々しくて……」
「いやあ、いいのよ。一応財布は持ってるし」

 ただ、中身の方は少々心許ない。

(断るのもちょっと情けないしなあ……)

 大人の威厳が金で買えるなら安いものか、と美鈴は半ば無理矢理自分を納得させることにした。



 そうして紅魔館を発って霧の湖を抜け、しばらく飛ぶと人間の里が見えてきた。
 実を言えば、美鈴が人間の里に来るのはこれが初めてである。幻想郷に来て以来、数少ない外出の機会に遠目に眺めたことぐらいはあれど、実際に足を踏み入れるのはこれが最初。
 まさか来る機会があるとは思わなかったな、と言うのが正直な感想だった。

(……案外、そんなに警備が厳重じゃないな)

 間近で里の外観を見た最初の感想は、こんなところだった。
 妖怪ひしめく幻想郷の中で、唯一人が居住している区画……と聞いて、なんだか物々しい要塞めいた場所を思い浮かべていたのだ。
 しかし実際の里は、確かに高い壁で外周が囲われているものの、その壁は木で作られていたし、防御のための結界などもほとんど皆無のようであった。
 一応、何か薄い膜のような結界が一枚張ってあるのは分かるが、それがどんな役目を果たしているのかはよく分からない。

(少なくとも、入るもの全てを消し飛ばす……みたいな危険な奴ではないみたいだけど。これまた意外だわ……)

 美鈴がそんな風にあれこれ考えている間にも、一行は地に降り立って出入り用の門に近づいていく。
 これまた、さほど頑丈そうでもない門である。何より、見張りについている人間たちにもほとんど緊張感がない。中には槍を片手に欠伸をしている者もいて、これが本当に妖怪ひしめく郷の中の光景か、と疑いたくなるほどだった。

「こんちはー、おっちゃん!」
「んー……おお、お前さん方かい」

 チルノが元気よく声をかけると、欠伸をしていた男がにこやかに声を返した。

「なんだ、また遊びに来たんか? いっつも言ってるが、悪さすると小兎の姐さんにお仕置きされっからな」
「分かってるって! でもね、今日はあたいたちだけで遊びに来たんじゃないんだよ!」
「んん……?」

 そう言われて、その男は初めてこちらを見る。そして、目を丸くした。

「ほほー。おうおう、これはこれは……」
(って、どこ見てんだこのおじさん……)

 一応門番のくせに、視線の向いている先が美鈴の顔でなくて胸である。露骨すぎてかえっていやらしさを感じないほどで、美鈴としても呆れる他ない。

「あー、一応どこのどなたか名乗って頂けますかね?」
「あ、はい。えっと、紅魔館で門番やってる紅美鈴って者です」
「ホン メイリンさん……と。なるほどなるほど。今日はどういった御用向きで?」
「この子たちと遊びに……ですかね。何か、書く書類とかあります?」
「そういうのは特に……いや」

 と、男は不意に真剣な顔つきになる。何かあるのか、と身構える美鈴にさっと紙を差し出し、

「ここに身体情報を記入してもらえますかい?」
「は? えっと、身体情報っていうと」
「それはもちろんスリーサイズったぁ!?」

 鼻息を荒くしていた男が、突然後ろから扇子で叩かれた。
 驚いて男の向こうに目をやると、そこに呆れ顔の女性が一人立っていた。
 何故か、日本のお城にいるお姫様みたいな煌びやかな格好をした女性である。美人ではあったが、衣装が衣装だけにひどくその場から浮いている。

「ったく。白昼堂々何やってんのかな、このおっさんは……」
「いってえ……し、しかしですね小兎の姐さん、これは男として当然の礼儀ってやつで、へえ」
「言っとくけどセクハラの言い訳としては最低だからね、それ」

 男に釘を刺したあと、「さて」とその女性は一転してにこやかな笑みをこちらに向けた。

「人間の里へようこそ、紅魔館の紅美鈴さん。ここの馬鹿どものことは気にしないでね、綺麗どころの妖怪さんの話で盛り上がるぐらいしか娯楽のない連中だから」
「はあ……えっと、あなたは?」
「あ、これはこれは、申し遅れました」

 と、女性は衣装に見合った優雅な仕草で、頭を下げる。

「私、この里の治安を守る組織……警察の長を務めております、小兎姫と申します。以後お見知り置きを」
「警察、のリーダーさんですか? それはそれは……」

 要するに凄く偉い人なんだろうな、とは思うのだが、格好が格好だけに何とも言えない違和感を覚える。
 戸惑う美鈴に、リグルがそっと耳打ちした。

「格好のことはあんまり気にしない方がいいですよ」
「え?」
「なんか、小兎姫さん変装が趣味みたいで……会うたび変な格好してるから」
「はあ……」

 これは変装と言うよりコスプレと言った方がいいんじゃないかな、と思ったが、本人の手前正直な感想を漏らすわけにもいかない。
 とりあえず、美鈴は無難に頭を下げておくことにした。

「わざわざのご挨拶、ありがとうございます。里に来るのは初めてですが、面倒は起こさないように注意しますので」
「あはは、そんなに堅くならなくてもいいですよ。少なくともお店の方々は結構慣れっこですから、妖怪さんの相手。美鈴さんはそこまで妖怪じみた妖怪さんでもなさそうですし」
「それは、なんというか……ありがとうございます」
「それじゃ、お邪魔してごめんなさいね。人間の里観光、楽しんでって下さいな。それじゃ」

 また優雅にお辞儀をして、小兎姫はくるりと身を翻す。予想通りというか何というか、お姫様の着物のせいで非常に歩きづらそうである。あれで捕り物なんか出来るんだろうか、と美鈴はちょっと疑問に思う。

「相変わらず変な人だね、小兎姫さん」
「でも面白いじゃん! この間の蛙とかさ!」
「わたしはちょっと前の狸の方が面白かったな」
「あ、あの尻尾回転させて空飛ぶ奴? どういう仕組みなんだろうね、あれ」

 子供たちの楽しそうな会話を聞く限り、やはり相当フリーダムな変人のようだ。幻想郷にはよくいる手合いである。
 が、

(……さっき近づいてきたとき、気配を感じなかったのよね……)

 遠ざかっていく小兎姫の背を見て、美鈴は小さく息を吐く。
 妖怪ひしめく幻想郷にあって、唯一人間が住める場所。
 やはり、見かけ通り全くの無防備というわけではなさそうだった。



 そうして門を通り抜け、里に入って驚いたことがいくつかあった。
 一つは道の広さ、もう一つは人通りの多さ、そして最後に妖怪の多さである。

「凄いなあ……人間ばっかりかと思ったら、妖怪も相当多いわ、これ」
「でしょ。最近は特に多くなってきたんだってさ」
「夜になるともっと多いんだよ」
「へえ……おっと、すみません」

 すぐそばを通った犬の妖怪らしき男に、小さく詫びを入れて脇によける。彼は小さく頭を下げ、別段気にした風もなく道を歩いていく。他の妖怪や人間たちも、特に美鈴たちに気を配っている様子はない。近くの家屋の屋根には天狗らしき妖怪が寝転がっているが、誰一人として騒ぐ様子を見せない。
 一応、妖怪の出入りも自由だと聞いてはいたが、まさかこうまでとけ込んでいるとは思いもしなかった。

「……不安じゃないのかな、里の人間は」
「さあ。分からないけど」

 そばにいたリグルが、小さく首を傾げる。

「でも、ここで騒ぎを起こすっていうのはよほどの命知らずじゃないかなって思います。ここが賢者様に保護されているっていうのは誰でも知ってますし。それに……」
「それに?」
「なんていうか、悪いことしようって考えると、凄く居心地が悪くなるっていうかいつ殺されてもおかしくない、みたいに感じるとか……そんな風に考えたこともないし実行したっこともないから、よくは知らないですけど」
「ふうん……」

 美鈴は、里の外から見た薄い結界のことを思い出す。もしかしたら、あれはそういう仕組みになっているのかもしれない。
 あるいは、天狗辺りがあちこちに隠れて、秩序を乱す者がいないかどうか常時監視しているのかも、とも。幻想郷でそういう行為が日常的に行われていることを、美鈴はよく知っている。

(出入りが自由な代わりに、悪意を持つ者には徹底的な罰が待っている……って感じかな。なるほど、保護に置かれているっていうのはそういうことか)

 要するに、ここは境界の内側ということなのだろう。ここにいればどんな妖怪も悪事を働くことはできないし、人間を喰らうなど以ての外というわけだ。外が極めて危険な分、中は絶対と言い切ってしまってもいいほど安全なのだろう。

(ま、そうでもなければここまでのんきにはしていられないか……)

 少し納得できた気がした。

「さて、それじゃあどこへ行こっか」

 不意に、ミスティアが話を切り出した。待ってましたとばかりに、二つの声が答える。

「駄菓子屋!」
「里役場!」

 それぞれ、チルノと橙である。声を発したのもほぼ同時。
 そしてまた同時に、二人はお互いににらみ合った。

「何言ってんのかねこの猫被りは。こんなときに役場に用なんかないじゃん」
「あんたこそ何言ってんのよ馬鹿妖精。美鈴さんは初めてここに来たんだから、まずは里の重要施設を案内するべきでしょ」
「ふん、そんなつまんないところ案内したら、せっかくのお出かけが台無しじゃん」
「あんたこそ駄菓子屋とかってね、美鈴さん大人なんだからそんな場所こそつまんないでしょ」
「なにさいい子ぶって、このいい子ぶりっこ猫かぶり!」
「あんたこそちょっとは相手の立場で物を考えなさいよ、この空っぽ頭の濃縮馬鹿!」
「なんだと!?」
「やるか!?」

 むぎぎぎぎぎ、と二人はまた顔を突き合わせてにらみ合う。さすがに往来のど真ん中ということもあってか、リグルが即座に止めに入った。

「止めなよ、二人とも!」
「だって、橙が!」
「チルノが!」
「二人とも悪い! こっち来なさい、もう」

 と、リグルは意外な力で二人を道の隅に引っ張っていく。そして腕組みをしてお説教を始めた。

「チルノ、駄菓子屋はチルノが行きたいだけでしょ。せっかく美鈴さんと一緒に来てるのに、自分が行きたいとこばっかり行ってどうするの」
「むう……」
「橙も。美鈴さんを案内してあげたいっていうのは立派だと思うけど、こんなところで本人を前にして馬鹿みたいな喧嘩するのは全然立派じゃないよ。そうでしょ?」
「うっ……」

 正論に押されて、二人は揃って黙り込む。
 その様子に満足したらしく、リグルはうんうん頷いた。

「そうそう、分かってくれればいいのよ。せっかくのお出かけなんだから、みんな仲良く」

 と、いい感じにまとめに入ったが、不意にチルノと橙が顔を上げて、

「だったら、どっちに行くかリグルが決めてよ!」
「そうだよ、そしたら公平だよ!」
「え、ええっ!? ちょ、なんでわたし……」
「駄菓子屋だよね!」
「役場に決まってるよ!」
「え、いやその、わたしはそんな、いきなり選べって言われても……」
「どっち!?」
「あうぅ……」

 一転、二人に詰め寄られて、リグルはタジタジになっている。仲裁は上手くても選択するのは苦手なんだなあ、と美鈴は苦笑した。
 どうやら、蟲の王様はまだまだ修行中の身のようだ。

「うーん、リグルは相変わらず尻に敷かれるタイプだよねえ」
「だねえ。ありゃお妃選びで苦労するわ」
「あの、リグルちゃんは女の子ですから……」

 ルーミアと美鈴の無責任な感想に、大妖精が控え目な突っ込みを挟んだ。

「まあまあ、落ち着いて三人とも」

 と、遠巻きに見守る四人を横目に、チルノたちを止めに入ったのはミスティアだった。
 脳天気な笑みを浮かべて、気楽な調子で提案してみせる。

「それだったら、両方に行けばいいじゃない。ううん、両方っていうか、みんなの行きたい場所全部」
「む……」
「なるほど、それだったら」
「いや、それはいいけどさ、みすちー」

 リグルが困惑した様子で首を傾げる。

「そんなことしたら、あっちこっち行ったり来たりで疲れそうな気がするんだけど」
「んー、だったら上手いこと、一周でぐるっと回れるようなルートを取ればいいんじゃないかな」
「それだ!」
「みすちー頭いい!」
「いや、それはいいけど」

 リグルが疑るような目でミスティアを見る。

「……みすちー、そんなルート提案できるほど、里の地理を把握してる?」
「してるわけないじゃーん!」

 ミスティアがあっけらかんと笑い、リグルが「やっぱり」と肩を落とす。

「駄目じゃん」
「みすちー頭悪い……」
「あ、あの」

 落胆する子供たちの中、大妖精が遠慮がちに手を挙げる。

「えっと、わたし、里の地図持ってきたから……」
「え、本当?」
「さすが大ちゃん、用意がいい!」
「あ、えっと、多分こういうことになるかなあ、と思ってたからで……そ、そんな凄いことじゃないよ!」

 大妖精は真っ赤な顔で腕を振り、謙遜している。
 それを遠巻きに眺めながら、

「要するに、みんな頭悪いから地図なんか用意してないだろうなって思ってたってことだよね」
「ルーちゃん、それは言わぬが花というものよ」

 遠慮のないルーミアの評価に、美鈴は苦笑で答えた。



 さすがに往来の真ん中で地図を広げるのもどうか、ということになったので、一行は目抜き通りの隅に建つ大きめの茶店で、今日の観光ルートを相談することにした。案内された卓について地図を広げ、ついでに全員分のお茶と、ちょっとした茶菓子を注文する。
 相談が始まると、まずチルノが駄菓子屋やら玩具屋やらを希望し、橙は里役場やら警察やらの施設案内を提案する。ルーミアとミスティアはそれぞれお勧めの飯屋や食事処に行きたがった。

「って、そんなに食べきれるかなあ」
「大丈夫、美鈴が残したらわたしが全部食べてあげる!」
「ははは……そりゃ頼もしい」

 どん、と胸を叩くルーミアを見て、こりゃ今日で財布の中身はスッカラカンだな、と美鈴は早くも覚悟を決めた。

「えっと、リグちゃんと大ちゃんはどっか行きたいところある?」
「ん……わたしは特に」
「あ、あの、リグルちゃん。あそこはどうかな?」
「あそこって……え、あそこ!?」

 大妖精が何やらリグルに提案すると、彼女は少しばかり渋い顔になる。どうしたんだろう、と美鈴は首を傾げた。

「なに、なんか危ない場所?」
「い、いや、危ない場所ってことはないけど……」
「危ないどころか、超! 素敵なスポットです!」

 気が進まなさそうなリグルに対して、大妖精の方はえらく興奮して身を乗り出してくる。今までの控え目な様子が嘘だったかのような勢いに、美鈴も思わずちょっとのけぞったほどだ。

「な、なんか随分お勧めみたいね……じゃまあ、そこも行こっか」
「え、えぇー……いや、大ちゃん、あそこはさ」
「はい、是非とも行きましょう! 印つけておきますね!」

 遠慮がちに止めるリグルの言葉が聞こえないかのように、大妖精は鼻息も荒く地図の一点に印をつける。
 一体何なんだろう、と興味を惹かれた美鈴は、そっと地図をのぞき込んでみた。
 そこに記されていた文字は、

(……ファンシーショップ? なんじゃそりゃ)

 なんとも馴染みのない、よく分からない単語である。
 まあ妖精の割に常識のある大妖精がああもお勧めするのなら、変な場所ではあるまい、と無理矢理納得することにした。気まずげなリグルの様子が気になりはしたが。
 こんな次第で行き先も決まったので、美鈴たちはいよいよ人間の里観光に出かけることにした。
 相談がてらに飲み食いした八人分の代金を支払い、彼女らは意気揚々と茶店を後にしたのだった。



 人で賑わう昼下がりの目抜き通りを、誰かがはぐれぬよう注意して歩いていく。
 駄菓子屋に行きたいと希望がはっきりしていた割に、チルノは道行く先であっちこっちに気を取られていた。

「おお、なんだあれ!」
「うわ、なんかスゲーのがある!」

 と一人で騒いでは、他のメンバーなどそっちのけでふらふら見に行ってしまう。そのたび橙が怒ってミスティアがなだめて、リグルが連れ戻して大妖精が遠慮がちにたしなめて……というのがほぼお決まりの流れだった。ちなみにルーミアは大体にこにこして見ているだけだ。この子はいちいちいいポジション取ってるな、と美鈴は少しばかり感心する。
 そうして最初に着いたのは駄菓子屋である。美鈴としてもちょっとばかり懐かしい気持ちになったが、感傷に浸っていられる時間はそう長くはなかった。

「よし、これとこれとこれとこれ、買おう!」
「ってチルノ、そんなにお金ないでしょ!?」
「大丈夫、めーりんがいる!」
「うわ、たかる気満々!?」
「せめてちょっとは隠す努力しなよ!」
「ごめんなさい、美鈴さん!」
「あははは、いや、いいよいいよ、パーッとやっちゃおう」

 美鈴としてはもう苦笑するしかない。これはいいあれは駄目、といちいち交渉していたら、それこそ日が暮れそうな勢いだったからだ。
 結局、駄菓子は一人三つまでということで落ち着いた。チルノをねばり強く説得してくれた橙とリグルに感謝である。
 美鈴もまたお土産にいくつかお菓子を買い、また、何も買わなかった子に飴玉を一つ分けてやった。



 駄菓子屋で買ったお菓子を食べ歩きながら、やってきたのは里の役場である。こちらも、基本的に決まった人間しか住んでいないはずの里にしては、結構人の出入りが激しいようだった。

「どうしてだろ?」
「どっちかって言うと、人間よりも妖怪の方が多く来てるらしいです。里でお店開く許可だとか、あとたまにやるお祭りで出し物したいときなんかの相談とかが主な来所理由だって、藍様が言ってました」

 首を傾げる美鈴に答えて、橙が丁寧な口調で説明する。

「なるほど。妖怪相手だと大変そうね、役場の人たちも」
「はい。でも結構慣れてくるそうですよ。よっぽど変わった妖怪じゃない限り、系統ごとに頼みごとの種類は大体決まってるそうで。犬の妖怪だったらこう、とか、猫の妖怪だったらこう、とか」
「ははあ、なるほどね。それにしても、そこまで面倒なことして里で何かやりたがる妖怪が多いって、ちょっと意外かも」
「それは、やっぱり何かしらの形で人間と関わりたがる妖怪が多いってことの現れだろう、って藍様が言ってました。スペルカードルールが制定されて、巫女とか魔法使いとかと接する妖怪が増えたら、ますますその傾向が強まったらしいですよ。前に役場の人に教えてもらったんですけど、来所する妖怪の数もここ数年で目に見えて増えてるらしいです」
「ほほう……別に仲良くなったら取って食えるってわけでもないのにね。なんか不思議な話かも」
「それは……どうなんでしょう、もしかしたらそんな風に期待してる妖怪もいるかもしれませんけど。でも、なんていうか。これは、わたしの考えなんですけど……」

 橙が少し自信なさげな様子だったので、「いいよ、言ってみて」と美鈴は軽く促してやる。

「はい。わたし、妖怪ってやっぱり、人間相手にこう……なんかしてないと、格好つかないんじゃないかなって思うんです」
「ふむ……格好つかない、ね」
「はい。えっと、根拠はないんですけど……わたしも、弾幕ごっこで巫女とかと戦ってるとちょっと生き生きしますし、藍様もそう言ってましたし……」

 橙はますます声を小さくしていく。根拠がない、と自分で言っている辺り、実際自信がないのだろう。
 ただ、美鈴個人としてはその意見に結構共感している。
 妖怪は、人間がいないと駄目だ。
 襲うとか喰らうとか驚かすとか、形は違えど、誰もが何かしらの形で人間と関わることを宿命づけられている。大げさに言えば、そんな風に感じるのだ。
 この郷に来る前、いや紅魔館で門番をやる以前から、あちこち放浪して多くの妖怪、人間と接してきた結果、そう感じるようになったのである。
 もっともそれは妖怪側の理屈であって、襲われたり喰われたりする人間からすればたまったものではないだろうが。

(……それでも。万一にもそういう危険が残っているにも関わらず、この里の人間は妖怪たちが境界を超えて自分たちの領域に入ってくることを、そこまで強くは拒絶してないのか。賢者様の保護をよっぽど信用しているのか、それとも他に理由があるのか……)

 役場に出入りする妖怪や人間を見つめながら、美鈴はちょっと考え込む。
 そうしている内に、ふと、隣に立った橙が不安そうな顔でこちらを見上げているのに気がついた。

(おっと、いけない。せっかく説明したのに黙り込んだらそりゃ不安だよね。それにしても……)

 先ほどの説明を思い返して、美鈴は少し温かい気持ちになる。
 思ったよりも説明が論理的で感心したのもあるが、それ以上に説明の締めにいちいち「藍様が言ってました」と付くのがなんとも微笑ましかったのである。
 本人が気づいているのかどうかは分からないが、立派に説明役をこなそうと頑張る気持ちと、ちゃんとやれるか不安で主に頼りたい気持ちとがない交ぜになって、あんな説明になったのだろう。
 未熟、ではある。
 だがその未熟さは、少しでも今の自分を成長させたいという意識から生まれてくる未熟だ。
 だから、貶すような気持ちには全くならなかった。

(八雲家の一員として頑張りたいんだね、この子は)

 なんとも、健気なものではないか。
 元々美鈴は採点が甘い性格なので、橙の案内は十分合格点である。
 だから、笑って頭を撫でてやった。

「ありがと、よく分かったよ。さすが八雲家の式神だ、立派な弟子を持って、藍さんも幸せ者だね」

 ちょっと誉め方が過剰だったかな、と思ったが、橙は全く気にする様子もなく、むしろ見るからに嬉しそうに顔を輝かせた。

「そ、そうですか? あ、いえ、わたしなんてまだまだですよ、えへへへ……」

 きりっとした表情を作ろうとしているのだろうが、作ろうとする端から顔がにやけていく。
 こりゃ冷静沈着な式神にはほど遠いな、と美鈴はちょっと苦笑した。
 ちなみにこの案内の間、チルノら他メンバーは揃って地面に落書きをして遊んでいた。
 多分チルノがどこか行かないように見張る意味もあったろうし、実際子供には退屈だったろうから仕方ないだろうが、もうちょっと応援してやりなよ、という気持ちになったのも事実である。

「じゃあそろそろ、次に行こうか」
「はい。あ……」

 歩き出しかけた橙が、不意に顔を輝かせる。
 なんだろう、と思って彼女が見ている方に目をやると、向こうの方から一人の女性が歩いてくるところだった。手に持った帳面を見ながら、何か考え事をしている様子だ。
 道士のような服を着て、帽子を被った金髪の女性である。理知的な美貌はもちろん、背に広がる九本の尾にも目を惹かれる。
 彼女のことは、美鈴もよく知っている。八雲藍という名の狐の妖怪。幻想郷の結界を管理する八雲家の一員にして、妖怪の賢者たる八雲紫の式神でもある女性である。
 そして彼女は、橙の主でもあった。

「藍様ーっ!」

 橙が嬉しそうに呼びかけながら小走りに駆け出す。それに気づいた藍が、顔を上げて穏やかな笑みを浮かべた。

「おや、橙じゃないか。またみんなで遊んでいるのかい?」
「いえ、今日は美鈴さんを案内してあげてたんです!」
「ん……おや、これはこれは」

 と、藍はこちらに向かって丁寧に頭を下げる。美鈴もお辞儀を返して、挨拶した。

「こんにちは、藍さん。今日もお仕事ですか」
「ええ。定期的な見回りですが」

 言って、藍は少し不思議そうな顔をする。

「珍しいですね。美鈴殿がお出かけとは」
「あはは。この子たちに誘われちゃって。せっかくだから里を案内してもらっているんです。さっきも橙ちゃんに役場のこと教えてもらったところなんですよ」
「ほう……それで、いかがでした?」

 藍が少し面白がるように問うと、傍らに立っていた橙の顔が少し堅くなった。緊張してるなあ、と内心苦笑しつつ、美鈴は笑顔で頷く。

「ええ、とても分かりやすい説明でしたよ。さすが藍さんの式神さんですね」
「ははは……これはどうも、ありがとうございます。橙、今後も失礼のないように案内して差し上げるんだよ」
「はい、藍様!」

 誉められた嬉しさを隠そうともせず、橙が笑顔で頷く。
 美鈴はふと、そんな主従の様子を見ていたチルノが、何か面白くなさそうな顔でそっぽを向いていることに気がつく。
 少し心配したが、隣にいた大妖精が何か話しかけると、チルノはすぐに笑顔になった。
 良かった、と安心して、美鈴もまた、隣にいた子の頭を軽く撫でてやった。
 その様子を、藍がじっと見つめていた。



 藍と別れて役場を後にした一行はその後もチルノお勧めの遊び場や橙の案内する里の施設などを見回り、いよいよルーミア待望の食べ歩きコースに入った。
 ルーミアとミスティア厳選のお勧め料理屋ということもあって、それはもう食うわ飲むわ、最初の店からして遠慮など欠片も見えない暴食っぷりである。

「食え食え、飲め、歌えーっ!」
「ヒャッハー!」
「うははは、今日のあたいはさいきょーだ、店ごと買ったらぁ! おかみをよべーっ!」
「そーなのかー!」
「もう、あんたたちせめてもうちょっと静かに食べなさいよ!」
「そういう橙もうるさいよ……」

 一応店の隅の席に陣取ったが、賑やかというよりはもはや騒がしい、騒がしいというよりはクソうるさいというレベルである。

「すみません、すみません」
「ははは。いいですよ、お気になさらず」

 美鈴は平謝りに謝ったが、追加の注文を取りに来た店主の方では全く気にした様子がない。我慢しているというよりは、本当に全く気にしていない様子であった。

「ええと、そりゃまたどうして……?」
「まあ、なんというか仕掛けがありましてね……」

 店主は美鈴をこっそり手招きし、その席の仕切りを手で示してみせる。
 見ると、そこに何かの札が貼り付けてあった。

「これは?」
「音を遮断す札とかで、はい。妖怪に限らず、この郷には昼夜問わず酔っぱらいが多いですからね。騒ぐお客さんはこの席に案内して、思う存分騒いでもらうって寸法です、はい」
「なるほど、考えてますねえ……」

 確かに、これなら客とも余計なトラブルを起こさずに済むというものだ。

「もちろん、暴れられたり汚されたりは困りますから、そういうときは警察に連絡するようにしてますがね。今回はそういうことはないようですから、まあ多目に見ますよ」
「助かります……」
「ですけど、大丈夫なんですか?」

 店主は、今度はちょっと疑わしそうに眉をひそめる。

「あの子ら、遠慮なしに飲み食いしてますが……その、お支払いの方は……」
「ええまあ……まだ大丈夫です、一応」

 とはいえ、戦力はそろそろ心許ない領域に入りつつある。
 これは無謀な将軍様方に撤退を具申するべきだろうか、と美鈴は悩み始めたが、

「あ、おかんじょは大丈夫だよ」

 と、不意にミスティアがひょいと顔を出した。

「わたしも払うから、美鈴さんとで割り勘しよ」
「え、ミスちゃんお金持ってるの?」
「もっちろん。数えるの苦手だからいくらあるかはちょっとわかんないけど」
「それも不安だなあ。ちょっと確認してもいい?」
「いいよ。はい」

 ミスティアはこれまたあっさりと財布を渡してくれる。無警戒だなあ、とちょっと呆れつつ、美鈴は財布を開いて中身を確認する。
 そして、唖然とした。

「……ミスちゃん、これわたしの財布の百倍は入ってそうなんだけど……」
「そうなんだ。凄いね」
「凄いねってそんな、他人事みたいに。ど、どうやって稼いだの、こんなに?」
「屋台の売り上げだよ。お客さん、みんなお金の払いいいから」

 ミスティアはこれまたあっさりそう言ってのける。なるほど、屋台の売り上げを全額持ち歩いているらしい。無防備と言えば無防備だが、この少女を見ていると変な場所に隠すと隠し場所自体を忘れそうであるから、案外これでいいのかもしれない。

「うん……じゃあ、申し訳ないけど割り勘ってことで大丈夫?」
「いいよー。わたしだっていっぱい食べてるから、気にしないで」
「うう……ごめんね、情けない大人で」
「あはは、そんなことないない。それにね……」

 と、ミスティアは不意に目を鋭くする。店主が向こうに行ってしまったのをちらっと確認しつつ、声を落として言った。

「実はここのお店、前からチェックしてたんだよね。美味しいって評判だったから」
「……へ?」
「これだけの大人数なら、たくさん料理頼んでも怪しまれないし……この機会に全部盗んじゃおうと思ってるんだ、ここの味。屋台のメニューがますます強化されるよ」
「……ええっと」
「みんなで遊ぶときだと、なんか誘いにくいんだよね。結構高めのお値段だから、橙や大ちゃん、それにリグルも遠慮するし」

 戸惑う美鈴を前に、ミスティアはぎらりと瞳を輝かせて獰猛に笑う。

「だからありがとね、美鈴さん。こんな機会を提供してくれて。わたし、張り切っちゃうよ」
「はあ。ええと……頑張ってね」
「もっちろん!」

 ミスティアは力強い笑みと共に頷き、早速この店の定番メニューに挑みかかる。
 その意外なほどの野心を見て、この子実は雀じゃなくて猛禽類の妖怪なんじゃないか、と美鈴は少し疑ったりした。



 その後も何軒か食べ歩いたが、予想通りルーミアの食欲は底なしであった。他のメンバーは二軒目辺りで既に満腹の体だったが、ルーミアだけは全くそんな様子を見せず、ついでに遠慮も見せずに食べまくっていたのである。
 今日までそこそこ食べる方だと自認してきた美鈴だったが、あの食べっぷりを前にすると実は自分は小食な方だったのではないか、と疑いを抱いてしまうほどだった。
 そうして、ルーミア以外の全員が満腹でノロノロと歩いていたが、ある区画に近づくにつれて急速に元気を取り戻した者が一人いる。
 誰を隠そう、大妖精である。

「もう少し、もう少し……っし!」

 と、美鈴の横を歩きながらぶつぶつ呟き、しきりに気合いを入れている。
 一体何だろうな、と思ったが、思い当たることが一つあった。

「ねえ、リグちゃん」
「なんですか、美鈴さん」
「もしかして、あれが近いの? えっと……ファンシーショップだっけ?」
「……そうです」

 リグルは何か、諦めきったような顔でため息を吐く。
 その疲れた顔を見ていると、美鈴は少しばかり不安になってきた。

「ええと……なんか、そんなにマズい場所なの、そこ?」
「いえ……まあ、基本的には楽しいお店だと思うんですけど、なんていうか……大ちゃんが、はしゃぐので」
「……うん?」

 よく分からずに首を傾げる美鈴に、リグルは殉教者めいた微笑を返してよこす。

「すぐに分かりますよ。ほら、見えてきた」

 というリグルの声に従って顔を上げ、美鈴は「うおっ」と驚きの声を上げる。

「な、なにあれ……!?」
「だから、ファンシーショップですよ」

 げんなりしたようにリグルが言う。
 その視線の先には、一軒の店があった。しかも、ただの店ではない。場違いなほどカラフルに彩られた店舗だ。ショーウィンドウにはかわいらしいぬいぐるみがこれでもかと言うほど大量に飾られ、店先の棚では人形の楽隊が賑やかな音楽を奏で、そのすぐそばでは愛らしい熊の着ぐるみが道行く子供に風船を配っている。
 そんな店である。

「……ここどこ。なにあれ」
「桃源郷です」

 と、静かな声で答えたのは大妖精である。嫌な予感を覚えて後ろを振り向くと、瞳に炎を燃やした彼女が見たこともない凄絶な笑みを浮かべて立っている。

「ついに、ついにこの日が……! さあチルノちゃん、わたしと一緒に天国へ!」
「んあ……? げげっ、この店は!?」

 満腹のためかぼんやりしていたチルノが、大妖精の呼びかけで一気に正気に立ち返る。そして、氷の妖精らしからぬ青ざめた顔で一歩後ずさった。

「だ、大ちゃん、あたいきゅーよーが!」
「ここに入る以上に大事な用事なんてないよ! さあ、ゴートゥーザヘブン!」
「や、やだ、着せかえ人形になるのはいやだーっ! た、たすけてめーりん!」
「いやあ、わたしにはなにがなんだか……」

 と、美鈴が戸惑っている内に、チルノは大妖精に引きずられて店の中に消えていった。その力強さときたら、本当にあれがあの大人しい大妖精かと疑ってしまうほどである。

「……えーっと、つまり、どういうこと?」
「着せかえサービスがあるんですよ、この店」

 リグルがため息混じりの答えをくれる。

「買うのはちょっと高すぎて無理なんですけど、お姫様みたいな格好とかで写真撮らせてくれるんです。結構頻繁に、新しい衣装も追加されてるみたいで」
「大ちゃん、里に来ると絶対ここ来たがるよね」
「チルノがすっごい嫌がるから、いつもは結局来ないんだけど……」
「今日を絶好のチャンスと見たんだろうね……今の大ちゃんはDIEちゃんだよ」
「ああなったらもう誰にも止められないわ……」

 残ったメンバーがそれぞれに諦めの言葉を交わし合い、ぎこちない笑みを美鈴に向ける。

「そういうわけなので、わたしたち大ちゃんがやりすぎないように見張ってきます」
「ごめんね美鈴さん、付き合わせちゃって」
「えっと。ちなみに美鈴さんはどうしますか? よかったら、わたしたちと一緒に……」

 と、橙が遠慮がちに誘ってくるが、美鈴は苦笑混じりに首を振った。

「いや、さすがにわたしはちょっとね……きついわ、なんていうか」
「そうですか……それじゃすみません、ちょっと待っててもらえますか?」
「うん、いいよいいよ。こっちは気にせず楽しんできて」
「はい。それじゃあまた後で」
「まったくもう、大ちゃんは……」
「なんだかんだでチルノ以上に自分の利益優先してるかも……」
「仕方ないよ、チルノ絡みのときの大ちゃんは中ボスじゃなくてEXボスだから……」

 三人それぞれ愚痴り合いながら、店の中に入っていく。
 そうして、美鈴は他の者たちとファンシーショップの前に残されたのだった。

「……で、ルーちゃんは行かないの?」
「んー。わたしはいいや」
「本当にいいポジション取ってるわねー」
「そーなのかー」

 美鈴の苦笑に、ルーミアはにっこり笑って答える。
 そうしてから、ちょっと首を傾げて、

「それにほら、ちょっと心配だから。美鈴、疲れてるんじゃない? 相手できる?」
「……あー、うん。じゃ、悪いんだけどちょっと頼んでいい?」
「いいよー。任しといて」

 ルーミアは気軽に頷き、向こうの方へ行ってしまう。
 そうして一人残された美鈴は、ふと、路上に落とし物があることに気が付いた。
 それは今日、チルノがずっと持ち歩いていた折り畳み式の門とやらである。どうやら大妖精に引きずられていったときに落としてしまったらしい。
 苦笑混じりに拾い上げ、どこでこれを使うべきか、そろそろ考えなければいけないな、と美鈴は思った。



 ファンシーショップ向かいに団子屋があることに気が付き、中にいた店主に一言断ってから、美鈴は店先の椅子に腰掛けた。
 夕闇迫る町中にあって、場違いなほど賑やかなファンシーショップをぼんやり眺めながら、小さくため息を吐く。

「やれやれ。子供ってのは本当に元気だなあ」
「お疲れのご様子ですね」

 不意に横から声をかけられ、驚いて顔を上げる。
 見ると、そこに愛想のいい笑みを浮かべた藍が立っていた。落ち掛けた日差しを背に浴びて、その立ち姿は妙に艶っぽく見える。

「いや、どうも。駄目ですね、疲れてると……全然気が付きませんでしたよ」
「ははは……ここは平和ですからね。気が抜けるのも仕方がないでしょう。隣、よろしいですか?」
「ええ、どうぞどうぞ」

 美鈴が少し横にどけると、「では失礼」と一言断ってから、藍も椅子に腰掛けた。

「今日のお仕事は終了ですか」
「ええ、そろそろ切り上げて帰らないと、夕餉の支度が間に合わなくなりますので」
「ああ、紫さんの……藍さんも大変ですね」
「まあ、それが役目ですからね」
「ですかー」

 二人はしばらく、通りの向こうのファンシーショップを眺める。

「……なんていうか、凄い店ですよね」
「そうですね……わたしもあの店にはちょっとした思い出があるんですよ」
「へえ……橙ちゃんにせがまれて一緒に入った、とか?」
「いや……ははは、さすがにわたしが入るのは、ちょっとね」
「きついですよね。分かりますよ、それは」

 同意する美鈴の横で、藍は何やら遠い目をしている。あまり触れない方が良さそうだな、と美鈴は何となく悟った。

「今日は、うちの式が随分とお世話になったようで」

 ふと、藍が穏やかに切り出した。美鈴は「いやいや」と軽く手を振る。

「お世話になったのはこっちの方で。あの後もあちこち案内してもらっちゃいましたよ。しっかりした子ですね」
「そう言っていただけるとありがたい。何か、失礼なことはしませんでしたか?」
「いえいえ。ただ、あれですね。なんかチルちゃんと張り合ってるみたいですね、あの子」
「はは……あれも最近、自分も八雲家の一員だという自覚が出てきたようですから。リーダーの真似事をしたがっているんでしょう」

 そうだろうな、と美鈴は納得する。一方でチルノも出しゃばりというか仕切りたがりなところがあるから、二人がぶつかるのは必然なのだろう。

「そういうのは八雲の本分ではないと、度々言い聞かせているんですがね……」

 小さくため息を吐きつつも、その様子はどこか嬉しそうでもある。やっぱりこの人もあの子が可愛くて仕方ないんだろうな、と美鈴はほっこりした気持ちになった。

「ところで、スカーレット卿はお元気ですか?」

 不意に、藍が話題を変える。美鈴はちょっと首を傾げた。

「ん……そうですねー、いや、実際のところ元気すぎるぐらい元気ですよ。今日もまた巫女のところに出かけましたし」
「ほう、博麗神社に」
「そうそう。届かないラブコールを一生懸命送ってるんですよ。処女大好きの巫女大好きですからね、あの方。もうちょっと自重してくれるといいんですけど」

 美鈴が呆れを交えてそう言うと、藍は同情するように微笑んだ。

「どうも……主に関する悩みは従者共通のようですね、この郷では」
「そうですね……なんか嫌な法則が出来つつある気がしますよ」
「それにしても……ふむ。巫女へのラブコール、ですか」

 何やら、藍が含みを持たせて言う。 
 そして不意に、声の調子を変えた。

「なるほど。表面的には、そのように仰っておられますか」
「……ええと。表面的、と言うと……?」

 空とぼけた答えを返しながらちらっと藍の横顔を確認し、美鈴はうわぁ、と言いたい気持ちになった。

(……参ったなあ。この人……)

 難しい話をするときの大人の顔してる、と。

(苦手なんだけどなあ、こういうの)

 ぽりぽりと頬を掻く美鈴の隣で、藍は淡々とした口調で語り出す。

「スカーレット卿が霊夢……巫女を気に入っているのは本当でしょうが、最近になって急に神社通いの頻度を増やしたのは、それだけが理由ではありますまい」
「……他に、どんな理由があると?」
「近年の情勢の変化ですよ。山の天狗が守矢と手を結んで、勢力を増しつつあるでしょう。一方、紅魔館は吸血鬼異変の一件で、長年幻想郷で勢力を保ってきた妖怪たちに大きな脅威を与えました。一時はスカーレット卿お一人で幻想郷の大半を支配下に置いたも同然ですから、当然と言えば当然ですが」
「懐かしい話ですね。でもほら、あれは最後にうちのお嬢様が、妖怪の賢者さんにボコボコにされて、それで手打ちになったじゃないですか。幻想郷の人間の血を吸わないこと、とかって契約書まで書かされたましたし。それに、結構前の事件ですよ?」
「それもまた表面的な話ですね。確かにスカーレット卿は敗北しましたが、それはあくまで妖怪の賢者に対してです。真っ先に対立して鎧袖一触にされた勢力は、完全に面子を潰された形ですよ。たとえば、新参者の吸血鬼を舐めてかかり、中途半端な戦力を送って返り討ちにされた挙げ句、主力で以て名誉挽回する前に、他者によって異変を解決されてしまった天狗たちだとか、ね」
「なるほど。まあ、分かる話ではありますけど。そんなに根に持ってるもんですかね」
「天狗というのはそういった妖怪です。種族全体の連帯感が非常に強いんですよ。それが面子を潰されたとあっては、そう簡単に水に流すわけにもいかないでしょう」

 そう言って、藍はすっと目を細める。

「その天狗が最近になって新たな力を得た……という話は、おそらくスカーレット卿の耳にも入っているでしょう。となれば、これみよがしに巫女のところに通って良好な関係をアピールし、天狗たちが紅魔館に手を出さないよう牽制するのは当然ではありませんか? 調子づいた連中が、今なら紅魔館にも勝てる、などと先走らないとは限りませんからね」
「……なるほど。お考えはよく分かりました」

 美鈴は、とりあえずそう答えるに留めた。藍は微笑み、軽く会釈をする。
 実際のところ、考えすぎだと笑い飛ばすことはできない。美鈴自身、最近レミリアの神社通いが激しくなったのは、巫女へのラブコール以外にも何かしら理由があるのだろうと考えていた。
 そうでもなければ、レミリアがこうも頻繁に館を留守にするはずがないからだ。

「……ただまあ、わたしはあくまで下っ端の従者ですんで。あまり突っ込んだことは……」
「そうですか。では一つだけ、お耳に入れたいことが」
「なんでしょ?」
「天狗ですが……一部に、妙な動きがあるようです」
「妙な動きっていうと……」
「どうもね。紅魔館への侵入を企図している派閥があるようで」

 その言葉を聞いたとき、美鈴の中で嫌な予感が猛烈に膨れ上がった。
 紅魔館への侵入、と言えば真っ先に浮かぶのが黒白の魔法使いだが、あれはほとんどお遊びというか、レクリエーションのようなものだ。紅魔館はスペルカードルールにきちんと従っていますよ、という一種のアピールである。美鈴だって、本気で撃退を命じられているわけではない。でなければ既に、この首は文字通り飛んでいることだろう。
 そして、あの魔法使い以外の者が本気で紅魔館への侵入を試みるとすれば、狙いは一つしか思い当たらない。

「……念のため確認しておきたいんですけど……」

 美鈴は恐る恐る問いかける。

「それ、もしかして目的は……地下ですか?」
「ご想像の通りです」
「……うわぁ……」

 藍の前ということも忘れて、美鈴は頭を抱えてしまった。
 最悪だ。そこはもう、本気で洒落にならない領域だ。
 もしもその計画が実行に移されたとしたら、正否に関わらずレミリアは怒り狂うだろう。
 下手をすれば、第二次吸血鬼異変の勃発と相成る可能性すらある。

「もう、もう……なんて馬鹿なこと考えてくれるんですかその人たちは。ちなみに、侵入してどうするつもりなんでしょう?」
「さあ、そこまでは……ただ、想像するのはそう難しくありませんね。奪取か暗殺か人質か……最悪、精神操作等の手段で卿にぶつけるつもりかもしれません」
「あの。その人たちに死にたくなければ馬鹿なことはやめておけマジでって伝えられませんかね」
「伝えたらかえって調子づくでしょうね。やはりこれが紅魔館の弱点だ、と確信して」
「……どうしようもないなあ、もう」

 ため息を吐く美鈴に、藍は「まあまあ」となだめるような笑みを向ける。

「少なくとも、まだ実行に移す段階にはありませんよ。天狗も案外一枚岩ではなくてね。紅魔館への警戒心はほぼ全員が持っているでしょうが、大半はそこまで表立った対立を望んではいません。基本的に搦め手を好む、合理的な妖怪ですから。ただ、そういう愚かな輩が存在するということには留意して頂きたいのですよ」
「はあ……ちなみにそれ、お嬢様や咲夜さんやパチュリー様じゃなくて、わたしに伝えた理由は?」
「卿は、おそらく冷静に対応できないだろうと見ました。いえ、卿の能力を疑うわけではありません。ただ、これは非常にデリケートな問題だと、こちらでも把握しておりますので。メイド長は……下手をすれば先手を取って山に殴り込みをかけかねないな、と」
「まあ……あれで結構激しい人ですからね。パチュリー様は?」
「卿に気づかれず館に侵入するのが困難でした。大図書館殿が外出する機会があれば、とも思ったんですが」
「ううん……最近はパチュリー様が出張るほどの異変も稀でしたからね……時期が悪かったか」

 納得する美鈴に、藍は一つ頷いてみせる。

「そういった次第で、貴方です。冷静に受け止めてくれそうでしたし、何よりも紅魔館の盾と言っても過言ではない存在ですからね。貴方にお伝えするだけで、状況はかなり違ってくるだろうと考えました」
「ははは……できればこっちに知られない内に秘密裏に処理して頂きたかったですよ」
「なるべくはそうするつもりです。紫様としても、スカーレット卿にはあまり迂闊に動いて頂きたくないようですから。それだけ大きいのですよ、彼女の存在は」
「まあ、そうでしょうねえ……」

 なんとも面倒なことを聞いたものだなあ、と美鈴は嘆息する。
 とは言え、聞いたところで今自分に出来ることは何もない。せいぜい、今まで以上に気合いを入れて門番の仕事に励むしかないだろう。

(……昼寝の時間減らさないとなあ。やだやだ。放っておいてくれればこっちだって大人しくしてるのに……)

 愚痴りたい気分だったが、仕方がないな、とも思う。
 紅魔館が幻想郷のパワーバランスの一角を担っているのは、揺るぎない事実なのだ。それはおそらくレミリアと、彼女が大事に閉じこめている少女の存在がある限りは変わるまい。
 だからこそ、守らなければならない。
 レミリアはレミリアのやり方で。美鈴は美鈴のやり方で。

「ところで、話は変わりますが」
「はい?」
「気づいておられますか?」

 端的な問いかけ。先ほどよりも口調が軽いので、美鈴は少しほっとする。
 ほっとしたところで、さてどれのことだろう、と考えた。

「えーっと……話の流れからすると、あそこの屋根の陰でこっちを見張ってる天狗さんと、向こうの建物の陰でこっちを伺ってる天狗さんですか?」
「おや、お気づきでしたか。他は?」
「あとは……そこの建物の陰に一人人間が。あれは警察の人かな……わたしが紅魔館の妖怪だからかな、やっぱり多少警戒されてるんでしょうね。あと、向こうには……多分、気の感じからすると虫の妖怪さんかな。リグちゃんの護衛かお目付け役ってところですか。やっぱりお姫様ですね、あの子」
「ふむ……いや、大したものですね」

 藍が感心した様子だったので、美鈴は苦笑する。

「まあ、このぐらいはね。実際、わたしの役目って門を守ることそのものよりも、舘に近づいてくる妖怪なんかを察知するのが主なんですよ。わたしの手に負えない奴が相手だったら速やかに道を譲るように、ってお嬢様にも厳命されてますし」
「なるほど。美鈴殿なら適任というわけですか」

 そしてふと、藍は悲しげに目を細める。

「これなら、あの子のこともお任せして大丈夫そうですね」
「ん……まあ、そうですね。その点に関してはご心配なく」

 美鈴は軽く笑って、胸を叩いてみせる。

「ある意味、門番の仕事ですから。紅魔館の、っていう冠からはちょっと逸脱してますけども」
「なるほど。ではお任せしましょう。よろしくお願いします」
「はいはい。あ、ところで」

 と、美鈴は少し心配になって聞く。

「天狗さん方、わたしが紅魔館出たときからずっとついてきてるみたいなんですけど……こうして藍さんとわたしが話してるところ見られても大丈夫ですかね? なんか、八雲家と紅魔館のつながりがー、とかで、また面倒なことになるんじゃ」
「ああ、その点についてはご心配なく」

 と、藍はあっさり言う。

「とうの昔に、八雲家は紅魔館側だ、と認識されているようですから。その、困った連中からは」
「あー……まあ、宴会やら異変やら通じて割と仲良くしてますもんね。当然っちゃ当然か。でも、さっきの会話の内容聞かれてたらまずいんじゃ?」
「それもご心配なく。ちょっとした結界術でね、我々の会話は全く別の内容に聞こえるようにしてありますから」
「おお、そりゃ凄い、さすが藍さん。ちなみに、どんな内容に?」
「そうですね、主に橙かわいいとか橙かわいいとか橙かわいいとか……」

 藍がこの日一番いい笑顔でそう言ったので、美鈴はつい苦笑してしまう。

「……それ、別の意味で面倒なことになりそうなんですけど」
「いいではありませんか。何なら、今から本当に語り合うとか」
「ああいえ、遠慮しておきますです、はい」
「そうですか……」

 藍は割と本気で残念そうに肩を落とす。
 やっぱり学のある人の考えることはよく分かんないな、と美鈴は内心ため息を吐いた。



 そうして藍が立ち去って数分も経った頃、ようやくチルノたちがファンシーショップから出てきた。
 先頭の大妖精はやたらとツヤツヤした顔をしていたが、他の四人は皆一様にげっそりしている。特にチルノは、さっき食べた分のエネルギーを残らず消費してしまったかのようなやつれようである。

「……もう着替えはやだ……」
「同感……」
「本当……」
「疲れた……」

 四人は今にもその場に座り込みそうな様子だったが、一人元気な大妖精はスキップするような勢いで美鈴に近づいてきた。

「ああ、素晴らしい時間でした。美鈴さんも一緒に来たら良かったのに」
「ははは……まあ、機会があったらね」
「でも、本当に入らなくていいんですか?」

 今更ながら、大妖精が首を傾げる。

「なんだか、わたしたちだけ楽しんじゃったみたいで……」
「わたしたち、ね……まあ、あれよ。わたしはちょっとこういうお店は向かないからね。またの機会に……」

 そこまで言いかけたとき、美鈴はふと、店先に並んでいる棚の一角に目を引かれた。
 そこに少しばかり、見覚えのある色が並んでいたからだ。

「美鈴さん?」
「ん。んー……」

 怪訝そうな大妖精の声に、美鈴は頬を掻く。

「……やっぱり、ちょっと買い物して来ようかな。みんな、少しだけ待っててくれる?」
「少しだけと言わずに、たっぷりどうぞ……」
「もう動けない……」

 チルノたちは、さっきまで美鈴が座っていた椅子に座ってぐったりしている。
 よっぽど疲れたんだろうなあと苦笑いしながら、美鈴は目当ての品を手に取ってカウンターに向かった。



 そうして、もう時間が時間だしほとんど全員クタクタだから、ということで、本日の人間の里観光はこれにて終了と相成った。
 美鈴がファンシーショップを出た頃にはルーミアたちも戻ってきていたので、全員でだらだらと歩きながら、最初に入った茶店に戻る。

「ちょっと休憩していこうよ」
「さんせー」
「疲れた……」
「どうしてみんなそんなに疲れてるの?」
「大ちゃんごめん、ちょっと黙ってて。それ以上なんか言われたらキレそうだから……」

 クタクタの子供たちが、思い思いに席につく。
 お冷やでももらってこようか、と美鈴は店の奥に向かいかけたが、リグルが慌ててそれを止めた。

「あ、いいですよ。美鈴さんは座っててください」
「ん、いやでもね……」
「今日は一日振り回しちゃったし。気にしないでください、ね」

 自分も疲れているだろうに、気を遣っているのだろう。リグルは止める間もなく店の奥に行ってしまう。
 その背中を見ながら、美鈴は頬を掻いた。

(……参ったなあ。この流れだと……)

 どうしたものかと迷っている内に、リグルは盆に七つの湯飲みを乗せて戻ってきた。
 まずいな、と思う美鈴が見守る中、一人一人に水の入った湯飲みを渡していく。
 そして美鈴の前まで来て、

「あれ?」

 と、驚いたように盆を見下ろした。
 そこに載っている湯飲みは、一つきりである。
 リグルは目を丸くして、美鈴と、自分の後ろに座っている友人たちとを見比べる。

「え、あれ、だって……」
「あー、リグちゃん、リグちゃん」

 駄目だろうな、と思いつつ、美鈴はなだめるように声をかける。

「いいっていいって。数間違えたなら、わたし自分で持ってくるから」
「いや、だって、わたし確かに七つ……!」

 そう言い掛けたリグルの顔が、見る見る内に青ざめていく。
 やっぱり気づいちゃったかあ、と美鈴は小さく息を吐く。

(もうちょっとだったんだけどなあ……いや、この子たちなら気づいてもさほど問題はない、かな……?)

 仕方がない、と美鈴は腹を決める。
 今日、自分はこの子たち一人一人のことを見たのだ。
 きっと、悪い結果にはなるまいと思う。

「あ、あの、美鈴さん……」

 かわいそうなほど真っ青になったリグルが、震える声で呼びかける。

「変なこと言うようなんですけど、あの……」
「大丈夫、何も言わないで。分かってるから」
「え……」

 安心させるように言うと、リグルはぽかんと口を開ける。
 しっ、と唇に人差し指を当ててから、美鈴はその場にいる全員に呼びかけた。

「みんな、ちょっと、わたしからお願いがあるんだけど」



 そうして、疲れたと喚くチルノをなだめすかし、全員を連れてやってきたのは中有の道だった。連れてきた、と言っても、大まかな場所は橙に聞いて確認したのだが。
 中有の道というのは、妖怪の山の裏側を流れる三途の川までに至る道の名前である。本来であれば死者が川を目指して歩く道であるが、そこのところは何事も曖昧な幻想郷、生者でも平気で歩くことが出来たりする。
 そしてこの道、特徴的なことがもう一つ。

「おーっ、スゲーッ!」
「わあ。お祭りでもやってるのかな?」

 チルノと橙が、目を丸くして周囲を見回している。
 それもそのはず、中有の道は両脇に露店が建ち並び、それこそ祭りのような賑わいを見せているのだ。

「えっと、ここって……?」
「んーと、地獄に落とされた死者の人たちが、卒業試験みたいな感じで出店を開いてる……とかなんとか」

 首を傾げる大妖精に、又聞きの知識を教えてやる。ちなみに、先ほど藍と話しているときに聞いたことである。美鈴がやろうとしていることを話したら、ここのことを教えてくれたのだ。
 だが、美鈴にとって重要なのは道の両脇に建ち並ぶ露店ではない。大事なのは、この道そのものである。

(って言っても、ここじゃ人通りが多くて騒がしい……もう少し先、出来れば道の出口辺りがいいか)

 そう判断し、美鈴は全員に声をかける。

「ごめん、もうちょっと歩くわ。みんな、ついてきてくれる?」
「分かりました」
「ねー、めーりん、めーりん!」

 子供たちの大半は釈然としないながらも素直に頷いてくれたが、一人チルノだけがぴょんぴょんと飛び跳ねて疑問を露わにした。

「めーりんは、なんであたいたちをここに連れてきたの? 金魚すくいとか射的とかやりたいの?」
「んー……いや、そういうわけじゃないのよね」
「じゃあなんで?」

 不思議そうに見上げてくるチルノを横目に、美鈴はちらっとリグルの方を確認する。
 彼女は相変わらず青い顔で震えているが、美鈴の頼み通り余計なことは言わずに黙ってくれているようだった。

(これ以上怖がらせるのはかわいそうね)

 美鈴はそう判断し、チルノに笑みを向ける。

「わたしの目的は、まだ秘密。あっちの方についたら教えてあげるよ」
「んー……分かった、あたい歩く」
「ありがと。みんなもごめん、ちょっと我慢してね」

 声をかけると、他のメンバーも戸惑った様子ながら頷いてくれる。
 そうして、美鈴たちは中有の道を歩き始めた。
 周囲は活気に満ちている。露店の呼び込みや遊戯を楽しむ人の声等、それこそ祭りと変わらぬ賑やかさである。

「……なんか、びっくり」

 ぽつりと、ミスティアが呟く。

「死者の歩く道、なんて言うのに、どうしてこんなに明るいんだろ」
「そうだよね。なんか、言葉だけだともう少し陰気なところをイメージするけど」

 囁き合うミスティアと橙に、美鈴はにっこり笑って答える。

「死者の歩く道、だからこそかもしれないよ」
「え?」
「これから行くところに、不安を抱かなくてもいいようにってさ。そう思って、敢えて明るくしてくれてるのかも」

 美鈴がそう言うと、ミスティアと橙は少しばかり神妙な顔つきになった。
 本当のところ、中有の道で出店なんかやっているのは、単に彼岸の財政事情が悪化したために少しでも金を搾り取ろうと誰かが知恵を捻った結果らしい。
 だが、美鈴は敢えてそういう生々しい事情を話そうとはしなかった。
 今はこういう温かい雰囲気を少しでも保ちながら歩いていくのが、後々のためにもなるだろうと考えたのだ。

「……よし。この辺でいいかな」

 中有の道の出口付近で、美鈴はようやく立ち止まった。露店の明かりも喧噪も、ここからでは少し遠い。道の先は夜の闇に包まれていて、妖怪ならともかく人間なら全く見通しが利かないだろう。
 ここなら、見送りにはちょうどいいだろうと思えた。あまり騒がしくないし、何よりこの先をずっと行けば、迷わず三途の川にたどり着くということだから。

「あの、美鈴さん」

 と、大妖精が控え目に尋ねてくる。

「結局、どうしてここに来たんでしょうか?」
「うん、今から説明しようかな。えーと……橙ちゃん?」
「はい?」

 声をかけられて驚く橙に、美鈴はぽん、と、今日の散財でだいぶ軽くなった財布を渡す。

「悪いんだけど、これであの辺の露店から何か食べ物買ってきてくれないかな。人数分」
「え? えっと、それはいいですけど……でも、どうして?」
「買ってきたら分かるよ。くれぐれも、人数分買ってくること。いい?」
「……分かりました」

 美鈴の表情から何かを察したのか、橙はそれ以上疑問を挟まず、小走りに駆けていく。
 残ったメンバーの反応は様々である。リグルは相変わらず青ざめているし、大妖精とミスティアはまだ不思議そうだ。ルーミアは静かな微笑みを浮かべて佇み、チルノは何かつまらなそうな顔で足下を蹴っている。
 やがて、橙が何か赤い物を七本持って、小走りに戻ってきた。

「買ってきました!」
「お疲れさま。お、リンゴ飴か。お祭りの定番よね」

 いいチョイスだ、と美鈴は満足し、

「じゃ、みんなに配ってくれる?」
「あ、はい。分かりました」

 美鈴の見守る中、橙はみんなにリンゴ飴を配り始める。チルノ、リグル、  、大妖精、ミスティア、ルーミア、と配り、美鈴の前まで来たところで、

「あれ?」

 と、驚いたように目を丸くして、自分の手元を見下ろす。先ほどのリグルと同じ反応。
 彼女の手の中にあるリンゴ飴は、残り一本である。

「どうしたの、橙?」

 不思議そうに尋ねるミスティアに、橙は震える声で答えた。

「い、一本足りない……!」
「え?」
「足りない、って……?」
「だから、一本足りないんだって!」

 困惑したように言う大妖精に、橙はひきつった声で説明する。

「お、おかしいよ、わたしちゃんと七本買ってきたのに! わたしとチルノと大ちゃんとミスティアと、リグルとルーミアと、美鈴さん……! 七本で、いいはずなのに……!」

 しかし、今橙の手元に残っているリンゴ飴は一本きり。もちろん、美鈴の手の中には何もない。

「え……ちょっと、どういうこと?」
「わ、わかんない……美鈴さん、これ一体……」
「どうでもいいじゃん」

 オロオロしている橙の声を遮るように、チルノがぽつりと言った。

「え、ど、どうでもいいって……」
「チルノ、状況分かってるの!?」

 リグルが先ほど以上に青ざめた顔で、チルノに詰め寄る。うるさそうにそれを見ながら、

「だから、どうでもいいじゃん。一本足りないなら買ってくればいいんだし」
「どうでもよくないって! だってわたし、ちゃんと人数分買ったのよ!?」
「そうだよ、わたしだってさっき茶店でお冷や持ってきたときに」
「だーかーらー、それがどうでもいいんだってば! みんないちいち気にしすぎ!」
「あんたが気にしなさすぎなのよ!」
「そうだよ、どう考えたっておかしいよ、これ!」

 喚き合う橙とリグルとチルノを横目に、大妖精とミスティアは怯えたように美鈴に身を寄せてくる。

「あ、あの、美鈴さん」
「これって一体、どういう……」
「んー、うん。そうね、どう説明したもんか……」

 美鈴は苦笑しながら、ちらりとルーミアを見やる。
 ルーミアは穏やかに微笑んで、こくりと頷いた。

(よし、じゃあお見送りといこうかな)

 少しばかり寂しさを感じつつ、美鈴は手を打ち鳴らす。

「はい、注目」
「……美鈴さん」

 取り乱していたリグルと橙が、ようやく黙って美鈴に顔を向ける。
 二人が落ち着いたのを見て取って、美鈴はにっこりと笑った。

「大丈夫だよみんな、怖いことなんて何もないからね」
「で、でも……」
「みんなが怖がっちゃうと、ほら」

 と、美鈴はある方向を指さした。

「その子も、怖がっちゃうからさ」
「え……」

 と、全員がその方向に目を向けた。
 そして、ようやく気が付いたらしい。そこに、誰かがいることに。
 それは、小さな小さな、ぼんやりとした人影。おそらく、チルノよりも一回りは小さいだろう。そしてその姿は目を凝らしてもなかなか見えないほどに薄く、揺らいでいる。

「うわぁっ!」

 最初に悲鳴を上げたのはリグルだった。思いっきり飛び退いて、わたわたと美鈴の後ろに隠れる。

「だ、だだだ、誰っ!?」
「わ、わかんない! お化けっ!?」
「お化けだったらもっとはっきりしてるじゃない、幽々子さんみたいに!」

 それぞれ喚き合う子供たちの前で、そのぼんやりした人影は心細そうにきょろきょろしている。
 それを見かねたように、チルノが鼻息荒く叫んだ。

「もう、だから言ってるじゃん、そんなんどうでもいいって!」
「いやいやいやいや、さすがにどうでもよくないよ!?」
「知らない子……子供? が、わたしたちに混じってたんだよ!?」
「え、っていうかいつから!? 朝から!? 昨日から!?」
「はい、はい、はい」

 と、美鈴は苦笑混じりに手を鳴らす。子供たちはまだ混乱しているようだったが、それでもかろうじて黙ってくれた。
 ありがたいな、と思いつつ、美鈴は努めて穏やかな足取りで、その小さな影に歩み寄る。
 怖がらせないよう注意しながら、ゆっくりとその場にしゃがみ込んだ。

「えっと。こんばんは」

 人影は少し戸惑った様子だったが、やがて小さく頷いた。

「ごめんね、騒がしくしちゃって。でもね、みんなあなたが嫌いだから騒いでるんじゃないの。ちょっと、びっくりしちゃっただけだから。許してあげてね?」

 人影はまた頷く。さっきよりも、落ち着いた様子だった。

「ありがとう。今日は楽しかった?」

 また首肯。今度は即答という感じだ。美鈴はほっと息を吐く。

「良かった。でもね、残念なんだけど……そろそろ、お別れしなくちゃいけないんだ。分かるかな?」

 人影は長いこと黙っていたが、やがて、そっと頷いてくれた。

「ありがとう。大丈夫、怖いことなんか何もないよ。ちゃんと歩いていけば、暖かくて明るいところに着けるからね」

 穏やかな口調で言い聞かせたあと、美鈴はゆっくりと立ち上がった。
 振り返り、チルノに声をかける。

「チルちゃん。あれ貸してくれる? 折り畳み式の門」
「ん。うん、分かった」

 チルノはとことこ歩いてきて、今日ずっと持ち歩いていた例の道具を差し出してくれた。
 それは、折り畳み式の門。美鈴を移動させるために、チルノが頭を捻った一品である。

(……なんとも都合のいい話よね、考えてみれば。これもお嬢様のお導きだったりして)

 そんなことを考えつつ、美鈴は門を展開する。
 地面に差し込み立ててみると、これまた都合のいいことに、この小さな影がくぐるのにちょうどいい高さだった。
 美鈴は軽く意識を集中して手のひらに気を集めた。誰かを癒すときに用いる陽の気を、門を構成する木材一本一本に宿らせていく。

(これでよし、と)

 門が淡く温かな光で輝くのを確認して、美鈴は小さく頷いた。
 その傍らに立ち、微笑みと共にあの人影を差し招く。

「さ、おいで。みんなも、ちょっとこっちに来てね」

 呼びかけると、固唾を飲んで見守っていた子供たちが慌ててこちらに集まってきた。
 そうして全員で、小さな門の傍らに立つ。

「さあ、おいで。怖くないよ」

 美鈴が優しく声をかけると、影は躊躇いがちに、少しずつこちらに近づいてきた。
 全員が神妙な顔で見守る中、影は門の前に立つ。
 そして、一度美鈴の方を見上げたあと、ゆっくりと足を踏み出す。
 影が通り抜けるとき、門は一際、暖かく輝いた。

「……よし。あとは、迷わず行くのよ」

 

「いってらっしゃい、またいつか、一緒に遊びましょうね」

 美鈴が見送りの言葉をかけると、歩き始めた影は、一度立ち止まってこちらに振り返った。
 それからその場にいる子供たちをゆっくりと見回し、ぺこりとお辞儀をする。子供たちも、戸惑いながら思い思いに挨拶を返した。
 そうしてあとはもう振り返ることなく、影はとことこと歩いていく。その背は先ほどよりも少しだけはっきりして見え、その足取りからも不安な様子はほとんど伺えなかった。
 そうして、影が持っていたリンゴ飴の赤い色が闇に溶けて見えなくなる頃、美鈴はようやく小さな息を吐き出した。

「……これでよし、と。なんとか無事お仕事終了って感じかな」
「え、お仕事って」

 リグルが驚いたように言う。

「美鈴さん、もしかして最初からこのつもりで……」
「ふふ」

 美鈴は種明かしをする手品師のように笑い、

「もちろんよ。わたし、案外真面目でしょ?」

 と、からかうような口調で言った。



 美鈴がその影に気づいたのは、今朝、チルノたちにお出かけしようと誘われたときのことだった。
 もう存在が希薄になって消えかけている影を見て、これは今日にでもなんとかしないと消失してしまうな、と危惧したのである。
 ただ、あれは子供のようだったから、無理に引っ張っていっても怖がらせてしまうかもしれない、と思って、一緒に里を回って遊びながら不安を解してやろうとしたのだ。
 結果を見るに、その考えは正解だったと言ってもいいだろう。
 もちろん、ここまでいい結果に終わったのは美鈴だけの力ではない。
 あの影を見てすぐに事情を察してくれたレミリアと藍、そして、気づいていたのに黙っていてくれたチルノとルーミアの協力があってこその大団円である。



「えーっ、じゃあ、チルノはあの子のこと知ってたの!?」

 影を見送った後の帰り道、中有の道の途中で、リグルが素っ頓狂な声を上げる。
 そう言われたチルノは、呆れた様子で答えた。

「知ってたに決まってるじゃん。っていうかなんであんたたち分かんなかったの?」
「なんでって聞かれても……なんでだろ」
「分かんない。なんでチルノだけ……」

 戸惑った様子の友人たちを見て、チルノは得意げに胸を張る。

「ま、これでまたあたいのさいきょーっぷりが一つ証明されたってことよ! あんたたちとは格が違うってことね!」
「うー……チルノのくせにぃ」

 橙がそう呟いて歯噛みしている。実際最後まで気づいていなかった手前、強く張り合うことも出来ないのだろう。

「でも本当、チルちゃんよく黙っててくれたよね。凄く助かったわ、実際」

 美鈴がそう言うと、チルノは「別に」と少し声を落とす。

「騒ぐようなことじゃないじゃん。あいつ、朝からあたいたちの周りにいて、なんか一緒にいたいみたいだったし。仲間外れとか、嫌だし」
「そっか。えらいね、チルちゃんは」

 微笑んで撫でてやると、チルノも歯を見せて笑ってくれる。
 しかしながら、実際美鈴も少し疑問であった。

「……なんでチルちゃんにはあの子が見えたんだろ。もうほとんど消えかけてたから、よっぽど注意しないと見えないはずなんだけど」

 レミリアや藍などの実力者はその鋭い感覚で持って察知したのだろうし、美鈴にしても気を使う程度の能力故に、あの子の微弱な霊気を感知できたのだ。
 実際、他の子供たちは全く気づいていなかったし、チルノだって能力的には彼女らと大差はないはずだ。
 なのに、どうしてチルノにだけは見えたのか。

「それについて、なんですけど」

 大妖精が、遠慮がちに言ってくる。

「あの子、お化けだったんですよね?」
「まあ、そうね」
「だからチルノちゃんには分かったんじゃないでしょうか?」
「……? どういうこと? 霊感強いの?」

 よく分からずに首を傾げると、大妖精は苦笑混じりに、

「ほら、チルノちゃん、『れいきを操る程度の能力』ですから……」
「……言葉遊びだなあ、本当」

 それでいいのか、と呆れてしまうが、実際そうだったのだから仕方がない。
 どうせ考えても分かんないんだし、深くは考えないことにしておこう、と美鈴は思った。



 そうして、今度こそこの日はお開きとなった。
 まず中有の道からほど近い、妖怪の山山中のマヨヒガに住んでいる橙が、皆に別れを告げる。

「美鈴さん、今日はありがとうございました」
「ううん、わたしの方こそいろいろ教えてもらって、ありがとうね」
「いえ、わたしなんかまだまだです。あの子にも、少しも気づけなかったし」

 先ほどの一件のせいもあってか、橙は少しばかり落ち込んでいるようだった。俯き、小さくため息を吐く。
 励ました方がいいかな、と一瞬思ったが、次に顔を上げたときの目の色を見て、美鈴は言葉を飲み込む。

「だからもっと修行して、今度はちゃんとやれるようにします! わたしだって、八雲家の一員ですから!」
「そっか。うん、頑張ってね」
「はい! それじゃ、また!」

 ぺこりと礼儀正しくお辞儀をして、橙の姿が山の方に消えていく。
 その前向きさが幻想郷の未来と重なるようで、美鈴は夜だというのに眩しい物を見ているような気持ちになった。



 次に別れたのは、竹林の辺りに住んでいるというミスティアとリグルであった。
 ミスティアの方はさほど思うこともないようだったが、逆にリグルの方は道中何度もため息を吐いて、随分落ち込んでいる様子である。

「リグちゃん、そんなに気にしなくていいから」

 という美鈴の言葉にも、

「でも……ああ、もう」

 と、情けなさそうに嘆息する。

「わたし、あんなに取り乱しちゃって……下手をしたらあの子を怖がらせて、全部台無しにするところだったかも。美鈴さんが頑張ってたのに……」
「最後は上手くいったんだから、それでいいじゃない」
「そういうわけにはいきませんよ。ああ、わたしって鈍感な上に冷たい奴なのかな……」

 リグルが際限なく落ち込んでいくので、美鈴は気楽に笑って励ました。

「そんなことないって。リグちゃんは、みんなが危ない目に遭わないか心配だったんでしょ? それは全然悪いことじゃないよ」
「そんな都合のいい考え……はぁ……」

 これは相当重症だなあ、と、美鈴は少し困ってミスティアに視線を送る。彼女の方は特に困った様子も見せずに笑顔で頷き、

「もう、リグルったら、そんなに落ち込んでる暇ないよ?」
「え、なにが?」

 きょとんとするリグルに、ミスティアはポケットから何か書かれた紙を取り出してみせる。

「これ、今日の食べ歩きの最中に思いついたレシピ! これから新メニュー開発に向けてどんどん試食してもらうからね、覚悟しててよ!」
「えーっ、なにそれ、聞いてないよ!?」
「いいからいいから。さ、早速帰って第一号の制作に取りかかろうよ」
「そ、そんな、待ってよみすちー!」

 張り切っているミスティアと情けない声を上げるリグルが、連れだって竹林の方へ飛んでいく。

「やっぱり尻に敷かれるタイプだよね」
「タイプっていうか、もう敷かれてるよね」

 ルーミアと美鈴はそれぞれコメントして、小さく肩を竦め合った。



 霧の湖が見えてきた辺りで、チルノが大きく欠伸をした。

「ふぁーあ。あたい、なんか疲れちゃった」
「あはは。ま、今日はいろいろあったからね。ゆっくり休みなよ」
「うん。めーりんみたいに昼寝しよっと」
「今寝ても昼寝にならないよ、チルノちゃん」
「ん、そうか。じゃあ夜寝か」
「それは普通に寝るのと変わらないと思う……」

 困ったような大妖精の言葉に「んあ?」と首を傾げたあと、

「あ、そうだ!」

 と、チルノは何か思いついたように美鈴に近寄ってきた。

「めーりん、これあげるね!」

 そう言って嬉しそうに差し出したのは、例の折り畳み式門である。
 内心、もらってもなあ、という気持ちはあったが、美鈴は笑って受け取っておくことにした。

「うん、ありがとうね」
「これでどこでも出かけられるよね! また今度どっか行こうよ!」
「うーん、そうね、お休みが取れたらね」
「そんなこと言っていつも休んでるじゃん!」
「だ、駄目だよチルノちゃん、もっとオブラートに包まないと……」
「あはは……それを言われると弱いなあ」

 夜の湖上空に、四人の笑い声が明るく響いた。



 そうしてチルノたちとも別れ、美鈴はルーミアと共に紅魔館の門前に戻ってくる。
 何となく門前に寄りかかってみると、妙に落ち着いた気分になった。

「うん。やっぱりわたしは根っからの門番だわ」
「そーなのか」
「そーなのです。さて、ルーちゃん」

 美鈴は少しばかり声の調子を変えて、ルーミアに問いかける。

「一つ、聞かせてもらってもいい?」
「なに?」
「今日あの子連れてきたの、ルーちゃんよね?」
「うん、そうだよ」

 ルーミアはあっさりと頷いた。

「ちょっと前からあっちこっちふらふらしてて、迷子になってたみたいだから。多分、長いこと此岸をさまよいすぎて、どこに行ったらいいのか分かんなくなっちゃったんじゃないかな」
「そういうこともあるのね」
「人間の子だもん。闇に迷ったら何も分かんなくなって当然だよ」

 やけに説得力を感じる言葉だ。不思議な子だな、と美鈴は思う。

「そっか。それで、どういうつもりで連れてきたの?」
「んー……なんでだろ」

 ルーミアは小さく首を傾げて、

「多分、あの子が怖がって泣いてたからかな。美鈴だったら上手く慰めてくれるんじゃないかと思って」
「そう。ご期待には添えた?」
「ばっちり。ありがと、美鈴」

 ルーミアが尖った歯を見せて笑った。彼女はその牙で人を喰らうこともある、と聞いている。となれば、今日あの子を送ってやろうとしたのは、単なる気まぐれだったのか。
 明るく笑っている彼女の顔から、その真意を伺い知るのは難しそうだった。

(見通せぬ心、か。ある意味闇に生きる妖怪らしいのかな)

 美鈴はそう思って、納得しておくことにする。少なくとも、今日、彼女はあの子に優しかった。それだけ分かっていれば、それでいいと思う。

「じゃ、わたしも帰るね、美鈴」
「うん、気をつけて……なんて言う必要もないかな?」
「まあね。あ、でも折角だからお仕事してよ、門番さん」

 ルーミアが楽しそうにそう言うので、美鈴も調子を合わせて、少しおどけてお辞儀をした。

「本日はありがとうございました。またのお越しを、妖怪さん」
「うん、またね、門番さん!」

 ルーミアが手を振って、闇に溶けるように消えていく。
 こうして、美鈴は短い休日を終えたのだった。



 そうして静かな夜の闇の中、しばらくの間門柱に寄りかかってじっとしていると、不意に背後から声をかけられた。

「お帰り、美鈴。休暇は楽しかったかしら?」
「お嬢様」

 また気配を消して近づいてきたな、と苦笑しつつ振り返り、美鈴はぎょっとする。

「うわぁ、また派手にやられましたね」
「ふふ……今日の霊夢は激しかったわ」

 ちょっとわざとらしいぐらいに包帯でぐるぐる巻きになったレミリアが、恍惚とした笑みを浮かべて言った。

「やっぱりあれよね、ちょっとぐらい抵抗してくれた方が燃えるわよね」
「ちょっとぐらいってレベルですかそれ」
「でもまあわたしも鬼畜じゃないから、次は紳士的に行こうと思うのよ。この国の作法に則って、こう地面に両手を突いてね」
「土下座じゃないですかそれ」
「日本じゃ主要な外交手段らしいわよ。八雲の隙間も習得してるとか」
「えー……想像できないなあ」

 いつものように軽口を叩き合いながら、美鈴はふと、今日藍と交わした会話を思い出した。最近博麗神社通いが増えた、もう一つの理由。

「お嬢様」
「ん、なに?」

 きょとんとした主の顔を、じっと見つめてみる。だがいくら見ても、そこに深刻な色を見い出すことは出来なかった。

「……いえ、なんでもないです」
「おやおや、随分意味ありげね? そういうのが好きならいくらでも付き合ってあげるわよ。それが世界の選択か、とか格好良く言い合いましょうよ。ラ・ヨダソウ・スティアーナ」
「いや、そういうんじゃないですから」

 美鈴が苦笑すると、「なんだ、そうなの」とレミリアは残念そうに呟く。ちょっと拗ねたようなその顔は、昔から変わりがないように思えた。

(でも、本当はそうじゃないのよね)

 ただただ享楽的に見えるレミリアが、その実様々なことを考えて動いているのは事実だと思う。彼女が背負っているものは、その幼い外見には似合わないほどに重く、大きい。
 そして美鈴には、それを肩代わりしてやれるほどの力がないというのもまた事実であった。

「そうそう、美鈴」

 不意に、レミリアが少し声の調子を落として言った。

「分かってるとは思うけど、今日出かけたこと、あの子には内緒にしておくのよ」
「……ええ、分かっております」
「……自分と同じで決まった位置から離れないお前に、ちょっと共感してるようだから。いなくなったらどっか行っちゃうんじゃないかって、不安がるかもしれないわ。だから、ね」

 疲れたような吐息と共に、レミリアは言う。
 何と言葉をかけるべきか分からず、美鈴は少し迷う。
 そしてふと、渡す物があったことを思い出した。

「そうだ、お土産買ってきたんですよ、お土産」
「なに、すけべ本?」
「読みたいんですか……違いますよ。はい、これ」

 と、美鈴はポケットから二つの小瓶を取り出した。
 それは、例のファンシーショップで美鈴が購入した品である。
 瓶の中には、金平糖がぎっしりと詰まっている。
 それぞれ、紫色と黄色の金平糖だ。
 受け取ったレミリアは、小瓶をしげしげと眺めて、少し寂しげに微笑んだ。

「なかなかセンスがいいじゃない」
「ありがとうございます。ええと」
「この黄色い方は、あの子に渡しておくわ。そうね……また、咲夜が里に出かけたときに買ってきた、ということにしましょうか」
「……それがよろしいかと」

 本心を言えば、レミリアからの贈り物だということにしてくれ、と頼みたいところだ。ただ、それが非常に難しいことだというのも、美鈴にはよく分かっている。
 レミリアはあの子から自由を奪い、そしてその負い目によって自分の自由を奪われている。
 それは美鈴が何か言ったところで和らぐような性質の物ではないのだった。

「そういえば」

 ふと、レミリアが思い出したように言う。

「あの子、どうなった? 消えかかってた子」
「ああ……ご安心を、ちゃんと送り出してあげましたよ。チルちゃんたちも協力してくれたんで、楽しい思い出が出来たんじゃないかと思います」
「そう。ご苦労様」

 レミリアは目を閉じ、小さな喜びを湛えてそっと微笑んだ。
 彼女は昔から、子供に優しい。
 今日のあの子に対する優しさもそうだし、チルノたちに対してもそうだ。かつて、紅魔館の門前に人間の赤子が捨てられていたときもそうだった。
 ただ、その優しさを本当は誰に向けたいのか。
 それを考えると、美鈴はどうしようもなくもどかしく、悔しい気持ちになるのだった。

「あの、お嬢様」
「ん、なに?」

 門の向こうにいるレミリアの前で、美鈴は背筋を伸ばした。
 彼女の顔を見つめながら、力を込めて言う。

「わたしは、いつでもあなたの従者ですから。出来ることがありましたら、どんなことでもお申し付け下さい。お願いします」

 そう言って、頭を下げる。
 レミリアはそんな美鈴を少しの間見つめていたが、やがて小さく笑みを漏らした。

「なんだか、随分やる気になってるのね。居眠り常習犯の美鈴にしては珍しいじゃない」
「いえいえ、わたしはいつだってやる気にあふれてますよ。お嬢様のためでしたら、たとえ火の中水の中」
「誰がそんなことをお前に命ずるの。お前はここに立って、門番をやってくれていればいいのよ」

 でも、と言って、レミリアは穏やかに笑った。

「その気持ちは嬉しく思う。これからもよろしくね、わたしの門番さん」
「……はい、お嬢様」

 そう答えるのが、精一杯だった。



 そうしてレミリアが立ち去り、門番は一人きりになった。
 急に寒くなってきたように感じて、夜気の中に白い息を吐き出す。
 門柱に寄りかかって目を閉じ、意識を集中させると、紅魔館の周辺にいくつもの気配が潜んでいるのが分かった。
 そのどれもが何かを警戒しているかのようにじっと息を詰め、闇の向こうからこちらの様子を伺っている。
 いつもは力を抜いて構え、努めて気にしないようにしているが、今はやけに彼らの存在が気に障った。

(……ご苦労なこった。向こうも誰かの命令でやってるんだろうから、恨む筋合いもないけど)

 だからこそ、苛立ちをぶつける矛先がないようで、少しばかりもどかしい気持ちになる。
 どうもいかんな、と美鈴は小さく息を吐いた。
 こうもささくれ立った気持ちでは、門番の役目を果たすことなど出来るはずもない。好き勝手に感情を露わにするのは、自分の仕事ではないのだから。

(何か、楽しいことを考えようか)

 目を閉じたままそう思うと、一つの光景が浮かんできた。
 今日、門を通して向こう側へと見送ったあの子供。穏やかな足取りで遠ざかっていく、小さな背中。
 いつかあんな風に、手を繋いで出かける姉妹を見送ることができたらいいな、と思う。
 居眠りしていなくても夢みたいなことは考えられるものだな、と、美鈴はかすかに自嘲した。



 <了>
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