【東方SS】尼僧愛憎悲喜交々

2011/3/21に東方創想話に投稿したSSです。
 


『尼僧愛憎悲喜交々』



「わたしの方が姐さんを敬愛しているわ!」
「わたしの方が聖のことを想っているもの!」

 ああまた始まった、とナズーリンは内心頭を抱えた。
 白蓮が所用で出かけており、残りの面々だけで夕食を取ったその直後である。
 膳を片づけて戻ってみれば、一輪と村紗が部屋の中央に立って睨み合っていたのだ。右を見れば星が二人の喧嘩を見ておろおろしており、左を見れば膝を抱えて座ったぬえが何やら拗ねたような顔でそっぽを向いている。

「わたしの愛情は雲より大きい!」
「わたしの愛情は海よりも深い!」

 再び一輪と村紗が叫び、額をぶつけ合わせんばかりに睨み合う。双方一歩も退く気のないその様子に、ナズーリンの口からため息が漏れた。
 こうした口論を見るのは、これが初めてのことではない。たまたま白蓮が席を外しているときなどに、何度か小競り合いのような口喧嘩を目撃している。そのきっかけは様々だが、主題はいつも今と同じで、「どちらがより聖白蓮を敬愛しているか」についてだ。
 もちろん当の白蓮が戻ってくれば即座に終了するので、今までは全く問題なかったのだが。

「ああ、どうしましょうかナズーリン。万一こんなところに聖が帰ってきたら……せっかく久方ぶりに集まった門徒が喧嘩などしていたら悲しみますよ」
「落ち着いて下さいご主人様。こんなものはただのじゃれあいですし、聖は明日まで帰りません。そういう用事だと仰ってお出かけになったのではないですか」
「うう……それはそれですんなり止められる人がいなくて問題です……」

 星はすっかり困り果てた様子である。相変わらずだな、とナズーリンは肩を落とす。
 毘沙門天の代理である寅丸星は、有事の際は毅然としており、皆の先頭に立って優れた判断力と指導力を発揮する。力だって並の妖怪では到底太刀打ちでないほどに強い。
 けれども平時は生来の穏やかでのんびりとした性格が顔を出し、何事も穏便かつ平和裏に解決しようとする。だから、こういうときはあまり頼りにならないのだ。

(……気は優しくて力持ち、とでも言おうか。まあそれ故来客の緊張を和らげて下さるわけだし、これはこれで美点ではある。それに平時の細々とした問題など従者たる私の手で解決できるし、欠点とまで言う必要はないな、うん)

 誰に言うでもなく一人納得している間にも、一輪と村紗はまだ睨み合いを続けていた。「いい加減ふざけるのは止めたら?」「それはそっちでしょ」だのと低い声で言い合い、いつ胸ぐらをつかみあってもおかしくない雰囲気である。傍から見たら笑ってしまいそうな光景で、ナズーリンとしては呆れるばかりだ。

(よくもこんな下らないことでこうも剣呑になれるものだ。それにしても)

 ナズーリンはチラリと左に目をやる。
 そこでは封獣ぬえが何やらふてくされたような表情で、膝を抱えて座っている。別段何を言うでもなく、ただ押し黙っている。珍しいこともあるものだ、とナズーリンは不思議に思った。
 白蓮復活に絡んだ一連の出来事をきっかけとして命蓮時に転がり込んできたこの少女は、物見高いというか野次馬根性が旺盛な性格だ。こういう事態になると、大抵手を叩いて喜びながら相手を囃したてるものなのだが。
 
「君にしては随分大人しいね。どういう風の吹きまわしだい?」
「べっつに」

 ぬえはこちらを向こうともせず呟くように答え、

「そりゃ、何百年も同じこと繰り返されてればね。うんざりもするわよ」
「……何百年?」

 思わず一輪たちの方を見ると、二人はちょうど睨み合いを止めて不敵に笑い合ったところだった。

「やはり決着がつかないわね」
「こうなれば仕方がない、久しぶりにアレをやるとしましょう」
「望むところよ」
「な、なんか始まりましたよ、ナズーリン……!」
「落ち着いてください。まずいな……」

 寄り添ってくる星をなだめつつ、ナズーリンは小さく舌打ちを漏らす。この二人がどんな下らない理由で口論をしていようが別段興味はないが、寺を壊されるとなると話は別だ。
 ナズーリンは意を決して、二人の間に割って入る。

「お二方とも、落ち着いて下さい。事の重要性は認めますが、さすがにそれで寺を破壊したとなれば聖も」

 冷静な説得に、しかし二人は眉をひそめる。

「なにいってんの、ネズミ」
「わたしたちが聖の住居を壊すような暴挙に出るわけがないでしょう」
「なんですって? それでは一体……」

 困惑するナズーリンに、二人はふっと苦笑した。

「分かってないわね、全く」
「わたしたちが競うのは、もちろん」

 二人は不敵に唇をつり上げ、声を揃える。

「聖への愛情よ」
「姐さんへの愛情よ」

 ああ、猛烈に嫌な予感がする。
 ナズーリンは黙ってじりじりと後ずさり、退避を試みる。
 だが、時既に遅し。

「そうだ、折角だからネズミたちに判定してもらいましょうよ」
「なるほど、いい考えだわ」
(勘弁してくれ)

 内心頭を抱えながら、ナズーリンは必死に星の袖を引っ張った。

「ご主人様、ご主人様。ここを出ましょう。こんなことに付き合う必要はありませんよ」
「ですが、ナズーリン」

 星は戸惑いながらも目に確固とした意志を宿らせ、

「不和を解消するために出来ることがあるなら、力を尽くすのが正道というものではないでしょうか」
「いやそんな真剣に論ずることでは」
「ああ村紗、星が引きうけてくれるみたいよ」
「さすが星だわ。よろしくお願いします」
「はい。及ばずながら力を尽くしましょう」
「ああ、もう……!」

 力強く頷いた星の横で、ナズーリンは髪をかきむしって地団太踏みたい衝動に駆られた。

(なんだってこの方はこうもお人が良いのか……! いやそれは本来美点であって非難すべき点ではないのだけれども)

 ともかく星が引き受けると決めた以上、従者としてついていかないわけにはいかない。「あなたは無理しなくてもいいのですよ」「いえそんなわけには参りません」「いつもすみませんねナズーリン」「それは言わない約束ですよ」とお決まりのやり取りを交わしながら部屋を出かけたところで、ナズーリンはふと気がつく。

「ぬえ。君は行かないのかい?」
「いい。何が起きるか大体分かってるし。もう見飽きたわ」

 言葉の通り疲れたような口調で答え、ぬえはさらに強く膝を抱え込む。
 ナズーリンは眉をひそめた。

(まあ、さっき言っていたように何百年も似たようなことを繰り返しているのなら、うんざりしても仕方がないとは思うが……)

 納得しつつも、ぬえの様子に何かしら別の感情が見え隠れするのも事実だ。ただ呆れているだけ、にしては元気がなさすぎる。
 今になって思い返してみると、一輪と村紗が聖のことを話している横で、ぬえはいつもこんな表情を浮かべていたような気がする。

(彼女は地底で一輪様や船長と一緒だったというしな。何かしら思うところがあるんだろうか)

 そんな風に推測してもみたが、その辺りの話は詳しく聞いたことがなかったので、正確なところは分からない。

「ナズーリン、どうかしましたか?」
「ああ、いえ。今参ります」

 不思議そうな星の声に応えて、ナズーリンは今度こそ部屋を出る。
 襖を閉めきる直前、ぬえがかすかに振り向くのが見えた気がした。



 深い闇の中、点々と火が灯された命蓮寺の外廊下を、四人は静かに歩いていく。一輪と村紗はピリピリとした空気を纏ったまま一言も口を利かず、星もまたその空気に飲まれたように不安げな顔で押し黙っている。もう口を利くのもうんざりだと思っているのはナズーリンだけらしかった。

(ああ、まったく馬鹿らしい。ご主人様がいなかったらさっさと逃げ出しているところだ)

 内心ぶつぶつ愚痴りつつも、口には出さない。どんな馬鹿げたつまらない仕事でも黙々とこなすのが己の役割であると、ナズーリンは自負していた。
 やがて四人は小さな部屋の前にたどり着いた。「どうぞ」と言う一輪の声に従って、中へと足を踏み入れる。
 箪笥と書棚、それに小さな机が置いてあるだけの、こじんまりとした部屋である。

「……ここは一輪様の私室でしたね。こんなところで何を?」
「正確にはここではないわ」
「は?」

 眉をひそめるナズーリンの前で、一輪は狭い部屋の奥へと向かう。そこにあった箪笥に両手をかけると、グッと横に移動させる。

「動いた……!」
「ナズーリン、階段が出てきましたよ!」

 驚くナズーリンと星の前で、一輪と村紗は別段何でもなさそうに地下への階段を下り始める。星とナズーリンも慌てて後に従った。
 階段は暗かったが、四人が一段一段と下へ下りるたび、ぽつぽつと両脇に明かりが灯っていく。無駄に行き届いた設備に、ナズーリンは驚きと呆れを隠せない。

「いつの間にこんなものを……まあ聖輦船の船長であれば不可能ではない、か……?」
「い、一体この下には何があるのでしょうか……!?」
「まあ、少なくとも真っ当な物ではないでしょうね」
「もしかしてストレス解消用に運動場があったり、サンドバッグが置いてあったりするんでしょうか」
「そんな物をわざわざ地下に隠す者はいないでしょう」

 星とナズーリンがひそひそと囁き合う間も、前を行く二人はただただ無言である。互いの間に流れる緊張感だけが際限なく高まっていくのを肌で感じる。普段のナズーリンなら君子危うきに近寄らず、と言って逃げ出しているところだ。

(本当に、一体何をするつもりなんだ……? さっきの口振りからして危険なことではないと思いたいが、しかし……)

 いっそ主を連れて退避すべきだろうかとも思うのだが、当の星がやる気になっている以上は引くに引けない。
 そうしてナズーリンが迷っている内に、四人はついに階段の終着点へとたどり着いてしまった。

「さあ、この扉の向こうよ」
「ここへ来るのも久しぶりね、一輪。地底から移転させた甲斐があったわ」
「そうね。今日こそは地べたに伏せさせてあげるわ、村紗」
「それはこちらの台詞よ。あなたは手を合わせて拝むことになるでしょうよ」
「ああナズーリン、聞きましたか? なんて好戦的な言葉でしょう。おそろしい」
「まあ確かに、おそろしいほど馬鹿げた状況だとは思いますがね」

 ぼやくナズーリンの前で、一輪が観音開きの扉を押し開く。広がっていく隙間から、地下とは思えぬ眩しい光が漏れだした。

(さあ、どんな下らないものが飛び出してくるのか)

 そう思いつつも、ナズーリンは念のため主を背に隠そうと前へ出る。主の方でも同じことをしようとしたため、間抜けな押し合いになってしまったが。

「ちょ、これは私の仕事ですよ……!」
「ナズーリンこそ隠れなさい……!」

 二人がお互い庇い合おうとムキになっている間に、とうとう扉が全開になった。飛び込んでくる眩しい光に、ナズーリンと星はそろって目を庇う。
 そうしてしばらく経っておそるおそる目を開けたとき、二人の前には想像を絶する光景が広がっていた。

「なんだこれは……!」
「仏像……!?」

 扉の向こうに広がっていたのは、お堂のような四角い部屋であった。その内部、中央の祭壇以外のほぼ全ての空間が、ぎっしりと仏像で埋め尽くされている。
 それだけでも十分に驚きだったが、それ以上に二人を仰天させたのはその仏像の造形であった。

「まさか、これは……」
「聖……!」
「ふふふ、その通りよ」

 呆然とした星の声に答えたのは、一輪の得意げな声であった。
 入道使いの尼僧は他の面々の前に歩み出ると、バッと両腕を広げて高らかに宣言する。

「これぞ私が地底に閉じこめられていた千年以上の間に作り上げた、自作の姐さん像コレクションよ!」

 ああ、やっぱり下らないことだった。
 ナズーリンは深い安堵と疲労とを同時に感じて、我知らず膝を突きそうになる。
 一方の星は興味深げに周囲の聖像を見て回り、興奮したように目を輝かせて振り返った。

「見て下さいナズーリン、どれもこれも素晴らしい出来映えですよ!」
「それよりもまず先に見るべきこと、言うべきことがあるでしょう」
「あ……そ、そうですね」

 ナズーリンの冷めた声に、星は気恥ずかしそうな顔で居住まいを正す。
 そしてコホンと咳払いをしたあと、手近な聖像を厳かに指し示した。

「たとえばこちらの聖像ですが、この柔らかな微笑は見る者すべてに安らぎを与え」
「誰が解説しろと言いましたか!?」
「えぇっ、違うんですか!?」
「ああ、もう……! 一輪様、ご説明いただけますね!?」

 ナズーリンが半ば怒鳴りつけるように言うと、一輪は肩を竦めて答えた。

「ご説明も何も、見ての通りよ。これらは私が地底に閉じこめられている間に、姐さんを想って作り上げた仏像の数々。もっとも、ご本人の美しさ崇高さには到底及ばないけれどね」
「いえいえ一輪、素晴らしい出来映えだと思いますよ。聖を想うあなたの心がよく現れていると私は」
「いいからもうご主人様は黙っていてください……」

 疲れ果てて言うナズーリンの前で、一輪が黙ったままの村紗を見やりながら得意げに言う。

「どう、村紗。星は私の仏像に感銘を覚えたようよ」
「なるほど、大したものだわ。だけど一輪。得意になるのはまだ早いんじゃないかしら」

 村紗は腕組みをして、見透かすように言う。

「あなた、わたしを地に伏せさせるための最新作を、まだ披露していないでしょう」
「まだあるんですか!?」

 悲鳴のようなナズーリンの声に、一輪はニヤリと笑った。

「さすが村紗。千年近く地底で苦楽を共にしてきた我が親友。どうやら全てお見通しのようね」
「できれば勘違いであってほしかったんですがね」
「そこまで分かっているなら話は早い。姐さんとの再会が近いと知って昂ぶりが鎮まらなくなったこの私が、地底を出る直前に心血と魂とを注ぎ込んで完成させた最高傑作! 今こそお披露目するとしましょう!」
「あの大事な時期にそんなことやってたんですかあなたは」

 ぼやくようなナズーリンの呟きもなんのその、一輪は静かに中央祭壇に歩み寄った。

(いよいよ来たか……)

 ナズーリンは小さく息を吐く。中央祭壇には、何やら布がかけられた巨大な物体が鎮座していたのだ。部屋に入った当初から、気になってはいたのだが。

「見ずに済むなら見ないで済ませたかった……!」
「いえいえナズーリン、せっかくですから拝見いたしましょう。仲間の努力を知るのは誠に尊く感慨無量でありますよ」
「ええ。いざ南無参と匙を投げたい気分ですね」

 半ば捨て鉢になったようなナズーリンを横目に、一輪は目を輝かせて布に手をかける。

「さあ、お披露目よ! 括目なさい!」

 叫びと共に布が引きずりおろされる。
 その向こうから現れたのは、予想通り巨大な聖白蓮の像であった。しかも驚くなかれ、この像ただ巨大なだけではない。背中からは百本とも二百本とも知れぬ無数の腕が生え、それぞれに何かしら武器を握っている。錫杖やら悔悟の棒やらはまだ理解できる。斧や日本刀もまあ許そう。だが角材やら鉄パイプやらバールのような物を握っている手まであるのは何の冗談なのか。冗談と言えば顔が三面あるのは何故なのだろう。どれも聖母のごとき優しい微笑みを浮かべているのがかえって不気味だ。

「……聞きたくないのですが一応聞きましょうか。一輪様、これは一体……?」
「ふふふ、これぞ私の崇敬の結晶……!」

 吠えるような声で、

「5/1スケール完全フル装備姐さん、千手観音阿修羅像仕様だァーッ!」

 駄目だこの尼僧、早くなんとかしないと。
 げんなりしすぎて声も出ないナズーリンである。そんな小鼠の前で、一輪は爛々と目を輝かせて胸を張っている。

「ご尊顔はもちろん、お手お御足お指の一本一本に至るまで完全フル可動。ただの仏像と思ってもらっては困るわ」
「ええ、そもそも仏像ですらありませんからね」

 あまりに悪趣味な像から目をそらして呟くナズーリンの横では、星が神妙な顔で頷きながら、

「そうですね……この現代風なアレンジ。これはいわゆる萌えフィギュアという類の芸術品ではないでしょうか」
「なぜそんなことをご存じなんですか、ご主人様?」
「ええ、実は外の世界にいた頃、買い物帰りにうっかり電車を乗り間違えてアキハバラという街に迷い込んでしまいまして。途方に暮れていたところを親切な方に助けて頂いたばかりか、その街の主要文化についてあれこれと教えて頂いたのです。洋風の民族衣装を着用しての記念撮影までして頂いて、いや全く現代にも御仏の教えは根付いていたのだなあと私感涙の涙を」
「OK分かったご主人様、その話は後でゆっくりいたしましょう」

 場合によっては結界破りも考えねばならぬ、とナズーリンは決意を新たにする。
 一方、どこをどう解釈したものか、一輪は胸を張ったままあくまで誇らしげであった。

「ふふふ。どう村紗、お二人は私の姐さん像の出来映えに圧倒されているみたいよ」
「ええそうですね、圧倒はされています」
「さあどうかしら村紗、あなたも潔く負けを認め、私の姐さん像の前にひれ伏すがいいわ!」

 堂々たる宣言に、何を言っているんだか、とナズーリンは呆れ返ってしまう。星のようなおとぼけさんならともかく、まともな感性をした者なら良くて苦笑悪くてドン引きというやつである。
 問題だったのは、一輪はもちろん村紗も大してまともな感性をしていなかったということだろうか。

「クッ……!」

 苦しげな呻きに嫌な予感を覚えて振り返ると、村紗が胸を押さえて床に膝を突いたところであった。

「村紗……!? どうしたのですか、しっかりしてください!」

 慌てて駆け寄る星に、村紗は気丈に笑いながら「大丈夫」と答える。しかしその息は荒く頬は上気しており、明らかに尋常な様子ではない。

「さすが我が友、雲居一輪……! 生涯最高の傑作を作り上げたようね……! あまりの神々しさに頭がおかしくなりそうだわ!」
「いや、全く同感ですね」
「ふふふ……この姐さん像の魅力を瞬時に理解するとは、さすが我が友、村紗水蜜だわ」

 一輪は姐さん像の隣で微笑みながら、「さあ!」と勝利を確信した者特有の、自信に満ちた叫び声を上げた。

「ついに千年に渡る長き戦いに決着の時が訪れようね! ひれ伏しなさい村紗水蜜、そして私の姐さんへの愛情が雲よりも雄大であることを認めるのよ!」
「落ち着いてください一輪、敬愛の念とは誰かと比べるものでは……!」
「なぜご主人様がまともな説得を続けようとするのか、私にはさっぱり分からないよ」

 ナズーリンの冷ややかな視線もなんのその、他の面々は三者三様に盛り上がっているらしい。
 息を荒げ顔を俯かせ、膝を突いた村紗。その頬を汗が垂れ落ち、ぽたぽたとお堂の床を濡らしていく。
 その様子を見た一輪は、ニヤリと唇の端をつり上げた。

「どうやら、ここまでのようね」
「クッ……わ、わたしは……!」

 そうして村紗は、ついに両手を床に突く。「ああっ」と星が悲痛な声を漏らし、どうでもいいからさっさと終われとナズーリンが念じた、その瞬間。
 セーラー服の胸元から、何か紙のようなひらりと床に落ちた。

「……! 聖……!」

 その紙を、村紗はぎゅっと握りしめる。そして先ほどまでの憔悴が嘘だったかのように、二本の足で敢然と立ち上がった。
 一輪が驚愕に目を見開く。

「ば、バカな……! この究極の姐さん像を前にして、まともに立てるはずが……!」
「一輪……あなたの千年の結晶、確かに見させてもらったわ。最高傑作だと、私も思う」

 村紗は静かに目を細め、まっすぐに一輪を見据える。

「でもね一輪、あなたは姐さんへの愛情を表現することに没頭するあまり、一番大切なことを忘れているわ」
「な……い、一体何だと言うの!?」
「ええ。私が教えてあげるわ、一輪」

 たじろぐ友に向かって、村紗は一歩、厳かに踏み出す。
 そして両手を思い切り振りかぶりながら、腹の底から絶叫した。

「これが答えだ! キャプテンムラサのォッ、ケツアンカァァァァァァァーッ!」
「って、ちょ……!」

 振りおろされた村紗の両手から、巨大な錨が一直線に飛ぶ。ナズーリンは星を庇うべくとっさに飛び出し、同じくとっさに飛び出した主と空中で正面衝突した。
 二人がべちゃりと地に落ちると同時に、轟音が部屋を揺らす。ナズーリンが鼻を押さえながら顔を上げると、中央祭壇にあったはずの姐さん像が木っ端微塵に吹き飛んでいた。

「ああ……これはひどい」
「ええ、割と最初から」

 悲痛な声を漏らす星の横で、ナズーリンは小さくため息。
 一方、親友の最高傑作を躊躇なく破壊した村紗は、倒れ伏す一輪を静かな目で見下ろしていた。

「うう……村紗、一体なぜ……」
「一輪……確かにあなたの情熱と敬愛は認めるわ。けれどね、あなたは一つ大きな過ちを犯していたのよ」
「それは一体……?」
「いい、一輪。どれだけ心血を注ごうとも、どれだけ魂を刻み込もうとも……!」

 村紗はカッと目を見開き、

「所詮、作り物は作り物! 本物の美しさには到底敵わないのよ!」
「今更そういうこと言っちゃうんですか」
「っ……わたしが間違っていたと言うの……!」
「そしてそれで納得するんですか……」

 もはや怒鳴る元気もないナズーリンの横では、星が何やら感動の涙を流しているところだった。

「ナズーリン、私はもう……!」
「ああはい。ご主人様が感動なさったんならそれでいいんじゃないでしょうか」

 投げやりに言ったあと、やれやれ、とナズーリンは一息吐く。
 何が何なのか未だに理解できないというかしたくないが、ともかくも終わったらしい。めでたしめでたしということにして、さっさと地上に帰りたいところだ。

「さあ皆さん、気が済んだのならもう戻りましょう。寺の業務は明日も」
「何言ってんの、ネズミ?」
「……はい?」

 気づけば村紗も一輪も立ち上がって、怪訝そうな顔でナズーリンを見ていた。
 また猛烈に嫌な予感を感じながら、ナズーリンはおそるおそる問いかける。

「いや、なにって……今のでお二人の勝負というのは終わったのでは?」
「……分かってないわね、ネズミ」

 一輪は大げさにため息を吐き、

「終わったのはわたしの番。次は村紗の番よ」
「さあご主人様、夜も遅いですからもう戻りましょう、ね?」
「いやしかしナズーリン、仲間の努力を見ないわけには」
「いいから早く……! ぐずぐずしていると何が出てくるか」
「さあ、わたしの部屋はこっちよ!」
「ああ、もう手遅れだ……!」

 頭をかきむしるナズーリンに、村紗が得意げに笑いかける。

「まあ見ていなさいネズミ。わたしの千年の結晶を見れば、あんたにも私の愛情の深さが理解できるはずよ」
「……そうですか。で、船長は何を作ったんです?」

 半ば観念してナズーリンが聞くと、村紗は誇らしげに答えた。

「最初は聖を想って織りあげた大漁旗に始まり、砂絵墨絵浮世絵と諸段階を踏んで究極の進化を遂げた、私の聖芸術の最先端……」

 パチッ、とチャーミングにウインクを決めて、

「そう、これぞ至高のアニメーション! 『魔法超女ひじり☆ナムサン』よ!」

 なにこの舟幽霊、こわい。



 かくして、長い長い戦いは終わりを告げた。今命蓮寺の廊下に立ち尽くすナズーリンの頭上に浮かぶのは、ただただ穏やかに明るい月ばかりである。

「……何とか帰ってこられましたね」
「ええ。巨大聖抱き枕が出てきたときは、私もうどうしようかと」

 傍らの星が感慨深げに頷く。村紗の絵画による愛情表現は、巡り巡ってそんな場所にたどり着いたらしい。巡り巡ってと言うよりはねじれねじれてと言った方が正しいかもしれないが。
 ともかく激しい戦いだった。今も目を閉じれば、一輪が呼び出した雲山の拳骨が抱き枕を叩き潰す光景が目に浮かぶようだ。

『所詮、本物の抱き心地には敵わないのよ! 多分!』
『っ……わたしが間違っていたと言うの……!』

 決着の瞬間の最後のやりとりまで浮かんでくる。どういう経緯でそんな会話に至ったかは推して知るべし、だ。

「大丈夫、村紗?」
「ええ……ふふ、あなたにはいつも助けられるわね」
「お互い様でしょう」

 労り合う声にちらりと振り向けば、例の隠し階段から肩を抱き合った一輪と村紗が姿を現したところだった。
 ちなみに地下の構造物は激しい戦いの末、ほぼ完全に崩壊した。後片付けのことを考えると頭が痛いが、まあ白蓮に見つかってしまうのに比べたらいくらかマシと言えるだろう。
 ともかく、この馬鹿騒ぎも終わりである。ナズーリンの背後では、一輪と村紗が肩を抱き合って互いの健闘を称えあっていた。

「結局、決着はつかなかったわね」
「いいじゃない。聖もお戻りになったことだし、これからもまた二人で聖の素晴らしさを確かめあっていきましょう!」
「ええ! よろしくね、村紗!」

 二人はそう言って、ぎゅっと手を握り合う。全く馬鹿らしい、とナズーリンはため息を吐くしかない。

(馬鹿らしくはあるが、まあ)

 ちらりと背後を振り返り、何やら肩を叩き合ってお互いの健闘を称え合っている二人を見やる。
 ナズーリンには理解できないが、二人ともやたらと清々しい顔つきだった。この千年の想いの結晶とやらが完全に壊れてしまったことについては、さほど気にしていないらしい。

(……本人たちが満足したのなら、まあいいか。いや、あくまで不和の種が解消されたという意味においてだが)

 ゴホン、と咳払いをしたとき、ナズーリンの目の前にひらりと何か、紙のような物が落ちてきた。
 なんだろうと思って拾い上げてみれば、それはクシャクシャになった写真であった。写っているのは座禅中の白蓮。おそらく、最近写したものだろう。

「……もしかして、あのとき船長の胸元から落ちてきたのはこの写真か……?」

 ちなみに、一輪が正気を取り戻して抱き枕を叩き潰した経緯も似たようなものである。

「なるほど、二人とも自分たちの作り物ではなく本物の聖の姿を見ることによって正気を取り戻したというわけですね」

 写真をのぞき込んだ星が、感心したように頷く。

「なんと深い愛情なのでしょう。私、心洗われました!」
「この写真が明らかに隠し撮りのアングルであることに何か言うことは……いやいいです、もういいです本当」

 これ以上妙なことになってはたまらないので、ナズーリンは自ら話を打ち切る。
 そうしてふと、星が何か期待するような顔でちらちらとこちらを見ているのに気がついた。

「なんですか、ご主人様」
「え……い、いえあの、少しですね、気になったことが……」
「はあ、なんでしょうか。ああ、地下の片付けでしたら後でやっておきますから……」
「いえ、そういうことではなくてですね」

 と、星はちょっと赤い顔で躊躇いがちに、

「……な、ナズーリンはああいった物を作ったりしていないんですか? 寅丸像やら寅丸抱き枕なんて……」
「私がそんな無駄なことをするとお考えですか」
「む、むだ!? そ、そこまで言わなくても……で、でしたらほら、私の写真ですとか……」
「所持する意味が分かりませんね」
「ナズーリン!」

 星は何やらムキになったような半泣きの表情で、

「あのですね、確かに今回の二人のやり方は行き過ぎていたと思いますが、私個人としては近しい人への感情を表現するのが間違いだとは」
「ほほう」
「そうですか、そうですか」
「はい?」

 途中で遮られた星がきょとんとした顔で振り返ると、そこには邪悪な笑みを浮かべた一輪と村紗の姿が。

「良かったわね村紗、星もこれから聖の素晴らしさを世に広めるのに協力してくださるみたいよ」
「ええ。私たちは心強い味方を得たようね」
「え……いやあの、私はそういったことが言いたいのではなくてですね」
「まあまあ遠慮せずに」
「まずは『魔法超女ひじり☆ナムサン』のOPテーマを脳に刻みつけるところから始めましょう」
「え、いやあのわたくし……」

 迫られてしどろもどろになった星を、一輪と村紗が両脇からがっちりと抱え込む。「ひぃっ」と悲鳴を発してずるずると引きずられながら、星は必死に助けを求めた。

「な、ナズーリン、助けてください!」
「……平時ならば私がいるから問題ないとは言え、アキハバラの件といいご主人様は少々うっかりが多すぎます」

 ナズーリンはにっこりと笑って、

「これを機に、ほんの少しでいいから慎まれますよう」
「ああ、そんな、ナズーリーン!」

 尾を引くような悲鳴を残して、星が何処かへと引きずられていく。何をされるのかさっぱり分からないが、まあ危険なことはあるまい。
 そうして一人取り残されて、ナズーリンはやれやれとため息を吐く。

「まったく。近しい人の像やら抱き枕やらなんか作るはずがないし、写真だって持つ必要がないじゃないか」

 小さく声を潜め、

「……どうせ、ずっと一緒にいるんだからね」

 呟いたあと、三人が去った方向とは逆に早足で歩き出す。
 冷たい夜風を浴びて、頬の熱さはすぐに分からなくなった。



 そうして元の部屋に戻ってきたとき、ナズーリンは意外なものを見つけた。
 さっき部屋を出ていったときと同じように、ぬえが膝を抱えて壁際に座り込んでいたのである。
 驚きのあまり黙ったまま見ていると、ぬえはより一層膝を抱え、

「なによ」
「……いや、別に。ただ意外だったものでね。寝ているかと思った」
「関係ないでしょ」
「そうだがね」

 不機嫌そうに唇を尖らせるぬえに、ナズーリンは何か不穏なものを感じた。
 やはり、様子が変だ。一輪と村紗が口論していたときから。
 本人の言う通り単に見飽きたとかうんざりしているとかなら、こんな風に不機嫌そうにはならないだろう。

(……いや、ただ不機嫌なだけではないか。どことなく落ち込んでいるようにも見える)

 しかしそれが何故なのか、ナズーリンにはよく分からない。ぬえも黙っているのをこれ幸いと、少し考えてみることにした。

(……彼女は基本的に口やかましく物見高い性格で、野次馬根性も旺盛だ。喧嘩があれば無責任にはやし立てるし、他愛もない悪戯を仕掛けて大喜びしていることもしょっちゅう。そんな彼女が、一輪様と船長の聖を巡る言い争いを聞いているときだけは、こんな風に複雑な表情を見せる)

 さらに彼女の素性に関して、地底では一輪や村紗とずっと一緒だった、とも聞いている。
 これらの情報から考える限り一番妥当な推測は、

(嫉妬、ということか? 一番の仲良しだと思っていた友達を知らない誰かに取られるようで面白くない、と)

 客観的に考えればこれで間違いないように思えたが、ナズーリンにはどうもその気持ちがよく分からない。
 分からないというよりは、実感できないとでも言おうか。

(嫉妬か。難しいな……そう、たとえば自分の身に置き換えて想像してみると……)

 あるとき突然、寅丸星の従者になりたいと言う半端者の妖怪が寺にやってくる。大した実力もないので自分は大いに反対したが、人のいい星は受け入れてしまう。予想通りその妖怪は大したことができなくて空回りばかりだが、ナズーリンと違って表情豊かで素直で可愛らしくて甘え上手だから寺の皆から大いに可愛がられ、星も星でその子を構ってばかりいる。食事中もつきっきりで世話をしてやり、その内風呂やら寝床やらも一緒にするとか言い出して、

(なるほど、これは面白くないな……!)

 ナズーリンは顔をしかめて不快な想像を打ち消した。
 今のぬえが大体こんな気持ちでいるとしたら、そもそも感情を隠すのが下手な彼女のこと、こんな顔になってしまうのも仕方がないというものだ。

「……なにその目、気持ち悪いんだけど」
「いや、君の気のせいだろう」

 ナズーリンは何気なく目をそらしながら、さてどうしたものかと考え始める。

(彼女本人の気持ちには特に興味はないが、不和の種は見過ごせないな。有事の際に突然背後から刺されるような事態を予防するためにも、周囲の状況はよく把握して随時改善を試みる必要がある)

 と、心の中で理屈をつけながら、ナズーリンはどう切り出したものかと考え始める。
 しかし、なかなかいい案が思い浮かばない。
 一体何をどう言えば、ぬえの気持ちを和らげることができるだろう。

(……単なる交渉事ならともかく……人を励ます、というのは……うん、難しいな……)

 正直自分には向かない役目だが、そうする必要があるなら是非ともやらねばならない。
 それに、寺の中がギスギスしていたら星だって悲しむだろう。
 それは良くない。とても良くない。

「あいつらさぁ」
「ん……」

 黙考中に突然声をかけられ、ナズーリンは驚いて隣を見る。
 ぬえはこちらを見ないまま、呟くように問いかけてきた。

「なに、やってた?」
「……まあ、なんだ。いろいろ見せられたよ。仏像とか絵とか」

 不意打ちめいた問いかけだったので抽象的な答えになったが、それでもぬえには大体理解できたらしい。
 皮肉っぽく、かすかに唇をつり上げて言う。

「やっぱりね。まだやってんだ、そういうこと」
「まだ……ああ、何百年も繰り返してきたとか言ってたね」
「まあね。ずっと見せられてきたのよ。ずっとね」

 そう言ったきり、ぬえはまた黙り込んでしまう。
 少々気まずいものを感じて頬を掻きつつも、ナズーリンは何気ない口調で問いかける。

「地下にいる間も、お二方はずっとああだったのかい」
「そう。毎度の如くお互いの作品とやらを見せ合って、どっちがより聖を敬愛してるかー、とか争いだしてさ」

 ぬえはふっと笑い、ため息混じりに語り出す。

「本当、突然なのよ。示し合わせてるわけでもないのに急に聖がどうとか言い出して、相手の方も戸惑うことなく普通に応じるわけ。で、こっちは横で置いてけぼり喰らうのよ。毎度毎度ね」
「なるほど、うんざりするわけだ」
「ええ、そりゃもううんざりよ」

 また皮肉っぽく笑い、

「だってさ。泣くんだよ、あいつら」

 一瞬何を言われたのか分からず、

「……なに?」
「だから。泣くの、あいつら。あんな風にお互い聖への愛情自慢したあとに、さ」
「それは……」
「いつもそうなのよ。ああやって、どっちがより聖のこと好きかって散々張り合って喚き合った後、不意に黙り込んじゃって。それから二人で抱き合ってしくしく泣くの。たまんないよね」

 ぬえは俯き、辛そうに顔を歪め、唇を噛む。

「……もっとたまんないのはさ。あいつら、わたしの前じゃそういう顔って絶対見せないの。気を遣ってるのよ。わたしがいないところで泣くの、いつも」

 そう言って、ぬえは少し皮肉っぽく笑う。

「分かる? 白蓮がどうとか、そういうのに関係ないわたしがいるところじゃ、悲しい顔もできないってわけ。口喧嘩見るの飽きた振りしてどっか行って、こっそり戻ってみると絶対泣いてるの。わたしの前ではなんでもなさそうな顔してるくせにさ」

 声が震え、ため息が落ちる。

「たまんないよね、本当。こっちはあいつらがなんでそんなに泣くのかも、どう言って慰めたらいいのかも分かんないのに」

 ナズーリンは、すぐに返事ができなかった。何せ、先ほどまで散々あの馬鹿騒ぎを見せられたあとだ。
 あれらの光景とぬえの話す過去の二人とが、どうしてもつながらない。

(いや……だが、考えてみれば当然のこと、か)

 白蓮の封印を解くことに成功した後はずっと平穏な時間が流れていたから、それ以前の辛い時間のことを半ば忘れてしまっていたのかもしれない。
 だが一輪と村紗は、地底に封印されていた頃からあの仏像やら絵やらを作り続けていたと言っていた。そのときと今とでは、明らかに状況が違う。
 あの頃、彼女らが敬愛して止まない聖白蓮は、遠い魔界に封印されていて一目姿を見ることすら叶わなかった。いつ封印が解けるのか、そもそも本当にそんな日が来るのかどうかも分からなかったのだ。
 そんな日々の中、彼女を想って像を作り絵を描くという行為に、どんな想いが込められているのか。

(……何故気づかなかった……! 私だって長い間、ご主人様の葛藤や後悔を間近で見てきたというのに!)

 あるいは、だからこそなのかもしれない。
 そういったことに想いを馳せれば、必然的にかつて経験した痛みを掘り起こし、向き合うことになってしまう。
 だからこそ、今日見た光景も一輪たちの行動も、単なる日常的な馬鹿騒ぎの一つとして流してしまいたかったのかもしれない、と。
 ナズーリン自身も当事者だから、無意識にそんなことをしてしまう可能性は否定できなかった。

「……君は」

 黙っているぬえに、問いかける。

「君は、我々の事情をどの程度知って……いや、聞かされていたんだ?」
「……大体は知ってたわよ。あいつらが話すの。聖白蓮っていうのがどれだけ素晴らしい人で、自分たちにどんなことをしてくれたのかって、それはもう嬉しそうにさ」

 そのときのことを思い出したのか、ぬえの口元に淡い微笑みが浮かぶ。
 しかしその笑みは、すぐに消えてしまった。

「だけどあいつら、その人が今そばにいないってことで自分たちがどのぐらい苦しくて辛いかっていうのだけは、どうしても話してくれなかった。あんなに長い間一緒にいたのに、一度だって」

 気落ちした声で言い、ぬえはまたぎゅっと膝を抱え込む。

「……わたしさ、ずっと思ってたんだ。もしもいつかその聖とかいう奴に会ったら、絶対一発ぶん殴ってやるんだって。わたしの友達を苦しめた分まで思いっきりぶん殴ってやって、自分がどれだけ酷いことしたんだか分からせてやるんだ、って」
「でも、君はそうはしなかったね」

 何もなかったわけではない。白蓮の封印を解こうと行動していたとき、ナズーリンたちは事情のよく分かっていなかったらしいぬえから、幾度となく妨害工作を受けたりもした。
 しかし、その後は特に問題は起きていない。ぬえは最終的に白蓮が許可したことによってあっさりと寺に受け入れられ、些細な悪戯程度はするものの大きな問題は起こさないまま、今に至っている。
 白蓮を殴るどころか、直接話をすることすらほとんどなかったように思う。
 今思えば、避けていたようにすら感じられる。

「それは、何故かな」
「そりゃそうでしょ。できないわよ、殴ったりなんか」
「どうして?」
「だってさ。笑うんだよ、あいつら」

 ぬえは目を細めて、どことなく悲しそうに、寂しそうに言う。

「笑うのよ。あの人のせいで、あんなにたくさん泣かされたのにさ……そんなこと全然知らないでにこにこ笑ってる聖を見て、馬鹿みたいに幸せそうにしてんの、あいつら。悲しかったことも苦しかったことも寂しかったことも、そんなの全然問題じゃないんだって言うみたいに」

 そう言い、ちらりとナズーリンを見て、

「今だって笑ってたでしょ、あいつら」
「ああ。お互いの聖愛を称え合ってたよ」
「馬鹿よね、本当」

 そう言いつつもぬえは少し嬉しそうに笑い、

「そんなあいつらの前じゃね。聖を殴るどころか……文句の一つだって、言えやしないわよ」

 そう言って、小さくため息を吐く。

「だけどわたし、本当は分かってたのかも。きっとそうなるだろうなって。考えてみれば当然よね。あいつらが、あんなに大好きな聖に文句なんか言うわけないもの」
「まあ、そうだろうね。それは全く想像できない」
「でしょ」

 ぬえはおかしそうに鼻を鳴らし、またため息。

「……だけど、実際にそういうところを見てたら、なんかね……空しくなっちゃって」
「空しい……何故だい?」
「なんか、思い知らされたっていうの? 結局、わたしはどうしようもないぐらいに部外者なんだなって。あいつらの苦しみにもあいつらの悲しみにも全く関係ない、ただの部外者。無関係な奴。そんな奴が怒ったり喚いたり、泣いたりさ……そんなの、馬鹿らしいわよ」

 ぬえは抱えていた膝を離し、だらしなく足を投げ出した。ぼんやりと力なく宙を見つめ、疲れたように呟く。

「……なんかもう、何をどうしたらいいのか分かんないのよね。一輪も村紗ももう何もなかったみたいにしてるしさ。なのにわたしなんかが怒るのも変だし、だからってあいつらみたいに納得して、馬鹿みたいににこにこしてるのも無理だし」
「友達想いなことだね」

 ナズーリンが素直な感想を言うと、ぬえは一瞬言葉を詰まらせ、かすかに頬を染めながら顔を背けた。

「……うっさいわね。別に、わたしは……あいつらが底抜けの馬鹿だから、横で見ててムカつくだけよ」

 吐き捨てるように言ったあと、ぬえはふと顔を俯かせた。何か、自分で言った言葉に自分で傷ついたような様子だった。

「……本当に、それだけなのよね。あんたたちと違って、ここにいる理由なんて一つもないし」
「そうだね。そもそも君の生活態度は穀潰しのそれだろう」
「……いっそもう出てった方がいいのかな。大体、こんなとこいたって何にもなんないし。どうせ部外者だし」
「まあそうだね。そもそも門徒ですらないからね、君は。出ていったところで困ることはないよ」

 ナズーリンが素っ気なく言うと、ぬえは不機嫌そうに睨んできた。

「嫌味ったらしい奴。なんでわたし、あんたなんかにこんな話したんだろ」
「君が勝手に話し始めたんだろう」
「ふん。悪うございましたね、興味もないのにつきあわせちゃって」
「聞き流しているから構わないよ。実際興味もないし、誰かに話すようなことでもない」
「……あっそ」

 何やら複雑そうな顔で、ぬえがまた黙り込む。
 ナズーリンはしばらくその横顔を見つめていたが、やがて静かに切り出した。

「ただね。もしも出ていくと言うのだったら」
「なによ。飯代ぐらいは置いてけ、とか言うの?」
「それもあるがね。それだけじゃない」
「じゃあ、なによ。はっきり言いなさいよね」

 うんざりしたように睨んでくるぬえに、ナズーリンは肩を竦めて言い返した。

「簡単なお願いだよ。どうせ出ていくんだったら、恨みつらみの類は全部吐き出して行ってくれ」

 ぬえは数秒ほども理解できない様子で瞬きしたあと、

「……は? 何言ってんの。意味分かんないんだけど」
「ただ合理的に判断しただけだよ」

 ナズーリンは素っ気なく言って、説明するように人差し指を立てる。

「そうやって腹にあれこれとため込んだまま出ていかれて、後々思い出したようにぶつけられても困る。何も言わずに出て行って、それきりきれいさっぱり忘れる、なんてことはできないだろう?」

 腕組みして皮肉っぽく笑い、

「なにせ、思った以上にうじうじした性格みたいだからね。君は」
「……そういうあんたは思った以上に嫌味な奴ね」
「否定はしないんだね」
「そりゃあ……だって」

 戸惑うように、躊躇うように俯くぬえに、ナズーリンは再度勧める。

「なら、今の内に全部精算しておいた方が双方楽でいいだろう。全部吐き出してすっきりして出て行きたまえ。どうせこれっきり縁を切るんだ、どんなこと言ったって何の問題もあるまい。私個人としては、君のうじうじした心情なんぞには全く関心がないし心底どうでもいいが」

 と、念を押すように言い置いてから、

「今後寺の運営に支障をきたすような問題には、何かしら手を打っておかなくてはいけないんでね」
「……どういうことよ?」

 よく分からない様子のぬえに、ナズーリンは肩を竦める。

「考えてもみろ。君が何も言わずに出て行ったら、一輪様や船長も少なからずショックを受けるだろう。失意のあまり遊覧船が博麗神社に突っ込んだりしたら困る」
「……あいつらが? ショック、って……」

 ぬえは気まずそうに目をそらし、

「……そうかな。別にわたしなんかが出てったってなんとも思わないんじゃない? 何の役にも立ってないし……」
「ほう。それは意外だな。君はずっとあの二人を見てきた上でそういう判断を下すわけだ。極めて特異な観察眼だね」
「うぐっ……」

 一瞬声を詰まらせた後、ぬえは無理矢理笑みを作って言ってきた。

「っていうかあんた、興味ない割に随分しつこいじゃない?」
「合理的な判断だと言ったろう。わたしは臆病なネズミなんでね。問題の火種は可能な限り取り除いておきたいんだ」

 言ったあと、ナズーリンは小さくため息を吐く。

「……ただでさえ、何やらかすか分かったもんじゃないお方がいらっしゃるんだから……」
「苦労してんのね……」
「放っておいてくれないか……」

 本気で気の毒そうな言葉に、ナズーリンは半分拗ねたようにそっぽを向く。
 ぬえはしばらくの間、そんなネズミをじっと見つめていたが、やがておかしそうに笑い、

「ねえ。死ぬほど回りくどいね、あんたって」
「……何か分かりにくいところでもあったかな。極めて単刀直入に言ったつもりだが」
「そういう意味じゃなくってさ。わざとやってんの、それ?」
「何のことだか分からないな。言いたいことははっきりと言いたまえよ」
「はっきりと、ね」

 ぬえはどこか自信なさそうに言ったあと、ため息混じりに立ち上がった。

「ま、分かったわ。……ちょっと、考えてみる」
「そうかい。面倒にならない程度に頼むよ」
「はいはい」

 呆れたように返事をして、廊下へ続く障子に手をかける。
 そうしながら、ふとナズーリンの方を振り返り、からかうように笑った。

「っていうかさ。あんたも、ちょっとは伝えた方がいいんじゃない?」
「なにを?」
「どうせ言ったことないんでしょ、『ご主人様だいちゅき!』とか」
「そんなことはかんがえたこともない」
「棒読み、棒読み」
「ぐっ……」

 声を詰まらせるナズーリンの前でケラケラと笑ったあと、不意に声を抑え、

「……ね。ありがとね」
「礼を言われるようなことはしていないがね」
「その通りだわ」

 気楽そうに言ったあと、ぬえは背を向けてぴらぴらと手を振る。

「じゃあね。おやすみ、陰険ネズミ」
「ああ。おやすみ、根暗妖怪」

 互いの嫌味にニヤリと笑って、二人はその場を後にした。



 そうして一晩明けた後、ぬえはげっそりとした気分で爽やかな朝の廊下を歩いていた。
 ナズーリンの有り難いアドバイスに従って、昨夜あれこれと考えてはみたのだが。

(……駄目だ。何を言ったらいいんだか、ぜんっぜん分かんない……)

 そもそも、何をどう言ってどういう結果を得たいというのだろう、自分は。
 誰も口に出さず問題にもしていないことを、部外者の自分がわざわざ掘り返して騒ぎ立てて、それでどうなるというのか。
 そんな疑問が、一晩中ぐるぐると頭の中を回っていたのである。

(……やっぱ、何も言わずに出ていこうかなー)

 結局それが一番いいのではないか、と思わずにはいられない。
 忘れることなど無理だし、黙って我慢するのも限界がある。そういうのにはあまり向いていない性格なのだ。我慢して生活していたら、いつか突然爆発して訳の分からない喚き方をしてしまいそうだ。
 今までだって、聖白蓮の穏和な微笑みを目にするたび、胸の奥から苛立ちが湧いてくるのを抑えきれずにいたぐらいなのだから。

(うん。やっぱり出ていく……のも問題あるんだろうなあ、きっと)

 昨日のナズーリンの言葉を思い出して、ため息を吐く。
 実際、一輪や村紗に何も言わずに出ていったら、きっと自分を心配して探したりするだろう。これは自分がそのぐらい気にかけられているのだとか、そういう思い上がりではない。
 そのぐらい心根の優しい二人だったからこそ、ひねくれ者を自認するぬえだって助けてやりたいとか考えるようになったのだから。

(でもだからって……やっぱり聖と話とか無理だし……あーもう、これじゃいつまで経っても……)

 そうして、頭をかきむしりたいような気分で角を曲がったとき、ぬえは向こうから来た誰かと正面からぶつかってしまった。

「ぐえっ」
「きゃっ」

 その、自然体でいながらやけに可愛らしい悲鳴に、ぬえは聞き覚えがある。
 全身が緊張に強張るのを自覚しながら、ぬえはおそるおそる顔を上げる。
 すると案の定、ちょっと驚いたような顔でこちらを見下ろしている白蓮と目が合った。

「まあ、封獣さん」

 白蓮はすぐにいつもの柔和な笑みを浮かべ、

「ごめんなさいね、痛くなかったかしら?」
「……別に」

 素っ気なく答え、目をそらす。
 やはり、この人の笑みを直視するのは耐え難かった。

「そう。良かった……?」

 白蓮の言葉は尻すぼみになった。目をそらしているからはっきりとは分からないが、何か不思議そうにこちらをのぞき込んでいるのが感じられた。

「……なに?」
「ああ、いえ。間違っていたら申し訳ないのだけど」

 と、白蓮は少し遠慮がちに前置きしたあと、

「……何か、悩み事があるのではないかしら?」
「……なんで」
「え?」

 何故ほとんど見ず知らずの自分の変化に気づくほど目ざといのに、あいつらには何も言ってやらないのか。
 胸のざわつきが大きくなった。

(ああ。やっぱだめだ。この人、無理)

 その一瞬で覚悟が決まった。全部ぶちまけてやろうという気持ちになった。
 意を決して顔を前に向け、今まで避けてきた聖白蓮と正面から向かい合う。
 そうして見上げてみると、白蓮という人が思った以上に大きく感じられた。

(……いや、わたしが小さい……? ええい、どっちでもいい、怯むな!)

 ぬえは二、三歩後ろに下がって距離を取ると、きょとんとしている白蓮に向かって堂々と指を突きつけた。

「聖白蓮! わたし、あんたにい」
「まあ!」

 と、突然白蓮が嬉しそうな声を上げて、手を合わせた。気勢を削がれ、ぬえはちょっと怯む。

「な、なによ!?」
「封獣さん、私の名前を覚えていてくださったのね。嬉しいわ」
「っ、そんなん当たり前でしょ!? どんだけ……!」

 自分と友人たちが、どれだけ彼女に振り回されてきたことか。
 しかし、この期に及んでもなお、ぬえはその言葉を吐き出すことができない。

(なんでよ……!)

 苛立つぬえの前で、白蓮は自分の胸に手を添えてにっこりと笑う。

「だって封獣さん、この寺に来てからずっと私を避けていたでしょう? 私、何かあなたに悪いことをしたのではないかと思ってずっと気になっていたのです」
「……気付いてたんだ」
「はい。あ、もしかして……」

 と、白蓮は真剣な顔つきになって、

「今何か悩んでいらしたのも、それが原因でしょうか。でしたら仰ってください。私に落ち度がありましたら、必ず改善してみせますから」
「……改善、って、いや……」

 直せるようなことだろうか。直すようなことなのだろうか。ぬえにはよく分からない。
 よく分からないが、これがまたとない好機なのは事実だ。
 ぬえは短く息を吸い、全身に力を込めた。

「……分かった。じゃあ、言うね」
「はい」

 白蓮も頷き、真剣な顔で姿勢を正す。
 ぬえはその顔をまっすぐに見つめ、口を開く。

「あのね」
「はい」
「……だから」
「はい」
「……その……」
「……はい」

 白蓮が少し怪訝そうな顔になる。それはそうだろうな、とぬえは内心ため息を吐いた。

(……やっぱり、駄目だ。言えない……)

 言いたいことは山ほどあるし、どう言ったら受け止めてもらえるのかも何となくは分かっている。
 だが、それを言葉にしようとするたび、頭をちらつくものがある。
 一輪と村紗の笑顔だ。あれだけ恋い焦がれていた白蓮にようやく再会できて、飛び上がらんばかりに喜んでいた二人の笑顔。
 それを想うと、どうしても、言葉が出ない。

(……この人はきっと、わたしみたいな見知らぬ奴の言葉だって真剣に受け止める。そしたらきっと悩む。この人が悩んだら、一輪と村紗がまた苦しい想いをする……)

 そう考えたら、やはり自分のような部外者に何かを言う資格があるとは思えなかった。
 胸が苦しくなり、ぬえは俯いて唇を噛む。
 だがそういった仕草は、白蓮には別の印象を与えたらしかった。

「……言葉が見つからないのなら、今無理に話す必要はないのよ」
「……え?」

 予想外の言葉に、ぬえは驚いて顔を上げる。
 白蓮は穏やかな微笑みを浮かべて、ゆっくりと語りかけてきた。

「焦らずじっくりと、時間をかけて言葉を探してもいいわ。私は、いつでも話を聞きますから」

 とても温かみのある声音だった。それを聞いているだけでも、あの二人があれほどこの人に惹かれた理由が少しは分かる。
 多分さっきの言葉は本音であり、真心なのだろう。
 実際、白蓮は自分が言葉を見つけるまで待ってくれるだろうし、聞いてくれと言えばいつでも真剣に耳を傾けてくれるはずだ。
 だがそのときぬえの脳裏を掠めたのは、弱々しく抱き合って泣きじゃくる二人の友達の姿で、

「うそつき」
「え?」

 白蓮が虚を突かれたように声を漏らす。
 ぬえはきっと顔を上げて、白蓮をにらみつけた。

「いつでも話聞くなんて、うそよ」

 驚く白蓮の顔が、ぼやけて見えなくなった。

「そんな風に口では優しいことばっかり言うくせに、いてほしいときにはいなくて……!」

 目の奥から熱いものがこみ上げてきて、堪えようもなく頬を流れ落ちていく。

「泣いてるときに慰めてもくれなかったくせに! 辛いときに抱きしめてもくれなかったくせに! 今更、そんな……都合のいいことばっかり言わないでよ……!」

 それ以上は全く言葉にならなかった。ただ溢れ出す涙に任せるまま、ぬえは声を殺して泣き続ける。

(あーあ。やっちゃった)

 そうして子供のように泣きじゃくりながらも、意識の片隅では奇妙なほど冷静に自分のことを観察していた。

(もっと、ちゃんと伝えるつもりだったのにさ)

 これではきっと伝わらない。いいところ、訳の分からない奴の訳の分からない戯れ言で終わりだ。
 だが、これでよかったのかもしれないとも思う。
 伝わらなければきっと、不要なことを掘り返して誰かを無駄に傷つけることもないだろうから。
 泣きながらそんな風に考えるぬえの前で、白蓮はしばらくの間無言だった。
 だがやがて、

「そうね」

 ぽつりと、呟くように言う。
 ぬえがしゃくりあげながら顔を上げると、白蓮もまた、かすかに目を潤ませてじっとこちらを見つめていた。

「そういうことも、あるかもしれないわ」
「……え」

 驚くぬえに、白蓮はにっこりと笑いかけた。細められた目尻で、小さな滴がかすかに光る。
 そして彼女は、ぬえに真っ直ぐ腕を伸ばし、言った。
 
「だからもういなくならないように、あなたが繋ぎとめてくれますか」

 その意味をすぐには図りかねて、ぬえは白蓮の顔と差し出された手との間で、しばしの間視線をさまよわせた。
 やがておそるおそる腕を伸ばし、

「……わたしでいいの?」

 躊躇いがちに問いかけると、白蓮は迷うこともなくこくりと頷く。
 だからぬえはほんの少しだけ安心して、その手をそっと握り返した。



「本当はね」

 二人で手をつないで廊下を歩いていると、不意に白蓮が呟くように言った。

「本当は、伝えたいことも聞きたいことも、たくさんあるの」
「……そうだったんだ」
「ええ。本当にたくさん。けれど……」

 白蓮は顔を俯かせ、握った手に少し力を込める。

「けれど、なんだか……ありがとうもごめんなさいも、相応しくない気がして。わたしにそんなことを言う資格があるのかどうかと……」

 震えるため息。

「でも、これではいけないのね。あなたのように、心配してくれる人も傷つけてしまう。ちゃんと、向き合わなくてはね」

 握った手からもかすかな震えが伝わってくる。
 それでようやく、ぬえにも分かった。
 この人もやっぱり、自分と同じで怖かったのだと。

「大丈夫よ」

 気付けば、励ますように笑っていた。

「そういうのも含めてさ。全部吐き出しちゃっても大丈夫だと思う。絶対絶対、悪いことにはなんないよ」
「そうかしら」
「そうだって。絶対」

 力強く断言しながら、ぬえはそっと目を閉じて、遠くない未来を想う。
 きっとそのときには、三人とも泣いてしまうだろう。声を上げて泣きながら、いつかのようにお互い強く抱きしめ合うのだろう。
 自分はやっぱり、それを横から見ていることしかできないだろうけど。
 それでも今までのように、たまらない気持ちになることはなさそうだ。

「あいつらのことずっと見てきたわたしが言うんから。だから絶対、大丈夫!」

 そう言って笑える自分のことが、ぬえにはほんの少しだけ誇らしかった。

「あーっ!?」
「ちょっとぬえ、あんた……!」

 不意に前の方から、恐れおののくような声が聞こえてきた。やっと来たか、と内心笑いながら、ぬえは前を向く。
 そこには、揃って驚愕の表情を浮かべた一輪と村紗が立っていた。

「ぬえ、あんた……!」
「ひ、聖と手を繋ぐだなんて! なんてうらやま、じゃない、不敬な……!」

 わなわなと震える二人の前で、ぬえはにやっと笑って白蓮の腕に絡みつく。

「べつにいいじゃん。わたしと聖は仲良しだもん。ねー、聖?」
「ふふ、そうね。仲良しさんね」
「ああそんな、姐さん……!」
「聖……!」
「でも私は、二人のことも大好きよ」
「おぅふっ」

 なんだか気色悪い叫び声をあげて、二人がヘナヘナとその場にへたりこむ。
 そうして体をくねらせつつ、締まりのない顔でにたにたと笑いながら、

「ああ、姐さん、なんてもったいないお言葉……」
「ああ、私もう……溶けてしまいますぅ……」
「……あんたらってたまに本気で気色悪いわよね……」

 相変わらずの二人に、ぬえはげんなりして言う。
 そのとき不意に、友人たちが何かに気づいたように、一転して真面目な顔で立ち上がった。
 すっと近寄ってきて、まじまじとぬえの顔を見つめる。

「ちょっと」
「ぬえ?」
「な、なに……?」

 急に真剣になった二人に、ぬえはつい一歩身を引いてしまう。
 一輪と村紗はさらに身を乗り出してぬえの顔を観察し、

「やっぱり」
「ぬえ。あんた泣いてたでしょ」

 予想だにしないことを言われて、ぬえは思わず白蓮の方を見る。
 白蓮は何も言わずに微笑んだ。

(え、でも涙は拭いたし……パッと見で分かるわけないと、思うんだけど)

 ぬえはおそるおそる、躊躇いがちに問いかける。

「……わ、分かるの、そういうの?」
「それはね」
「当たり前でしょ、そんなの」

 と、二人は揃って頷き、

「どれだけあんたと一緒にいると思ってんの」
「すぐ分かるわよ、そのぐらい」

 何でもなさそうにそう言った。
 ぬえは一瞬言葉もなく、すぐに俯いて、

「……あ、ああ。そう。そうよね、うん。長いつき合いだもんね……」
「当たり前でしょう。それで、どうしたの?」
「ネズミ辺りに嫌味でも言われた? あんた案外メンタル弱いもんねえ。この先気をつけなくっちゃ」

 もっともらしい顔で頷いている二人の前で、ぬえは唇がむずむずするのを感じた。
 一輪と村紗はまためざとくそれを見つけて、

「今度はなんかにやけてるし」
「どうしたのよ本当に」
「ううん。なんか、さ」

 ぬえはちょっとためらいながら、

「……わたしやっぱり、ここの子になろうかなーって」
「今更何言ってるのよ」
「おかしな奴ねえ」
「うん、本当。おかしいね」

 そう言って、ぬえは子供のように笑った。



「うう、仏像、仏像が……!」
「ご主人様、いい加減正気に戻ってくださいよ……」

 星の私室に座ったナズーリンは、傍らでうつ伏せに寝そべる主を見てため息を吐いていた。主はすっかり疲労困憊の体で、普段は隠している虎の耳と尻尾がすっかり露出してしまっている。
 そんな星が朝からずっとうなされているのは、昨晩ぶっ通しで一輪と村紗の特訓を受けた結果らしい。本人曰く、頭の中で「魔法超女ひじり☆ナムサン」のOPテーマが延々リピートしているのだそうだ。

「……般若心教の現代風ポップアレンジなんですよ……一度聞いたら耳から離れません……」
「いい呪いですね、それは」
「うう……アニメの方も一晩中見せられて……アニメ調の聖は大変可愛らしかったしストーリーもすばらしく練り込まれていて一喜一憂でありましたが」
「楽しかったなら何よりで」
「あ、ちなみにナズーリンは『わたしと契約して住職になってよ!』とかいうマスコットキャラの役でした」
「わたしも出されてたのか……というかなんですかその台詞、胡散臭すぎるでしょう……成績の悪い営業部員みたいな勧誘文句ですね」
「と、ともかく過酷な試練でありました。昔アキハバラを案内して下さった方がアニメの道は修羅の道と仰っていましたが、これは予想以上に……現代にもこれほどの苦行が受け継がれていたとは」
「いいから休んでいて下さい。正気に戻るまで」

 ナズーリンはため息を吐き、ふと窓の向こうを見やる。
 中庭を挟んだ向かい側の廊下を、聖たち四人が連れ立って歩いていくのが見える。皆一様に楽しそうで、随分と打ち解けた様子だった。
 中でも取り分け、ぬえと白蓮が手を繋いでいる光景に目を惹かれる。
 ナズーリンは小さく微笑んだ。

(どうやら、上手くいったようだな。よかった。ああいや、あくまでも問題が解消されて、という意味合いでだが)

 ともかくも、懸案事項が一つ減ったのはめでたいことだろう。
 そう思って軽く息を吐き、ナズーリンは歩いていく四人の姿を何気なく見送る。
 やはり、視線は繋がれた手と手に引き寄せられた。

(……どうも、気になるというか……昨日あれこれ言われたせいかな) 

 チラッと横を見ると、うつぶせで寝そべっている星がいる。
 垂れ下った尻尾と力の抜けた手が、ナズーリンの近くに伏していた。

(……別に、羨ましくなったとかそういうわけではないが)

 ごほんと小さく咳払いしつつ、興味なさげに窓の外に顔を向けたまま、ナズーリンは手探りで畳の上を探り始める。
 ぎゅっと尻尾を握られた星が「んみゃっ」と叫んで飛び上がった。

 <了>
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