スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

【東方SS】楽園が滅亡する日

2009/9/17に東方創想話に投稿したSSです。
 


『楽園が滅亡する日』



 その日、幻想郷が滅亡した。
 霊夢の夢の中で、だが。
 いわゆる夢オチというやつである。
 霊夢はこの一か月ほど、数え切れないほど同じ目覚め方を繰り返していた。

「……また夢か」

 布団から上半身だけを起こした状態で呟き、目を擦る。
 背中がぐっしょりと汗で湿っているのもいつも通りだ。

「今日のはまた一段とシュールだったわね。まさか巨大化したチルノのせいで幻想郷に氷河期が到来するとは」

 溜息を吐いて、布団から抜け出す。
 夢の中で幻想郷が崩壊する原因は、日によって千差万別であった。
 外の世界から危険なものが流れ込んできたのが原因になっていることもあれば、信仰を蔑ろにされた神々の怒りで自然が人妖に牙を剥いたこともある。実は自分たちが外の世界の人間たちの想像に過ぎなかった、というような設定的に小難しいパターンもあれば、人里の人間と妖怪との諍いが原因で戦争が起きたり、長年恨みを溜めこんでいた地底の妖怪たちが大挙して報復戦争を巻き起こしたこともある。幻想入りした神界の大物が原因で宗教戦争が起きたこともあって、そういった大きな争いが起きるパターンの最終局面では、必ず郷の創造神である龍神が降臨し、怒りの大雨で幻想郷を水没させるのだった。
 霊夢は夢を見ている間に「これは夢だな」と気付けないタイプなので、夢の中でそういった異変が起きるたび必死に奔走し、最後は自分の力及ばず故郷が崩壊していく様を何度も何度も見せつけられることになった。崩壊の光景も実に様々で、雑草一本生えぬ焼け野原だったこともあれば死体が山のように積み重なる地獄のような光景だったこともある。地が割れて大地が崩れ、最期は全てを雨が押し流すといういかにも世界崩壊的な有様だったこともあれば、表面的には何も起きていないのに人間や妖怪だけがバタバタと死んでいく、異様な光景を見せつけられることもあった。
 夢の中における友人たちとの関係も多種多様に変化した。力を合わせて最後まで抵抗することもあれば、誰かしらが敵になって立ち塞がったこともある。まさか、と思う者が敵に回っていることもあれば、いつかこんな日が来るような気がしていた、と思わせる者もいた。霊夢は相手が誰であろうと敵になった者は打ち倒し、彼女らの恨み事、あるいは後悔の言葉などを聞かされる羽目になった。
 どんなシチュエーションであろうと立場が変わらなかったのは、せいぜい二人ぐらいのものである。
 これらの夢は常にリアルな実感を伴って迫って来るため、いよいよ幻想郷が崩壊して夢が終わって跳ね起きても、すぐには状況が把握できないことが多かった。混乱と恐怖に包まれた心地のまま見慣れた母屋の居間兼寝室を見回して、地獄ってこんな感じだったっけ、などと、後々思い返すと笑いの種になることを考えたりもしたものである。
 そうして大量に汗を掻いている自分を無理に笑いながら、夢の内容を思い出して「もしかして、本当に」と恐怖を覚えたりするのだ。
 幸い、今日の夢は明らかにあり得ないシチュエーションに分類されるものだったため、いつもより格段に恐怖は薄いのだが。

「……なんなんだか」

 額の汗を拭いながら、霊夢は独りごちる。
 別段、異変やら精神攻撃やらの類ではないようだった。そういうのが原因になっていれば何かしら「これは異変だな」という感覚に囚われるのが常なのだが、特にそういった感じはしないからだ。
 何かしらの予兆や前触れなのではないかと不安になることもないではないが、相談して笑われるのも馬鹿らしいと思って、誰にも話していない。
 実際、危険なことは何もないのだろう。こういう風に夢見が悪く、同じ悪夢ばかり繰り返して見る時期というのが今までにも何回かあった。色のない景色の中を当てもなく飛んでいく夢だったり、突然飛べなくなって地面に叩きつけられる夢だったり、飢えに苛まれてひたすら食べ物を探す夢だったり。
 ただ、今回は格別気分が悪い悪夢ばかりで、しかも随分長期間に渡っているというだけの話だ。
 その内終わるだろうから我慢だ我慢、と、最近の霊夢はいつも自分に言い聞かせている。
 それでも、夜になると憂鬱な気分になるのを抑えることが出来ないのだが。

「起きよ」

 呟き、霊夢は立ち上がった。汗で湿った布団は後で洗うなり干すなりしなければいけないので、今はとりあえず放置しておくことにして、まず服を脱いだ後、布で汗を拭う。幾分か気持ち悪さが抜けたところで巫女装束に着替え、鏡を見ながら髪を束ねた。幸い寝癖はついていなかったので、髪に軽く櫛を通すに留める。
 そうして今一度鏡に向きなおると、そこにはいつもの自分がいた。
 別段、変わったところなど何もない、と、思う。
 本当に、いつも通りだ。

「いつも通りなんだから」

 自分に言い聞かせるように呟きながら、霊夢は一つ深呼吸して鏡の前から離れた。
 閉じきられた障子の前に立つ。薄紙を通して朝の日差しが差し込んできていた。雀が鳴き交わす声や、そよ風が梢を揺らす音もかすかに聞こえてくる。外はいい天気のようだった。これなら気持ちよく朝の掃除に励めるというものだ。
 そう思いつつも、霊夢はなかなか障子を引き開けることが出来なかった。木枠に手をかけたまま、ぴくりとも動けずにいる。

「怖い夢を見てこんなになるなんて。子供じゃないんだから」

 無理に自分を笑いながらもう一度深呼吸した拍子に、つい目を閉じてしまう。すると、瞼の裏の暗闇に焼け野原となった大地や折り重なった死体の山がふっと浮かんできて、背筋がぞわりと震えた。
 慌てて目を開き、また少し笑う。

「大丈夫。大丈夫だから」

 言い聞かせながら、今後こそ思いきって障子を引き開ける。
 その途端に眩い光に包まれ、霊夢は軽く目を細めた。いつも通りの光景が目に飛び込んでくる。
 縁側から続く小さな庭、静かに佇む鎮守の森、降り注ぐ日差しと穏やかな風。
 ただ一つだけ、違っているものがあった。

「……なんで、いるの」

 掠れた声が、唇の隙間から漏れる。
 こちらに背を向けて縁側に座っていた紫が振り返り、霊夢を見上げて薄らと微笑んだ。

「おはよう、霊夢」
「なんでいるのよ」

 少し怒りを含んだ声音で質問を繰り返すと、紫は前を向いて楽しげに答えた。

「なんとなくね。たまたま朝に目が覚めたから、散歩したい気分になったのよ」
「だったらどっか行きなさいよ。なんで勝手に座って、しかも人のお茶飲んでるの」

 紫の傍らに置かれた急須に湯呑、ついでに盆に盛られた煎餅を睨みながら言うと、紫はのんびりした声で答えた。

「いいじゃないの。減るものでもないし」
「減るっつーの」

 ぼやいてため息を漏らしながら、霊夢は紫の隣に腰かける。どうせ何を言っても退散などしないだろう。疲れることはしないに限る。

「はい、どうぞ」

 いつの間に注いだのか、紫がお茶の入った湯呑を差し出してきた。
 渋々と受け取りながら、霊夢はふと、ある種の不安に囚われた。

「紫」
「なにかしら」
「あの」

 口を開きかけて、閉じる。
 霊夢は小さく首を振った。

「ううん、なんでもない」
「あら、そう」

 紫は深くは追求して来ない。それ故に、霊夢は直感する。
 ああ、見られたな、と。あるいは、悟られたな、と。

(寝てる間にうなされてたりしたかな。まさか泣いたりとか、してないわよね)

 無論声に出して質問することもできず、ただ湯呑をぎゅっと握り締める。
 紫も静かにお茶を啜りながら何も言わないので、しばらくの間二人は無言で座ったまま、並んで庭を眺めていた。
 そうして、ふと、こうしていると夢の中を思い出すな、と霊夢は思った。
 近頃霊夢が見る夢は、結末としては幻想郷の滅亡で共通しているのだが、そこに至る過程は各々随分違っていた。
 だが、その中にあっても絶対に変わらなかったものがある。
 もっと正確に言うなら、絶対に変わらなかった者が二人だけいる。
 博麗霊夢と、八雲紫だ。
 二人とも、どんな状況だろうと幻想郷を救うために全力で駆け回り、どうにもならない絶望的な状況に打ちのめされて最期のときを迎えることになるのだ。

(いや、違うか)

 正確には、絶対に変わらないのは紫だけだった。
 霊夢自身はもちろん異変を解決しようと動きはするのだが、状況によっては「ああもう無理だな」と早々に諦めてしまって、この縁側に呆けたように座りこんで、茶を啜りながら死を待つこともあった。
 とりわけ、外の世界が原因となっていたり、自分たちが実は単なる想像上の存在に過ぎなくて、といった小難しい設定の場合は大概そうだ。
 そういう、結局は単なる人間に過ぎない自分の力など絶対に及ばないシチュエーションになると、抵抗することの無駄さ加減を割合あっさりと認めてしまうのである。
 無論、全ては夢の中の話だし、霊夢は「これは夢だ」と気付けないタイプの人間だ。夢の中の自分をコントロールすることも、「何かおかしいな」と考えることさえできない。
 だから、そういう風に諦めてしまうわたしはわたしじゃない、と意地を張ることも出来なくはない。
 しかし、霊夢はそんな風に考えるつもりはさらさらなかった。
 むしろ、わたしだったら確かにそうするだろうな、と頷かされる場合が多い。
 きっと自分は、状況によっては夢の中のように諦めてしまうだろう、と。
 下手をすれば、紫どころか魔理沙などよりも早く、抵抗することを止めてしまうかもしれない。
 よく言えば潔く、悪く言えば諦めが良すぎる。
 自分はそういう人間なのだと、この日々の中で気付かされていた。
 その点で言えば、紫は正反対だった。
 霊夢などよりも圧倒的に力が強くて頭がよく、それ故に誰よりも早く正確に状況を把握するはずの彼女。
 それなのに、霊夢は紫が早々に諦めてしまうというパターンの夢を一度も見たことがない。
 夢の中の紫は、いつだって必死に全力で、無様なほどボロボロになるまで駆けずり回る。
 誰を敵に回そうが、大妖怪としての威厳を完全に失ってしまおうが、最後の最後まで滅亡の回避というほんのわずかな希望にみっともないほど縋りついていた。
 そうして、本当の本当に万策尽きて、今にも幻想郷が消えてしまおうかというその瞬間になると、必ず霊夢がいるこの縁側に戻って来る。
 そして、霊夢の体を守るようにきつくきつく抱きしめ、子供のように泣きじゃくりながら何度何度も繰り返すのだ。
 ごめんなさい、ごめんなさい、と。
 もちろん夢の中の話であって、霊夢は今隣に座っている紫の泣き顔どころか、彼女が本気で焦ったり怖がったりしている顔すら、今まで一度も見たことがない。
 霊夢にとっての紫は、いつも憎たらしいほど取り澄まして笑っている、胡散臭いババァなのだ。
 だがそれでも、紫は本当に幻想郷が滅亡しそうになったら間違いなく夢の中のように行動するだろう、という確信もあった。
 たとえ紫の力すら及ばない状況だろうと、根本的にどうにもならないことが原因で郷が滅亡しそうになっていようとも、最後の最後まで、哀れなほどに滑稽なほどに、ほんのわずかな希望に縋って足掻き続ける。
 八雲紫というのはそういう女なのだと、やはりこの日々の中で気付かされていた。

「紫、さあ」

 ぽつりと呟くと、「なに」という穏やかな声が返って来る。
 だが何を喋っていいのか分からないまま、霊夢は首を振った。

「なんでもない」
「そう」

 紫は特に、深く追及してはこなかった。ただ静かな微笑みを浮かべたまま前を見て、茶を啜っているだけだ。
 柔らかな日差しを投げかける太陽は徐々に高度を上げ、幻想郷全体に朝を告げつつある。
 そろそろ境内に出て朝の掃除に取りかからねばならないのだが、霊夢はなかなか動きだすことが出来なかった。
 何事もなく、ただ紫と並んで座っているというこのありふれた状況。
 とても馬鹿らしいことなのだが、ここを離れたらこの光景が永遠に失われしまうような恐怖が胸の内にあって、どうしても立ち上がることが出来ない。

(ホント、馬鹿みたい)

 霊夢は小さく息を吐き、それからふと、

「ねえ、紫」
「なにかしら」
「肩、揉んであげようか」

 ブッ、と紫が茶を吹き出した。
 げほっ、げほっ、と何度かむせながら、目を丸くして霊夢を見る。

「どうしたの、急に」

 その声があんまり意外そうだったものだから、霊夢は急に恥ずかしくなってきた。
 そっぽを向いて、唇を尖らせる。

「別に、嫌ならいいけど」
「ああいえ、嫌じゃないわ、嫌なわけないじゃない、ええ、もちろん。あなたが思う通りに揉んでちょうだい、肩でも腕でも足でも胸でもハァハァ」
「やっぱ止めよっかな」
「あ、ごめんなさい、やっぱり揉んで、ええ、揉んで」
「揉んで揉んで連発すんな」

 文句を言いながらも、霊夢は縁側の床板の上に立ち上がり、紫の背後に回った。
 立ち膝になりながら、無言で紫の肩に手をかける。
 服の布地の向こうにある肌の柔らかさと確かな温もりとが手の平に伝わってきて、ああ、ちゃんとここにいるんだな、とか、妖怪と言ってもこの辺りは人間と変わらないんだな、というようなことが分かった。
 そうして手に力を込めたが、どのぐらいの力で揉めばいいのかよく分からなかった。
 何せ思いつきで始めた行動である。そもそも、人間相手にだって、肩揉みなど一度もしたことがない霊夢であった。

「こんな感じでいいの?」
「ええ。とてもいい具合よ」

 冗談めかして紫が言う。本当にそう思っているのか、こちらに気を使っているのかもよく分からなかったが、いい具合だという言葉を信じて、霊夢はその力のままで肩を揉み続けた。
 しばらく無言のままそうしていると、不意に紫がクスクスと笑った。

「なによ」
「ううん。こういうときって普通、『お客さん、凝ってますねえ』とかなんとか冗談でも言うものなんだけど」
「知らないわよ。お客さんってなによ。っていうか凝ってるの、これって」
「凝ってるはずないじゃない」

 紫は穏やかな声音で言う。

「サボリ屋さんだもの、わたし」
「そうかな」
「ん」
「なんでもない」

 そうして肩を揉み続けていて、霊夢は紫の肩が意外なほど細いことに改めて気付かされていた。
 いつも見ているはずで、そんなことなどとっくの昔に分かっているつもりだったのだが。
 この人がこんなにも細い体をしているだなんて、ちっとも知らなかった。
 もっと、大きな人だと思っていたのに。

「なにかしらね」

 不意に、紫が笑った。

「こうしていると、本当に孫でも出来たみたいね」
「あんた、自分で……せめて娘とか言いなさいよ」
「娘はもういるもの」
「藍のこと?」
「ええ。ああ、そうなると、橙と霊夢がお孫さんってことになるのかしら。似てない姉妹ですこと」
「勝手に人を妖怪一家に組み入れないでよ」
「ごめんなさいね」

 冗談めかして謝った後、紫は小さく息を吐く。

「でも、あなたたちのことを孫みたいに思っているのは本当よ」
「嘘臭い」
「そうね、嘘かも知れないわ」
「あっそ。あなたたちって、わたしと橙のこと?」
「あなたたち、みんなよ」
「みんなって。たとえば?」
「たとえばも何も。本当に、みんな。特にあなたぐらいの年の子とか、雰囲気がそのぐらいの年齢の子はね。みんな、孫みたいに思えるわ」
「ふうん」

 よく分からない感覚だな、と思いながらも、霊夢は例を挙げてみた。

「じゃ、魔理沙とかも?」
「口は悪いけど頑張り屋さんで可愛いわ。周りに迷惑かけ通しだけど、応援してあげたくなるわね」
「アリス」
「澄ましているけど、本当は世話焼きで優しい子よね。照れ屋さんだから、認めないと思うけど」
「チルノ」
「いつも元気で、見ていて和むわね。最近は橙とも遊んでくれてるみたいで嬉しいわ」
「妖夢とか」
「真面目すぎるのが玉に傷だけど、そこが可愛いわね。成長すれば立派な剣士になるでしょう」
「咲夜」
「どこに出しても恥ずかしくない、立派な娘さんだと思うわ。レミリアも幸せ者よね」
「んーと……天子」
「最初は腹が立ったけど、単に寂しがり屋の甘えん坊さん。優しくしてあげなきゃ駄目よ?」
「早苗は?」
「礼儀正しい子ね。ええ、ちょっと暴走しがちと言うか、奇抜なところはあるけれど」
「なによ、揃いも揃っていい評価ね」

 霊夢は少し笑った。

「どいつもこいつもしょうもない奴ばっかりだと思うけど」
「だからこそ、というのもあるわ。馬鹿な子ほど可愛いって言うじゃない」
「ふうん。そんなもんかな」
「特に霊夢が一番可愛いわ」
「このタイミングで言うなっての」

 ぼやきながら、霊夢は呆れて言う。

「そんなに孫とか好きなら、自分で本物作ればいいじゃない」
「あら大胆。お相手になって頂けるのかしら」
「わたしは女だって」
「それはそれで」
「変な方向に持っていかない」
「はいはい」

 笑ったあと、紫は何気ない口調のまま、

「でも、それは無理ね」
「当たり前でしょ、人間と妖怪、しかも女同士で」
「ああ、そういうことじゃなくてね」

 ごくごくあっさりと、

「子供とか作れないから、わたし」

 ぴたりと、霊夢の手が止まる。

「そうなの?」
「別に、意外なことじゃないでしょう」

 紫は可笑しそうに言った。

「わたしは吸血鬼やら天狗やらみたいに、何かしらの種族に属している存在ではないもの。かと言って、紅魔館の門番さんやルーミアのように、ある程度人に近い性質を持っているというわけでもないから。彼女たちだったら、たとえば人間との間に半人半妖の子供を宿せるかもしれないけれど。わたしは無理ね」
「どうして」
「わたしがどんな妖怪だかお忘れかしら」
「ムラサキババァ」
「泣くわよ」
「鬱陶しい」

 言って、少し躊躇ったあと、霊夢は答えた。

「確か、境界に潜む妖怪、とか」
「そう。隙間妖怪、とも言うわね」
「それがどうかしたの?」
「妖怪は精神に存在基盤を置く生き物だというのはご存じよね」
「うん」
「だから、アイデンティティーというのが人間以上に重要になってくるのよ。たとえば吸血鬼であれば血を吸うし、天狗であれば翼で空を飛ぶわね。逆に言えば、血を吸わない吸血鬼はもはや吸血鬼ではないし、飛ばない天狗は天狗ではないということになるわ」
「でも、幻想郷の妖怪はもう人を食べないじゃない」
「ええ、そうね」

 紫は苦笑した。

「わたしたちは、外の世界から忘れられた存在だもの。つまり本来課せられた役割を奪われたということでもあってね。だから、ある程度はそういうアイデンティティーが揺らいでいるのよ。それでも、里の人間が『妖怪や神様のような幻想の存在は、当たり前にいる』と思ってくれるこの郷であれば、消えたりはしないのだけれど」
「いい加減なのね」
「ええ、良い加減にいい加減。だからこそ、こうしてこの郷が平穏に保たれているという一面もあるわ」

 紫はくすりと笑う。

「たとえば、山の上の神様もそうね。彼女は土着神の頂点で、本質的には祟り神。ある程度その本質が揺らいでいる今の状況でもなければ、もっと怖くて恐ろしい神様として振舞っているはずよ。信仰を薄れさせていた幻想郷の人間に怒って、神罰を下していたかもしれないわね」

 夢でもそういうシチュエーションに遭遇したことがあったな、と霊夢は思った。幻想郷の人間に神罰を下すべく動き出した洩矢諏訪子に戦いを挑み、成す術もなく敗退した夢である。さすがに全力を出した神様は強すぎて、夢の中で恐怖した記憶がある。
 もっともそんな諏訪子ですら、「郷の平和を乱した」として龍神の怒りに触れ、最後は押し寄せる水によって自分の眷族ごと押し流されて消え失せてしまった、というのがその夢の結末だったのだが。

「話を戻すけれど」

 紫の声で、霊夢は現実に引き戻される。

「そういうわけだから当然、私こと八雲紫という妖怪にもアイデンティティーがあるわ」
「ババァであること?」
「泣くわよ」
「鬱陶しい」
「まあ冗談は置いておくとして、わたしのアイデンティティーはね」

 少し声を落として、

「何でもないこと、よ」

 吹き抜ける風に鼓膜が震えた。
 霊夢はすぐには返事が出来なかった。驚いたり愕然としたわけではなく、単に意味が分からなかったからだ。
 そんな霊夢に気付いているのかいないのか、紫は淡々と続ける。

「何にも属さないこと、どこにもいないこと。あるいは、どこにでもいて、どこにもいないこと」
「よく分かんない」
「境界に潜む、というのはそういうことなのよ。境界というのは何かと何かの間にあって、なおかつどちらにも属していない空間のことだから」
「どちらにも属している、だとわたしは思ってたんだけど」
「それも間違いではないけれどね。でも、わたしが身を置く境界というのは、どちらにも属していない場所のことを言うの。だからわたしも、この世の中で何にも属していないのよ」

 紫は軽く笑う。

「誰よりも妖怪らしい妖怪であるとわたしを評する人もいるけれど、実際は大間違い。便宜上妖怪の賢者と名乗ってはいるけれど、正確に言えばわたしは人でもなければ妖怪でもなく、もちろん神や妖精の類でもない。存在しているのか存在していないのかも定かではなく、いつから存在しているのかいつまで存在しているのか、それすらも曖昧。そういう、何にも属していないという概念自体がわたしの本質なのよ。だからこそ隙間を抜けてどこにでも現れるし、幻想が否定されているために妖怪が力を発揮できず、かつて絶大な力を誇った神ですらも消え失せようとしている外の世界に自由に出入りし、さしたる束縛を受けずに行動することができる。わたしが純粋な妖怪であったなら、絶対に叶わないこと。つまりわたしは物質的な存在ではないけれど、幻想的な存在ですらないということなのよ」

 コト、と音を立てながら、紫が湯呑を置いた。

「だからね、霊夢。本当のことを言えば、わたしは生き物ですらないのかもしれない。人間どころか他の物だって、本当なら食べる必要はないのかもしれないわ」
「でも今お茶だって飲んでたじゃない」
「ええ、わたし自身がそうしたいと願っているからね。別にそうしなくてもいいけれど、そうしたいの」
「どうして」
「みんなの仲間に入れてほしいからよ」

 寂しそうな声音。

「ずっと昔からね、憧れてきたの。不可能なことと分かってはいても、わたしは何かになりたかった。親もなく子も作れず、何にも属せないまま、ただ一人きりで孤独に生きていかなければならないと、そう思っていたから。わたしのような存在でもいられる場所、いることが許される場所を、是非とも作ってみたかった」
「だから」
「ええ。だからわたしは、幻想郷を守っているの。未来永劫、守り抜いていくの。外の世界の人間に存在を否定され、『お前はもう要らないから消えろ』と無情に放逐された幻想たちが、安心して生きていけるこの郷を。生きることを許された、この郷を。この郷が存在すれば、わたしもここにいられる気がするから」

 紫は小さく苦笑した。

「とても自分勝手な理由でしょう? だけど、これがわたしの嘘偽りなき本心。たとえ世界に否定されようと、客観的に見て間違っていようと、誰の目から見ても偽善的に映ろうと、迷いなくこの郷を守ると断言できる理由なのよ」

 そこで、話は終わりらしかった。紫はふっと息を吐き出し、それからちらっと肩越しに振り返って、照れくさそうな微笑みを見せた。

「出来れば、内緒にして頂けるかしら。今の話、あまり人にはしたことないから」
「そうなんだ」
「ええ、そう。藍や幽々子……それに、遠い昔に死んでしまった友達ぐらいのものかしら。だから出来れば、ね」
「別に、いいけど」

 ただ少し、気にはなった。
 何故そんな重大な秘密を、今自分に話してくれたのか、と。
 しかもあんな、何気ない茶飲み話のように。

(ああ、ひょっとして)

 わたしの夢のことを察したのかな、と思う。
 もちろん、紫が能力か何かで夢の中身を覗き見たのだとは思わないけれど。
 飄々としていて無遠慮なように見えて、その実他人との境界を侵すような真似はしない人だから。

「でも、本当にねえ」

 ふと、紫が嬉しそうに呟いた。

「最近は、あなたたちとも随分話すようになって。いろいろと、楽しみが増えたわね」
「楽しみって?」
「それこそ、孫を見守る祖母の気分かしら」

 穏やかに語りかけるような口調で、紫が言う。

「あなたたち若者は、それこそ瞬きする間にどんどん変わっていくもの。少しだけ寂しいけれど、それ以上にその成長を見るのが楽しくもあるのよ」
「そんなもんかしら」
「そんなものよ。あなたもきっと変わっていくのでしょうね、霊夢。あなたが大人になって、今よりもずっと美人さんになる頃には、スペルカードルールのおかげで人妖の距離が縮まっているはず。そしたら幻想郷全体がもっと和やかになって、神社に参拝に来る人も増えているはずだわ。そしたらあなた、きっと郷の男の人たちの間でも評判になって、嫌になるほど求婚されると思う。そうしてその中の一人と結ばれて、子供を産んで、その子供に巫女の仕事を受け継がせて、自分は引退して毎日お茶なんか啜って。そうしている内に今度は孫が産まれて、顔が皺くちゃになるぐらいに年を取って。そうして、人生を通じて知り合ったたくさんの友達に囲まれながら、穏やかに息を引き取るというわけよ」
「ご丁寧に最期まで想像してもらっておいてなんだけど、ずいぶんありきたりな人生ね」
「ありきたりな人生が、一番幸せだと思わない?」
「否定はしないけどね」

 小さくため息を吐き、霊夢はふと、幻想郷の空を見上げる。
 空はとても晴れていて、おかしなことなど何も起こっていないように思える。
 しかし霊夢は、最近続く悪夢のせいで、この穏やかな郷がとても危うい場所であることを思い知らされていた。
 夢は夢であるけれども、しかし絶対に起こり得ない非現実的なものはほとんどなかったのだ。
 誰かがちょっと気まぐれを起こすだけで。
 誰かと誰かがほんの少しすれ違ってしまうだけで。
 ボタンの掛け違いのような些細な事象が原因となって。
 あるいは、とうの昔にそうなることが決定づけられていた、動かしようのない運命の下に。
 実にあっさりと、この郷の平和は崩れてしまうのだと、嫌というほど思い知らされた。
 それこそ、この郷がずっと続いていく未来よりも、近い内に滅亡してしまう未来の方が容易く想像できるぐらいだ。
 この郷の滅亡など、むしろ陳腐なほどにありふれた現象なのではないかと。
 そう思うと、何か、たまらなくなったりもする。
 紫は今、霊夢の未来を語ったはずだ。前へと向かって続いている道の話を。
 だが、そんな未来は本当にあり得るのだろうか?
 自分は、自分たちは、明るい未来に向かって歩んでいけるのか?
 未来へ、前へと向かって続いているその道は、すぐ先の闇の中で途切れてしまっているのではないかと。
 そんな想像ばかりが心に浮かび、

「紫」

 霊夢は、紫の細い肩をぎゅっと握り締めた。

「なに」
「お願いが、あるんだけど」
「あらあら」

 庭の方を見たまま、紫が悪戯っぽく笑う。

「急に肩なんか揉んでくれると思ったら。何か、おねだりするつもりだったのね」
「そういうわけじゃないけど」
「いいのよ。さ、何でも言ってごらんなさい。お婆ちゃんが叶えて差しあげますわ」

 冗談めかして言う紫に、霊夢は声を落として言う。

「じゃあね、紫。約束して」
「ええ」
「このまま、前だけ見てて。絶対に振り返らないでね」
「え」

 紫が驚きの声を発すると同時に、霊夢は彼女の背中に顔を埋めた。
 そのまま、声も漏らさず静かに泣き始める。
 紫のことだから黙って泣かせてくれるだろうと思っていたのに、彼女は即座に体の向きを変えると、こちらを向いて真正面から霊夢を抱きしめた。
 柔らかい胸の温もりに息苦しさすら感じながら、霊夢は小さく抗議する。

「うそつき」
「あら、どうして?」
「前だけ見ててって言ったのに。約束破った」
「破ってないわ」

 紫は霊夢を見ながらそう言うと、さっきよりも強く強く、彼女の体を抱きしめた。柔らかな手の平で、霊夢の背中をそっと撫でてくれる。
 ちょっと泣いたら離れようと思っていたのに、泣けば泣くほど胸が痛くなってくるようで、なかなか離れられない。
 そんな霊夢を、紫はただ黙ったまま、何も言わずに抱きしめ続ける。
 そうしてしばらく泣いた後、霊夢はようやく紫の胸を離れた。
 鼻を啜り上げながら、言う。

「ありがと」
「どういたしまして」

 紫は微笑みつつも、ちょっと心配そうに言った。

「落ち着いたかしら」
「うん、大丈夫」

 さすがに気恥ずかしくなって、霊夢はちょっと目をそらす。

「馬鹿らしいこと考えてただけだから。あんな弱気なの、わたしらしくもない。もう平気」
「そう」

 紫は少し考える素振りを見せた後、おもむろに目を閉じた。
 少し時間を置いて瞼を開き、また微笑みながら霊夢を見る。

「ねえ、霊夢」
「なに?」
「今、藍に指令を出したから、準備して頂けるかしら」

 霊夢はよく話が飲み込めずに首を傾げた。

「準備って。なんの?」
「それはもちろん」

 紫はにっこり笑って、

「今夜この神社で開かれる、盛大な宴の準備よ」



 いつもながら紫様は唐突すぎる、などと愚痴りつつも、藍は真面目に仕事をこなした。
 それこそ、霊夢の知り合い連中全員に、今夜の宴のことを伝えて回ったのである。
 その日は不思議といつもよりも格段に出席率が良く、宵闇の中で篝火が焚かれた神社の境内は、人と妖怪と神様と妖精とで一杯になった。出不精のパチュリーや彼岸の四季映姫、天界の比那名居天子に永江衣玖など、普段の宴会ではあまり見かけないメンバーも顔を出し、常にない盛り上がりを見せたものである。
 アリスが新作の人形劇を披露したかと思えば、魔理沙が夜の空に弾幕の華を咲かせ、他の皆も対抗するように空に舞い上がっては、花火のように華麗な弾幕で、地上の者たちを楽しませる。
 鈴仙に咲夜に妖夢にミスティア等、常日頃から料理に腕を振るっている者たちは皆こぞって自分の得意料理を持ち寄り、レミリアに萃香に勇儀に文などは、秘蔵の酒を引っ張り出して来て皆と一緒に飲み比べを始めた。
 プリズムリバー三姉妹が奏でる様々な音楽に合わせて、歌い出す者たちも現れる。夜雀のミスティアはもちろん、リグルも虫達に命じて他では類を見ない歌を響かせ、勇儀も盃を傾けながら月を見上げて意外なほどの美声を披露してみせた。
 衣玖に促され、励まされた天子が顔を真っ赤にして琴を持ち出すと、幽々子がその音に合わせて優雅に舞う。妖夢も頬を染めながら剣舞を舞い、それが終わると出し物大会と勘違いしたらしきチルノが皆の前に進み出て、境内の真ん中に巨大な氷像を出現させたりもした。モデルが美化されたチルノ本人だったことが皆の笑いを誘ったものである。
 そうした中で、常日頃は見せない芸を披露する者たちも現れる。八意永琳が遥か遠くの的に矢を命中させたかと思うと、もっと遠距離から銃で狙撃した鈴仙が褒められるどころかこっぴどく叱られて涙目になった。レミリアの命令で前に出た美鈴が曲芸で場を湧かせる隣では、酒樽で作った即席の舞台の上で地底のアイドルたるヤマメが踊りに踊って歓声と口笛とを浴び、とばっちりで引っ張り込まれたキスメとパルスィが顔を真っ赤にしながら調子はずれの歌を歌ったりもする。
 この夜初めての、珍しい組み合わせを見かけたりもした。アリスの人形劇を大妖精が食い入るように見つめ、パチュリーとさとりが何やら小難しい会話を交わす。小町と燐が、死体や霊に関する互いのスタンスの噛み合わなさに半分キレかけながら激論を交わしている横では、映姫と妹紅が生と死に関して静かに語り合ったりしている。咲夜の手品を見て飽きずに歓声を上げる空の隣で、レミリアと諏訪子と穣子がおっぱいやら尻やら太ももやら、果ては子作りにまで及ぶ赤裸々すぎるセクハラトークを展開。そんな下品な会話を気にして「貞淑な日本女性のやることじゃないわ」と赤い顔で呟きつつ、神奈子が輝夜やてゐと昔話を語り合ったりもしていた。
 たまたまなのか狙ったものか、レミリアは紅魔館の妖精メイド、輝夜は永遠亭の妖怪兎の一部を引きつれてきていた。彼らは皆それぞれ手に手に様々な楽器を持っており、くるくるとリズムよく回る鍵山雛を指揮者のようにして、不思議なほどに調和した旋律を生み出していた。そこにプリズムリバー三姉妹も加わり、宴はいよいよ最高潮を迎えんとする。
 そんな宴の中にあって、霊夢と紫はほとんど動かず、並んで拝殿の階段に腰掛けていた。ほとんどお互い密着するような具合で、誰かが誘いに来ても、その場に座ったままでいたのである。

「なんだあ、お前ら」

 顔を赤くした魔理沙がやってきて、酒臭い息を漏らしながら首を傾げた。

「今日はやけにべったりしてるじゃないか。いつもなら霊夢が『鬱陶しい』って言って離れるのに」
「別に」
「ええ、そうなのよ」

 言い訳しようとする霊夢の声を遮って、紫が嬉しそうに言う。

「実は、罰ゲームの最中でね」
「罰ゲーム?」
「そう。今日の昼間、弾幕ごっこでわたしが勝ったからね。今夜のこの宴で、わたしが霊夢を独り占めできることになっているの。こんな風に」

 言いながら、紫は霊夢をぎゅっと抱きしめる。頬ずりまでしてきたので、さすがに顔が熱くなった。
 魔理沙はそれを見て不満げに唇を尖らせ、

「ケッ、仲のいいこった」
「あら、羨ましいならあなたもやっていいのよ?」
「冗談じゃないぜ、んなことしたらババァ臭が移っちまうよ。おいアリス、なんかつまみ寄越せ、つまみ」

 憎まれ口を叩きながら、魔理沙が宴会の中に戻っていく。その輪を見つめて、霊夢は目を細めた。隣では紫も同じようにしている。
 別段、そうしてくれるように頼んだわけではなかった。
 だがそれでも紫は霊夢の隣にいたし、霊夢も離れることはない。

「楽しいわねえ」
「うん」

 時折、そんな短い会話を交わしたりもした。

「あれー?」

 その内チルノがやって来て、紫と霊夢を見つめて首を傾げた。

「二人とも、どうしてそんなにくっついてるの?」
「罰ゲームよ、罰ゲーム」

 紫が楽しげに、先ほどの説明を繰り返す。
 しかしチルノは納得いかない様子で眉をひそめ、

「でもさあ」

 と、二人の間を指差して、

「霊夢も紫の袖のところつかんでるじゃん。なんで?」

 言われて、霊夢は顔を伏せた。頬が熱くなってくる。他の者には見えないように、こっそりとやっていたつもりだったのだ。抱きついているわけでもなければ、腕を組んでいたわけでもない。ただちょっとだけ、紫の袖を指でつまんでいただけだ。
 チルノはこういう風に、時折鋭いことを言うから困る。

「それも罰ゲームの一環なの。わたしが頼んでいるのよ。できれば抱きついてほしいのだけれど、霊夢ったら凄く嫌がるものだから」

 紫が笑いながらそう言う。どうやら、当の本人にはとっくにばれていたものらしい。
 その言葉を聞いたチルノが、ちょっと考えてからパッと顔を輝かせた。

「んじゃ、あたいがやってあげる!」

 明るく言いながら、体当たりするように紫の腰にしがみつく。
 その途端、

「あーっ!」

 と声が響き、顔を赤らめた橙が威嚇するように飛び込んできた。

「こらぁ、チルノー! なに気安く紫さまに抱きついてんのよーっ!」
「うっさいなあ、紫がいいって言ったんだもん!」
「ほ、本当ですか紫様!?」
「まあ、言ったようなものかしら」
「ほれ見ろーっ!」
「むむむぅ……!」

 橙が歯をむき出し毛を逆立てて唸る。紫が小さく苦笑した。

「そんなに怖い顔しないで、橙もこっちにいらっしゃいな」
「えっ」

 ポンポンと膝を叩く紫に、橙が顔を赤くして首を振った。

「だ、ダメですよそんな、恐れ多い!」
「あら、あなたも少しずつ式神としての自覚を学んでいるようね。お利口さんだわ」

 紫は軽く微笑みながら、

「でもいいのよ。今日は無礼講ということで。さ、遠慮せずにいらっしゃいな」
「そ、それじゃあ……」

 橙が恐る恐る近づいてきて、猫の姿に変化した後紫の膝の上で丸くなった。酔っ払っていたためか、すぐに寝息を立て始める。チルノはチルノで紫にぎゅっと抱きついたまま、何が楽しいのか無闇やたらに笑っている。
 そうして、拝殿の前にちょっと人が増えたところで、

「あれ~?」

 蕩けるような声音を漏らしながら、真っ赤な顔して笑みを浮かべた早苗がフラフラとこちらにやって来た。ひどく酔っ払っているらしく、普段はビシッと決まっている巫女装束が、だらしなくはだけられている。
 早苗はそんな状態でとろんと目尻を垂れさせながら、霊夢たちを見てにっこりと笑った。

「皆さん、何をなさっているんですかー?」
「罰ゲームなのよ」

 と、紫が律儀に嘘を吐く。
 それを聞いた早苗が、「そうなんですかー」と蕩けるような声で言い、ゆらゆらと歩み寄って来た。

「じゃ、わたしもやりますね」
「なんで!?」

 驚く霊夢に構わず、早苗はもたれかかるように抱きついてきた。
 そのまま、すうすうと寝息を立て始める。

「橙と同レベルかい。誰よこいつに酒飲ませた奴」
「わたしだ」
「お前か」

 やって来たのは魔理沙である。誰が持ってきたものやら、ビールの入ったジョッキを片手に赤ら顔で目を細め、

「しかしよう霊夢、親友であるわたしを除け者にしようたあ随分冷たいじゃないか、ええ?」
「いや、誰も除け者にしてないし」
「いいからオラ、こっち来い。愛するお前をババァなんぞに独占されてたまるかってんだ」
「さり気なく爆弾発言かまさなかった今?」
「いいから来いってんだよ巫女様コノヤローめ!」
「野郎じゃないっての」

 ぶつぶつ言いながらも、霊夢は早苗に抱きつかれたまま、魔理沙に境内の中央まで引きずり出される。当然のように、紫も橙を膝に乗せてチルノを腰にくっつけたままついてきた。

「うっし、そんじゃ今からお前の隣はわたしのもんだ」

 勝手に言いながら、魔理沙が紫と霊夢の間に割って入る。その弾みでつかんでいた紫の袖を離してしまい、「ちょっと」と、霊夢は抗議の声を上げかけた。

「あん、なんだ?」
「いや、別になんでもないけど」

 隣で微笑む魔理沙に、霊夢は素っ気なく答える。魔法使いの隣では、割りこまれた隙間妖怪が「あらあら」と笑っていた。
 そんな光景を面白がって、周囲にいた連中も次々に集まって来た。
 レミリアが霊夢の膝に飛び込んできたかと思えば、その隣に咲夜が音もなく現れる。いつの間にやら魔理沙の背後に回り込んだこいしが目の前の首っ玉にしがみつき、「早苗、早苗」と肩を揺すった神奈子が逆に抱きつかれたりした。藍が紫から橙を託されて胸元に抱くと、それを羨ましがったらしい燐が同じく猫の姿になってさとりにしがみついた。その頭上には鴉の姿になった空が陣取っていたりする。
 そんなことをやっている内に、人はどんどん増える。永琳に寄り添われた輝夜に無理矢理腕を組まれた妹紅が怒鳴り声を上げると、「ならこれでバランスがいいだろう」とばかりに慧音が赤い顔で反対側の腕を取る。そんな慧音の手を阿求が握れば、その反対側の手はメディスンが握り、彼女の背後には幽香が微笑みと共に佇んでいる。
 そんな風に、いつの間にやら霊夢らの周りでみんなが抱き合ったり手を繋いだりと、やけに密着し合っていた。
 なんだかんだで女性ばかりであるから、格別おかしいことではないし、気色悪いということもないのだが。

「……なに、このノリ」
「あら、酔っ払いなんてこんなものじゃない。悪ノリすればおならで合唱始めたりするかもしれないわ」
「いやあ、さすがにそれはないでしょう」
「それじゃ、わたしの場所はここね」

 そう言った紫が、さり気なく霊夢の背後に立って、肩に手を置いてきた。
 柔らかい温もりが服の布地越しに伝わってきて、霊夢は自然と口を噤む。
 少しだけ、頬が熱い。

「はーい、それじゃ撮りますよー」
「って、なんで!?」

 いつの間にやらそんな流れになっていたらしく、集まった全員の前方で文がカメラを構えていた。

「はい、それじゃあ皆さん笑ってー」
「ちょっと」
「撮りまーす」

 霊夢の抗議の声も聞かず、文はシャッターを切る。
 カメラから顔を上げて、にっこりと笑った。

「はい、上手く撮れました! 欲しい人は言ってくだされば焼き増ししますんでー」
「いよっしゃーっ!」
「よくできましたー!」
「お疲れチャーン!」

 文の呼びかけに答えるように、またバラバラになった皆がやたらとテンション高くハイタッチを交わしていた。
 元気な連中だなあ、と、霊夢も苦笑するしかない。
 ちらりと肩越しに後ろを見ると、紫がそんな光景を眺めながら穏やかに微笑んでいた。



 その夜も、霊夢はやはり夢を見た。
 なんだかよく分からないが物凄く強くて巨大でやっかいな怪物が幻想郷に現れて、手当たり次第に破壊活動を始める夢である。
 霊夢はこれも異変だと判断して紫と共に博麗神社から出発し、怪物を目指して飛び始める。
 すると何故か、道すがら魔理沙やアリス、レミリアと咲夜に幽々子や妖夢、早苗にチルノに美鈴に萃香など、見知ったメンバーが次々と合流して、怪物のところへたどり着く頃には知り合い連中のほぼ全員が揃っていた。
 揃った皆は力を合わせて怪物に攻撃を加え、苦難の末にこれを打ち倒した。
 プリズムリバー三姉妹が奏でる勇壮な音楽を背景に、朝日に向かって勝鬨の声を上げ、さあこれから宴会だと叫んで意気揚々と博麗神社に帰還する。
 そうして彼らはいつまでも幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたし。
 ……という筋書きの、実に陳腐でありきたりな夢であった。



 障子越しに差し込む朝日と、かすかに聞こえる雀の声とで目を覚ました。
 久しぶりにあまり寝汗を掻いていない、割と爽やかな目覚めである。
 それでも何故か暑苦しい。起き上がろうとしたら、やけに体が重いことに気がついた。
 薄目を開いてみたら、魔理沙と早苗にレミリアなどが、揃って霊夢に抱きつきながら寝息を立てていた。これでは重いはずである。
 彼女らを適当に引き剥がして起き上がり、周囲を見回す。すると、なぜかやたらと広くなった博麗神社母屋の居間で、昨日宴会にいたメンバー全員がひしめき合って眠っていた。布団もなにもない完全な雑魚寝で、中には何故か服を脱いで全裸になっている者や、抱き合って眠っている者も散見される。余計なお世話かもしれないが、映姫や慧音などはこんなところで眠っていて仕事の方は大丈夫なのだろうか。
 そんな光景を呆れながら見回していると、

「あら、起きたのね」

 と、部屋の入口から咲夜が顔を出した。さすが完全で瀟洒なメイド、このメンバーの中で唯一、昨日の大宴会の名残を引きずっていないようだ。

「台所、勝手に使わせてもらっているわよ。なにせ洗い物が多いから」
「うん、まあ、別にいいけど。部屋広げたのあんた?」
「ええ、わたしの能力でね。帰るとき戻しておくから、安心してちょうだい」

 咲夜はそれだけ言って洗い物に戻る。
 あまり記憶が定かではないが、どうやら昨日、あれからこの母屋になだれ込んでの二次会が始まったようだ。いつもならばそんなことはないので、全員余程テンションが高かったらしい。
 それだけ騒いだ割に、建物や中の物が大して壊れていないのは凄いことだ。

「……なんだかな」

 周囲でグースカ寝ている連中を見ながら、霊夢は苦笑する。
 まるで、さっきの夢の続きのような光景だ。
 だからこそ、ああいう状況になったら確かにあんな風になるのかもしれない、と信じたりもする。
 気分良くそんなことを考えたとき、霊夢はふと、寝ている連中の中に紫が見えないことに気がついた。
 どこに行ったんだろう、と首を傾げて、すぐに行く先を思いつく。
 寝ている連中を踏まないように気をつけつつ、特に躊躇いもなく障子を引き開ける。
 すると案の定、縁側に紫が腰かけて、手元の何かを見つめていた

「おはよ」
「あら、おはよう」

 挨拶を交わして障子を後ろ手に閉めながら、霊夢は紫の隣に腰掛ける。

「何見てるの?」
「昨日の写真。見る?」

 もう現像が終わったのか、と少し驚きながら、霊夢は頷いて写真を受け取る。
 見慣れた博麗神社の拝殿を背景に、みんなが揃っている写真だ。正確には文がいないが、撮影者なのだから仕方がない。
 ある意味では非常に幻想郷らしく、全員が全員赤ら顔で笑っている。寝ている者の口元にすら笑みが浮かんでいるほどだ。
 そんな中で中央の霊夢だけが、驚いたような、微妙に納得がいかないような、それでいてどこか居心地よさそうな顔で唇を尖らせていた。頬が少し赤くなっているのは、酒のせいではないだろう。
 その霊夢の背後には、紫が静かに佇んでいる。巫女の肩に手を置いて、真っ直ぐに前を見つめながら、穏やかに、力強く微笑んでいた。

「いい写真ね」
「ええ」

 短く言葉を交わし、霊夢は紫に写真を返す。
 時刻はまだ夜明けを少し過ぎた頃で、太陽は顔を見せたばかりという様子だった。
 もう少しすれば中の皆が起き出すだろう。そしたら全員追い散らして、さっさと朝の掃除を始めなければならない。いつもと変わりない一日の始まりである。

「ねえ、霊夢」
「なに」

 振り向くと、紫が微笑みながら問いかけてきた。

「元気?」
「うん、まあね」

 別段何ということもなく普通に答えて、霊夢は軽く伸びをする。
 今夜はよく眠れそうだな、と思った。



 <了>
関連記事
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿


非公開コメント

文字を大きく・小さく
    ジャンル(+クリックで展開)
    登場キャラ(■クリックで展開)
    プロフィール

    aho

    Author:aho
    ―――――――――――――
    東方創想話
    イコレート(ゲーム製作)
    pixiv
    SS速報VIPにて活動中
    ―――――――――――――
    pixivID:63347
    twitter
    ―――――――――――――
    SS速報VIPトリップ:
    aho◆Ye3lmuJlrA

    ―――――――――――――
    誤字脱字カテゴリ分類間違い等
    見つけて下さった方はweb拍手、
    コメント、メールフォーム等で
    ご連絡頂けると幸いです

    最新記事
    月別アーカイブ

    2037年 02月 【1件】
    2015年 08月 【1件】
    2015年 03月 【5件】
    2015年 02月 【3件】
    2014年 06月 【1件】
    2014年 02月 【2件】
    2014年 01月 【4件】
    2013年 12月 【4件】
    2013年 10月 【2件】
    2013年 08月 【1件】
    2012年 09月 【5件】
    2012年 02月 【2件】
    2011年 09月 【2件】
    2011年 03月 【3件】
    2011年 02月 【1件】
    2010年 12月 【28件】
    2010年 10月 【3件】
    2010年 09月 【7件】
    2010年 08月 【4件】
    2010年 07月 【5件】
    2010年 06月 【2件】
    2010年 05月 【2件】
    2010年 04月 【3件】
    2010年 03月 【2件】
    2010年 02月 【3件】
    2010年 01月 【1件】
    2009年 12月 【2件】
    2009年 11月 【2件】
    2009年 10月 【1件】
    2009年 09月 【5件】
    2009年 08月 【1件】
    2009年 07月 【4件】
    2009年 06月 【3件】
    2009年 05月 【1件】
    2009年 03月 【4件】
    2009年 02月 【1件】
    2009年 01月 【2件】
    2008年 12月 【4件】
    2008年 11月 【4件】
    2008年 10月 【4件】
    2008年 09月 【2件】

    最新コメント
    最新トラックバック
    カウンター
    メールフォーム

    名前:
    メール:
    件名:
    本文:

    検索フォーム
    リンク
    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。