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【東方SS】遊ぼうぜ、霊夢! (二)

東方創想話に投稿したSSの第二回目です。
(各話リンク 1/2/3/4/5/6
 

 
 立ち話もなんだから、とか何とか無理矢理理由をつけて、魔理沙はアリスと共に彼女の家の中に上がり込んだ。
 アリスは最初こそそんな魔理沙を見て嬉しそうにしていたが、テーブルに向かい合って座り、魔理沙が平行世界間を移動しているという事情を聞くにつれて少しずつ表情を暗くしていった。

「……では、貴女は私の知る魔理沙ではないのね」
「ああ。別の世界の霧雨魔理沙ってところだ」
「そう……」

 アリスが、落胆した様子で肩を落とす。
 魔理沙は気まずい気分になりながら、アリスが淹れてくれた紅茶を一口啜る。
 いつもの紅茶とは味が違っていて、少し驚いた。

(なんつーか……優しい味だな)

 紅茶にはあまり詳しくないから上手く表現できないが、そんな風に感じる。

「あ……ごめんなさいね」

 魔理沙の様子を見て、アリスがちょっと慌てたように謝った。

「わたしが勝手に勘違いしただけで、あなたのせいじゃないのに、がっかりしたみたいに」
「ああいや、別に……さすがに平行世界の同一人物だなんて分かんないだろ、普通は」
「……そうね。ありがとう、気遣ってくれて」

 そう言って、アリスは柔らかく微笑みかけてくれる。
 その表情を見て、魔理沙は背中にむずがゆさを感じた。

(なんか、こいつ……いや、このひと……わたしの知ってるアリスと違うな……)

 魔理沙の知るアリスに比べて、物腰が柔らかく、女性的だ。
 無論、元々可愛らしい外見ではあったし、家事万能でもあった。
 だが同時に、優秀な魔法使いにして研究者、芸術家でもあり、その上幻想の空を飛ぶ弾幕少女のご多分に漏れず、気の強さも合わせ持っていた。
 何事もテキパキと効率良くこなすタイプであり、いかにもデキる女という感じの雰囲気が少々鼻につくこともあったほど。
 特に魔理沙とは同じ魔法使いでありながら思想が食い違う部分も多く、顔を合わせればちょっとした口喧嘩になったものだ。
 もちろんそれは軽口の応酬程度であって、本気で憎しみ合っていたわけではない。
 お互いの家に泊まりに行ったりもしていたし、魔理沙としてはご近所さんとしてそこそこ良好に付き合っていたつもりではある。
 だが、そんな間柄の魔理沙ですら、アリスのこれほど優しい表情は見たことがなかった。

「紅茶のお味はいかがかしら」
「ん……うん、うまいよ」
「そう、良かった。今人形にお茶菓子も用意させているから、もう少し待っていてね」

 そう言って、アリスはにこやかに笑う。
 それはもう優しさだとか労わりだとかに満ち溢れた笑顔で、わたしの知ってるアリスは絶対こんな風には笑わない、と断言できるほど。
 だからと言って、別に嫌悪感とか気持ち悪さとかを感じるわけでもなく。

(なんていうか……困る、な)

 魔理沙は椅子に座ったままモゾモゾ体を動かす。
 嫌な気分ではないが、少々居心地が悪い。
 深く穏やかな眼で見つめられると、気張ったりとか意地を張ったりとか、そういうことができなくなるような。

(ちょっと、母さんに似てる、かも……)

 そう考えると、無意味に顔が熱くなってきた。

「あら? どうしたの、なんだか顔が赤いみたい」
「は!? ハハハハ、何言ってるんだ気のせいだぜ……あちっ!」

 誤魔化すために紅茶を一気に飲み過ぎて、思い切り舌を火傷する。
 そしたら「魔理沙!」とアリスが慌てて駆け寄ってきて、

「大丈夫? ごめんなさいね、少し熱すぎたかしら」
「いやいや大丈夫、大丈夫だからそんな構わないでくれ……!」

 ヒィヒィやりながらそう言うと、アリスは一瞬、ほんの少しだけ傷ついたような表情を覗かせた。
 が、すぐにまた元の穏やかな微笑を浮かべて、

「そう。でも、何か言いたいことがあったら遠慮せずに言ってちょうだいね?」
「う、うん……」

 だったらそのむずがゆくなる表情をやめてくれ、と言いたいところだったが、そうしたらまた傷つけてしまいそうで、言えない。

(何て言うか……このアリスは、苦手だ)

 やっと舌が冷えてきて、深くため息を吐く。
 どうも、自分はこういう相手とは相性が悪いらしい。
 今まで周りにこんなタイプがいなかったので、気づかなかったが。

「どうしたの、ため息なんて……何か」
「いやいや、大丈夫。本当、そんな気遣ってくれなくていいから」

 これ以上この手の心温まる会話を続けるのは勘弁願いたい。
 魔理沙は冗談混じりに話題を変えた。

「ところで、この世界のわたしはどんな風に死んだんだ? キノコにでも当たったのかな、ハハハハ……」

 それは、今の魔理沙にとってはほとんど世間話のような質問だった。
 実際、今まで移動してきた世界では、こう問いかければ霊夢が興味なさげな様子で何かしら答えをくれたものだから。
 しかし魔理沙は、今目の前にいるのが霊夢ではないことをすっかり失念していた。

「え……」

 魔理沙の言葉を聞くなり、アリスは非常な衝撃を受けたように目を見開いた。
 なんだ、と思う間に見る見る顔が青ざめ、ふらっと一歩後ずさる。

「アリス……?」
「そんな……昨日までは確かに生きてたのに……!」

 口元を手で覆って信じ難いように呻いたあと、すぐにハッとした様子で駆け出そうとする。
 その段になって、魔理沙はようやく自分が勘違いをしていたことに気付いた。
 慌てて立ち上がり、今まさに外に飛び出しかけているアリスを止める。

「お、おい、落ち着けって!」
「は、離して、魔理沙が、魔理沙が……!」
「いや、大丈夫、多分死んでないから! わたしの勘違いだから!」
「……え?」

 幸い、このアリスにも魔理沙がよく知る冷静な部分は残っていたようだ。
 青ざめた顔のままだが、何とか立ち止まってくれた。

「どういうこと……?」
「ああ……もうちょっと詳しく説明するべきだったな、すまん。とりあえず座ってくれ」

 そうして二人でテーブルに戻ると、魔理沙はさっき話していなかった部分……すなわち、今まで訪れた平行世界の霧雨魔理沙が、全員何らかの原因で死んでいたということを説明した。

「……だから、てっきりこの世界のわたしも死んでて、そのわたしが生き返ったからお前があんなに喜んだのかと思ったんだが」
「そう……そういうことだったの。ごめんなさいね、勘違いしちゃって」
「いや、今のはどう考えてもわたしの説明不足だ。すまん」

 お互い謝り合っているやり取りに、何とも言えない違和感を覚える。
 元の世界での魔理沙とアリスはお互いいがみ合うことが多く、軽い口喧嘩の後でも折れた方が負けとばかりに絶対自分からは謝るものかと意地を張り合っていたものなのだが。

(アリス自身が変わった……のも確かにあるんだろうが、そもそもわたしとアリスの関係が変わってる、感じがするな)

 そして、関係が変わった原因が何かということは、今までの流れからすれば考えずとも分かる。

「……この世界のわたしの話なんだが」

 見るからに気落ちしているアリスにはちょっと聞きづらかったが、話さないわけにもいかない。

「もしかして、何か危険な状態なのか? 病気で死にかけてる、とか……」
「……そうね。病気と言えば、病気かもしれないわ」

 そう言うアリスは気遣わしげな表情で、いかにも慎重に言葉を選んでいるという感じだった。
 魔理沙は嫌な予感を覚える。

「今、あの子は……」
「ちょっと待ってくれるか」
「え? ええ……」

 不意に話を遮られた形だが、アリスは特に不快な様子ではなかった。ただ不思議そうにしている。
 一方魔理沙はアリスに手の平を見せたまま、考えたくもないことを考え始めた。

(……病気と言えば、病気、ね……)

 これが一般的な意味での難病とかであれば、こんな言い回しはしないだろう。
 つまり、普通に見れば病気とは言い難いけれども、広義では病気と言えなくもない、と。
 それらと、平行世界巡りを開始する前の自分の精神状態を合わせて考えると、導き出される答えはただ一つ。

「……もしかして、それは心の病的なアレか?」

 魔理沙がおそるおそるそう言うと、アリスはどうして分かったの、と言いたげに驚きの表情を見せる。

「やっぱりそうか……!」

 魔理沙は頭を抱えたくなった。
 ポケットの中にあるあの球が自分をどこに導いたのかが、ようやく分かったのだ。

(わたしが死んだ世界の次は、わたしが挫折した世界かよ……! よりにもよって!)

 それはある意味、今の魔理沙にとっては突発的な死などよりも余程現実味のある未来像。
 死んでいない自分は相当上手くいっているパターンのようだから、生き続けていればもしかしたら……などと淡い希望を抱いていたところに、これだ。

(この球の製作者、やっぱりロクでもないゲス野郎に違いないぜ……!)

 まだ見ぬ球の製作者に怒りを燃やしていると、アリスが心配そうに言った。

「魔理沙、大丈夫……?」
「ああ……すまん、大丈夫だ」

 魔理沙は咳払いをして、一旦球のことを頭から追い出した。

「ともかく、詳しく話を聞かせてくれるか」

 あまり聞きたくないのが本音だが、聞かないわけにもいかないだろう。
 こちらの苦悶を読み取ったらしく、アリスは悲しげな表情で語り始めた。

「もう、何カ月も前のことになるわ。あの子が、急に家から出てこなくなったの。それまでは頻繁にここや神社に来ていたから、気になって……」

 それで様子見のつもりでマリサ(これ以降は便宜上、この世界の霧雨魔理沙のことをカタカナで表記する)の家に行ってみたら、昼だと言うのに彼女が二階のベッドに倒れ込んでいたらしい。
 もちろん死んではいなかったのだが、どこか具合でも悪いのかと聞いてもロクに返事をしない。
 ただ呻くように自分はもうダメだ、放っておいてくれ、と自暴自棄な言葉を繰り返すばかりだったと言う。

「……そんな風になった直接の原因に、心当たりはあるか?」
「分からないわ……それが分かったら、もっとちゃんと励ましてあげられるかもしれないのだけど」

 アリスも最初こそ、また実験に失敗したとかで拗ねているのだろう、と楽観視していた。
 だが、マリサのそんな状態が数日間も続くに至って、ようやくそれが異常事態であることに気が付いた。

「本当は、最初に気付くべきだったわ……あの子がわたしにあんなところを見せたのなんて、あれが初めてだったのだから」
「それはまあ……そうだろうな」

 霊夢ほどではないものの、アリスだって魔理沙にとっては弱味を見せたくない相手の一人だ。
 それを無防備に曝け出したということは、もうすっかり心が折れてしまっていると考えて間違いないだろう。

(しかし、そうなると……)

 魔理沙は改めて、アリスの物憂げな顔を見つめる。
 マリサがそんな状態になったのは数ヶ月前のことで、今もそれが続いているという。
 だが、そんな状態の人間が誰の助けもなしに数カ月もそのまま生き延びられるとは到底思えない。

「なあ、アリス。もしかしてお前、この数ヶ月間この世界のわたしの世話してやってんのか」
「……ええ。だけど……」

 アリスはとても申し訳なさそうな顔で俯き、

「世話と言っても、ご飯を作ったり掃除してあげたりする程度で、あの子を立ち直らせてあげることは出来なくて……」
「それだけやってやれば充分だろ」

 魔理沙はそう言ったが。半分以上嘘だった。
 そもそもそんなことする必要ないだろ、というのが本音である。

「霊夢にも何度か相談しに行ったわ。わたしでは無理でも、一番の友達の霊夢だったら、あの子を励ましてあげられるんじゃないかと思って……だけど、霊夢はどうでもいいって言うばっかりで、一度も来てくれなくて」
「そりゃそうだろうな」

 その点については全く疑問がない。
 霊夢がダメになったマリサを一生懸命励ましているところなど想像すらできなかった。
 もっと言うなら、万一霊夢が励ましに来たとしても、マリサが立ち直ったとは到底思えない。
 下手をすると更に悪化したのではないだろうか。

(そもそもの根本的な原因が霊夢なんだろうから、な)

 もちろん、それだって別に霊夢が悪いわけではないのだが。

「魔理沙。あなたは、どう思う?」
「え?」

 驚いて顔を上げると、アリスが切実な目でこちらを見つめていた。

「あの子があんな風になってしまった原因……あなたなら、分かるんじゃないかと思って」
「……まあ、多分こうじゃないかな、と思うことはある」
「本当!?」

 アリスは立ち上がり、身を乗り出してきた。
 その表情は祈りを超えてほとんど縋りつくようですらあった。

「お願い、教えて! あの子はどうしてあんな風になってしまったの? どうしたら立ち直ってくれるの? 考えても考えても、わたしには分からないのよ……!」
「わ、分かった、分かったから落ちついてくれ……」
「あ……ご、ごめんなさい……」

 アリスは少し顔を赤くして座り直し、胸に手を添えて息を吐いた。気分を落ち着かせようとしているようだった。
 その様子を見ていると、魔理沙の中の疑問はますます大きくなっていく。
 今までも感じていたことだが、このアリスのマリサに対する情愛はちょっと深すぎるのではないか、と思う。
 友情というには、ちょっと度を過ぎているのではないか、と。

(一体、この世界のアリスとわたしの間に何があったんだ……?)

 一瞬、下世話極まりない想像が膨らみかけて、魔理沙は慌てて首を振る。
 ともかく、アリスはマリサのことで本当に心の底から悩んでくれているようだった。
 ならば、気が進まなくても言わなければならないことがある。

「アリス」

 魔理沙はため息混じりに切り出した。

「今のお前には、非常に言いにくいことではあるんだが」
「……なに?」
「もう、ダメだと思うぜ」

 魔理沙はきっぱりと、断言した。
 その言葉の意味が、察しのいいアリスにはすぐに理解できたのだろう。
 魔理沙を見つめる瞳が絶望の色に染まり、じわりと涙がせり上がってくる。
 さすがに胸が痛み、無意味と思いつつも言わずにはいれなかった。

「ごめんな」
「……ううん。わたしも、もしかしたらとは思っていたから……」

 アリスは気丈に涙を拭い、「続けて」と先を促した。

「そうだな……何から説明するべきか……」

 魔理沙は少しの間、目を瞑って考える。
 幸い、相手がアリスならば、さほど説明は難しくないと思えた。

「まず確認しておきたいんだが、霧雨魔理沙って人間が、表向きはヘラヘラしてても陰で物凄い必死こいて努力してたってことは、アリスなら知ってるよな」
「……ええ。ある程度は、知っていると思うわ」
「なら理解してもらえると思うが、奴は実際のところ、常にギリギリの状態だったんだ……最近は、特にな」

 弾幕ごっこを通じた異変解決という遊びの形で、誤魔化してはいた。
 だが本心では、化け物揃いの周囲についていけないのを感じて、常に劣等感を刺激され続けている状態だった。
 それでもそんな面を誰にも見せられず、気を張り続けているしかなかったのだ。
 本当はいつだって辛くて苦しくて泣きそうで、逃げ出したくてたまらなかった。
 自分の努力は全部無駄で、時間を浪費しているだけなのではないかと、ただただ怯えていた。

「そんな風に、いつ心が折れてもおかしくない状態でさ……でも、一度折れちまったら、もう二度と元には戻らないってことも分かってた。だから、本当に必死になって耐えてたんだ」
「……なのに、折れてしまった」
「そういうこったな」
「だけど、分からないわ」

 アリスは困惑したように言う。

「あの子が教えてくれないから、わたしなりに考えたり、こっそり調べたりもしてみたのよ。だけど、あの子がそこまで絶望してしまうきっかけになるようなものは、何も見つからなくて……」
「そりゃそうだろ」
「どうして?」
「きっかけなんて呼べるほどご大層なものは、なかったのさ」

 魔理沙は肩を竦める。

「多分、本当に些細な理由だったと思うぜ。例えば、寝覚めの悪い朝にたまたま雨が降ってて、何となく気分が憂鬱だったから神社へ行かなかった……とか、その程度のことさ」

 それで何か面倒臭くなって不貞寝してしまって一日何もせずに過ごしてしまい、翌朝目覚めて青ざめる。
 休んでしまった一日の分を、どうやって取り返したらいいのか。
 そんな風に焦って焦って空回りして、その日も大したことができず。
 さらに翌日になって今度は二日分を取り戻さなければならないと絶望的な気分になり、やっぱり何もできず。
 そういう日々を繰り返していく内にどんどん遅れが溜まっていき、その内嫌になって何もかも放り出してしまった、と。

「そういう、しょうもない話に違いないさ」

 ため息混じりに語り終える。
 今言ったことは単なる推測にすぎないが、恐らく間違いないだろうと思っている。
 もしも他人が見て理解できるほどに劇的な事件やきっかけがあったのならば、むしろ面白がってやる気を取り戻していただろう。
 霧雨魔理沙というのはそういう人間だと、魔理沙自身が認識している。

「要するに、他人にはどうしようもない話だったんだよ」

 魔理沙は気まずい想いで言う。

「だから、そんなに泣いてくれるな」
「っ……ご、ごめんなさい」

 堪えようもなく溢れてくるらしい涙を何度も拭いながら、アリスが悲痛な声で言う。

「そういうことに、もっと早く気づいてあげられていたら、って思うと、どうしても……」
「おいおい、よく考えろよ。気づいてたってどうしようもないぜ、こんなの」
「でも……それでも、何か出来ることが……」

 なおも食い下がるアリスの表情と声には、隠しようもない後悔が滲んでいる。
 その様子を見ていると、魔理沙の中でまたあの疑問が甦ってきた。

(いくらなんでも赤の他人に入れ込み過ぎじゃないのか……?)

 そうなると、やはり。
 魔理沙は意味もなくゴクリと唾を飲み込んだ。

「なあ、アリス?」
「……なに?」

 まだ小さくしゃくり上げているアリスに、ある意味さっきよりも緊張しながら聞く。

「こんなときになんだし、下世話なことは承知で聞くんだが……お前とこの世界のわたしとは、なんていうか、その……特別な関係、だったのか?」

 一瞬、アリスは泣き顔のままきょとんとする。
 だが、すぐに可笑しそうに顔を綻ばせ、

「やだ、魔理沙ったら……そういうのじゃないわよ」
「お、おう……そういうのじゃ、ないのか」

 額に滲んでいた汗を拭いつつ、魔理沙はほっと息を吐く。

「良かった。そういうのだったらどうしようかと思ったぜ」
「仮にそういうのだったとしても、今この場で貴女にどうこうしたりはしないわ。安心して」
「まあ、それは分かってたつもりだが」

 しかし、そうなるとますます分からない。
 そういう深い関係でもないのなら、何故わざわざ。
 魔理沙の疑問を察したのか、アリスは不意に柔らかな声で、

「ねえ。貴女は、貴女の世界のわたしとはどんな関係かしら?」
「ん……まあ、一言で言えば……喧嘩友達、って感じかな」
「そう。ではきっと、わたしとマリサと似たような関係だったのね」
「え、でも……」
「……言いたいことは、分かるつもりよ」

 アリスはまだ涙で赤くなった顔のまま、そっと微笑む。

「わたしもね、マリサがあんなことになる前は、自分がこんな気持ちになるだなんて思ってもみなかったわ。あの子のことはただのうるさい隣人ぐらいにしか思っていなかったし、もしかしたら道半ばで挫折してしまうかも、と予測もしていたけれど、それで自分から何かしてあげようだなんて思ったことはなかったし」
「なら、どうして」
「……実際に、酷く落ち込んで、自暴自棄になってしまったあの子を見たとき……ここに、今まで知らなかった痛みを感じたわ」

 まるで傷を隠すかのように、そっと胸を押さえる。

「そしたら急にね、何とかしてあげたいと思うようになったの。マリサはあんなに頑張ってきたのに、とても傷ついてしまって……そんなのかわいそう、ほんの少しでもいいから、何か報いがあるべきだ、そしたらきっとまた立ち直ってくれる、って」

 そう言い、かすかに吐息を漏らす。

「そういうの、あの子が喜ばないって言うのは分かっていたつもりだけれど……」
「……それでも、何かしてやらずにはいられなかった?」
「ええ。あの子だけじゃなくて、今の目の前にいる貴方にも」
「え?」

 アリスは魔理沙をじっと見つめて、目を細める。
 それは何か、その向こう側に遠く広がる空を見透かしているような。
 そんな、淡い微笑みだった。

「わたしね、あの子と一緒に空を飛ぶのが好きだったわ。確かに、魔法使いとしてはあまり成果を上げられていなかったかもしれないけれど……それでもめげずに真っ直ぐ前を見て、楽しそうに飛ぶあの子を見ているのが、嬉しかった。わたしも頑張ろうって、元気が湧いてきた」

 また、わずかに目が潤む。

「そういうことに気づけたのも、あの子があんな風になってしまった後だったけれど……」
「……まあ、なんだな」

 魔理沙は頬を掻きながら言う。

「わたしの方もさ。アリスと一緒に飛ぶのは、悪い気分じゃないよ。こいつならちゃんとサポートしてくれるっていうか、背中任せられるっていうか、なんか、そんな感じで……」
「……ありがとう、魔理沙」

 我ながら上手く言えないな、ともどかしかったが、それでもアリスは嬉しそうに微笑んでくれた。
 その表情がまたどこまでも深く優しいので、堪えようもなく顔が熱くなってしまう。
 魔理沙自身、弱気に傾きかけているせいだろう。
 今すぐにアリスの胸に縋りついて、弱音を全部吐き出してしまいたいような。
 その温かさに浸り切って、ドロドロになるまで溶けてしまいたくなるような。
 そんな、非常に危うい願望が心の奥から溢れだしそうになる。
 まだギリギリのところで踏みとどまっている魔理沙だから耐えられるようなもので、心が折れてしまったマリサならば一発で参ってしまったに違いない。

(……母性、ってやつなんだろうか。これが)

 帽子のつばを引っ張って顔を隠しながら、魔理沙はこっそりとため息を吐く。
 確かに前々から、アリスは素っ気ない態度の割に妙に世話好きな奴だ、と思ってはいたが、その奥底にこれほどの情愛が隠れているとは思いもしなかった。
 恐らく本人ですら、自覚はしていなかっただろう。
 こんなことがなければ、一生気づかなかった可能性すらある。

(……この世界のわたしのどうしようもないダメさ加減が、アリスの隠れた一面を目覚めさせちまったってことなのかな)

 そう考えると、何とも言えない複雑な気持ちにさせられる。
 このアリスの温かさを好ましく感じている今、これが悪いものだとは思いたくないのだが。

(でも……ダメ、だよな。少なくとも、今の状況じゃ)

 魔理沙の理性が、どうしてもそう結論づけてしまう。
 平行世界の自分が散々世話になっておいてこんなことは言いたくないのだが、このアリスとマリサは相当な悪循環にハマってしまっているように思えてならない。
 そもそも本来ならば、心が折れてしまったマリサが選べる選択肢は一つだけだったはずなのだ。
 それは、魔法使いとしての道を諦めて、里の実家に帰ること。
 魔法の森での生活が維持できず、維持する必要もなくなったのだから、それが当然の帰結だ。
 もちろんいくらかはグダグダと先延ばしにする可能性はあるが、放っておけばその内諦めもついたことだろう。

(なのにアリスが手を差し伸べて、一生懸命助け起こそうとするもんだから、ついつい自分でも『もしかしたら』なんて、ズルズル甘えちまってるんだろうな……再起なんてあり得ないって、分かっているのに)

 夢が呪いに、愛が毒に。
 最悪、マリサが老衰でくたばるまでこのままの可能性すらある。
 想像したくもない未来だ。

(……他人が何とかしてやるしかないんだよな、こういうのは。気の毒だが……)

 長いこと目を瞑って、魔理沙は自分の中で決意を固めた。
 アリスに申し訳ないなどと思ってはいけない。
 バッサリと、断ち切ってやらなければ。

「……マリサのとこ行くよ、わたし」
「え……」

 急に立ち上がった魔理沙を、アリスは驚きの表情で見つめた。
 何か言おうとするアリスの言葉を封じるために、魔理沙は硬い声で言う。

「分かってるんだろ、本当は」

 アリスが息を呑む。
 一瞬口を開いて何か言おうとしかけて、またグッと閉じた。
 温かさに満ちた瞳の奥に、冴えた光が灯る。
 それは、確固たる理性の色。
 魔理沙がよく知る、アリスの瞳の色だった。

「……ごめんね」
「謝るのはわたしの方だ……すまない、本当に」

 世話をかけたことも、期待を裏切ってしまったことも。
 魔理沙はアリスに背を向け、箒をつかんで歩き出す。
 自分が情にほだされるか、アリスが泣き出してしまうかする前に、家を出なければならないと思った。

 ◆

「……やれやれ、だな」

 アリスの家の扉に背を預け、魔理沙は小さく息をする。
 そうして瘴気漂う魔法の森の空気を吸い込んでみると、アリスの家の中の空気が随分と甘ったるかったことに気がつく。
 思い込みというか、気分的な問題ではあるのだろうが。

「行くか」

 無意味にそう呟いて、魔理沙は重い足取りで歩き出す。
 正直に言えば、全く気が進まない。
 アリスに対する申し訳なさもあるが、それ以上にダメになった自分を見なければならないというのが何とも言えず嫌な気分だった。

(今までは自分の死体見せられたわけじゃなかったもんな……本当嫌なことするぜ、この球も)

 死んでも生きてもどうにもならない、と言いたいのだろうか。
 腹立ち紛れに布地越しに球を叩いてみるが、当然ウンともスンとも言わなかった。

(そう言えば……)

 ふと、魔理沙は今の状況には少々場違いな疑問を抱く。
 心折られ、魔法使いとしての道を諦めてしまった自分が選べる選択肢。
 さっきはただ一つだと思っていたが、冷静に考えてみるともう一つあった。
 それは、自らの命を絶つことだ。
 実際、夢破れた若者なら、衝動的にそんなことをやってしまってもおかしくはない、のだが。

(でもまあ……それはないな、うん)

 別に自分に言い聞かせるわけでもなく、魔理沙はごく自然にそう考える。
 何故か、自分はそういうことはしないだろうという、根拠のない確信があった。
 そうしてよくよく考えてみれば、今まで巡ってきた平行世界でも、己の非才に絶望して命を絶った霧雨魔理沙、というのは一度も聞いたことがない。
 一人ぐらいは、そういう奴がいても良さそうなものなのだが。

(……ま、要するに自殺する度胸もないほどわたしが弱虫だってことなんだろうが)

 目的地が見えてきたので、魔理沙は適当にそう結論づけた。

 ◆

(くさっ……いのかと思ってたが、そうでもないな)

 マリサの家のドアをおそるおそる開けて、最初の感想がこれだった。
 自暴自棄になって引きこもっている女の家、というので、自分の家以上のゴミ山と化しているのを想像していたのだが。

「……むしろ、凄くきれいだな」

 家に一歩足を踏み入れてみたら、ゴミどころか塵一つなく、壁紙まで張り替えられている始末だった。
 しかも、蒐集品の類は捨てられたのではなく箱詰めされた上でキッチリと棚に収納されている。
 箱には一つ一つナンバーが振ってある上、棚の柱にはご丁寧に目録まで掲示されていた。

(この世界のわたしは物凄く几帳面な性格だった……わけないよな)

 十中八九、アリスの仕業だろう。
 嫌な予感がしたので一階を隅々まで見回ってみたが、風呂は広めに改装されて多機能になっているし、台所には調理器具一式と四季折々の食材が揃っているし、便所までしっかり掃除されている上になんだかいい匂いまで漂っている。
 どこを見てもそんな感じで、平行世界の自分の家とは思えないほど快適になっていた。

「アリス・マーガトロイドのお嬢さんときたら本当にもう……!」

 見回りを終えた魔理沙は、本気で頭を抱えてしまった。
 これのどこが「ご飯を作ったり掃除してあげたりする程度」なのだろう。
 これでは家ごとダメ人間製造機になってしまったようなものではないか。

(この家ならわたしだって年中過ごしていたいぞ、正直)

 こんなところに霊夢辺りを放り込もうものなら、間違いなく一生ニート確定だ。
 アリスはこの上もなく良い嫁になって幸せに過ごすか、どうしようもないダメ男に引っかかって疲れ果てるかのどっちかだろうな、としみじみ思う。

(まあ、今の状況はほぼ後者と同じなわけだが)

 二階に通じる階段を見上げて、魔理沙は暗澹とした気分になる。
 一体どんなモンスターが生まれているのかと思うと本気で逃げ出したくなった。

 ◆

 ここまで来て逃げるわけにもいかないので、及び腰で二階に上がる。
 寝室を覗きこんだらベッドがこんもり盛り上がっていて、割合静かな寝息が聞こえてきた。

(まったく、のん気な奴だぜ。人の気も知らないで)

 ちょっと苛立ちながら、足音も高く無遠慮に近づく。
 それでも、マリサは起きない。
 ちょっと躊躇いつつも布団をめくって寝顔を見てみたら、げんなりした。
 自分よりもずっと血色が良く、いくらか丸みを増してすらいる霧雨魔理沙のだらしない寝顔が、そこにあった。
 絶望している癖にちゃっかりご飯は頂いているというわけだ。
 思っていた以上の屑っぷりである。

(……アリスはこんなのを見てかわいそうだの助けてあげたいだの言って泣いてたのか)

 悲しむべきか呆れるべきか笑うべきか、判断がつかない。
 とりあえず、今のアリスがいろんな意味で相当イカれているのは間違いない。
 罪悪感に負けずにここまで来て、本当に良かったと思う。

(そして、その罪悪感も今はきれいさっぱり消えたぜ……!)

 代わりに湧いてきたのは、醜態を晒していることにも気づかずグースカ寝ている自分への怒りである。

「起きろオラァ!」

 怒声と共に一気に布団を引っぺがすと、寝返りを打ったマリサが不満そうに呻いた。

「なんだよぉ……わたしのことは放っておいてくれって言っただろぉ、アリスゥ……」

 このクソアママジで一発ブン殴ってやろうか。
 怒り心頭に達した魔理沙は、無言でマリサの胸倉をつかみ上げる。
 呻きながら薄眼を開けたマリサが、半ば寝ぼけたままこちらを見て眉をひそめる。

「……なんだぁ、アリス……髪伸びたな……」
「おうよく見ろや。これが優しいアリスちゃんの顔に見えんのか、あァ?」
「は……? …… ……!!?」

 マリサがぎょっと目を見開き、慌てふためく。

「え、あ、な……わ、わたしっ!? ど、どうして……!?」
「ああそうだよ、魔法の森の魔法使いの霧雨魔理沙さんだよ。もっとも、お前みたいな屑と同じ人間だなんて思いたくもないけどな……!」
「ひぃっ!」

 殴られるとでも思ったのか、マリサが怯えたように両腕で顔を庇う。
 そのあまりに情けない姿を見たら、さっきまでの激しい怒りが急速に萎えてしまった。
 人間、こうもダメになれるものなのだろうか。
 元々自分と同じ人間だったと考えると、尚更居たたまれない気分だった。

(……こんな奴に怒ったってしょうがない)

 魔理沙はマリサの胸倉をつかんだまま、小さく息を整えた。
 魔理沙自身の感情を抜きにしても、怒ったってしょうがないのは事実だった。
 どうせ、もう何を言ったってマリサが立ち直ることはないのだから。

「……いちいち面倒なことは言わないし、聞きもしない」

 魔理沙はなるべく冷徹な声で言う。

「お前、今すぐ荷物をまとめて、里に帰れ」
「え……」
「もうここにいたってどうしようもないことぐらい、お前だって分かってんだろ。頭下げれば許してもらえることも」
「で、でも……」

 マリサは、反論するように口を開きかける。
 魔理沙としても、相手が何か言うようなら聞いてやる気持ちはあった。
 だが、マリサは何も言えることがないのに気づいたかのようにグッと口を噤み、代わりにポロポロと涙を零し始めた。

「泣くなバカ。泣きたいのはこっちだよ。ほら、さっさと荷物まとめろ」
「う、うん……」

 哀れなほど大人しく頷き、マリサがのそのそとベッドから這い出す。
 その動作があまりにもたついているので、魔理沙はつい苛々して、

「ぐずぐずすんな、駆け足!」
「は、はいっ!」

 あたふたと階段を駆け下りていくマリサを見送り、魔理沙は深くため息を吐く。

(全く、甘ったれが)

 だが、実際あんなものなのだろうと思う。
 自分は生来甘ったれの甘えん坊だ。
 誰かが優しくしてくれると、ついつい寄りかかりたくなってしまう。
 だからこそ皮肉飛ばして軽口叩いて、変に誰かに近寄らないよう意識していたところもあった。
 他人に頼り過ぎると駄目になってしまうことが、自分でも分かっていたから。

(適度な距離を保つってのは大変だな、アリス。良いことも、悪いことになっちまう……)

 本来部外者である自分ですらそのことを切なく感じるのだから、当のアリスはもっと辛いだろう。
 そのことを想うと、たまらなく悲しい気持ちになった。

 ◆

 ぐずぐずしていた割に、荷物の整理は三十分もしない内に終わった。
 容量にして、小さな袋一つ分。
 数年もかけて溜めこんできた物の数を考えれば、あまりにも少なすぎる量ではある。

「それだけでいいのか……いや、いいに決まってるよな。どうせもう使わないんだし」
「うん……」

 別段皮肉のつもりでもなく言うと、マリサの方も特に傷ついた様子はなく素直に頷いた。
 そうして特に話すこともなく、二人でマリサの家を眺めること数分の後。
 また、彼女が嗚咽を漏らし始めた。

「泣くな、鬱陶しい」
「だ、だってさぁ……」

 小さくしゃくり上げながら、マリサが哀れっぽい声で言う。

「わ、わたし、一体何だったんだ? わたしのこの数年間は、一体何だったんだ? そ、そりゃ、他の奴に比べたら大したことなかったかもしれないけど、わたしだって自分なりは一生懸命やってきたのに」
「それは知ってるよ。よく知ってる」
「え……?」

 マリサが虚を突かれたように目を瞬く。
 甘ったれんな、という類の叱責を予想していたのだろうか。
 本当の所、魔理沙としてもそうしたい気持ちがなくはなかったのだが。

(仕方ないよな。こいつにこんなこと言ってやれるのは、多分わたしだけだし)

 それに何より、自分にはそういうことを言う資格がないのも分かっていた。
 一歩間違えれば、すぐにでも彼女と同じ状態に成り果てるだろうから。

「いいか、マリサ」

 魔理沙はマリサの両肩をつかみ、出来る限り力強い声で言ってやる。

「お前の魔法使いとしての人生は、確かに失敗だ。もうこの道は、すっぱり諦めなけりゃならん。それは分かるよな?」
「……うん」
「でもな。だからって、この先どうなるのかは誰にも分からない。これから里に帰るお前がどんな道を選ぶのかは分からないが、そっちでも駄目になるとは限らないだろ」
「そ、そんなの、なんの保証も……!」
「ああ、保証なんかないよ。でも、そう思わなくちゃ……くそっ、こんな説教臭いこと言いたいんじゃないんだ、わたしは」

 魔理沙は首を振り、両手に力を込める。

「いいか、全部お前次第だ。この数年間が本当に無駄になるかどうかは……いや、無駄にするな! これから何をやるにしても、この数年間の経験を何かしらの形で活かしてみせろ! そうでないと、本当の本当に何もかも終わりになっちまうんだぞ!」

 ありったけの熱意を込めてそこまで言ってやっても、マリサはまだ踏ん切りがつかないでいる様子だった。
 どうしようもないノロマめ、と我が事ながら苛立ったとき、不意に、

「思い出せよ。死ねない理由、終われない理由があるだろ、わたしには」

 気がつくと、そんなことを言っていた。
 言ってしまったあとで、自分は何を言っているのだろうと自分で不思議に思う。
 死ねない理由、終われない理由。
 そんなものが、自分にあっただろうか。

「……そう、だな」

 魔理沙が困惑する一方、マリサには何か思い当たることがあったらしい。
 今までただただ弱々しく打ちのめされていた瞳に、小さいながらも強い光が戻ってきた。
 それは、歯を食いしばって苦難に耐えながら前に進もうとする、意志の光だった。

「あんたが、一体何者なのかは全然分からないけど」

 マリサはしっかり背筋を伸ばすと、勢いよく頭を下げた。

「ありがとう。それから、ごめん。世話をかけた」
「……それは、わたしじゃなくてアリスに言ってやれよ」

 急にしっかりし始めたマリサに困惑しつつも、魔理沙は言わなくてはならないことを忘れてはいなかった。

「あいつ、随分心配してたぜ……それこそ、心配しすぎなぐらいに」
「アリス……それは、ええと……」
「気まずくて会えないとか言って避けやがったらマジでブン殴るからなテメェ。それをやったら魔法使いどころか人間として終わりだ」
「わ、分かった……」

 脅しつけるような魔理沙の言葉に、マリサは恐れ戦いた様子で何度も頷く。
 それから、まだ若干躊躇う様子ではあったが、魔理沙の目を見て一つ頷き、

「……それじゃあ、行く」
「おう……ま、元気でやれよ」

 背中を押してやる必要があるかと思っていたが、実際はそんなこともなく。
 案外あっさりと背を向けて、マリサは里のある方角に向かって歩き出した。
 頼りなく小さな背中が、とぼとぼと遠ざかる。
 それが、才能もないのに数年間も魔法使いになろうと頑張っていた、無謀な少女の結末。
 寂しいほどに、呆気ない終わり。

(……でも、これでいいんだ……こうするしかなかったんだから)

 本当は、まだまだ言いたいことがあった。言ってやりたいことがあった。
 そういう気持ちを、グッと堪える。
 多分、ここから先は自分が立ち入っていい領域ではないのだから。

 ◆

(あ……)

 窓辺に立って外を見ていたアリスの目に、向こうから歩いてくる霧雨魔理沙が映った。
 それは、あの平行世界からやってきた溌剌とした魔理沙ではなく、全てを投げ出し気力を失ってしまった、彼女のよく知る弱々しいマリサであった。

(……帰る、のね)

 里に向かうために魔法の森の出口に向かうと、この家のそばを通ることになる。
 もちろん遠回りすれば別の道もあるが、マリサは敢えてここを通ったのだろう。
 彼女がそうしてくれたことが、アリスには嬉しく感じられる。
 そのまま黙って見守っていると、俯いていたマリサが不意に顔を上げた。
 窓越しに、目と目が合う。
 どんな表情をしていいのか分からなかった。
 励ますために笑いかけてやるべきだろうか。
 それとも、悲しさや寂しさを伝えるために泣くべきだろうか。
 迷うアリスを見て、マリサはしばらく立ち止まっていた。
 何か言いたそうな、しかし言葉が出てこないような顔をしている。
 その内口元を引き結び、何かを堪える表情で頭を下げ、あとはもうこちらを見ずに歩き出した。

(ああ、行ってしまう)

 あの子が、行ってしまう。
 アリスの胸の奥から、焦燥感が湧きあがってきた。
 このまま、行かせてしまってもいいのだろうか。
 今すぐ外に出て駆け出し、あの子を抱きしめてやって、一緒にこの家で暮らそうと言ってやるべきなのではないか。
 家に戻るなんて、言うほど簡単な話ではないだろう。
 両親に頭を下げるのだって、その後周りからあれこれ陰口を叩かれたりするのだって、あの子にとっては堪らなく苦痛なはずだ。
 そんな苦しみの中で新しい道を探すのは、非常に困難なことだろう。

(ここにいてくれれば、守ってあげることができる。苦しいことからも辛いことからも、全部)

 それは、アリスにとっても甘い誘惑だった。
 かつての楽しい日々を回顧し、夢の世界に遊びながら、ままならない現実を嘆き、この胸に抱きしめて慰めてやる。
 それを想像するだけで、胸がじんわりと温かいもので満たされる。
 この上もなく、幸せな気持ちになる。

(でも、駄目なのね……)

 アリスは、束ねられたカーテンをぎゅっと握りしめた。

(きっと、これは良くないものなんだわ。あの子にとっても、わたしにとっても)

 遠ざかっていくマリサの背中を、締め付けられるような胸の痛みと共に見送る。
 涙がせり上がってきて、視界が滲んだ。
 何のための涙なのか、自分でもよく分からない。

(わたしも、歩き出そう)

 この胸に生まれた感情を、悪いものにしてしまわないために。
 今度こそ、本当にあの子のためになることを、してあげられるように。

(だから今は、さよなら……またいつか出会うために、さよなら……)

 アリスはそっと微笑み、目元の涙を拭った。

 ◆

 マリサはそろそろ、アリスの家のそばを通りかかる頃だろうか。

(大丈夫、だよな)

 あのアリスの微笑みを思い返すと少し心配だったが、魔理沙は敢えて様子を見に行こうとはしなかった。
 この世界で自分がやることはやり終えたという実感があった。
 別段、何かをするために平行世界を移動しているわけでもないのに、そんな風に感じるのも妙な話ではあるが。

(それにしても……)

 魔理沙は首を傾げる。
 何かを終えた感があるのに反して、ポケットの中の球は一向に光らない
 本当に、よく分からない物品だ。

(万一ここにずっと留まることにでもなったら、どうしたらいいんだろう)

 この家にいるのも、あのアリスの家に世話になるのも、何と言うか怖い感じがする。

(どうしたもんか、な)

 ため息混じりに空を見上げたら、ずっと向こうの方でチカチカと何かが光るのが見えた。

(お、誰かが弾幕ごっこやってら)

 瞬く光とかすかに聞こえる歓声。
 この世界でも、その辺の事情は特に変わりがないらしい。

(当たり前か。わたしがどうなってたって他の奴は変わりなく過ごしてるんだし)

 そういう現実を受け止めるのも、もうだいぶ慣れてきた気がする。
 さしたる感慨もなく弾幕ごっこの光を見上げながら、魔理沙はふと霊夢のことを想った。

(この世界のあいつも、変わりなく過ごしてるんだろうな……わたしの様子も見に来なかったっていうし)

 それは本来寂しいことのはずだったが、不思議と悪い気分ではない。
 何とも霊夢らしいな、と思うと、嬉しくすらあった。
 そのとき不意に、後ろの方からガサッと音が聞こえてきた。
 何だろうと思って振り返ると、木の陰に見覚えのある少女が立っている。

「……霊夢、か?」
「……魔理沙、よね?」

 一方は驚き、一方は怪訝そうな表情を浮かべ、二人は互いに歩み寄る。
 事情を知っている魔理沙はともかく、霊夢の方はかなり混乱している様子だった。
 目の前に居る魔理沙と、さっきマリサが行ってしまった方向とを交互に見ている。
 その仕草で、魔理沙はようやく気がついた。

(あ、こいつ、わたしの……マリサの様子を見に来たのか)

 そう理解したら、自分でも驚くほどの衝撃を感じた。
 様子を見に来ない方が霊夢らしい、なんて考えたばかりなのに、まさか当の本人とこんなところで出会ってしまうとは。

「……なに、その顔?」
「ああ、いや」

 念のため、確認してみる。

「もしかして、霧雨魔理沙の様子を見に来た、のか……?」
「……それって、さっき行っちゃった方の?」
「ああ。里に帰った方の魔理沙だ」

 そう言ったら、霊夢は小さく息を呑み、それから寂しそうに微笑んだ。

「そっか、やっぱり帰っちゃったんだ……あいつ」
「……ああ。魔法使いになるのは諦める、ってさ」
「……そう」

 霊夢はそう言ったきり、黙ってしまう。
 どう見てもマリサが帰ってしまったことに気落ちしている様子であり、魔理沙にとっては信じ難いことだった。

「……さっきからなんなのよ、あんたのその顔は」

 霊夢がどこかしら呆れたように言う。

「なんだかよく分かんないけど……あんた、わたしが知ってるのとは別の魔理沙なんでしょ?」
「あ、ああ……別の世界の魔理沙、なんだが」
「ふうん……ま、わたしの知ってるマリサじゃないってのが分かればいいわ」

 いかにも霊夢らしい言葉だった。

「で、なによ。言いたいことがあるなら、言えば?」
「あ、ああ……いや、何て言うか、意外でさ」
「だから、何がよ」
「その……お前が、わたしの……マリサのこと気にしてた、っていうのが」

 魔理沙のその言葉に、霊夢はちょっと眉をひそめる。
 何を言っているのかよく分からない、という表情。

「いや、なんだな……アリスの奴から、霊夢は何を言っても来なかったって聞いてたから。マリサのことなんてどうでもいいんだろうなと思ってたんだよ」

 本当の所、それは魔理沙が考えていることとは微妙にニュアンスが違うのだが、分かりやすく伝えるために敢えてそう言った。
 それを聞いて、霊夢は小さくため息を吐く。

「……どうでもいいわよ、実際」
「だよな……」
「だって、わたしには何も出来ることなんてないんだもの」
「……は?」

 何を言われたのかよく分からず、魔理沙はポカンとしてしまう。
 霊夢はどことなく寂しそうな口調で言った。

「本当はね、アリスにマリサの様子が変だって最初に教えられたとき、様子を見に来たのよ」
「……そう、なのか」
「ええ。でも、この家の前に来て、二階の窓見上げてたら……なんか、怖くなっちゃって」
「怖いって……天下の博麗霊夢様が、何を怖がるんだよ」
「あんたを傷つけることが」

 本当に、心底予想だにしないことを言われて、魔理沙は絶句してしまう。
 頭が真っ白になるというのはこういうことを言うんだろうな、とぼんやり思った。

「……わたしもさ、自分なりには考えようとしたのよ。あいつがそんな風になっちゃった理由ってのを。でも、全然分かんなくて……分かんないから、万一それにわたしも関係してたらって思うと、どうしても会えなくて……わたしが会ったらもっと悪化するんじゃないか、とかさ……自意識過剰でしょ、笑ってもいいわよ?」
「……笑えるかよ」

 かろうじて、そう言うのが精一杯だった。

(どういうことだ。霊夢がそんなこと考えるなんて、あり得ないだろ)

 あるいは、これが平行世界の霊夢だからだろうか。
 自分が知る霊夢とは性格が少し違うのだろうか。
 そう考えてもみたが、目の前にいる霊夢の雰囲気や仕草は、魔理沙がよく知る彼女と全く同じに見える。

(じゃあ、何でこの霊夢はわたしのことを気にしてるんだ?)

 今まで巡ってきた平行世界では、たとえ魔理沙が死んだって、霊夢は何とも思っていないように見えたのに。

「わたしさ。そのときになって、初めて気づいたのよね」
「ああ……なにに?」
「自分が、他人の気持ちを考えたことなんて一度もなかったってことに」

 霊夢の口元に微笑が浮かぶ。
 自嘲の笑みだった。

「だから、分かるわけないのよね。あんたが……マリサが、何をそんなに苦しんでるのか、なんて。それが分からないから、何をしてあげればいいのかも分からなくて、だから、近づくことも出来なかった」
「別に……そんなの」

 放っとけばいいだろ、と言ったつもりだったが、口の中でモゴモゴしただけで言葉にならない。
 目の前の霊夢の気落ちした様子を見たら、とてもそんなことは言えなかった。

(しっかりしろよ、霧雨魔理沙)

 かろうじて正気を保っている理性が、厳しく自分を叱咤する。

(目の前で霊夢が落ち込んでるんだぜ。なら、やることは一つだろ)

 予想外のことばかりで混乱してはいるが、その意志だけははっきりしている。
 魔理沙は努めて明るい声で言った。

「別に、お前が気に病む必要はないよ」

 霊夢が顔を上げる。

「あいつがあんなになったのは、誰のせいでもないんだ。強いて言うならあいつが一人で勝手に空回りして勝手に駄目になっただけだ。だから、お前が気に病む必要なんてこれっぽっちもない」

 そもそも気にするとも思っていなかったが、と心の中でだけ付け加える。
 霊夢はそれを聞いても、まだ少し疑っているようだった。
 魔理沙の顔をじっと見つめて、

「本当に?」
「本当だよ」
「本当に本当?」
「本当だって。霧雨魔理沙嘘吐かない」
「それがもう嘘じゃん」
「ばれたか。さすが霊夢だな」
「バカ」

 霊夢が小さく笑ったので、魔理沙もちょっと安心して笑い返す。
 それにしても、やはり霊夢は勘が良い。
 考えても分からないと言っていたが、それでも自分が何か関係しているのではないかと疑っていた辺り。
 実際、その勘は正しいのだから。

(会わなくて正解だぜ、霊夢……多分、お互いにあんまりいいことにはならなかっただろうからな)

 そう伝えるのはさすがに躊躇われたので、言葉にはしない。
 一方、霊夢もまた、魔理沙に何か言いたいことがある様子だった。

「なんだ、まだ何かあるのか?」
「ん……うん、まあ」
「だったら何でも聞けよ。わたし多分、もうちょっとでいなくなるからさ」
「いなくなる?」
「そう。また別の世界に行くんだよ。多分」
「……なんだかよく分かんないけど……」

 それでも、その言葉でいくらかは決心がついたらしい。
 霊夢は珍しく口籠りながら、躊躇いがちに聞く。

「あのさ。あいつ……マリサ、は」
「ああ」
「……わたしのことが、嫌いになったんじゃないわよね……?」
「んなわけないだろ、バカかお前は」

 また予想外のことを言われたのに、今度は即答していた。
 あまりにも速く答えが返ってきたせいか、霊夢も目を丸くしている。
 だが、驚いているのは魔理沙も同じだった。
 自分が即座にそう答えたことに、ではない。

(何をあり得ないこと言ってんだ、このバカは)

 そう思って、驚くと同時に心底呆れていた。

「あのなあ霊夢、お前は知らないようだから教えておいてやるが」
「な、なによ?」

 怯む霊夢に顔を突き出し、刻みつけるように言ってやる。

「霧雨魔理沙が博麗霊夢を嫌いになるなんてことはな、世界が変わろうが天地がひっくり返ろうが、絶っっっっっっっっっっっっっっっっっっっ対に、あり得ないから!」

 自分の世界の霊夢にはそれこそ絶対に言えないであろうことを、力強く断言する。

「今度のも嘘じゃないぜ。本当に本当だ」

 ついでに、そう付け加えた。
 あまり強く断言されたからかえって信じられなかったのか、霊夢はまだ少し疑う様子だった。
 やがて、ふっと肩の力を抜いて、笑った。

「そっか……良かった」

 ほっとした様子で、胸に手を当てる。

「もう、考えて考えて、もしもそうだったらどうしようって思ってたのよ」
「どうしよう、って……」

 魔理沙の方では、霊夢がなんでそんなことを気にするのかがよく分からない。

「別に、わたしに嫌われたって困らないだろ、お前は」
「そりゃ、困りはしないけど」

 霊夢はあっさりそう言いつつも、首を傾げて、

「そういうのって、なんかさ……嫌じゃない」
「……まあ、嫌だな、うん」

 ピンと来ないながらも、とりあえず頷いておいた。
 まあ霊夢はカラッとした性格だし、そういう後まで引きずるようなノリは嫌なんだろう、程度で納得しておいた。

「あー……あとはまあ、なんだな」

 話が少し遠回りになってしまったが、魔理沙は最後に自分が言うべきことを言う。

「あいつのこと、なんだけど」
「マリサのこと?」
「そう、あいつのこと。あいつさ、多分、立ち直るまでにはちょっと時間かかると思うし、お前のところに顔を出すのにはもっと時間がかかるかもしれないけど……」
「……うん」
「でも、絶対いつかは顔見せると思うからさ。そしたら、変に壁とか作らずに、今まで通り接してやってくれないか?」

 自分で言っておいて、なんて勝手な理屈だろうと思う。
 勝手に一人で落ち込んで勝手に駄目になった癖に、頼めるようなことではない。
 しかし霊夢は特に気にした風もなく頷いてくれた。

「別に、いいわよ。わたしは、魔理沙がどんなでも」
「……そっか。そう言ってくれると、ありがたいぜ」

 ほっと息を吐き、それから、笑う。

「それにしても、意外だったなあ。霊夢がそこまでわたしのことを気にかけてくれるとは」
「意外って、なんでよ」
「いやだって……お前は他人のことなんかどうでもいいって感じだろ。だから、わたしが来ても来なくても別にどうでもいいんだろうなって思ってたし」

 これもまた、自分の世界の霊夢にはとても言えない言葉だ。
 一方、言われた霊夢は心底呆れた様子で、

「あのね、そりゃ他の奴が何をしようがどう生きようがそいつの勝手だから、わたしはどうでもいいけど」
「だよな」
「でも、あんたが来なくなったら気にはなるわよ」
「え、なんで?」
「あんたが来るのはいつものことで、いつものことってのはつまり日常ってことでしょ。日常に変化があるのはつまり自分の問題でしょ。自分の問題だったら、そりゃ気になるわよ」
「……えー」
「なんでそこでその反応なのよ」

 霊夢はちょっと怒った風に言う。

「いや、だって……」

 魔理沙は何か釈然としない気持ちで言いかけたが、何がこうも納得できないのかが自分でもよく分からない。
 それで口籠っていると、霊夢が呆れかえった様子でため息を吐いた。

「まったく……さっきから即答したり答えなかったり、意味が分かんないわね」
「だってさあ」
「あんたは、わたしを何だと思ってるわけ? わたしにどうしてほしいわけ?」
「どう、って……」

 これまた、何とも答えにくい質問だ。
 答えにくいと言うよりは、答えられない。
 魔理沙にとって霊夢は霊夢であって、霊夢でいてさえくればそれでいいからだ。
 もっと言うなら霊夢は何物にも囚われない存在のはずだから、霊夢が霊夢でなくなることなどあり得ず、だとするならば取り立てて何かしてほしいという気持ちもないということになる。
 だから、答えられない。

「……ま、いいけどね」

 魔理沙が余程困っているように見えたのだろう、その内霊夢も諦めた様子でそう言ってくれた。

「わたしだって、何でもかんでも答えられるわけじゃないし」
「うん……なんか、すまんな」
「でも魔理沙。これだけは言っておきたいんだけど」

 霊夢は少し、優しい顔になる。

「確かに、来ても来なくても構わないと思ってたけど……来たら来たで、楽しいとは思ってたわよ」
「……本当に?」

 それが本当なら、魔理沙にとっては何よりも嬉しいことだ。
 しかし霊夢は冗談めかして肩を竦め、

「まあ、たまにはだけどね。九割方は鬱陶しかったけど」
「つまり大抵鬱陶しかったんじゃないか」
「当たり前でしょ。鬱陶しくないとでも思ってたの、自分で」
「……鬱陶しいな、うん」
「でしょ」

 また、二人は笑い合う。
 なんだか、やっといつもの調子になったな、という気がした。

「……魔理沙。なんか、光ってるけど」
「え? ……おお」

 霊夢の指摘通り、ポケットの中の球が光を発していた。
 なんだか随分待たされたものだな、とため息を吐きたくなる。

「どうも、時間みたいだ。わたし、行くから」
「行くって……どこに?」
「どこって、そりゃまた別の……」

 言いかけて、ふと不安に囚われる。
 今までのパターンからすると、今度は自分が挫折している世界を何度も見せられることになるのだろうか。

(うへぇ……下手すると死んでる世界よりもきついな、それは)

 想像するだけでげんなりしてくるが、まあいいか、とも思う。
 たとえ自分のようにちっぽけな存在でも、死んでいるよりは生きている方が数段マシだろう。
 きっと今、喪失感に耐えているであろうアリスや、目の前できょとんとしている霊夢を見ていると、素直にそう思える。

(死ねない理由ってのは、これかな?)

 そう考えもしたが、なんだか違う気がする。
 また答えの分からない問いが増えてしまったようだった。

「じゃ、元気でな、霊夢」
「……結局どこ行くんだか分かんないけど、まあいいわ。じゃあね、魔理沙」

 いつもと変わらぬ挨拶を交わしたあと、霊夢がふと、思い出したように、

「あ、そうそう、最後に一つだけ」
「ん……?」

 霊夢は穏やかな微笑を浮かべ、

「あんたが知ってるわたしのところにもさ、たまには顔出してあげなさいよ。あんたがいないと、退屈してると思うから」
「……うん。お前も、この世界のわたしのこと、頼むな。情けない奴だけど」
「ええ。ま、わたしにはどうしようもないんだけど、ね」

 そう言う霊夢が、随分寂しそうに見えて。
 何か言ってやらなくては、と思ったとき、球の光が一際強くなった。

「霊夢……!」

 視界が完全に白に染まる直前、霊夢の口元が見えた。

「元気でね、魔理沙」

 そのときの彼女が確かに微笑んでいたので、この世界でやったことは間違いではなかった、と、ようやく自信を持つことができた。

 ◆

「っと、と」

 慣れたせいなのか、それとも実際に短かったのか。
 今度の転移は、かなり短時間で終わったようだった。
 あの白い空間が消え去り、球の光もまた消えていく。

「ったく、今度はどんな世界だか……?」

 ぼやくように呟いたとき、魔理沙は違和感を覚えた。
 なんだろう、と思って周囲を見回す。
 まばらに生えた木々と、ちょっと先の方に霧が立ち込める湖岸が見える。
 見覚えのある風景だ。

「霧の湖の近く、だよな……別に、いつもと変わらん……か?」

 実際、景色は変わらない。
 なのに、どうしようもない違和感がつきまとう。

「……とりあえず、様子見と行くか」

 魔理沙は箒に跨り、空高く飛び上がった。
 そうして上空に出てみると、からりと晴れた空の下、やはり見覚えのある景色が広がっていた。
 ずっと遠くの方に妖怪の山や博麗神社が見えていて、地上には魔法の森や迷いの竹林、人間の里が広がっている。湖の向こうには、紅魔館だってあった。
 だというのに、違和感は消えない。
 一体、何が違うのか。

「ああ、そうか」

 不意に、魔理沙は気がついた。
 この幻想郷は、静かすぎるのだ。
 魔理沙のよく知る幻想郷に漂っていた、あのどこか心躍るような活気に満ちた雰囲気が全く感じられない。
 そう思ってよく見てみると、今までの世界ならば必ずどこかしらに見えていた弾幕ごっこの光が、いくら待てどもちらとも現れなかった。

(……なんか、変だな)

 背筋に小さな震えが走り、自然と体が緊張する。
 この世界では、慎重に行動した方がいいかもしれない、と思った。

 <続く

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