【東方SS】遊ぼうぜ、霊夢! (三)

東方創想話に投稿したSSの第三回目です。
(各話リンク 1/2/3/4/5/6
 

 
 慎重に行動するのはいいとして、まずはどう動くべきだろうか。
 念のため地上に降りておこう、と高度を下げながら、魔理沙は今までの平行世界のことを振り返ってみる。
 自分が死んでいた無数の世界と、先程の挫折していた世界。
 サンプル数はそこそこだが、パターン自体はごく少ないので、推論を立てるのは難しい。
 だが、共通していると思えることが二つあった。
 一つは、転移のきっかけだ。

(多分、霊夢と話すことが何かしらのきっかけになってる、と思うんだが……)

 降下と共に下から上へと流れていく景色の中、遠くの博麗神社をちらりと確認する。
 根拠は薄いものの、それ以外に思い当たることがないのだから、まずはあそこへ行ってみるのが一番だろう。
 そうは思うのだが、少しばかり引っかかる点もあった。
 それが、今まで見てきた世界におけるもう一つの共通点。
 もっと言うなら、今までの世界では同じだったのに、この世界では異なっている点、だ。

(今までは、わたし以外の事柄については大体元の世界と同じだったんだよな……)

 最初の世界の霊夢の巫女装束や、先程の世界のアリス等の例外を除けば、変わっている部分は全くと言っていいほどなかった。
 どの世界でも相変わらず異変は起きていたらしいし、空のあちこちで弾幕の華が咲き乱れ、幻想の郷は静かながらも活気に満ちた空気に包まれていた。
 それがこの世界では微塵も感じられず、むしろどこかピリピリした雰囲気すら漂っている、となれば、霧雨魔理沙という人間の状況以外にも何かしら変わっている点があると考えるのが妥当だろう。
 そしてその変化というのが具体的に何なのか、魔理沙には思い当たることが一つあった。
 それはほとんど勘のようなものだったが、万一当たっていた場合、博麗霊夢の状況も相当変化しているものと予想された。
 だから、魔理沙は博麗神社に行くのを躊躇っている。霊夢がどうなっているのかをこの目で見るのが、何となく怖い。

(とは言え、博麗神社に行かないとなるとどう行動すべきか分からんな……転移のきっかけに関する推測が正しいとすれば、結局最後は霊夢に会わないといけないんだし)

 さっきの世界でアリスに球のことを相談しなかったのは失敗だったな、と魔理沙は後悔する。あのアリスなら、かなり親身になって球のことを調べてくれただろうに。

(ま、他に気になることもあったし仕方がないが……そうだ、とりあえずこの世界のわたしの状況を確認しつつ情報収集を……っと?)

 地面に降り立つ直前、魔理沙は急ブレーキをかけた。
 少し先の方に見えている霧の湖の湖岸に、小さな背中が見える。半ば霧で覆い隠されているが、岩に腰掛けて湖の方を眺めているらしかった。
 その人影に、見覚えがある。そちらから漂ってくる、かすかな冷気にも。

(……あいつに何か聞いて、まともな答えが返ってくるとも思えんが)

 しかし、その様子を見れば何かしら分かることもあるかもしれない。
 魔理沙はそう考え、ゆっくりと彼女に近寄っていった。

 ◆

「よう、チルノ。何してんだ?」

 岩に腰掛けているチルノに背後から声をかけると、一瞬びくりと体を震わせてから、弾かれたように振り返った。
 魔理沙がよく知る、チルノという妖精に間違いなかった。空を映した水の色を思わせる青い髪、同じ色合いのワンピース、そして何より、彼女が氷精たる証とも言える、氷柱のような羽。
 そのような、外見的特徴は全て一致している。
 しかし振り返った彼女を見たとき、魔理沙が最初に抱いた印象はこうだった。

(こいつ、わたしの知ってるチルノとはだいぶ中身が違うみたいだな)

 魔理沙の知るチルノは、氷の妖精という陰の気に属する存在のくせにやたらと能天気で明るい、一言で言えばバカそのものみたいな奴だった。
 しかし、今目の前にいるチルノからは、そういう陽的な部分がほとんど完全に消え失せてしまっている。
 こちらを警戒するように睨む瞳も、引き結ばれた口元も、いつでも相手に反撃してやるぞとばかりに強張った姿勢も。
 全てが、魔理沙の知るチルノとは正反対とすら言えた。
 これは、単にチルノの周辺の環境だけが変化した影響なのか、それとも幻想郷全体に及ぶ変化だからこそチルノにも影響が出ているのか。
 そんな風に、魔理沙があれこれと考えて黙っていたせいだろう。チルノは警戒を解かないまま、

「お前、誰」

 と、問うてきた。非常に冷たく硬い声で、これもまた、魔理沙が知るチルノからは怒ったときですら聞いたことがない声音だ。

「誰って……魔法の森の魔法使い、霧雨魔理沙さんだよ。知ってるだろ」
「そんな奴知らない。誰」

 ほとんど間を置かずに、やはり硬い声で答えが返ってくる。
 まさかチルノが演技をしているとも思えなかったし、これは本当に知らないと見て間違いないだろう。
 魔理沙がチルノと知り合ったのは、紅霧異変のときだ。仮にその異変が起きなかったとしても、日々幻想郷中を飛び回っている魔理沙ならば、この氷精と遭遇する機会は他にもあるはず。
 そうなれば、ある推測が導き出される。

(わたしはこの世界に存在していないか、あるいは魔法使いになっていないかってことだ)

 ついでにもう一つの推測も確かめてみるつもりで、魔理沙は努めて気楽な調子で言った。

「なんだよ、随分冷たいじゃないか。で、こんなところで何やってんだ。暇ならわたしと弾幕ごっこでもやるか?」
「……弾幕ごっこ?」
「そうだよ。魔力弾やら霊力弾やら御札やら氷やら、ともかくバーッて撃ち合う、ド派手な遊びだよ」
「……知らない」

 チルノは、そんなのは見たことも聞いたこともない、と言わんばかりに眉をひそめている。
 いくらなんでも、こうして外に出ている奴があれだけ派手な遊びを一度も見たことがない、なんてのはあり得ないことだ。
 もしも、魔理沙の世界と同じように弾幕ごっこが行われているならば、だが。

(つまり……この世界は、弾幕ごっこのない……スペルカードルールが創設されていない世界、ってことになっちまうか)

 魔理沙は小さくため息を吐く。
 最初にこの郷の異様な静けさを感じたときから、もしかしたらとは思っていたが。
 スペルカードルールは、かつて吸血鬼異変が起きた際、妖怪の堕落と戦力低下を防ぐために考案され、創設されたものだ。
 魔理沙の友人である、博麗霊夢によって。

(それが存在しないということは、霊夢は……)

 魔理沙の頭の中を、様々な推測が駆け巡る。今の段階で結論を出すには情報が少なすぎるのは分かっていたが、霊夢に関する事柄だけに、際限なく想像が膨らんでしまう。
 だから魔理沙は、顔面に向かって飛んでくる氷の塊を危うく避けそこなうところだった。

「あぶなっ……何すんだいきなり!?」
「うるさい! さっきからなんなんだ、お前! わけ分かんないことばっかり言って……!」

 予告もなく氷塊を飛ばしてきたチルノは、ひどく苛立っているようだった。
 最初からこちらを警戒していて友好的な態度とは言えなかったが、今ではハッキリと敵意をむき出しにしている。

「わたしをバカにしてるのか!」
「……そりゃまた、随分とひねくれた解釈だな」

 新たな攻撃を警戒しつつも、魔理沙は胸に小さな痛みを覚える。
 今のチルノはこちらに噛みつかんばかりだが、その様子は何かに怯える子犬が必死に吠えて相手を威嚇している様を連想させて、とても痛々しく感じる。元のチルノの無邪気さや人懐っこさを知っているだけに、余計にそう思えるのだろうか。
 能天気な奴だとばかり思っていたが、自分が案外その明るさを好んでいたことに、魔理沙は今更ながら気付かされた。

(そういや、こいつが一人でいるのを見るのは随分久しぶりな気がするな)

 いつもならば、大妖精やらリグルやらミスティアやらルーミアやら橙やら、ノリが似通っている妖精、妖怪たちと一緒に遊んでいたものなのだが。
 そう思ってつい目を細めてしまったら、途端にチルノはますます瞳に怒りを滾らせた。

「やっぱりバカにしてる!」
「してないよ。何も言ってないだろ」
「ウソだ、お前はわたしをかわいそうな奴だと思ってる!」
「それは……!」

 胸の内の感情をズバリと言い当てられて、魔理沙はつい言葉に詰まってしまう。
 それを見たチルノは全身を震わせながら両腕を振り上げ、手の平の先に冷気を集め始めた。冷ややかな風が渦を巻き、周囲の気温が急速に冷えていく。

「お、おい、落ち着けよ!」
「うるさい、うるさい! わたしはかわいそうな奴なんかじゃない!」

 冷気が凝集して空中に氷の塊が生まれ、チルノの怒りを注がれたようにどんどん大きくなっていく。
 同時に、チルノの目には涙がせり上がってきた。やり場のない怒りと、堪えようのない悲しみとが混ぜこぜになった色だった。

「チルノ……!」
「死んじゃえっ!」

 チルノは叫び、作り上げた巨大な氷塊を投げ飛ばそうとしたらしい。
 しかし、あまりにも大きく、重く作り過ぎたのだろうか。勢いよく振り下ろされた両腕とは裏腹に、氷塊が前に向かって撃ち出されることはなく、そうなれば当然重力に従うわけで。
 あとは予想通りに、ゴッ、と鈍い音が響き渡った。

「あがっ……!?」
「お、おい、チルノ……」

 氷塊がごろりと地面に転がり、チルノが両手で頭を押さえてしゃがみこむ。目に涙が浮かんでいるのが見えたが、先程のとは若干理由が違うようだった。
 そうしてぷるぷる震えているチルノを見下ろしながら、魔理沙はしみじみと思う。
 一人称の違いやこちらの気持ちを言い当てた鋭さから、自分の知っているのよりも多少賢いのかと思っていたが、そうでもないらしい、と。
 やはり、根っこの部分は変わらないようだ。

(それなら、仲良くもなれるはずだよな)

 少しばかりほっとしながら、魔理沙は苦笑気味に声をかける。

「おいチルノ、大丈夫か?」
「う……うるさいっ……! どっか行けっ!」

 乱暴に手を振り回しながら、チルノは地を蹴って飛び立つ。まだ頭が痛むらしく、ふらふらしていて危なっかしい。

「……お前がどっか行ってどうすんだ、ったく」

 遠ざかるチルノを見送りながら、魔理沙は先程の言葉を思い出す。

(かわいそうな奴、か。誰かにそう言われたのかな)

 魔理沙が知るチルノも、そんな風に言われて傷ついたことがあったのだろうか。
 何にしても、彼女と仲良くするのに相応しいのは、恐らく自分ではないだろう。

(平行世界でもそいつの根っこの部分が変わらないのなら、もしかしたら近くに……)

 半ば祈るような気持ちで周囲を見回したら、目当てのものが見つかったので、魔理沙は小さく微笑んだ。
 近くの木の陰から、見覚えのある羽の先端が飛び出している。

「おーい。隠れきれてないぞー、大妖精!」
「ふあっ!?」

 素っ頓狂な声と共に、その木の陰から妖精の少女がおそるおそる顔を出す。
 普通の妖精よりも一回りほど背が高く、大人びた雰囲気の妖精だ。木の葉を思わせる緑の髪をサイドで束ねていて、優しく、大人しそうな顔立ちをしている。
 魔理沙の世界では、みんなから大妖精とか大ちゃんとか呼ばれている少女だった。それが名前なのか呼称なのかは未だに知らないが、この世界でも呼び名は同じだったらしい。魔理沙の呼びかけに、困惑した表情で近づいてくる。

「えっと、どうしてわたしのことを……それに、あの子のことも」
「あー……何と言うか、いろいろと事情があってな。まあ、その辺については気にするな」
「はあ……?」

 適当にはぐらかしながら、魔理沙は大妖精の言葉を頭の中で繰り返す。
 チルノをあの子、と呼んだということは、予想通りこの世界で彼女たちはさほど親しくはないらしい。
 元の世界では、大親友とでも言うべき間柄だったのだが。

「あいつのこと、気になるのか?」

 魔理沙がそう聞くと、大妖精は胸にぎゅっと手を押し当て、真剣な表情で頷いた。

「はい。仲良くしたいと思っているんですけど、話しかけても怒らせちゃってばかりで……」
「まあ、あの調子じゃな。別にお前が悪いわけじゃないだろ」

 魔理沙は励ますように笑う。

「でも、あいつだって一人でも平気だって思ってるわけじゃないと思うぜ。何かきっかけがあれば、きっと仲良くできるはずだ」
「きっかけって、なんでしょうか」
「ん……うん。なに、と聞かれても難しいが……」

 元の大妖精とチルノがどうやって仲良くなったのか、魔理沙は詳しい経緯を知らない。
 ここがスペルカードルールのない世界、ということでついそこに結び付けそうになってしまうが、もしかしたら別のきっかけがあったかもしれない。

(どっちにしても、その概念がないこの世界で弾幕ごっこなんて言ってもしょうがないわな)

 そう考えながら、魔理沙は目の前の大妖精をじっと見つめる。
 穏やかながらも、内に秘めたる決意の強さを感じさせる真剣な瞳だった。魔理沙のよく知る大妖精も、こんな目をしていたように思う。
 元々、相反する性質を持つ相手と、それでも一緒にいようと頑張っている少女なのだ。たとえどんな世界でも、その意志の強さはそう簡単には揺るがないということなのだろう。

「……ご尊敬申し上げるぜ、心の底からな」
「えっ?」
「何でもない。いいか、大妖精」

 彼女の気持ちに応えるべく、魔理沙の声も自然と真剣なものになる。

「きっかけなんて何だっていいんだ。どんな些細なことでも、チルノと話すきっかけになると思ったら躊躇わず行け。あいつは鬱陶しがるだろうが、少しも喜んでないなんてことは絶対にない。いつか必ず、分かりにくい形でも応えてくれるはずだ。そのサインを見逃すな。アタックあるのみ、だぜ」

 要するに押して押して押しまくれということで、はっきり言って大したアドバイスではない。
 だが、大妖精は気合を注入されたかのように両の拳を握りしめながら、何度も頷いてくれた。

「分かりました! ガンガン行きます!」
「おう、その意気だぜ!」

 魔理沙もグッと親指を立てる。

「でも、良かったです」

 大妖精は興奮しつつも、どこかほっとした様子で言った。

「今まで、そんな風に言ってくれる人なんて一人もいなくて……みんなあんな冷たい子と仲良くするなんて絶対無理だ、って」
「まあ、仕方ないことだな。あんまり周りを責めてやるなよ?」
「そうですね、残念なことだとは思いますけど……」
「むしろ、お前はチルノのどこがそんなに気に入ったんだ?」
「全部です!」

 即答であった。
 さっきよりも興奮したように目を輝かせながら身を乗り出してくる大妖精に、魔理沙は思わずのけぞってしまう。

「もう、あの子って見てるだけでうっとりするぐらいきれいじゃないですか! あ、もちろん外見の話だけじゃないですよ、内面も可愛くて優しいんだって言うのが見てるだけでも分かるんですよ!」
「それは見た目の話とどう違う――」
「初めて見たときはお日さまの下であの子の羽が宝石みたいにキラキラ輝いてて、わたしもうそれだけで一発KOされちゃいましたよ! こう、胸にキューンと来る感じっていうんですか、わたしも他の子よりちょっと長めに生きてますけどあれほどの衝撃は初めてでした!」
「お、おう、分かったからちょっと落ち――」
「わたしあの子と仲良くなったらあっちこっち連れて行ってあげて、どの場所にいるときあの子が一番きれいになるのか追求するつもりなんですよ! お料理とかお菓子とかもいっぱい食べさせてあげるし可愛いお洋服着せてあげて写真もいっぱい撮ってでへへへへ……」

 陶然とした笑みを浮かべるその様子は、大妖精というよりダメ妖精という感じである。

(そう言えば、こういう奴でもあったな……)

 魔理沙はついつい苦笑してしまう。元の世界の彼女がちゃんとチルノの内面まで好いて傍にいるのだ、ということを知らなければ、苦笑するどころではなかったかもしれないが。

「まあ、お前がチルノのこと大好きだってのはよく分かったから……えーと、ほどほどに頑張れよ」
「はい、全力で頑張ります!」

 異様な情熱に滾るその瞳を見ているといささか不安ではあったが、まあ悪いことにはなるまいと自分を納得させておくことにした。
 少なくとも、一人ぼっちでいるよりはずっと楽しいだろう。

「で、だ。こっちもお前に聞きたいことがあるんだが……」
「はい、なんでしょうか?」

 不思議そうな顔をする大妖精に、気になっていたことをいくつか聞いてみる。
 しかし、いかに彼女が他のよりも多少大人びていると言っても、やはり妖精は妖精といったところで、この幻想郷に関する情報はあまり多くは得られなかった。
 ただ、ずっと前に吸血鬼というのがやってきて、妖怪を大勢手下に従えて何か怖いことをしようとしていたらしい……というのは、噂程度には知っていた。

「それがどういう風に解決されたか、とかは分からないか?」
「よくは知らないです。いつの間にか怖い雰囲気がなくなって、いつもの幻想郷に戻っていましたから」
「そうなるまでに、妖怪どもが大暴れしてた、みたいなことは?」
「なかったと思いますけど……すみません、わたしもあの頃は怖くて外に出ないようにしていたので」
「いや、別に謝ることはないさ。教えてくれてありがとうな」

 魔理沙は礼を言い、チルノを追いかけると言って飛び立った大妖精を見送った。
 そうして一人になってから、得られた情報について考えてみる。
 大妖精の話からすると、この世界でも吸血鬼異変のような事件自体は起きたらしい。紅魔館があるのだから当然と言えば当然だが。
 しかし、あの異変が魔理沙の世界では結構な大騒動だったのに対して、この世界ではいつの間にか解決されていた程度の印象しか残っていないようだ。
 となれば、解決方法が違ったのだろうか。
 だから、スペルカードルールの創設には繋がらなかった、と。

「この辺踏まえた上で……行ってみるしかない、か」

 魔理沙は、霧に包まれた湖をじっと見据える。
 その向こう側に、吸血鬼の住む紅い館があるはずだった。

 ◆

 紅魔館は吸血鬼レミリア・スカーレットを長とする西洋式の紅い館であり、霧の湖に突き出した岬の上に建っている。
 魔理沙の世界におけるあの館は簡単に言えばそのようなもので、この世界でも遠目に見た感じは特に変わりがないようだった。
 しかし、いざ霧の湖を越えてその正門が見える辺りまでやってくると、やはり自分の世界の紅魔館とは違っているらしいな、という気配をひしひしと感じた。
 その原因は、門の前に立っている妖怪……門番の紅美鈴である。
 彼女は中華風の衣装を身に纏った紅髪長身の女性で、見た目は人間と大差ないがれっきとした妖怪だ。戦闘手段は主に「気」と呼ばれるエネルギーを利用したもので、どこで習得したものか拳法も達人級の腕前を誇る。
 とは言え、魔理沙の知る美鈴は気のいい性格でもあり、よく居眠りしているところを目撃されたり、霧の湖付近で遊ぶ妖精や妖怪たちと雑談していたりと、親しみやすい性質の妖怪だった。
 そんな彼女が、この世界では居眠りするどころか動く気配すら微塵も見せず門の前に直立しており、後ろに手を組んだ姿勢で睨むように前方を見つめている。何人たりとも通さないという強い意志が感じられるその姿はまさに門番と言うに相応しい。
 いちいち考えるまでもなく今の彼女は警戒態勢であり、もっと言うなら迎撃態勢を取っている。魔理沙の知る美鈴なら、よほどの緊急事態でもない限りここまで緊張した姿は見せないだろう。実際、今まで一度も見たことがない。

(まるで幻想郷の雰囲気をそのまんま投影されてるような感じだな)

 魔理沙はそんなことを考えて少し笑ったが、実際のところ笑っていられる事態ではない。
 気を使う程度の能力のおかげなのか、美鈴は特に気配を察知する力がずば抜けて高い。恐らく、今まさに接近している魔理沙の存在もとっくに把握していることだろう。

(ま、元々今日は隠れるつもりもないんだが)

 それでも肌が粟立つような緊張を感じながら、魔理沙はゆっくりと紅魔館の正面に降り立った。
 敢えて悠然とした足取りで、正門とその前に立つ美鈴に近づいていく。

「止まれ」

 美鈴が相変わらず微動だにしないまま、鋭く警告してきた。

「誰かは知らないが、それ以上の接近は許可できない。即刻立ち去れ」

 元の世界の美鈴が発したら、思わず笑ってしまうような硬い声と物言いだ。
 しかし、今目の前にいる美鈴から伝わってくるのは紛れもない敵意と威圧感であり、笑うことなど出来るはずもない。

(だからと言って、引き下がるわけにもいかないのが辛いところだよな)

 背中に汗が滲むのを感じながら、魔理沙は敢えて気楽な笑みを浮かべて言う。

「おいおい、そう硬いこと言うなよ、美鈴」

 美鈴からの返事はない。表情も全く変わらず、何故自分の名前を知っているのか、といったような疑問の色も全く窺えなかった。
 なんて面白味のない美鈴だ、と内心毒づきながら、魔理沙は更に言葉を重ねる。

「ちょっと館の皆様にお伺いしたいことがあるんだよ。とりあえず、ちょいと話を――」

 言いかけて一歩踏み出した瞬間、喉の辺りに凄まじい衝撃を感じて一瞬意識が飛んだ。
 ぐえっ、と声を漏らしたつもりだったが、それすら出口を塞がれていてほとんど声になっていない。

「警告はした」

 淡々とした声。いつの間にか、美鈴が目の前にいた。それでようやく状況が把握できたのだが、魔理沙は美鈴に片手で持ち上げられていた。じりじりと喉が絞めつけられて、非常に息が苦しい。それでも、手加減はされているのだろう。されていなかったら、もうとっくに喉を握り潰されて死んでいるだろうから。
 それにしても、と苦しさにもがきながら魔理沙は思う。一体、美鈴はいつの間に自分の目の前まで接近していたのか。

(油断、した――!)

 薄れそうになる意識の中で、己の間抜けさを思い知る。
 弾幕ごっこなら連戦連勝でほぼ負け知らずだったし、何よりも美鈴の気さくさ故に忘れかけていた事実。

(こいつ、手加減抜きの勝負ならわたしなんかよりよっぽど強いんだった……!)

 宙吊りのままじたばたともがく魔理沙を、美鈴は冷めた目で見つめながら言う。

「どこの誰かは知らないが、これに懲りたらここには近づかないことだ」

 首を絞める手の力をさらに強め、

「それとも今ここで命を落として、この郷の薄汚い妖怪どもの餌になるか」

 敵意をむき出しにした物言いだった。今まさに館に近づいていた侵入者に荒っぽい警告をしている辺りから考えても、この世界の紅魔館は未だ幻想郷と敵対関係にあるのだろうか。

(って、んなこと考えてる場合じゃなかった……! こ、このままじゃマジで落ちる……!)

 まだ自由な両手から魔法を放ってでも、この場を逃れるべきか。
 薄れる意識の中で魔理沙が決断しかけた、まさにそのとき、

「って、あれ?」

 不意に、美鈴が気の抜けたような声を出した。手の力もわずかに緩み、ほんの少しだけ呼吸ができるようになる。
 美鈴はそんな魔理沙を困惑したように見つめ、

「……もしかして、道具屋のマリィちゃん? でも、なんでそんな魔法使いみたいな格好……?」

 実に衝撃的で、興味深い発言である。
 しかし、魔理沙はそれどころではない。ぱしぱしと必死に美鈴の腕を叩き、

「と……とりあえず、お、おろしてくれ……!」
「あ、ごめんごめん」

 美鈴が慌てて、パッと手を離す。
 魔理沙は尻もちをついてしまって、もっと丁寧に下ろせと抗議したくなった。実際は呼吸を整えるのに必死で、それどころではなかったが。

「……ったく……死ぬかと思ったぜ……!」
「んー……?」

 美鈴はぜいぜい言っている魔理沙を怪訝そうに見つめ、ぶつぶつと呟いた。

「確かに、どっかで感じたことのある気だとは思ってたけど……なんか、別のも混じってるような感じで凄く怪しかったし……でも、中核にあるのはやっぱりマリィちゃんの……?」
「……その、マリィちゃん、ってのは」

 やっと呼吸が正常になり、魔理沙は大きく息を吐きながら言う。

「霧雨魔理沙、って名前なんじゃないのか?」
「ん……うん、そうだけど」
「奇遇だな。わたしも同じ名前なんだ……っていうかそもそも同一人物なんだが」
「……どういうこと?」

 眉をひそめる美鈴の前で、魔理沙はスカートの埃を払いながら立ち上がる。

「簡単に言うなら、別の世界の魔理沙なんだよ、わたしは。マリィなんてあだ名聞いたのは随分久しぶりだが」
「……どういうこと?」
「それはさっき聞いたぜ」

 混乱した様子の美鈴を横目に、魔理沙は考える。
 どうやら、この世界にも霧雨魔理沙という人間は存在しているらしい。そもそも存在自体が消えている可能性も考えていただけに、これは思わぬ収穫だった。

(道具屋のマリィちゃん、ってことは、この世界のわたしは魔法使いを目指さなかったってことか……? それならチルノと知り合ってないのも頷けるが)

 いずれにせよ、これもまた今までの平行世界にはなかった大きな変化である。
 とは言え、自分が魔法使いを目指さなかったから幻想郷全体に変化が起きたのだとは到底思えなかった。
 むしろ、幻想郷の状況が異なっているから自分も魔法使いを目指さなかったのだ、と見るのが妥当だろう。
 魔理沙がそんな風に考えていると、

「あのー、もしもーし?」

 と、美鈴が困ったような様子で声をかけてきた。

「そこで黙られるとこっちとしても対応に困るんだけど」
「ああ、悪い悪い。ちょっと考え事してた」
「それは見れば分かるんだけど……結局、あんたは何者なわけ?」
「だから、霧雨魔理沙だよ。別の世界の」
「そう言われてもさっぱり分かんないから聞いてるんだけどね」

 美鈴は頬を掻きながら苦笑する。その様子は魔理沙の知る門番そのままであり、先程までの息が詰まるような威圧感はほとんど感じられない。

(やっぱ、紅美鈴の姐さんはこうでなくっちゃな)

 内心ニヤリと笑いつつ、魔理沙はもうすっかりいつもの馴れ馴れしい調子に戻って言った。

「ま、ともかくこれでわたしが怪しい者じゃないってことは分かってもらえたよな」
「いや、怪しさ自体はむしろより強くなったよ?」
「細かいこと言うなって。それでさ、さっきも言った通り館の連中に聞きたいことがあるんで、通してほしいんだが」
「いやだから、それはちょっと困るのよね」

 言葉通りに困った様子で、美鈴は頭を掻く。

「あんたに敵意がなさそうなのは何となく分かったけど、事前の許可もなしに通すと後々問題になるからさ」
「許可……って、レミリアのか? わたしそんなん取ったことないぜ。泥棒だから当たり前だが」
「は?」
「ああいや、何でもない。で、レミリアの許可がいるのか?」
「……ま、それも必要ではあるけど」

 美鈴は皮肉っぽい笑みを浮かべて肩を竦める。

「どっちかって言うと、もっと上の方々かねえ」
「は? 上……?」

 魔理沙は困惑する。
 紅魔館の主はレミリア・スカーレットであり、その上の立場にある者などいないはずだが。

「……レミリアよりももっと偉い奴がいるってことか?」
「そういうことよ」
「誰だ、そいつは?」
「さあね……妖怪の賢者様、とかいう連中なんじゃないの?」

 美鈴は吐き捨てるように言う。口にするのも耐えがたい、という様子だった。
 一方、魔理沙はそう言われてもやっぱり事情がよく分からない。

「なんで紅魔館に入るのに妖怪の賢者の許可がいるんだ?」
「だから、それは――」
「美鈴」

 不意に、第三者の声が会話に割って入る。唐突ではあったが、魔理沙も美鈴もそれほど驚きはしなかった。
 そんな風に、突如として現れる人物が、紅魔館にはいるのである。

「咲夜、か」

 メイド服に身を包んだ、涼やかな雰囲気の少女。
 紅魔館のメイド長たる十六夜咲夜は、いつも通り何の前触れもなくその場に姿を現していた。この世界でも、彼女の時を止める力は健在らしい。
 愛想のない無表情のまま、咲夜はちらりと魔理沙を見やる。それから、淡々とした口調で美鈴に告げた。

「通しても問題ないそうよ」
「え、本当ですか? 許可は……」
「事前に申請されていたらしいわ……彼女が来訪することをご存じだったということよ、お嬢様は」
「……あー、いつものアレですか。知ってるなら教えて下さってもいいのに、もう」

 美鈴は諦めの滲む声で呟くと、魔理沙に苦笑を向けた。

「ごめん、なんていうか、ちょっと手違いがあったみたいでね。通っても大丈夫そうよ」
「はあ……? なんかよく分からんが、そうなのか?」
「ええ。っていうか、ごめんね、手荒な真似しちゃって」
「いや、それは別に……こっちも迂闊だったしな」
「そう言ってもらえると有り難いわ。ちょっと待っててね」

 美鈴は重々しい音を立てて門を開き、一礼して中を示してみせる。

「ようこそ、紅魔館へ。どうぞお入りください」
「ああ。ええと、お邪魔します……」

 いつもは弾幕ごっこで美鈴を倒して押し入っているので、改まって挨拶するのはなんだか変な感じだった。

「では、ついてきてちょうだい」

 そう言って先に歩き出す咲夜を追って、魔理沙も門の向こうに足を踏み入れる。
 が、美鈴の横を通り抜けかけてから一度立ち止まり、すっと彼女に歩み寄った。

「なあ、美鈴。大丈夫なのか?」
「え、何が?」
「いや、なんか、話通ってたみたいだし……お前、後で怒られないか?」

 普段強盗のごとく押し入っている癖にそんな心配をするのは今更という感じもしたが、今までの会話の流れやこの幻想郷の雰囲気を考慮に入れると、どうも気になる。
 美鈴は魔理沙の言葉を聞いて一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに安堵したような微笑みを浮かべてみせた。

「まだ分かんないことだらけだけど、マリィちゃんと同じ人間だっていうのは本当みたいね」
「は? 何の話だ?」
「その、こっちのこと気遣ってる顔さ……本当、そのまんまだから」

 そう言ったあと、美鈴はドン、と自分の胸を叩いてみせる。

「なに、わたしのことは心配ご無用よ。お嬢様はもうご存じだったみたいだし、大してお叱りは受けないでしょう」
「本当か? ならいいんだが」
「それに、ね」

 美鈴は小さく息を吐く。
 どこか、疲れたような顔だった。

「いつも味わってる屈辱に比べたら、こんなのは何でもないから」

 その言葉の意味を魔理沙が問うよりも先に、美鈴はまた愛想のいい笑みを浮かべた。

「さ、行った行った。お嬢様がお待ちだと思うから、ね。ここで余計な時間取らせる方がよっぽど叱られるわ」
「あ、ああ……」

 まだ聞きたいことはあったものの、そう言われては引き下がるしかない。
 今度こそ咲夜の後を追って歩き出した魔理沙の背後で、紅魔館の正門が重々しい音を立てて閉ざされた。

「話は終わりました?」
「ああ。悪いな、待たせちゃって」
「別に、いいわ。ああ、念のために言っておくけれど、吸血鬼の館だから、粗相のないように」
「分かってるさ。案内頼む」
「ええ」

 本当は頼む必要もないのだが、咲夜の顔を潰すのも良くないだろう。
 そう言えば、彼女もまた美鈴同様余裕がなさそうな雰囲気だった。紅霧異変で最初に会ったときもピリピリした感じではあったが、今はそれ以上だ。
 魔理沙にとっての咲夜は、冷たい美貌に反していつも親切で、愛想の良い少女だった。その落差もあって、今の彼女にはどうも近寄りがたいものを感じてしまう。

(紅魔館に入るってだけでここまで緊張するのも久しぶりだ。なんか、嫌な感じだな)

 ここがかなり情勢の違う幻想郷らしいということを改めて実感してしまい、ため息を吐きそうになる。
 そうして咲夜の後を歩きながら、魔理沙は何気なく周囲を見回す。
 そこに住む住人たちの様子と違って、庭園の風景はさほど変わりがないようだった。本館の前の広い敷地には、恐らく美鈴によって手入れされているのであろう木々や花々が生い茂り、隅には立派な日本風のお屋敷が、

「は?」

 思わず、魔理沙は立ち止まってしまった。
 庭園の隅に、見覚えのないものが建っている。いかにも頑丈そうな造りの、日本風の屋敷だ。さすがに紅魔館本館に比べると小さめだが、それでも十分な大きさがある。
 問題は、どうしてそんな不釣り合いなものが紅魔館の庭園に建っているのか、ということ。

「……なんだありゃ?」
「どうしたの?」

 首を傾げる魔理沙を、本館の扉の前に立った咲夜が静かな表情で見つめている。
 魔理沙は慌てて彼女のそばまで走っていき、例の屋敷を指差した。

「おい、ありゃなんだ。レミリアの奴が茶道にでも目覚めたのか? それとも笑ってはいけない紅魔館とかそういう類のアレか」
「……あれは、天狗の詰め所よ」

 咲夜はそちらの方は一瞥もせず、扉の取っ手に手をかけて冷ややかな口調で言う。

「え、天狗……? って、あの山にいる天狗か?」
「ええ」
「なんでそんな連中の詰め所が紅魔館の敷地内に……?」
「それは、わたしたちが」

 扉を押し開きながら、咲夜は一度言葉を切る。
 まるで、その先を口にするのが非常に耐えがたいことであるかのように。

「……わたしたちが、敗北したから」
「敗北……?」
「監視所なのよ、あれは」

 紅魔館の扉が、まるで老いた怪物の顎のように軋みながら開いていった。

 ◆

 本館の中に入ると、ホールは明かりもなく真っ暗で、ガランとしていた。
 吸血鬼の館なのだからそれが本来の姿なのかもしれないが、魔理沙の知る紅魔館は役にも立たない妖精メイドで溢れかえっていていつも賑やかだったため、今の静まり返っている様子にはかえって違和感を覚える。
 その、どこか寒々しい光景を前に立ち尽くしている内に、先程までそばにいた咲夜がいつの間にか姿を消していた。

「あれ、どこ行ったんだあいつ……?」

 もちろん館内の構造は大体分かっているのだから案内は不要だが、果たして勝手に歩き回っていいものか、判断に迷う。
 美鈴や咲夜ですらあんな感じなのに、元々無愛想なパチュリー辺りは一体どんなことになっているのか、非常に不安だ。

(いや、それ以上にヤバいのはフランドールだな。もしもわたしが知ってる以上の癇癪持ちになってたら、会った瞬間ミンチより酷いことになっちまう)

 その光景を想像してごくりと唾を飲んだとき、魔理沙の耳にカラカラという虚ろな音が聞こえてきた。

(木の車輪の音……?)

 そう判断した魔理沙は、音のする方へ視線を向ける。
 館の奥へと続く暗がりから、その車輪の音の元が近づいてくるようだった。

「やあ。ようこそ、異世界のお客人」

 ガランとしたホールに、幼い少女の声が響く。
 その、世の中の何もかもを面白がってやろう、楽しんでやろうとでも言いたげな愉快そうな声音に、魔理沙は聞き覚えがあった。

「……レミリア、か?」

 呼びかけながら、声と車輪が近づいてくる方の暗がりに目を凝らす。音の主は、程なくしてゆっくりと姿を現した。
 虚ろな音を響かせる木製の車椅子に腰かけている、小さな人影。その全貌を目にして、魔理沙は息を飲んだ。

「レミリア、お前、一体……!?」
「ん? 何かおかしなことでもあったかな、お客人?」

 相手の反応を心底面白がっているその声は、間違いなく魔理沙の知るレミリア・スカーレットのものだ。
 しかし、彼女の姿は魔理沙の知るものとは相当違っていた。
 まず、手足がない。いや、右腕だけはかろうじて残っているが、左足は膝の辺りで千切れたようになっていて、右足は完全に消失している。左腕も同様だ。無事な右腕にしても、指が二本ほどなくなっているようだった。
 それだけでも十分衝撃的だったが、何よりも異様なのは、その頭部である。小さく幼い顔立ちこそ一緒だが、左目の辺りがくり抜かれたように消失していて、向こう側が見えてしまっている。
 まるで、誰かが腹立ち紛れに何度も床に叩きつけた彫像のような、歪な姿だった。特に頭部は人間ならば確実に死んでいるであろう欠損具合。それでも平気そうに動いているという事実が、逆に彼女が吸血鬼であるという事実を証明しているかのようにも思える。
 予想だにしないレミリアの異様な姿を前にして、魔理沙は絶句して立ち尽くすしかない。
 一方、レミリアは相手が驚いていることにひどくご満悦な様子だった。両腕が残っていたなら間違いなく手を叩いて喜んでいたであろう悪戯っぽい笑みと共に、背後の人影を振り返る。

「見た? あの間抜けな顔! やっぱりやめられないねえ、これは」
「お姉さま、やっぱり少し悪趣味だと思うわ」

 やんわりと、たしなめるような声。
 それでやっと気付いたのだが、レミリアの背後に車椅子を押してやっている人物が立っていた。
 長い金髪を緩やかに束ねた、温和そうな少女だ。身長からして、歳は魔理沙よりも少し若い程度だろうか。もっとも、それは彼女が人間であれば、の話だが。
 魔理沙にとっては見覚えのない少女のようにも思えたが、よくよく見てみると、見知った少女の面影がかすかに残っている。何より、七色の宝石を散りばめたような、特徴的な造形の羽が、嫌でも彼女が何者であるかを教えてくれる。

「お前……フランドールか?」
「え? ええ、そうですが……」

 フランドールらしき少女は、魔理沙を見つめて困惑したように眉をひそめる。

「失礼ですが、貴女はどちら様でしょうか? どこかでお会いしたような気もするのだけど……ごめんなさい、どうしても思い出せなくって」

 その礼儀正しい物言いに、魔理沙はある意味レミリアを見たとき以上の衝撃を受ける。
 フランドール・スカーレットと言えば、紅魔館の地下に五百年近くもの間幽閉されていた、レミリア・スカーレットの妹である。
 気が狂っていると言われるほど情緒不安定な癇癪持ちの少女であり、その上「ありとあらゆるものを破壊する程度の能力」という危険極まりない力を持っているため、今もなお館の外に出ることを許されていない吸血鬼だ。
 魔理沙はフランドールにはそれなりに懐かれていたので彼女の癇癪を向けられたことはほとんどなかったが、それでも言動の端々に精神的な不安定さを感じ取って、出会うたびに内心戦々恐々としていたものである。
 しかし、今こちらを不思議そうに見つめているフランドールからは、そういった情緒の不安定さはほとんど見受けられない。
 それどころか、外見年齢よりもずっとしっかりとした、礼儀正しい娘に見える。
 本当に、この姉妹に一体何があったのか、想像もつかないほどの変化だった。

「……どうやらお客人はお前の方により大きな驚きを感じているようだ」

 レミリアが、右腕で車椅子に頬杖を突き、不満そうに言う。

「姉の見せ場を奪うなんて、まったく悪い妹だね」
「もう、お姉さまったらまたそんな意地悪仰って……それより、説明して下さいな。この方はお姉さまのお知り合いなのかしら?」
「お前も知っているだろう? 霧雨さん家の魔理沙君さ。そうだね?」
「あ、ああ……」
「まあ」

 フランドールは口に手を当て、目を丸くする。

「では、あの道具屋のマリィさんなの? でもそのお洋服……それに、なんだか雰囲気も……?」
「それはそうだろう。彼女は霧雨魔理沙であって霧雨魔理沙でない、平行世界の住人なのだからね」
「どういうことなの?」
「さあ、どういうことだろう。レッツ・シンキングタイム!」
「お姉さまったら……」

 フランドールの呆れ混じりの困惑を、レミリアは心底楽しんでいる様子だった。
 魔理沙もまたあまりの衝撃に飲み込まれそうになっていたが、いつまでも遊ばれているわけにはいかないと気を取り直し、咳払いをする。

「あー……なんだな。どうやら、あんたにはいろんなことがお見通しらしいな。レミリア・スカーレットさんよ」
「無論だとも。お前が今日ここへ訪ねてくることもとっくの昔に分かっていたよ。だから面倒臭い許可申請もしておいてやったのさ。この私の寛大な処置に対して五体投地で感謝を表現してくれてもいいよ」
「誰がするか。大体な、その割に美鈴には話が通ってなかったみたいだぜ?」
「知らせなかったからね。面白い催しだったろう。おかげで、今のこの館の状況もある程度は飲み込めたと思うが?」
「そのせいで死にかけたんだけどな」
「波乱万丈の人生! 素晴らしいね。私は若者というのはもっと生き急ぐべきだと常々考えているんだ」
「他人に押し付けられるもんじゃないだろ、そういうのは」

 半ば無意味な軽口の応酬に、魔理沙はいつの間にか笑っていた。奇妙な安堵がある。
 フランドールが外見も中身もだいぶ変わったように思えるのに対して、レミリアの方は外見はともかく中身の方はほとんど変わっていないようだ。むしろ、変に貫禄が増したようにすら思える。

「……ま、いいさ。ならあんたの言うとおり生き急ぐことにしよう」

 初見の衝撃も薄れてきたので、魔理沙は本題に入った。

「わたしが来ることが分かっていたのなら、何をしに来たのかもある程度は分かってると思っていいんだな?」
「無論だとも。聞きたいことがあるんだろう? 知る限り教えようじゃないか、勿体ぶってな」
「勿体ぶらなくてもいいっての」
「そう遠慮するな。まあそういうわけだから、彼女を私の部屋に案内してくれるかな、フラン?」
「え? だけど……」

 それまでの会話を黙って聞いていたフランドールが、警戒するようにこちらを見る。彼女にしてみれば訳の分からない状況が続いているのだから、当然だろう。

「ま、ご覧の通り怪しさ満点ではあるが」

 魔理沙はおどけて言う。

「どうせメイド長様もどこかで見張ってらっしゃるんだろう? 危害を加えるつもりはないが、加えようとしても無駄なことぐらいは分かるさ。その点は安心してくれ」
「その通りだ。お前は少し心配性過ぎるよ、フラン」
「でしたらその心配性な妹が少しでも安心できるように、ほんのわずかでもご配慮下さらないかしら、お姉さま?」
「おお、酷い妹だ。こんな哀れな姉からまた一つ楽しみを奪うつもりらしい」
「本当にもう……しょうがないお姉さま」

 フランドールは苦笑したあと、また魔理沙をじっと見つめた。
 そして、すぐに微笑み、

「そうね、悪い方ではなさそうだし……分かりました、お姉さまのお部屋までご案内いたしますわ」
「紅魔館当主の妹君、直々のエスコートだ。咽び泣いて感動した上で終生の誉れにするといいよ」
「へいへい」

 口の減らないレミリアに呆れる魔理沙を、フランドールは可笑しそうに笑って見つめていた。

 ◆

 そうして、魔理沙はレミリアの私室から続くテラスに通された。
 フランドールが気を遣って退室したので、大きなパラソルの下に車椅子のレミリアと二人きりで残される。
 それからしばらくの間、二人で黙ったままそこからの景色を眺めた。遠くに見える湖も眼下の庭園も、降り注ぐ日差しの中で美しく輝いていたが、やはり庭の隅にある日本風の屋敷がどうにも不釣り合いだった。

「こうやって全体眺めてみるとますます浮いてるな、あれ」
「そう? 私はこの手のアンバランスさもそれはそれで美しいと思っているのだけれどね」
「本当かよ」
「物事の美しさというのは最初から備わっているものではないよ。ひとが勝手に見出すものだ。その気になれば便所のクソだって美しく思えるものさ」
「なんでそんな下品なのを例えを出すのかね」
「物言いが極端な方が印象に残るだろう。もっとも、わたしはそんなものに美しさを見出すのはご遠慮願いたいが。さて」

 車椅子の上で、レミリアは頬杖を突く。

「私としてはこのまま益体もないお喋りを続けていたいところだが、残念ながら目の前のお嬢さんはお急ぎのようだね?」
「分かってる癖によく言うぜ。なら質問してもいいんだな?」
「もちろん。何でも聞いてくれたまえ」

 お言葉に甘えて、と遠慮なく質問したいところだったが、さすがに今のレミリアの姿を見ていると少々躊躇われる。
 そんな魔理沙の躊躇を見透かしたかのように、レミリアは愉快そうに笑った。

「どうやら、私のこのザマが気になるらしいね」
「……そりゃ、気にならないわけないだろ」
「正直でよろしい。ではご説明申し上げる……前に、まずはお互いの認識をすり合せようか」
「どういう意味だ?」
「お前の世界の私……つまり、吸血鬼レミリア・スカーレットがいかなる状況にあるのかを知る限り話してみなさい。その上で、この私のどこがどう違っているのか説明する……その方が分かりやすいでしょう、お前には」
「お気遣いに感謝いたしましょうかね。そうだな、まず……」

 言われた通り、魔理沙はレミリアについて知っている限りのことを話した。今まで知り得た情報からして、彼女の運命が分岐したのは吸血鬼異変だろうと思われたので、その辺りは特に念入りに説明する。

「……でまあ、わたしの世界のあんたは相当大暴れしたようだが、最終的には妖怪の賢者どもに叩きのめされて降参した、らしいぜ」
「ふむ。その後は?」
「詳しくは知らんが、幻想郷の人間の血を吸ってはならない、とかそういう契約をいくつか結ばされたらしいな。ただ、わたしが知ってる限り活動自体の制限はほとんどないみたいだ。少なくとも」

 と、魔理沙は例の監視所を目線で示し、

「敷地内にあんなもん建てられるなんて屈辱的な状況になってないことは間違いない」
「ふふ……手厳しいね」

 レミリアはさほど気分を害した様子はなく、むしろ話を聞いて満足そうですらあった。

「なるほど。どうやらお前の世界の私は相当上手くやったらしいね。羨ましいことだ」
「あんたを見てると、どうもそうらしいな」
「私だってさほど下手を打ったつもりはないんだがね」
「ならなんだってそんなザマになってる?」
「よろしい。説明しようじゃないか」

 いよいよ話の核心である。
 魔理沙が平静を装いつつも、内心相当な興味を抱いているのを見抜いているのだろう。レミリアはそれがいかにも愉快だという口調で、語り始める。

「まず、吸血鬼異変以前の動きについてだが、これに関してはほとんど変わりはない。館ごとこの郷に転移してきた我々は、そこら中の妖怪を力づくで配下に加えた」
「そこまでは上手くいってたわけか」
「ああ。お前の世界と同じく、この世界の妖怪も長年の怠惰とかでふぬけていたのでね。現代に至ってもウンザリするほどしつこい吸血鬼ハンターどもと戦ってきた我々にとっては、烏合の衆も同然だった。容易く掌握できたよ」

 となれば、博麗大結界構築までの経緯や、その後人間を喰うことが禁じられて妖怪が堕落していった流れなども同じだと考えていいだろう。

「違ったのは、その後か」
「ああ。お前の世界の私は随分と大暴れしたようだが、この私には出来なかったのさ」
「どうして?」
「事を起こす前に、邪魔が入った……いや、叩きのめされた、と言った方がいいか」

 そのときのことを思い出すように、レミリアが残った右目を細めてみせる。

「圧倒的、というのはああいうことを言うのだろうね。私は成す術もなく大敗し、おかげで今もなおこのザマというわけさ」
「成す術もなく大敗、って」

 にわかには信じ難い話だった。
 レミリア・スカーレットは吸血鬼であり、言うまでもなく強大な存在である。だからこそ、吸血鬼異変や紅霧異変のような騒乱を起こせたのだ。魔理沙の世界における吸血鬼異変の終盤、強大な妖怪に叩きのめされた、という話にしたって、そこまで圧倒的な大敗ではなかったはずである。だからこそ、ある程度は有利な条件で和解に持ち込むことができたのだろうから。

「あんたほどの奴がそこまで一方的にやられるなんて、一体どんな化け物が出てきたんだ。神か何かか?」
「神などではないよ……いや、そもそもこの郷の大妖怪だって、あのときは出る幕がなかった」

 神でもなく、大妖怪でもない。

「じゃあ、まさか……」
「お察しの通り」

 レミリアは一つ頷き、

「私をこんなザマにしてくれたのは、人間さ。それも、お前がよく知っている人間。博麗の巫女、と呼ばれている――」
「――博麗、霊夢」

 ご名答、と言うように、レミリアが頷いてみせる。
 しかし魔理沙は、自ら呟いた名前がこの場面で出てきたことに、強烈な違和感を抱いていた。

「お前をそんなになるまで痛めつけたのは、霊夢だって言うのか」
「ああ。何せこの身で巫女の攻撃を受けたのだから、間違いない。同時に何かしらの封印も施されたようでね。あれからもう長いこと経つのに、この体は再生の兆しすら見せない。パチェに解析を頼んでもみたのだが、どうにも分からないそうだ。もっとも、こんな状態でも生かされているだけ有り難いと思うべきなのだろうけど」

 封印を施されている、というのは嘘ではないだろう。実際、今隣にいるレミリアからは霊力魔力妖力の類を全くと言っていいほど感じない。吸血鬼としての力自体を奪われているようだ。
 ただ、それを成したのが霊夢だというのが、魔理沙にはどうにも信じられない。

「一応確認しておきたいんだが、その姿は大敗の結果不利な契約を結ばされて、とかじゃないんだよな?」
「違うね。契約を結ばされたのは異変の後よ。辛くも生き残った我々に、幻想郷側は和解の条件をいくつも突きつけてきた。その中に、外出の制限や外部の者と接触する際の許可制度、常時天狗の監視を受けること、等も含まれていたわけだ」
「和解ってよりは無条件降伏って感じだな」
「情けない話だが、実際その通りだ。敗者というのは傍目から見ればいつだって惨めなものさ。その点、お前の世界の私は上手いこと己の力を誇示できたようだね」

 レミリアは満足げに言う。その口ぶりからは、魔理沙の世界における程度の敗北と、ある程度マシな条件下での和解とが、彼女らにとっては計画の範囲内だったことが窺えた。
 何故そうまでして自分たちの力を誇示する必要があったのか、という点も気にはなったが、今の魔理沙にとって最大の関心事は、そこではなかった。

「……それで、あんたをそこまで痛めつけた博麗霊夢は、どんな感じだった?」
「どんな感じ、か……まあ、一言で言えば化け物だね」
「あんたの口から化け物なんて言葉が出るとは思わなかったな」
「そうとしか言いようがないのだから仕方がないよ。見ろ」

 レミリアは目を細め、残った右手を軽く上げてみせる。
 その小さな手は、何か非常な恐怖を感じているように小刻みに震えていた。

「ご覧の通り、今でもあのときのことを思い出すだけで震えが走るのさ。名だたる吸血鬼ハンターどもと幾度も死闘を演じてきた私だが、あのときほど恐怖を感じたことはなかった」
「そこまで強かったのか、霊夢は?」
「強いなんてものじゃあないね。あれはまさに別次元の生き物だった。何せ、気も魔法もナイフも吸血鬼の膂力も、フランの破壊の力ですら、あれにはかすり傷一つ負わせられなかったのだから」

 レミリアを筆頭とする紅魔館勢の突出した力からすれば、それはほとんど非現実的な話にすら思えた。
 しかし、魔理沙は知っている。そんな真似を可能にする奥義が霊夢にあることを、魔理沙はよく知っている。

(夢想天生……か)

 それは、博麗霊夢が持つ最終にして最強の奥義である。同時に、彼女の「空を飛ぶ程度の能力」の最終形態でもある。
 この奥義を発動した霊夢はこの世のありとあらゆるものから浮き上がり、誰にも何にも触れることができなくなり、一切の攻撃が通用しなくなる。一方で、霊夢からの攻撃は通常通り命中する。
 要は現実化した無敵モードであり、反則と言う言葉すら生温く思えるほどの圧倒的な奥義なのだ。
 この能力に名前を付けたのは、他ならぬ魔理沙だった。何せこれを発動されたが最後誰も勝てなくなってしまうため、弾幕ごっこの際は敢えて名前をつけてスペルカード化することで、「相手が制限時間一杯まで耐え切れば霊夢の負け。この奥義を解除しなければならない」というルールの範囲に収めてやったのだ。
 逆に言えば、遊びの範囲内でなければ誰も勝てないということでもある。以前興味本位で紫に聞いてみたことがあるが、そもそもその力は根本的に「何者の干渉も受け付けない」という法則の下に構成されているため、どれほど強大な力を持つ神や大妖怪であっても、解除は絶対に不可能ということだった。

『じゃあ本当に本気で誰も勝てないってことなのか』
『ええ。ただ、今の霊夢本人の霊力だってそこまで強いものではないから、いくら無敵になっても相手を倒せない可能性はあるでしょうけれど』
『そうなると、どうなるんだ?』
『お互い相手を倒せないのだから、千日手になるでしょうね。あの状態の霊夢は肉体的な疲労からも浮いているから力が尽きて能力が解除されるということはないし、全力の霊夢が倒しきれない相手ならば体力もほぼ無尽蔵か、半永久的に供給可能なのでしょう。下手をすると永遠に戦い続けることになるかもしれませんわ』
『ぞっとしない話だな……っていうか、聞いといてなんだがそういうことペラペラ喋っちゃっていいのか』
『貴女に知られたからってどうなるとも思えませんわ』
『そりゃそうだろうけどさ……』
『それに、そんな野蛮な話はどうだっていいじゃないの』
『なんで?』
『だってわたしたち、可憐でか弱い女の子ですもの。うふふ♪』

 そのときは死ねよババァと思って会話を終わらせてしまったが、紫の見解が正しいのなら、いかに夢想天生を発動させた霊夢と言えどこうも一方的にレミリアを叩きのめすのは不可能なはずだ。
 それが可能であり、なおかつ無慈悲に実行してしまったという事実が、何を示しているのか。

「……そのときあんたが見た博麗霊夢は、どんな女だった?」

 胸の中で嫌な予感が急速に膨れ上がるのを感じながら、魔理沙は問う。
 レミリアは眉をひそめて、

「だから、まるで別次元の生き物のごとき強さだったと」
「強さとかの話じゃないんだ。なんていうか、言動とか、見た目とか……どんな女に見えた?」
「ああ、そういう意味か……そうだな、胸も尻もあまり大きくなくて私好みではなかったが」
「そういう親父的なセクハラ視点も除いて頼む」
「我がままだねお前は。まあいい、許してあげよう。そうだな……」

 ふと、レミリアは空を見上げて目を細めた。今はまだ昼間だが、まるでそこに浮かぶ銀色の月を見つめているような表情だった。
 そして、謳い上げるように言う。

「美しい少女だったよ。掛け値なしにね」
「美しいだって?」
「ああ。あのとき感じた恐怖とは相容れない感覚だと自分でも思うのだけど、あれは本当に美しかった。これほどまでに透徹された人間が本当にこの世に存在するのか、と思ってしまうほど……ある目的のためだけに作り上げられ、鍛え抜かれた一振りの刀……機能美の極致とでも言うべき美しさだった。生き物に対してこんな言い方をするのはおかしなことだが、これ以上の表現は私には思いつかない」
「……言葉は交わさなかったのか」
「全く。巫女は我々が行動を起こそうとしたまさにその瞬間、どこからともなく飛んできて、物も言わずに周囲の全てを叩き伏せた。咲夜や美鈴は私を庇ってくれようとしたが、どう見ても敵わないことは分かっていたから、即座に下がらせたよ。おかげで私は一瞬でこのザマに成り果てたがね」

 二人の間を冷たい風が吹き抜ける。魔理沙は身震いした。
 今聞いた印象は、魔理沙の知る霊夢とはほとんど正反対であり、当てはまるところが全くないと言っても過言ではない。
 軽口も叩かず容赦もなく、手加減も躊躇もなしにただ幻想郷に騒乱を起こす者を断罪する者。
 その印象は、ほとんど機械的とすら言えた。だからこそレミリアも、機能美の極致などと表現したのだろう。
 それはいわば、博麗の巫女としての役目に特化した霊夢だった。何一つ無駄なく、ただ巫女としての役目を果たすだけの存在。
 博麗の巫女に、なりきった少女。

(……なら、その役目を果たすために修行もきちんと積んでいると考えるべきなんだろうな。わたしの知る霊夢みたいにぐうたらはしてないんだろう)

 だからこそ、吸血鬼であるレミリア・スカーレットすら一瞬で叩き伏せ、誰にも解除出来ない封印を施すことが出来た。
 霊夢が本気で努力すればさほど苦労もなくその域に至れるであろうことを、非才の努力人である魔理沙は嫌と言うほどよく知っている。
 この幻想郷が怖いほど静まり返っている理由も、今ではよく分かる。
 大妖怪だろうと邪神だろうと、流れ込んだ異物が騒ぎを起こそうとした瞬間即座に飛んできて、問答無用で調伏してしまう巫女。
 そんなものが存在する郷が、活気づくはずはない。魔理沙の世界だって、スペルカードルールが導入されて異変が頻発する以前は、平穏ながらも怠惰で退屈な空気の中に沈んでいたのだから。

「さて……今度は私の方から質問してもいいかな?」

 不意にレミリアが言ったので、魔理沙は思考を中断する。
 半ば体が崩れた吸血鬼は、残った右目で面白がるようにこちらを見つめている。

「お前は、博麗霊夢のことをよく知っているのだったね」
「ああ……まあ、この世界の霊夢とは全然違うみたいだけどな」
「構わんさ。世界が変わったところでその者が持つ本質が変化することはない」
「それは一応知ってる……いや、知ったつもりだけど。なんだ?」
「うん。お前の大好きな、博麗霊夢というあれのことだが」

 レミリアは心底楽しそうに、

「人間だと思うかね?」

 その言葉を聞いたとき、言いようのない不快感が魔理沙の胸に広がった。

「……どういう意味だ?」
「言葉のままの意味だよ。博麗霊夢という名前のあれを、人間だと思うのかどうかと聞いているんだ」
「あれなんて言い方はやめろ……!」
「それ以外の表現は思いつかないねえ」

 ケラケラと笑うレミリアを前に、魔理沙は拳を握りしめる。
 殴りかかりそうになるのを堪えて、深い吐息と共に答えた。

「霊夢は人間だ。それ以外の何だって言うんだ」
「本当にそうか? 神も大妖怪も物ともせずに叩きのめし、何物にも触れさせず何物の影響も受けず、ただ己の役目を果たし続ける。そんな存在が、果たして人間と言えるのかな?」
「それは……!」
「実際に対峙したからこそ分かるんだがね。私にはあれが人間の腹から生まれたものだとは到底思えないんだよ。もちろん体こそ人間のものだが、人間にしてはあまりにも研ぎ澄まされ過ぎている。まるで、博麗の巫女というパーツになるためだけに誂えられた、作られた……そんなものに思えてならない」
「てめえ……!」

 魔理沙の憤りに反して、レミリアは至極冷静な様子だった。右目からは先程までの面白がるような色が消え、ただ魔理沙に対して答えることを求めている。
 その視線を受け止めつつも、魔理沙は何も答えられなかった。感情は煮えたぎらんばかりに熱くなっているが、理性は反論の余地がないと冷酷な答えを下している。
 大事な友達が虚仮にされているのに、反論の一つも出来ない。

「……わたしの知ってる霊夢は」

 それでも魔理沙は、何とか声を絞り出す。

「霊夢は、ちゃんと、人間だよ。そりゃ、辺鄙なところに住んでてちょっと浮世離れしてて、常識知らずなところもあるけど……怒りもするし泣きもするし、それ以上によく笑う、人間の女の子だ。わたしはずっとそばであいつのこと見てきたんだ。だから、誰よりもそのことを知ってる」

 そう、知っている。
 知っているのに、どうしてこうも心細い気持ちになるのだろう。
 それは、レミリアが言った通り、世界が変わっても人の本質が変わらないことを、魔理沙が知ってしまったからだった。
 ならば自分の知る霊夢も、何かのきっかけでこの世界の霊夢のようになってしまうのではないか。ただ博麗の巫女としての役割を果たすだけの存在になってしまうのではないか。
 魔理沙の好きなあの笑顔が、消えてしまうのではないか。
 そう考えると、たまらなく悲しく、泣きたいような気持ちになるのだった。今すぐ自分の世界に帰って、霊夢の所へ飛んでいきたいような、不安で不安でたまらない気持ちになる。
 そんな風に考えて、魔理沙があまり悲しそうな顔をしていたからだろうか。

「……すまないね」

 不意に、レミリアがため息を吐くように言った。

「ちょっとした警告のつもりが、必要以上に不快な気持ちにさせてしまったようだ」
「警告……?」
「そう……霧雨魔理沙。友人として警告させてもらうが、お前はこの世界の博麗霊夢には会わない方がいい」
「どうしてだ」
「悲しい想いをすることになるからだ。わたしにはそれが視えている」

 レミリアは静かな口調で断言する。視えている、と言った彼女の瞳に浮かんでいるものは、深い憂慮の色だった。

「……運命を操る程度の能力、とかいうやつか?」
「そう……まあ、こんなザマを晒していては説得力もないだろうが、吸血鬼としての膂力を奪われてから、こっちの能力はむしろ強くなっていてね。完璧ではないが、以前よりも広く未来が視通せるようになった。別世界のお前が来るのが事前に分かっていたのも、そのおかげさ」
「それで、わたしがこの世界の霊夢に会うと悲しい想いをするってのか」
「そう……だがまあ、未来視などする必要もなく分かることだろう? 今お前は、変わり果てた彼女のことを想って酷く傷ついているのだから」

 やはり反論の余地がなく、魔理沙はうなだれるしかない。

「……でも、霊夢に会わないと元の世界に帰れないかもしれないんだ」
「ほう。それはまたどうして?」
「そもそも、わたしが平行世界を移動した原因はこれみたいなんだが」

 と、魔理沙はポケットから取り出した例の球をレミリアに手渡し、ざっと事情を説明する。

「ふうん。博麗霊夢と話をすることが転移のきっかけ、と……それは興味深いね」
「お前の能力で何か分からないのか」
「……ふむ」

 レミリアは一瞬目を閉じ、悪戯っぽく笑った。

「うちの大図書館殿にこれの解析を頼めば、元の世界に帰ることは可能なようだ」
「え、霊夢と会わなくてもか?」
「そうらしいよ。まあパチェは優秀だからね。マジックアイテムの解析など朝飯前ということだろう」
「まあ、あいつの知識は疑いようがないが……引き受けてくれんのかね?」

 パチュリー・ノーレッジの無愛想なへの字口を思い出して魔理沙が顔をしかめると、レミリアは愉快そうに笑った。

「大丈夫、パチェも最近は退屈しているようだからね。たまにはこういう暇つぶしがあってもいいだろう」
「退屈? あいつは本が読めればそれでいいんじゃないのか」
「どうも、そうではなかったみたいでね……わたしも最近知ったのだけど」

 そう言うレミリアは、心なしか申し訳なさそうにも見えた。

「ま、ともかくパチェに頼んでみなさい。それでめでたくご帰還だ」
「そっか。じゃあ、この後図書館に寄ってみるかな」

 言いながら球を返してもらったとき、魔理沙はふと、どこかから自分を見つめている視線を感じた。
 それは元の世界で球を拾ったときに感じた、あの視線と同じもののようだった。

(……どこだ?)

 周囲を見渡してみたが、あのとき同様何者かの気配らしきものは窺えない。

「どうしたね?」
「ああ、いや」

 レミリアに問われて、ポケットに球をしまいこむ。
 そうして気付くと、いつの間にやらあの視線が消えていた。

(……どういうことだ? わたしと一緒に平行世界を移動してる奴がいるのか?)

 だとすれば、その目的は何なのか。やはり、魔理沙の監視か観察か。何のためにそんなことをするのだろう。
 大いに疑問ではあったが、あのとき同様気にしても仕方のないことだ、と割り切ることにした。
 あちらが姿を現さない限り、こちらからは何もすることが出来ない。

(……それにしても)

 話が一段落したこともあり、魔理沙は改めて隣にいる車椅子のレミリアを見つめた。
 その幼い体は悲惨としか言いようがない状態だが、今まで見てきた感じ、本人はそのことをさほど気に留めていないようだった。
 魔理沙の知るレミリアは、吸血鬼らしくプライドも高かったように思う。加えて、この世界の美鈴や咲夜は現在の紅魔館の立ち位置に不満を抱いているようだったから、今目の前にいるレミリアの満ち足りた様子は何となく腑に落ちないものがあった。

「こういうこと聞くのもなんだけど」

 一応そう前置きしてから、魔理沙は聞いた。

「お前はさ、今の立場に不満とかないのか。あと、霊夢に対する恨み、とかも……」
「そういうのは、特にないね」

 レミリアは、至極平然とそう言ってのけた。
 あまりにもあっさり言われたものだから、魔理沙の方が拍子抜けしてしまったほどだ。

「ないって……本当に?」
「本当だとも。それとも、今の私はそんなに不満そうに見えるのかな?」
「不満そうに見えないから聞いたんだ」
「ま、言いたいことは分かるがね」

 レミリアは皮肉っぽく言う。

「私はこんなザマにさせられて、妖怪としてはほとんど再起不能だ。館の敷地内に余所者の侵入を許しているし、従者たちにも苦労をかけていると思う」
「それでも不満はないと?」
「私本人にはね」
「どうして?」
「私の目的が、既に達成されているからさ」

 レミリアは満足げにそう言ったが、魔理沙には何のことやらさっぱり分からない。
 こんな状態で達成されている目的とは、一体何なのか。

「そもそもの始まりを考えてみなさい。あの懐かしい吸血鬼異変を」

 レミリアは、魔理沙の困惑を楽しそうに眺めながら言った。

「我々は自らの力を誇示するためにああいう騒乱を起こしたわけだが、どうしてそんなことをする必要があったのだろうね?」

 そう言われて、魔理沙は答えに窮する。あの当時のレミリアの行動原理など、今まで考えてみたこともなかった。

「……単に挨拶代わりっていうか、面白がってただけじゃないのか? お前の性格からして」
「まあ、間違ってはいないね。巫女に叩きのめされるまでは心底楽しんでいたよ。でも、それが目的だったんじゃないんだ」
「それじゃあ、一体他にどんな目的が?」
「フランドールさ」
「フラン……?」

 魔理沙は、自分の世界のフランドールと、この世界のフランドールのことを思い浮かべる。

「フランを、ああいう穏やかな感じにするのが目的だったってことか?」
「細部は違うが、最終的にはまあ似たようなものか」

 レミリアは、追憶に浸るように目を閉じる。

「わたしはね、あの子に居場所を作ってやりかったんだ」
「居場所……」

 フランドールが、姉であるレミリアによって地下に幽閉されていたことを思い出す。

「つまり、幻想郷の支配者になって、フランドールに好き勝手させてやりたかったとか?」
「当たっているようで若干的外れな、実に絶妙なところを突いてくるね、お前は」
「悪かったな」
「まあ、なんだな……フランの以前の性格と、破壊の力については知っているだろう?」
「よく知ってるぜ」
「外の世界には、私たちを含めてそれを受け止められる者がいなくてね……私は、あの子を一人ぼっちのまま閉じ込めておくしかなかった。あの子が誰かを傷つけたり、誰かに傷つけられたりしないように」

 本当の所、フランドールへの処置は幽閉と言うよりも保護の意味合いが強かったということだろう。
 一応、その辺りの事情は魔理沙も大まかには察しているつもりだった。

「だが、古今東西の幻想が流れ着くこの郷であれば、あの子の力を封印したり、あるいは全力でぶつかっても壊れずに受け止められる者もいるかもしれない」
「まあ、実際何人かは思い浮かぶな」
「ならば、いっそのこと自らこの郷に乗り込んで、そういう者を探し当ててやろうと考えたわけだ」
「それがなんであの大暴れに繋がる?」
「幻想郷の情勢については分からないことも多かったからね。最初の接触である程度の力を誇示して、不可侵かつ高い地位を築く必要があった。その方が目的の妖怪なり何なりを探し当てるにも便利だと思ったし、フランの力を知って、良からぬことを企む輩がいないとも限らなかったからね。力を誇示しておけば、そういう連中への牽制にもなる」
「ああ、それでわたしの世界のレミリアは上手くやってる、って言ったのか」

 魔理沙はようやく合点がいった。確かに、元の世界のレミリアは相当自由に振舞っており、それでいて周囲に一目置かれる立場に収まっていると言える。
 しかし、そうなるとますます分からない。
 そういった企てが完全に失敗し、不利な立場に押し込められているこの世界で、どうしてその目的が達成されていると言えるのか。

「お前もさっき私の妹を見ただろう」

 魔理沙の疑問を見透かしたように、レミリアが言う。

「お前の目に、あの娘はどう映ったかな?」
「どう、って……」

 この世界のフランドールは、魔理沙の知る彼女と同一の存在だとは到底思えぬほど穏やかで、理性的になっているように見えた。背丈だって伸びていたし、物腰も物言いも礼儀正しく、淑やかで……一言で言うなら、ずいぶん成長したな、という感じだった。
 そう伝えると、レミリアは心底満足したように頷いた。

「そうだろうそうだろう。フランドール・スカーレットは、今やどこに出しても恥ずかしくない一人前のレディなのさ」
「そりゃそうだと思うが、それが……あ、そうか」

 魔理沙はようやく気付く。
 どこに出しても恥ずかしくないということは、閉じ込めておく必要もないということだ。
 それは、もうレミリアが過保護に居場所を作ってやろうとしなくても、自らの力でそういう場所を作っていける、というのと同義である。

「なるほどな……でも、大丈夫なのか? あのフランにだって、狂気や破壊の力は備わっているんじゃないのか?」
「もちろんだ。我々にとって能力と精神性とは存在する根拠であり、意義に等しい。フランが生きている限り、それが完全に消失することはないよ」
「なら、相変わらず危険なんじゃないのか?」
「とんでもない。危険はほぼなくなったと見ていいよ。今のあの子は、自分の能力を完全に制御下に置いているからね」

 レミリアはさらりと言ってのけたが、それは本来ならば驚愕に値することである。
 フランドールは五百年近くもの長きに渡って幽閉されていた。ある程度自由になった魔理沙の世界でだって、相変わらず精神が不安定だったため、外出は許されていない。
 それだけ、彼女の狂気を制御するのは困難だったということだ。それを、この世界のフランドールは成し遂げているという。

「どうやったのか気になるかい? 気になるだろうね」

 レミリアは、魔理沙の反応を楽しんでいるというより、自分の妹が達成した偉業を自慢したくてしょうがないという様子だった。

「そもそも、無慈悲な巫女の襲撃に遭っても私が未だに生き永らえているのは、まさに止めを刺されようとしたその瞬間にあの子が割って入ってくれたからなのさ。どうやって知ったものか、私の危機を察知するなり地下の扉を壊して、飛んできてくれてね」
「フランに庇われたってことか? でも……」
「そう……さっきも言った通り、あの子の破壊の力すら巫女には通用しなかった。それでも、ほんのちょっとの時間稼ぎにはなった」

 そのわずかな時間に、妖怪の賢者が現場に駆けつけたのだという。賢者は現れるなり巫女を制止し、幻想郷の平和を乱した罪に対する罰はもう下された、と伝えたのだとか。

「それで霊夢は引き下がったのか?」
「拍子抜けするほどアッサリとね。もしかすると、あの娘は単に加減を知らないだけなのかもしれないよ」
「だったら少しは救いになるんだがな」
「救いね……ま、ともかくそれで、我々は命拾いしたというわけさ」
「妖怪の賢者は、どうしてあんたらを助けたんだ?」
「向こうにも向こうの思惑があったということだろう。お前の世界における異変の推移から察するに、元々紅魔館にある程度の地位を築かせる予定だったのかもね。あの連中は、幻想郷のバランスを維持するのに相当神経を使っているようだから。ま、私がこんなザマになってしまったんで、その目論見は大きく外れたことだろうと思うが」

 その辺りの事情にはもうあまり興味がないのだろう。レミリアの口調は実に素っ気なく、淡々としたものだった。

「それよりも、フランドールの話だ。あの子がどうやって精神と能力とを制御するに至ったか、だが」
「もしかして、お前が代わりに当主に据えて猛特訓を施した、とかか?」
「とんでもない。私は何も命じてはいないよ。いや、少し違うかな……」

 レミリアは、懐かしむように目を細める。

「私はね、このザマになってから、あの子に私を殺すように言ったのさ」
「……そりゃまた物騒な話だな」
「だが妥当だろう。あの子を閉じ込めていた姉はもう力を失い再起不能になったのだからね。最後にしてやれることと言ったら、それぐらいしか思いつかなかった」

 それで、姉への復讐を果たした後は館を出て、己の力を受け止めてくれる相手を探してその者と生きていくようにと伝えた。妖怪の賢者にはもう話をつけてあるから、そういう相手が見つかるまでは世話をしてくれるはずだ、とも。
 しかし、フランドールは姉を殺そうとはせず、そのそばを離れようともしなかったという。

「あの子が変わったのは、それからさ。今まで、いつもどこかに怯えを宿していた瞳が、前向きで力強い輝きを放つようになった。咲夜や美鈴、パチェの指導で様々なことを学び取り、心身共に成長していった」
「それで、今に至るってわけか?」

 魔理沙には、いまいち納得できなかった。
 今の話を聞く限り、フランドールは何か特別な特訓をしたというわけではなさそうだった。
 それなのに、数百年間も悩まされていた問題がほとんど自然に解決してしまったというのは、どうも理屈が通らない話に思える。

「まあ、傍目には何もしていないようにも見えたかもしれないが、あの子は内心で己の狂気と向き合い、戦っていたのだと思うよ」
「その結果、自分に打ち勝ったと?」
「その通りだ。いや、実に素晴らしいね。我が妹には全世界ナイトメア賞を差し上げたい」
「迷惑だからやめとけよ。なあレミリア、お前の自慢に水を差すようで悪いんだが」

 魔理沙は若干躊躇いつつ言う。

「それって結局は気の持ちようでした、っていう、物凄く腰砕けなオチだったってことなんじゃないのか」
「端的に言えば、そうだね」

 レミリアは否定せず、また特に気分を害したようにも見えなかった。

「実際、そんなものだったんだろう。フランにとって、力のある姉は自分を縛る鎖であり、同時に安心して寄りかかれる大樹のような存在でもあったということさ」
「だから、お前が健常だった間は無意識の内に甘えが出ていたと?」
「そう……周囲の者はあの子を恐れたが、あの子だって内心不安だったのだろう。なまじ自分の力の飛び抜けた危険さが分かっていた故に、他人と上手くやっていけるとは到底思えなかった。それを試す勇気もなかった。だから、『強い姉に閉じ込められているのだから仕方がない』と言い訳して、己の力と本気で向き合うことを避け、大人しく幽閉されていたというわけさ。お前は意外に思うかもしれないけれど、あの子が本気で外に出たいと言って暴れたことは一度もなかったのよ。実際にそうされていたら、我々には止める術がなかったしね」

 だから、姉が力を失い逃げ場がなくなったことで、半ば強制的に自分の力と向き合わざるを得なくなった。
 皮肉にも、レミリアの企てが失敗したことが、本来の目的達成に直結してしまったということだ。

「なんだかな……そんな簡単な話でいいのかな」
「私のこの状態を見て簡単な話だと評価されるのも心外だがね」
「いや、それは確かにその通りなんだが」
「逆にお前に聞くけど、お前は『やる気出すぞ!』と自分に言い聞かせれば無限に気力を引き出せるような特異な精神性の持ち主なのかな?」
「それはまあ……無理だな」

 まさに今日、自分では抗いようもないほどの無気力感に襲われていただけに、反論の余地がない。

「思うだけ、願うだけでは心は自由にならんものさ……妖怪でも、人間でもね」
「そうだな……」
「ま、ありきたりな言い方をすれば、環境がひとを変える、ということかな。逆に言えば、環境が変わらない限り変えられないこともある、といったところか」
「本当にありきたりだな……話が出来過ぎてる気がするぜ」
「この一点に絞って物事を見つめているからそう思えるだけよ。確かに妹は立派に成長したが、紅魔館が窮状にあることも、従者たちが辛い想いをしていることにも変わりはない」
「どっかしらで自然とバランスが取れてしまう、ってことか」

 そういう風に考えると、奇妙に納得出来るような気もした。
 果たして、レミリアたちの現状がフランの成長と釣り合うものなのかどうかは、魔理沙には判断のつかないところだったが。

(……この世界の霊夢の変化も、どっかでバランスが取れているんだろうか)

 ふと、そんな疑問が浮かんだが、軽く首を振って頭から追い出した。
 考えても詮無いことだ。そもそも、その霊夢の変化がこの郷にとって良いことなのか悪いことなのかも、魔理沙にはいま一つ判断しかねるところがある。
 自分にとって悲しいことであるのは、疑いようもないが。

「さて……私の話は今度こそ終わりだ。喋れることは全て喋った」
「ああ……後半ほとんど妹自慢だった気もするが」
「自慢したくなる妹なんだからしょうがないよ。実際素晴らしい娘だったろう? 言っておくけど、嫁にはやらないからね」
「要求する気もないよ」
「なんだと? 私の妹に何か不満でも?」
「私じゃ釣り合わないって言ってんだ」
「なるほど、それなら納得だ」
「それはそれで腹が立つなオイ」

 ようやく、少しばかり気楽な空気が戻ってくる。レミリアが軽く首を鳴らし、魔理沙も椅子の上で伸びをした。

「でも、お前は本当にこれでいいのか?」
「何が?」
「確かにフランは立派になって、大きな目標は達成できたと思うけどさ。美鈴や咲夜は辛そうだし、このままでいいのかなって」
「ま、現状でさして不満を感じていないのは事実だが……お前はどう思うね?」
「ん?」
「この私、紅魔の吸血鬼レミリア・スカーレットが、このままくたばるまで大人しく黙っているとお考えかい?」
「……ふむ」

 こちらを見つめるレミリアを、魔理沙はじっと見つめ返す。
 そこにあったのは、何かを企み、面白がっている紅の吸血鬼の顔だった。
 例え何もかも変わり果てたように見えても、変わらないもの。
 変わりようがないもの。

「……何するつもりか知らんけど、あんまり妹に迷惑かけんなよ?」
「嫌だね。長いこと私が世話をしてきたんだから、今度は私が甘えてもいいはずだ」
「都合の良いことばっかり言いやがって、全く」

 魔理沙が苦笑すると、レミリアは愉快そうに体を揺らして笑うのだった。

 ◆

 紅魔館を出る前に図書館に寄ると、パチュリーは相変わらずそこで静かに本を読んでいた。
 ある意味で一番変わりのないように見える日陰の少女に、なんだか無性にほっとする。

「よう、パチュリー」
「……ああ、レミィのお客さんね。こんにちは」
「お、なんかちょっと愛想がいいな」
「誰と比べて言っているのか分からないけれど」

 パチュリーはため息混じりに、読んでいた本を閉じる。

「私に何か用?」
「……まさか読書中断して応対してくれるとは思わなかったぜ」
「別にいいでしょう。で、なに?」

 なんだかやけに積極的に見えるパチュリーにちょっと違和感を抱きつつも、魔理沙は例の球について説明する。

「それで、お前に解析をお願いしたいんだが」
「いいわ。ちょっと時間をもらうわよ」
「……またえらくあっさりだな」

 ほとんど不気味にすら感じられて来た魔理沙に、パチュリーは小さく息を吐く。

「……世話を焼かせるのが二人も一気にいなくなったからね」
「ああ……退屈してるっていうのは本当だったんだな」
「ええ。案外私も物好きだったらしいわ」

 皮肉っぽく言ってから、「で、現物は?」と、パチュリーは手を差し出す。

「ああ、これだ」

 ポケットから球を取り出して手渡したとき、魔理沙はまたどこかから視線を感じて顔をしかめた。

「どうしたの?」
「いや、なんかさ……これ拾ってから、誰かに見られてる気がするんだよな」
「平行世界を移動してるのに?」
「うん……そう言えば、これ取り出したときに限ってだな、視線を感じるの」
「ふうん……?」

 パチュリーは手の中の球を見つめ、かすかに唇をつり上げた。

「ああ、そういうことね」
「え、何か分かったのか?」
「むしろ何で分からないのかしら?」
「……察しが悪くて悪うございましたね」
「そうね。いかにも頭が悪そうだもの、お前」
「あのなあ」

 初対面の奴にそこまで言うか、と思いつつも、やっぱりパチュリーはこうでなくっちゃな、とも思う。

「……物好きしかいないな、本当」
「そうね……でも、だからこそ上手くいくこともある」
「違いないや……ま、解析の方は頼むよ。わたしは」

 少し躊躇いつつも、

「わたしは、ちょっとだけ行くところがあるからさ」

 魔理沙はそう言い置いて、図書館を後にした。
 パチュリーはもうこちらにはあまり興味を持っていないようで、扉を閉める直前、早速例の球を調べにかかっているのが見えた。

 ◆

「あら、もうお帰りですか?」
「ん……?」

 ホールの大扉に手をかけたところで、背後から声をかけられる。
 振り向くと、二階に続く大階段をフランドールが下りてくるところだった。魔理沙の世界ではいつも落ち着きなく駆け回っている印象があったが、今のフランの足取りは実に優雅で淑やかだ。
 そう言えばこいつも紅魔館の令嬢なんだよな、と今更ながらに実感する。
 フランドールは魔理沙の前まで歩いてくると、折り目正しく頭を下げた。

「お姉さまのお相手をして下さって、ありがとうございました。いつもよりずっと楽しそうなご様子でしたわ」
「ああ……わたしも、いろいろと有意義な話が聞けて良かったよ。黙って見ててくれてありがとうな」
「いえ、そんな」

 フランドールは気恥ずかしそうに首を振り、

「最初にお会いしたとき失礼な態度を取ってしまって、申し訳なくて……」
「いや、わたしみたいな怪しいのがいきなり会いに来たんだから、警戒するのは当然だ。気にしないでくれ」
「ありがとうございます。そう言って頂けると、少し気が楽になりますわ」

 たおやかに微笑むフランドールを見ていると、これは確かに自慢したくなるのも分かるな、という気がした。
 今まで出会ってきた平行世界の知人たちは、確かに変わってはいたものの、それが良い方向の変化だったかと言われれば少々疑問である。
 しかし、目の前にいるフランドールは、間違いなく良い方向に変わっている。
 理性的で、優しく、淑やかで。
 だがそれ故に、少々気がかりなこともあった。

「あのさ。一つ、いいか?」
「はい、なんですか?」
「いや、こういうの、赤の他人が口出しすべきことじゃないと思うんだが……お前は、レミリアのこと恨んでないのか?」

 魔理沙がそう聞くと、フランドールは何故か嬉しそうに目を細めた。
 そして、ゆっくりと首を横に振る。

「大丈夫です。お姉さまのことを、恨んでなどおりません」
「でも……お前が閉じ込められてたのは、妖怪にとっても長い時間だろ。その恨みを、そう簡単に捨てられるものなのか」
「その時間のことは、お姉さまとも良く話し合いました……それに何より、今ではお姉さまがそうして下さった理由や、そのときのお気持ちがよく分かりますから。だから、大丈夫です」

 その声音はごくごく穏やかなものだったが、強い意志と決意が感じられた。そう思えるようになるまで、幾度も葛藤を重ねてきたのだろう。
 レミリアも、フランドールも。

「……すまん。やっぱり余計なお世話だよな、こういうの。気を悪くしないでくれな」
「気を悪くしてなどおりませんわ」

 フランドールは口元に手を添えて微笑み、

「だって、貴女がそんな質問をなさったのは、私が本当はまだ恨みを捨てておらず、いつかお姉さまに復讐するつもりなのではないかと心配して下さったからでしょう?」

 まさにその通りだったので、魔理沙は絶句してしまう。
 フランドールはにっこり笑ってまた頭を下げ、

「お気遣い頂いて、ありがとうございます。優しい方ですね、貴女は」
「……敵わんな、こりゃ」

 魔理沙は降参するように両手を上げる。
 なるほど、これは確かに自慢の妹だ。

「ところで、私からも一つ、質問してよろしいですか?」
「ん、なんだ?」

 フランドールは不思議そうに魔理沙を見つめ、

「お姉さまが仰っていたことが、私にはまだよく分からなくて……貴女は、道具屋のマリィさんとは同じ人だけれど、違う人なのですよね?」
「んー……まあ、よく似た他人だとでも思ってくれればいいよ」
「では、貴女も道具屋さんなのでしょうか?」
「いや、道具屋じゃなくて……」

 言いかけて、ふと悪戯心が湧く。
 魔理沙はにやりと唇をつり上げ、気取って一礼してみせた。

「申し遅れたが、私は何を隠そう幻想郷にその人ありと恐れられた大泥棒なんだ」
「泥棒……?」

 フランドールは一瞬驚いた様子だったが、すぐに冗談だと受け取ったらしい。
 口元に手をやって、くすくすと笑う。

「まあ、泥棒さんだったのですか。私の大事なものを取られてしまったら大変だわ」
「ほう。大事な物っていうのは一体なんだ?」
「もちろん、大好きなお姉さま」
「……さらわれるお姫様って柄じゃないだろ、あれは」
「そうですね。さらったりしたら我がまま放題に振り回されて大変だと思います」
「言えてるな」

 二人で笑い合ったあと、魔理沙はほんの少しばかり真剣に言う。

「さらうなら、どっちかって言うとお前さんの方だな」
「私ですか?」
「ああ……外出も、制限されてるって聞いた」

 成長したフランドールの顔をじっと見つめ、

「こんなところに押し込まれて、退屈してないか? 外に出たいとは思わないのか?」
「……そうですね。地下にいた頃は、そんな風に考えたこともありました」

 フランドールは懐かしむように目を細め、首を横に振る。

「でも、今はもう、そうは思いません。私がいるべき場所はここですから」
「どうしてそう思う?」
「お姉さまがいらっしゃるからです。お姉さまがこの館にいらっしゃる限り、出ていく理由などありませんわ」
「……そっか。そうなんだろうな……」

 魔理沙の知るフランドールは、よく外の世界への憧れを口にしていた。
 そのことから考えると、今目の前にいるフランドールが外の世界への未練を全く感じさせないのは少し不思議だった。

(本当に大事なもの、やりたいことを見つけたってことなんだろうか)

 今にして思えば、フランドールは外の世界に出たいと言っても、出た上で何がしたいのかを具体的に話してくれたことはなかった気がする。
 もしかしたら、外に出るということ自体が重要だったのではなく、ただ今の状態を脱したいという気持ちをそういう形で言い表していただけなのかもしれない。
 厄介者、お荷物としての自分から脱却して、姉が自慢できる一人前の吸血鬼になりたいと、願っていただけ。

(……私は、どうして魔法使いになりたかったんだっけ)

 不意に、今朝も感じた疑問が再び浮き上がってきた。そのときと同様、やはり答えは出てこない。
 胸を張って自分の道を歩いているフランドールを前にすると、そういう風に惑ってばかりの自分が恥ずかしく思えてならなかった。

 ◆

「破ッ!」

 裂帛の気合を込めた掌底と共に、名も知らぬ妖怪が石ころのように吹き飛ばされる。
 振り抜いた腕を戻しながら、美鈴は周囲に倒れ伏して呻いている妖怪たちに厳かな口調で言った。

「もう終わりか? これに懲りたらもう二度とこの館には近づかないことだ」
「く、くそっ……」
「強ぇ……」
「逃げるぞ……! 誰だよ、紅魔館の門番なんかみんなでかかれば楽勝だって言った奴……!」

 種族も格好もてんでばらばらな妖怪たちが、よろけながら一目散に逃げていく。
 それを見送り小さく息を吐く美鈴に、魔理沙は軽く拍手を送った。

「お疲れさん。武侠小説さながらだな。さすがだぜ」
「ああ、マリィちゃん……じゃない人。お嬢様とのお話は終わったの?」
「大体な……あの手のは良く来るのか?」
「まあね。大体、今みたいに数を頼みに来るような雑魚ばっかだけど。それでわたしを倒したって自慢にはならないと思うんだけどね」

 美鈴は肩を竦める。

「わたしたちは巫女に負けたんであって、この郷の妖怪に負けたわけじゃないんだけど、何でか勘違いしてナメてかかってくる連中ばっかりなのよ。あの異変からもうだいぶ経つのにね」
「門番ってのも真面目にやれば大変なんだな」
「ま、これが仕事だからね。そっちは収穫あった?」
「ああ、十分にな」

 言って、魔理沙はちらりと門の中に目を向ける。

「……お前が屈辱感じながらもここに立ってる理由がよく分かった」
「ん……?」
「この中にあるのは、是非とも守り抜かなくちゃならないもんだな」
「……そう言ってもらえると有り難いね。一度守れなかったものだから、少しばかり情けないんだけど」

 美鈴はほろ苦い笑みを浮かべる。

「でも、あんたの言う通り、守る価値があるものがまだ手の中にあるからね。腐ってばっかりもいられない」
「だな。それで咲夜もピリピリしてるんだろうが……」
「え? ああ、違う違う」

 美鈴は苦笑混じりに手を振る。

「咲夜さんがあんな苛々してんのはね、この館の状況がどうのってよりも、お嬢様が原因なのよ」
「レミリアが? なんだ、主が不甲斐ないから苛々してるってことか?」
「じゃなくってさ……妹様がご立派になられて、お嬢様のお世話もするようになっちゃって」
「へえ。まああのフランならそのぐらいはやってのけるだろうが……」
「それで、昔みたいにお嬢様のお世話が出来なくなっちゃったもんだから、ストレス溜まってんの、咲夜さん」
「……そういうオチかよ」

 体から力が抜けそうになる。

「あいつも根っからの世話焼きだな」
「そうなのよね……しかも来館者も制限されてるからお客様のお世話も出来ないし」
「なるほど。わたしも紅茶ぐらいはねだるべきだったかな」
「はは。そうね、今度来る機会があったら是非ともそうしてあげてよ」
「ん……今度、か」

 呟く魔理沙の表情を見て、美鈴は何かを察したようだった。

「もしかして、もう帰っちゃう感じ?」
「いやまだだ。後でもう一回寄るとは思う」
「ってことは、どっかにお出かけなわけだ」
「ああ……ちょっと、会いたい奴がいてな」
「へえ。知り合いとかいたんだ、この郷に」
「知り合い、っていうかな」

 魔理沙は苦笑する。

「この世界の私に、会って来ようと思ってさ」

 ◆

「ふーむ。こりゃ見事に何もないな」

 里に行く前に、魔理沙はふとした思いつきで魔法の森に立ち寄った。
 記憶を頼りに自分の家があるはずの場所に行ってみたが、予想通りそこには何もなかった。なくなった、のではなくて、そもそもそこに何かが建てられた形跡自体がなかったのである。

「……魔法使いになってないってのは本当だったんだな」

 どこか虚ろな木々のざわめきを聞きながら、改めてそのことを実感する。
 レミリアと話す中で、この世界の霊夢のことについては詳しく聞いたものの、この世界の魔理沙のことについてはほとんど何も聞かなかった。
 それはある意味で、霊夢のこと以上に聞くのが怖かったからである。

(道具屋のマリィ、か。ちょっと聞いた感じだと、紅魔館の連中にも受けが良いみたいだったな)

 彼女が、何のつもりで危険を冒してまで里の外に出ているのかは分からない。
 だが、道具屋として認知されているということは、つまり商談をしに来ていたと見て間違いないだろう。
 どうやら、魔法使いになっていなくても無茶をやっているのは変わりないようだ。

「……道具屋としては、わたしよりも上手くやってるんだろうな」

 ぽつりと呟くと、胸に何か重いものが溜まっていくようだった。
 失敗していればいい、と思っているわけではないが、大成功を収めていたらそれはそれで複雑だ。
 それはつまり、霧雨魔理沙という人間が魔法使いを目指さなかった場合の方が、誰にとってもいい結果になっていた、というのと同義だからである。
 だからこそきちんと見つめて、受け止めなくてはならないという気持ちもあった。
 それが、今まさに大きな岐路に立っている自分にとって、とても重要なことに思えたからだ。

「……しかし、アリスの家までなくなってるとは思わなかったな」

 緊張を紛らわす意図もあって、魔理沙はアリスの家の方……正確には、元の世界で彼女の家が存在していた方、を振り返る。
 ここに来る前に確認してみたら、アリスの家もやはりなくなっていた。この世界では、彼女はそもそも幻想郷に来ていないらしい。
 魔理沙たちがアリスと最初に出会ったのは、数年前、ちょっとした事件がきっかけで、魔界に乗り込んだときのことだ。
 この世界では、恐らくその事件そのものがなかったか、あるいは異なる過程を経て解決されたのだろう。だから、アリスが幻想郷に来るきっかけもなくなってしまったのだ。

(懐かしいな……あのときはまだ魅魔様がいたっけ)

 今はもうどこにいるのかも分からない師のことを、ふと思い出す。

(わたしもあの頃は、まだ霊夢に対して劣等感を抱くこともなくて……)

 そう考えかけたとき、魔理沙はふと違和感を覚えた。
 何か、記憶違いをしているような気がしたのだ。

(……そうだ。あの頃、魅魔様が口を酸っぱくして何度も言ってたことがある)

 ――今はまだお前が努力でリードできているが、あといくらも経たない内に霊夢に追い抜かれてしまうだろう。
 ――だがそれは仕方のないことだ。お前には才能ってやつが欠片もないのに、霊夢のそれは化け物と言う他ないレベルだから。

 師は、確かに何度もそう言っていた。

(待てよ。そうなると、何かおかしくないか?)

 魔理沙が霊夢との差を具体的に実感し始めたのは、割と最近のことである。過去の自分はそれを知らなかったから、能天気に努力を続けられたのだと今まで思い込んでいた。
 だが、それより以前に師からの警告という形で才能の差について知っていたのであれば、何故その時点で魔法使いを目指すことを止めるかどうか、について悩まなかったのか。
 単に実感がなかったから師の言葉を信じていなかったのか。
 それとも、才能がなくても、霊夢との実力差があっても構わないと思える理由を、何か持っていたのか。
 もしもそうだとしたら、それは今の自分がもう一度立ち直るための原動力にもなるのではないだろうか。

(思い出せ、思い出せ……! あの頃のわたしは、一体何を考えていた……!? 何を励みに、魔法使いとしての修業を頑張っていたんだ……!?)

 腕組みして足踏みをし、魔理沙は必死に過去の自分のことを思い出そうとする。
 しかし、思い浮かぶのはうふふだのきゃははだの言って可愛い子ぶっている、今となってはブン殴りたい女の姿ばかりだ。

「駄目か……」

 どうしても大事なことが思い出せず、ため息を吐いたとき。
 不意に、背筋にぞくりと寒気が走った。

(……なんだ?)

 寒気は、すぐに全身を震わせる恐怖へと変貌する。
 何か、恐ろしいものがすぐ近くにいると、総身が警告を発していた。
 いや、すぐ近くではない。背後だ。
 背後に、何か恐ろしいものが立っている。

(違う……この気配を、わたしはよく知っている)

 心臓を鷲づかみにされているような恐怖に喘ぎながら、魔理沙は気付く。

(この気配は……霊夢だ! こんなに恐ろしい気配なのに、どこかに私の知ってる霊夢の色が混じってる気がする……)

 無論、それは魔理沙の知る霊夢のものではない。言うまでもなく、この世界の霊夢だ。
 レミリアをあんな姿に変えた、博麗の巫女になりきっている無慈悲で機械的な存在。
 そんな霊夢が、背後にいる。
 何故、こんなところにいるのか。

(……幻想郷に入り込んだ異物を排除しに来たのか。博麗の巫女の使命に従って)

 異物とは、すなわち自分のことだ。
 今、霧雨魔理沙は博麗霊夢に命を狙われているのだろうか。

(霊夢に……殺される? わたしが?)

 それは、奇妙な感覚だった。
 自分が霊夢にそこまで強い感情を向けられることなど、あり得ないと思っていたから。
 霊夢に会うと悲しい想いをすることになる、というレミリアの言葉が、脳裏に甦った。

(……逃げることも、出来るかな)

 全速力で飛べば、多少は命が延びるだろうか。
 だが、それをする気にはならなかった。逃げられないから、ではない。
 この世界の霊夢がどんな風になっているのか、見てみたい。
 たとえ、悲しい想いをするのだとしても。

(霊夢……)

 そして、霧雨魔理沙は振り返り――
 そこに、博麗霊夢が立っているのを見たのだった。

 <続く

(各話リンク 1/2/3/4/5/6
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