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【東方SS】遊ぼうぜ、霊夢! (四)

東方創想話に投稿したSSの第四回目です。
(各話リンク 1/2/3/4/5/6
 

 
 魔理沙が振り向いた先、少し離れた場所に立っていたのは、話に聞いて予想していた通り人形のような少女であった。
 一番目を引くのは、何年切っていないのだろうと思ってしまうほど伸び放題になった黒髪だ。地面に垂れるほど長く、束ねられてもいないため、顔も体もほとんど髪で覆い隠されてしまっている。
 それでも、少女が飾り気のない普通の巫女装束を着ていることと、非常に小柄で華奢な体格であることは見て取れた。驚いたことに、平均より低身長の魔理沙よりも更に背が低い。元の世界の霊夢は魔理沙より少し背が高かったので、これは大きな違いと言えるだろう。
 そんな小さな体と、半ば現実離れした黒髪の長さから、人形のような少女という印象を受けたのである。
 だが、想像通りだったのは外見だけだった。

(……襲ってこない?)

 一体いつどんな風に動くのか、そもそも自分は相手が動いたことを認識出来るのか。
 そんな魔理沙の危惧とは裏腹に、霊夢はいつまで経っても動こうとしなかった。まるで何かを待っているかのように、ただ黙ったまま立ち尽くしている。
 一体どうするべきなのか。話しかけるべきか、立ち去るべきか。
 魔理沙が迷い始めたとき、不意に背後から恐慌に染まった叫び声が上がった。まるで猟犬に追い立てられた獣が恐怖のあまり悲鳴を上げたかのような。

(なんだ!?)

 振り向く魔理沙の視界を、光の矢が飛び過ぎる。
 そのときになって初めて、魔理沙は自分の背後に大きな獣のような影が迫っていたことに気がついた。
 光の矢に腹を射抜かれたそれは、白目を剥いて血の泡を吹きながら地面に落ちる。そうしてよく見てみると、それは犬の頭をした妖怪の男であった。

「く、クソッ! 先走りやがって、バカが……!」

 焦った声で吐き捨てながら、周囲の茂みを揺らして更に何人かの妖怪が姿を現す。気づかない内に囲まれていたようだ。

「なんだ、お前ら?」
「うるせえっ! 黙ってろ、外来人!」
「は、外来人だって? わたしが?」
「とぼけんな、里にお前みたいな娘はいねえ! なら外来人だろうが!」
「が、外来人なら喰っても構わねえってルールだろ、なあ!?」
「まずかったんなら引き上げるから、見逃してくれよぉ!」

 妖怪達が、口々に弁解じみたことを叫ぶ。よく見ると誰もが恐怖に震え、中には目に涙を溜めている者すらいた。
 その言葉を聞いて、魔理沙はようやく彼らが何者なのかを悟った。どうやら魔理沙を外来人だと勘違いして、喰うために付け狙っていたらしい。
 その中の一人が、巫女がその場に現れたことに恐慌を来して訳も分からず襲いかかってきた、といったところだろうか。

(迂闊だったな……! 考え事に気を取られていたとは言え、こんなに近づかれてたのに気づかなかったとは)

 心中で舌打ちを漏らす。いかに非才の身とは言え、魔理沙とて里の庇護を離れて一人辺境の地で暮らす無頼者だ。いつもならば、ここまでのヘマはしない。
 妖怪達は口々に弁解の言葉を叫び続けている。誰に向かって叫んでいるのかは、考えるまでもない。
 魔理沙はあの小さな巫女をもう一度確認しようと振り返ったが、先程まで確かにそこにいたはずの少女はどこにもいなくなっていた。

「あれっ」
「ギャアッ!」

 突如、獣じみた悲鳴が森に響く。ぎょっとして振り向くと、いつの間にか巫女が魔理沙の横を駆け抜けて、先頭の妖怪に襲いかかっていた。
 蹴り倒した大きな妖怪に馬乗りになり、ぶ厚い胸板に向かって小さな拳を無造作に振り下ろす。
 冗談みたいに大きな穴が開き、血肉のしぶきが弾け飛んだ。

「……え?」
「う、うわああああ!」
「逃げろっ……ギャッ!」

 恐慌に駆られて我先にと逃げ出した妖怪の一人が、瞬時に足をつかまれて転倒した。巫女は無言のまま、その足をあっさりと捻り切る。再び、悲鳴と血しぶきが空気を汚した。
 その先も一方的な展開だった。巫女は遠くまで逃げている者から順番に狙って、確実に仕留めていく。踏み折り、叩き潰し、引きちぎり、殴り砕く。跳ね踊る血肉と苦痛の絶叫が幾重にも重なり、真昼の森は地獄絵図と化した。
 妖怪達は少なく見ても十数人はいたはずだが、全員始末するのに一分かかったかどうか。
 気づくと、立っているのは霊夢と魔理沙だけになっていた。妖怪達は皆、体のどこかしらを失って呻きながら倒れている。
 そんな惨状を作り上げた当の本人は、表情を変えず息も乱していない。現れたとき同様、人形のようにその場に立っていた。

(……助けられた、んだよな)

 状況から考えると、間違いなくそうだった。人間を襲おうとした妖怪を、巫女が叩きのめした。
 何故霊夢がそうしたのかは、よく分からない。別世界でも一応幻想郷の人間ではある魔理沙を、保護する対象として認識したのだろうか。
 その辺りのことを聞くなり、あるいはお礼を言うなり、するべきことはいくつも思いつく。だが、魔理沙はそのいずれも出来ずに突っ立っていた。
 体が芯から震えている。魔理沙とて、弾幕ごっこというお遊びの中ではあれど大妖怪や神様などと幾度も対峙してきた経験がある。死を覚悟したことだって一度や二度ではない。
 だが、今感じている恐怖はそのいずれよりも強く色濃く、種類も違う。
 それは、単に強い者ではなく、もっと訳が分からないものに対する根源的な恐怖だった。

「……な、なあっ……!」

 それでも何とか声を絞り出した魔理沙に、霊夢は何の反応も示さなかった。
 その代わり、小さな腕をゆらりと上げ、ぐっと拳を握りしめる。
 途端に、そこかしこから悲鳴が上がった。

「なんだ!?」

 慌てて見ると、倒れ伏した妖怪達が見覚えのある結界に包まれていた。
 結界は少しずつその範囲を狭めていき、それに合わせて妖怪達の体はぎしぎしと捻れ、縮み、押し潰されていく。

「た、たすげぇっ」

 声を上げかけた妖怪の喉がぐちゃりと潰れ、悲鳴が不快な水音に変わる。
 周囲の至るところで、そんな光景が展開されていた。

(……なんだ、これは)

 もはや震えを通り越して、体は完全に硬直している。
 レミリアに話を聞いたときから、魔理沙はこの世界の霊夢のことをあれこれと想像していた。どんな風に話すんだろうとか、どんな風に戦うんだろうとか。
 歴戦の戦士のように冷静無比な戦い方をするのか。まるで神のように罪を読み上げ罰を下すように戦うのか。あるいは、狂った殺戮機械のように笑いながら敵を虐殺するのか。
 だが、目の前で起きている現象は到底戦いなどと呼べるものではなかった。かと言って、処刑や虐殺でもない。
 これは、ただの作業だ。
 あらかじめ定められた通りに、起きた問題を淡々と処理しているに過ぎない。
 その証拠に、霊夢は今なお何の感情も示さず、そもそも目の前で起きている惨劇を見てすらいないようだった。

『美しい少女だったよ。掛け値なしにね』

 レミリアの言葉が脳裏に蘇る。その意味がようやく理解できた。
 確かに、これはある意味で美しい。
 迷いもなく、躊躇もなく、もしかしたら、思考すらなく。
 生き物にあってはならない、禍々しい美しさだ。

「いで、いでぇよぉ……!」

 近くに倒れている妖怪が、今にも潰れそうな体で弱々しい悲鳴を漏らす。
 その目から流れる涙を見たとき、魔理沙はハッと正気に立ち返った。

「ダメだっ!」

 恐怖よりも強い感情が、硬直していた体を無理矢理突き動かす。
 魔理沙は必死に霊夢に駆け寄ると、真正面から彼女につかみかかった。

「やめろ! このままじゃこいつら死んじまうぞ!?」

 本来、精神的な存在である妖怪はそう簡単に死ぬ生き物ではない。余程のことがない限り再生可能だし、万一肉体がダメになっても幽霊になればいい、などと考えているような、実に頑丈で適当な連中だ。
 しかし、それはあくまで精神の拠り所たる魂が無事であればの話である。万一肉体だけでなく魂まで消えるようなことがあれば、それは妖怪にとっても致命的なダメージになる。
 あの世行きという意味ではなく、あらゆる世界からの存在抹消という意味での完全な死。今周囲で起きている現象の至る先は間違いなくそこであると、魔理沙は確信していた。
 このままでは、一人残らず魂ごと結界に押し潰され、抹消される。逃げ場もない。

「おい、聞いてんのかよ!? やめろって言ってんだろ……やめてくれって……!」

 怒鳴っても脅しても懇願しても現象が止む気配はなく、霊夢も何ら反応を示さない。それどころか、肩を揺すった拍子に黒髪の向こうから作り物のように無感情な瞳が見えてしまって、背筋がぞっとした。
 やはり、この少女は今何も考えていないし、感じてもいない。ただ、定められた通りに動いているだけだ。
 何も出来ないでいる間に、事態は終息に向かいつつあった。骨肉が軋む音も、弱々しい悲鳴も、何もかもが消えつつある。
 魔理沙は泣きそうになった。

「なあ、頼むよ……お願いだ、もうやめてくれ……こんなことしても、楽しくないだろ……?」

 危険なことをしているのはよく分かっていた。どんなきっかけで、攻撃の矛先が自分に向くか分からない。
 だが不思議と、そのことはあまり怖くない。
 怖いのは、霊夢がこんなことをしているのを黙って見ていなければならないことだけだ。
 別に、妖怪達を助けたい訳ではなかった。この世界においてこういった光景はもう幾度となく繰り返されてきたのだろうし、今回だけ止めたところで何の意味もない。
 だから今霊夢を止めようとしているのは、単に魔理沙がこんな光景を見たくないという、ただそれだけの理由だった。
 魔理沙も霊夢も、元の世界ではここまで徹底的に妖怪を殺したことはない。妖怪退治をしたことは幾度もあったが、最後は後腐れない形で終わらせてきたつもりだし、そういうやり方を好んでもいた。
 今目の前で起きていることを見過ごしてしまったら、そんな思い出が汚れてしまうような気がする。
 それが、何よりも怖かった。

「やめろ……やめろ、やめろ!」

 魔理沙は霊夢の肩を揺さぶりながら、駄々をこねる子供のように叫ぶ。

「やめろ、霊夢!」

 その瞬間、霊夢の体が大きく震えた。
 何か、スイッチが切り替わったような、中身が入ったとでも言うような。
 上手く言えないが、そんな感触がある。

(なんだ……?)

 困惑する魔理沙の前で、小さな霊夢が夢から覚めたように目を瞬いた。
 目の間にいる金髪の少女を見上げ、驚いたように目を見開く。

「……っ!」

 声なき悲鳴を上げて、霊夢が背後に飛び退いた。そのまま二歩、三歩と後ずさり、こちらから距離を置く。
 突然の変化に困惑する魔理沙の周囲から、再び妖怪達の呻き声が聞こえ始めた。

「う、うぅ……」
「いてぇよぉ……」
「た、助けてくれぇ……」

 口々に情けない悲鳴を漏らしながら、這いずったり飛び跳ねたり、半ば肉塊と化したまま器用に逃げていく。
 魂まで潰されてしまった者はいないし、レミリアのような封印まで施された者もいないようだった。
 あれなら、数日もすれば元通りになるだろう。

(今回ばかりは妖怪どもの頑丈さに感謝だな……!)

 ひとまず危機が過ぎ去ったことに、魔理沙はほっと息を吐く。
 しかし、安心するのはまだ早い。
 妖怪達がいなくなっても、少し離れた場所にはあの小さな霊夢が立ったまま、こちらの様子を伺っているのだ。
 客観的に見て、ルール違反の妖怪達を罰するという目的は達成されたと言っていいだろう。彼女があの人形のような状態のままであれば、さっさと帰っているであろう状況である。
 だから、やはり彼女の内面に何かしらの変化が起きているのだと思うのだが。

(……警戒してる? いや、怯えてるのか……?)

 今の霊夢から魔理沙が感じ取ったのは、そんな気配だった。長い黒髪の向こうからこちらを見つめる瞳にも、薄い胸の上で組まれた小さな両手からも、彼女の困惑と怯えが伝わってくる。
 魔理沙もまた困惑していた。さっきあれほど圧倒的な力を見せつけた彼女が、こんなちっぽけな女の何を恐れるのだろう。
 疑問を込めて見つめ返しても、やはり霊夢は何も言ってこない。こちらの呼びかけを待っているにすら見えた。

「……霊夢?」

 意を決して呼びかけると、少女は劇的な反応を示した。小さな体をびくりと震わせ、わずかに身を引く。
 黒髪の隙間から覗く瞳に、涙が溜まっていくのが見えた。

「……マリィじゃ、ないの……?」

 ひどく傷ついたように震えるか細い声は、幼さを残してはいるが確かに霊夢のものだった。

「な、なに……?」
「……っ!」

 少女はぱっと身を翻し、逃げるように飛び立った。
 いや、飛び立って逃げ出した、と表現した方が正しいだろうか。
 神社のある方角に向かって遠ざかっていく小さな背中を、魔理沙はただ呆然として見送るしかない。
 何がどうなっているのだろうか。とりあえず危機が完全に去ったのは確かだが、疑問はむしろ増えたように思う。
 彼女のあの、怯えているとも期待しているともつかない魔理沙に対する態度は一体何なのだろう。なぜあんな風になったのだろう。
 それに、先程彼女が口走った「マリィ」という言葉。道具屋のマリィというのは、この世界の魔理沙のあだ名のはずだ。魔法使いになっていないらしいから霊夢との接点もないだろうと単純に考えていたが、どうも違ったらしい。
 あの様子からすると、普通の友達という雰囲気でもなさそうだったが。

(……分かんないことだらけだぜ)

 頭の中を飛び交う疑問の嵐にため息を吐きながら、魔理沙は首を振る。
 まだ空の彼方に見えている小さな影を追いかけて、直接聞いてみようかとも思ったが、そうするのは躊躇われた。
 あれだけの惨劇を見せつけられた後だし、情報が揃っていないのに動くのは危険だという計算も当然ある。
 だが、それ以上にあの霊夢を傷つけてしまいそうなのが怖い。
 それだけは、絶対に避けたかった。

「……あんな化け物じみた強さの奴を傷つけそうだ、なんてな。何言ってんだろうな、わたし」

 苦笑するが、何故だかほんの少しだけ嬉しい気分にもなる。
 ともかく、この世界の霧雨魔理沙……道具屋のマリィに会う理由がまた一つ増えたことだけは確かだった。

 ◆

 霧雨道具店は魔理沙の生家で、人間の里でも有数の大店である。この世界では魔理沙の世界よりもずっと繁盛しているようで、驚くべきことに里のあちこちで支店を見かけるまでになっていた。
 この世界の自分を探すために本店に入った魔理沙は、店内の広さと賑わいに圧倒された。客層も老若男女様々で、それぞれに合わせた商品コーナーが整然と配置されている。よく見ると客の中には妖怪も混じっているようで、この店がどれほど手広く商いをしているのかがよく分かった。
 これならば、店員として働いているであろう道具屋のマリィもすぐに見つかるだろう、と思っていたら、案の定すぐに見つかった。
 見つかった、までは良かったのだが。

「ハァーイ☆ ご来店のお客様にご案内申し上げまーっす♪ ただ今当店では、あの大妖怪風見幽香さんがデザインした新作衣装を販売しておりまーっす! ご希望でしたら手直しにも応じますので、お近くの店員にお気軽に声をかけて下さいネ、キャハッ☆」
「こんにちは。繁盛してるわね、マリィ」
「いやーん、噂をすれば幽香さんじゃないですかぁー! お世話になってまーす☆ 本日はこちらがお目当てでしたかー?」
「あら……珍しい花の種が入荷したって聞いたから来たんだけど、取っておいてくれたのね」
「うふふ☆ 幽香さん絶対欲しがると思って、ちゃんと確保しておきましたよぉー☆」
「ありがと……あんたって口調はアレだけど気は利いてるわよね……」
「ありがとうございまーす☆」

 聞き覚えがある声と、聞き覚えがあると思いたくない声との会話が聞こえてくる。
 大勢の客で賑わう店内の片隅、何故か人影のない一角にある棚の陰に隠れて、魔理沙は両手で顔を覆って低く呻いていた。
 この棚の向こうに、花の大妖怪風見幽香を相手にやたらと甘ったるい営業トークを振りまいている少女がいるのだ。

「……誰だ、あれは」

 言うまでもなく、この世界の霧雨魔理沙……すなわち、道具屋のマリィさんである。
 それは言うなれば、進化したうふふ魔理沙。時の彼方に忘れ去られたはずの存在が今目の前に。さすが幻想郷だ。
 さて、若気の至りに気づいてそっと封印した過去の自分が是正されないどころか強化されて目の前に現れたら、人はどうすればいいのだろう?
 答えは簡単、悶え苦しむしかない。

(違うだろ、わたしは魔法で星を飛ばすんであって会話で☆を飛ばすんじゃないだろ……!)

 魔理沙が火を噴きそうな顔面を必死に押さえつけているのも知らず、道具屋のマリィさんは絶好調に甲高い声で営業トークを振りまいている。「キャハハ☆」だの「うふふ☆」だの「いやーん☆」だの容赦なく聞こえてきてなんかもう死にたい。

(わたしあんなんか! あんなんだったんか! あの頃の霊夢とか魅魔様とか一体どんな気分でわたしを見てたんだ……! 宴会で写真とか持ち出されたら死ねる、マジで死ねる!)

 魔理沙が再起不能になりかけている一方、客の方はもう慣れたものらしく、その特徴的すぎる営業ボイスに格別注意を払う者はいないようだ。
 それどころか結構な人気者ですらあるらしく、「やあマリィちゃん、今日もかわいいね!」と誉めるおじさんの声や、「マリィー、今度新しく出来たカフェー行こーよー」だのと誘う女の子の声も聞こえてくる。
 もっとも、それに応えるマリィがまたうふふだのキャハハだの言うのでますます死にたくなるのだが。

(……とは言え、奴が結構な商売人だってのは事実らしいな……)

 煩悶の末に何とか一命を取り留めた魔理沙は、例のデンジャーヴォイスを極力意識の外に追いやりながら、店内の客のうわさ話を拾う。

「マリィちゃん、今度は香水も扱い始めたんだって?」
「ああ。なんか山の神様に作り方教わったんだってよ」
「へえ、山にまで入り込んだのか。あんな可愛い顔して本当に度胸あるっていうか命知らずっていうか」
「ブランドも絶好調だもんな。俺も娘にねだられちゃって大変だよ」

 棚のそばを通り過ぎる男達の、どこか嬉しそうなぼやきが聞こえてくる。
 そうして得られた情報を整理して、魔理沙は「ふうむ」と小さく唸った。
 幼い頃から父に商売のイロハを仕込まれてきたマリィは、一人前になると里の外を歩き回って妖怪や神様達と直接交渉し、様々な文化や知識を吸収した。それらを基に自分なりのアレンジを加えて生み出した様々な新商品は、服飾、小物に始まりお菓子や料理、果ては小説や絵画等の芸術分野にまで及ぶ。
 変化のない退屈な毎日に飽き飽きしていた里の人々や妖怪達は、それらの野心的な新商品に魅せられて、我先にと霧雨道具店に殺到した。
 結果、元々大店として知られていたこの店は更に規模を拡大し、今や人間の里の至るところに支店を構えるまでになったのである。
 つまりこの世界における霧雨道具店の躍進は、跡取り娘である霧雨魔理沙……マリィが、才能もない癖に魔法使いになるなどという馬鹿げた夢を抱かず、ひたすら商売人としての道を邁進した成果なのだ。
 今さら己の非才に絶望して挫折しかけているどっかの間抜けとはえらい違いだ。幻想郷全体に与えている影響の大きさなどは比べるまでもない。
 しかも、全て魔法や妖術など使えない人間の小娘が成し遂げたこと。行動力、胆力、商才全てにおいて飛び抜けていると言っていい。
 あんな状態の紅魔館にも自由に出入りし、レミリアや美鈴に一目置かれている理由もよく分かるというものだ。
 それに、何よりも。

「魔理沙、そろそろ休憩したらどうだい?」
「あら、父様。わたしはまだ大丈夫よ。父様こそ奥でお休みになったら? 最近腰が痛いって言ってたじゃない」
「こらこら、人を年寄り扱いするものじゃない。まだまだ娘に負けるつもりはないよ」
「ふふっ、そうね。でも本当に無理はしないでね?」
「ああ……大丈夫、ありがとうよ」

 仲の良さそうな霧雨親子の会話が聞こえてきて、胸が痛くなる。
 店の中でもあるから父の声音は威厳を保っているが、それでも隠しきれない愛おしさや誇らしさがにじみ出ていた。
 自慢の娘、なのだろう。
 この世界の父にとって、マリィという少女は。

(……見下す資格なんかないよな、わたしには)

 沈んだ気分で息を吐いたあと、気を取り直して背筋を伸ばす。
 ますます顔を合わせにくくなってしまったが、霊夢のこともある。このまま会わずに帰る訳にもいかない。
 父が行ってしまったらこの棚の陰から出て行こう、と魔理沙が決意したとき、

「……そう言えば、玩具の売れ行きは相変わらず良くないね」

 不意に、父がそんなことを言い出した。周囲に配慮した小声ではあったが、近くにいる魔理沙にはかろうじて聞き取れた。

(玩具の売れ行き……?)

 これほど客に溢れた賑やかな店の中で、売れ行きの良くない商品があるというのは驚きだ。
 一体玩具コーナーというのはどこにあるんだ、と思って見回してみたら、まさに魔理沙が隠れているこの一角だった。道理で人が来ない訳だった。
 改めて棚を見てみると、けん玉やらおはじきやら独楽やら、他の商品に比べるとやけに懐かしい感じの玩具ばかりが並んでいる。各種最先端商品を取り揃えている店の一角とは思えない、古めかしい品揃えだ。
 それらの伝統的な玩具に魅力がないとは思わないが、見たこともない斬新な商品がこれでもかと並ぶ中では少々浮いているというか、見劣りするのも事実である。
 これでは確かに、売れ行きが良くないというのも納得だった。

「……ごめんね、父様。わたしのわがままで……」
「いや、他の商品はよく売れているんだ。それほど問題はないが」

 父の声は不思議そうだった。

「しかし、どうして魔理沙はそんなに玩具にこだわるんだい? それも、古い物ばかり並べて……新しい玩具だって開発はしているんだろう?」
「うん……でも、納得できる物が出来なくて……」

 先ほどまでのある意味洗練された営業トークとは打って変わって、沈痛な声音だった。足掻いても足掻いても先へ進めない苦悩に苛まれながらも、かすかな希望を捨てきれずに縋りついている。そんな声。
 それを聞いたとき、魔理沙はようやく、マリィが自分と同じ人間なのだと実感出来た気がした。
 その後少し娘と言葉を交わしてから父が行ってしまったのを確認し、魔理沙はこっそり棚の陰から顔を出す。
 幸い、マリィはその場から動かず、物思いに耽っている様子だった。
 こうして間近で見ると、マリィは魔理沙よりも背が高い。可憐ながらも機能的な衣装に包まれた体はすらりとしていて、いかにもバリバリ働いている格好いい女という感じがする。
 この辺の違いは栄養状態や生活環境の差も大きいのだろうが、それ以上に自分の生き方に対する自信の差の表れでもあるのだろう……と、魔理沙は自虐的に考える。
 実際、このちんちくりんな体に薄汚れた魔女服のままで、この自分でない自分の前に出るのは相当抵抗があるのだが。

「よ、よう、マリィ……さん?」
「はい?」

 意を決して声をかけると、マリィはきょとんとした顔で振り返った。
 そして、自分によく似た顔の少女を見て目を丸くしたのだった。

 ◆

「お、おい、ちょっと待ってくれって!」
「いいからついてきて! ああ、まさかレミ様の言ってたことが本当だったなんて……!」

 マリィは魔理沙の手を引いて道を駆けながら、感極まったように言う。さっきから何度も待ってくれと頼んでいるのだが、一向に止まってくれない。

(何だってんだ、一体……!)

 魔理沙は内心で舌打ちしながらも、マリィに手を引かれたまま駆け続けるしかない。
 店内で声をかけ、驚くマリィに素性を明かしたら、魔理沙の手を取って突然走り出したのだ。かなり興奮している様子で行く先も教えてくれないのだが、体格差のせいで無理矢理止めることも出来ないので成す術もなく走り続けるしかない。
 大通りを走っているときは何事かと二人を見る通行人の姿が目に入ったものだが、里の外れに向かう道に入る頃には、もう誰の姿も見かけなくなった。
 魔理沙の記憶が確かなら、この先にあるのは「危ないから近づいてはいけませんよ」と幼い頃口を酸っぱくして言われた区画である。当時は何が危ないのか説明もしてもらえなかったが、後になって聞いた所によると変わり者の妖怪等が勝手に住み着いているとかいう話だった。
 そんな場所に一体何の用事があるのだろう、と訝っていると、道の先に古びた家屋が見えてきた。

「あそこか?」
「ええ、集会所よ!」

 マリィは嬉しそうに答え、やっと足を止めてくれた。
 やれやれ、と魔理沙は小さく息を吐く。この辺の強引さを見ていると、やっぱりこいつは自分と同じ人間なんだな、という気がしてくる。下手をすれば魔理沙よりもよっぽど酷い。そのパワーがあるからこそ、道具屋として活躍出来ているのだろうが。
 一方マリィはそんな非難の視線になど気づかぬように、上機嫌で魔理沙の姿を眺めている。

「うーん……別の世界のお前が来るかもしれないよー、ってレミ様が言ってたけど、こうやって見ると結構違うもんねー。わたしよりちっちゃくてカワイーし!」
「ちっちゃい言うな! っつーかお前、店にいるときと全然話し方違うのな」
「ああ、あれは営業モードだもん。それともあっちの方がお好み? うふふ☆」
「やめてくれ、死にたくなるから……!」
「あはは、よく分かんないけど面白いねー、マリリンは」
「マリリンって……おい、勝手に変なあだ名つけんなよ!」
「えー……だって、わたしも魔理沙であなたも魔理沙でしょ? なんか紛らわしいし、話すときに『魔理沙はさー』とか言ったら、いい年こいて自分のこと名前で呼ぶ痛い女みたいじゃない?」
「お前の営業モードの方がよっぽど痛いから安心しろ」
「あ、ひどーい! もー、そんなこと言うとお仕置きしちゃうぞ☆ うふふ☆」
「やめろっつってんだろ! ったく……」

 そんなどうでもいいことを話している内に、例の家屋の前にたどり着く。多少大きい以外は取り立てて言うべきところもない、普通の家だ。

「なんなんだここ? 集会所、とか言ってたけど」
「そう。ここはね、『幻想郷を楽しくする会』の集会所なのよ」
「なんだそりゃ……ってまあ、名前通りの会なんだろうけど」

 もちろん、元の世界では聞いたこともない組織である。

「そう、名前通りの会よ。別世界から来た人間なんて面白いし、皆に紹介しようと思って……って」

 ふと、マリィが何かに気づいたように、しげしげと魔理沙の格好を眺め始めた。

「そう言えば、その格好って魔女っ娘よね? ちょっと地味な感じだけど、あなたの世界ではそういうコスプレが流行ってるの?」
「コスプレじゃないよ。わたしは魔法使いだ……一応……」

 一人前の商人であるマリィにそう名乗るのは何だか気恥ずかしく、声が尻すぼみになる。
 だが、マリィは衝撃を受けたように目を見開いた。

「えっ、魔法使いって……あの、紅魔館のパッチュンみたいな?」
「パッチュン……ああ、パチュリーか。誰にでも変なあだ名つけるんだなお前……まあ、そうだよ。あいつほど知識はないけど……」
「じゃあ、魔法……使えるの?」
「そうでなきゃ魔法使いとは言えないだろ」
「……空も、飛べるの?」
「そりゃあ……?」

 答えかけて、ふと妙な感じを覚えた。
 問いかけるマリィの瞳の奥に、今まで見た快活な色とは違う何かが見え隠れしている。
 何か、高い所にあるものを見上げるような。

(羨望……?)

 魔理沙が気づいたとき、マリィはハッとしたように慌てて笑顔を取り繕った。

「ああ、ごめんごめん、変なこと聞いちゃって」
「いや。なんだ、空を飛べたらしたいことでもあるのか?」
「んー、そうね、あっちこっち出かけるときは便利かもね。さ、入って入って」

 無理矢理話を打ち切って、マリィが集会所の中に入っていく。
 さすがに呼び止めてまで聞く気にはなれず、魔理沙は一旦その疑問を忘れることにした。

 ◆

 大部屋一つしかない集会所の中は、妖怪で一杯だった。座って話したり将棋を指したり寝っ転がったり、やっていることは様々だ。
 足を踏み入れた一瞬こそぎょっとしたものの、すぐにマリィが「大丈夫大丈夫」と安心させてくれた。
 何か札のような物を持って寝転がりながら向き合っていた二人の妖怪が、こちらに気づいて軽く手を上げる。

「よーマリィ。またなんか新しい玩具でも作ってきたのか?」
「隣にいるちっこいのは誰だ?」
「ふふふ、よくぞ聞いてくれました! さ、みんな、ちゅーもーく!」

 マリィが両手を広げながら叫ぶと、ある者は面倒くさそうに、ある者は気だるげにこちらを見た。

「聞いて驚け! なんとこちらにおわすお方、平行世界の霧雨魔理沙さん、つまりわたしです! なんかね、マジックアイテムの暴走とかでこの世界に飛ばされてきたんだって! どう、どう? スゴくない!?」

 マリィは一人興奮してまくし立てるが、妖怪達の方は「へー」「ふーん」「だから?」といった具合で、実に気のない反応であった。中には露骨に胡散臭そうな者もいるぐらい。
 そういう様子を見るだけで、この活動に熱心なのはマリィだけらしいということが分かってしまうほどだ。

「えっ……ちょ、ちょっと、いくらなんでも反応薄すぎない!? 平行世界よ、平行世界!」
「それは聞いたって。だからなんだってのよ?」
「なんだ、って……いや、面白くない? 例えばそのマジックアイテム量産して、誰でも平行世界旅行とか出来るようになったらさ! 別の世界の自分に会えるのよ? 面白いでしょ、ね、ね?」
「冗談じゃねえや」

 ある妖怪が、うんざりした口調で応じる。

「よく分かんねーけど、別世界への移動ってつまり境界越えだろ? んなことしたら速攻巫女に目ぇつけられて魂ごと潰されちまうよ」
「そうそう。大体、そんなこと出来るわけねえって。そのちんまいのが嘘ついてるに決まってらあ。よく似た顔だからって騙されてんだよ、マリィ」
「あんまり変なの連れてくんなよなー」

 妖怪達は口々に気のないことを言って、元の遊びや雑談に戻っていく。
 マリィと魔理沙に注目している者は、ほとんどいなくなった。

「あんまり受けなかったみたいだな」
「むうう……」

 マリィはちょっと赤い顔で唸っていたが、やがて諦めたように肩を落とした。申し訳なさそうに、魔理沙に笑いかける。

「なんか、ごめんね。勝手にここまで連れてきておいて……」
「いや……別に、いいけど」
「ありがと。とりあえず、座ろっか?」

 誘われるまま、魔理沙はマリィと並んで壁際の座布団に座る。
 幻想郷を楽しくする会、という名前に反して、集会所に漂う空気はあまり楽しげな物ではなかった。
 雑談している数名を除けば皆何かしらの遊びに興じてはいるのだが、それもいかにも暇つぶししてます、という感じのだらけた雰囲気で、心底から楽しんで遊んでいるようには見えない。
 ここにいるのがほとんど妖怪であることを考えれば、面白い光景ではあるのだが。

「最初の頃は、皆もうちょっとやる気あったんだけどね」

 マリィがため息混じりに言う。

「この郷の退屈な空気を吹き飛ばすためにはどうしたらいいか! とか夜通し話し合ったりしてさ。結構面白い案も出て、盛り上がってたんだけど」
「悪いが今の状態見ると想像もできないぜ。なんかあったのか?」
「そういう案が全部、最終的には却下されたからですよ」

 不意に、聞き覚えのある声が割り込んでくる。
 もしかして、と思って振り向くと、そこに良く見慣れた天狗の少女が立っていた。

「文じゃないか。お前もこの会の会員だったのか?」
「ええまあ……と言いますか、私のこともご存じなんですね」

 鴉天狗の射命丸文は、興味深そうに言う。

「もしかして私、あなたの世界では凄い出世して有名になってたりします?」
「いや、多分出世はしてないんじゃないかと思うが」
「ですよねえ」

 苦笑する文の外見は元の世界の彼女とほぼ変わりないように見えたが、大きく違っているところもある。
 魔理沙の知る文は、こういう風に話を聞くとき必ず手帳を取り出して熱心にメモを取っていたものだが、今目の前にいる彼女はそういう素振りを全く見せない。
 それどころか、トレードマークとも言える肩掛けのカメラすら見当たらない。それだけで、なんだかずいぶん印象が薄くなってしまった気がした。

「却下されたってのはどういうこった? 園内どこでも盗撮自由の超巨大レジャー施設あややーランドとか、そういう無謀極まりない代物でも作ろうとでもしたのか」
「んなわけないでしょう。なんですかその発想……そういうんじゃなくて、どんな案出しても最終的にはある一言で却下される、っていうのが恒常化して皆やる気なくしちゃったんですよ」
「ある一言?」
「『そんなことしたら巫女に目をつけられる』です」
「……ああ」

 それだけでもう納得できた。
 かつてこの会で具体的にどんな案が出されたのかは知らないが、幻想郷を楽しくする、というぐらいだからきっとお祭りとか何かの大会とか、そういう大規模なイベントが発案されたのだろう。
 だが、もしもそれを「騒乱」と取られて巫女に粛正されたら……という不安が出てくるのも、この世界であれば当然だ。あれだけ強大な吸血鬼であるレミリアがあんな無惨な姿にされたのを知っていれば、誰だって尻込みするだろう。
 魔理沙自身、巫女としての霊夢の圧倒的な強さを見た後なので嫌でも納得してしまう。

「でも、別に徒党を組んで人間襲おうってんじゃないんだろ? だったら大丈夫なんじゃないのか?」
「ええ。マリィさん含む何人かはそう言ってなだめようとしたんですが、多数決取ると毎回反対票が大多数になりましてね。あの巫女が『討伐対象』とする判断基準が不明ですから無理もないことですが」
「本人に聞いたらいいじゃないか」
「そんな恐ろしいこと! そういう企てをしてると知られただけで『騒乱を起こす意志あり』と判断されたらその場で消し炭ですよ? 誰がそんな危ない橋渡りたがりますか。本当に、あの巫女は得体が知れないですからね。妖怪よりも化け物じみてますよ、ええ」

 遠慮のない物言いに、魔理沙はムッとする。
 しかし、常に飄々としている文ですらあの霊夢には心底怯えているのだ、と思うと、怒りは寂しさへと変わった。
 こんな風に誰からも怖がられて、この世界の霊夢はどんな気持ちで日々を過ごしているのだろう。
 人形のように無感情な姿だけしか見ていなかったら、疑問にも思わなかったかもしれない。だが、あの怯えているような姿を見た後では、どうしてもそういうことが気になってしまう。

(……そう言えば、まだ霊夢のこと聞いてなかったな)

 ふと思い出して隣のマリィに目をやると、膝を抱えて座ったまま苦しげな顔をしていた。何かを堪えるように目を細め、唇を噛んでいる。
 魔理沙と文の会話を聞いて、こんな顔をしているのだろうか。その横顔を見ると、迂闊に物を尋ねるのも気が引ける。
 ともかく、この会の活動が盛り上がらない理由はよく分かった。結局、根本的には郷全体がピリピリしているのと同じ理由だ。

「じゃあ、この会ってもうほとんど意味ないんじゃないか? 何の成果も上がってないってことだろ?」
「いや、そんなこともないですよ。例えばほら、あれ見て下さい」

 そう言って文が指し示したのは、何やら大きな盤を挟んで向かい合っている二人の妖怪だった。

「あいつらがどうかしたのか?」
「いえ、見てほしいのは彼らではなくて、彼らがやってる遊びですよ」
「遊び……?」

 言われてよく見てみると、盤上で二人が動かしている駒は見たことがない代物だった。動かし方も独特で、将棋か何かのようには見えない。

「何だ、あれ?」
「マリィさんが考案した対戦型盤上ゲームの試作品ですよ。他にもほら、向こうでやってるのは陣地取りゲームの発展版、その隣は札を使ったゲーム、あっちにあるのは小さな球を打ち合うゲームで使う台です」
「へえ」

 改めて見回してみると、集会所の中は見慣れない玩具や遊び道具で溢れていた。
 それらは全て、ルールもデザインもマリィが考案したものだという。それぞれの遊び方はパッと見では分からないが、妖怪達が特に文句もなく遊んでいるのを見る限り、それなりに受けてはいるのだろう。

「やっぱ凄いな、お前」
「ん……まあ、個人的にはどうもイマイチっていうか、しっくり来ないんだけどね」

 まだ少し沈んだ声で言い、マリィは苦笑する。

「面白いのが出来たら店にも並べてみようと思ってるんだけど、これがなかなか……ね」
「わたしは悪くないやり方だと思いますよ。大規模な催し事は巫女が怖くて出来ないとしても、こういうのなら少人数で静かに楽しめるから抵抗も少ないでしょうし、郷独自の遊びが広まれば少しは雰囲気も明るくなるでしょう」
「なるほどね。やり方はいろいろあるんだな……」

 周囲がついてきてくれなくても、何度も反対されて自分の案を潰されても、また別の道を模索して現状を打破しようとする。
 そういう粘り強い姿勢は、今の魔理沙にとっては非常に眩しく見えた。

「ちなみに、最近はどんなの考えてるんだ?」
「えーと、カードゲームかな。郷中の大妖怪や神様に許可もらって、カード作らせてもらったの。それを何十枚、何枚かずつ箱や袋に入れて販売してね、当たったカードで自分だけの軍団を作って他の人と戦うのよ」
「へえ。外の世界にはそういうのがあるって聞いたことあるけど、幻想郷オリジナルってのはちょっと面白いな」
「でしょ。そうだ、ちょうどそこに箱版のサンプルがあるけど、良かったら一箱持ってく?」
「いいのか?」
「うん。まあお土産ってことでね」

 マリィが近くの棚から、手の平に収まる程度の小さな紙の箱を持ってきた。
 受け取って蓋を開けてみると、見覚えのある妖怪や神様をデフォルメして描いたカードが次々と現れた。

「おお……幽香に紫、雛に秋姉妹……いろいろいるな。でも幽香は怖すぎるし紫は若すぎじゃないか」
「まあせっかく許可もらえたし、デザインは本人の希望を取り入れてる部分が多少はね」
「なるほどな……しかし、みんな良く許可くれたもんだな?」
「そうだね……でも、カードに限らず、皆お願いすれば大体二つ返事でOKくれるのよ。他にも出来ることあったら協力する、って言ってくれる妖怪さんも多いしね。ゆかりんとか」
「ゆかりんはやめよう。でも、そうか……期待されてるんだな」
「応えられてはいないけどね……」

 皆、多かれ少なかれこの郷の息苦しさを何とかしたい、という気持ちは持っているということだろうか。何の力もないのにあちこち歩き回っているマリィが危険な目に遭わないのも、そういう理由が大きいのかもしれない。
 この集会所に集まり続けている妖怪達にしても、結局は期待を捨てきれないのだろうし。

(このカードゲームもかなり気合入ってるしな。箱の絵も……あれ?)

 箱の表側に描かれた絵を見て、魔理沙は眉をひそめる。
 対戦ゲームらしく、たくさんの妖怪や神様達が左右に分かれて向かい合うように描かれているが、その中央にいるのはどこかで見たような気がする二人の少女であった。
 金髪の女の子と、黒髪の女の子。

(これ、もしかして……)

 魔理沙がそのことについて尋ねようとしたとき、

「ああ、そうだ」

 と、不意に文が手を打った。

「せっかくですし、別世界のマリィさんに別世界の遊びのことを聞いてみたらどうですか?」
「えっ?」
「あ、それは確かに聞いてみたいかも。あとこの子のことはマリリンって呼んであげてね!」
「やめろ。わたしは魔理沙でいい」

 変なあだ名が広まるのを阻止しつつ、魔理沙は頬を掻く。

「わたしの世界の遊びか……現状、種族問わず皆が参加出来て、大流行してる遊びはあるが……」
「えっ、本当!?」
「それは是非ともお聞きしたいですね」

 文もマリィも、興味津々に身を乗り出してくる。
 別段、隠す必要もないように思えたので、魔理沙はもらったカードの箱をポケットに突っ込みつつ、簡単にその遊びのことを説明した。
 スペルカードルールに基づいた疑似決闘……俗に言う、弾幕ごっこのことを。

「……つまり、自分の性質や得意技を弾幕で表現し合って、それを制限時間一杯避け合う……っていうのが大まかなルールだな。ただまあそれは一応の勝敗基準であって、実際の所はお互いきれいな弾幕を見せ合って楽しもうぜ、ってノリの遊びなんだ」
「ふむ……美しさで競い合うのが基本理念、というのはそういう意味ですか」
「きっと花火みたいできれいなんだろうねー。ちょっと見てみたいかも」

 二人は感心した様子で頷いている。
 反応としては、上々と言えるだろうが。

「参考になりそうか?」

 魔理沙がそう聞くと、二人は困ったように顔を見合わせた。

「どうかな、あやや?」
「うーん……少なくとも、この郷でそのままやるのは難しいんじゃないですかね……」
「……だろうな」

 二人の返答は予想通りだった。
 それはもちろん、そんな派手な遊びをやったら巫女に目をつけられるかも、という不安が存在するからでもあるが、その他にも「弾幕ごっこが流行する下地が整えられていない」という理由も考えられる。
 そもそもスペルカードルールが創設されて流行した背景には「気軽に異変を起こして巫女と戦えるようにして、妖怪の戦力を維持しなければならない」という割と切実な理由も存在している。
 魔理沙の世界における吸血鬼異変はこの世界と違って結構長引き、レミリア・スカーレットによって散々ひっかき回された妖怪達が力の衰えを痛感する結果に終わった。
 そういう流れで未知の外敵に対する危機感が広がったからこそスペルカードルールは創設されたのだし、あれだけ異変が頻発するほど流行したのだとも言える。遊び自体が楽しいのも事実だが、必要に迫られて、という部分もかなり大きいのだ。
 その点、この世界における吸血鬼異変は巫女によって即座に解決されているから、おそらく妖怪達は力の衰えをほとんど実感していないだろう。新参者が騒ぎを起こしてもまた巫女が何とかするだろう、というある種の安心感も強まったかもしれない。
 こういった環境の差異を考えると、少なくとも今のこの世界で弾幕ごっこが普及することはまずないように思える。
 魔理沙自身この遊びを深く愛好しているという自負はあるが、それがいついかなる環境においても通用し、広く受け入れられると考えるほどには幼くない。この世界の事情をある程度知った今となっては、むしろ受け入れられないのが必然にすら思える。
 ただ、そう結論づけた上で、それが良いことなのか悪いことなのかは何とも判断し難いところだった。
 もちろん魔理沙は元の世界が好きだし、弾幕ごっこを楽しんでもいるが、それがないこの世界が誰にとっても最悪の環境なのかと問われれば、全くそうは思わない。
 確かに多少窮屈かもしれないし、罰則も厳しい。見知った者の何人かは元の世界より不幸そうにも思えた。
 それでも郷全体が平和であることには変わりないし、あの霊夢の強さを考えれば、外敵に対する安全度はむしろこちらの方が上とすら言えるかもしれない。

(何より、この世界で一生懸命頑張って生きてる奴がいるんだ。無闇に良いだの悪いだのは言えないよな)

 そう考えながらマリィを見ると、彼女は黙ったまま何やら考え込んでいた。

「どうしたマリィ、難しい顔して」
「んー……いや、その弾幕ごっこっていう遊びさ。楽しそうではあるけど、一つ大きな問題があるわね」

 マリィが商人らしい冷静な口調で言う。

「問題って言うと?」
「種族問わず参加出来るっていうのは確かだろうけど、魔法とか妖術とか使えないと参加するの難しいじゃない? わたしみたいにさ」
「それはまあ、確かにそうだな」
「だとしたら、今以上に競技人口増えないんじゃない?」
「いや、最近妖怪の流入数が増えてるって言うから競技人口自体は増えていくと思うぞ」
「でも、それじゃ結局人間は大多数が蚊帳の外でしょ。戦力の維持って目的からしても、ちょっともったいないんじゃない?」
「なるほど、確かにな」

 魔理沙は小さく唸る。マリィの着眼点は自分にはないものだ。さすがに、この郷で新しい遊びを流行らせようと日々努力しているだけのことはある。
 実際、妖怪側はともかく人間側……里の人間の参加者が今後増える見込みはあまりない。彼らは別に何もしなくても安全が保障されているわけで、わざわざ弾幕ごっこや異変騒ぎに参加する必要性が薄いのだ。
 改めて考えてみると、残念なことだ。人間の参加者が増えれば妖怪にとってもいい刺激になるだろうし、魔理沙としてももっとたくさんの弾幕を見て楽しむことが出来るだろうに。

「なんだかんだ言いつつわたしでもやれてるんだから、やろうと思えば実際そんなに難しい訳でもないと思うんだがな……」

 そこまで話したとき、魔理沙の頭に閃きが走った。

(待てよ。増えるのを待つんじゃなくて、増やせばいいんじゃないか?)

 スペルカードルールが流行して多少賑やかになってきているとは言え、魔理沙の幻想郷だってまだそこまで活気に満ち満ちている訳ではない。
 特に里の人間の事情は、この世界とほとんど何も変わらない。力のある妖怪達が起こす騒ぎを迷惑がりながら、身を潜めて大人しく日々を過ごしているだけだ。
 そういう状況に飽き飽きしていて、自分も何かして楽しみたいと思っている者だって多いのではないだろうか。弾幕ごっこや異変騒ぎが盛り上がっている話を聞けば尚更そう思うかもしれない。
 だがそういう人間は力がない故に、自分ではその遊びに参加できない。いや、参加出来ないと思いこんでいる。
 彼らを探し出して声をかけ、弾幕ごっこに参加出来るように教え込んだらどうだろう。

(わたしには才能がない。それでも弾幕ごっこには参加できてて、疑似的な妖怪退治を存分に楽しんでる。里の人間の中にはわたしなんかよりよっぽど才能がある奴だってたくさんいるはずだ。そういう奴らに、わたしが培ってきた技術を全て伝達すれば……!)

 才能がなく躓いてばかりで、今程度の実力を身につけるだけでもかなり苦労してきた魔理沙だ。魔法という技術の習得過程において、普通の人間が躓きやすいポイントがどこかはよく分かっている。
 そんな自分ならば。いや、そんな自分だからこそ、効率の良い上達方法をまとめ上げて、より多くの人間を弾幕ごっこに参加出来るレベルまで引き上げることは可能なのではないだろうか。
 妖怪側にしてみても、メリットはあるはずだ。いろんな人間と戦う機会が増えれば、その分戦力向上の機会も増えるし、疑似的な人間襲撃をより多く楽しめるようにだってなる。
 それに、人間と激しくやり合っていた旧い時代を懐かしむ者だって多いだろう。今は所詮女子供の遊びとバカにしている連中だって、競技者層が広がって今以上に多様な人間が参加するようになれば、かつての仇敵と似た人間を見つけて重い腰を上げるかもしれない。
 もちろん、これらは全て魔理沙の想像というか、願望に過ぎない。上手くやれる見込みがどれぐらいあるかは分からないし、実現には様々な困難がつきまとう。今以上にルールや競技環境を整備する必要が出てくるだろうし、別世界の魔理沙のように競技中や訓練過程で事故死する人間も出るだろう。ちょっと考えるだけでも、問題は山積みだ。
 それでも、魔法使いとしての道に行き詰まっていた魔理沙にとって、それは新たな目標と呼ぶにふさわしい展望だった。
 形は変わっても、自分が必死に培ってきた技術で歴史の流れに関わっていけるかもしれない。そう思うと、胸の奥から熱い何かがこみ上げてくる。
 それに、そうして弾幕の輪を広げていけば、遠くなったと思っていた霊夢にもまた近付けるような気がするのだ。
 それがどうしてなのかは、まだ上手く言葉に出来ないのだが。

「……おーい。魔理沙ー? どうしたのー?」

 ふと気づくと、目の前でマリィが怪訝そうに手を振っていた。

「お……おお、悪い。ちょっとボーッとしてた」
「うんまあ、それは見れば分かるけど」

 苦笑するマリィの手を、魔理沙は強く握りしめて激しく振る。

「ありがとう、マリィ。まさかこんな風に道を示してくれるとは、さすが時流を読む商人だ。感謝するぜ本当に、心の底から」
「は……はぁ。よく分かんないけど、良かったね……?」

 マリィは困惑している様子だったが、魔理沙は構わず手に力を込める。
 全く、ぶ厚い雲を突き抜けて満天の星空に出たときのような、晴れやかな気分である。こんな気持ちになるのは、本当に久しぶりのことだった。

「しかし、まさかあの巫女がそんな遊びを提案するとはねえ」

 文が複雑そうな表情でため息を吐く。

「そんな人間がこっちの世界では息苦しさの原因になっているんですから、全く世の中分からないもんですよ」
「それに関してはわたしだって驚いてるぜ。何でこうも違うんだろうな?」
「……魔理沙は、さ」

 マリィが躊躇いがちに切り出した。

「仲良いの? その……巫女様、と」
「それは……どうだろうな。良く遊びには行くけど、マイペースな奴だし……向こうがどう思ってるのかは、正直分からん」
「……そっか。良く遊びに……そうなんだ」

 小さな呟きから、隠しきれない苦悩が滲み出している。
 前向きな気分になっているのもあり、聞くなら今しかない、と悟って、魔理沙も思い切って問いかける。

「お前こそ、仲良いんじゃないのか?」
「えっ?」
「この世界の霊夢が口にしてたぜ。『マリィ』ってあだ名」
「……うそ」

 マリィは目を見開き、呆然と呟く。
 文が興味津々に割り込んできた。

「魔理沙さん、巫女に会って話までしたんですか? 人間が攻撃される可能性は薄いとは言え、勇気ありますね」
「まあ偶然、ちょっとだけな……話に聞いて想像してたのと違って凄い気弱そうだったから、驚いたぜ」

 敢えて、感情を見せた後の霊夢だけを思い浮かべてそう言う。

「気弱!? 冗談でしょう?」

 文がぎょっとする。

「私も吸血鬼惨敗の場には居合わせたんで一部始終見てましたけど、人形みたいな無表情で容赦なく叩きのめしてましたよ? 見てるだけで足が震えてへたりこみそうになったぐらいです。あれが気弱に見えるって、目か頭がおかしいとしか思えませんよ」
「いや、でも確かに……」

 魔理沙もまた困惑する。やはり、この世界における一般的な霊夢像と、魔理沙が見た小さな少女の姿はあまりにもかけ離れているようだ。
 一体、どちらが本当の博麗霊夢なのか。

「なあ、どうなんだマリィ。お前、霊夢と知り合いなんじゃないのか?」

 重ねての問いかけ。文もまた興味をそそられたように黙ってマリィを見つめる。
 道具屋の娘は少しの間迷っていたが、やがてゆっくりと、躊躇いがちに頷いた。

「……今より、うんと小さい頃、探検とか言ってちょっとの間神社に通ってた時期があって……れーちゃんとは、そのとき知り合ったの」
「れーちゃん、ね……なるほどな」

 魔理沙は納得して頷いた。
 内緒でこっそり里の外を探検していて、偶然たどり着いた博麗神社で霊夢と知り合った、というのは魔理沙の記憶とも一致する。
 かなり曖昧で、細部までは思い出せないのだが。

「それで、どうなったんだ? 今は会ってないのか?」
「今は……その、神社には何週間かで行かなくなっちゃって……家の勉強とかもあったし……」
「それきり、霊夢とは会ってない?」

 マリィは小さく頷く。どうにも歯切れが悪かった辺りまだ隠していることはありそうだったが、嘘は吐いていないように思えた。

「……れーちゃん、『マリィ』って言ったの? 本当に? 聞き違いとかじゃなくて……?」
「わたしを見て『マリィじゃないの』って言ったんだぜ。聞き違いとは到底思えん」
「……わたしのこと、まだ覚えててくれたなんて……れーちゃん……」

 そう呟いたきり、マリィは俯いて何も言わなくなってしまった。
 お前だって霊夢のこと覚えてるじゃないか、と言いそうになったが、止めた。
 涙が溢れそうになるのを必死に堪えているのを見るととても言えなかったし、そういうマリィの気持ちが、魔理沙には痛いほど分かったからだ。

「……ちょっと、ごめん」

 小さな声で言って、マリィが集会所の外へ出ていく。
 扉が閉まるなり、文がため息を吐いた。

「ショック受けてたみたいですね、マリィさん。わたしにはよく分からなかったんですが」
「わたしだって細かいところまでは分からないけどな」

 実際、まだどうにも分からないことがある。
 同じように神社に通って霊夢と遊んでいたのに、一人は才能に従って商人になり、一人は才能に逆らって魔法使いになった。
 異なる道を選んだのには何かしら分岐点というか、きっかけとなった出来事があるはずなのだが、どうも思い出せない。思い出せないというか、もう少しのところで引っかかっていて出てこないという感じだ。
 どうやって確かめたらいいのかは、もう分かっているが。

「それにしても、久しぶりに面白い話が聞けましたねえ」

 ふと、文が楽しげに言った。
 魔理沙もまた、にやっと笑って聞いてみる。

「記事にでもしてみるか?」
「記事? ……ああ、新聞ですか」

 文が遠くを見るように目を細める。

「懐かしいですねえ、そんなの作ってた時期もありましたよ」
「今は作ってないんだな、やっぱり」
「記事にしたいようなことがほとんど起きませんのでね……その口振りからすると、魔理沙さんの世界の私は今でも新聞を?」
「ああ。郷中飛んで回って迷惑なぐらいに写真撮りまくってるぜ」
「そうですかあ……羨ましいですね、正直」

 文が寂しそうに言うものだから、魔理沙までしんみりしてしまった。

 ◆

 集会所から出て霧雨道具店に帰り着く頃には、ちょうどおやつの時間帯になっていた。
 いつもならば神社で煎餅かじりながら、霊夢の隣でお茶を飲んでいる頃だ。そう思うと、無性に帰りたくなる。
 だがまだやらなければならないことが残っているので、帰る訳にも行かない。どの道、パチュリーに珠を預けたままなので帰ろうにも帰れないのだが。

「結局、こっちの都合で振り回しただけになっちゃったね。ごめんね」
「別にいいぜ。いろいろ、面白い話も聞けたしな」
「ありがと。そう言ってもらえると少しは気が楽になるわ」

 そう言うマリィの微笑みには、やはり陰があるように見える。先程の会話がまだ尾を引いているらしかった。
 店は相変わらず大勢の客で賑わっている。マリィの営業モードに比べればだいぶ常識的な呼び込みの声も響き渡っていて、閉塞的な郷の中とは思えないほど活気があった。
 それでも、こういう活気はごく一部のものに留まっていて、郷全体の空気を変えるまでには至っていないのだろう。魔理沙とはだいぶ形が違うが、マリィもまた行き詰まっているということだ。
 それでも諦めずに前向きに頑張っているだけ、比べものにならないぐらい立派なのだが。

「そう言えば、仕事中だったのに抜け出して良かったのか?」
「大丈夫よ。一声かけたし、父様や他の店員さん達もいるし。それに、これが初めてって訳でもないしね」
「なるほど、こういうのも新商品開発と営業活動の一環ってわけな」
「そういうこと。まあ、正式に店継いだらそうも言ってられないだろうけど、さ」

 マリィの口調から察するに、それはそう遠い未来の話ではないのだろう。その声には恐れも後悔もなかったが、心残りがあるような気配はかすかに感じられる。
 その正体が何であるのか、今の魔理沙にはよく分かっていた。

「それで、この後どうするの? 何もないなら中に上がってお茶でも飲んでく?」
「いや、いいよ。仕事の邪魔しちゃ悪いし、他に行くところもあるしな」
「行くところ……って、もしかして」
「ああ。神社だ」

 端的に答えると、マリィは小さく息を呑んだ。

「でも、もうこんな時間だし……今からじゃ、夜になっちゃうかも」
「子供の足ならな。あの頃に比べればちょっとは足も速くなったろ。行こうと思えば今からでも間に合うさ」
「……そうだけど」
「ま、どっちにしろ歩いては行かないけどな。今のわたしには、これがある」

 魔理沙はそう言い、もう何百回何千回と繰り返してきたのと同じように箒に跨がると、ふわりと宙に浮かび上がった。
 マリィが息を詰めてその光景を見上げ、周囲の買い物客達も何事かとざわめきながらこちらを見る。
 あれは手品師か、大同芸人か。道具屋の娘はあの子と組んで、今度はサーカスでもやるのか。
 そんな会話が、少しだけ聞こえてきた。

「じゃ、またな」

 短い挨拶を残し、魔理沙は神社のある方角に向かって一直線に飛び出す。
 マリィがどこか羨ましそうにこちらを見上げているのが、視界の端にちらりと見えた。

 ◆

 いつものように空を飛び、いつものように神社にたどり着く。郷の空は静かなもので、特に誰の妨害に遭うということもなかったし、怖い巫女が迎撃に出てくるということもなかった。
 そうして降り立った博麗神社の境内は、一見した感じでは魔理沙の世界と特に変わりなく見えた。こじんまりした佇まいだが、きれいに掃除されているため寂れている印象はない。
 あの霊夢の伸ばしっぱなしの黒髪のように、神社も荒れ放題になっているのではないかと想像していたので、この小綺麗さは意外だった。
 それでも、魔理沙の知る博麗神社よりどこかがらんとしているような感じはする。単に今誰もいないからというだけでなく、ここを訪れる者はまずいないだろう、と今までの経緯から推測してしまうせいかもしれない。

(要するに思い込みだな)

 魔理沙は一人首を振る。
 今は出来る限り、そういう偏見を抜きにして物を見たい。
 そうでなければ、この世界の霊夢のことも見誤ってしまう気がするから。

「……良し」

 数回も深呼吸して決意を固めると、魔理沙は慎重な足取りで社の裏手にある母屋に向かった。
 壁にぴたりと身を寄せてそっと顔を出すと、いつもの縁側にあの霊夢がぽつんと座っていた。
 こうして見ると、やはり小さい。童女と言うほどではないが、年齢から考えると明らかに小柄である。
 その違いが何に起因しているのかは、これから確かめなければいけない。

(……動かないな)

 息を潜めて数分ほども観察したが、霊夢は座ったまま微動だにしなかった。長い髪に隠れていて、表情も見えない。
 何か考え事でもしているのか、それとも、郷に異常がないときはこんな風に動かないとでも言うのか。

『わたしにはあれが人間の腹から生まれたものだとは到底思えないんだよ』

 レミリアの言葉が、自然と頭に蘇ってくる。

(嫌な想像だ、全く)

 首を振ってその疑念を追い払い、また変なことを考えない内に、と勢いつけて強く踏み出す。
 その足音に反応してか、それまで身動き一つしなかった霊夢がびくりと体を震わせ、驚いたように振り向いた。
 黒髪の向こうで、無垢な瞳が大きく見開かれる。

「マリィ……?」
「じゃないんだな、これが」

 あの人形のような状態でなかったことに安堵しながら、魔理沙はいつもそうしているようにずかずかと無遠慮に歩いていき、霊夢の隣にどっかと腰を下ろした。
 その行動は完全に予想外だったらしく、霊夢は先程とは違った意味でぽかんとしている様子だった。

(……ここからどうしよう)

 膝に頬杖を突いて庭先を見つめたまま、魔理沙は内心冷や汗を流していた。勢いのままに突き進んだはいいものの、何からどう切り出したものかさっぱり分からない。
 霊夢の方も何も言ってこないが、視線は嫌というほど感じられる。横目でそっと様子を伺うと、先程と全く変わらぬ姿勢のまま不思議そうにこちらを見つめていた。

(……ちっちゃいけど、やっぱり霊夢だな)

 小柄さと相まってひと回りほども幼い印象はあるが、顔立ちや雰囲気は確かに霊夢のものだ。
 それが確認出来ただけでも、ずいぶんほっとする。

「……えーと、霊夢?」

 おそるおそる声をかけると、霊夢はまたあのときのようにびくりと体を震わせた。
 幼げな瞳に、また涙がせり上がってくる。

「……マリィじゃないの?」
「……あー、そっか。マリィはお前のこと『れーちゃん』って呼んでたんだっけ」

 れーちゃん、という言葉を聞くと、霊夢の顔がほんのりと明るくなった。瞳にも期待の色が戻ってくる。

「でもごめんな。わたしはマリィじゃないんだよ」
「……ちがうの?」

 霊夢がしょんぼりと肩を落とす。魔理沙は慌てて、

「あ、でも霧雨魔理沙ではあるんだぜ!」
「じゃあやっぱりマリィ!」

 霊夢の顔が輝き、

「だけどマリィであってマリィではないっていうか、つまり別世界のだな」
「……マリィじゃないの?」

 またしょんぼりする。

(……くそっ。なんか、可愛いな!?)

 なんだかいろいろアブない気がしたので、ニヤけそうになる口元を手で覆い隠す。
 それにしても不思議なのは、霊夢がこちらをマリィ……霧雨魔理沙と認識しているということだ。同じ人間とは言え魔理沙とマリィでは見かけからしてかなり違うし、そもそも何年も会っていないらしいのに。
 もしかしたら自分と同じように、雰囲気や面影でそう判断したのだろうか。判断出来るぐらいに、覚えていてくれたのだろうか。
 そう考えるとこの上なく嬉しくなってきて、少しだけ緊張も解けたような気がする。

「……まあ、なんだ。ともかくわたしが霧雨魔理沙であることは間違いないし、霊夢のことだって知ってるんだぜ。今はとりあえずそれで納得してくれないか、な?」
「……よくわからない」

 霊夢が困ったように言う。
 こうして話していると、見かけ同様中身の方も幼いままという印象を受ける。幼いまま、と言うより、マリィと別れた当時のまま、成長が止まってしまっているかのような。

「……マリィってよんでもいい?」
「……あー……」

 霊夢がおそるおそる聞いてきて、どう返事をしたものか迷う。
 自分は魔理沙であって、マリィではない。だから、マリィと呼ばれるには相応しくない。
 理屈の上ではそれが正しいのだろうが、縋りつくような瞳に見つめられては、とても無碍に突き放すことなど出来なかった。

「……まあ、いいぜ。よろしくな、れ……霊夢」

 少し迷ったが、結局れーちゃんとは呼べなかった。そのあだ名を使っていいのは、自分ではない。
 そんな魔理沙の葛藤を知ってか知らずか、霊夢はパッと顔を輝かせて勢い良く立ち上がった。

「マリィ!」
「ああ」
「マリィ! マリィだ! マリィがきてくれた!」

 先程までの大人しさはどこへやら、霊夢はすっかり興奮しきった様子でどたどたと縁側を駆け回る。それこそ子犬のようなはしゃぎっぷりで、伸び放題の髪を踏んづけて転ばないかと心配になるぐらい。

「お、おい、落ち着けって、危ないぞ」
「マリィ! こっち、こっち!」

 霊夢がぐいぐいと一生懸命服を引っ張るので、抵抗出来ずに中に引っ張りこまれる。
 そうして初めて分かったが、母屋の中はがらんとしていてほとんど物が置かれていない。
 一体どういうことだ、と考えるよりも先に、霊夢が部屋の隅に置いてあった大きな箱を抱えてガチャガチャ言わせながら戻ってきた。

「マリィ、あそぼ!」
「遊ぶ……?」

 何だろう、と思って覗き込んでみると、霊夢が抱えている箱の中は玩具でいっぱいだった。それも、けん玉やらおはじきやら独楽やら、懐かしい感じの玩具ばかりだ。

「凄い数だな」
「マリィがくれたの。見ててね!」

 霊夢は箱を置いてけん玉を取り出すと、驚くほど鮮やかな手つきで操り始めた。大皿、中皿、小皿とテンポよく玉を移動させるのに始まり、胴の上で玉を静止させてみたり、逆に玉の上で胴を静止させてみたり。果ては尖ったけん先の上で玉を止めてみたりして、一体どうやっているんだと驚いてしまう。
 最初こそ今時けん玉なんて、と笑っていた魔理沙も、あまりの神業にすっかり魅せられてしまった。
 最後にけん先に玉を収めた霊夢が、どうだ、と言わんばかりに得意げに笑う。
 もちろん魔理沙は、惜しみない拍手を送った。

「いや、凄いな霊夢。びっくりしたぜ」
「えへへ。次はマリィがやって!」
「えー、わたしか? 出来るかな?」

 霊夢からけん玉を受け取り、試しにやってみる。大皿に乗せるぐらいは簡単だったが、中皿小皿となるとなかなか上手くいかない。
 昔は、もっと上手にできた気がするのだが。

「あー、だめだな。こういうのは得意なつもりだったんだが」
「こう、こうやるんだよ!」

 霊夢は魔理沙からけん玉を受け取ると、また実に巧みなお手本を見せてくれる。

「おー、凄い 凄い」

 再び拍手を送ると、霊夢は嬉しそうに笑った。その無邪気な様が、また例えようもなく愛らしい。
 思いがけず、微笑ましい気分になってしまった。こうして遊んでいると、あの恐ろしいほど無感情だった霊夢のことが白昼夢か何かのように思えてくる。

(そんな訳ないんだけどな。でも、こうして和んでる空気に水を差すのもなんだし、もう少しこのままで……)

 そんなことを考えかけたとき、魔理沙はふと、喉が乾いていることに気付いた。

「はは、神社に来るとお茶が飲みたくなるな。霊夢、お茶あるか、お茶」

 この霊夢にお茶が淹れられるのか若干不安ではあったが、とりあえず聞くだけ聞いてみる。
 案の定、霊夢は不思議そうに首を傾げた。

「おちゃ……?」
「そう、お茶。いや、ないならいいんだけどさ」
「……わからない」
「……うん?」

 ない、ならともかく、わからないとはどういうことだろう。
 博麗霊夢と言えばお茶飲んで煎餅かじって縁側に寝転びながらぼりぼり尻を掻いている女……とまで言うのはさすがに言い過ぎだが、何かにつけてお茶を飲んだり飲ませたがる奴なのは間違いない。
 いつ頃からそうだったのかはよく覚えていないが、少なくとも魔理沙が魔法使いとしての修行を始めて、空を飛べるようになった頃には、もうお茶好きだったように思う。
 なのに目の前にいる霊夢は、お茶というもの自体知らない様子だ。

「……霊夢」

 不安が顔に出ないように気をつけながら、魔理沙は慎重に問いかける。

「お前、今日の昼は何食べた?」
「たべた……?」
「……朝は? ご飯とか、パンとか……野菜とかでもいいけど。何も食べてないってことはないだろ?」

 霊夢は困惑した様子で、ふるふると首を振る。
 喉の乾きが酷くなってきた。半ば無意識に唾を飲み込みながら、魔理沙は普通に考えればあり得ないことを聞く。

「……もしかして、物を食べたことがないのか、お前。何か、口に入れたことは……?」

 こちらの不安を察したのだろうか。霊夢は怯えたように身を縮めながら、叱られている子供のような声で、

「……ない」
「……っ!」

 魔理沙は物も言わずに立ち上がると、急いで台所へ向かった。
 霊夢は良く食べ良く飲み良く笑う、快活な少女だった。まるで動物みたいな奴だ、なんて呆れつつも、魔理沙はその健康っぷりを好ましく思っていたものだ。
 そんな霊夢の住居であるから、母屋の台所はいつも季節の食材で溢れていた。たくさんの調理器具だって綺麗に洗われ、きちんと整頓されて並べられているのが常だった。

『最近じゃ、いつ誰が来てお酒と食い物ねだるか分かったもんじゃないからね。全く、気が抜けなくて大変だわ』

 霊夢はそんな風にぼやいていたが、苦笑を浮かべた顔はとても満ち足りていて、それを見ている魔理沙までなんだか幸せな気分になったものだ。
 だが、今目の前にある台所は、そんな光景が全て嘘だったかのようにがらんとしていた。
 食材も、調理器具も、何一つない。いや、片隅にすっかり錆び付いた包丁や鍋などが無造作に放置されているが、それだけだ。流し台も竈も蜘蛛の巣と埃塗れで、ここが長い間使われていないのが一目瞭然だ。
 何という寒々しい光景か。これでは鼠一匹寄りつかないだろう。
 とても、人間が暮らしている家だとは思えなかった。

(……なんだ、これは)

 壁の縁を、強く握りしめる。怒りと悲しみで胸が潰れそうなほど痛み、視界が涙で滲んだ。
 本当に、霊夢はずっとこんなところにいたのか? 誰も来ない神社で、物も食べずお茶も飲まず、ただ巫女としての役割を果たすだけの日々を生きてきたのか。
 ずっとひとりで、ひとりぼっちで。

(誰がこんな酷いことをしやがった……!)

 縁側にぽつんと座っている霊夢の姿が浮かんできて、魔理沙はきつく唇を噛みしめる。
 そのとき、背後でかすかに物音がした。
 振り向くとそこに霊夢が立っていて、魔理沙の顔を見上げて怯えたように肩を震わせる。

「マリィ……おこってるの? ごめんなさい、ごめんなさい」

 その場に立ち尽くしたまま、霊夢はぽろぽろと涙をこぼす。

「ごめんなさい、おこらないで、きらいにならないで……いなくならないで」

 その霊夢の泣き声で、魔理沙はようやく、自分が酷く険しい顔をしていることに気がついた。
 何とか笑いかけようとするが、どうやっても笑顔が作れない。それどころか、気を抜いたら霊夢と一緒に泣いてしまいそうだった。

「違うんだ、違うんだよ……なあ霊夢、お前……」

 言いかけたとき、不意に霊夢が泣きやんだ。
 それはおおよそ人間のものとは思えない、不自然な挙動だった。一瞬前まで泣いていた少女が突然無表情になり、物も言わずに身を翻す。
 魔理沙の背筋に震えが走った。

「霊夢? おい、霊夢、どこにいくんだ!」

 呼びかけても、振り向く気配すら見せない。
 滑るような足取りで迷いなく外に向かう霊夢を、魔理沙は慌てて追いかける。

「待てよ! 待ってくれ、霊夢……!」

 必死に呼びかけながら、霊夢を追って走る。
 何がきっかけなのかは分からないが、今の彼女はあの人形のような状態になってしまっている。
 何とか元に戻さなければ、と思うのだが、いくら名を呼んでも振り返るどころか止まる気配さえない。

(さっきみたいに捕まえて呼びかければ、もしかしたら……!)

 そう思うのだが、追いつけない。
 走っても手を伸ばしても、あと一歩がどうしても届かない。
 そうしている内に境内まで来てしまい、とうとう霊夢は音もなく空へ飛び上がった。まるで彼女の周りだけ風も重力も消失したかのように、不自然な飛翔。

「霊夢……!」

 今にも消えそうな小さな背中に向かって必死に手を伸ばした瞬間、魔理沙は雷に打たれたような衝撃を受けて息を飲んだ。
 物も言わずに飛び立つ霊夢と、追いかけられずに手を伸ばすしかない自分。
 ずっと昔、同じ状況の中に立っていたことがある。

(ああ、そうだ……あの日……!)

 伸ばしかけた手が、力をなくして垂れ落ちる。
 全てを思い出して呆然と立ち尽くす魔理沙の眼前で、霊夢は結局一度も振り返ることなく、空の彼方へ消えた。

 ◆

 社の階段に座って夕暮れの光に沈む境内をぼんやり眺めながら、魔理沙は蘇った記憶を辿っていた。
 今まで忘れていたが、魔理沙の世界でも、霊夢は最初あんな感じだった。無表情で無感情な、人形のような少女。
 最初に会ったときのことも、今ならよく思い出せる。探検と称して里を抜け出し当てもなく歩き、いつの間にかたどり着いたこの神社はどこもかしこも荒れ放題の草だらけで、とても人が住んでいるようには思えなかった。
 そんな朽ちかけた家屋の中に、自分と同じ年頃の少女がぽつんと座っていたのだ。それはとても非現実的な光景だったが、不思議と恐怖はなく、むしろ宝物を見つけたときのように心が踊ったのをよく覚えている。
 その少女が妖怪である可能性など微塵も考えず、ただ興奮と好奇心が赴くままに声をかけた。

『ねえあんた、こんなとこでなにしてんの?』
『……だれ』

 突然現れた魔理沙に驚くこともなく、霊夢はぽつりとそう言った。

『わたし? わたしはね、きりさめまりさ! あんたは?』
『……はくれい、れいむ』

 ずっと忘れていたことをようやく思い出したかのように、霊夢は長い間の後にそれだけ答えた。
 その浮き世離れした雰囲気にますます好奇心を刺激され、魔理沙は隣に座ってあれこれと話しかけた。
 何せ幼い子供のやることだから、それはほとんど会話と呼べるものではなく、魔理沙が一方的に喋っていただけだった。
 それでも日暮れが近くなり、慌てて帰りかけた魔理沙が

『あしたもきていい?』

 と聞くと、霊夢は不思議そうな顔をしながらもこくんと頷いてくれたのだった。
 それから先は、ほとんど毎日神社に通った。
 霊夢は相変わらず黙って縁側に座ったままで何をするわけでもなく、話しかけても変わった反応をすることはほとんどなかった。
 それで、子供心に何とか笑わせてやろうとか喋らせてやろうとか意地になったのかもしれない。魔理沙は神社に来るたび自分の玩具を持ち込んで霊夢にやらせてみたり、境内が汚い掃除しろ、と文句をつけて怒らせようとした。
 そうしている内に、霊夢の様子が少しずつ変わってきた。笑うようになり怒るようになり泣くようになり、普通の子供と大差ない表情を見せてくれるようになったのだ。
 そういう目に見える変化が嬉しくて、魔理沙はますます霊夢との遊びにのめり込んでいった。文句を言った甲斐あってか、境内も来るたびきれいになって、一月も経つ頃にはすっかり今の掃除が行き届いた神社へと変貌していたのである。
 事件が起きたのは、そんな頃のこと。
 いつものように境内で遊んでいたら、ついさっきまで自分と一緒になってはしゃいでいた霊夢が急に人形のように黙りこくって、空に飛び立ってしまった。
 あまりに突然のことだったのでびっくりしてしまったが、魔理沙ははっとして追いかけ、呼び止めようとした。
 しかし霊夢は振り向きもせず飛んでいってしまい、訳も分からず一人置いていかれた魔理沙は、悲しさと寂しさと恐ろしさとで、泣き喚くことしか出来なかった。

『うるさいガキだねえ。何をそんなに泣いてんだい』

 しばらくしてどこかからひょっこり顔を出したのが、後に魔法の師となる魅魔であった。
 彼女は魔理沙から話を聞くと、霊夢のことを話してくれた。
 博麗の巫女。幻想郷の秩序を維持するための存在。
 それは当時の魔理沙でも理解できるような、分かりやすく易しい説明だった。易しい説明だからこそ、自分と霊夢がどれほど違う世界の住人なのかということが、子供心にも分かってしまった。

『ま、これに懲りたらあの娘に近づくのはやめときな。あんたみたいな取るに足らない人間がついていくことなんて、とても出来やしないさ。生き物にはそれぞれの領分ってものがある。身の程知らずが幸せになれることなんてないよ』

 魅魔は素っ気ない口調でそう締めくくり、後はもう何も言わずに立ち去ってしまった。
 すっかり打ちのめされた魔理沙は霊夢を待つこともなくトボトボと家へ帰り、布団を被って泣き疲れるまで泣いた。
 魔理沙とマリィの道が分かれたのは、きっとその夜のことだ。
 正確に何が原因なのかまでは分からないが、多分、マリィは魔理沙よりほんの少しだけ賢くて、魔理沙はマリィよりほんの少しだけ愚かだったのだろう。
 結果、マリィは身の程を弁えて商人になるための勉強を始め、魔理沙は身の程を弁えずに家を飛び出し、魅魔の元へ転がり込んだ。
 前日にあんな警告をされていたから無碍に断られるのも覚悟で行ったのだが、意外にも魅魔はほとんど止めることもなくすんなり弟子にしてくれた。

『あんたは素養の欠片もないから、どれだけ努力しても歴史に残る魔法使いなんかにはなれないだろう。あの娘に並ぶ実力を身につけられることもない。それでも、いいんだね?』
『いい! 霊夢のそばにいられるんだったら、わたし、なんでもやる!』

 浅慮と呼ぶことすら躊躇われるほど勢い任せなその発言を、どう受け取ったものか。
 魅魔は破顔一笑、満足そうに頷いた。

『よろしい! あたしはね、あんたみたいな底抜けに考えなしのバカが現れるのを、ずーっと待ってたのさ! これからこの郷は、今までよりもうんと楽しくなるだろうよ!』

 そのとき師が言った言葉の意味は、今でもよく分からない。
 ともかく、お下がりだと言って彼女がくれたブカブカの魔女服を身に纏い、魔理沙は息を切らせて神社の石段を駆け上がったのだ。

『わたしも霊夢とおなじになった! これからはずっといっしょ!』

 現れるなりそう宣言した魔理沙を見て、霊夢はびっくりした様子だったが、

『……ずっといっしょ』

 そう呟いて、はにかむように笑ってくれた。

(……しかしまさか、飯も食わない奴だとは思わなかったな)

 当時のことを回想して、魔理沙は苦笑する。
 子供の足では里と神社を往復するだけでかなりの時間を要したため、魔法使いになる前は日中の短い時間しか一緒に過ごせなかった。その上今以上に鈍感で考えなしだったから、霊夢がそこまで人間離れした奴だとは少しも気づいていなかった。
 魔法使いになった後、何かのきっかけで何もない台所を見たとき「なにこれ、あんた草でも食って生きてたの?」とか呆れた思い出がある。実際、その辺の野草でも食ってたんだろうと軽く考えていて、まさか一切物を食わずに生きてきたのだとは微塵も想像しなかった。
 ともかくそれをきっかけとして神社に食べ物やお菓子なんかを持ち込むようになり、一緒に食べた霊夢がそういうことに目覚め、いつの間にやら魔理沙以上の食い道楽のお茶狂いと化していた。
 そうして一年か二年経つ頃には、最初見た人形のような少女の面影など欠片もない、のんき者で感情豊かな博麗霊夢になっていたのである。
 こうやって考えてみるとかなり強烈な変化に思えるのだが、今の今まで元がどんな少女だったのかすっかり忘れてしまっていた。
 人形のような霊夢を見たのがあの日だけだったというのもあるのだろうが、単純に、今の感情豊かな少女と過ごしてきた期間の方がずっと長いからなのだろう。

(本当に、ずっと霊夢と一緒だったんだなあ。振り回されっぱなしだとか思ってたけど、そもそも全部自分で望んだことだったのか)

 当時、お前には才能がないと魅魔から散々聞かされていたのに、気にせず修行に励んでいられたのも当然のことだ。
 才能のあるなしなど全く関係ない。魔理沙の望みは、ただ大好きな巫女の隣で、彼女と同じ世界を見続けることだけだった。
 霊夢と一緒に疲れるまで遊んだ後で、隣に座って気分よくお茶を飲んでいられれば、それだけで十分だったのだ。
 そんな気持ちを見失ってしまったのは、年を取るにつれて余計な知恵がついて小賢しくなり、中途半端に世界が見えるになったせいなのだろう。スペルカードルールが制定されて以降、霊夢の凄さを実感出来る機会が多くなったせいでもある。
 目まぐるしく環境が変わる中で、霊夢の隣にいたいという願いが霊夢と同じぐらい凄い奴にならなければ、という焦りに変わってしまった。
 そういう偽物の目標に惑わされて、焦ってもがいて空回りして、一人で落ち込んで。
 本当に、馬鹿そのものだと思う。
 自分にとっても霊夢にとっても、そんなのはどうでもいいことだったのに。

(……帰りたいなあ。霊夢の隣でお茶が飲みたい)

 その気持ちは、より一層強くなった。
 だがまだ帰る訳にはいかない。
 またお別れも告げずに立ち去ることなんて、出来るはずがない。
 そう思って顔を上げたとき、夕暮れの空の向こうから、小さな霊夢が近づいてくるのが見えた。

 ◆

「マリィ!」

 どことなく不安そうに見えた霊夢が、境内に立つ魔理沙を見つけるなり嬉しそうに駆け寄ってきた。

「霊夢、大丈夫か? 怪我はないか?」
「うん!」

 心配する魔理沙に、霊夢は嬉しそうに笑って頷く。
 何があったのかは分からないが、今回の役目は無事に終えたようだ。
 詳細については敢えて聞かず、想像もしないことにした。魔理沙が個人的にどう感じようが、少なくとも霊夢は間違ったことをしている訳ではない。むしろ、本当なら誉められるべきことをしているはずだ。
 それなのに嫌な顔で出迎えられたら、きっと傷ついてしまうだろう。

「マリィ、こっちきて! またあそぼ!」

 今、嬉しそうに魔理沙の袖を引っ張る霊夢は無邪気そのもので、先程の人形のような気配は微塵も感じられない。
 こちらが本物の霊夢なのだと信じたい。少なくとも、魔理沙が好きなのは今目の前にいる少女の方だ。
 だからこそ、これから話すことを考えると気が重くなる。

「……霊夢、聞いてくれ」

 袖を引っ張る霊夢の手をやんわりと離させ、魔理沙はゆっくりと語りかける。
 霊夢は困惑したように首を傾げた。

「なに?」
「わたしな、そろそろ帰らなくちゃいけないんだ」
「えっ……」

 霊夢は戸惑ったように声を漏らし、それからぎこちなく笑った。

「マリィ、あしたは? あしたも、きてくれる……?」
「……ごめんな。多分、無理だ。今日帰ったら、もう二度と来られないと思う」
「……どうして!?」

 霊夢は泣き出しそうな顔で魔理沙にしがみつく。

「マリィ、おこってるの? わたしのこときらいになったの? だからいなくなっちゃうの?」
「違う。そんなことないよ。霊夢のこと、嫌いになんてなるもんか」
「じゃあ、どうして!? やだよ、いっしょにいてよ! いなくならないで、いなくならないで! ずっといっしょにいて!」

 悲痛な叫びが胸を抉る。魔理沙は歯を食いしばった。
 さっき言ったことは全部嘘だ、これからはずっと一緒にいてやる。そう言ってやれたら、どれだけ気が楽だろうか。
 だが、そうすることはどうしても出来ない。
 自分が帰るべき場所はここではない。
 ここに帰るべきなのは自分ではない。
 魔理沙は心を鬼にして、やんわりと霊夢を押しやった。

「ごめんな。出来ないんだよ。分かってくれ……」
「……や、やだ」

 霊夢は鼻をすすり上げた。伸び放題の黒髪の向こう、子供のままの瞳から、大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。

「やだ、やだ、やだ! やだよお! マリィ、いっしょにいて、そばにいてよ! ここからかえらないでよお!」
「霊夢……」
「ひどい、そんなのひどい! マリィがいなかったら、わたし、こんなのしらなかった! ひとりはいやだなんてしらなかったのに!」

 かろうじて言葉になったのは、そこまでだった。
 後はもうその場にへたり込んで、わあわあと声を上げて泣き始める。
 それは、何年も何年もため込んだ涙が一気にあふれ出したかのような、火がついたという表現すら生易しく思えるほどの激しい感情の発露だった。
 それを目の前にして、魔理沙は何も言えずに立ち尽くす。

(……わたしは、何を勘違いしてたんだ)

 やはり自分は底抜けの馬鹿だと思う。
 こんな様を見せつけられるまで、少しも分かっていなかった。

(霊夢が離れていく、置いていかれるだって? 離れていくのも置いていくのも、いつだってわたしの方じゃないか!)

 自分で自分を殴りたい衝動に駆られたが、今は後悔している場合ではない。
 魔理沙は霊夢の涙を拭ってやると、小さな体をそっと抱きしめた。

「霊夢、ごめんな。どうしても、お前とずっと一緒にいることは出来ない。でも、せめて……今日が終わるまでは、ここにいるからさ」
「……ほ、ほんと?」

 霊夢がしゃくり上げながら魔理沙を見つめる。

「ああ、本当だ。だから、泣くのはやめてくれよ。お前が泣いてると、わたしまで泣きそうになるんだ」

 それがただの引き延ばしであり、偽善に過ぎないことは分かっていた。分かっていても、そう言わずにはいられなかった。
 霊夢は鼻をすすり上げてごしごしと涙を拭い、魔理沙を見上げて無邪気に笑った。

「ありがとう、マリィ!」
「……ああ」

 笑顔がどうしてもぎこちなくなってしまって、今度は魔理沙が泣きそうになった。

 ◆

 したいことはたくさんあったが、結局、魔理沙は霊夢が望むままに、時間一杯まで遊ぶのに努めた。
 あの箱から霊夢が取り出したのはおはじきやら独楽やら、昔マリィが持ち込んだ玩具ばかりで、正直なところ今の魔理沙には少々子供っぽいと思えるものばかりだった。
 しかし霊夢は心底から楽しんでいるようで、おはじきや独楽同士がぶつかるたびに無邪気な歓声を上げ、

「マリィ、つぎ、つぎはこれ!」

 と、紅潮した顔で次の玩具を取り出した。そんな姿を見ていると魔理沙の方も段々楽しくなってきて、結局子供の頃に戻ったような気持ちで思う存分昔ながらの遊びを楽しんだのだった。
 そうして箱の中の玩具を遊び尽くす頃には、すっかり夜も更けてしまっていた。
 魔理沙が片づけをしながらふと隣を見ると、畳に座った霊夢がこっくりこっくりと舟を漕いでいる。

「霊夢、眠いのか?」
「ん……ねむい……?」

 霊夢は目をしょぼつかせながら、不思議そうに繰り返す。
 どうもよく分かっていなさそうで、また嫌な予感がする。

「お前、いつも夜はどうしてるんだ。横になってないのか?」
「……そこ……座ってる……」

 今にも寝入りそうな顔で霊夢が指さしたのは、やはりいつもの縁側である。この口振りからすると、今まで食べることだけでなく寝ることもしていなかったようだ。
 それ自体は、今更驚くほどのことではないのだが。

(何で今日に限ってこんなに眠たそうなんだ?)

 疑問ではあったが、霊夢が座ったまま寝てしまいそうだったのでまずは寝床を用意することにした。
 押入を開けてみると長い間使われていないと思しき布団が二組入っており、奇跡的に虫が湧いているようなこともなかったので、そのまま使うことにした。
 二つの布団を並べて敷き、一つに霊夢を寝かせたのだが、魔理沙の袖をつかんで離してくれない。

「霊夢、わたしはこっちで寝るから……」
「うー……」

 もう半分寝かけているくせに、ぐずるような声を出しながらぐいぐいと魔理沙の袖を引っ張る。
 どうにも離してくれそうにないので、魔理沙は仕方なく霊夢と同じ布団に潜り込んだ。
 途端に、霊夢がぴったりと身を寄せてくる。
 懐かしい匂いがして、心臓が高鳴った。

(って、何考えてんだわたしは……)

 顔が熱くなるのを感じながら、今はもうすぐそばにある霊夢の顔をじっと見つめる。
 もう眠ってしまったのか、瞼を閉じた顔はとても穏やかだった。半ば髪に隠れているし、一回り幼い印象ではあるものの、魔理沙がよく知っている霊夢の寝顔だ。
 結局、この少女は何者なのだろうという疑問が、ふと脳裏を掠める。
 物を食べず眠ることもなく、ただ定められた役目に従って人形のように無慈悲に妖怪を叩きのめす博麗の巫女としての様は、とても人間のそれとは思えない。
 その反面、魔理沙と一緒に遊びたがったり、そばにいてほしいと言って泣いている様は、子供っぽくはあるものの間違いなく人間の少女のものだった。
 もちろん魔理沙としては少女の方が本物の霊夢だと信じているが、そうだとするともう一つの面はいつ、誰によって植え付けられたものなのか。あるいは、生み出されたものなのか。

「マリィ」

 不意に、霊夢がゆっくりと瞼を上げた。
 幼い面立ちに柔和な微笑みを浮かべて、ぎゅっと魔理沙の手を握る。

「あそんでくれて、ありがとう」
「ん……ああ、わたしも楽しかったぜ」
「ほんとう?」
「ああ、ほんとうだよ」

 本当だからこそ、もっと遊んでやりたいのだが。

「だいじょうぶ」

 霊夢は、穏やかな声で言う。

「あなたがあそんでくれたから、わたし、またがんばれる」
「霊夢……?」
「だからありがとう……さよなら、魔理沙」

 不意に名前を呼ばれて、どきりとする。
 霊夢はそれ以上何も言うことはなく、また目を閉じて規則的な寝息を立て始めた。
 今度こそ、眠ってしまったようだ。
 魔理沙は長い間その寝顔を見守っていたが、やがて小さく息を吐いた。
 もう行かなくてはならない。
 これ以上長引かせても、別れが辛くなるだけだろうから。

(ごめんな、霊夢)

 魔理沙はそっと身を起こした。眠っている霊夢が手を離してくれるか少し不安だったが、意外なほどあっさりと離してくれた。
 布団をかけ直してやり、闇の中で穏やかな寝顔を見つめていると、何とも言えず名残惜しい気持ちに襲われる。
 本当は、もっとしてやりたいことがたくさんあった。遊ぶだけでなく、一緒にあちこち出かけて、美味い物を食べて、お茶や酒を飲んで。髪だって切ってやりたいし、服だって選んでやりたい。
 だがきっと、それは自分がやるべきことではないのだろう。

(だけど、せめて……何か残してやれないもんかな)

 そんなことを考えながら何とはなしにポケットを探ると、何か硬い物が指先に触れた。
 何だろうと思って取り出してみて、少し驚く。
 今それに気づけたことが、天啓に思えた。

 ◆

 博麗神社を後にした魔理沙は、紅魔館に向かって飛んだ。
 夜の郷はやはり静まり返っていたが、ここに来た当初なら陰鬱なものに思えたであろうそれが、今は不思議と平穏なものに感じられる。
 それを守っているのが誰であるか、知ったからだろうか。

(我ながら現金なもんだ)

 自嘲しながら紅魔館の門前に降り立つと、昼と変わらず背筋を伸ばして立っている美鈴が気さくに片手を上げて迎えてくれた。

「お帰り。マリィちゃんには会えた?」
「ああ……っていうか、会ってみたら見た目からしてだいぶ違ってたんだが、あれでよくわたしと同じ人間だって分かったな」
「そう? わたしには大して違わないように見えるけどね、二人とも」

 門を開きながら、美鈴は何やら含みのある口調で言う。
 相変わらずどこか物足りなさそうな咲夜の案内を受けて本館に入ると、ホールでレミリアとフランドールが待っていた。単なる例えでなくて本当に魔理沙を待っていたらしいことが、レミリアの呆れた顔を見ればすぐに分かった。

「せっかく警告したのに結局巫女に会ったんだね、お前は」
「最初は偶然だぜ?」
「二回目は自分で会いに行ったんだろうに」
「実際どこまで見えてたんだ、吸血鬼様?」
「さて、どうだかね」

 レミリアはからかうように笑ってはぐらかした後、残っている右目で探るように魔理沙を見上げた。

「で、どうだったね、会ってみて」
「まあ、そうだな……」

 昼間にレミリアから受けた警告を思い出し、魔理沙は少し寂しい気持ちで微笑んだ。

「言われた通り、悲しい想いはしたんだと思う」

 あの小さな霊夢が、何年も味わってきたであろう孤独を想うと、今でも胸が痛む。

「それでも、会って良かったと思うよ。その方が良かったんだ。わたしにとっても、霊夢にとっても……多分、皆にとっても」
「ふうん……?」

 レミリアは興味深そうに息を漏らしたあと、不意に何か面白いものが見えたかのように目を細めた。

「これはこれは。なるほどねえ」
「なんだよ」
「いやいや。今まで見えなかったものが見えるようになったものでね。何とも面白い」

 レミリアは満足げに息を吐く。

「もしかしたら私の警告も含めて、この未来にたどり着くための因子だったのかもしれないね」
「運命が変わった、とでも言いたげな感じだな?」
「別に珍しいことではないよ。運命なんて曖昧模糊で良くも悪くも変わりやすいものだ。観測者がそこに関与できるなら尚更ね」
「分かるような、分からんような話だな」
「要はあまり気にしてもしょうがないということだね」
「気にしてもしょうがないものを見る程度の能力か?」
「いやいや、見るのはオマケさ。やはりこういうのは操ってこそだよ、君」

 レミリアは楽しそうにニヤニヤと笑う。その笑みを見ていると、果たして今回の一件がどれだけ彼女の手の内にあったのか、とため息を吐きたくなる。そう言えば、平行世界の魔理沙が来るかもしれない、とマリィに話していたようだし。
 どうせ聞いてもまともな答えは返ってこないだろうし、魔理沙にとっても悪い結果にはならなかったようだから、別にいいのだが。

「フランもこれから苦労しそうだな」
「ええ、本当に」

 フランドールは苦笑したあとで穏和に目を細め、

「だけど、そうやって誰かに振り回されるのも楽しいのだと思います。私はずっと地下で一人でしたから、尚更そう感じるのかもしれませんね」

 その微笑みを見ていると、もしかしたらこの世界の霊夢とフランドールはいい友人になるかもしれない、と突然の予感が浮かんできた。
 フランドールだけではない。レミリアもだ。元の世界でも霊夢にご執心だったし、この世界の霊夢のことだって、知れば気に入ってくれるかもしれない。
 霊夢が紅魔館にしたことを考えればあり得ない未来のはずなのだが、なぜか自然と、そういうものなのかもしれないな、と思える。
 そうなったらいいな、とも思う。

「ではね、魔法使い殿。良い運命を」
「さようなら、マリィ……いえ、霧雨魔理沙さん」
「ああ。さようなら、レミリア、フランドール」

 仲の良い姉妹に別れを告げて、魔理沙は図書館へと足を向ける。
 わずかな距離だし場所も分かっているから別に要らないと言ったのに、また咲夜が案内してくれる。

「……お前もしかして暇なのか?」
「放っておいてちょうだい」

 否定もしない咲夜の声音には、どこか拗ねたような響きがある。
 立派になったフランドールがレミリアに付きっきりなおかげで、仕事が大幅に減ってしまってイライラしているというのは本当のことらしい。

(こいつもつくづく仕事好きだなあ)

 仕事に忙殺されながらも常に充実しているように見えた、元の世界の咲夜のことが思い浮かぶ。

「……図書館はこちらになりますわ、お客様。それでは……」
「あー、ちょっと待った」

 案内を終えて素っ気なく去りかけた咲夜を、慌てて呼び止める。

「何かご用が?」
「いや、用ってほどのものでもないんだが」

 先程の予感を思い出しながら、魔理沙はメイドに依頼する。

「もしかしたらなんだけど、近い将来マリィと一緒に巫女が来るかもしれないんで、盛大にもてなしてやってくれないか?」
「……それはつまり、迎撃して今度こそ息の根を止めろ、という意味かしら?」

 咲夜がぎらついた目でナイフを取り出す。
 そういえばこいつも霊夢にはいいようにやられたんだった、と思い出し、魔理沙は慌てて手を振る。

「いや、そうじゃなくて! なんつーか、紅魔館と巫女の関係も変わるっていうかさ。普通に遊びに来ると思うから……」
「……遊びに来る? あの人形みたいな巫女が? 信じられませんわ」
「大丈夫だって、そのときは人形みたいなのじゃなくて、ちょっと人見知りだけど無邪気で可愛い女の子になってるはずだから」
「……ふむ」

 咲夜はナイフをしまい、顎に手をやって何事か考え出す。怜悧な表情がぴくりとも動かないので、何を考えているかは察することも出来ない。

「……いや、本当だぜ? 多分それがレミリアの望みにもなるし……霊夢が来たらさ、美味い料理やお菓子をたくさん食べさせてやってほしいんだよ。それで『紅魔館すげー!』ってなったら、メイドとしてはそれが一番の仕返しになるんじゃないか、な?」

 半ば無理矢理理屈を捻り出しながら、必死に説得する。
 咲夜はそんな魔理沙の顔を無表情に見つめていたが、やがて「ぷっ」とおかしそうに吹き出した。

「な、なんだよ」
「いえ、ごめんなさいね。あんまり必死だったものだから」
「なっ」

 顔をひきつらせる魔理沙を楽しげに見つめ、咲夜はにこやかに微笑む。

「安心なさい、それがお嬢様のお望みであるのならば、私は黙って従うだけよ」
「本当か?」
「ええ。いついかなる状況であろうとも、私はお嬢様の忠実な僕。それに」
「それに?」

 聞き返した瞬間、突如咲夜の姿が消えた。
 どこへ行った、と思う間もなく、耳元で声が。

「それに私、可愛い女の子って好きよ。貴女も含めてね」

 背筋がぞくりと震える。
 慌てて振り向くが、やはりそこにも咲夜の姿はない。

「ではごゆっくりお過ごし下さいませ、お客様」

 どこかから聞こえてくる瀟洒な声を聞きながら、もしかしてわたしはある意味非常にまずいことをやったのではなかろうか、と魔理沙は小さく身震いするのだった。

 ◆

 今日も静かな図書館の奥で、パチュリーは机に乗せたあの珠をじっと見つめながら待っていた。

「よう。待たせたか」
「ええ。散々待たされたわ。頭が悪い上にノロマだなんて救いようがないわね」
「相変わらず刺々しい奴だな」

 苦笑しながら近寄ると、パチュリーはいつも通りのむっつり顔ながら若干不機嫌そうにも見えた。

「もしかして解析が上手く行ってないのか?」
「まさか」
「じゃあなんでそんな不満顔なんだよ」
「簡単に行き過ぎたのよ」

 パチュリーは小さくため息を吐く。

「その結果、再現はほぼ不可能であることも分かった……興味深くはあるけど、実益はないわね。非常にもどかしいわ」
「再現不可能って……複製も改造も出来ないってことか?」
「その通りよ」

 パチュリーは珠に指先を押しつけて、目を細める。

「これはね、『せめて、あり得たかもしれない可能性を見てみたい』という強い想いを中核として形成されているマジックアイテムなの。それで実際に平行世界間の移動を可能にしてしまったのだから、並大抵の情念ではないわ」
「情念って、誰の?」
「もちろん、中の人の」
「中の人……って、誰かの魂が宿ってるってことか!?」
「ええ……いえ、正確には思念の集合体だけれど。でも、ここまで強いともう魂と呼んでも差し支えないかもしれないわね」

 驚くべき内容ではあったが、同時に納得も出来た。
 この珠を取り出すたび、誰かに見られているような気がしたのはやはり気のせいではなかったのだ。
 分かってしまえば単純なこと。
 単に、珠の中から見られていたというだけの話なのだから。

「なんだよ……じゃあその珠に元の世界に戻してくれって頼めばそれで済んだ話だったのか」
「その場合は一人延々と珠に話しかける頭のおかしい女が一人出来てただけでしょうね」

 パチュリーは皮肉っぽく言う。

「私が話しかけても無視を決め込んでて、壊される寸前になるまで出てこなかったのよ、こいつ」
「そうか……って壊そうとしたのかよ!? とんでもない女だな!」
「あくまでも脅し。実際壊してないんだからいいんでしょう。実験の一環よ」
「だからってなあ」
「不満があるなら次は預ける相手を選ぶことね。そもそも自分で気づけないお前の無能さが原因よ」

 そう言われてはぐうの音も出ない魔理沙である。

「まあでも、コンタクトが取れるなら次は多少行き先選べそうだな」
「そうでしょうけど、もうそろそろ限界ね。多分あと一回しか飛べないと思うわ。ちなみに、魔力の補充も不可能」
「えっ!? じゃ、じゃあ」
「安心なさい。次で確実に元の世界に戻れるようにする、と言ってたわ」
「中の奴が?」
「ええ……誰だか知りたい?」
「んー……いや、いい。もう大体正体分かったし」

 さすがにここまで来れば、鈍い魔理沙でも気が付く。
 今まで辿ってきた平行世界が全て意図的に選ばれていたのだとしたら、珠の中の人とやらが魔理沙に何を気づかせ、何を考えさせようとしていたのかは明白だ。
 こんな奴にそこまでしてくれる奴は、一人しかいない。

(だから最後にこの世界を選んだんだろう、あんたは?)

 無言のまま珠を見つめても、特に反応はない。

「ま、元の世界に帰ったらビシッと言ってやるさ。『犯人はお前だ!』ってな」
「自分で考えたわけでもないくせに」
「いいじゃないか、そういうのが最近の流行りだぜ、多分」

 ともかくこれで後は帰るだけ、と珠に手を伸ばしたら、パチュリーに無言で払いのけられた。

「いてぇっ! 何すんだよ」
「こっちの用事はまだ終わってないの。話してもらうわよ」
「何を」
「博麗霊夢のこと」
「む……」
「ただ働きをするつもりはない。そんな仲でもないしね」
「失敗したぜ、レミリア経由で頼めば良かった」
「そうしたら料金は百倍になってたわね」
「お前ら本当に親友なんだよな?」

 後出し請求には呆れたが、パチュリーの言っていることは至極もっともだった。
 だが、やはり不安ではある。

「……霊夢のことを知ってどうするんだ? 仕返しでもするのか?」
「お前の話から弱点を推測して? なるほど、それも悪くないわね」

 感心したように言ってから、パチュリーは魔理沙の表情を見て意地悪く唇をつり上げる。

「不満顔ね。話さないなら珠を壊す、と言ったらどうする気?」
「好きにしろよ」
「元の世界に戻れなくなるのに?」
「天秤にかけるようなことか」
「愚か者ね。でも嫌いじゃないわ、そういうの」
「レミリアの親友だもんな」
「そういうことね」

 パチュリーはため息を吐き、小さく鼻を鳴らす。

「別に、その情報でどうこうしようって話じゃないわ。私個人としては巫女に恨みもない……なんだかんだ言って、あの敗北はこの館にとってもそんなに悪い結果ではなかったようだし」
「じゃあ何で聞きたがる?」
「魔法使いという存在の根源はなに?」
「探求心、好奇心……要は興味本位か」
「ええ。何せ暇だからね。考え事は多ければ多いほどいい」
「……ま、いいけどな」

 多少気恥ずかしいだけであって、誰にも話せないというわけではない。
 何より、魔理沙も一応魔法使いだ。疑問をそのままにしておくというのはどうも収まりが悪い。
 椅子に座り、努めて感情を排して淡々と説明すると、パチュリーは黙って聞いてくれた。顎に指を当て、思慮深げに目を伏せながら。

「……だから結局、この世界とわたしの世界の差は、やっぱり博麗霊夢っていう人間の差に原因があるんじゃないかと思うんだが」

 魔理沙が話を締めくくるのと同時に、パチュリーがうんざりした様子でため息を吐いた。

「たった一人の人間の変化が、歴史の流れにそこまで大きな影響を及ぼすなんてね」
「じゃあパチュリーも、やっぱりわたしの推測は正しいと思うか?」
「普通なら馬鹿げた話だって笑うところだけど……あれだけ圧倒的な力を見せつけられた後では、納得せざるを得ない。お前が今まで見てきたという平行世界のことも考慮に入れれば、可能性は更に高まるわね」

 確かにここより前の世界では、魔理沙の状態以外で幻想郷に変わったところはほとんどなかった。正確には、霊夢の状態が変わらなかったからこそ幻想郷にも変化がなかった、と言うべきなのだろうが。

「やっぱり凄い奴だよな、霊夢は」
「何で自慢げなの。大体、今問題にすべきは点はそこじゃないでしょう」

 射抜くように鋭い視線。

「問題は、何故博麗霊夢の状態に差異が生じたのか、ということ」
「いや、それは……」
「ここまで来ておきながら下らない自虐で答えを誤魔化したりはしないでしょうね?」
「……原因はわたしだ、って言いたいのか?」

 逃げ道を塞がれた魔理沙が渋々そう言うと、「分かってるんじゃないの」とパチュリーは呆れたように言った。

「でもさ! ここより前の、わたしが死んでる世界とか挫折してる世界とかじゃ、霊夢はほとんど変わらなかったんだぜ? 格別調子が悪そうにも見えなかったし」
「ええ。つまり他の世界における現在の博麗霊夢にとっては、霧雨魔理沙の存在はそこまで重要なものではなくなっている、ということね。重要だったのは過去の時点での話……恐らく、博麗霊夢と出会ってから一年か二年……もう少し短くて、半年ぐらいの期間だった、と考えられるわ」
「どうしてだ?」
「人間としての博麗霊夢の人格が、その期間に形成、固定されたからよ」
「……まるで作り物みたいに言うんだな」

 複雑な気持ちではあったが、レミリアと話したときほどの反発は湧いてこなかった。
 パチュリーの推論が恐らく真実であると、頭の中の冷静な部分が判断しているからだ。

「博麗霊夢という人間には二つの面がある」
「巫女としての役割をこなすだけの人形みたいな面と、普通の人間らしい面、だよな」
「ええ。その点だけを見れば、二重人格とでも呼ぶべきところだけど」
「……人間らしい方はともかく、人形みたいな方を人格と呼ぶのは違う気がするな」

 まるで何かに操られているように動いていた霊夢の姿を思い出し、魔理沙は顔をしかめる。
 レミリアと戦ったときの話や妖怪達を叩きのめしていたときの様子から考えても、あれは人格と言うより「機能」とでも呼ぶべきものだろう。自分で思考して動いているようには到底見えなかった。
 魔理沙にとって一番の問題は、機能と人格のどちらが先に生まれたのか……つまり、本来の博麗霊夢はどちらなのか、ということなのだが。

「それは何とも言えないけど……少なくとも、優先されるのは機能の方らしいわね。幻想郷の異常を察知すると、有無を言わさず体の支配権が移るようだから」
「……認めるのは癪だが、反論出来ないな。そうなると、やっぱり人格の方が後から生まれたんだろうか」
「わたしも、その可能性が高いと思うわ……そう考えた方が自然だもの」

 痛む心を、敢えて無視しようと努める。
 パチュリーには到底及ばないながらも、魔理沙だって魔法使いの端くれだ。こういった考察に情を差し挟むのがいかに愚かしいことかは分かっているつもりだった。

「じゃあ……その人間らしい人格の方はいつどうやって生まれてきたんだ? まさか自然に生じるとは思えないし……」
「さあ……少なくとも、お前がやったことでないのは確かね。どうやら、特別なことは何もしていないし、出来なかったようだから」

 つまり、最初にその原型……人格の種子とでも言うべきものを植え付けたのは、魔理沙よりも先に霊夢に接触した誰か、ということになる。
 それが誰かは何とも言えない。紫かもしれないし、魅魔かもしれない。
 あるいは、他の誰かかもしれないが、少なくとも魔理沙には心当たりがないし、今考えて答えが出ることではなさそうだった。

「で、二つの世界の博麗霊夢を比較すると……生まれ出た無垢な人格がそれ以上成長するには、何らかの刺激……恐らく、人格を持った他者との接触、交流が必要だったと考えられるわ」
「普通の人間と同じようにか」
「ええ。物心ついた幼児が、同年代の子供との遊びなどを通じて、家族以外の他者との関わり方を学んでいくようにね」
「そうなると、あの頃のわたしはちょうど霊夢が必要としていたものを与えた、ってことになるんだな」

 偶然にしては出来すぎている、と思わなくもない。
 もしも誰かが仕組んだのだとすれば、一番怪しいのはやはり師である魅魔だろう。今思うと、その後魔理沙をすんなり弟子にしてくれたことも含めて、彼女には彼女なりの思惑があったようだから。
 仮にそうだったとしても、魔理沙としては別に構わない。それで霊夢と出会えて、成長の機会を与えられたのだとすれば、むしろ感謝してもいいぐらいだ。

「でもそうなると、特別わたしでなくても良かったってことにならないか?」
「そうでしょうね。必要なのは『霧雨魔理沙』ではなく『一緒に遊んでくれる同年代の子供』だったのでしょうから。他の子供と出会っていたとしても、同じことをすれば同じ結果が得られていたでしょう」
「ま、そうだよな」

 魔理沙があっさり頷くと、パチュリーはかすかに不思議そうな顔をした。

「さっきから見ている限り、お前はそのことについては特にどうとも思っていないようね。ずいぶんと博麗霊夢にご執心のようだから、もっと気に入らない顔をするかと思っていたけれど」
「まあ……自分が特別な人間だと思い込むには、ちょっと躓きすぎたのかもな」

 そういう自虐的な感情を除くとしても、やはりそれほど悪い話とは思わない。
 こんな、いつどんなことになるかも分からない木っ端のような人間の生死で、霊夢の人生に致命的な影響が出るようなことがあってはならないと思うから。

「……話を戻しましょうか。つまり霧雨魔理沙が博麗霊夢と出会い、短期間でも一緒に過ごしたことには、例えるなら植えられていた種子に水をやって芽を出させた、というような意味があったのでしょうね」
「その例えで言うと、この世界では水やりが足りなかったからそれ以上育たなかったってことになるのか?」
「簡単に言えばそういうことね」
「でも、人間は植物とは違うぜ? 話す相手や遊ぶ相手がいなくなったから精神の成長が完全に止まるなんて、そんな……」

 言いながら、この反論は弱いな、と魔理沙は感じていた。
 何せ、霊夢は普通の人間ではない。物を食べたり寝ることすらしていなかったぐらいだ。普通の人間と全く同じ成長過程を辿るとは考えにくい。
 それこそ、当時支配的だった巫女としての機能が、邪魔な人格を排除するべく成長を阻害していた可能性だってある。

「その点、お前の世界の博麗霊夢は、水やりを欠かさなかったおかげでそのまま成長し、一本の大木……一つの人格として魂に根を下ろし、確固たる存在となった。そのために本来支配的だったはずの機能に取って代わったのでしょう。多分、本人は無自覚なままそれを成したのでしょうけど」
「……だろうな。わたしは長いこと霊夢と一緒にいるが、あいつがあんな風になったのを見たのはあの一度きりだけだ」
「そうなってしまえばもう水やりも必要ない。お前は晴れて用済みとなって、死んでも別にどうってことないような存在に格下げされたということよ。おめでとう」
「いじめっ子かお前は」

 容赦のない追い打ちに、魔理沙は苦笑する。
 不思議と、悪い気分ではなかった。それはつまり、魔理沙の知る霊夢は今、普通の人間と何ら変わるところがない、ということだからだ。
 空を飛ぶ程度の能力などから考えるに、巫女としての機能が完全に消えてしまったのかは疑問だが、支配的な形で表に出てこないのならどうでもいいことである。

「ところが、この世界では水やりが途中で止められてしまったために、人格の成長はそこで止まってしまった」
「だから、巫女としての機能に取って代われるほどの力が身につかなかった、と?」
「そう……むしろ、完全に消されなかっただけマシとすら言えるかもしれないわね。博麗の巫女……幻想郷の秩序を維持するという役割に絞って考えるのなら、人間としての肉体はともかく人格は不要なものでしょうから」
「でも、どうして消されなかったんだろう? わたし以外の人間がそばにいたってこともなさそうだったし」
「巫女の成長がほぼ完全に止まっていることを考えると、その可能性は低いわね。植物の例えをそのまま使うとすれば……枯れない程度の水を、どこかから補給出来ていたということになるけれど」
「枯れない程度の水……人格の維持と成長には、他者との交流が必要……?」

 そう考えて、魔理沙はハッとする。
 この世界の霊夢は、マリィが来なくなって一人きりになってからも、境内の掃除は欠かさず続けていたようだった。あの神業的なけん玉の腕前からすると、一人でやれる遊びについてもずっと練習を繰り返していたのだろう。
 そして魔理沙には、霊夢を笑わせようとしてたくさんの玩具を持ち込んだり、怒らせようとして境内が汚いから掃除しろ、なんて嫌味を言っていた記憶がある。
 巫女としての機能に抹消されかけていた霊夢は、その思い出に縋ったのではないだろうか? 他者と交流した記憶に触れ続けることで、人間としての人格を必死につなぎ止めていたのではないだろうか?
 何年も何年もたった一人きりで、いつの日かまた友達が遊びに来てくれることを信じて、必死に守り続けていた。
 だから今日この郷で、魔理沙は霊夢に会うことが出来たのだ。

「……図書館で泣いていいのは本を読んだときだけよ」
「……すまん」

 パチュリーの柔らかな声音に、照れ笑いを浮かべながら涙を拭う。
 魔理沙は決意と共に背筋を伸ばした。

「ありがとう、パチュリー。おかげで知りたかったことが全部分かった」
「軽率ね。今まで話したことは単なる与太話。仮定に仮定を重ねた根拠のない推論に過ぎないわよ」
「それでもだ。少なくとも、今後の道標にはなる」
「そう……まあ、私にはどうでもいいことだけど。はい、これ」

 パチュリーが渡してくれた珠をしっかりと受け取る。
 幸い、即座に発動するようなことはなかった。中に誰かの意志が宿っているのだから、当然なのだろうが。

「帰るならここを出てからにしてね。間違って本まで持って行かれたら困るし」
「安心しろ、わたしが本を持ち出す図書館は他にある」
「……何か微妙に引っかかる物言いだけど、まあいいわ。その顔だと、まだやり残したことがあるらしいわね?」
「ああ。最後に、会わなきゃいけない奴がいる」

 おそらく、それがこの世界の友達への手向けとなるだろう。
 霊夢は今日、眠ることを覚えたようだった。それは今までよりも少しだけ人間に近づいたということだ。これからも、近づいていけるということだ。
 まだ希望は繋がっている。いや、霊夢が繋げていてくれた。
 幸福に至る道は今だって残されているのだ。
 それを指し示すのが、この世界で最後に魔理沙がやるべきことだった。

「……どうやら、また騒がしくなりそうね」

 ふと、パチュリーが苦笑いを浮かべる。

「レミィがね、この世界のお前と悪巧みをしているようなのよ」
「マリィと? 一体何を?」
「さあね。どうせロクでもないことだと思うけど……巫女にビビッてブルッてる連中の尻を思いっきり蹴っ飛ばしてやるんだって言ってたわ。もう足もないくせに」
「でもやるよな、レミリアなら」
「ええ、レミィならね」

 そう言って、二人は苦笑を交わす。

「大変な友達を持って、幸せだな」
「ええ。お互いに……ではね。せいぜい死なないように頑張りなさい、霧雨魔理沙」
「おう! じゃあな、パチュリー!」
「図書館で走らない!」

 パチュリーの警告を丸きり無視して、魔理沙は全力で駆けだした。図書館の扉を蹴破り廊下の壁を突き破って、一気に外へ飛び出す。
 弱々しくも力強い朝焼けの光が、視界一杯に広がった。

「……まだ待ってくれるよな? どうしても、会わなきゃいけない奴がいる……伝えなくちゃならないことが、ある!」

 片手に持った珠が、応えるように瞬く。
 声なき励ましに力強く微笑み返して、魔理沙は一直線に飛んだ。

 ◆

 まだ人通りもない夜明けの人間の里、目指す場所へと魔理沙は降り立つ。

「マリィ!」
「……魔理沙!」

 霧雨道具店の裏手に、寝間着姿のマリィが立っていた。道に面した塀に作られた、裏口のそばだ。
 約束があったわけではない。だがきっとここにいると思っていたし、向こうも魔理沙が来ると思って待っていたらしかった。

「……懐かしいな。よくここから抜け出して神社に行ったもんだ」
「……うん」

 誰もいない道の真ん中、裏口の戸を見つめて、二人は懐かしく微笑む。

「霊夢に会ったよ」

 前置き抜きにそう言うと、マリィは小さく息を飲んだ。

「れーちゃんに……! あの、どんな感じだった……?」
「お前と遊べないんで、寂しがってた。すごく」

 魔理沙の答えに、マリィはぐっと唇を噛みしめる。
 それから、何か思い詰めた様子で手を差し出してきた。

「あの! 箒……貸してくれない?」
「……いいぜ」

 魔理沙が素直に渡すと、マリィはぎこちない動作で箒に跨がった。
 それから何か、力を込めるように目を閉じて唸り出す。
 しかし、どれだけ唸ろうと、顔が真っ赤になるぐらい力を込めようと、その体は一向に浮き上がらない。
 マリィは泣きそうな顔で息を吐き出した。

「……飛べないね」
「当たり前だ。まともに飛べるようになるまで二年近くかかったんだぜ?」
「二年も!?」
「ああ。それも、訓練やら修行やらみっちりやった上でな。正直、何度も投げ出しかけたよ」

 その頃のことを思い出して、魔理沙はうっすら微笑む。
 上手く出来ないもどかしさに、何度も泣いて、拗ねて、投げ出して……そのたび、霊夢と一緒に飛ぶところを夢見て涙を拭ってきた。
 そんな気持ちですら、すっかり忘れてしまっていた。

「……凄いね、魔理沙は」

 マリィは鼻をすすり上げながら、魔理沙に箒を差し出す。

「わたしはね、ダメだったんだ。本当はずーっとれーちゃんのそばにいたかったのに、どうせ自分には無理だって、逃げちゃった。逃げて、逃げて、逃げっぱなしで……今も、逃げてる。ダメな奴なんだ」
「そんなことないさ」

 魔理沙は箒を受け取り、きっぱりと言う。

「ダメな奴なんかじゃないよ……わたしなんかよりずっと凄い奴だ、お前は。魔法も妖術も使えないくせに自分の身一つであちこち入り込んで、妖怪や神様と話をして……たくさんの人に、たくさんの楽しさを届けてる。皆お前が次に何をするのか楽しみにしてるし、父様や母様だって自慢の娘だと思ってるさ。ダメ奴なもんか」
「でも……」
「それにな、お前……玩具にこだわってるのは、今でも霊夢と一緒に遊びたいからだろ? ずっと、そう思い続けてきたからなんだろ。違うか?」

 マリィがぎゅっと目を細めた。堪えきれないように、顔がぐしゃぐしゃに歪む。

「……そう!」

 震える吐息と共に、涙が止め処なく流れ出した。

「ずっと思ってた! またあの頃みたいにれーちゃんと遊びたいって、いつかれーちゃんのそばにいられるぐらい立派な奴になりたいって! でもダメだった、何を考えても何を作っても、浮かぶのは泣き顔ばっかり……もうれーちゃんが笑ってた顔も思い出せない!」
「思い出せなくたっていい、会いに行け! 行こうと思えばいつだって行けるんだぞ、マリィ!」

 魔理沙の呼びかけにも、マリィは怯えるように首を振った。

「無理だよ……! もう何年も、ずっと逃げ続けてたのに、今さら」
「今さらじゃない、今からだ!」

 魔理沙は言い切り、マリィの肩を力強くつかむ。

「いつだって、そう思って頑張るんだ。今から始めるんだ、今から頑張るんだ、今からやり直すんだよ! そうでなくっちゃ何も変わらないだろ! 霊夢はずっとお前のこと覚えててくれたんだ、ずっとお前との思い出を守り続けてくれたんだぞ! それを全部無駄にするつもりなのか!?」
「……れーちゃん」

 マリィの目に、ほんの少しだけ力が戻ってきた。
 まだ涙に濡れたまま、縋るように自分でない自分を見つめる。

「……本当に、まだ間に合う?」
「間に合うさ」
「ずっと逃げてたのに?」
「でも生きてるだろ」
「魔法も妖術も使えない」
「友達と遊ぶのにそんなものが必要か」
「弾幕ごっこだって出来ない」
「それだけが遊びじゃないさ」

 魔理沙はマリィの肩をつかんだまま、励ますように言う。

「弾幕ごっことかスペルカードルールなんてのは、手段の一つに過ぎない。それがどれだけ画期的で素晴らしいものだったとしても、それだけが幸せになる道じゃない。幸せになる道が一つだなんてことは絶対にあり得ない。世界はそんな窮屈なもんじゃないんだ。生きている限り、探せば必ず道が見つかる。どんな場所でも、どんな時代でも」

 自然と、笑みが浮かんだ。

「だから探せよ。この世界に、お前達に似合った遊びをさ。必ず見つけられるさ……二人なら!」

 マリィが涙を拭い、挑むように顔を上げた。
 それはもういじけて怯える子供の顔でも、計算高い商人の顔でもない。
 ただ根拠もなく、幸せな未来だけを愚かしいほどに信じている、夢見がちな少女の顔だった。

「……背中を押す必要はないな?」
「……うん」
「よし。じゃあ、霊夢によろしくな!」
「うん! ありがとう、魔理沙!」

 マリィは元気良く笑うと、もう迷いなく身を翻した。
 後先考えずに全力で走り出す少女を、魔理沙は苦笑と共に見つめる。

(全く……面倒くさい奴だ。馬鹿でノロマで独りよがりで自分勝手で、そのくせ臆病で。霧雨魔理沙ってのは、どいつもこいつもグズばっかりだ)

 振り返らず駆けていくその背中に、今まで見てきたたくさんの魔理沙の姿が重なる。
 死んでしまった者、挫折した者、また走り始めた者。そして、今なお走り続けている者。
 誰もが、きっと同じ場所を目指していた。どの世界でも変わることなく、それが魔理沙の死ねない理由、終われない理由、生きている理由だった。
 それは呪いのようでもあり、恋のようでもあり、逃避のようでもあり、愛のようでもある。
 見る人によって、見出す名前は異なるのだろう。そのどれもが正しく、誤ってもいる。
 ただ一つ言えるのは、その瞬間が自分にとっては一番幸せなのだ、ということだけ。

(頑張れ……いや、頑張ろうな、お互いに)

 マリィが逃げてしまったことで霊夢が味わった孤独を考えれば、あるいは罵倒すべきなのかもしれない。
 それでも、浮かんでくるのは励ましの言葉だけだ。
 それでいいのだと思う。
 二人が生きてさえいれば、きっとこれから、失った以上の喜びをつかみ取ることが出来るから。

「さて……待たせちまって悪かったな」

 ポケットから珠を取り出し、苦笑気味に詫びる。
 気にするな、と言うように珠はチカチカと光り、それから今までより一層強い輝きを放ち始めた。

(……帰れるんだな。わたしの世界、霊夢の所へ)

 もう見えなくなりかけているマリィに、小さく微笑む。
 その背中が完全に見えなくなると同時に、視界が光に包まれ……

 魔理沙の旅は、終わった。

 ◆

 朝日の中で目を覚ますと、あの優しい人はもうどこにもいなくなっていた。
 誰もいない布団をぼんやり見つめて、霊夢は少し涙ぐむ。
 どうしようもなくさびしくて、不安だった。
 これからまた、ひとりぼっちの日々が始まる。
 いつまで続くのだろう。いつまで待っていられるのだろう。
 そんなことを思って体が震えたとき、ふと、枕元に何かが置いてあるのに気がついた。
 それは、手の平に収まるぐらいの小さな紙の箱だった。
 何だろう、と思って手に取ってみると、箱の表面にたくさんの妖怪や神様が描かれているのが分かった。
 その中央には、どこかで見たことのある金髪の少女と、黒髪の少女が描かれている。
 よく見ると箱の下には紙も敷いてあって、そこにはこんなことが書き残されていた。

『わるいけどこのゲームふたりようなんだ。
 あそびかたはどうぐやのおんなのこにきいてくれ。
 きっと、ふたりでたのしくあそべるぜ!』

 霊夢は唇を噛んで、紙と箱とを何度も見つめた。
 やがてそれらをぎゅっと胸に抱きしめると、息を切らして縁側から外へ駆け出し、空へと舞い上がる。
 朝焼けの光が見たこともないほど眩しくて、それだけで泣きそうになった。
 それでも、もう戻ろうとは思わない。

(マリィ……! こんどはわたしから、あいにいくから!)

 生まれ出た決意が消されてしまわないよう、必死に胸に抱きしめて。
 その日、博麗霊夢は生まれて初めて、役割以外の目的で神社の外に出たのだった。

 <続く

(各話リンク 1/2/3/4/5/6
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