【オリジナルSS】呼びかけ病

オリジナルの掌編SSです。
当ブログのみの記載になります。
 

 
『呼びかけ病』



「門崎恵那さん」

 またやってしまった、と思ったときにはもう遅い。
 目の前を歩いていた、見知らぬ女性(多分『門崎恵那』という名前なのだろう)が驚いたように振り返る。
 穏和そうな顔立ちの女性だ。歳は多分僕と同じで、二十代前半ってところだろう。
 女性は不思議そうな顔で僕を見て、首を傾げる。

「えっと、すみません。今私を呼んだのはあなたですか?」
「は、はい、ええと、そうなんですけど」
「……ごめんなさい、どこかでお会いしましたか? どうしても思い出せなくて……」

 申し訳なさそうに言う女性を見て、背中から汗が噴き出してくる。
 知らなくて当然だ、初対面なんだから。
 それなのに僕が彼女の名前を知っていた……いや、知らないのに呼びかけてしまったのには、もちろん理由がある。

「あなたは『呼びかけ病』という病気です」

 医者にそう宣告されたのは、一ヶ月ほど前のこと。
 最近発見された奇妙な病気で、その名の通り目の前にいる人にフルネームで呼びかけてしまう精神疾患なのだという。厄介なことに、その対象は知り合いだけではなく、名前も顔も知らない赤の他人にまで及ぶ。
 発症の仕組みも治療法も、今のところ不明。何故見知らぬ他人の名前が分かってしまうのかも不明。ついでに言えば、いつ呼びかけてしまうのかも自分では分からない。
 幸い、長くても半年ほどで症状は消えるそうだ。本当なら治るまで外出しない方がいいのだろうが、僕にも生活がある以上そういう訳にもいかず、これまでの日々はなかなか大変なものだった。
 例えば怖いお兄さんに呼びかけてしまって「おうワレどこのモンや」と凄まれたり、きつそうなお姉さんにストーカー扱いされたり、小さな女の子の母親に通報されかけたり。
 見知らぬ男に何の前触れもなく実名で呼ばれる、という事態の不気味さから考えると無理もない反応だから、相手を責める気にはなれない。
 そして今また、見知らぬ女性に呼びかけてしまった。二、三日ほど症状が出なくて、治ったのではないかと期待していた矢先にこれだ。
 会社帰り、夜の歩道の途中。時折通る通行人に気を遣って道の脇に避けながら、僕は目の前の女性にあたふたと応える。

「あ、あ、あの、知り合いとか、そういうんじゃなくてですね」
「はあ。でも、私の名前……」
「ええ、そうなんですけどあの、これには事情がありましてあの」

 しどろもどろな僕を、女性は不思議そうに見つめている。顔が熱くなってきて、気ばかりが焦る。
 落ち着いてちゃんと説明すればいいじゃないか、と言われるかもしれないが、何せ珍しい病気でほとんど認知されていないし、漫画か何かみたいに荒唐無稽な症状だ。顔見知りならともかく、見知らぬ人に信じてもらうのは非常に難しい。

「……いえ、すみません。言い訳はしません。知り合いでもないのに意味もなくあなたの名前を呼びました。不審者だって自覚はあります。通報でも何でもして下さい」

 だから、最近ではこんな風に、ほとんど説明を放棄してひたすら頭を下げることにしている。
 それはもちろん、今まで経験してきた苦い思い出のせいでもあるし、怖がらせてしまった相手へのせめてもの罪滅ぼしでもある。
 でも、本当の所それは言い訳に過ぎず、単に罰を受けたいだけなのかもしれない。
 僕はあがり症な上に対人恐怖症の気もあって、自分でも呆れてしまうぐらい人と話すのが苦手だ。学校でも職場でも、頻繁にどもってしまって笑われてばかり。
 いっそ病気か何かで頭のどこかがおかしくなって、その弾みで積極的な性格になれないかなあ、なんて、他力本願な上に不謹慎なことを考えていたぐらい。
 この病気のせいで受ける仕打ちは、そんな甘い考えに対する罰なのかもしれない、と思うと、少しだけ気が楽になるのだ。
 どの道、見知らぬ男に声をかけられてしまった人にとっては迷惑な話でしかないのだけれど。
 そうして、刑の執行を待つ犯罪者のような気持ちで立ち尽くす僕の顔を、女性はしばらくの間じっと見つめていた。
 やがて、何か納得した様子で穏和な顔を緩ませて、

「分かりました、何か事情がおありなんですね。通報とかはしないですから、安心して下さい」

 ほとんど都合が良いとすら言える好意的な言葉に、一瞬何を言われたのか分からなかった。

「……え? い、いいんですか、本当に?」
「はい。あ、でも通報してほしいということでしたら今すぐ電話しますけど」
「い、いえいえ、結構ですから!」
「冗談です。それでは、失礼しますね」

 悪戯っぽく微笑み、ぺこりと一礼して、彼女はゆっくりと歩き始める。
 それこそ警察沙汰も覚悟していたので、僕は心底ほっとしていた。
 同時に、今まで感じたこともないほど胸が高鳴っているのに気づく。
 この病気のために何度も悲鳴を上げられたりしてきたせいもあるのだろうが、あの女性がとても素晴らしい人に思えたのだ。
 この機会を逃したら、こんな素敵な人とはもう二度と出会えないかもしれない。そんな気持ちが一瞬膨れ上がり、

「あ、あの!」

 気づけば、今度は自分の意志で呼びかけていた。
 驚いたように振り返る女性に向かって、勢いのまま、

「こ、これも何かの縁ですしっ! もし良かったら、どこかでちょっとお話しませんか……!」

 言ってしまった後で、顔から血の気が引いた。
 せっかく運良く許してもらえたというのに、こんなことを言ったらまるで最初からそういう目的で声をかけたみたいじゃないか。

「す、すみませんっ、なんでもないですっ! ああ、何言ってんだ……! わ、忘れて下さいっ!」

 仕事でもここまでしたことはない、というぐらいにぺこぺこと頭を下げる。
 女性は最初ぽかんとした顔でそんな僕を見ていたが、やがておかしそうにくすくす笑って、

「そうですね、こんなこと滅多にありませんし……その辺りの喫茶店で、少しお話していきましょうか?」

 大袈裟すぎると笑われるかもしれないけど、そのときの彼女の笑顔が、僕には天使や女神にすら見えたものだった。

 この一件をきっかけとして、彼女とはたびたび会うようになった。
 大抵こちらから誘って何度もデートを重ね、告白して恋人になり、やっぱりこちらからプロポーズして結婚まで漕ぎつきた。
 対人恐怖症気味な男の人生にしては出来過ぎた話だ、と自分でも思うのだが、もちろんそこまでやれたのには理由がある。
 何せきっかけが病気だった上に、ナンパ紛いのことまでやってしまったのだ。それでも怒ったり罵倒したりしなかった心優しい彼女に少しでも報いたい、と思って、ありったけの勇気と根性を振り絞って努力した結果だった。
 果たしてその努力が十分だったのかどうかは分からないが、プロポーズまで受けてくれたのだから彼女も喜んでくれていたのだと思いたい。
 呼びかけ病の方も、説明されていた通りいつの間にか治ってしまっていて、あの日以来症状が出たことは一度もないし、再発の兆しもない。
 結婚生活ももうすぐ一年目になろうかというところで、何もかもが順調だ。
 順調なだけに、心の隅に引っかかっていることもある。

「ねえ、君。初めて会った日のことを覚えてる?」
「ええ、もちろん。あなたが急に私の名前を呼んだのよね」
「そう……君はあのとき、初めて会ったはずの僕をほとんど不審がらなかったし、恐がりもしなかったね」
「あら、そんなことないわよ」

 ソファーで隣に座った彼女が、懐かしそうに微笑む。

「とても驚いたし、怖かったけど……凄く慌てて、申し訳なさそうにしているあなたを見たら、この人は根っからのいい人なんだなっていうのが分かってね。怖くなくなったの」
「そうだったのかい?」
「ええ。だから、その後のお誘いも受けたのよ。他の人には警戒心がなさすぎるって怒られそうだけど、今になって思うとやっぱりその判断は間違ってなかったわね」

 彼女は笑ってから、ふと不思議そうに首を傾げ、

「だけど、どうしてあなたが私の名前を知ってたのかは分からないままだったわね。ねえ、せっかくだから教えてくれない?」

 いよいよこのときが来たか、と僕は内心覚悟を決めた。
 呼びかけ病のことを、彼女には話していない。聞かれないのをいいことに黙っていたのだ。
 けれど、なんだか騙しているような罪悪感はいつもつきまとっていて、ずっと落ち着かなかった。
 そもそもあの病気がなければ、臆病者の自分は彼女と出会えてすらいなかったのだ、と思うと、なおさら。

「実はあの頃、僕はある病気にかかっていてね……」

 覚悟を決めて喋り始めたら、あっと言う間だった。
 全て話し終えたあと、僕は出会った日のように深く深く頭を下げる。

「本当に申し訳ない。ずっと黙っていて」
「そんな、謝ることないわよ。確かに不思議な病気で、驚いたけど……何か不正な手段で私のことを調べていた、なんて言われるのに比べたら全然マシよ」
「だけど、その病気がなかったら君とは出会えなかったわけだし」
「それはあくまでもきっかけでしょう? その後で私にしてくれたたくさんのことは、全部あなたの頑張りだったんだから」
「いや、でもやはり黙っていたのは卑怯なことだと思うし」
「相変わらず真面目ねえ、あなたも」

 彼女は苦笑しながら僕の顔を見つめていたが、やがてふっと目元を緩ませて、優しい声で言った。

「それに、そんなに気にする必要もないわよ。私もあなたと同じだったから」
「え、同じ?」
「そう……いきなり見知らぬ男に声をかけられたのに全然警戒する様子がなかったって、あなたも不思議がってたでしょう?」
「確かにそうだけど」
「実はね、私も病気だったのよ、あの頃。だから初対面のあなたのお誘いを素直に受けたの。黙っていてごめんなさいね」
「それは、どんな病気?」
「『応答病』っていう病気。だから、これでおあいこよ」

 <終>
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コメント

短編らしくオチていて尚且つ幸せな結末というところが好きです面白かったです

No title

>らうみさん
感想ありがとうございます。楽しんで頂けたようで幸いです。
二次創作中心のサイトですしオリジナル読んでくれる人いるのかなーと正直ちょっと不安でしたので、とても励みになります。
今後ともよろしくお願いします。

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