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【東方SS】わたしやっぱりドMだったみたい!

2008/11/17に東方創想話に投稿したSSです。
『わたしやっぱりドMだったみたい!』



「不良天人め」

 甘い匂いと陽気な歌に混じって、その声は確かに天子の耳に届いた。
 一瞬足を止めかけて、しかし立ち止まらずに歩き出す。すぐ近くで歌い踊っている天人たちの方など見もせずに、傲然と胸を反らして。



 魔理沙の弾幕は避けやすい、と天子は思う。
 弾速は霊夢やアリスよりもずっと速いし威力もあるが、如何せん弾道が直線的なのだ。あんなのに当たったらどうしよう、などという恐怖に身を竦めさえしなければ、避けるのは実に容易い。

(こんな風に、ね)

 凄まじい速度で向かってくる二条のレーザーを、小さく体を揺らして避ける。次いでばらまかれる星弾は視界の半分を占めるほどに大きいが、それ以上に弾と弾の間の隙間も大きい。やはりほんの少しだけ体を動かせば避けられる。全ての弾が通りすぎたあと、顔を上げてみれば少し離れた空中に悔しそうな魔理沙の顔が見える。天子は得意げに微笑みながら前進し、魔理沙が放つ迎撃の弾幕を潜り抜けつつ数発の弾を放つ。その内の一発が魔理沙の顔面に命中し、「へぶっ」と悲鳴を上げた彼女が、のけぞりながら下に向かって落ちていく。
 地面に激突するよりは早く姿勢を立て直した魔理沙は、鼻血を垂らし涙目になりながら、こちらを睨みつけてきた。その視線を真っ向から受け止め、天子は顎を上げて笑う。

「どう?」
「くっそー、またわたしの負けか」

 吐き捨てながら、魔理沙が鼻血を拭う。天子は声を上げて笑った。

「いい様ねえ、魔法使いさん。その酷い顔、あんたには物凄くお似合いだわ」
「うるへー、ちょっと休憩したらもう一回やんぞ、もう一回」

 腕を振り回しながら怒ったように叫ぶ魔理沙の声を聞いて、頬が緩みそうになる。それを最大限抑え込みながら、天子は呆れた風を装って肩を竦めた。

「ま、いいけどね。でも何度やっても結果は同じだと思うけど」
「関係あるかっての。見てろよ、絶対次こそ地べたに叩き落としてやるからな」
「はいはい、楽しみにしてますわ」
「ちぇっ、気取りやがって」

 文句を垂れながら地面に降り立つ魔理沙に続いて、天子もまた地面に降りる。
 青く晴れ渡った空の下、今日も博麗神社に参拝客の姿はない。拝殿正面の賽銭箱の前に腰かけて茶を啜る巫女と、その隣に座って人形の修繕を行っている人形遣いの二人だけが、魔理沙と天子を出迎えた。

「お疲れ様。相変わらず見事なやられっぷりだったわね」

 人形の服に針を通しながら、人形遣いのアリスが澄まし顔で言う。「うるさいな」と、魔理沙は唇を尖らせながら霊夢の隣に尻を落とす。魔法使いが荒っぽく組んだ膝に頬杖を突きながら、不機嫌そうに「お茶」と言うと、霊夢が「はい」と湯呑を手渡した。

(やたらと慣れてるわねえ)

 呆れるやら感心するやら、といった心境で、天子もまた魔理沙の隣に腰を下ろす。魔理沙が露骨に嫌そうに顔をしかめる。

「なんだよ、こっちくんなよ」
「知らない。わたしがどこ行こうがわたしの勝手でしょ」
「ケッ、相変わらず自己中な天人様だぜ」
「天衣無縫天真爛漫変幻自在。天人ってそういうものよ」

 まあわたしは自分のこと天人だと思ったことは一度もないけど、と天子は心の中だけで付け加える。

「へいへい」

 小憎たらしく舌を出しつつも、魔理沙はその場から動く気配を見せない。天子は機嫌を良くして、霊夢にお茶を要求する。巫女は黙って湯呑をよこした。
 自分で異変を起こして、異変解決に来た奴と戦って暇つぶししよう、ついでに博麗神社を別荘にしよう、という天子の計画が、半分成功半分失敗といった感じで終わってから、早数週間ほどの月日が経過していた。その間、彼女は毎日のように博麗神社に入り浸っている。緋想の剣を持ち出した上にあれだけ好き勝手やったのに、ほとんどお咎めがなかったからである。

(ま、どうせ不良天人のやることだから、なんて言って放置されてるんでしょうけど)

 そんなことを考えたら、少し胸の辺りがモヤッとしてきた。

「あら天子、どうしたの」
「え? な、なにが?」
「なんだかちょっと怒ってるみたいだけど」
「……別に、なんでもないよ」

 きょとんとした顔で声をかけてきたアリスに答えて、慌てて首を振る。彼女は「そう」と呟いて、また人形の修繕に戻った。こんな無関心そうな様子でも、この子は自分の表情の変化に気づいてくれるのだ、と思うと、天子の胸のモヤモヤがスーッと晴れていった。アリスの隣では、相変わらず霊夢がのん気にお茶を啜っている。

「っし、もう一回やんぞ」

 湯呑を傍らに置いて、魔理沙が勢いよく立ちあがる。それに倣いながら、天子は嫌味っぽく笑った。

「もっと休んでてもいいのよ?」
「十分だっての」
「そう。ま、どれだけ休んだって、結果は変わらないでしょうけど」
「うるへー、お前みたいな馬鹿天人に負けっぱなしでいられるかっての」

 天子の目元がぴくりと痙攣した。

「誰が馬鹿天人だって?」
「お前に決まってるだろ馬鹿」
「じゃあその馬鹿天人に勝てないあんたはなんなのよ、この馬鹿魔法使い」
「うるさいよこの馬鹿! 大馬鹿!」
「誰が大馬鹿よ超馬鹿!」
「黙れ超特大馬鹿!」
「やかましいってのよ超超特大馬鹿!」
「そういうお前なんか超超超特大」
「もう両方馬鹿ってことでいいんじゃない?」
「うるさいよ!」

 呆れ口調で言ったアリスに異口同音に怒鳴ったあと、魔理沙と天子は互いに腕を組んで睨みあった。

「よーし、じゃ、次負けた方が馬鹿だからな」
「じゃあやっぱりあなたが馬鹿決定じゃない」
「へん、馬鹿言ってられるのも今の内だぜ」

 にやりと笑い合い、二人は空に飛び上がる。

「平和ねえ」
「そうねえ」

 アリスと霊夢がのん気に呟く。
 そんな風に、その日も日暮れまで弾幕ごっこを楽しんだ。諦めずに挑戦してくる魔理沙を相手に十数回ほども勝負したが、負けたのはせいぜい1回か2回である。

「見てろよ、明日こそ、明日こそは!」
「いい加減諦めなさいっての。じゃあね霊夢」

 喚く魔理沙とそれを引きずるような形で飛んでいくアリスを見送ると、境内には霊夢と天子だけが残される。

(明日こそは、か)

 ひそかに微笑みながら振り返ると、そこには「やれやれ」と呟きながら箒片手に立ち上がる巫女の姿が。赤く染まりゆく空を背景に鴉が鳴き交わすこの時分から、掃除を再開する模様である。
 こちらのことなど気にする風もなく石畳を履き始める霊夢を見て、天子は少しどきどきしながら問いかける。

「あなたもやる?」
「何を?」
「弾幕ごっこ」
「いい。めんどいから」
「あ、そう」

 何でもない風に装いつつも、天子は内心がっかりしていた。あの騒動以来霊夢はいつもこんな調子で、弾幕ごっこに誘っても乗ってくることは一度もなかった。

(嫌がられてるのかな)

 胸に湧き上がるその気持ちを打ち消そうとして、天子は自信満々に胸を張った。

「明日も来てあげるわ! ありがたく思いなさいね」
「ん。来たけりゃ来れば?」

 素っ気なく答えながら、霊夢は箒を動かす腕を止めようともしない。天子は少々不満だったが、拒絶されたわけでもないので、内心ほっとしながら空に飛び上がる。その途端、突然目の前の空間に不自然な裂け目が出来て、金髪の美女がにゅっと顔を出した。思わず「うひゃあっ!?」と悲鳴を上げると、その美女、隙間妖怪こと八雲紫が愛想よく、あるいは胡散臭く微笑んだ。

「あらこんばんは。何をそんなに驚いているのかしら」
「べ、別に……」

 天子は冷や汗をかきながら口ごもる。あの異変の終盤、怒った紫に徹底的にのされて以来、天子はこの隙間妖怪に苦手意識を持っていた。異変後初めて博麗神社で遭遇したときなど、また傘で殴られたり電車で轢かれたりするのではないかとビクビクしたものである。実際にはそんなことは一切なく、それどころか割と愛想よく話しかけられたりするのだが。

(だからこそ何を考えてるんだかさっぱり分かんないのよね……魔理沙が『あいつは胡散臭いぜ』なんて言ってた意味がよく分かるわ)

 ともかくも、こいつに関わるとロクなことがない、ような気がする。天子は最低限の礼儀をもって軽く頭を下げると、さっさと紫の前から退散した。隙間妖怪の方も特に呼び止めることもなく、すれ違いに下に降りていく。やがて、境内の方から騒がしい声が聞こえてきた。

「うふふふふ、霊夢ーっ!」
「だーっ、もう、変な悪戯は止めろって言ってるでしょうが! 淫行で閻魔に訴えるぞババァ!」

 先ほどの静かさとは打って変わった霊夢の喚き声が、空の上まで聞こえてくる。

(……わたしのときはずいぶん態度が違うんじゃない?)

 一人唇を尖らせながら、天子は天界に向かって飛んでいった。



 翌日の昼、天子は比那名居邸の広い正面玄関にいた。上がり台に腰かけて、お気に入りのブーツに足を入れる。地上では今頃、多分いつものように霊夢と魔理沙、時によればアリスや萃香なども博麗神社に集まっているはずだ。今日も今日とて魔理沙相手に弾幕ごっこをやって、霊夢やアリスと雑談しながらお茶を啜るつもりであった。

「あのう、お嬢様」

 背後から声をかけられたのは、ブーツを履いて立ち上がり、外に向かって歩き出そうとしたまさにその瞬間であった。顔をしかめながら振り返ると、そこには恐縮した様子の召使の姿があった。召使、と言っても、地味な色合いの羽衣を身に付けた天女である。
 一日中歌って遊んで暮らしている天人ばかりが、天界の住人というわけではない。特に比那名居家のように、修業を積まずに天界入りした俗っぽい天人が増えて以降は、中途半端に地上の生活を引きずる彼らの世話をする、召使のような住人が激増した。
 今天子の目の前で心許なげに顔を伏せている天女も、そういった者たちの内の一人である。ちなみに、以前天子が命令して博麗神社を立て直させたのも、こういった召使の天女たちであった。

「なに」
「いえ、あのう……どこかへお出かけでございますか」
「見て分かんないの」
「は、申し訳ございません。ですが、そのう」

 召使はこちらと視線を合わせるのを避けるかのように俯いたまま、視線をあちらこちらへ彷徨わせている。苛立った天子が音を立てて足を組みかえると、びくりと大きく肩を震わせた。

「なに。言いたいことがあるならはっきり言いなさいよ」
「は、はい。きょ、今日は、お家でご勉強なさっては……」
「はぁ? なんでよ?」

 天子が眉根を寄せると、召使は「も、申し訳ございません!」と泣きそうな声で言いながら頭を下げる。
 露骨にこちらを恐れているその態度に、溜息が出そうになる。

(……不良娘が変な問題起こして自分たちがお咎め受けるのは嫌だけど、真っ向から意見するのも怖い、と)

 だったら放っておけ、と天子は思う。同時に、ふとある可能性に気がついた。

「ねえ」

 少し胸を高鳴らせながら、問いかける。

「ひょっとして、お父様から何か言われた? わたしをあんまり外に出さないように、とかさ」
「は、いえ……」

 召使は困惑した様子で答える。

「いえ、旦那様からは何も言付かっておりませんが……も、申し訳ありません!」

 召使がほとんど土下座せんばかりの勢いでしきりに頭を下げだしたので、天子はようやく自分が酷く顔を歪めていたことに気がついた。そんな自分を、心の中で嘲笑う。

(馬鹿ね。今更、お父様がわたしのことなんか気にするはずないじゃない)

 あの騒動の後も、緋想の剣を取り上げただけで小言の一言もなかったし、と。
 天子は小さく唇を噛み、外に向かって身をひるがえす。背後で、「あ」と消え入りそうな声がしたので、苛々しながらまた振り返る。

「なに。まだなにかあるの?」
「い、いえ……ど、どちらへお出かけでございますか?」

 つっかえつっかえそう問いかけてくる召使に、そんなの決まってるじゃないか、と心の中で前置きながら、

「とも」

 言いかけて止め、口を噤んで言い直す。

「……知り合いのところよ」
「……そうでございますか。あの、お嬢様」
「なに」
「お気をつけて、いってらっしゃいませ」

 深々と頭を下げながら言ったその言葉にだけは、不思議と迷いや恐れが感じられなかった。
 天子は踵を返そうとして、迷った。なにか、この召使に声をかけてやるべきだろうか。
 しかし口を開いても上手く言葉が出てこず、結局何も言わずに外に出た。



 桃の甘ったるい匂いが空気に入り混じる天界の雲の上を、天子は無言で歩く。先ほどの一件のせいか、なんだかやけに胸が重い。足取りも鈍くなる。
 博麗神社の近くに降りるためには、ちょうど天界の雲の端まで行かねばならないので、自然と歌って遊んでいる天人たちの集団の横を通り抜けることになる。飛んでもいいのだが、天界で飛ぶと遠くから指差されて笑われているような錯覚を覚えてしまい、あまりいい気分になれないのだ。
 そうして、ある天人の一段の横を通りかかったとき。

「不良天人め」

 甘い匂いと陽気な歌に混じって、その声は確かに天子の耳に届いた。
 いつものように無視して歩き続けようとして、失敗する。思わず足を止めて、周囲を見回してしまったのだ。だが、誰が先ほどの暴言を吐いたのかは分からない。天人たちは楽しげに歌って踊っているだけで、こちらを見もしない。

(いや、誰が言ってようが大して関係ない、か)

 どうせ、誰もが同じことを思っているのだから。
 そう考えると無性に悔しくなってきて、天子は目を伏せたまま走り出した。視界の隅を通り過ぎていく天人たちの誰も彼もが、気楽そうな笑みの裏側で自分を嘲笑っているような気がする。見ろよ、不良天人だ。親にまで見放された不良天人の娘が、みっともなく走っていくぞ。
 走りながら耳を塞がなかったのは、何を言われても平気だからではなく、単なる意地に過ぎなかった。
 そうしてようやく雲の端まで辿り着き、天子は膝に手を突いてぜいぜいと喘ぐ。
 ふと誰かの視線を感じたような気がして周りを見回すが、誰もいない。ほっと息をつき、

「っ……ちくしょう」

 呟くと、勝手に涙がこみ上げてきた。慌てて腕で拭い、上を向く。天界の空はいつも晴れていて、太陽から穏やかな日差しが降り注いでいる。こんな陰湿な場所にはなんとも不似合いな光景だ、と思って、天子は皮肉っぽく唇を吊り上げる。

「天子って、力以外はわたしたちと大して変わりないわよねえ。天人って、長く厳しい修行の末に欲を捨てた人々だって、本には書いてあったけど」

 前にアリスがそんなことを言ったとき、天子は思わず笑いそうになってしまったものだ。無論、中にはそういう高潔な者もいる。だが天人の多くは比那名居家と同様、そういう正当な手順を踏まずに天人となった者たちである。だから中途半端に地上の生活を引きずるし、天界が狭くなるのが嫌だと言って自分勝手に成仏を制限したりするし、自分たちのことを棚上げして、特に有名な俗っぽい天人を不良天人呼ばわりしたりする。本当に根暗で陰湿で怠惰で、腐りきった場所だと思う。
 だから天子は思うのだ。自分は天人なんかじゃない、と。

(そうよ。あんな嫌な連中と同じに扱われてたまるもんですか)

 だが現実の自分は、そんな救いようのない連中にも馬鹿にされる不良天人だ。何をどれだけ頑張っても結局は不良天人だと冷笑を浴びせられるのが嫌でたまらず、勉強や習い事もとうの昔に止めてしまった。そしたら今度は父にも相手にされなくなった。退屈しのぎに天界の宝を持ち出して地上に大騒動を巻き起こしたって、小言の一つ言いに来てくれやしない。完全に見放されているのだろう。
 そんなことを考えていたら、普段高慢に振舞うことで無理矢理抑え込んでいる劣等感が、胸の奥から湧き上がってきた。心臓が締め付けられたように痛み出し、息まで苦しくなってくる。耐えきれずにしゃがみ込み、必死に心を落ち着かせる。

「総領娘様?」

 声をかけられてはっと顔を上げると、そこに見覚えのある女性がいた。黒い帽子とフリルで縁取りされたケープ、それに薄桃色の羽衣が印象的な、涼しげな雰囲気の女だ。名前は永江衣玖と言って、普段は雲の中で生活している龍宮の使いである。
 その龍宮の使いが、心配そうな顔でこちらを覗き込んでいる。

「どうなさいました? ご気分がお悪いのですか」
「べ、別に、なんでもないわよ」

 慌てて立ち上がりながら、いつものように傲然と胸を張って平気なことをアピールする。しかし衣玖が気遣うような表情を崩さないので、天子は少し怯んだ。

「な、なによ。なんでもないって言ってるでしょ」
「いいえ、わたしは空気の読める女。総領娘様が隠されても、なにか嫌なことがあったのだろうということぐらいは容易に察せられます」

 空気の読める女とか言うならいちいちそんなこと指摘するなよ、と天子は奥歯を噛む。溜息をついて、肩を落とした。

「ええそうよ、気分は最悪。馬鹿な天人どもを見てて吐き気を感じてたとこよ」

 それこそ吐き捨てるようにそう言うと、衣玖はますます心配そうな表情で、胸に手を添えた。

「私でよければお話相手をいたしますが」
「はぁ? いらないわよそんなの」
「ですが」
「あんたと御喋りしてる暇なんかないの」
「どこかへお出かけですか……ひょっとして、地上へ?」
「そうよ。そんな顔しなくたって、変な問題なんか起こしません。ちょっと、神社に巫女をからかいに行くだけ。じゃあね」

 一方的に言い捨てて、天子は雲の上から飛び降りる。背中に衣玖の視線を感じたが、あえて無視した。



 口に出して言ったことは今まで一度もないが、博麗神社に集まるあの連中のことを、天子はとても気に入っていた。
 魔理沙は可哀想になるぐらいどうしようもない馬鹿だし、人間らしく弱っちいが、だからと言って諦めたり、変な負け惜しみを言ったりしない態度にはとても好感が持てる。あの魔法使いは何度負かしてやっても、歯軋りしながらまた立ち向かってきてくれる。

「次こそは負けないからな!」

 という彼女の声を聞くたび、天子は顔がにやけるぐらいに嬉しくなるのだ。
 アリスのことも好きである。大抵いつも済まし顔で人形の服を縫ったり本を読んだり、お茶を飲みながら霊夢とまったり会話したりしているが、その実こちらのことを気にかけてくれる。

「なにかあった?」

 彼女がそう問いかけてくれるたびに、泣きそうなぐらい胸が温かくなるのだ。
 霊夢に対しては、少々複雑な感情を抱いている。
 先の異変であれだけ好き勝手やらかした天子に対し、怒ることもなければもう神社に来るなということもない。

「ん。来たけりゃ来れば?」

 いつもその言葉と共に別れるたび、天子は困惑と不安で背筋がムズムズするのである。
 なんにしても、誰も天子にもう来るなとは言わないし、俗っぽい天人たちのように冷笑を浴びせたり、どこかの誰かのように無関心な態度を取ろうともしない。話しかければ普通に答えてくれる。
 だから、天子は博麗神社に行くのが好きなのだ。

(いるかな、みんな)

 博麗神社の裏手に降り立った天子は、歩いて社の方へ向かう。母屋の横を通り過ぎたとき、障子が開け放たれた縁側には巫女の姿がなかった。いつものように境内の掃除をしているのか、それともどこかへ出かけているのか。

「しっかし、毎日毎日暑いよなあ」
「そんな服着てるからでしょ」
「これは魔法使いとしてのアイデンティティってやつだぜ。意地でも脱がん」

 社の陰を歩いているとき、魔理沙とアリスの声が聞こえてきた。どうやら、いつものように神社に遊びに来ているらしい。嬉しくなって駆け出そうとして、天子は足を止める。

(さっきの涙の跡、残ってないわよね。目、赤くなってないかな)

 手鏡など持ってきていないので、よく分からない。変な顔で出て行ったら馬鹿にされるのではないか、と考えて、天子は唇を噛む。どうも、先ほどまでのことで神経質になっているようだ。
 そうやって、社の正面に出ようか出まいか迷っていると、

「そういや天子の奴、今日は来ないのかな」

 不意に自分の名前が聞こえてきたので、天子はどきりとした。

「そうねえ。いつもだったら、もう魔理沙を地べたに叩き落としてる頃よね」
「うるさいよアリス。そういつまでも負けっぱなしの魔理沙さんじゃあないぜ」
「その台詞ももう聞き飽きたわねえ」
「ぐむむ」

 痛いほどの勢いで脈打っている心臓を、服の上からぎゅっと押さえつける。この話はどこに向かっていくんだろう。今にも魔理沙が「ま、あんな不良天人なんかに負けたって悔しくもなんともないけどな」などとせせら笑うのではないかと思うと、この場から逃げ出したくなる。

(大丈夫、大丈夫よ。そうなったらそうなったで、いつもみたいに『ちょっと、聞いたわよ!』とかなんとか、怒りながら出て行けばいいだけじゃない。そしたらみんなもいつも通りに応えてくれるし)

 大丈夫、大丈夫、と必死に言い聞かせながらも、天子は全神経を集中して、魔理沙たちの会話に耳を澄ましている。

「それにしても、天子の奴ってさあ」

 不意に魔理沙が口調を変えた。天子はさらに強い力で胸を押さえる、と。

「ホント、強いよなあ」

 溜息をつくような声音だった。一瞬何を言われたのか理解できず、天子は呆然とする。

(……褒められ、た?)

 信じられずに立ち尽くす天子の耳に、魔理沙たちの会話が次々に飛び込んでくる。

「当たったー、と思ったら避けられてるし、避けられたー、と思ったら当てられてるし」
「そうねえ。無茶苦茶に動いてるように見えて、その実身のこなしが凄く洗練されてるのよね」
「認めるのは癪だけどな」
「相変わらずひねくれてるわね」
「くそ、あんな馬鹿なのにあんな強いなんて、世の中間違ってるぜ」
「あら、わたしは天子のこと、それほど馬鹿だとは思わないけど?」
「アリス、お前はいつもわたしたちの横で何を聞いてるんだ」
「そりゃ、あなたと罵り合ってるときは丸きり子供みたいだけど。でも、普段会話するときは結構知性的よ、彼女。さすが天人、なんて感心させられることも多いわねえ」

 そんな風に、魔理沙とアリスは口々に天子のことを誉めたたえる。一瞬、こちらに気づいていてからかっているのだろうか、と疑ったが、そんな様子は微塵もない。ごくごく自然に、天子を称賛し続ける。

(え、ちょ、待って、待ってよ)

 先ほどとは違う意味で心臓が高鳴る。顔が火照ったみたいに熱くなってきて、天子は頬を両手で挟み込みながらその場にしゃがみこんだ。

(うわぁ、うわぁ)

 全身がむずむずして飛びあがりたくなるのを、天子は必死に堪えた。今すぐ魔理沙たちの前に走り出していきたいところではあるが、実際にそうしたら泣き出してしまいそうな気持ちだったので、寸でのところで我慢する。

(落ち着け、落ち着きなさいわたし。ここで子供みたいに振舞ったら、せっかくあんな褒められてるのが台無しじゃないの。さすが天人、なんて言われてるんだから、やっぱりこう、もっと高貴にふるまうべきよ、うん)

 自分に言い聞かせながら、天子はゆっくり立ち上がる。はっと気づいて、帽子の位置を直し衣服の乱れを正し、手櫛で軽く髪を整える。
 そのときふと、誰かに見られているような気がした。慌てて周囲を見回すが、誰もいない。社の壁や木々の隙間から誰かが覗いているということもないようだ。気のせいか、と首を傾げて、そんなことよりももっと大切なことがあったと思い出す。

(胸を張って堂々と……いや、清楚に静々と歩いて行くべきね、うん。知性的に優雅に、『皆さん、ごきげんよう』と、こういう感じに)

 まだ高鳴っている胸に手を添え、深く深呼吸したあと、天子はイメージ通り静々と歩きだそうとした、が。

「でもさあ」

 また魔理沙の口調が変わったので、足を止める。今度は苦笑交じりの声音だった。

「あいつって、確かに強いけど、なんていうかこう」

 ちょっと、躊躇うような間を置いて。

「ドM、だよな」

 返答までにはまた間があった。

「ちょっと魔理沙、失礼よ」
「とかなんとか言いつつ、どうしてそう目を逸らすんだねアリス女史」
「い、いや、これは別に……」
「お前だってそう思ってるんだろ? 天子はドMだってさ」
「だから失礼だって」
「異変を解決させてみんなにボコられるためにあんな騒動起こした、ってさー。前代未聞だぜ。やっぱドMとしか思えないって。なあ、霊夢もそう思うだろ?」
「ん? そうなんじゃない?」
「無関心だねお前は」
「いや、実際あの子がどんなだろうがわたしには大して関係ないし。でも」

 霊夢がため息をつく。

「天子がドMだったらさ。あいつと会わせるのだけは、避けた方がいいわよね」

 どことなく気まずげな沈黙が降りる

「……だな。下手すりゃ殺されるぜ」
「言いすぎでしょ。せいぜい半殺しよ」
「どっちにしても相当面倒なことになるのは間違いないからさ。まあ天子もうちの神社に入り浸ってるだけみたいだし、心配はいらないと思うけど」
「でもま、注意するに越したこたあないな」
「そうね。いろいろ洒落にならないし」
「あ、そうそう、今度の宴会の話なんだけどさ」

 話題が変わったようだった。天子は無言で踵を返し、そっとその場を後にした。



 そして天界に帰ってきた天子は、一人腕組みをして歩いていた。気難しく顔をしかめ、しきりに首をかしげながら、ひたすらあることだけを考えて歩き続ける。すなわち、

(ドMって、なんだろ?)

 自分はどうやらそのドMだと思われているらしいが、天子の知識の中に、そんな言葉はない。似たような言葉も知らないので、必死に考えても答えが出ない。
 ひょっとしたら地上の俗語かもしれない。だから自分には分からないのかも。
 そう思いつつも、天子は大いに焦った。なにせ、さすが天人知性的だ、と褒められたばかりである。

(これで、『ドMってなに?』なんて聞こうものなら)

 魔理沙やアリスが顔をしかめてひそひそと囁き合う姿が、自然と脳裏に浮かんでくる。

『聞いたか?』『ええ。ドMの意味も知らないなんて』『頭がいいと思ってたけど、誤解だったみたいだな』『そうね。やっぱり所詮は不良天人なのよ』『最低だな』『幻滅ね』『もうあいつと関わるの止めようぜ』『そうね。無視しましょ』『はい、むし、むーし!』『お疲れ様でしたー!』

「やだっ」

 小さく悲鳴を上げて、天子は己の肩を抱く。これは良くない、と思った。

(なんとかして、ドMの意味を調べなくちゃ)

 しかしどうすればいいのだろう。天子とて昔は真面目に勉強していたから、屋敷にある本は一通り読んでいるつもりである。だから多分、本の中に書いてあるようなことではないのだろう。孔子や孫子がドMのなんたるかについて得々と解説してくれることは期待できそうにない。
 かといって他の天人に聞くなど死んでも嫌だ。相手が知っていたら無知な不良天人と馬鹿にされるし、知らなかったら単なる恥のかき損だ。どう考えても、この選択肢はあり得ない。

(となると……うーん……)

 必死に考え続けていると、脳裏に一人の女性の姿が浮かんだ。そうだ、あいつなら、と、天子は雲の中に向かって飛び立った。



「ドMってなに?」

 わたしがこれ聞いたってこと他の奴には絶対言わないでね、と前置きされた挙句の質問がこれである。竜宮の使い永江衣玖は、己の頬が引きつるのを抑えることが出来なかった。

「ド、ドM、ですか」
「そう、ドM。多分地上の俗語だと思うんだけど。あんたはわたしよりは地上の人とも交流があるし、知ってるんじゃないかと思って」

 もちろん、知っている。ドM。度を超えたマゾ。変態的な情熱を持って被虐の快楽を追求する者。

 ――総領娘様って被虐趣味がおありなんじゃございません?

 昼間、口さがない竜宮の使い仲間にそんなことを言われたばかりである。その場で特に言い返さなかったのは、衣玖が空気を読んだことばかりが理由ではない。彼女自身、先の異変の顛末を聞いて以降、ほんのちょっとだけ疑っていたのだ。気質集めて天気変えたら槍でも降るんじゃね? といった感じの疑惑である。
 しかし、ただのMを通り越してドMとは。

「あの、総領娘様? どうしてそんなことを私に?」
「なんかね、とも……いや、知り合いが、陰でわたしのことそう言ってたのよ。あいつってドMだよなあって。でも、意味がよく分かんなかったからさ」

 そう言ったあと、天子は不安そうに眉をひそめた。

「やっぱり、あんたは知ってるのね? ねえ、ドMってなに? なんか、酷い悪口だったりする?」

 その言葉の裏に隠された思いを読み取り、衣玖はひどく驚いた。つまり、友達に悪口を言われたのではないかと心配になった、ということか。

(あの自己中心的で他人を顧みない総領娘様が! これはいい兆候かもしれません)

 同時に、ここの返答は重要だぞ、と即座に悟る。全く情報を与えないままでは不安を募らせてしまうし、あまり率直に説明し過ぎても「やっぱり悪口だったんだ」と落ち込ませてしまうだろう。もちろん、嘘を言うのもいけない。ドMがいい意味だと解釈して、今後「わたし比那名居天子! ドMなの!」だのと自己紹介されたらそりゃもう酷いことになる。

(大丈夫、私は空気の読める女。しっかりと言葉を選んで、総領娘様を良き道へと導いていけるはず……!)

 ともかく、まずは簡単に意味を教えてあげることだ。衣玖はゆっくりと説明し始めた。

「総領娘様。ドMというのはですね」
「うん」
「なんというか、他人に引っ叩かれたりすることで、喜びを覚える人種のことです」
「は?」

 天子は一瞬きょとんとしたあと、おかしくてたまらないといった風に腹を抱えて笑い始めた。

「なによそれ、そんな変な奴がこの世にいるの? おっかしー!」

 と、ひとしきり笑ったあとで、

「って、わたしが!?」
「ええまあ」
「え、なに、わたしそんな変な奴だと思われてるわけ!?」
「まあ、そうなるかと」
「ちょ、ちょっと、冗談じゃないわよ! 引っ叩かれたって痛いだけで嬉しくも何ともないわよ!」
「そうでしょうけどそういう素質が……いやいや、あの、総領娘様、まずは落ち着い」
「あいつら、わたしのことそんな奴だと思ってたのね! 許せない!」
「え、ちょ、総領娘様……!」

 制止の言葉も聞かず、天子は猛然と雲の外に向かってすっ飛んでいく。
 一人残された衣玖は、あの暴走お嬢様を止めようと伸ばしかけていた手を中途半端にぶらぶらさせる。

「……いろいろと説得の言葉を考えていたのに……総領娘様、お願いですからもう少し空気を読んでください」

 呟きながら、思うのだ。
 ひょっとして、自分はやっちまったのではないか、と。



 凄まじい勢いで博麗神社の境内に降り立った天子は、社の方に振り返りながら怒鳴り声を上げる。

「ちょっと、あんたたち……って」

 誰もいなかった。まだ昼と言っても差支えないこの時刻、いつもならば巫女が掃除をしている頃なのに。みんな、どこかに出かけてしまったのだろうか。
 天子は一人唇を尖らせながら、溜息をつく。
 怒りのあまり飛んできてしまったが、魔理沙たちに会って一体どうするつもりだったのか。「わたしはドMじゃない!」と主張でもしようというのだろうか。そんなことしたって「あんなに必死に否定するなんて、やっぱりドMなんだな」と思われるだけだろうに。

(ああ、でも、早く誤解を解かないと……!)

 再び、魔理沙とアリスの姿が脳裏に浮かぶ。

『おい、やっぱりあいつドMだぜ』『いやあね、変態よ変態』『強くて格好いい奴だと思ってたのにさ』『所詮は不良天人ね』『気持ち悪いな』『汚らわしい』『もうあいつと関わるの止めようぜ』『そうね。無視しましょ』『はい、むし、むーし!』『お疲れ様でしたー!』

「そんなのいや!」

 気持ち悪い汚らわしいと遠くから冷笑を浴びせられるなんて、それでは天界にいるときとなにも変わらないではないか。どうにかして誤解を解かなければ。

(とにかく、みんなに会わないと……!)

 天子は慌てて空に舞い上がった。



 人里に降りて、近くを通りかかった人間に魔理沙やアリスの居場所を聞き出す。その、妙な形の帽子を被った長い髪の女性は、天人に話しかけられたことに驚きながらも、親切に教えてくれた。

「ああ、あの連中なら魔法の森に住んでいますよ。地図などは書けませんが、それほど森の奥深くというわけではないから、すぐに見つかるでしょう」

 そう言って、魔理沙とアリスの家の外見まで丁寧に教えてくれた。その教え方が非常に分かりやすかったので、天子としては珍しく礼を言う気分になった。

「あんたなかなか見どころのある奴ね。感謝してあげるわ、喜びなさい!」
「はあ。それは、どういたしまして」

 苦笑するその女性に見送られて、天子は魔法の森に向かった。



 女性の言葉通り、魔理沙の家はすぐに見つかった。あの破天荒な少女にしては、意外なほどこじんまりとした家だ。

(こんなにすぐ見つけられるなんて、やっぱりわたしって頭いいじゃない)

 一人得意になりながら、天子はここに飛んでくるまでの間に考えた策を、もう一度頭の中で繰り返す。
 きっとこれなら上手くいくはずだ、と。そう言い聞かせながら、魔理沙の家の扉を強く叩く。何度も何度も。

「うるさいなあ、誰だよ」

 不機嫌そうな声が、家の中から聞こえてきた。どきどきしながら待つ天子の前で、扉がゆっくりと開かれる。

「お? おう、なんだ、馬鹿天人じゃないか。なんでわたしの家知ってるんだ? さてはお前わたしのファンだったんだな。ストーカーってやつか」
「スト……なに? いや、そんなことはどうでもいいのよ。ねえ魔理沙」
「なんだ?」

 怪訝そうに眉をひそめる魔理沙の前で、天子は大きく胸を張った。右手の親指で自分を指さしながら、言う。

「あんた、わたしのことを思い切り引っ叩きなさい!」
「は」

 カクン、と、魔理沙の顎が落ちた。なにやら呆然としているらしい彼女の前で、天子は会心の笑みを漏らす。

(これでいいのよ)

 天子の策はこうである。まず、魔理沙に思い切り自分を引っ叩かせる。いつも負けっぱなしで鬱憤が溜まっている彼女のこと、いい感じに叩いてくれるだろう。そして叩かれた自分は、派手に痛がってみせるのだ。そうすれば、

『痛い、痛い、痛くてたまらないわ! こんなの全然嬉しくない!』
『おお、叩かれたのに喜んでないぞ! ということは、天子はドMじゃなかったんだな!』
『その通りよ、ようやく分かったみたいねお馬鹿さん』
『やっぱり天子は強くて格好いい女だったんだな! 疑って悪かった!』
『ほほほ、いいわよ、わたしったら寛容な女だから、あなたの馬鹿さ加減も笑って許してあげるわ! だからまあ、ほら、今後も友達として扱ってあげるからね!』
『ありがとう天子!』

 と、こんな風になるに違いない。

(完璧だわ、完璧すぎるわ! さすがわたしね!)

 心の中で自画自賛する天子の前で、しかし魔理沙はなぜか頬を引きつらせて、一歩身を引いていた。

「ん、なによその顔は」
「いや、なによって……お、お前、まさかとは思ってたけど、マジもんだったのか……!」
「ま、マジ……? なに?」

 天子は困惑する。地上人の俗語はよく分からない。
 だが、ここで質問したら台無しである。なに、とりあえずドMの疑いが晴れればいいのだ、あとは知っているふりをして適当に受け答えしていればいいだろう。そう思って、また胸を張る。

「そうよ、わたしはマジもんなのよ。だから思い切り引っ叩きなさい」
「ば、馬鹿かお前は! そう言われて誰が引っ叩くかってんだよ!」
「え、どうして?」
「どうしてって……真顔でそんなこと聞くなよ。いいか、お前のプレイにわたしを巻き込むんじゃない」
「プレ……え、なに?」

 また分からない言葉が出てきた。どんどん増える。こうなったらもうヤケクソだ、ともかくこいつがわたしを叩けば万事解決だ。そう決めつけて、天子はさらに強引に魔理沙に迫る。

「いいじゃないの、天人のプレイに巻き込んであげるんだから名誉なことなのよ。ありがたく思いなさい」
「そんな変な気遣いはいらん! ちょ、やめろ、こっちに来るな!」
「いいから早く叩きなさいって! そうすりゃ万事解決だから」
「グッ……わ、分かった、一発でいいんだな? それで満足するんだな?」
「ええそうよ。さ、どうぞ」

 魔理沙に頬を差し出すと、魔法使いはおそるおそる手を上げて、

 ぺちん。

「ちょっと、ふざけてんの!?」
「えぇっ!? なんで怒られてんのわたし!?」
「なによその気の抜けた叩き方は。もっと思いっきり、出来るだけ痛く叩きなさいったら!」
「嫌だって言ってるじゃないか! だいたいお前、一発叩けば満足するって言ってたのに」
「あんなんで満足できるわけないでしょ!」
「うう、もう勘弁してくれよぅ」

 なんだか魔理沙が泣きそうな顔になったので、天子は慌てて身を引いた。これで嫌われたら元も子もないのだ。

「と、とにかくね、もっと痛くしてくれて大丈夫だから」
「いや、そんなことしたってわたしはちっとも嬉しくないんだって」
「なんでよ。あんただって普段わたしに負けっぱなしなんだから、その鬱憤晴らしたいでしょ?」

 そう言ったら、魔理沙は急に態度を変えた。怒ったように顔を歪め、鼻息も荒く一歩踏み込んでくる。

「おい、今なんて言った?」
「え? いやだから、あんた普段わたしに負けっぱなしだから……ああ、そうか」

 ようやく魔理沙の気持ちが分かって、天子は一つ頷いた。

「安心しなさいよ、どんなに痛く叩いたって、あとで仕返しとかしないからさ」
「ふざけんなてめえ!」

 なだめるつもりで言ったのに、何故か魔理沙はますます怒ったようだった。天子を怒鳴りつけ、頭突きするような勢いで顔を突き出してくる。間近で見る魔理沙の瞳に、滾るような憤怒の炎が躍っているような気がして、天子は思わず一歩身を引く。

「ちょ、ちょっと、なによ」
「なによじゃないだろ。なんだお前、馬鹿にしやがって! わたしがそんなみっともない女に見えるってのか、おい!」
「意味が分からないったら」
「ああそうかい、そうだろうね、お前みたいに人を見下してばっかりの女には、わたしの気持なんかわかんないだろうね。分かってほしくもないがな。だが天子」

 魔理沙が強く拳を握りしめたので、天子は一瞬殴られるのかと思った。だが目の前の魔法使いは、殴る代わりに指を突き付け、拳の代わりに叫び声を叩きつけてくる。

「わたしはなあ、うそつきだ泥棒だと大層評判の悪い女だが、無抵抗のダチを面白がってブン殴れるほど腐っちゃいないんだよ。よく覚えとけ。次にもう一回同じこと言いやがったら、お前とは今後一切口を利いてやらんからな!」

 そう言って、呆然とする天子を残し、荒々しい足取りで家の中に入っていく。かと思ったら、またすぐに出てきた。もはや天子の方など一瞥もせずに、箒に跨って空に飛び上がろうとする。

「ちょ、ちょっと、どこ行くのよ」
「うるさいな、お前みたいな奴のそばには一秒だっていたくないんだよ」

 その言葉が、天子の胸に深く深く突き刺さった。

「……そんな」

 情けない声が口から漏れる。もう飛びあがりかけていた魔理沙が、動きを止めて肩越しに振り返った。こちらの顔を見て、後悔するように眉をひそめる。

「……別に、謝れとは言わないさ。今日のことで、まあ、お前の性癖はとりあえず分かったつもりだからさ。お前がさっきみたいなこと言わなけりゃ、今後も同じ付き合いを続けていけるだろうよ。プレイにわたしを巻き込むのは正直勘弁してほしいけど。ああ、あと」

 表情に少しだけ心配そうな色が混じる。

「お前、太陽の畑だけには近づくなよ。絶対にな」

 じゃあな、と言い残し、魔法使いが大空に飛び上がる。
 凄まじい速度で遠ざかり、小さくなっていくその背中を見つめながら、天子はぎゅっと胸を押さえる。

「……なによ。結局わたしのこと誤解したままじゃない。それに」

 先ほどの魔理沙の言葉を頭の中で反芻しながら、強く唇を噛む。

「……ダチっていったいなんなのよ。意味分かんない」

 地上人の俗語は本当に難しい、と天子は肩を落とした。



 魔理沙に嫌われたことで大変なショックを受けた天子だったが、まだ希望を捨てはしなかった。魔法の森には、もう一人友達がいるのだ。

(アリス……そう、アリスならきっと、魔理沙よりも冷静にわたしのことを見てくれるはず)

 そもそも、魔理沙は最初から自分をドMだと決めつけていたのだ。それよりは「失礼よ」などと言ってくれていたアリスの方が、まだ誤解を解いてくれる可能性が大きい。
 自分にそう言い聞かせながら、天子はアリスの家にやってきた。魔理沙の家よりはずっと大きく、外装の色遣いも鮮やかだ。そのせいでこの薄暗い森の中では少々浮いて見えるが。

(あ、お人形さんが飾ってある……)

 窓際、閉められたカーテンの外に並んで座っている人形たちに、自然と目が引きつけられる。どの人形も可愛らしいデザインの服を着せられていて、見ていて少しも飽きない。
 以前から、アリスが神社で修繕したり服を縫ってやったりしている人形のことがちょっと気になっていたのだ。遠目に見ても非常に出来がよくて可愛らしかったし、天子はこういう洋風のデザインの人形にはあまり縁がなかったので、見ていてとても新鮮である。状況も忘れて、可愛いなあ、とぼんやり眺め続ける。

(誤解が解けてもっと仲良くなれれば、わたしもお人形さん作ってもらえるかも)

 どきどきしながらそんなことを考えていたら、不意にカーテンが開け放たれた。予想外の事態に固まってしまう天子の前で、窓際に現れたアリスが首を傾げる。彼女は窓を開けながら声をかけてきた。

「天子じゃない。どうしたの、わたしになにか用事?」
「え、ええと、その」

 あまりにも唐突だったもので、用意していた台詞が口から出てこない。そんな天子を見て、アリスはくすりと笑った。

「とりあえず、中へどうぞ。歓迎するわ」

 歓迎するわ、というその言葉が、なんだかとても嬉しかった。



 アリスの家に迎えられた天子は、家主の言葉通りの大歓迎を受けた。客間のテーブルの前に座った天子の周りを、たくさんの人形がふわふわと飛び回り、次々に料理や紅茶を運んでくる。こちらに剣を向けたり急に爆発したりする弾幕ごっこの時と違い、とても幻想的な光景である。絵本か何かの中に迷い込んでしまったような錯覚を覚えるほどだ。

(天界にも、こういう芸をする奴がいれば少しは退屈せずに済みそうなんだけどなあ)

 しみじみと、そう思う。ちなみにアリスはテーブルの向こう側で静かに紅茶を啜っている。こちらの視線に気づいて、愛想よく微笑みかけてきた。

「ごめんなさいね、急だったから、ちょっと準備に時間がかかってるけど」
「あ、ああ、うん、別にいいけど」
「そう。もうちょっと待っててね」

 実際、待たされたのはわずかな時間であった。わたしはほんのちょっとだけ我がままかもしれない、と自覚のある天子ですら、特に文句が浮かばないほど短い間に、山のような料理がテーブル一杯に並べられた。あまりの歓待ぶりに、呆然としてしまうほどである。

「あ、アリス?」
「なに?」
「なんか、やたらと量が多いけど……」

 天子は腿の間に両手を入れてもじもじと身じろぎしながら、上目づかいにアリスを見る。

「もしかして、わたしが来たから特別に、とか」
「そういうわけでもないけど」

 アリスはあっさり言った。

「わたし、ちょっとした理由で、基本的に来客は拒まないようにしてるの。料理と紅茶でもてなすのは、人形繰りのいい訓練になるからね。まあ日々の研鑽っていうか……どうしたの、なんだか残念そうな顔ね」
「別に、なんでもない」

 内心では相当がっかりしていたが、天子は素っ気なく誤魔化す。腹が立ったので、「いただきます」も言わずに料理にがっついた。実に美味なのがまた腹立たしい。

「お味の方はいかがかしら?」
「ま、まあまあね」
「そう。天子はお嬢様だものね、やっぱり口に合わないかしら」
「そう悪くはないけどね」

 大嘘である。実際は夢中になって食べまくっていた。そもそもあまり美味くない天界の桃ばかり食べている身の上、どちらかと言えばこういうまともな料理にありつく機会の方が珍しかったりする。
 そうやってほとんど会話も交わさずに食べ終わる頃には、満足感で自然と「ごちそうさまでした」と手を合わせていた。テーブルの向こうで、アリスが苦笑いを浮かべる。

「健康ねえ」
「なにが?」
「いや、まさか食べきってくれるとは思ってもみなかったから」
「う……ま、まあ、ちょっとした事情があって朝から何も食べてなかったからね」
「ふうん。天人でも食欲ってあるものなのね。本もあまり当てにならないものだわ」

 さして興味もなさそうに言うアリスの周囲では、また人形たちが飛び回って、料理の皿を片づけ始めていた。こちらのティーカップが空になっていると見るや、一体の人形がティーポット片手に飛んでくる。実によく出来た給仕である。料亭を開けそうなぐらいだ。

「それで」
「ん?」

 食後のおやつらしきやたらと甘いクッキーを頬張っていると、アリスが首を傾げながら言った。

「わたしに何の用だったの?」
「何の用って……あ」

 天子はあんぐりと口を開ける。その拍子に食べかけのクッキーがボロボロ零れて、それを人形が拭いてくれるが、さすがにやりすぎだろうと思う。

(いやいや、そんなことはどうでもいい……!)

 なにやってんだわたしは、と天子は内心頭を抱える。美味い料理に騙されて、ついつい当初の目的を忘れてしまった。口元を拭いながら勢いよく立ち上がる。

「アリス!」
「なに?」

 急に立ち上がった天子に少し驚いたように、アリスが目を丸くする。
 段取りが無茶苦茶になってしまったが、ここまで来てしまったもう気にしてはいられない。天子は胸を張って自分を指さした。

「わたしを思い切り引っ叩きなさい!」

 結局、魔理沙のときと同じ方法である。一度失敗しているから少々怖いが、これ以外にはいい方法が全く思い浮かばなかったのだ。

(大丈夫、アリスは割と歓迎してくれるし、魔理沙と違ってわたしの思った通りの反応を返してくれるはず……!)

 それでも、否応なしに胸が高鳴る。
 一方のアリスは、一瞬眉をひそめたあと、なにやら顎に手を添えて沈黙した。無言のまま、表情を変えずに何事かを考え続けているようだ。

(……ど、どうしたんだろう)

 やはりドMだと決めつけられたのだろうか。この変な奴をどう追い払おうかと考えているのだろうか。
 天子が不安になりながら見ていると、アリスはおもむろに、椅子を持ってこちらに歩いてきた。驚く天子の前に椅子を置き、腰掛ける。

「とりあえず、座りなさいよ」
「え、ああ、うん」

 反応が予想外だったため、反論する余裕すらなく天子は慌てて椅子に座り直す。アリスは椅子の上で足を組み、冷静な面持ちでこちらを見つめている。先ほどまでの穏やかな少女とは打って変わった、学者のような表情だった。

「ねえ天子」

 おもむろに静かな声で語りかけられて、天子はびくりと身を震わせる。

「あなたって、寂しがり屋なのよね」
「な」

 絶句する天子の前で、アリスは淡々と語る。

「天人でお嬢様っていう大層な肩書の割に、行動の裏には誰かに甘えたい、構ってほしいという心理が透けて見える。この間の異変だって、やってたことは凄かったけど、結局根本的にはは誰かと遊びたいけど素直にそう言えなかっただけ。案外、一人ぼっちで友達の一人もいないままここまで来たんじゃないの?」

 あまりに的確なことばかり言うものだから、反論することすらできない。

「ど、どうして……っ!」
「自律人形を作ろうって決意してから、心ってものに興味を持ち始めてね……いや違うわね、あなたの場合、凄く分かりやすいから。きっとみんなが知ってることよ。霊夢辺りは微妙だけど」

 アリスはにっこり笑ってそう言いながら、体を伸ばしてこちらの手を握ってきた。柔らく温かい手の平の感触が妙に心地よく、頭が沸騰したように熱くなって、天子はますます何も言えなくなる。

「怒らないでね。別に馬鹿にしているわけじゃないのよ」
「……ほ、本当?」
「ええ本当よ。それで、ね」

 微妙に口調が変わる。

「そういった心理から考えると、あなたがその性癖を持ってしまったのは、仕方がないことなのよ」
「……は?」
「あなたって凄くプライドが高いから、構ってほしいっていう心理をずっと抑圧してきたんじゃない? きっとそれが高じて、周囲に対して極度に高い刺激を求めるようになってしまったのね。ええきっとそう」
「ちょ、ちょっと」
「つまりまあ、今は長い間抑圧されてきた気持ちが解放されて反応が極端になっているだけで、その内ちゃんと真人間に戻れると思う。だから」

 アリスは菩薩の如き優しい笑みを浮かべて、天子の顔を覗き込む。

「諦めずに、がんばりましょうね」
「なにをよ!?」

 天子はアリスの手を振りほどいて立ち上がった。人形遣いが目を瞬く。

「え、どうしたの急に」
「どうしたのじゃないでしょ! なによ、あんたも結局わたしのことドMだと思ってるんじゃない!」
「違うの? 引っ叩いてほしいなんて言うから、わたしはてっきり」
「そういう意味じゃないっての!」
「ええと、じゃあどういう」

 すっかり困惑した様子のアリスを見ていると、天子は無性に悲しくなってきた。

「なによ、あんたはわたしのこと分かってくれると思ったのに。結局わたしのこと変な奴だと思って馬鹿にしてたのね。親切な振りしてわたしを引きとめて、ずっと心の中で笑うつもりだったんだ。やっぱり不良天人なんてこんなもんなんだって」
「天子? あなた何を……」
「うるさい、話しかけるな!」

 情動に任せて怒鳴りつけ、天子は家の外に飛び出した。日が落ちかけている空に向って、逃げるように飛び出す。

「待って、天子!」

 アリスの声が背後から追いかけてきたが、振り向くつもりはなかった。止まることなく、ただひたすら速度を上げる。

「ごめんね……そんなつもりじゃ……太陽の畑……近づかないで……」

 途切れ途切れに届く叫び声が、やけに耳に痛かった。



 苛立ち紛れに飛び回り、すっかり日も落ちかけた頃になって、天子はようやく地に降り立った。どこをどう飛んだものか、ここがどこなのか。気付くと、周囲は一面の向日葵畑である。

(……なにやってんだろ、わたし)

 溜息をつき、花畑の真ん中で座り込む。気分が落ち込み過ぎていて、天界に帰る気にはとてもなれなかった。

(どいつも、こいつも)

 魔理沙やアリスの顔を思い出すと、腹が立つと同時に悲しい気分になってくる。
 結局、駄目なのだろうか。地上でも同じなのだろうか。自分は何をしようが不良天人と思われて、笑われるだけなのだろうか。
 気が抜けて力が抜けて、立ちあがることも出来ない。
 そのときふと、誰かの視線を感じた。ぼんやり周囲を見回すが、誰もいない。視界を覆い尽くすほどに密集する向日葵たちの隙間に、人の影は見えない。

(なんだろ、今日はやけに誰かに見られてるように感じるのよね……疲れてるのかな)

 いや、実際疲れてはいるのだ。あれだけやって、結局上手くいかなかったのだから。

(……こんなところにいても仕方がないか)

 億劫だったが、天子は何とか立ち上がった。ふと、正面に一際大きな向日葵があるのに気がつく。大きく花弁を広げて堂々と天を仰ぐその姿は、まるで太陽のようだ。そう思ったとき、太陽の畑という単語が脳裏に蘇ってきた。

(ああ、あれってここのことだったのか。二人はなんか、ここには近づくなとか言ってたけど)

 ふと、目の前の向日葵の黄色い花弁が、魔理沙とアリスの髪の色と重なった。天子は顔を歪めて、衝動的に足を振りぬく。大きな向日葵の茎がぽっきりと折れた。二人の髪と同じ色の花弁が、無残に地面に散らばる。

(フン、いい気味だわ)

 やつ当たりの対象を見つけた、と思う。花を折ったって大して面白くもないが、二人の髪に見立ててたくさん向日葵を蹴散らせば、少しは気が晴れるかもしれない。
 そう思って拳の骨を鳴らした瞬間、なぜか背筋に寒気が走った。

(な、なに?)

 背後に、何かいる。生命の危機を感じさせるほどに、途轍もなく危険な何かが。
 これほど凄まじい悪寒を覚えたのは、先の異変で簀巻きにされた挙句、ゆっくり近づく列車の進路に寝かされたとき以来である。
 振り向くべきなのに、振り向くことができない。頬を汗が流れ落ち、喉がからからに乾く。
 呼吸するのも忘れて硬直する天子の肩を、その何かがポンポンと叩いた。

「こんばんは」

 愛想のいい声である。だというのに、何故か死神の呼び声に聞こえる。
 否、この声は、死神などよりもよほど恐ろしい。

「どうしたの。最近話題の天人様は、地上の妖怪には挨拶も返して下さらないのかしら」

 くすくすと笑う声が、不意にぴたりと止まる。

「振り向け」

 命令である。普段の天子ならば、「このわたしに命令するつもり!?」と反発の一つでもしてみせようかという、疑いようもない命令口調だった。
 だというのに、彼女は素直に従っていた。震える足をもつれさせながら、ゆっくりと振り返る。
 黄昏の光に沈む太陽の畑の中で、日傘を差したその女の赤い服が、やけに鮮明に浮かび上がっていた。唇が裂けているような凄絶な微笑みは、空よりも深く、夕陽よりも赤い。

「あら、思ったよりも可愛い顔してるじゃない、あなた。いい声で啼きそうだわ」

 笑う女の静かな声を聞きながら、ああ、と天子は心の中で吐息を漏らす。

「ところで、わたし、常々思っているのよ」

 この女の気質を天気にしたら。

「お花を大事にしない奴は、死ぬべきなんだって」

 きっと、血の雨だろう、と。
 こうして、天子の長い長い絶叫が、夕闇の風に乗って向日葵畑を駆け巡ることとなった。



「いたいよう、いたいよう」

 宵闇に包まれた博麗神社の鳥居の下で膝を抱え、天子は一人しくしく泣いていた。体の至るところが擦り傷と切り傷だらけで、泣き声を堪えられないほどに酷く痛む。どの傷も痛みが増すように狙ってつけられたかのようで、ほとんど拷問だった。実際、あの女に向かっていっそ殺してくれと懇願してしまったほどである。もちろん聞き入れられなかったが。
 その凄まじい拷問の途中、太陽の畑のどこかから突如として霊弾が飛んできて、あの女が一瞬怯んだ。その一瞬の隙を突いて、必死に逃げ出して来たのである。あの女は天人である天子にも勝てないほどの凄まじい膂力の持ち主だったが、幸い飛ぶのはそれほど早くなかったので、なんとか逃げおおせることが出来たのだ。

「いたいよう、いたいよう」

 とは言え、気分は最悪である。傷は痛むしお気に入りの服もブーツもボロボロで、おそらく修復は不可能。疲労のせいで立つこともかなわず、泣いていても誰も助けに来てくれない。こんなひどい状態で、自分は一人ぼっちだ。
 どうしようもなく、惨めな気分だった。

(ほら、見なさい)

 泣きながら、天子は心の中で魔理沙とアリスに向かって恨み事を言う。

(こんなに痛いもん。痛いだけで全然嬉しくないもん。わたし、痛いのを喜ぶような変な奴じゃない。ドMなんかじゃない)

 なのに、誰も分かってくれない。みんな勝手にわたしのことドMだなんて決めつけて、陰でくすくす笑ってる。その内そうすることにも飽きて、わたしのことなんか無視してどこかに行ってしまう。暴れても泣いても、誰も気にかけてくれなくなる。
 そんな風に考えると、体と心、両方の痛みがますます酷くなってきた。とても耐えることなどできずに、天子はただただ泣き続ける。

「いたいよう、いたいよう」
「うるっさいわね」

 闇の中から不機嫌そうな声が飛んできた。天子はびくりと身を震わせて、おそるおそる顔を上げる。見ると、社の陰から紅白の巫女が歩み出てきたところだった。

「そしてうざったいわね。今何時だと思ってんの。ったく、あんたの湿っぽい泣き声のせいで、おちおち酒も飲んでられないじゃない」

 愚痴愚痴と一人で罵り声を上げながら、霊夢は遠慮なしにこちらに近づいてくる。天子は慌てて顔を隠した。こんなところを笑われでもしたら、ますます傷が酷くなる。
 ところが霊夢はそんなことなど全く気にした風もない。天子の腕をひっつかみ、驚く彼女を引きずって歩き出す。

「ちょ、ちょっと」

 傷の痛みも忘れて、天子は抗議の声を上げる。霊夢は振り返ってもくれない。

「ちょっと、聞きなさいよ」
「なによ」
「ど、どこ行くのよ」
「母屋。傷の手当てをするのよ」
「誰もそんなこと頼んで」
「うるさいわね」

 引きずられたまま言い募る天子の方など見もせずに、霊夢は吐き捨てるように言う。

「傷が痛くて泣いてんでしょ、あんたは。うちの神社で泣いていい奴は一人もいないのよ。酒がまずくなるったらありゃしない。手当てしてやるからとっとと泣き止みなさい」

 有無を言わさぬ口調に、天子は文句の一つも言えなかった。



 母屋の居間、照明のある場所で見ると、霊夢は既に相当酒を飲んでいるようで、目は据わっているし顔も赤かった。だが、天子の腕に包帯を巻く手つきは意外なほどにしっかりしている。

「なんか、慣れてるのね」
「怪我すること多いからね、癪なことに」

 興味なさげに言いながら、「はい、終わり」と、霊夢が軽く天子の腕を叩く。そこは特に傷が集中している場所だったので、天子は小さく悲鳴を漏らした。薬箱に包帯をしまいながら、巫女がからからと笑う。

「なんだ、案外元気じゃない。いい、次にここの敷地の中で泣いたらぶっ飛ばすからね」

 軽く脅しつけるように言いながら、箪笥に薬箱を収めに行く。包帯だらけになった天子は、そんな自分の体を見下ろしてそっと溜息をつく。本当に、今日一日ロクな目に遭わなかったと思う。

「あーあー、また湿っぽい顔してるし」

 うんざりしたように言いながら、一升瓶を片手に持った霊夢が戻ってきた。もう片方の手にはぐい飲みを二つ持っている。なんだろう、と思っていると、天子のそばにどっかりと腰を下ろした。普段ののん気さとは打って変わった豪快な所作に、ぽかんとしてしまう。そんな天子のことなど気にする様子もなく、霊夢は無言でぐい飲みに酒を注ぎ、勢いよく突き出してきた。

「飲め」
「は」
「いいから飲みなさい。ほら」

 それこそぐいぐい突き出されるぐい飲みを、天子は困惑しながら受け取る。無論、酒など飲みたい気分ではない。むしろ放っておいてくれと言いたいような心境なのだ。
 しかし霊夢は許してくれず、どことなく剣呑な光を宿した目で、じっとりと天子を睨みつける。

「なんで飲まないの。わたしの酒が飲めないっての」
「いや……あなた、ちょっと酔っ払いすぎ」
「あぁ?」
「……飲むわよ。飲めばいいんでしょ、飲めば」

 逃れることを諦めて、天子は少しだけ酒を口に含む。そして飲み込むよりも早くゲホゲホと吐きだした。

「ちょっと、なにやってんの勿体ない!」
「だ、だって!」

 隣で抗議の声を上げる巫女に対して、涙目で文句を言う。

「なにこれ、本当にお酒!? 苦くてまずくて飲めたもんじゃないわよ!」
「わたしの酒が飲めねえってのか!」
「そういうんじゃないってば!」

 どうもこの巫女、相当に出来上がっているようである。先ほどの酷い味が舌から抜けずにけほけほと咳き込む天子を見ながら、「ケッ」と小さく吐き捨てる。

「いやだいやだ、これだから軟弱な天人様は」
「なんですって!?」
「礼儀も知らねえ酒も飲めねえ、これじゃあどこへ行っても爪弾き者ねえ」

 なんて言い草だろう、それでも神職か。大体礼儀も知らないとかお前にだけは言われたくないぞ……と、顔を歪める天子の前で、霊夢はにやにや笑いながら不味い酒を勢いよく煽っている。

「ああ全く、こんなんじゃ馬鹿話の相手にもなりゃしない。魔理沙やアリス相手に飲んだ方がよっぽどマシってもんだわ」

 いちいち癪に触ることを言ってくれる巫女だ。

(あの二人の方がわたしよりマシですって? あんな奴らの方が?)

 昼間の魔理沙やアリスとのやり取りを思い出すと、ふつふつと怒りが湧き上がってくる。天子は手の中のぐい飲みを睨みつけると、一息にその中身を煽った。苦くて不味くてしつこくて熱い、今まで飲んだこともないほど最悪の酒が、天子の喉を滑り落ちて胃の中を蹂躙する。あまりの不味さに吐き気を覚えつつも、天子はにやりと笑って目の前の巫女を睨みつけた。

「ど、どうよ、わたしの方が、あいつらよりもいい飲みっぷりでしょうが」

 巫女もまたにやりと笑い返して、天子のぐい飲みに新たな酒を注ぐ。

「いいわねえ、そうこなくっちゃ。何もかも忘れて、潰れるぐらい飲みなさい」
「へん、舐めないでよね、潰れて醜態晒すのはあんたの方よ」
「あら、なかなか言うじゃない。それじゃあ飲み比べと行きましょうか」
「のぞむところよ」

 二人は同時に杯を煽り、次から次へと相手の杯に酒を注いだ。

「どうよ」
「まだまだ」
「そろそろやめたら」
「あんたこそね」
「ならもう一杯」
「二杯でも、三杯でも」

 そうして、何杯酒を飲んだだろう。気付くと二人とも仰向けに倒れていて、周りには一升瓶が数本も散乱している。

(……頭がくらくら……お腹がぐるぐる……)

 天子は立ち上がろうとして、足をもつれさせてすっ転んだ。そのまま立ち上がれずにいると、同じく寝転がったままの巫女がげらげらと笑う。

「やーい、転んでやんの、ばっかでー」
「うる、さい、わねえ」

 どいつもこいつも馬鹿にしやがって。そう思うと、また悲しみがぶり返してきた。ぐすんぐすんと何度も鼻を啜りあげ、ぼろぼろ涙を零しながらわんわんと泣く。酔っ払っているせいか声を抑える気にもならなかった。

「うあー、また泣いてるー」
「う、うるさいっ、なによ、み、みんなしてわたしを馬鹿にして」
「んー? わたしがいつあんたを馬鹿にしたってー?」
「あんたじゃないわよ、魔理沙とアリスよ」

 ほとんど混濁した意識のまま、天子は呂律の回らない舌で今日一日の不満をぶちまけた。

「……だからね、わたしはそんな変なのじゃないのにね、みんな分かってくれなくてね」
「ふうん、あんたドMじゃないんだ」
「そうよ、全然違うもん。痛いのやだもん」
「そうねえ、いやよねえ、わたしもいやだわー」
「なのに二人ともわたしのこと馬鹿にして」
「んー、でもさー、それは違うんじゃないの?」
「なにがよ」

 横たわったまま姿勢を変えて、隣の巫女の方を向く。大の字に寝転がった霊夢は、赤い顔でじっと天井を見つめていた。

「だってさ、話聞いてると、魔理沙はあんたのこと叩きたくなかっただけだし、アリスはあんたの変なとこ治そうとしただけじゃん。まあそれは誤解だったらしいけど」

 ころり、と霊夢が天子の方を向く。

「普通に大切に扱われてんじゃないの、あんた。それでなんで馬鹿にされてると思うんだか、わたしにゃさっぱり分からない」

 泥酔しているくせに、その瞳は異様に澄んだ光を宿してこちらを見つめている。天子は居心地が悪くなり、霊夢に背中を向けた。

「あ、あんたが物事を単純に捉えすぎなんでしょ」

 拗ねたような声でそう言いながら、しかし天子はよく分からなくなっていた。ひょっとしたら霊夢の言うとおりなのかもしれない、という感情が、酒と一緒に体を温めつつあるように思える。

(そう言えば二人とも、太陽の畑には行くなって言ってたっけ)

 あの赤い女にこれだけ痛めつけられた今なら、あれが危ないから近寄るなという警告だったのだと理解できる。
 では、やはりそうなのだろうか。自分は大切に扱われているのだろうか。

(いやいや、騙されるな天子)

 天子は自分にそう言い聞かせる。

(アリスだって、あんな親切な振りしてわたしのことドMだと思ってたじゃない。結局そうなのよ、言葉でどう取り繕ったって、わたしのこと馬鹿にしてるの。こいつだって、そうよ)

 再び体の向きを変え、天子は霊夢を睨みつける。

(あんだけわたしに好き勝手やられたのに、そんなに怒る風でもないしさ。あれ以来弾幕ごっこにも付き合ってくれないし。今だって親身になってるようでいて、結局ただ適当なこと言ってるだけなのよ。単なる暇つぶしで、わたしのことなんかどうでもいいと思ってるのよ。油断したらすぐ不良天人呼ばわりしたり、無視したりするに決まってるんだから)

 半ば意地になってそう考えていると、霊夢が眉をひそめた。

「なに。なんか言いたいことありげだけど」
「べ、別にっ」
「嘘つけ、そんな唇ムズムズさせちゃってまあ。ここでそういう顔するのは禁止だって言ってるでしょうが。まだ飲み足りないって言うなら新しい酒持ってくるわよ、ん?」

 ほれほれ、と、巫女が足を伸ばして天子の体を蹴っ飛ばしてくる。実に腹立たしくなって、天子はふらつきながら立ち上がった。寝たままの巫女に、ゆらゆらと指を突き付ける。

「あんたのねえ、そういうところが気に入らないのよ!」
「どういうとこ?」
「放っておくんだか構ってくれるんだかさっぱり分かんなくてさあ! わたしのこと馬鹿にしてるんでしょ!」
「してないってば」
「嘘だっ! だって、あんたわたしのこと本気で相手にしてないもん」
「そう? なんで?」
「神社壊してもあんまり怒らなかったし」
「そう言われてもねえ。一回ボコボコにしたし、あんたちゃんと神社直したし。それでいいじゃん」
「その適当な態度が、わたしに対して本気じゃない証拠で」
「わけ分かんない。結局どうしてほしいの、あんたは」

 夢中で喋っている内に、なんだか自分でもよく分からなくなってきた。結局、自分はどうされたいのか、と。そう考えて、混濁した意識の中から浮き上がってきた言葉は、

「わたしのことを思い切り引っ叩きなさい!」

 天子は胸を張って自分の顔を指差した。霊夢がのっそりと起き上がって、ぼりぼりと頭を掻く。

「なに。叩いてほしいって?」
「そうよ。ええと、わたしに対して本気だったら、ちゃんと叩いて叱ってくれるはずで、ね」
「ほうほう。要するに叱ってほしいと」
「そう。なんか多分、そんな感じ」

 割と適当に喋った答えなのに、なぜかしっくり来た。
 満足して何度も頷く天子の耳に、ふと、「よし分かった」という霊夢の声が届く。

「んあ?」

 と、いつの間にか閉じていた目を開いてみると、そこには大きく手を振りかぶる巫女の姿が。
 なにやってんだろ、と考えた途端、左頬に凄まじい衝撃。体がぐるりと一回転し、ふらつく足では支えきれずに、天子は音を立てて畳の上に倒れ伏す。
 そうして仰向けに横たわったままぽかんとしていると、視界に霊夢が現れた。赤い顔で両手を腰にあて、こちらを見下ろしながら、叫ぶ。

「めっ!」

 叫んだあとで、酒臭そうなげっぷを一つ。

「叱るってこんな感じだったっけ」

 首を傾げたあと、「ええと、とにかく」と舌をもつれさせながら言う。

「比那名居天子! あんたは自分勝手で傲慢でどうしようもなく馬鹿で、神社は壊すし天気は滅茶苦茶にするし、今日も今日とて意味の分からんことで暴走するしで、他人に迷惑かけてばっかりいる悪い女だ! だからわたしが叱りました! ちょっとは反省しなさい! 反省したらまあ、許してやろう。みんなも許してくれるわ。うん、たぶん、そういうこと」

 一気にまくし立てたあとにまたげっぷを一つかまして、そのまま仰向けにバタンと倒れる。やがていびきをかき始めた。
 しばらく経って、天子はゆっくりと起き上がった。思い切り張られた頬がひりひりと痛む。だが、不思議と悪い気分ではない。何故だか胸の中が非常にすっきりしている。まるで長年溜まりに溜まっていたものが一気に解き放たれたかのような。

(ああ、ようやく)

 ようやく、わたしもみんなと同じになれたんだ、と。
 何故か、そんな気がした。

「……霊夢」
「んー?」

 声をかけると、巫女は寝言のような返事をよこした。起きているのか寝ているのかもよく分からない彼女に、天子は構わず声をかける。いつもと違って、なんでも素直に言えそうな気がした。

「わたしさ、多分またこういう騒ぎ起こすと思うけど、いい?」
「……よくない。そうなったらまたボコるわよ」
「うんざりするぐらい繰り返すと思うけど」
「そしたらそのたびボコるわよ」
「ホントに、ずっとそうしてくれる? 馬鹿な不良天人だって呆れて、無視したりしない? ちゃんと、わたしが馬鹿やるたびに怒ってくれる? 叱ってくれる?」

 天子がしつこく念入りに問いかけると、霊夢は舌打ち混じりに、面倒くさげに返してきた。

「うるっさいなあ。要はそのたびさっきと同じ風なことすればいいんでしょ、わたしは。難しいことなんかなーんにもありゃしないわよ。やりたきゃ、やれ」

 どうでもいいから静かにしろ、とでも言うように、霊夢は寝転がったままぴらぴらと手を振る。
 天子は無言で立ち上がった。不思議と酔いは醒めている。飛ぶのになんの障害も感じない。
 そうして縁側から立ち上がろうとしたところで、天子はふと振り返った。

「ね、霊夢。また来るね」
「ん。来たけりゃ来れば?」

 いつもと変わらぬその返答が、いつもとは比べ物にならないぐらいに嬉しく感じられる。
 天子は頬の痛みを感じながら、笑って夜空に飛び上がった。



 迷惑な天人が帰ってから、数十分ほど経って。

「あー、全く、お前って奴はホントに考えなしだよな!」
「なによ、あんただって似たようなもんでしょ!?」

 酔いつぶれて寝こけている霊夢の耳に、友人たちが言い争う声が聞こえてくる。

「真人間になれると思う、って、普通そんな言い方するか!? 馬鹿にされてると思われたってしょうがないぜ!」
「そういうあんただって売り言葉に買い言葉で相当酷いこと言ったじゃないの!」
「ええいうるさい、とにかく今は天子を幽香に会わせないこと最優先でだな」
「そうね、あいつの前で『わたしを引っ叩きなさい』なんて言ったらどんなことになるか」
「そうそう……って、なんだこりゃ!?」

 魔理沙の声がすぐ近くから聞こえた。呻きながらうっすら目を開くと、アリスと並んで縁側に立って、呆然とこちらを見ている。

「おいおい霊夢、いくらなんでも飲みすぎだろこれは! それも一人で!」

 一人じゃないっての、と思いながら、霊夢はくすくすと笑う。どうもこの二人、天子が幽香に半殺しにされないかと心配で、今まで飛び回っていた風なのだ。

(友情だか罪悪感だか責任感だか知らないけど、案外律儀な連中よねえ)

 実際にはもう天子はあんなことになっていたのだから、二人の努力はほとんど徒労である。
 お疲れ様、なんて心の中で呟くと、今度は外の方から馬鹿笑いが聞こえてきた。

「ちょっと霊夢、いい笑い話を持ってきたからぜひとも聞いてちょうだいな!」
「ええい、黙れって言ってるでしょうがこのババァ!」
「あんたにだけはババァって言われたくないわ!」

 紫と幽香だ。なにやら言い争いながら、居間に飛び込んでくる。そして、出迎えた魔理沙やアリスと好き勝手に話し始めた。

「あら、ずいぶんな惨状ねえ。今日は三人で飲み会かしら?」
「いや、わたしらが来たときはもうこんなだったぜ」
「へえ。あらやだ、霊夢ったら泥酔してるわね。残念だわぁ、せっかく爆笑面白話を持ってきたのに」
「お、なんだそりゃ、聞かせろよ」
「聞かなくていいわよ、面白くもなんともないんだから」
「それがねえ、このババァったら、石段の下でお花に話しかけてたのよ。『やりすぎちゃったかしら。ねえあなたはどう思う?』なんて」
「うわあ」
「ちょっと、うわあってどういう意味よアリス」
「いや……あの、幽香、一緒に永遠亭に行く?」
「なにその気遣い!? あのねえ、わたしは本当に花と話ができるんだから」
「でも見かけは頭のおかしい女ですわね」
「うるさいわね紫、あんたこそずいぶんとお節介じゃないの」
「あら、なんのことかしら」
「とぼけないでよね。さっきわたしが楽しく天人しばいてるときに、霊弾撃って邪魔したのはあんたでしょうに。どうせそれ以前からあの子のこと見張ってたんでしょ」
「ふうん。あなたにしては勘がいいじゃない」
「どういうつもりよ」
「……ま、あの子もなかなか寂しい子だったみたいだし。いろいろと気を遣って差し上げたのですわ」
「フン、ババァらしい年寄りじみた気遣いね」
「メルヘンババァに言われたくないわね」
「ババァは余計よ!」
「メルヘンはいいっての!?」
「おい幽香、そんなことより天人しばいたってのはどういうことだよ?」
「返答次第ではわたしたちも紫に味方するわよ」
「はっ、上等じゃない、まとめてかかってきなさいよ」

 寝転がったままその会話を聞き、本当に騒がしい連中だなあ、と霊夢は眉をひそめる。そうしてから、少し笑った。

(ほら、見なさい。あんた、割と大事にされてんじゃん)

 背後から弾幕ごっこをしているらしき音が聞こえてくる。
 あんまり酷くなるようだったら起きだして全員しばこう、と思いながら、霊夢はとりあえず、幸せな酩酊感に身をゆだねることにした。



 永江衣玖はちょっとした緊張感と共に、夜の雲の中を飛んでいた。
 昼間、比那名居天子と交わした会話が気になって気になって仕方がなかったのである。
 どうも、あまり上手くやれなかった気がする。ひょっとしたら自分はやっちまったのではないか、というあの疑念が、ずっと胸の中で渦巻き続けているのだ。

(いいえ大丈夫、わたしは空気の読める女。たとえ事態が多少まずい方向に向かっていたとしても、これからの努力で修正は可能なはず……!)

 自分にそう言い聞かせながら、多分地上に向かったのであろう天子を探して、夜の空を飛んでいる。
 衣玖がここまであの我がまま娘のことを気にかけているのには、もちろん理由がある。天子の父である比那名居氏に、娘のことを頼まれたからだ。

 ――わたしも不良天人と呼ばれて馬鹿にされるのが癪で、それを跳ね除けようと努力するあまり、あまり家庭のことを顧みませんでしたからな。天子にはずいぶんと寂しい想いをさせてしまいましたが、今更わたしが何をしようと、あの子を傷つけるだけでしょう。
 ――今回の異変で、地上人の知り合いが何人か出来たようです。あの子には新しい友達と何の気兼ねもなく遊んでほしい。あの子があんな風になってしまったのはわたしの責任なのです。だから、今回の異変を起こした罰は全てわたしが受けます。

 異変のあとにちょっとした機会があって面会した時、比那名居氏はそんな風に言っていた。
 はたして彼の態度が親として正しいのか否かは分からないが、娘の幸せを願うその気持ちは本物であると、衣玖は思った。だから、「ならば総領娘様のことはわたしが見守りましょう」と、胸を叩いて請け負ったのだが。

(空気を読んだつもりが、こんな体たらくでは……あの方に申し訳が立ちません)

 なんとしてでも天子を正しい道に導かなければ……そんな風に考えたとき、衣玖はふと眉をひそめる。
 月の夜空を、こちらに向かって昇って来る人影が見えたのだ。

(総領娘様!)

 彼女の無事な姿を見て、衣玖はほっと安堵の息をつきかける。だが、天子の姿が近づくにつれて、その顔からは徐々に血の気が引いていった。
 天子は何やらボロボロであった。服はところどころ破けているし、全身のいたるところに血の滲んだ包帯を巻いている。大怪我をしていると見て間違いない。
 だと言うのに、表情は異様なまでに穏やかだった。というか、赤く腫れた頬を押さえて幸せそうににやにやしている。

(まさか、まさか……!)

 衣玖は焦りながら、天子の前まで降りていく。間近で見ると、彼女の怪我の酷さと顔に漂う幸福感との噛み合わなさが、より一層際立つようであった。

「あら、衣玖じゃない」

 こちらに気づいてにっこり笑う天子の声音も、やはり幸せそうである。衣玖はごくりと唾を飲み込み、ふるえる声で問いかける。

「あ、あの、総領娘様……そのお怪我は……」
「え? あ、ああ、これは、ちょっとね」

 照れたように誤魔化したあとで、天子は「それより聞いて!」と嬉しそうに言う。

「わたし、よく分かったわ。叩いてくれる人がいるって、とても素晴らしいことなのね!」
「は」
「叩かれるのが嬉しいっていう気持ち、理解できた気がする。だからね、衣玖」

 童女のように無垢な笑みを浮かべながら、天子は心底幸せそうに腕を広げた。

「わたしやっぱりドMだったみたい!」

 その、どこまでも純粋な告白を聞いて。

「やっちまったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 叫んだ衣玖は大回転しながら地上に向かって落ちていき、方々に雷を撒き散らして「空気読め」と人妖多数にしばかれることとなったのである。



 翌日、天子は玄関で新しいブーツを履いていた。怪我はもうすっかり治っている。不良だろうが天人は天人、治癒力は地上人とは比べ物にならないのである。

(さーて、どうしようかな。まずは魔理沙やアリスに謝らないと。ま、素直に謝れるかどうかは分かんないけど、別にどうでもいいか。あ、そうだ、お詫びにみんなを正式に天界に招待するってのはどうかな。雲の上で派手に弾幕ごっこやって、澄まし顔の天人どもを吃驚させる、とか、面白いかも)

 そんな風にあれこれと空想を楽しんでいると、また後ろから声をかけられた。

「あのう、お嬢様」

 振り返ると、あの召使がいる。今日も不安そうな顔で、こちらを見ていた。

「なに」
「どこかへお出かけですか」
「見れば分かるでしょ」

 苦笑しながら天子が言うと、召使は不思議そうな顔をする。いつもよりもこちらの機嫌がいいことに、気が付いているのかもしれない。そう思ってみると、「こいつもわたしのこと心配してくれてるのかなあ」と、今更ながらに気づかされる。だから、

「別に、心配しなくていいわよ」

 最大限声音が優しくなるように努めながら、天子は言う。

「比那名居の我がまま娘は、あんたが止められるような大人しいお嬢さんじゃないのよ。なんせ不良天人ですからね、誰が何言ったって好き勝手に行動するの。だから、わたしを止められなかったからって怒られても、堂々としてればいいのよ。大体にして、別に前みたいな異変起こしに行くわけじゃないし。だからあんたも、そんな風に縮こまらなくてもいいのよ」

 意外なほど、すらすらと言葉が出た。その事実がなんだか嬉しくて、天子はにっこりと笑う。
 召使はしばらく信じられないことが起きたかのようにぽかんとしていたが、やがて少しぎこちなく、だが確かにうれしそうに微笑んだ。

「そうでございますか。ところで、お嬢様」
「なに」
「今日は、どちらへお出かけですか」
「そんなの、決まってるじゃない」

 ブーツを履き終わり、勢いよく立ちながら、天子ははっきりと宣言する。

「友達のところ、よ」

 召使もまた穏やかに目を細めて笑い返し、深々と頭を下げる。

「お気をつけて、行ってらっしゃいませ」
「うん、行ってきます」

 召使に軽く手を振り、天子は軽やかな足取りで比那名居邸を出た。



「不良天人め」

 甘い匂いと陽気な歌に混じって、その声は確かに天子の耳に届いた。
 声の方向に向かってくるりと振り向き、誰がさっきの暴言を吐いたのか、即座に見極める。一段の右端、碁を打っている男。
 天子は無言で霊弾を作り、男の方に放ってやった。碁盤が弾け飛び、歌が悲鳴に変わる。

「な、なにをするんだ!?」

 情けない悲鳴を上げる先ほどの男に向かって、天子は優雅に微笑みかけた。

「あら、ごめんなさいね、お手玉をするつもりだったんですけれど、手元が狂ってしまったみたい。寛大な心でお許しくださいね、欲を捨てた偉大なる天人様。なにせ私、育ちの悪い不良天人でございますから」

 すらすらと淀みなく言って、呆然としている天人の一団に一礼。そのまま、迷うことなく走りだす。
 天界の雲の端から地上に向かって飛び降り、激しい風を身に受けながら、天子はなんの気兼ねもなく笑う。
 もはや不良天人であることを恥じる必要はなくなったのだと、素直に思えた。



 <了>

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