スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

【東方SS】幻想人類覚悟のススメ

2008/12/14に東方創想話に投稿したSSです。
『幻想人類覚悟のススメ』



「やぁ、釣れてる?」

 驚きながら振り向くと、少し離れた木の陰に、見知らぬ女の子が立っていた。蝉の鳴き声と川のせせらぎが涼しげに入り混じる、ある夏の日の川岸でのことだ。
 黒い髪を肩の辺りで切り揃えたその女の子は、赤い瞳を悪戯っぽく、妖しげに細めながら、軽い足取りで僕の座っている岩まで歩いてきた。釣り糸を垂らしたまま固まっている僕の隣にペタンと座り込み、魚籠の中を覗きながらにっこりと笑いかけてくる。

「うん、なかなかいい釣果だね。一匹もらってもいい?」
「ど、どうぞ」

 少しどもってしまった。女の子は「ありがと」と軽くお礼を言って、まだ魚籠の中でびちびちと体をばたつかせている魚を一匹摘んだ。剣のように鋭い歯がずらりと並ぶ口をあんぐり開けて、生きたままの魚を放り込む。上機嫌に目尻を下げながら何度も何度も顎を上下させ、物騒な音を立てながら魚一匹生のままで丸ごと平らげてしまった。
 その豪快な食いっぷりを見て、僕は背筋の震えと共に確信する。
 ああ、この子は妖怪だ、と。

「さて、魚をもらったお礼に、いいことを教えてあげよっか」

 女の子は舌なめずりをしながら、僕に向かって片目を瞑って見せた。

「この辺はね、人間が入ってきちゃあいけないところなんだよ。わたしみたいなのがたっくさんいるからね」
「君みたいなの、というと」
「またまた、分かってるくせに」

 少女は鋭い歯を見せつけるように、にやりと笑ってみせる。僕はみっともないほど震えながら、ぎゅっと目を細めて問いかけた。

「ぼ、僕を食べるの?」
「まさか」

 女の子はあっさりそう言いながら肩をすくめた。

「この世界で生きてる人間だったら、大結界のことは知ってるでしょ? もうずーっと昔から、たとえわたしみたいな人喰い妖怪と言えども、そうおいそれと人里の人間を喰らっちゃいけない決まりになってるんだ。もちろんわたしも、君を食べるつもりはないよ。妖怪の賢者様に怒られたくないからね」
「そうなんだ」
「だけど」

 僕がほっと息を吐くと、女の子はそれに被せるようにして言った。

「食べちゃいけないってのは、必ずしも君たちの身の安全が保障されているって意味ではないんだ。だってそうだろう、こっちが全く手出し出来ないとなると、君たち人間はわたしたちの領域にずかずかと踏み込んでくるかもしれない。昔っから人間ってやつは傲慢な生き物だからね。だから、ちょいと手荒な手段で追い返すことぐらいは認められているんだよ」
「手荒な手段、っていうと」
「そうだね、たとえば」

 突然、女の子が僕の方に手を伸ばしてきた。驚く間もなく釣竿を取り上げられたかと思うと、急に視界一杯に夏の青空が広がった。持ち上げられたのだ、と気づいたときにはもう放り投げられていて、次の瞬間僕の体は水の中にあった。無我夢中で手足をばたつかせて、なんとか川面から顔を突き出す。ぜいぜいと息をしながらふと冷静になって見てみると、川は僕が溺れるほど深くはなかった。

「まあ、こんな具合かな」

 岩の上で、女の子が笑っていた。腰に両手を当てている。僕よりも細っこくて白い腕のどこにあんな怪力が宿っているのか、見当もつかない。

「そういうわけだから」

 女の子はしゃがみ込むと、赤い目を細くして僕を見つめた。さっきよりも低い声で、脅しつけるように言う。

「さっさと帰った方がいいよ。のん気に釣り糸なんか垂らしてたぐらいだ、何か目的や信念があってここに入り込んだんじゃないんだろう?」

 僕は頷いて、

「いつものところで一匹も釣れなかったから、たまには場所を変えてみようかなあと思ったんだよ。ここが君の縄張りだったなんて、全然知らなかった。ごめん」

 軽く頭を下げると、女の子は怪訝そうに片眉を傾げた。

「別に、そこまで細かい事情は聞いてないんだけど」
「あ、ごめん」
「なんで謝るのかな」

 変な奴、とでも言いたげな口調。僕の頬が熱くなった、と思ったら、急にくしゃみが出た。体が小刻みに震えてくる。

「ああ、さっさと上がった方がいいね。人間は弱っちいから、風邪で死んだりするんだろう?」
「最近はそうでもないよ。里に凄く腕のいい美人のお医者さんが現れて」
「聞いてないってば」
「あ、ごめん」
「だから」

 言いかけた女の子が、口元に手を添えてクスクスと笑った。

「変な奴だね、君は。さっきあんなことされたのに、わたしが怖くないの?」

 顔が裂けたような笑みを浮かべて、女の子が鋭い歯をギラリと見せびらかす。その気になれば僕の肉や骨なんか、魚よりも簡単に噛み砕けそうだ。見ているだけで、水の冷たさとは別の理由で体が震えてくる。
 女の子が歯を引っ込めて満足げに頷いた。

「そうそう、それでいいんだよ。ま、今みたいにおっかない目に遭いたくなけりゃ、もう二度とこの辺には近づかないことだね」

 挨拶も残さず、女の子はくるりと身を翻した。僕は慌てて岩によじ登って、今にも森の中に消えそうになっている背中に向かって叫ぶ。

「待って!」

 女の子は眉根を寄せて振り返った。

「なに」
「あ、あのさ」

 ごくりと唾を飲み込んでから、僕は問いかけた。

「やっぱり、君も食べたこと、あるの?」

 何が、とは言わない。女の子の方も言わなくても分かったらしく、背筋がぞっとするような微笑みを浮かべた。

「もちろん、あるよ。よぼよぼの爺さんから、君みたいな子供までね。そうそう、子供はおいしいんだよ。お肉が柔らかいから。量が少ないのが難点だけどねえ」

 その肉の味を思い出しているようにうっとりと目尻を垂れさせたあとで、女の子は値踏みするような目で僕の体を眺めた。

「本当言うとね、今も我慢してるんだよ。君がとってもおいしそうだから」
「そ、そうなんだ」
「分かったら、早く行きなよ。あんまりわたしのそばにいると、大結界のことなんか忘れてあっという間に君を一飲みにしちまうかもしれない」

 僕が動かずにいると、女の子は舌打ちした。

「ひょっとして、ただの脅しだとでも思ってる? こっちもそんなに暇じゃないんだ、なんなら手足の一本ぐらいもぎ取ってあげようか」

 女の子が目を吊り上げながらこっちに一歩踏み出したので、僕は慌てて釣竿と魚籠をひっつかんで、一目散に駆け出した。家に帰るまで、一度も振り返らなかった。



「ただいま」

 息を切らして家に駆け込むと、土間でノミを振るっていた父ちゃんが驚いたように振り返った。

「おう、どうした、そんな慌てて」
「妖怪に、会った」

 息も絶え絶えにそう言うと、父ちゃんは目を丸くした。

「ほう。人を食う奴か」
「うん。歯が凄く尖ってて、魚を一飲みにしちゃった」

 そう言うと、父ちゃんは酷く慌てた様子で立ち上がった。

「じゃあ今日の晩飯はどうなるんだ!」
「あ、大丈夫だよ。食べられたのは一匹だけだったから」

 魚籠を土間に放り出す。夢中で走りながらも一応気をつけていたので、中身は一匹も零れていない。父ちゃんは魚籠を覗き込んで、嬉しそうに笑った。

「おう、なかなかいい釣果じゃないか。これなら今日の晩飯は腹いっぱい食べられるな」

 父ちゃんはぺろりと舌なめずりをする。その仕草であの女の子のことを思い出してしまって、ぶるっと体が震えた。

「しっかしお前よぉ」

 父ちゃんが顎の髭を撫でながら首を傾げる。

「なんだって、妖怪になんか会っちまったんだ? あの辺りに昼間っから妖怪が出るなんざ、聞いたこともねえぞ」
「ああ、それがさ」

 僕が事情を説明すると、父ちゃんは目を吊り上げて怒鳴った。

「馬鹿野郎! 一人であんまり遠くに行っちゃいけねえって、いつも口を酸っぱくして言ってるだろうが!」
「ごめん、父ちゃん」

 僕が手を合わせて素直に謝ると、それ以上怒る気をなくしたようで、父ちゃんは呆れたように溜息をついた。

「全く……まあ無事に戻ってきたからいいけどよ。怪我とかしてねえよな?」
「うん。それは大丈夫。ちょっと濡れたけど」

 夏の日差しの下を全速力で走ってきたので、服はもうだいぶ乾いていた。代わりに汗が酷くて体中が気持ち悪いけど。

「ふうん。大人しい妖怪だったんだな」
「ううん、おっかなかった。人喰いだって言ってたよ」
「人喰い、ね」

 父ちゃんが目を細めた。僕がじっと見つめると、何も言わずに首を振った。

「まあいいや。とりあえず飯にしよう。無事のご帰還を祝って、な」

 魚籠を拾い上げた父ちゃんが、僕に背中を向けて竈へ向かっていく。僕のとは比べ物にならないぐらい太い二の腕には、ずっと昔に何かに噛まれたような歯型が残っていた。
 僕は黙って窓の外を見る。もう日が落ちかけて、辺り一面夕陽の色に染まっていた。
 寺子屋の慧音先生によると、こういう時間のことを逢魔が時とか言うらしい。昼と夜の中間に位置する、隙間とでも言うべき時間帯。人間が出先から帰り際、妖怪に出会いやすい時間だそうだ。
 今あの辺に行ったら妖怪だらけなのかな、と僕はちょっと考えてみたりした。



 次の日、僕は野菜の一杯入った籠を抱えて、昨日来た川岸の辺りを歩いていた。今は昼間で太陽も中天にあるのだけど、あんなことがあったばかりだからやっぱり少々怖い。びくびくしながら歩いていると、横手にある繁みでがさがさと音がした。反射的にそっちの方を見ると、可愛い野兎がぴょこんと顔を出した。僕はほっと息をつく。

「ああ、びっくりした」
「びっくりした、じゃないよ」

 背後で急に声がしたので、僕は悲鳴を上げて振り返る。その拍子に足がもつれて尻もちをついてしまった。痛みに顔をしかめながらも上を見上げると、昨日会った女の子が怒ったような顔をしてこちらを見下ろしている。僕はまたほっと息をついた。

「ああ、よかった」
「ちっともよくない」

 女の子が身を屈めて顔を近づけてくる。赤い瞳は間近で見ると血の色のようだ。

「君、ひょっとして頭の足りない子? 昨日のわたしの話、聞いてなかったの?」
「もちろん聞いてたよ。でも、どうしてもお礼が言いたくって」
「お礼だって?」

 目を丸くする女の子に、僕は笑って野菜の入った籠を突き出した。

「何もせずに僕を返してくれたお礼だよ。それに、警告もしてくれたしさ。父ちゃんに話したら、『お礼言うだけじゃなくてこれも持ってけ』って言われて」
「父ちゃんって」

 女の子は眉をひそめた。

「普通、人喰い妖怪のところに子供を送り出す? 君、ひょっとして要らない子だったりする?」
「ううん、どうかな。父ちゃんが売れない木彫り人形ばっかり作ってるせいで貧乏だから、僕がいなくなったらちょっとは生活楽になると思うけど」
「口減らしってやつか。人間はまだそんなことやってんだね」
「いや、これはそういうんじゃないんだって」

 どう言ったら伝わるのかなあ、と考えていると、女の子は僕の顔をじっと見つめて、深くため息をついた。

「やれやれ、人喰い妖怪もナメられたもんだ。それとも人間が平和ボケしすぎたのかな」
「どっちでもないと思うけど」

 僕が割と真面目にそう言うと、女の子はますます怪訝そうに眉をひそめて、それから首を振った。

「まあいいや。考えてもよく分かんないし。くれるって言うならありがたくもらっておくよ」

 そう言うと、女の子は籠をひったくって、にっこり笑いながら中身の野菜を食べ始めた。食べるというよりは貪ると言った方がいいかもしれない。大根も人参も玉ねぎもごぼうも、生のままで次々と口の中に放り込んでばりばりむしゃむしゃ咀嚼する。見かけは割と普通の女の子っぽいのに、食べる速さはそれこそ妖怪じみていた。妖怪なのだから当たり前かもしれないけど。

「ごちそうさん。おいしかったよ」

 女の子は満足げに口元を拭いながら、籠を返してよこした。僕はそれを受け取りながら、ついつい笑ってしまう。

「なにさ」
「ううん。肉や魚じゃないから文句言われるかと思ってたんだ」
「ああ、そういうこと」

 女の子は納得したように頷いて、肩をすくめた。

「基本的にわたしらは悪食だからねえ。わたしもわたしの友達も、口に入るものならなんだって食べるよ」
「そうなんだ。じゃあ石ころとかも食べられるの?」

 なんでも噛み砕けそうな歯を思い浮かべながら訊くと、女の子は首を横に振った。

「いや、さすがにそれはダメだね。せめて生き物じゃないと。まあ、雑草とか毒キノコ辺りなら余裕だよ。もっとも」

 ぺろっと舌を出しながら、女の子が妖しく笑う。

「当然、一番好きなのは人間だけどね」
「やっぱりそうなんだ」
「そうだよ。だから君も、わたしが満腹な内にさっさと」
「あの、聞きたいんだけど」

 僕が身を乗り出すと、女の子はそれに合わせるように、ちょっと背を反らした。目が丸くなっている。

「な、なに?」
「ええと、その……なにから聞いたらいいのかな」

 いけない、いろいろ質問がありすぎて、頭がゴチャゴチャになっている。ちょっと整理しないと。
 僕が腕組みして一生懸命考えていると、女の子が呆れたようにこちらを見た。

「なんなの、君は」
「いや、だからさ。いろいろ聞きたいんだ、君のこと」
「どうして」
「ええと、その、なんていうんだっけこういうの。学術的探究心、っていうか」

 稗田のあっきゅちゃんの言葉を真似すると、女の子はため息をついた。

「何を背延びして難しい言葉使ってるんだか。要は興味本位でしょ」
「うん。多分、それだ」
「あっさり認めるし」

 女の子は黒髪をがしがしとかきながら、じっとりとした目で僕を見た。

「君さあ、自分のしてることの危うさ、分かってる? 今ならいざ知らず、少し前だったら食べられても誰にも文句言えない状況だよ、これは。それとも大結界の制約があるから大丈夫だって調子に乗ってるの?」
「そういうわけじゃないんだけど」
「それじゃあ一体……まさか」

 女の子は何か異様なものでも見るように、頬を引きつらせた。

「その若さで、可愛い女の子に食べられたいなんて変態的な願望を持っているわけじゃあるまいね」
「ち、違うよ、食べられたいわけじゃないったら!」

 僕が慌てて両手を振ると、女の子はほっと息をついたあと、何かを馬鹿にするように鼻を鳴らした。

「そりゃそうだ、そんな変な奴がいるわけない」

 その呟きは誰に向けられたわけでもなさそうだったのだけど、僕はとりあえず頷いておいた。

「うん、だから僕もそういうんじゃないんだ」
「じゃあどういうのなの」
「ええと、興味本位」
「結局それか」

 女の子はがっくり肩を落としたあと、顎に手を当てて何か考え込み始めた。僕はどきどきしながら女の子の答えを待つ。
 少しして目を開いた女の子は、「しょうがないなあ」とでも言いたげな笑みを浮かべて言った。

「分かった、いいよ。付き合ってあげよう。どうせ暇してたことだしね」
「本当!?」
「ただし、だ」

 女の子の瞳がぎらっと光った。

「人喰い妖怪のわたしと話をしようって以上、それ相応の覚悟はしてもらうよ」
「か、覚悟?」
「もちろん、食われる覚悟さ。できてる?」
「ええと、一応は」
「本当?」

 女の子は鋭く目を細めて、大きく口を開けた。鋭い歯がずらりと並んでいるのが見えて、僕は慌てて両手を振る。

「でも、今食われるのは嫌だなあ」
「君ねえ」
「食われるのは嫌だよ。でも君の話が聞きたいんだ。ね、頼むよ。お腹がすくっていうなら、また野菜でも魚でも持ってくるからさ」
「わがままな奴だね君は」

 女の子はむすっとしてそう言ったあと、僕に背を向けた。僕は慌てて彼女を追いかける。

「ど、どこ行くの?」
「昨日君と会った辺り」
「どうして……ああそうか、魚獲るんだ。凄いなあ、あれだけ食べてもまだ食べられるんだね」
「違うよ」

 女の子が呆れたように言いながら、肩越しに振り返って僕を見た。

「わたしとお喋りしたいんでしょ? だったら景色のいい場所で気持ち良く話そうじゃないかね」

 歓声を上げる僕の前で煩げに顔をしかめたあと、彼女はすたすたと歩き出した。



「で、何が聞きたいの?」

 並んで岩に座ったら、女の子は早速問いかけてきた。と言っても、お喋りを楽しもうっていう雰囲気じゃなくて、「なんでもいいから早く終わらせろ」と言いたげな、面倒くさそうな表情だったけど。
 一方の僕は、歩いている間もいろいろと考えていたのだけれど、やっぱり何から聞いたらいいのかはよく分からなかった。ずっと前から人喰いの妖怪に聞いてみたいと思っていたことはあるのだけれど、その質問は初対面でいきなり訊いても多分意味が伝わらないだろうと思う。
 そんなわけでまた僕が腕を組んで悩んでいると、女の子はまた呆れたようにため息をついた。

「時間はくれたやったつもりだったんだけどね」
「ごめん」
「まあいいさ。さっき言ったとおり、どうせ暇だしね。何が聞きたいんだか知らないけど、ゆっくり考えればいいよ」
「いいの?」
「こっちはそっちと違って、時間はたっぷりあるからね。ああそれとも、人間はそんな悠長に構えてたら、あっという間に老人になっちゃのかな?」

 からかうように唇を吊り上げる女の子の口元から、あの剣のように鋭い歯が何本も顔を覗かせている。人間どころか動物にだってそう多くはないであろう、芸術的なまでの鋭さだ。僕がドキドキしながら見惚れていると、女の子は怪訝そうに眉をひそめた。

「なに?」
「ああいや、凄い歯だなー、と思って」
「歯、っていうと、これ?」

 女の子が唇の両端を指でつまんで思い切り引っ張った。さっきよりもずっと壮観な眺めに、僕はついつい感嘆の息を漏らしてしまった。

「どのぐらい硬いの、これ?」
「そうだねえ、少なくとも君の骨ぐらいなら楽勝だろうね。やってみる?」

 僕がぶんぶん首を振ると、女の子はけらけらと楽しそうに笑った。

「冗談だよ。昨日も言ったろ、取って喰いやしないって。今日は野菜のお礼もあるから尚更さ。と言っても、当然怖いものは怖いよねえ。わたしは人喰い妖怪で、君は人間だもの。ま、仕方のないことさ」

 そう言って顎を上向かせる女の子は、どことなく誇らしげに見える。僕は思い切って問いかけてみた。

「あの、昨日も訊いたんだけど」
「なに」
「君もさ、やっぱり人を食べたことがあるんだよね?」
「そりゃあるよ。見かけはこんなだけど、そこそこ長生きしてる方なんだ」

 あっさりそう答えてくれた女の子の見た目は、今年で11になる僕より、せいぜい4、5歳程度しか年上に見えない。

「長生きって、どのぐらい?」
「君の爺ちゃん婆ちゃんよりはずっと年上だろうね。大結界が張られたところだって見たぐらいだもの」
「本当? 凄いなあ」

 そのときの話も聞かせてもらいたいけれど、今日は別に聞きたいことがあるので我慢しておくことにした。

「それで、さ」

 さすがにこの質問をするのにはかなり勇気がいる。僕は唾を飲み込んで、問いかけた。

「人間って、おいしいの?」
「はあ?」

 女の子が面喰らったような顔をしてから、ちょっと体を引いて僕をじろじろと眺めまわした。

「なんでそんなこと聞くの? まさか君、誰か食べたい女の子がいるからコツを教えてくれとか言うんじゃ」
「違うよ。そんな変態じゃないよ僕は」
「何の力もないくせに人喰い妖怪と並んで話そうって時点で、十分変態だと思うけどね。それで、本当の理由は?」
「興味本位」
「結局それか」
「じゃあ学術的探究心」
「似たようなもんだね」
「それで、どうなの?」

 僕がじいっと見つめると、女の子は困ったように頬をかいたあと、おもむろに顔を背けた。僕に横顔を向けたまま、遠くを見るように目を細めながら答える。

「おいしいよ」

 ぽつりと、呟くような声。

「世界で一番おいしい食べ物だね、人間は。赤ん坊の肉は舌の上でとろけそうなぐらいに柔らかいし、年若い少女の肉は瑞々しくて最高だ。大人の男の肉は硬くて歯応えがあるし、老人の肉だって潤いには欠けるけど噛めば噛むほど味が出てくるからそう捨てたものじゃない。体のどの部分がおいしいかって言ったらわたしたちの間でも意見が分かれるところだね。みんなは大抵太ももとか心臓とかって言うんだけど、わたしは耳たぶが一番好きだな。ちっちゃいけど柔らかくって、口の中でクチャクチャやってるだけで凄く幸せになるんだ。次に好きなのは目玉かなあ。噛み潰すとぷちゅっと中身が出てきてさ、多分君らで言うところの飴玉みたいな感じだと思うよ。これで保存できれば壺の中にでも取っておくんだけど、保存のための薬使っちゃうと味が落ちちゃうからなあ。そんでもって、腐っちまうとこの上なくまずいんだよね。ああそうそう、腐ると言えば、人間の肉って新鮮な内は凄くおいしいんだけど、一度腐り始めるともう食えたもんじゃないんだよ。腐ってからがおいしいっていうゲテモノ食いもいるけど、わたしには到底理解できないね。君だってカビが生えたご飯を食べたいとは思わないだろう? 調理方法についても焼いたり煮たりでいろいろあるけど、わたしは生で食べるのが一番おいしいと思うんだよね。と言っても、生きてる内に食べるのはあんまり好きじゃないんだ。悲鳴を聞きながら食べるのが一番美味いから一度試してみろ、なんて言われてやってみたけど、抵抗されて面倒くさかっただけだったし、なによりわたしって静かな環境の方が好きだから、食事のときにうるさくされるとイライラするんだよ。まあそんなわ
けだから、うるさくないようにきちんと殺してから食べるのが一番いい。そうそう、おいしく食べるにはうまく殺す技術も必要なんだよ。あんまり派手にやっちゃうと潰れちまって食べられなくなっちまうし、他の器官と混ぜこぜになっちゃうと途端に不味くなっちゃうところもあるからさ。あとねえ」

 なんてことを、女の子はうっとりした表情でときに涎を垂らしつつ延々と喋り続けた。人間である僕としては聞いていてあまり楽しい話ではないはずなのだけれど、女の子があんまり幸せそうに語るものだから、こっちまでちょっと幸せな気分になってしまった。

「とまあ、こんな感じかな」

 上機嫌に笑いながら、女の子が話を終えた。

「人間のおいしさについて、少しは分かってもらえた?」
「とりあえず、君が人間の肉を食べるのが大好きなんだってことはよく分かったよ」
「まあ人間の肉に限らず、食べ物なら大抵なんでも好きなんだけどね、わたしは。ちなみに」

 女の子は急に目を細めて、じっと僕の体を見つめた。

「こうして改めて見ると、君もそこそこおいしそうに見えるね。ちょっと量が足りなさそうだから、満腹には程遠いだろうけど」

 ああこれは昨日魚籠の中を覗きこんでいたときの父ちゃんと同じ目だなあ、とぼんやり見つめていると、女の子はどことなく機嫌を損ねたように眉根を寄せた。

「なに、その顔は」
「え、ああ、ごめん、ボーッとしてた」
「君ねえ」

 じろり、と女の子が睨みつけてくる。

「君の目の前に人喰い妖怪がいて、君のことおいしそうだって舌舐めずりしてるのに、そのリアクションはないでしょう」
「そうかな」
「そうだよ。さっきの語りだって、君を怖がらせようって考えもちょっとはあったのにさ」

 なんでそこまで僕のこと怖がらせたがるんだろう、とちょっと不思議に思いつつも、僕は笑った。

「うんまあ、確かに怖い状況なのかもしれないけど」
「けど?」
「なんか、君が楽しそうに話してるとこ見たり、こうやって並んで座ってたりしてる内に、慣れたっていうかさ」

 僕がそう言った途端、女の子の赤い瞳が刃物のように鋭く光った。

「図に乗るなよ、人間」

 怖い声だ、と思うと同時に、女の子の姿が消えた。腋の下に何かが差し込まれて、物凄い勢いで体が空中に持ち上げられる。さっきまで座っていたはずの岩が見えないぐらいの高さ。冷たい風に嬲られて、体が震えた。

「状況は分かるよね?」

 すぐ後ろから女の子の声。どうやら彼女は僕を抱えて空中に飛び上がったようだ。
 あまりの高さに目が眩む一方で、羽がなくても飛べるんだなあ、と、頭の隅で妙に冷静に考えたりする。

「ここでわたしが手を離せば、それだけで君は死ぬ。受け止めてくれるものなんて何もなく、地面に激突してペシャンコになるんだ。人喰い妖怪だって食べられないぐらいにグチャグチャさ」

 女の子が冷たい声でせせら笑う。いちいち考えるまでもなく、彼女の言葉は真実だ。僕の歯が激しく震えて情けない音を立て始めた。それを聞いて満足したのか、彼女はゆっくりと降下し始めた。少し経って、僕はさっきの岩に降ろされていた。今更ながら足ががくがくと震え出して、立ちあがることすらできない。

「これで分かったろう」

 女の子が岩の上に立って僕を見下ろしていた。太陽を背に、彼女の顔は陰で黒く塗りつぶされていて、ただ血のような瞳だけが無闇に赤い。

「わたしは人喰い妖怪で、君はただの弱っちい人間だ。持ち上げて落とすだけでも死ぬし、この手で君の腹をぶち抜いてやることだって造作もない」

 細い指先から生えた長く鋭い爪を見せつけるようにしながら、女の子は淡々と言った。

「君は空すら飛べないから怖くなって逃げようと思っても逃げられないだろうし、こんなところじゃあ人里の守護者に助けを求めることもできない。要するに、君が今生きているのはわたしの気まぐれでしかないってこと」

 ゆっくりと腕を組みながら、女の子は蔑むように僕を見下ろした。

「勘違いしないことだね、わたしは君を殺せないんじゃない。殺さないだけなんだから」
「それは、よく分かってる」

 ほとんど反射的にそう答えると、女の子は妙なことを聞いたとでも言うように首を傾げた。少し考えて、肩をすくめる。

「ま、いいか。君もとりあえず、わたしの怖さはよく分かったみたいだし。今後は二度と、さっきみたいな生意気な口を利かないことだね」

 女の子は素っ気なく背を向けた。

「まあわたしも退屈しているし、これからも下らないお喋りぐらいにだったら付き合ってあげてもいいよ。もっともその様じゃあ、もう二度とわたしには会いたくないかもしれないけど。好奇心は猫を殺す、なんてことわざもあるんだ、今後は人里で大人しくしていることだね」

 それじゃ、と背を向けたまま片手をあげて、女の子は去っていった。
 僕はしばらく岩の上に座り込んでガタガタと震えながら、胸に手を当てて心臓の高鳴りを感じていた。



 次の日、僕が木の実やら茸やらを籠一杯に詰めてあの岩に腰かけたら、あの子が呆れた顔でやってきた。

「なにやってんの、君は」
「話に来たんだけど。今忙しい?」
「忙しくはないけどさ」

 あの子は不満げな表情を浮かべて僕の隣に座った。嬉しかったので笑いながら籠を突き出すと、ちらりと中身を見てため息をつく。

「昨日の野菜に比べると、なんとも貧相だね」
「ウチ、貧乏だからね。君が何でも食べられるっていうから、適当に拾って持ってきたんだ。毒茸なんて誰も採らないし、採りたい放題だったよ」
「そうだろうね。まあいただくよ」

 あの子は不機嫌そうな顔で僕から籠をひったくると、急に笑顔になって食べ始めた。無茶苦茶硬い鬼胡桃も、あの鋭い歯の前では焼き菓子か何かのように軽々と砕け散る。毒茸だって全く躊躇せずにぽいぽいと口の中に放り込んでいる。本当に何でも食べられるんだなあ、と僕は感心してしまった。

「ふう、ごちそうさま」

 長い舌を伸ばして口の周りを綺麗にしてから、あの子は籠を突き返してきた。そこまでは上機嫌だったのに、急にはっとしたように不機嫌な顔になった。そっぽを向いて、唇を尖らせる。

「で、いったいなんのつもりなのさ」
「なんのつもりって?」
「昨日あれだけガタガタ震えてたから、わたしの怖さは身に沁みて分かったと思ってたんだけど」
「ああうん、確かに持ち上げられたときは怖かったよ。落とされたら死ぬと思ったし、無事に降ろしてもらってからも体の震えが止まらなかった」
「じゃあなんで来たの?」

 その理由はちょっと子供っぽかったので、僕は照れ隠しに頭をかきながら答えた。

「いやあ、思い出してみると、空にいるとき凄く見晴らしが良かったからさ。あんな高いところから幻想郷を見下ろしたのって初めてで、凄く貴重な体験だったと思うんだよね。それでお礼が言いたくて」
「またお礼か。君はわけのわからん考え方をするね」

 あの子がうんざりしたようにため息をついた。それでも立ち去る様子はなかったので、僕は嬉しくなって彼女に話しかける。

「それで、今日もいろいろと聞きたいことがあるんだけど」
「懲りない奴だね、君も」

 あの子は苦笑いめいたものを浮かべて、諦めたように岩に手を突いた。

「いいよ、どうせ今日も暇だし、付き合ってあげるよ」

 こういうやり取りが僕とあの子にとっての日常となるのに、そう長い時間はかからなかった。



 それから、僕はほとんど毎日のようにあの子のところに通って、気になることをどんどん質問した。

「牧場?」
「そう。僕らも豚や鶏なんかを飼うしさ。妖怪は人間飼ったりしないの?」
「君は人間のくせによくそういう質問ができるね……まあいいけど。答えはノーだ」
「どうして?」
「あんまり効率が良くないんだよ。人間は他の動物に比べると成長するのに時間がかかるし、割と死にやすいし。そもそも妖怪ってのは長寿なくせに気の短い奴らが多いからね。人間を飼ってその成長を見守るのも、隣で誰かが育ててる人間を喰わないように我慢するのも結構大変なんだ。そういうわけで、人間牧場を作ろうって奴はいない。そもそもそんなもの作ってたら速攻で退治されちまうだろうからね。わたしたちだって、博麗の巫女はおっかないのさ」
「巫女様は妖怪退治屋の代表みたいなものだもんね」
「言っとくけど、巫女は特別だよ。君みたいな弱っちい人間なら怖くもなんともない」
「分かってるよ」
「ところでさ」

 あの子はちょっと気味悪げに、僕の顔を見た。

「今の質問の意図は『君に飼われたい』とかそういうアプローチじゃないんだよね?」
「どうして僕を変態にしたがるの、君は」
「だってねえ、そう考えるのが一番理解しやすいからねえ。ああ、それとね」

 あの子は思い出したように付け加えた。

「人間牧場を作らない理由、もう一つあるよ」
「それはなに?」
「そういうところで育てられた人間って、たぶん生まれたときから諦めとかが体の芯まで沁みついちゃってて、あんまりおいしくないと思うんだよね」
「へえ。そういうのでも味が変わるものなんだ」
「もちろん。世の中で一番美味いのは、わたしたちを怖がったり、殺したいほど憎んだりしている人間なんだよ。だから牧場なんか作ったって美味しいお肉は手に入らないから効率が悪い。やっぱり天然物が一番だよ。特に妖怪退治屋の肉ってのは苦労してでも手に入れる価値があるぐらい美味いんだよね。骨の髄までわたしたちへの敵意で満たされてるから」
「ふうん。人間の肉にもいろいろ等級があるんだね」

 僕が感心して言うと、女の子は物欲しげな目でこっちを見た。

「君も毎回散々怖がらせているし、きっとそろそろかなり上質な味になってきていることだろうね」
「そうだろうねえ。この間木に叩きつけられたときは痛くて痛くて本当に死ぬかと思ったもの」
「……君、真面目に怖がる気、ある?」
「もちろん。怖いものは怖いよ」

 僕が正直に答えると、あの子はなんだか釈然としない顔で唇を尖らせていた。



 あの子が語る昔の話は、僕の好奇心とか知識欲みたいなものを大いに刺激してくれた。

「幻想郷の昔の人間は、そりゃあ強かったもんさ」
「へえ、そうなんだ。今の人里にはそんなに強い人はいないと思うけど。ああでも、小兎姫さんとか朝倉の先生とか岡崎教授さんとかは生身で妖怪と張り合ってるって話だったっけ」
「よく分からないけど、たぶんそういう人間が物凄く多かったんだよ、昔は」

 小兎姫さんとか朝倉の先生とか岡崎教授さんとかが溢れかえっている幻想郷を想像したら、ちょっと寒気がしてきた。

「妖怪にとっても大変な環境だったんだね」
「まあね。そういう連中が死に物狂いでこっちに向かってくるわけだし……まあでも、そいつらを返り討ちにして喰ってやったり、監視をかいくぐって人里の人間を攫ったりするのもまた格別に楽しかったけどね。ああ、昔の人間は本当に美味かったよ。わたしたちへの敵意と憎悪と恐怖が肉と骨に沁み込んでるみたいでさ。実に深い味わいだった」

 唇の端から涎を垂らしているあの子を見ていると、昔の人間は本当に美味かったんだなあと、ちょっと感慨深いものがこみ上げてきた。少なくとも、大結界で守られている今の僕らよりはずっと過酷な環境で生きてきたんだろう。そんな中を生き延びた人たちの血が、こんな弱っちい僕の体にも流れているんだと思うと、ちょっと不思議な感じがした。

「また変な顔してる」

 気がつくと、あの子が呆れ顔で僕を見つめていた。

「君のリアクションはいつもおかしいよね。ご先祖様が妖怪に食われたって話をしてるのに、怒ったり悲しんだり怖がったりしないし」
「怖いのは怖いよ。でも怒ったり悲しんだりっていうのは、ないかな」
「薄情だねえ」

 あの子に冷たい人間だと思われるのはちょっと嫌だったけど、僕は黙っていた。怒ったり悲しんだりしないのには、他に理由がある。昔の話だから、とかいうのとは、ちょっと違う理由。でも今話しても上手く伝えられそうになかったから、まだ言わなかった。



 僕は毎回、何かしら食べ物を持ってあの子のところへ通った。
 一度どうしても何も見つからず、仕方がないのでなるたけ美味しそうな雑草をむしって持っていったことがある。
 さすがに怒られた。

「君ねえ、いくらなんでもこれはないんじゃないの」
「やっぱりそうか。ごめんよ、何も見つからなくてさ」
「だったら無理して持って来なくてもいいのに」
「うーん、でも君は食べ物のお礼に僕と喋ってくれてるわけだし、何も持ってこないってのも」

 僕がそう言うと、あの子はたった今その事実を思い出したみたいに目を丸くして、それから無言で雑草で一杯の籠をひったくった。

「え、食べるの?」
「食べるよ。前も言ったろ、雑草だって食べられるってさ」

 そのときも、あの子は笑顔で雑草を食べた。本当に悪食なんだなあ、と感心しながら、僕はいつものように隣に座って、あの子の嬉しそうな顔を眺め続ける。

「ごちそうさま。次はもうちょっとまともなもの持ってきてね」

 あの子に突っ返された籠を手に、僕は深く頷いた。

「でも、雑草っておいしいの?」
「おいしいわけないでしょ。まずいよ」
「その割にはいつもみたいに嬉しそうに食べてたけど」
「たとえまずいものだろうと、わたしは食べるのが好きなの。もちろん、美味いものの方がもっと好きだけどね」

 あの子が唇を舐めながら、遠慮なく僕の体を眺めまわした。怖いなあ、と思いながら、僕は問いかける。

「一番好きなのは人間の肉なんだよね?」
「まあそうだね。それが?」
「なのに大結界が張られてから人を食べられなくなったってことは、一番の好物が食べられなくなったってことじゃないか。みんな我慢できてるの?」
「できるできないじゃなくって、しなくちゃならないからね。今だって我慢してるよ。目の前に美味しそうな人間がいるってのに、食べられないんだもの」
「ごめん」
「そこで謝るのはおかしいって」
「いや、別におかしくはないと思うけど」

 僕が真面目に言うと、あの子は顔をしかめた。

「相変わらず変な奴だね。まあでも、人食に関してならご心配には及ばないよ」
「どうして?」
「妖怪の食糧係ってのがいてね、定期的に配給を受けられる仕組みになってるんだ」
「あ、それそれ、稗田のあっきゅちゃんの幻想郷縁起に書いてあったよ、そういうのがいるって。でもさ、食糧係って、具体的には何を用意してるの? 僕らみたいに野菜とか家畜とか育ててるの?」
「まさか」

 あの子はからかうように笑いながら言った。

「食糧係が提供してくれるのは、人肉だよ。人肉の缶詰だ」
「えっ。だけど、人肉なんてどこで手に入れるの? 人里の人間は襲えないし、牧場もないっていうのに」
「そうだね。まあまた明日教えてやるよ」

 そう言われたので、僕は次の日わくわくしながらあの子のところへ出かけていった。いい話を聞かせてくれそうだったので、頑張って食べ物を用意した。

「はい、どうぞ」
「やあ、今日はずいぶん大量だね。それに、いつもより手の込んだものが多いし……」

 クッキーやら饅頭やらのお菓子の類や、醤油でカリッと焼いた魚や漬物や塩をまぶしたおにぎりやらがたくさん詰まっている籠を覗き込んで、あの子が感心したような顔をしている。僕は笑顔で答えた。

「今日はいつも以上に面白いことを聞かせてくれそうだからさ、張り切っていろいろ作ってきたんだ。稗田のあっきゅちゃんのところの台所借りてね」
「え、これ君が調理したの? 驚いたな、人間の雄は料理なんかしないものだと思ってた」

 あの子の言葉を聞いて、僕は少し不思議に思った。人間の里は妖怪の出入りを禁じているわけではないから、里の中で妖怪を見かけることは珍しくない。里に来ていれば、料亭や食事処のご主人なんかがほとんど男だってことは分かるはずなんだけど。

「君は里に来たことはないの?」
「ないね」
「どうして? 最近は妖怪見かけることも増えてきたけど」
「だってさ、人里って人であふれてるものだろう? そんなところに行ったら」

 あの子がごくりと唾を飲み込む。

「我慢できなくなりそうだから、さ」

 ああやっぱりそうなんだ、と僕が感じ入っていると、あの子は眉をひそめた。

「なに、その顔」
「ああ、ううん。まあともかく、今日も遠慮なく食べてよ」
「うん、いただきます」

 あの子がいつもよりも嬉しそうに籠を受け取ってくれたので、僕も嬉しくなった。食事の早さはいつもより遅い。にこにこ笑いながら一噛み一噛み噛みしめて食べてくれているようで、作った僕としてもありがたい気持ちになる。

「ごちそうさま。ありがとう、美味しかったよ」

 あの子が口元を拭いながら、いつもよりも丁重に籠を返してきた。両手で受取りながら、僕はほっと息をつく。

「満足してもらえてよかったよ。また今度、機会があったら作ってくるね」
「うん、楽しみにしてるよ」

 よほど満足したみたいで、あの子はいつもよりもずっと上機嫌だった。「それで」と、僕ははやる気持ちを抑えながら訊く。

「人肉の缶詰っていうのは」
「ああ、持ってきてるよ。そんな大した代物じゃないけどね」

 あの子はズボンのポケットを漁って、つまらなそうにそれを投げてよこした。両手で包み込めるぐらいの大きさの缶詰だ。缶詰自体は人里でも見かけるけど、さすがに中身が人肉なんてものにはお目にかかったことがない。
 僕が興味津々に缶を見つめていると、あの子は膝に頬杖を突いて苦笑いしていた。

「そんなに面白い?」
「うん、面白い。ここに書いてある『N.KAWASHIRO』ってのはなに?」
「製造者の名前だよ。食糧係ってのは河童なんだ」
「へえ。それで、河童はどこで人間を調達してるの?」

 幻想郷の謎に迫っているような気分でどきどきしながら訊くと、あの子は肩をすくめた。

「さあ。どこだろうね」
「え、君も知らないの?」
「知らない。まあ少なくとも人里の人間ではないことは確かだね」

 そう言いながら、あの子は僕の手から缶を取ると、爪でキコキコ蓋を開けて中身を取り出した。缶の底を指で押し上げて、見慣れない赤い肉の塊を取り出す。一口齧って、顔をしかめた。あまり美味そうな顔じゃなかったから、僕はちょっと驚いた。

「おいしくないの?」
「そういうわけじゃないんだけどね。人間の肉だと思って食べると、どうも違和感がある。よく似せてはいるんだけど、ね」
「似せているってことは」
「うん。多分これは、本物の人間の肉じゃあないね」

 説明しながら、あの子は缶を放り投げた。なんでも開封後に時間が経てば、土や水に還る仕組みになっているらしい。その辺の技術にも凄く興味があったけど、とりあえず今は置いておくことにする。

「本物じゃないってことは、一体なんの肉なの?」
「さあてねえ。ひょっとしたら、肉ですらないのかもしれない。河童の技術力は物凄いんだ、人間の肉に味をよく似せた何かを作り出すことぐらい朝飯前だろうよ」
「あっきゅちゃんは外来人をさらってきてるんじゃないかって言ってたけど」
「うん、これを作ってる連中もそう喧伝してるみたいだ。でも考えてみるとおかしいんだよ。妖怪はよく食うからね。人間一人や二人程度じゃ妖怪全体に行き渡らせるにはとても足りないだろうけど、そう何人も攫ってきてたら外の人間に気づかれるかもしれない。リスクや手間を考えると、外来人攫いはあんまり現実的じゃあないと思うな。わたしには真相は分からないけど。まあもっとも」

 あの子は小さくため息をついた。

「こんな風にあれこれ考えてる奴は、妖怪の中にもあんまりいないけどね」
「どうして?」
「実際味がよく似てるから、誰も疑問に思わないんだよ。そもそも妖怪自体、知的好奇心なんてものはあんまりない手合いが多いからね。楽して食糧を得られるんならそれでいいや、と思っちゃうのさ。大結界構築後に生まれた妖怪の中には、そもそも本物の人間を食ったことがないって奴も大勢いるしね。でも、たくさん人間を喰らってきたわたしみたいなのには分かるんだ。これはどうも、本物の人間の肉とは違うなあって」

 その人肉めいたものをチマチマと齧りながら、あの子は相変わらず顔をしかめている。雑草ですら美味そうに食べるのに。彼女のこんな顔は初めて見た。

「まずいわけではないんだよね?」
「うん。なんていうかね、よく似てるからこそ、どうしようもない違和感で気持ち悪くなってくるんだよ。人間を喰らうってのは、わたしたちにとってはちょっと特別な行為だからね」
「特別って言うと?」

 僕がちょっとどきどきしながら訊くと、あの子は一度口を開きかけてから閉じて、肩をすくめた。

「口では説明できないね。まあともかく、わたしはこれあんまり好きじゃないから、いつもはもらいに行かないんだよ。今日は君が見たいっていうから、わざわざ山の配給所まで行ってもらってきたんだ」
「そうなんだ。あのさ」
「なに」
「それ、僕が食べても大丈夫?」

 あの子の顔がひきつった。

「何それ。カニバリズムってやつ?」
「そういうんじゃないけど。ちょっと、興味があるっていうか」
「変わってるね。まあいいや、食べてみたら」

 あの子に人肉らしきものを手渡される。手の平に乗せたらベチャベチャと湿っぽい感触がして、ちょっと気持ち悪かった。生臭い臭いがしてとてもおいしそうには思えなかったけど、思い切って口をつけてみる。予想に反して、味はそう悪くはなかった。でも脂っぽすぎて、噛んでいると気持ちが悪くなってくる。そういうのを目で訴えたら、あの子は苦笑した。

「不味かったら吐き出してもいいよ。そもそも人間は未調理の肉なんて食べられないんでしょ」

 僕が安心してぺっと噛みかけの肉を吐き出すと、あの子が僕の手の平から肉を奪い取って川に向かって投げ捨てた。

「いいの?」
「いいでしょ。魚の餌だと思っておけば」

 そう言う女の子は満足げだった。

「まあ、人肉の本当の美味しさは人間には理解できないものだろうよ」
「そうだね、よく分かったよ」

 まだ口の中が気持ち悪くて、僕は顔をしかめて舌を出す。あの子がちょっと優しく微笑んだ。初めて見る顔だった。

「あんなのよりだったら、今日君が持ってきた料理の方がよっぽど美味しかったな」
「本当?」
「食べ物に関してお世辞は言わないよ。本当に美味しかった。是非ともまた食べたいね」
「うん、じゃあ頑張って持ってくるよ。貧乏だから毎日は無理だけど」

 相変わらず売れない木彫りを作っている父ちゃんの顔を思い出しながらそう言うと、あの子はますます嬉しそうに眼を細めた。

「楽しみにしてるよ」

 その後は他愛ない話をして別れた。



 こんな風に彼女は大抵友好的だったのだけれど、時には僕を怖がらせることも忘れなかった。
 いつかみたいに後ろから僕を抱えて、木に激突しそうな速度で飛び回ったり、最初会ったときみたいに川に突き落としてみたり。小さな手で頭を鷲掴みにされたときは痛くて痛くてそのまま握りつぶされるんじゃないかと思ったし、腕を握りしめられたときはその後しばらく手の跡が残って消えなかった。
 もちろん僕が不用意な発言をして怒らせてしまったことが原因だったこともあるのだけれど、どちらかと言えば突発的に理由もなく脅しをかけてくるときの方が多かった気がする。

「どうして?」
「境界線を明確にしておくためだよ」

 あの子は淡々と答えた。

「最近スペルカードルールとかのおかげで、昔よりも気軽に人間に近づく手合いが増えてきたけど、わたしはあんまりいいことだとは思えないね」
「そうなんだ」
「わたしたちはあくまでも人喰い妖怪だし、君らは喰われる人間だ。飼い主と家畜でもあるまいし、普通に考えたら、一緒の場所にいるのがおかしいんだよ。君と話してるこの状況だって、わたしにとっては未だに違和感があるぐらいだしね」

 それはちょっと寂しいなあ、と思う僕の前で、あの子は鋭く目を細めた。

「そうさ、こんな狭い世界だからこそ、住み分けは大切だ。昔のように食べたり食べられたり、殺したり殺されたりっていう関係が成り立たなくなった以上、妖怪は人に近づくべきじゃないし、人は妖怪に近づくべきじゃない。当たり前に人を喰ってた時代から考えれば、今の世の中は異常なんだ。どうも、わたしにはついていけそうもない。隣に無防備な人間がいるのに手を出さないなんてね。昔じゃホント、考えられなかった」

 そう言ったきり、あの子は黙って僕を見つめ始めた。頬が少し赤くなっていて、視線がいつもよりも熱っぽい気がする。背筋が震えるのを自覚しながら僕が見つめ返していると、不意にあの子が身を乗り出してきた。

「そうだよ。君みたいなのはね、わたしに食われるのが当然の末路なんだ。なのに、こんなのは、おかしい」

 あの子が僕の肩に手をかけて、ゆっくりと岩の上に押し倒した。間近で見る赤い瞳はギラギラと獣じみた光を放っていて、僕はすっかり参ってしまった。抵抗したって無駄だろうけど、この状況では逃げる気も起きない。まな板の上の鯉ってこんな気分なのかなあと思ったけど、鯉だって生きていれば身をよじって逃げようとするものだろうから、たぶん今の僕は鯉以下なんだろうと思う。
 あの子は僕の両脇に手を突いて、しばらくの間じっとしていた。頬に差した朱の色が深くなり、赤い瞳が泣いているように潤んでいる。酷く興奮しているようで、薄い胸が上下して唇の隙間からは荒い呼気が漏れ出している。その熱っぽい息遣いが、肌で感じられた。
 やがてあの子がおもむろに顔を近づけてきた。僕の首筋から鎖骨にかけて、震える舌をゆっくりと這わせる。初めて味わうその感触はくすぐったくって、僕は状況も忘れて笑いそうになってしまった。でもあの子が舐めるのを止めて僕の喉笛を唇で覆ったときは、さすがに笑えなかった。
 喉笛を噛みちぎられたらさすがに死ぬだろうなあ、と震えながら考えていると、そこになにか硬いものが当たった。あの子が歯を突き立てようとしているのだ、と知って、僕はぎゅっと目を閉じる。覚悟なんてできるはずもない。凄く怖い。でも叫び声をあげたりはせず、ただ待った。
 どのぐらい時間が経ったかはよく分からないけど、あの子は僕からそぅっと体を離した。喰われなかったことに深く安堵しながらゆっくり身を起こすと、あの子は僕に背を向けていた。細い肩が小さく震えているのは気のせいではないと思う。

「味見だよ」

 そう言う声が震えていることに自分でも気づいたらしい。あの子は忌々しげに舌打ちを漏らしたあと、くるりと振り返って僕を見た。顔にはいつもと違うぎこちない笑みが。

「わたしはいつも最初に喉笛を噛みちぎることにしてるんだ。獣みたいでしょ。でもそうするといろいろ都合がいいんだよね。相手は大抵死んじゃうし、生きてても声は出されずに済むし」

 早口で言ったあと、あの子は顔をゆがめて僕に背を向けた。

「味見して分かったけど、君はやっぱりおいしいみたいだね。わたしが食べてきたどの人間よりもさ」

 去っていくその背中は、すっかり意気消沈してしまっているように見えた。僕が何も言えずにいると、彼女は木々の向こうに消える直前で立ち止まって、消え入りそうな声で言った。

「もうわたしには近づかない方がいいよ」

 一方的にそう言い残して、彼女の姿が見えなくなる。
 僕はしばらくその場に座り込んだまま、あの子が消えた木々の向こうをじっと見つめていた。
 今まで僕を怖がらせるとき、あの子が食べる振りだけは絶対にしなかったことに、今更ながら気づかされた。



 一晩中悩みに悩んだ挙句、僕は結局次の日もあの子のところへ行った。こういうことをしているのは父ちゃんにも全部話してあるんだけれど、特に何も言われなかった。相変わらずノミを振るって、いつもと同じ格好の不細工な妖怪の木彫りを彫りながら、「そうか。まあ、まあな」と呟いただけだった。
 時間がなかったので何も用意できず、仕方がないので魚籠と釣竿と釣り餌を持っていった。いつもの岩の上に座って釣り糸を垂らすと、面白いぐらいに釣れた。あの子と最初に会った日も思っていたことだけれど、ここは結構な穴場らしい。
 そうして、待つ。けれどあの子はなかなか現れなかった。実を言うと、僕はちょっとほっとしていた。あの子と会って何を言うべきなのか、よく分からなかったから。
 そうして何時間か過ぎた頃、後ろからかすかな足音と衣擦れの音が聞こえてきた。ちょっとどきどきしながら待っていると、あの子が黙って僕の隣に座った。
 二人とも何も言わないし、お互い相手を見ようともしなかった。燦々と輝く太陽の下、今日は真夏の昼下がり。ふと気づいたけれど、ちょうど会って一年目になるみたいだった。

「うん、なかなかいい釣果だね」

 いつか聞いた科白を、あの子が言った。あのときほどではないけれど少し驚きながら僕が見ると、あの子はぎこちなく微笑みながら魚籠の中を覗きこんでいた。

「一匹もらってもいい?」
「全部どうぞ」
「ありがとう」

 お礼を言って、あの子は魚を一匹つまんだ。あの日みたいに、ずらりと並んだ鋭い歯を見せびらかすようにあんぐりと口を開けて、生きた魚をそのまま放りこむ。嬉しそうに咀嚼して飲み込んで、また次の魚に取り掛かる。彼女が一匹食べるのと同じぐらいのペースで、僕は一匹釣りあげた。爆釣とでも表現すべき釣果だ。

「さすがにお腹いっぱいだよ」

 やがてあの子が言って、口元を拭ったあとで両手を合わせた。

「ごちそうさまでした。おいしかったよ」

 じっと僕を見つめて、

「満腹になっちゃったし、今日はもう何も食べなくていいや。帰るよ」
「また明日ね」
「うん、また明日」

 彼女は穏やかな足取りで歩いていった。僕は駆けまわりたいような気持ちを抑えて、しばらくその場に座っていた。



 こうして、僕らの付き合いはその後も絶えることなく続いた。とは言え、以前に比べると形は少々変わっている。一番大きな変化は、あの川岸以外の場所にも出かけるようになったこと。
 春は花畑であの子が虫や花を食べるところを眺めた。夏は僕が持って行った西瓜を一緒に食べたりした。秋はどの作物が一番おいしいかで楽しく意見を戦わせて、冬は貯蔵している物以外は何も食べられないことに不平を言ったりした。
 そうして景色が移り変わっていく中で、僕の体は少しずつ大きくなっていった。最初はあの子を見上げるぐらいだったけれど、今では追い抜きつつある。というか、たぶんもうすぐ彼女を見下ろすぐらいになるだろう。一方であっちは全く外見が変わらない。こんなところでも、僕らは自分たちが人間と妖怪であることを実感する。
 あの日以来、あの子が僕を食べようとしたことはなかった。たまに、たぶんほとんど無意識に僕に顔を近づけて鼻を鳴らしたり、太くなってきた腕をぎゅっとつまんでから怯えるように手を離したりしていたから、食べる気がなくなったというわけではないんだろうと思う。むしろ僕を食べたいという欲望は日を追うごとに大きくなっていくようで、この間なんか会話の途中で急に黙り込んだと思うと、僕の耳たぶを見つめて涎を垂らしたりしていた。
 そういうことをしてしまったあと、あの子が大抵気まずそうな顔をするので、その内こっちも気をつけるようになった。彼女は食欲の昂りを感じると、顔を赤らめてもじもじしたりやたらと唇を舐めたりとあれこれサインを送ってくるので、そういうとき僕はたとえ唐突でもその日の別れを告げることにしていた。あの子もほっと息をついて別れて、次の日はまたなんでもない風に僕を出迎えてくれる。
 境界線を明確にする、というのがこういうことなのかどうかは、僕にはよく分からない。ただ、付き合っていく上で互いに気を使う必要があるのは、人間同士でも人間と妖怪でもそう変わりはないのだということはよく分かった気がしていた。
 あの日以来、あの子は人喰いに関する話題を避けるようになった。僕もその辺りに関しては聞かないようにしていたので、話題は専ら昔の幻想郷のこととか、あるいは僕が人里で経験した面白い出来事とかに限られていた。それでも僕にとっては十分楽しかったのだけど、あの子はたまに切なそうな顔をしていた。何を悲しんでいたのかはよく分からない。二人の間にタブーが生まれてしまったことかもしれないし、あるいは僕が楽しそうに語る人里に、自分が近づけないことを嘆いていたのかもしれない。ともかく、僕らは表面上上手く付き合っていたのだけれど、そういうぎこちなさのようなものは確実に存在していた。でも互いに離れたくはなかったので、その歪みから無理して目をそらしていた。
 だから、あんなことが起きたのだと思う。



 その日僕は、いつも待ち合わせをしている川岸の岩の上で、夏の日差しを浴びながらうとうととまどろんでいた。昨日、慧音先生のところで夜遅くまで話を聞いていたせいだ。当たり前のことだけど、いかがわしいことをしていたわけではない。幻想郷の歴史についてあれこれと聞いていたのだ。妖怪であるあの子の話と、人間側である慧音先生の話は若干趣が違っていて、同じ話をしていてもずいぶん印象が違うということが多々あった。それが面白くてついつい長居をしてしまったし、慧音先生も積極的に質問する僕にあれこれと教えるのが楽しいらしく、時間がすぎるのも忘れてたくさんの話をしてくれた。寺子屋自体はとうの昔に卒業してしまったのだけれど、僕は今でも慧音先生の生徒だった。
 ともかくそんなわけで、僕は寝不足だった。それでもあの子に会いたかったから無理してここまで来たのだけど、さすがに眠気がひどかったので、あの子がくるまでひと眠りすることにしたのだ。
 まどろみの中で、夢だか思考だか判別しがたい像があれこれと浮かんできた。慧音先生も今頃欠伸を噛み殺して授業をしているんだろうか、とか、急かされてはいるけど父ちゃんの跡を継ぐのはちょっと勘弁だな、とか。
 でも一番良く思い浮かんだのは、言うまでもなくあの子のことだった。姿形は昔と変わらないのだけれど、最近ますます魅力的になって来たように思える。はにかんでいる顔とか拗ねている顔とか、昔は想像も出来なかったいくつもの顔を、頻繁に見るようになったのだ。それらの表情ももちろん魅力的だったけど、僕が一番好きなのは、やっぱりあの子が何か物を食べているところだった。食べ物を食べているときのあの子は本当に幸せそうで、見ているこっちも幸せな気分になってくるから。
 そんなことを考えていると、至福の未来像が浮かんできた。その夢の中で僕はあの子と結婚していて、父ちゃんも交えて人里で暮らしていた。妖怪らしく働いたりはしないあの子に、僕は毎日料理を作る。あの子はそれをいつも嬉しそうに食べてくれる。父ちゃんと並んでノミを振るって、あの子の木彫りを作ったりする僕を見て、また嬉しそうに微笑む。それでたまに、僕の肩を舐めたり首筋に噛みつく振りをしたりして、けらけらと明るく笑ったりする。
 実に理想的な将来像だな、と一人満足していた僕は、ふと右耳の辺りに違和感を覚えた。なにか、生暖かい感じがする。

 ――味見だよ。

 その言葉が急に浮かんできて、頭の中でけたたましく警鐘が鳴り響いた。川底から急浮上するような心地で思い切り目を見開いた瞬間、耳に激痛が走る。それは今まで一度も感じたこともないほど酷い痛みで、目からは勝手に涙があふれ、口からは情けない悲鳴が漏れた。いったい何が、と思いながら右耳に手をやると、ぬるぬるとした血の感触とともに、耳たぶがなくなっていることに気付かされた。ますます痛みが酷くなってきて、涙と悲鳴がますますひどくなる。
 そんな中でも、僕は焦って周囲を見回していた。もちろんあの子を探すためだ。いてほしかったのかいてほしくなかったのか、どちらなのかは自分でもよく分からない。現実には、あの子はいた。僕から少し離れた場所で地面に蹲り、背中を丸めながらくちゃくちゃと何かを噛みしめていた。顔には、今まで一度も見たことがないほど嬉しそうな笑顔。手と口元には血が付いていたけれど、凄く可愛かった。人喰い妖怪、という単語が訳もなく頭に浮かぶ。
 耳たぶなんてそう大きなものでもないだろうに、あの子は長い間大事に味わうように、何度も何度も咀嚼していた。やがてこくんと飲み下し、唇の端から涎を垂らした恍惚とした微笑みを浮かべながらしばらくぼんやりしていた。
 急に、あの子の瞳に理性が戻ってきた。はっとしたように僕を見上げて、それから自分の手元を見下ろす。そこに血がついているのを見て、小さく悲鳴を上げた。

「ちがっ、あの、これはっ……!」

 あの子は焦って何かを言いかけたけれど、何も言えないようだった。僕の方も痛みに耐えるのに必死で、何も考えられない、何も言えない。
 その内彼女は言い訳するのを諦めたようだった。赤い目一杯に涙をためて、今にも泣き出しそうに顔を歪めながら、僕に背を向ける。

「さようなら」

 僕の喉笛に飛びついたあの日ですら口にしなかったその言葉を震える声で絞り出して、彼女は去っていった。
 僕は耳に手を当てたまましばらく立ち尽くしていたが、すぐに踵を返して人里への道を歩きはじめた。耳たぶを噛みちぎられたのだから、早く適切な治療を施さないと、酷いことになるかもしれない。そのせいで病気になったりしては困るのだ。寝ている暇などないのだから。
 こうなった以上、もう今まで通りの関係を続けるわけにはいかないだろう。あの子が本物の人肉の味を思い出してしまったのならば、それは僕の責任だ。かつて妖怪と戦いながら生きていた幻想郷の人間の末裔として、やるべきことをやらなくてはならない。
 果たして上手くやれるだろうか。僕はたとえば巫女様や森に住む魔法使いのように、一種の緊張感を持って妖怪と対峙することには慣れていない。冷静に事を運べる自信は全くなかった。誰かに相談しなければならない。慧音先生はまずいと思ったので、稗田のあっきゅちゃんに相談してみることにした。



 次の日の夜、準備を終えた僕は、父ちゃんに全ての事情を打ち明けた。未だに売れない木彫り師をやっている父ちゃんは、土間に並んだ不細工な妖怪の木彫りを見ながらため息をついた。

「いつかこうなる気はしてたんだがな」

 そう言って、厳しい目で僕を見つめてくる。

「だが俺は止めなかった。お前は頭のいい奴だし、何よりも幻想郷の人間だ。俺たちが果たすべき義務や誓いはきちんと教えこんできたし、自覚もできているはずだ。そうだな?」

 僕は頷き、黙ってあるものを差しだした。それは四角い、お札ぐらいの大きさの薄っぺらい紙包み。そう、これは巫女様の使っている妖怪退治用のお札と大して変わらない大きさだ。今日一日かけて、あっきゅちゃんと一緒に用意したもの。これも妖怪と対峙するために必要なものであると考えれば、あながちお札と大して違いはないかもしれない。
 包みを開いて一通り中身を見終えた父ちゃんは、呆れたようにため息をついた。

「全く遠慮がないな。よくこんなもん用意できたもんだ」
「それだけ僕が本気ってことだよ。こうなった以上は、幻想郷に生きる人間としてきちんとケリをつけなくちゃならない。ひょっとしたら生きては帰れないかもしれないけど」
「当たり前だ、妖怪と向き合おうってんだからな。しっかりやってこい」

 言葉少なにそう言って、父ちゃんは僕に背を向けた。土間に降りて、夜だというのに売れない不細工な妖怪の木彫りを彫り始める。心配だろうに、僕を黙って見送ってくれるらしいのだ。ありがたく思いながら、お札ぐらいの大きさの紙包みを畳み直すと、僕は明日に備えて床についた。



 翌日、僕は高鳴る胸を手で押さえながらあの川岸に向かっていた。あの紙包みも上衣の中に仕舞ってある。服の上から手で押さえているのは、それが確かにそこにあると確認するためでもあり、いつでも取り出せるようにしなければならないからでもあった。あまり考えたくはないことだが、僕を見つけた彼女が理性を失って飛びかかってくることもあり得るから。
 しかし実際にはそんなことはなく、僕は無事、あのいつもの岩のある川岸に辿り着いていた。どこからか啜り泣きが聞こえてくる。見ると、あの子があの岩の上で背を丸めて泣いていた。初めて見る弱々しい姿に、胸が痛くなってくる。

「やぁ、釣れてる?」

 冗談めかして声をかけると、あの子の体がびくりと大きく震えた。信じられないように目を見開いて、凄い勢いでこちらに顔を向けてくる。僕を見つけると、茫然とした表情で呟いた。

「どうして」
「こうして僕がかかってるわけだから、釣れるって表現も割と正しいのかな。ともかくこんにちは。一日ぶりだね」

 できる限り気さくに声をかける。緊張感と先の見えない恐怖とで、頭がおかしくなりそうだった。手が自然と、あの紙包みを服の上から強く強く握りしめる。
 あの子は一瞬それを見てから、強く唇を噛んだ。ごしごしと乱暴に目元を拭ってから、僕に背を向ける。僕は慌てて追いかけた。

「待って」
「いやだ」

 短い返答とともに、彼女の姿が消えた。まずい、逃げられた。もちろん逃がすわけにはいかないから、僕は意を決して木々の中に足を踏み入れる。
 森、と言えば大抵魔法の森を指すのが幻想郷という場所だけれど、小さな雑木林ぐらいなら無数に存在している。川の近くにあるこの林もそういう場所だ。森と呼べるほど深くはないけれど、誰かの姿を見失うぐらいには十分すぎるほどに広く、木々が立ち並んでいる。
 あの子はどこに行ったんだろうか。いつもこっちに向かって歩き去っていたから、この林の中に住んでいるのは間違いないと思うのだけれど。今日中に探し出さなければ、多分逃げられてしまう。
 父ちゃんのときもこんな感じだったんだろうか、と僕はふと考えた。太い二の腕に今でも残っている、何かに噛まれたような歯型を思い出す。父ちゃんも昔、妖怪と仲良くなって、その結果喰われかけて、責任を取ろうとして、でも逃げられてしまった、ということを、ずっと昔に聞かされたことがあった。そして今、息子である僕が同じ轍を踏もうとしている。親子揃ってなんて情けない様だろうか。これでは何も成長していない。
 しかし、焦っても焦っても、あの子の家らしきものは見つからなかった。もう林の中を何往復もしている気がする。妖怪の住居だから、人間に見つからないように上手く隠してあるのかもしれない。
 お手上げか、と思ったとき、僕はふと目の前に立札が立っているのに気がついた。太く赤い矢印が、左の方を指している。先ほどまでは絶対になかったその立札を数秒も見つめたあと、僕はそれに従って歩を進める。誰が何の目的でこんなことをしているのかは知らないが、今となっては他に頼るものがない。
 立札はほかに何枚もあって、実に分かりやすく僕を誘導してくれた。最後の一枚は地面を指していて、僕はそこが終着点であることを知る。うず高く積った落ち葉を払いのけると、木の扉が姿を現した。なるほど、あの子の家は地下にあるらしい。幸運なことに、鍵が開いていたので簡単に扉を持ち上げることが出来た。多分急いで帰ってきて、閉め忘れたのだろう。
 地下に向かって階段が伸びていた。先の方は闇に沈んでいて見えない。僕は深く息を吸い込み、服の上からあの紙包みを握り締めた。ここまで来た以上、もう後戻りはできない。たとえこの命を捨ててでも、幻想郷に生きる人間としての義務を果たさなければ。今一度そう念じて、ゆっくりと階段を下りていく。
 下りた先には小さな部屋が一つあった。割と小奇麗に片づけてあるけど、片隅に見覚えのある缶がうず高く積んである。中身は全て食べつくされていた。不味いと言っていたのにどうしてだろう、と僕が不思議に思っていると、不意に奥にある扉が開いて、両手いっぱいに荷物を抱えたあの子が出てきた。やっぱり急いで引越しの準備をしていたらしい。逃げられる前に会えてよかった、と僕はほっとする。

「なっ、そんな、どうして」

 あの子の方は僕の出現が予想外だったようで、両手一杯に荷物を抱えたまま目を白黒させていた。だが僕が服の上からあの紙包みを押さえながら一歩踏み出すと、赤い目に殺気を漲らせて飛びかかってきた。そのあまりの速さに、僕は何もできずに床に押し倒される。背中を打ちつけて、息が詰まった。
 あの日と同じように、しかしあの日よりもずっと危険な光を赤い瞳に漲らせながら、あの子が僕を見下ろしている。逃がさない、とでも言うように、細い腕が僕の肩を床に押さえつけていた。相変わらず物凄い力で、僕は身じろぎすら出来ない。ただ服の上からあの紙包みを押さえて、彼女の瞳を見上げるしかない。

「君が悪いんだ」

 不意に、あの子が震える声で言った。頬が紅潮し、息が荒くなっている。

「君が悪いんだよ。わたしがあんなに警告したのに、離れてくれないから……!」

 あの子の瞳からぽろぽろ涙が零れ落ちて、僕の頬を濡らした。彼女の泣き顔を見ながら、僕もまた、自分が泣いているような錯覚を覚えていた。
 おもむろに、彼女が歯を剥き出した。僕の骨なんか軽々と噛み砕いてしまうであろう、あの剣のように鋭い歯。数秒後の自分があれに食い散らかされている光景を想像すると、抑えようもなく体が震えてきた。それを見て、あの子が嘲るように笑う。

「怖いの? そりゃそうだよね、わたしは人喰い妖怪で、君は人間だもの。こうなるのが当然なんだよ。今までがおかしかったんだ。これが、正しい形なんだから」

 自分に言い聞かせるような口調で呟きながら、あの子が僕に顔を近づけてくる。口を寄せる場所は僕の唇ではなくて、喉笛だ。彼女の唇と舌の、湿った暖かさを感じる。噛みちぎられたら痛いんだろうなあ、と思いながら、僕はぎゅっと目を閉じる。そして、やがて襲い来るであろう激痛を、震えながらただ待った。
 しかし、痛みはいつまで経ってもやって来ない。やるなら早くしてほしいなあ、と僕が恐怖と共にじれったさを感じ始めたとき、不意にあの子の呟きが聞こえてきた。

「どうして」

 またあの子が泣いているようだったので、僕は驚いて目を開ける。彼女はもう僕から顔を離していて、馬乗りになった態勢のまま悲しげにしゃくり上げていた。拭っても拭っても止まらぬ涙に言葉を詰まらせながら、問いかけてくる。

「どうして、何にもしないの」
「何にも、っていうと」
「君は人喰い妖怪に喰われようとしてるんだよ? 逃げるなり抵抗するなりするのが当然でしょ。怖くないわけでも食われる覚悟が決まってるってわけでもなさそうなのに、なんでただ黙って待ってるの。おかしいよ、そんなの」
「おかしい、かな」
「おかしいよ」

 あの子はふらふらと立ち上がり、部屋の隅に座り込んで、背を丸めて静かに泣き始めた。その泣き声を聞いているのはたまらなかったので、僕は彼女のそばに付き添ってゆっくり背中を擦ってやった。あの子は気の毒なほどに泣きじゃくりながら、ぽつりぽつりと話し始める。

「我慢しようとはしたんだよ」
「うん」
「わたし、君と一緒にいるのが楽しかったから。君とずっと一緒にいたかったから、できるだけ我慢したんだ。君は凄くおいしそうだったけど、食べちゃいけない人類だったから。ずっとずっと、我慢してたの」
「うん、よく知ってるよ。凄く頑張ってたよね」

 僕は部屋の片隅にうず高く積まれている空き缶の山を見つめた。あんなに嫌がっていた偽物の人肉を、それでもあんなに食べている彼女。きっと、あれを代替品にすることで、僕を食べたいっていう欲望を抑えようとしていたに違いない。あの子がこの部屋で一人顔をしかめながら缶詰を開けている光景を想像すると、胸が締め付けられるように痛くなってきた。
 僕はあの子の頭を撫で始めた。彼女も振り払ったりはせず、ただ黙って僕の手を受け入れてくれる。

「でもね、ダメなんだ。君を好きになればなるほど、君を食べたいっていう気持ちが強くなっていって……どんなに自分に言い聞かせても、もう堪え切れなくて。それで一昨日、とうとうあんなことやっちゃった。絶対にしちゃいけないことだったのに」

 あの子は恐る恐る顔をあげて、僕の右耳を見た。一昨日噛みちぎられた耳たぶには、今も包帯が巻かれている。それを見つけると、彼女は顔をぐしゃぐしゃにして叫び始めた。

「ごめんなさい、ごめんなさい! 君はわたしのこと信用してくれてたのに、わたしは」
「そのことはもういいよ」
「よくないよ! ごめんね、痛かったよね、傷ついたよね。わたしは君のこと裏切って」
「もういいったら。確かに吃驚したし怖かったけど、怒ってはいないから」
「ありがとう。やっぱり優しいよね、君は」

 あの子の顔に微笑みが戻ってきたので、僕はようやくほっと息をつくことができた。
 だが、問題はこれからだ。緊張で胃が痛いぐらいだったけれど、どうしても、やらなければならないことがある。

「聞いてくれるかな」
「なに」
「僕らが今どう思ってるにしろ、こんな風になっちゃった以上、今までと同じ関係を続けていくわけにはいかない。それは、分かるよね」

 あの子はぎゅっと唇をかみしめて、小さく頷いた。

「うん、分かるよ。大結界とかスペルカードルールとか、そういうもので人間が守られているからって、わたしたちの中から人を食べたいっていう欲望が消えるわけじゃないんだ。今回のことで分かったけど、それを抑えるのにもやっぱり限界がある」
「そうだね。だから僕は今日、自分の義務を果たしに来たんだ。不用意に君に近づいて、仲良くなって……その結果、君が人肉の味を思い出してしまったのなら、幻想郷に生きる人間として、責任を取らなくちゃならない」

 僕は服の中に手を差し入れて、あの紙包みを取り出した。あの子はそれを見て怯えたように身を震わせたあと、諦観の漂う寂しげな微笑みを浮かべた。

「うん、そうだよね。当然、そうなるよね。分かってるよ、それは是非とも、しなければならないことだ」

 そう呟き、祈るように手を組んで、何かを待つように目を閉じる……って、あれ?
 なにか、おかしいぞ?

「あの……なにしてるの?」
「なに、って……君は、責任を取るつもりなんでしょ?」
「え、あ、うん。まあそうだけど」
「それなら、早くやりなよ。それがどんな効果を持つお札なのかは知らないけど、わたし、覚悟はできてるから。君にだったら退治されても文句は」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」

 殉教者のような微笑みを浮かべて語り続けるあの子の声を、僕は慌てて遮った。
 なんだろう。なにかよく分からないけど、変な誤解があるような気がする。
 あの子が焦れったように目を開けて、非難するように僕を見た。

「なにさ。こんなときぐらい真面目にやってくれないと、さすがのわたしも怒るよ」
「いや、真面目にっていうか……え、君は僕が今から何をするつもりだと思ってるの?」

 あの子は怪訝そうに眉をひそめた。

「何を、って、わたしを退治するんでしょ? 幻想郷の人間の味を思い出しちゃった、この時代には危険すぎる人喰い妖怪をさ。それが幻想郷に生きる人間としての責任ってやつ、だと、思ったんだけど……」

 あの子の声が自信なさげに小さくなっていく。たぶん、僕の顔を見たからだろう。僕としても、呆れかえって物が言えない。なんてひどい誤解だろう。
 でも考えれば当然か。彼女は人間と妖怪が殺し合っていた時代から生きていると言っていたし、そういう風に考えるのも無理のないことだ。

「馬鹿だなあ」

 僕がそう言って笑うと、あの子は怒った様子で立ち上がった。

「な、なにが馬鹿なのさ!?」
「だって、ねえ。僕が君を殺すって、何の冗談なんだか」

 あり得ない。そう思って首を横に振ると、あの子は目を丸くした。

「え、それじゃあ一体……」
「うーんと……まず、これのことだけど」

 僕があのお札ぐらいの大きさの紙包みを持ち上げると、あの子は体を震わせて目を閉じた。なるほど、妖怪退治用の御札だと思っていたのか。それならこういうリアクションも頷ける。だがそれは大きな勘違いだ。

「安心してよ。これ、お札とかじゃないから」
「じゃあ、なに?」
「恋文」

 僕がそう言うと、一拍の間を置いて、

「はぁっ!?」

 あの子が素っ頓狂な声を上げた。そんなに驚かなくてもいいのになあ、と思いながら、僕は恋文を手渡す。

「まあとりあえず、読んでみてよ。稗田のあっきゅちゃんにもアドバイスをもらったんだ、ちゃんと僕の気持ちが伝わる文章になってると思うから」

 あの子は僕の顔と紙包みを見比べていたが、やがて意を決した様子で中身を取り出した。十枚組の恋文を見て、顔を引きつらせる。

「多いね」
「それだけ僕の想いが深いと思ってくれ。本当は百枚ぐらいになる予定だったんだけど、『それじゃあ読み終わるまでに時間がかかりすぎるから』って、あっきゅちゃんに注意されたんんだ。物足りなかったかな?」
「ば、バカッ」

 可愛らしく頬を染めながら、あの子は手紙を読み始める。しかし一枚も読み終わらない内に、顔が真っ赤になった。

「き、きき、君は馬鹿じゃないのか!?」
「え、なんで? あ、なんか間違った字使ってたりした?」
「違うよ! こ、これ……」

 あの子は震える指先で紙面を指した。

「き、君の文章は滅茶苦茶だ! なんだこれ、1枚の紙に30個は『好き』って書いてあるじゃないか!」
「少なかった?」
「多すぎるんだよ! だ、大体ね、飛ぶときに地を蹴る動作が格好いいとか、小首を傾げる仕草が例えようもなく魅力的だとか、こんな細かいところまでいちいち書かれたら……」
「書かれたら?」
「何をするにも君の目を意識しちゃって、何もできなくなっちゃうじゃないか!」

 そう叫んだ直後、あの子は僕に見つめられていることに気がついたのか、手紙を引き上げて真っ赤な顔を隠した。

「見るな!」
「凄い、その仕草も最高に可愛いよ! また一つ新たに君の魅力を発見してしまった!」
「こ、この、もう……この、バカッ!」
「ああ、その言い草も素敵だ」
「黙ってなさい!」
「はい」

 僕は素直に頷いて、あの子が恋文を読み終わるのを待った。顔を真っ赤にしてあれこれと文句を言いながらもあの子が読み進めてくれているので、とても嬉しい。
 そうして読み終わったあと、あの子は深々とため息をついて、大事そうに僕の恋文をポケットの中にしまい込んだ。赤い顔のまま、じろりと睨みつけてくる。

「1つ、聞きたいんだけど」
「なに」
「最後の一文、さ。『僕が一番好きなのは君が何かを食べているところです。だから僕を食べている時も凄く魅力的だろうと思います』って、なんだこれ。頭がイカれてるとしか思えないよ」
「そうかなあ。正直な気持ちを書いたんだけど」
「正直すぎるよ! そ、そりゃあ、可愛いって言ってもらえるのは、その、ちょっと嬉しいけど……」

 あの子はちょっと俯いて、両手を後ろに回してもじもじと身をよじり始めた。その仕草も最高に可愛らしかったので惜しむことなく賞賛したくなったけど、話が進まない気がしたので今は我慢しておくことにする。

「それで」

 強引に話を切り替えるような口調で、あの子が言った。

「この頭のイカれた恋文と、君が責任を果たすってのと、どう関係してるの? 意味が分からないんだけど」
「ああ、それはね……どう説明したらいいかな」

 僕はとりあえず、彼女と並んで床に腰を下ろした。多分彼女に僕の意図を分かってもらうには、長い長い説明が必要な気がしていたからだ。



 博麗大結界で幻想郷と外の世界が隔離されてから、幻想郷のバランスを維持するという名目で、妖怪が人里の人間を食うのは原則として禁止とされた。このとき、人間側には特に制約は設けられなかったのだけれど、それを良しとしない人たちがいた、らしい。

「妖怪が人間を食うのは自然なことだ」
「自然なことを禁じるってことは、つまり相当な我慢を強いられるってことだ」
「妖怪だけに我慢してもらって、我々は勝手気ままに振舞うのか?」
「それはいかん。妖怪とともに幻想郷に生きる人間として、弱いなりに誇りを持たなくては」

 そんな意見が力のない弱い住人の間に広まっていって、いつか人里に住まう人間誰もが知っている不文律が生まれた。

 妖怪が人を食うのを我慢しているのは大変なことであると、常に理解し、感謝の気持ちを忘れないこと。
 あちらが我慢しているのだから、こちらも節度を持たなければならない。喰われないからと言って、みだりに妖怪たちの領域に踏み込んでいってはいけない。
 それでもどうしても妖怪たちと深く関わりたいと願う者、関わらざるを得ない者は、せめて喰われても構わないという覚悟を持つこと。万一喰われてしまったとしても、それは自然なことなのだと静かに受け入れなくてはならない。

 いかにもう食われる心配がなくなったとは言え、友人や家族が何人も喰われていたであろう当時の人々がこんな思想を持っていたというのは、冷静になって考えると驚くべきことだ。
 だがなんにせよ、人里の弱い人間はみなこういう思想を持っている。今までも口伝で親から子へと伝えられてきたし、今後も伝えられていくであろう、幻想郷に生きる人間の掟だ。
 だから僕は今日、責任を取りに来た。不用意にあの子の領域に入り込んでしまった人間として、当然果たすべき責任を。



 そういったことを話し終えると、彼女は僕の隣で何度も何度も首を振った。

「理解できない」
「そうかな」
「そうだよ。出鱈目を言っているとしか思えないね。人里の人間がそんな考え方をしているなんて、聞いたこともない」
「そりゃそうだよ、子供でも知っている常識だもの。たとえば幻想郷縁起みたいな本に書き記す必要もないし、いちいち妖怪に語って聞かせる必要もない。弱い人間だけがいつも心に刻んでおくべき誇り高き掟なんだ、これは」

 少なくとも、僕の父ちゃんはそう言っているし、僕もその考えには全面的に同意する。
 人間相手だろうと妖怪相手だろうと、誰か他者と付き合おうっていうときには、節度や気遣いが絶対に必要だ。相手が我慢してくれるからと言って、そこに寄りかかっていてはいけない。
 昔の人たちは今よりもずっとシビアな環境に置かれていたから、弱い人でも心だけは強く持たなければならなかった。だからこそこういう考え方に至ったんだろうと思う。
 ただ、それだけの話なのだろう。

「でも、その割にはさ」

 僕を見つめるあの子の目には、まだ疑り深い色が残っていた。

「さっきわたしに喰われそうになったとき、君、震えてたじゃない」
「そりゃそうだよ、喰われるのは怖いもの」
「覚悟ができてるんじゃないの?」
「それとこれとは話が別だよ。怖いものは怖いし、痛いものは痛い。だけどね」

 僕は自信を持って言った。

「仮に君に食われて悲鳴をあげてのたうち回りながら死んだとしても、僕は絶対に君のことを恨んだりはしないよ。幻想郷に生きる人間としての覚悟っていうのは、つまりそういうことだからさ」
「やっぱりよく分からない」
「そうだろうと思って、その恋文を書いてきたんだ」

 よく分からない、というようにあの子が眉をひそめたので、僕はゆっくりと説明した。

「君、僕の耳たぶ食べたときも泣きそうな顔してたからさ。きっと悔やんでるだろうと思ったし、もしも僕を食べちゃったら、凄い罪悪感を感じると思ったんだ。だから僕の気持ちを伝えておきたかったんだよ。大好きな君に食べられるのなら、僕はこの上もなく幸せですって」

 あの子はしばらく黙りこんでいたけれど、やがてその眼からぽろっと一粒涙が零れ落ちた。

「バカ。そんなこと、されたらさ」

 鼻を啜りあげながら、言う。

「そんなことされたら、ますます苦しくなっちゃうじゃないか。君は本当に、バカだ」
「ごめん」
「また謝るし」
「でも、君を傷つけたのは事実だし」
「傷ついたのは君の方でしょ、もう」

 あの子はため息をついて、ちょっとの間何かを考えていた。それから「ついてきて」と言って、僕の手を引いて歩き出す。僕らは一枚扉をくぐって、さらにもう一枚扉を抜けた。その先は、真っ暗な部屋になっていた。目を凝らしても、何も見えない。

「ここは?」
「今、灯りをつけるよ」

 あの子が気を落ち着かせるように、大きく息を吸い込む気配が伝わってきた。一瞬後、かちっと音がして、部屋に灯りが満ちる。
 僕は息を飲んだ。そこは四方に高い棚が設置された小さな部屋だった。驚くべきはその棚の中身で、人の頭蓋骨が丁寧に、整然と並べられている。子供らしき小さいのものもあれば、大きなものもある。全部で何個あるか見当もつかないけど、少なくとも100個はあるだろう。

「これは」
「わたしが今まで食べてきた人間の、頭蓋骨だよ」

 僕の隣に立ったあの子が、静かに言った。

「本当は、人間だったら骨まで残さず食べきれるんだけどね。いつも、頭だけは取っておくことにしているんだ」
「どうして」
「前に話したでしょ。人間を食べるのは、わたしたちにとっても特別な行為なんだって。だから、だと思う。上手く言えないけど、必要なことに思えるんだ」

 あの子が無理して笑った。

「驚いたでしょ、理解できないでしょ。だけど、人喰い妖怪ってこんな生き物なんだよ。だからさ、きっと君と一緒にはいられな」

 不意にあの子が言葉を切って、息を飲んだ。僕の顔を見つめながら、呆然と問いかけてくる。

「君、泣いてるの? どうして?」
「分からない。分からないけど」

 目の前に並んでいる頭蓋骨を見渡して、僕は涙を流していた。
 ああ、なんてことだろう。今とは比べ物にならないほど厳しい環境で生きていた人たちの骸が、今、時代を超えて僕の目の前にある。眼球の抜け落ちた空っぽの目で、じっと僕たちを見つめている。どの頭蓋骨も頻繁に磨かれているようで、橙色の照明の中で荘厳な輝きに包まれている。
 彼女にとっても、ここにある頭蓋骨は特別で、大切なものなんだ。本人が言っている通り、自分では何故こんなことをしているのか分からないかもしれない。でも少なくとも、彼女にとって人間というのは豚や魚や野菜なんかと同じような、単なる食糧ではない。
 つまり、僕が人喰い妖怪に聞いてみたいと思っていた問いの答えが、今ここにあるのだった。
 君たちは人喰い妖怪は、僕ら人間のことをどう思っているのですか、と。
 その答え次第で、僕らが今後妖怪と共存していけるかどうかが決まってくる気がしていた。
 この光景を見ていると自然とその答えが理解できたし、理解できれば、それだけでもう十分だった。

「稗田のあっきゅちゃんが、言ってたんだ」

 気づくと、僕は語り始めていた。

「大結界を張られる前の幻想郷は、確かに人間にとって危険な場所だったけど、巫女様や凄腕の妖怪退治屋なんかに護衛を依頼すれば、出ていくことは決して不可能なことじゃなかったって。それでもこの郷に踏みとどまり続けた人たちだから、みんな形は違えど、強い覚悟を持って生きていたはずだって」
「それが、なんだっていうの」
「今ここで生きている僕たちも、きっと同じなんだ。この人たちが妖怪と戦って生きて、死んでいく覚悟を抱いていたように、僕らも、君たちと一緒に生きていく覚悟を抱いて生きている。幻想郷で生きるってことは、そういうことだと思うから」

 そうだ、根本的には何も変わりはしない。
 妖怪と戦いながら生きていくことも、妖怪と手を取り合って生きていこうとすることも。
 彼らと同じ場所で彼らと関わりながら生きていくという生命の形には、何の違いもないんだ。

「だから僕は、これからも君と一緒にいたい。君と一緒に、この幻想郷で生きていきたい。どうかな」

 多分、言えることはもうこれで全部言ったと思う。彼女にも、いくらかは伝わったはずだ。
 あの子は長い間黙って僕を見つめていたけれど、やがて躊躇いがちに、おそるおそる手を伸ばしてきた。手が重なると、どちらからともなく僕らは身を寄せ合っていた。互いの体を強く抱き締めて、深く深く、口づけをかわす。
 そうして息苦しいほどに唇を重ね合っていると、不意に鋭い痛みが唇に走った。噛まれた、と思ったときには、彼女がはっとした顔で慌てて体を離している。

「ご、ごめ」
「謝らなくてもいいよ」

 彼女の謝罪をやんわり遮りながら、僕は唇を舐めた。血の味がする。結構深く噛まれたみたいだ。

「その、そういうつもりじゃなかったんだけど、凄く……あの」
「おいしそうだった?」

 彼女は真っ赤な顔で小さく頷いた。僕は口元の血を拭って、笑いながら問いかける。

「そう言えば、感想聞いてなかったな」
「感想?」
「君、耳たぶが一番好きなんだよね。僕の耳たぶさ、おいしかった?」

 そう訊くと、あの子は零れ落ちんばかりに目を見開いた。あちこち視線を彷徨わせて、言っていいのかどうか躊躇っているようだったけれど、僕が笑っているのを見つけると、ちょっとぎこちなく、だけどこの上なく幸せそうに微笑んでくれた。

「うん、おいしかったよ。世界で一番、ね」

 また一つ、彼女の新しい魅力を発見したので、僕は大変満足だった。



 外に出ると、周囲はもう黄昏の色に染まっていた。風が少し冷たかったので、僕らは身を寄せ合って、何も言わずに歩き出す。
 歩いている途中であの立札を見つけて、あの子はちょっと大げさにため息をついた。

「まったく、もう。賢者様はたまに凄いお節介なんだよね」
「なんのこと?」
「別に。こっちの話。まったく、こんな年寄りみたいなことしてるから、あんなに綺麗なのにババァなんて陰口叩かれるんだよ」

 頬を膨らませてぶちぶちと文句を垂れる彼女の横顔も非常に魅力的だったのだけれど、言ったらまたバカと言われそうな気がしたので、黙っていた。
 そうして僕らは、あの川岸に辿り着いていた。僕らが初めて出会って、喰ったり喰われたりしたこの場所も、今は夕陽で赤く染まっている。いつものように並んで岩に座り、僕らはただ黙って、淀みなく流れる川を眺め続けた。

「だけど、さ」

 不意に、あの子が不安そうに言った。

「やっぱり、怖いな。こんなこと、本当に上手くいくのかな」
「上手くいくんじゃなくて、上手くいかせるんだよ」
「努力するってこと?」
「そう。前に誰かが言ってたよ。僕らの楽園は、僕らの手で作り上げるものなんだって。だから僕らも一緒に考えようよ、人喰い妖怪と人間が、仲良く幸せに暮らしていく方法をさ。僕一人じゃ君に我慢を押しつけるだけになっちゃうかもしれないけど、二人一緒に考えれば、きっと大結界やスペルカードルールなんかよりももっといい案を考え出せると思うな」

 自信を持って断言する僕の顔をしばらく見つめたあと、あの子は苦笑いを浮かべながらため息をついた。

「君はさ、変だよね」
「そうかな」
「うん。凄く、変だ」
「じゃあ、幻想郷の人はみんな変なんじゃないかな。多分誰でも、僕と同じ状況に置かれたら同じことすると思うし」

 僕は父ちゃんの二の腕に今も残る歯型のことを思い出す。父ちゃんは酒を飲むたびその傷を指さしては、「俺は喰われてもいい覚悟だったのに、あいつの方は遠慮して逃げやがった。まったくもって遺憾だぜ」と、愚痴愚痴文句を言っている。だから多分、父ちゃんも僕と同じだろうと思う。

「なんだかなあ。幻想郷の人間って、いつからこんな変人揃いになったんだろう」
「そんなに変かな。危険な場所に踏みとどまり続けてた昔の人の方が、よっぽど変だったと思うけど」
「そうかもしれないけど。あーあ、まったく」

 あの子はそばにあった小石を拾い上げて、おもむろに川に向かって投げ捨てた。小石は水面を跳ねることもなく、すぐに沈んで見えなくなってしまう。

「思い出したよ」

 あの子が微笑んだ。

「大結界構築のときに行き渡った制約にさ、『里に住む人間を喰らってはいけない。ただし、本人が自分の意志で喰われることを望んだ場合はこの限りではない』って文があったんだ。そんな奴いるかって思ってたけど、案外、こういう状況を想定してたのかもね」
「じゃあ、君が僕を食べても怒られたりはしないわけだ」

 それはとてもいいことだなあと喜ぶ僕の前で、やれやれ、とあの子はため息を吐く。

「面倒くさくなるなあ。君と一緒に生きていくためのアイディアを、これから一生懸命考えなくちゃならないなんてさ」
「それはつまり、僕の気持ちを受け入れてくれると解釈してもいいんだよね」
「バカ」

 あの子が真っ赤な顔でそっぽを向いた。いつかのように辺りを駆け回りたい気分を味わいながら、僕は自信を持って胸を叩く。

「まあ、任せてよ。案だったらいろいろ考えてるからさ」
「なに?」
「聞いた話によると、人間の体の中には切除してもほとんど問題のない内臓があるんだってさ。人里に凄腕のお医者さんがいるから、その人に言ってその部分切り取ってもらって、君にプレゼントするよ」
「い、いいよ、そんな無理しなくても」

 首を振る彼女に、僕は次の案を話す。

「じゃあさ、10年に1度とかそのぐらいの割合で、指を一本ずつ食べさせてあげるっていうのはどうかな」
「そんなことしたら君が痛いし、困るでしょ」
「我慢するよ」

 僕がそう言ったら、彼女はむっとして唇を尖らせた。

「だったらわたしがちゃんと我慢します。そんないやしんぼじゃないもんね」
「その割には唇の端から涎が垂れてるけど」
「嘘!?」
「嘘」

 彼女が怒って立ち上がったので、僕もそれに倣って立ち上がり、周囲を逃げ回った。他愛のない追いかけっこをしながら、僕らは馬鹿みたいに笑う。笑ってはいたけど、多分僕もあの子も、考えていることは一緒だったと思う。相手のためならいくらでも我慢しよう、という、真摯な想い。彼女は僕のためなら食欲を我慢するし、僕も彼女のためなら痛いのだって我慢してみせる。こういう気持ちがある限り、きっといつか本当にいいアイディアを思いついて、今よりもっと幸せになれるはずだ。
 僕らはその内立ち止まって、息を弾ませながら周囲の景色を見つめ始めた。沈みゆく夕陽の光を浴びて、赤く赤く染まっている川岸を。
 黄昏、逢魔が時。それは昼と夜の隙間にあって、二つの世界が入り混じる時間。
 そんな優しいときの中で、人喰い妖怪のこの子と幻想人類の僕は、いつまでも手と手を繋ぎ合って、僕らの楽園を見つめ続ける。
 赤く染まった木々の隙間に、優しく微笑む誰かの姿が見えた気がした。



 <了>

東方創想話版
関連記事
スポンサーサイト

コメント

覚悟のススメ要素0かぁ…

コメントの投稿


非公開コメント

文字を大きく・小さく
    ジャンル(+クリックで展開)
    登場キャラ(■クリックで展開)
    プロフィール

    aho

    Author:aho
    ―――――――――――――
    東方創想話
    イコレート(ゲーム製作)
    pixiv
    SS速報VIPにて活動中
    ―――――――――――――
    pixivID:63347
    twitter
    ―――――――――――――
    SS速報VIPトリップ:
    aho◆Ye3lmuJlrA

    ―――――――――――――
    誤字脱字カテゴリ分類間違い等
    見つけて下さった方はweb拍手、
    コメント、メールフォーム等で
    ご連絡頂けると幸いです

    最新記事
    月別アーカイブ

    2037年 02月 【1件】
    2015年 08月 【1件】
    2015年 03月 【5件】
    2015年 02月 【3件】
    2014年 06月 【1件】
    2014年 02月 【2件】
    2014年 01月 【4件】
    2013年 12月 【4件】
    2013年 10月 【2件】
    2013年 08月 【1件】
    2012年 09月 【5件】
    2012年 02月 【2件】
    2011年 09月 【2件】
    2011年 03月 【3件】
    2011年 02月 【1件】
    2010年 12月 【28件】
    2010年 10月 【3件】
    2010年 09月 【7件】
    2010年 08月 【4件】
    2010年 07月 【5件】
    2010年 06月 【2件】
    2010年 05月 【2件】
    2010年 04月 【3件】
    2010年 03月 【2件】
    2010年 02月 【3件】
    2010年 01月 【1件】
    2009年 12月 【2件】
    2009年 11月 【2件】
    2009年 10月 【1件】
    2009年 09月 【5件】
    2009年 08月 【1件】
    2009年 07月 【4件】
    2009年 06月 【3件】
    2009年 05月 【1件】
    2009年 03月 【4件】
    2009年 02月 【1件】
    2009年 01月 【2件】
    2008年 12月 【4件】
    2008年 11月 【4件】
    2008年 10月 【4件】
    2008年 09月 【2件】

    最新コメント
    最新トラックバック
    カウンター
    メールフォーム

    名前:
    メール:
    件名:
    本文:

    検索フォーム
    リンク
    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。