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【東方SS】風見幽香に喰われたい

東方の風見幽香SSです。

 
 
 
 
 
 
『風見幽香に喰われたい』




 祖母が死んだとき、わたしは酷くほっとしたものだった。
 もうすぐあの醜い体が燃え尽きて、二度と視界に入ってこなくなる。
 そう思えば、葬儀の最中につい笑い出しそうになるのを堪えなければならないことも、さほど苦には感じられなかったほどだ。

 わたしは祖母が嫌いだった。
 祖母が嫌いというよりは、祖母の醜い肉体が嫌いだったと言った方がいい。
 水気を無くして乾き切った肌、やせ細って骨ばかりになった手足、哀れなほどにしわがれた弱弱しい声。衣服だって少女が着れば美しく着飾るためのものとなるだろうが、老婆が着れば単にみっともない体を覆い隠すための布きれに過ぎない。
 そういったものたち以上に何よりもわたしに嫌悪感を抱かせたのは、祖母の頭から垂れ下がる、今にも千切れそうな長い長い白髪だった。それが老いの証であり、今は皆に褒められる私の黒髪もいずれはあんな風に色を失い果てるのだと思うと、金切り声を上げながら残らずむしり取って燃やし尽くしてやりたい衝動に駆られたものだ。
 祖母は、わたしに自分自身の行く末を想像させる、何よりも忌まわしい存在だったのだ。

 そんな祖母が死に、あの汚らわしい肉体が全て灰になって燃え落ちてしまって、わたしはようやく悪夢から解放された気分になった。もう家の中であの薄汚い体がよたよたと歩き回っているのが視界に入ることはないし、背後から亡者のような呼び声が投げかけられることもない。世界の全てが美しく、輝いて見えるようになったほどだ。

 ところがわたしはその頃から、また別の悪夢に悩まされるようになった。
 やがて年老いて、死ぬ直前の祖母のように、誰からも顧みられなくなる夢だ。
 わたしはその夢を見るたび汗だくになって跳ね起き、急いで鏡を覗き込んでまだそこに若く美しい体が存在することを確認して、ようやく安堵の息を吐くのだった。
 とは言え、それは夢ではあってもいずれは訪れる現実だ。
 そのことを実感してからというもの、わたしはまた思い悩むようになった。誰かに綺麗だと言われようが、自分自身で満足出来る程美しく着飾ってみようが、これらはいずれ失われるものだと思うとどうしようもなく空しい気分になった。
 そんな虚ろな心に反して、わたしの容姿は時を経るにつれて更に女らしく、美しくなっていった。
 どこか病的なほどに儚げで、触れると壊れそうなほどに危うい美しさがある――だのと、誰かが陰で評するのを耳にしたことがある。もちろん、嬉しいとも何とも思わなかった。わたしが欲していたのはそんな危うい美しさではなく、この世が終わるそのときまで保たれる、永遠の美しさだったのだから。
 羽虫のように言い寄ってくる男たちの声も全く耳に入らず、わたしはただひたすらそのことばかりを考え続けた。どうにかして、醜く老いることなく今の美しさを永遠に保つ方法はないものだろうか、と。

 わたしの住んでいる幻想郷というこの郷は、人智を超えた力が日常的に存在する場所だ。ならば若さを保つ方法などいくらでもあるのではないか、と考えてあれこれと調べてみたが、どれもこれも今一つピンとこないものばかりだった。
 種族・魔法使いになるためには才能と努力が必要だったし、他の妖怪化する方法はどれもこれも信憑性が曖昧だったり確実性に欠けるものばかりだった。里に住む智者に尋ねるという手もあったが、それでわたしの願望が周囲に漏れて、面倒事が起きるのは避けたかった。そんなことに時間を取られるわけにはいかないのだ。

 そうしていい方法が思いつかないまま、わたしはただ無為な時を過ごしていった。
 風見幽香というあの妖怪を初めて目にしたのは、そんな頃のことだ。
 それがいつだったかは覚えていないが、彼女を目にしたときの印象は鮮明に脳裏に焼き付いている。
 一輪の花のような人だ、というのは、今考えると随分ありきたりで陳腐な表現だと思う。
 だが、そうとしか言いようがない。
 季節の移ろいにも荒れ狂う風雨にも負けず、ただ永遠に強く気高く美しく咲き続ける、一輪の花。
 わたしは一瞬で魂を奪われてしまった。

 その後わたしは、あらゆる手を使って急ぎ彼女のことを調べ上げた。
 風見幽香。古い昔から幻想郷で生きている、花の大妖怪。知れば知るほど、風見幽香は私が理想とする存在に思えてならなかった。
 あの妖怪のようになりたい、と願うのは、ごく自然なことだった。
 だがもちろん、それが夢のまた夢であることぐらい、わたしにはよく分かっていた。
 それでも、諦めることは出来ない。何とかして彼女のように、永遠に美しいままこの世にあり続けたい。
 わたしは食事も喉を通らぬほど悩んで悩んで悩み続け、寝ても覚めても風見幽香のことばかり考えていた。傍から見ればほとんど病に侵されたか悪霊にでも取り憑かれたかのように見えたかもしれない。実際、わたしは一種の病を患っていたのだろう。
 あの人のように、彼女のように、風見幽香のようになりたい。
 ひたすらそればかり考えて考えて考えて考えて、ある日突然、

 ――風見幽香に喰われたい。

 それは、天啓のような思いつきだった。明らかに異常であると、自分でも理解できる願望。
 だが最初こそ驚いたものの、それは落ち着いて考えてみればこれ以上ないほど自分の目的に見合った願望だった。
 妖怪になることは出来なくても、妖怪の血肉になることは出来る。
 風見幽香に喰われれば、あの美しい花の大妖怪と一つになって、永遠に美しいまま生きていくことができる。
 わたしはその考えがすっかり気に入り、月明かりの下で彼女に喰らわれる白昼夢に浸ってはうっとりするようになった。
 だが、いつまでも甘美な夢に酔いしれてばかりはいられない。そうしている間にも、時間は確実にわたしを老いへと向かわせるのだ。
 わたしは夢を現実にするべく行動を開始した。
 と言っても、言葉にしてしまえばただ人間が妖怪に喰われるというありきたりな話であるから、魔法使いになろうだの妖怪になろうだのに比べれば、努力などさして必要なかった。
 ただ、気持ちよく食べてもらうために自分を磨き、着飾ることを忘れないだけでいいはずだった。

 そうしてある満月の晩に、わたしはこっそりと家を抜け出した。懐に入れた手鏡を覗き込んでみれば、そこには今まで見た中で一番美しい、自分の顔がある。特に自慢の黒髪は、柔らかな月明かりによく映えていた。これならきっと喜んで食べてもらえるだろうと、満足した。
 見つからないように里を抜け出す。この日のために里の道具屋などで、あれこれと術的な道具を揃えてある。風見幽香が日々を過ごしているという花畑までは、誰にも見つからずに辿り着くことができた。
 一歩足を踏み入れると、そこはむせ返るような花の香に満ちていた。酔ってしまいそうなほど濃密な香りにふらつきながら、わたしは風見幽香の姿を探す。すぐに見つかった。花畑の真ん中、月明かりの下で日傘を広げている、背の高い女性。久方振りに見るその後ろ姿は、初めて見たときよりもさらに熱く、わたしの胸を焦がす。

「こんばんは」

 声が震えないように気をつけながら挨拶する。風見幽香は驚く様子など少しも見せず、ゆっくりと振り返った。赤い瞳がわたしを見据え、微笑を形作る。凶悪な妖怪という風評からはとても想像できぬほど穏やかな表情。その美しさに、わたしは息を飲んだ。

「こんばんは。こんな月夜に人間のお嬢さんが散歩だなんて、幻想郷もいよいよだわね」

 風見幽香が口元に手を添えてくすくすと笑う。そんな些細な仕草の一つ一つが、いちいちわたしの体を震わせる。恐怖、ではないと思う。喰われる恐怖など、老いる恐怖に比べれば小さなものに過ぎない。
 これは、歓喜だ。もうすぐこの存在と一つになれるのだという、どうしようもない歓喜。わたしは彼女に喰われるために生まれてきたのだと、そんなあり得ないことすら考える。興奮しすぎて頭がクラクラしてくるほどだった。
 とは言え、まだ気は抜けない。彼女に喰らってもらえなければ、何もかもが水の泡なのだ。機嫌を損ねないように振舞い、気持ちよく食べてもらわなければ。

「か、風見幽香さん、ですよね」
「ええ、そうよ。その様子だと、どうやらわたしに御用らしいわね。何かしら?」

 高く透き通った声音で、彼女が問いかけてきた。わたしは震えながらこくりと頷く。それを見て、風見幽香がくすくすと笑った。

「そんなに怖がらなくても大丈夫よ。何をトチ狂ってこんな夜中に迷い出たかは知らないけれど、わたしは今日気分がいいの。あなたを食べたりはしないから」
「それは困ります」
「……なんですって?」

 思わず口走ってしまったわたしの言葉に、風見幽香が眉をひそめた。しまった、と思ったが、もう遅い。彼女の目がどんどん冷たくなっていく。

「あなた、何かおかしなことを考えているようね。正直に、全て話しなさい」

 有無を言わせぬ口調と睨み殺すような視線に、先程とは別の意味で体が震えてくる。喰われる恐怖とはまた別の恐怖らしい。もちろん逆らえるはずもなく、わたしは全てを正直に打ち明けた。
 話を聞き終えた風見幽香は、しばらくの間無表情で佇んでいた。
 だがやがて、「あー、あ」と呆れたようなため息を吐くと手の平で顔を覆い、堪え切れなくなったようにくつくつと低い声で笑い出した。
 何がおかしいのか、と問いかけることも出来ず、わたしはただ彼女の姿を見つめ続ける。

「愚かと言うか滑稽と言うか……どんな時代にでもいるものね、お前のような恥知らずが」

 指の隙間から、赤い瞳がギロリとこちらを睨みつける。身を竦めるわたしに、風見幽香はぐっと顔を近づけた。

「命あるものの美しさは懸命に生きてこそ輝くもの。それを老いたくないだの美しいままでいたいだの……その上このわたしに喰ってもらいたい? ただ自然に、あるがままに咲く花の妖怪である、この風見幽香に?」

 微笑が憤怒の形相へと転じ、風見幽香の細い腕がわたしの首をぎりぎりと絞めつける。息が詰まって意識が薄れる中、わたしは彼女の怒りの声を聞く。

「ふざけるな、浅ましい人間の小娘が。わたしがお前の如き薄っぺらい人間の肉を喜んで喰らうなどと、本気で考えたか。誰がお前のようなものを自分の血肉としたがるものか。その手前勝手な汚らわしい了見が風見幽香への何よりの侮辱であり、冒涜だと知れ」

 声は聞こえていたが、そのときのわたしにはもう何を言われているのかもよく分からなかった。首を絞める彼女の力が強すぎて、ほとんど意識がなくなっていたのだ。
 ただ、このままでは怒りのままに首をへし折られるだろうということ、その後は喰われることもなく野ざらしにされるだろうということは理解できて、それをたまらなく嫌だと思った。
 だからだろうか。
 わたしはほとんど無意識の内に、両手を伸ばしていた。わたしの首を絞めつける、風見幽香の細い腕に。もちろん、つかもうが引っかこうが、わたしごときの非力でこの大妖怪の腕をどうにかできるわけもない。だがこのときはそんなことを考える余裕すらなく、ただ必死で彼女の腕をつかんでいた。
 そうすると、不思議なことに、風見幽香の腕から力が抜けた。わたしは地面に膝を突く。ゲホゲホと無様な咳が口から漏れ、首がズキズキと痛む。恐らく手の跡がくっきりと残っているだろう。あと数秒解放されるのが遅かったら、間違いなく死んでいたに違いない。

「……やればできるじゃないの」

 ふと、先程よりは幾分か穏やかな声が降ってきた。苦しげに顔を歪めながら上を見ると、風見幽香がまた元の微笑みを浮かべてこちらを見下ろしている。

「よく覚えておきなさい」

 言い聞かせるような声音で呟きながら、風見幽香が視線を巡らせる。満月の下、たくさんの花々が風に揺れている。

「盛りに散りたいと願う花はないのよ。たとえ、いつかは枯れ果てるとしてもね」

 先程までのただ穏やかなものとは違う、どこか寂しげな微笑。
 その表情を見たとき、たくさんの花々に囲まれながら、それでもこの花の大妖怪は一人ぼっちなのだと、わたしは何故かそんなことを考えた。
 そうしてまた、強く思う。

 ――風見幽香に喰われたい。

 だがそれは、今日ここへ来たときのものとは全く違った想いだ。
 病に侵され熱に浮かされた虚ろな衝動ではなく、体の奥底から湧きあがってくるような、静かな熱を帯びた感情。
 どうすれば、真に彼女の血肉となるに値する人間になれるのだろう。この人と寄り添って生きていけるのだろう。
 泣きたくなるほど、ただそのことばかりが頭を満たし。
 わたしは今初めて、風見幽香に恋をしたのだと知った。

「さて、それじゃあお嬢さん」

 一転、風見幽香が明るい笑顔で振り返る。満月の下で日傘を閉じ、その先端をわたしに向けてきた。

「お勉強タイムが終わったところで、今度はお仕置きタイムに移りましょうか」

 にたりと、楽しげに唇の端がつり上がる。背筋を悪寒が駆け上り、頬が引きつるのを感じた。
 それを見て、風見幽香が楽しげに笑う。

「あらあらいい顔ね。さっきまでの不細工なお嬢さんと同じ人だとはとても思えないわ。それじゃあ、あなた」

 日傘の先端に光が灯り、闇の中に風見幽香の顔が浮かび上がり、

「頑張って、逃げてちょうだいね」



 風見幽香の言葉通り、わたしはその夜ぶっ通しで満月の下の幻想郷を逃げ回ることになった。何せ後ろから光弾だのレーザーだのが無数に追いかけてくるのだ、足を止めている暇などあるわけもなく、涙目で悲鳴を上げながらそれはもうみっともなく逃げ回った。着飾ってきた服も装身具も千切れて破れて泥だらけになって、美しいところなど何一つ残っていやしない。それでも構わずとにかく逃げた、ひたすら逃げた、喰われたいだの美しいまま死にたいだのと考えている余裕もなく、逃げて逃げて逃げ回った。
 風見幽香は噂通りの凶悪な妖怪だった。こちとら何の力もない人間の小娘に過ぎないというのに、手加減が一切ないのだ。疲れて倒れればレーザーで地面ごと引きはがされて無理矢理立たせられるし、木の陰や岩の陰に隠れようものなら光弾で木っ端微塵にされる。一度攻撃が止んで恐る恐る振り返り、誰もいないのを確認してほっと息を吐いたら「はろう」と背後から声をかけられて、心臓が止まるかと思った。ひょっとして殺す気はないんじゃないかと思って立ち止まったらレーザーが後ろ髪を焼き払い、「あら惜しい」という舌打ち混じりの声が聞こえ、彼女が間違いなく本気なのだと思い知らせてくれた。自慢の髪が焼き払われたことにショックを受けている余裕すらない。
 そうして逃げ回りながら、頭の隅で考えた。
 死ぬために来たのに死にたくないと逃げ回っているのは何とも滑稽なことだが、本質的には何も変わっていないのだと思う。
 永遠に美しいままでありたいと願っていたわたしも、今はまだ死にたくはないと願っているわたしも、実際には何も変わりなく。
 ただ自分の望むままに生きて、望むままに死にたいと。
 そう考えているだけだった。

 そうして夜が明けて朝日が郷を照らす頃。
 わたしは里のすぐそばの街道で、大の字になって倒れていた。
 もう考えることすら億劫なほどに疲れきっていて、体は指の先までぴくりとも動かない。
 けれども、頭上に広がる薄明るい空がやけに綺麗で、わたしは今生きているのだと思えて。
 そういう感じは、なんだかとてもいいものだった。

「お疲れ様」

 すぐそばで風見幽香の声がする。目だけで上を見たら、日傘を差して立っている彼女の姿が見えた。顔には穏やかで、優しくも見える微笑。もう逃げる力はないが、有り難いことに彼女は許してくれたらしく、ただ黙ってこちらを見つめているだけだった。

「やればできるじゃない」

 その台詞を聞くのは二度目。声音が一度目のときよりも優しい感じがして、とても嬉しくなる。

「あ、の」

 頑張って声を出したら、老人のようにしわがれていた。嫌だと思う余裕もなく、わたしは必死に声を出す。

「かが、み」
「ええ」
「鏡、見せてもらえませんか」

 わたしがそう言うと、風見幽香はどこからか手鏡を取り出してくれた。わたしの鏡は逃げている最中に落としてしまっていたので、とても有り難い。
 風見幽香はしゃがみこんで、鏡をわたしに向けてくれる。
 わたしの顔は酷いものだった。泥だらけでところどころ細かい傷がついていて、黒髪もレーザーで吹き飛ばされたり光弾で焼かれたりでもう滅茶苦茶だし、唇も鼻穴も空気を求めてだらしなく広がっている。
 思わず、

「ぶっさいく……」
「あらそう?」

 風見幽香がくすくすと笑う。

「わたしは最初見たときのあなたよりも、よほど綺麗だと思うけれど」
「変わってますね」
「妖怪だもの」

 さて、と呟き、風見幽香が立ち上がる。去ろうとする彼女に、わたしは慌てて呼びかけた。

「待って」
「なに?」
「最後に、一つ」

 何とかして起き上がり、わたしは風見幽香を見つめた。朝焼けを背にしたその立ち姿は、やっぱり綺麗で、どことなく寂しげに見えた。

「わたし、どうしたらあなたに食べてもらえるようになりますか」

 昨夜と同じようなことを問いかけたが、今度は怒られなかった。
 風見幽香はただ黙ってわたしを見つめ、静かな声で、

「あなたなりに、一生懸命生きてみることね」

 とだけ、答えてくれた。

 その後わたしは何とか里の中に入ると、一番近くにあった民家の戸を叩いて、一杯の水と家への連絡を求めた。
 住んでいた若いお百姓さんはとてもいい人で、あれこれ気遣ってくれたり、わたしの傷や無残な髪を見て泣きそうな顔をしてくれたりした。
 そうして家からの迎えを待つ間、やけに美味しい水を飲みながら、一生懸命生きるというのはどういうことだろう、とわたしは必死に考えていた。



 瞼を上げると薄汚れた天井が目に入り、同時に体全体が酷くだるいことに気がついた。
 やけに感覚が鮮明だったが、どうやら夢を見ていたらしい。走馬燈のようなものか、それとも妖怪やら悪魔やらの類が最後の夢を見せてくれたのか。
 そんなことを考えながら、わたしは苦労して蒲団の中から腕を持ち上げる。やせ細った枯れ木のような腕。そこには先程まで夢で見たような瑞々しさは全くない。本当に、骨に皮が張り付いているだけのような有様だった。死ぬ直前のお祖母様も、こんな腕をしていた気がする。
 ため息と共に腕を下ろし、ぼんやりと天井を見上げながら、わたしは考える。
 あれから、もう何十年も経った。
 女としてはとうに枯れ果て、もうすぐ死に行こうとしている、このわたし。
 わたしは、風見幽香が言うように、一生懸命生きてこられただろうか、と。

「……必死ではあったかな」

 しわがれた声で呟く。疲れているためではなくて、老いたからこそのこの声だ。皺くちゃで染みだらけの顔と同じく、この声を聞きたがる者もいない。いつだって自慢だった黒い髪も、老いと働き疲れのせいで今はもう真っ白だ。一生懸命生きようが、結局行き着くところは同じなのだなあと思うと、またため息が漏れた。老いることに関しては諦めがついたと思っていたが、先程のような夢を見せられると、やはり嘆く気持ちは湧きあがってくるものだ。
 そのとき襖が開いて、見慣れた顔が部屋に入ってきた。

「やあ、起きていたのかい」

 労わるような声音で言うのは、わたしと同じく皺くちゃな顔をした白髪の老人。夫として長い間連れ添っていた彼は、枕元に座るとわたしの顔をじっと覗き込む。それはずっと変わらぬ彼の癖のようなものだった。こんな顔なんか見ていたって面白くもないだろうに、よく飽きないなあと少し呆れてしまう。

「具合はどうだい」
「そろそろかね」

 素っ気なく言うと、彼の目に涙が溜まった。出会った頃と変わらず、今も泣き虫な男。思わず苦笑してしまう。

「馬鹿ね。どうせすぐ会えるでしょうに」
「一緒でないと嫌だ」
「我がまま言わないの。生きている内は生きなければいけないわ」

 自然とそんな台詞が口から出てきたのが、少しだけ不思議だった。先程まであんな夢を見ていたせいだろう。気持ちが若い頃のものとごちゃ混ぜになっている気がした。
 少し目を閉じて、記憶を辿る。
 風見幽香から逃げ惑ったあの夜以来、わたしは劇的に変わった……かと言えば実際はそんなこともなく、相変わらず神経質に外見を気にしたり、老いるのは嫌だなあと考えるところは大して変わらなかったように思う。
 ただ、一生懸命生きてみろという風見幽香の言葉だけはずっと心の中に残っていて、そのことを真剣に考えるようになったのは確かだった。
 一応そのことを意識していたおかげで、その後の人生は大分変わったように思う。具体的に何が、と言われれば少し困ってしまうが、ともかく、何事も必死にやるようになったのだ。成長して結婚して子供を産んで育てて年老いて、今死にそうになっていて。客観的に見ればごくごく普通の人生だろうが、自分なりには一生懸命生きてきたつもりだ。老いていくことに関しても、多少は諦めがついた。日に日に深くなる小皺と増えていく白髪への抵抗の日々は、今思い返すと少し笑ってしまうほど滑稽だったが。

「寂しくないかい」

 不意に夫が言った。目を開けると、不満げに唇を尖らせて襖の方を見ている彼の顔が見えた。

「あいつらときたら、ロクに見舞うこともなく」

 彼の言う通り、この部屋には滅多に人がよりつかない。一緒に暮らしている息子夫婦も、その子供たちも。わたしの夫がわたしの世話を引き受けてくれると知った途端に面倒事が減ったとばかりに、ほとんど部屋に寄りつかなくなった。わたしが「構わないでいい」と言ったのもあり、忙しいせいもあるのだろうけれど。
 夢で見たわたしと同じ年頃の孫娘など、視線や仕草で露骨に嫌悪感を露わにしてくれる。時折厠へ立つ際などにすれ違うことがあるが、こちらと一度も目を合わせずに歩いていくその様子からは、考えていることがバレバレで、少しおかしくなってしまうほどだ。
 昔の祖母も同じように感じていたのだろうかと考えると少し申し訳なくなるが、まあわたしも今同じことをされているのだからおあいこということで許してもらおう。
 このように、わたしは順調に顧みられなくなってきている。
 そんな状況が全く苦にならぬかと言えば、そりゃ多少寂しくはあるのだが、

「仕方がないわ」

 言って、わたしは苦笑する。

「誰だって、こういうものを見たくはないもの。自然なことよ」
「そうかね」

 夫が拗ねたように言う。

「俺は、今のお前だって、いいと思うけどな」
「……ありがとう」

 言いつつ、相変わらず変わった人だな、とも思う。
 そう考えたら、ふっと風見幽香のことが頭に思い浮かんだ。
 疲れ果てて泥だらけのわたしの顔を、綺麗だと言ったあの妖怪。
 彼女は今も、あの花畑にいるのだろうか。咲き誇る花々を見つめながら、どこか寂しげな微笑を浮かべて。

 結局、わたしはあれから一度も、風見幽香と言葉を交わしていない。
 時折里の中を歩いている姿を見かけたことはあったけれど、声をかけることはなかったし、出くわしそうになるとむしろ隠れていたぐらいだった。
 怖い、というのも少しはあったが、どちらかと言えば恥ずかしい気持ちの方が強かったのだと思う。
 わたしはまだ、彼女に喰われる人間には値しないと、そういう想いが心のどこかにあって。
 いつかそういう人間になれたらまた話をしに行こうと、そう思っている内に、もうこんな様になってしまった。
 今のわたしを見たら、彼女は何と言うだろう。
 それでもあの夜のわたしよりは余程綺麗だと、言ってくれるだろうか。
 そのとき、ふと外から呼び声がかかった。

「なんだ、まったく」

 夫がぶちぶちと呟きながら立ち上がり、外へと出て行く。
 そうして一人取り残されて、わたしはふと視界の片隅を見やる。枕に真っ白な長い髪が垂れていて、ずっと昔、祖母の白髪が大嫌いだったことを思い出す。
 皺だらけの顔も骨みたいな腕にももう諦めはついたけれど、やっぱり白髪だけは好きになれない。
 そんな自分に今更ながら苦笑を漏らしたとき、不思議そうな顔をした夫が部屋に戻ってきた。

「お前に、お客さんだよ」
「わたしに?」

 誰だろうと思っていると、そのお客さんとやらが姿を表し、わたしは息を飲んだ。

「こんにちは。お久しぶりね」

 穏やかな微笑を浮かべてそう言うのは、数十年前と全く変わらぬ姿の風見幽香だった。



 古い友達で大事な話があるから二人きりにしてくれ、と言ったら、夫は少し心配そうな顔をしながらも部屋を出て行ってくれた。
 そうして風見幽香と二人きりになり、彼女にじっと見つめられると、わたしは恥ずかしくてたまらない気持ちになった。
 力の入らない腕で蒲団を引き上げ、顔を隠すと、風見幽香の不思議そうな声が耳に届く。

「どうしたの」
「見られたくないので」
「あら、どうして?」

 風見幽香は優しく蒲団を引き剥がし、またわたしの顔をじっと覗き込んだ。
 そして労わるような笑みを浮かべながらわたしの皺だらけの頬を撫で、優しい声で言うのだった。

「こんなに綺麗なのに」
「変わってますね」
「妖怪だもの」

 風見幽香はクスクスと笑い、何度も何度も、わたしの頬を撫でてくれる。

「でも、本当に綺麗だわ。今まで見てきたあなたの中で、一番綺麗」
「本当ですか?」

 信じられない想いで言うと、風見幽香は迷うことなく一つ頷いてくれた。

「ええ。本当よ。まさかあなたがこんな風に、ね……とても、驚いているわ」
「あなたの言葉があったからです」

 わたしが思わずそう言うと、風見幽香は目を瞬いて、

「わたしの? 何か言ったかしら?」
「はい。食べてほしければ一生懸命生きてみなさい、と」
「ああ、言ったわねえ」

 懐かしそうに目を細め、風見幽香は首を傾げた。

「では、あなたはその言葉の通りに?」
「はい。自分なりには……あの、どうですか」

 少し不安になりながら問うと、風見幽香はまたにっこりと微笑み、わたしの頬を撫でてくれる。

「今のあなたを見るだけで、一生懸命に生きてきたことがよく分かるわ。頑張ったわね。ありがとう」

 優しい言葉に、涙が零れそうになる。
 ようやく、彼女に喰われるに値する人間になれたのだと思うと、干からびた体に再び生気が戻ってくるような気すらする。
 そうしてわたしが黙っていると、風見幽香がおもむろに切り出した。

「それで、どうするの?」
「え」
「あなたはまだ、わたしに食べられたいと思ってる?」

 穏やかな問いかけに、わたしは少し迷いを感じた。
 もちろん、その気持ちはある。今目の前にいる風見幽香が昔と少しも変わっていないのと同じに、彼女の血肉になりたいと願うわたしの気持ちも、全く変わっていない。

「……あなたがわたしを喰らってくれるのなら、喜んでこの身を差し出しましょう。けれども」

 目に涙を溜めていた夫の顔が、頭に思い浮かぶ。

「わたしが食べられてしまったら、悲しむ人がいます。あなた以外にも、とうに枯れ果てたわたしを綺麗だと言ってくれた人がいるのです。その人を悲しませるのは、嫌です」

 わたしがそう言うと、風見幽香は驚いたように目を見開き、それから「そう」と呟き、目を伏せた。
 怒らせてしまっただろうか、と不安になるわたしの前で、風見幽香はしばらく黙りこんだ後、

「寂しいものよね」

 ぽつりと、言った。

「枯れた花を愛でる人は滅多にいないわ。せめて一言声でもかけてやれば、それだけで随分報われた気持ちになれるのに」

 小さくため息を吐き、また優しく微笑んだ。

「あなたは、幸福だったわね」

 胸にじわりと熱いものが広がる。今度こそ、涙が零れた。
 風見幽香は少しの間黙ったままそんなわたしを見ていたが、やがて悪戯っぽい口調で、

「どうしようかしらね。今度はわたしが、あなたを食べたくなってしまったわ」

 息を飲むわたしに、彼女は小さく微笑んで、

「大丈夫。上手くやるから、安心しなさいな」






 事を終えた幽香が部屋を出ると、背の曲がった老人が心配そうな顔でこちらに向かってきた。
 幽香は彼に一礼し、微笑みかける。

「ありがとう。用事は済んだから、あとは二人でゆっくりお話してちょうだい」

 そう言ってやると、彼はようやく安心した様子で部屋へと入っていく。
 妻の見かけが少し変わっているから驚くかもしれないが、彼にとってはおそらくさほど重大なことではないだろう。
 我ながら上手くやったものだと内心で自画自賛しながら、幽香は廊下を歩いていく。
 途中で、一人の男が厳しい顔で待っていた。彼女の息子である。

「あら、怖い顔をするのね」

 彼の考えていることが大体分かったので、幽香は少しおかしくなった。

「心配しなくても、大丈夫よ。頂いたのは、これだけだから」

 右手に持っていたものを掲げてみせると、男は目を丸くして、それからほっと息を吐いた。

「なるほどね。それはそれで体の一部ってわけだ。食べるんですか?」
「さあ。どうしようかしらね。正直あまり美味しくはない部分だし……ところで、あなたは事情をご存じなのね?」
「昔、お袋が深酒して酔っ払ったときにちらっと聞いたことがありましてね。今日あんたが来たのを見て、多分そういうのだろうなと思ったんですよ」
「ふうん。それにしては、あっさりとわたしを通したわね?」
「お袋が自分で決めたことです。それも、俺が生まれるずっと前にね」

 男は深く息を吐き、

「口なんか、出せるわけがないでしょう」
「あら、随分思いやり深いこと」

 幽香は少し意外に思い、

「その割には、彼女に冷たくしているようだけれど」
「冷たくなんかしてませんよ」

 男は苦笑した。

「ただ、親父とお袋はずっと働きづめだったんでね……最後ぐらいは二人でゆっくりさせてやろうと、皆で相談して決めたんですよ」
「ああ、そういうこと」

 幽香は笑い、再び右手に持ったそれを持ち上げ、暖かな日差しに晒してみる。
 そんな幽香を見つめながら、男が不思議そうに言った。

「しかし、変わってますね。そんなにいいものですか、それが」
「妖怪だもの。あなたたちとは感覚が違うわ」
「そんなもんですか」
「ええ。でも、あなただってよく見てみれば分かるはずよ。ほら、御覧なさいな」

 ふと柔らかな風が吹き、幽香が手に持ったそれをかすかに揺らす。
 緩やかになびく、彼女の真っ白な長い髪。

「とても綺麗な、白百合の花だわ」



 <了>
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コメント

No title

何度読んでもいいなぁ・・・。
人というもの、妖怪というものが生々しく、それでいて美しく描かれています。
てゆーかゆうかりん最高!

No title

「あれ?読んだことある筈なのに検索しても見付からない。投稿した分は消しちゃったのかな」
と思ったら、よくよく考えてみればそういえばそうでした;w

オリキャラに魅力を持たせるのが本当上手いですね

No title

>>葉月さん
ありがとうございます。これ批判されたときも葉月さんがフォローしてくれたことをよく覚えてますw
人間と妖怪の関係って、東方二次創作をやる上では欠かせない要素ですよねえ。
個人的には現代の人間とはちょっと違ったメンタリティの人たちだと思います、幻想郷の人間って。

>>ずわいがにさん
ありがとうございます。そうそう、創想話には投稿してないんですよ、これw
オリキャラは使わないなら使わないのが一番なんでしょうけどねえ。
使うとなったらせめて不快感を与えないようにはしたいところです。

お二方、拍手を下さった皆さん、読んで下さってありがとうございました!

No title

もう、すごい。
読後感がとても良いです。
読んだ後に、思わずにやけてしまいました。
すっきりとした仕上がりの酒を飲んだみたいです。

これからもaho さんが作られるお話を楽しみにしています。

No title

>>コウジキンさん
気に入って頂けたようで、ありがとうございます。
今後ともよろしくお願いします。

No title

最後の一言に鳥肌がたちました。
ahoさんのssには毎度自分はどう生きればいいのか考えさせられます。
とくにこの話しは一人の女性の話でしたからなおさら・・・
自分もゆうかりんに食べてもらえるように頑張ります!!

PS
ahoさん作品があまりにも素晴らしく何回も読み直したくてつい「お疲れババア!」を印刷して紙媒体で楽しんでるんですがいいですか?
もしだめならやめますんで・・・

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