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【オリジナル】気に病む透歌さん

いつかどこかに投稿した根暗女のSSです。



『気に病む透歌さん』



(おなかいたいよう……あたまもいたい……)

 女子トイレの個室に閉じこもり、倉井透歌は一人腹を抑えて苦痛に顔を歪めていた。
 トイレの窓から、校庭で生徒たちが騒ぐ賑やかな喧騒が聞こえてくる。その楽しげな響きとは対照的に、透歌の気分はいつも通り最悪だった。
 胃の辺りがずきずきと痛む。頭の奥で誰かが鐘でも鳴らしているかのように、周期的な頭痛が襲ってくる。手は小刻みに震え目は霞み足は痺れ、吐き気も止まなかった。こみ上げる嘔吐感は、吐瀉物が喉から出る寸前のところまで上ってきているような錯覚を覚えさせる。

(おくすり、のまないと)

 混濁する意識の中、膝の上に置いた鞄に手を伸ばし、中を探る。たくさんの薬が入った専用のプラケースと水の入った水筒を取り出すと、それと一緒にたくさんの小さな物体が飛び出してきて、透歌の体にまとわりつき始めた。

(ああ、妖精さんだ)

 その物体は、七色に輝く薄い虫の羽を生やした、拳ぐらいの大きさの人間だった。妖精である。各々が妖しげな、あるいはからかうような笑みを浮かべて、透歌の周囲を好き勝手に飛び回る。
 透歌は自分の耳を引っ張り、目に張り付いて視界を塞ごうとする妖精たちを無視して、様々な形の錠剤十数個を、水で一気に流し込んだ。
 しばらく目を瞑ったまま身じろぎもせずに待ち、おそるおそる目を開ける。あれほどたくさん飛び回っていた妖精たちが、影も形もなくなっていた。頭痛や腹痛や吐き気も、かなり和らいだようだ。

(よかった、おくすり、まだちゃんと効いてるみたい)

 ほっと息を吐き、薬と水筒をバッグの中にしまいこむ。
 先程の妖精は、もちろん現実のものではない。全て幻覚である。
 幻覚を見るというのは、大体にして麻薬に手を出しているか精神的な病を患っているかのどちらかであり、透歌の場合は後者だった。原因もよく分かっている。

(赤塚君……)

 閉ざされた視界の中に、一人の少年の顔が浮かび上がる。意志の強そうな瞳と穏やかな微笑を作る唇が印象的な、優しい風貌の少年である。
 彼の名は赤塚幸樹と言い、透歌のクラスメイトである。彼のことを思うだけで、普段は今にも止まりそうなほど静かな透歌の心臓は、まるで火がついたように激しく鼓動を打ち始めるのだ。

(冗談を言って笑っている顔が好き。友達と話してるときの楽しそうな声が好き。野球のボールを追いかけるときの、真剣な瞳が好き。部活が終わったあと、夕陽を眺める横顔が好き。女の子と話すときの、照れくさそうだけど優しい仕草が好き)

 闇の中で、赤塚の顔が次々と移り変わる。
 彼の多彩な表情や、繊細な仕草の細かいところまで、透歌は全て覚えていた。ほとんど会話すらしたことがないような仲だが、彼のことをずっと遠くから見つめてきた。
 元々、透歌は病気がちな少女だった。小学校中学校と、ほとんどの時間を家で過ごし、同年代の子供とまともに話した経験など数えるほどしかなかった。
 そんな彼女が、今薬を飲みながらにしても公立の高校に通っているのは、間違いなく赤塚のおかげだった。
 窓際のベッドに身を横たえる彼女の眼下を、毎日のように駆けていく少年がいた。いつもじっと彼の姿を追い続けている内に、いつしか透歌はその少年の隣に立ってみたいと思うようになっていたのだ。
 幼いころから自分の人生に何の希望も見出せなかった彼女の胸に、生まれて初めて小さな炎が宿ったのである。その炎は少しも勢いを衰えさせず、それどころか彼の姿を見るたびにますます激しく燃え盛った。
 そうして生まれた狂おしいほどの情熱を糧に死に物狂いの努力を重ねた結果、透歌は気がつけば彼と同じ高校に通っていたのだった。
 入学してすぐに運良く彼と同じクラスになれたこともあり、透歌の体は以前とは比べ物にならないほど健康になっていた。
 毎日ちゃんと登校して、彼の姿を遠くから眺めているだけで、世界全体が眩しく輝いているような錯覚すら覚えたほどである。
 無論、ある程度健康になったとは言え体が弱いのには変わりなかったし、元来内気で引っ込み思案な上に今までまともに人と話したことがなかったせいで友達も出来なかったが、彼女自身は赤塚を見つめることさえ出来ればそれで十分に幸せだったのである。
 そんな幸せな日々も、長くは続かなかった。
 破局の兆候はいくつかあった。
 まず、透歌の赤塚への思いが、抑えようもないほどに膨らんできていたこと。
 以前も、彼のことを夢に見たり、ふと「今なにをしているだろう」と想像したりすることはあった。
 それが入学して三ヶ月もする頃には、透歌の頭の中はほとんど全て赤塚だけで占められるようになっていたのである。
 毎晩夢に見るのはもちろんのこと、路傍の小石から自分とは何の関わりもない海外のニュースに至るまで、何を見ても彼と関連付けずにはいられないほどである。
 また、赤塚の周囲に多数の少女が存在することも、あまり好ましい要素ではなかった。
 赤塚の穏やかで温かい雰囲気に惹かれているのは透歌だけではなかったようで、彼の周囲はいつも華やかな少女たちの声に溢れていたのである。
 彼女らはそれぞれ、空っぽの人生を送ってきた透歌とは比べ物にならないほどに魅力的だった。
 愛しい彼の恋人としてその隣に立てたら、という透歌の淡い願いは、最初から叶わぬ夢物語に過ぎなかったのだ。
 とは言え、それらが透歌の心に及ぼした影響は、さほど強いものではなかった。
 叶わぬ恋であることなど、初めから頭では理解できていたのだ。
 だから、激しい思いを胸の内だけに仕舞っておくことも、彼の恋人になるのを諦めることも、それほど辛いものではなかった。

(そう、それでいいの。わたしはただ、せめてこの三年間の高校生活の間、ずっと赤塚君を見つめていられれば、それで)

 自分の恋慕の情が届かないことを心の底から悟った後も、透歌のその姿勢はほとんど揺るがなかった。
 しかし、それすらも崩れてしまう出来事が起きてしまった。



 彼女がその会話を偶然耳にしたのは、一ヶ月ほども前のことである。
 いつものように校舎の片隅の窓辺から、校庭で練習する野球部(性格に言えばそれに参加する赤塚)を見つめた後、下校すべく自分の教室の前を通りかかったとき。

「キモいよなー、倉井」

 という、クラスメイトの女子の声が、教室の中から聞こえてきたのである。
 どうやら自分の陰口を耳にしてしまったらしいと気付いて、透歌は身を硬くした。立ち去るべきかと迷っている間にも、教室から次々と自分の悪口が飛び出してくる。

「あー、キモいね、確かにキモい」
「なんかさー、倉井の席の周りだけやけにじめっとしてるんだよね」
「カビ生えそうだよね、あれ」
「何も喋んねーし、休み時間も石みたいに動かないしさ」
「不気味っつーの? 何考えてんだかさっぱり分かんないよね」
「なんかビョーキっぽいよね。近づいたら感染しそう」
「ちょっとやめてよー、あたしあいつと席近いんだからさー」
「あいつ一人だけ隔離してもらえばいいんじゃね?」

 そんな会話が、下品な笑いと共に耳に飛び込んでくる。かすかに痛む胸を、透歌はぎゅっと押さえた。

(キモい……きもちわるいのかな、わたし)

 今まで、自分のことをそんな風に考えたことはなかったが、人から見ればそうなのかもしれない。

(でも、大丈夫。わたし、きもちわるくてもいい。赤塚君を見つめてさえいられれば、それで)

 そう思いなおして、透歌がその場から立ち去ろうとしたとき。

「幸樹もキモがってんじゃないの、あれ?」
(幸樹……赤塚君!?)

 突然出てきた思い人の名前に、透歌の心臓が激しく脈打ち始める。
 先程とは比べ物にならないほど、教室の中の会話に集中する。

「え、なに、幸樹がどうしたの?」
「あんた気付いてないの? 倉井さー、なんか、いっつも幸樹のこと見てんじゃん」
「うっそ、マジで!? じゃーなに、倉井、幸樹ラブってこと?」
「うっわ、ありえねー! キモすぎだって。マジなんそれ?」
「マジマジ。あの女前髪長くて半分目ぇ隠れてっから分かりにくいけどさー、よーく見ると、いっつも幸樹のこと見てんのよ」
「ぎゃー、やめて、マジやめて! なんかあいつの視線ってスゲーねっとりしてそーっ!」
「幸樹かわいそー、呪われてんじゃない?」
「そういう想像しか出来ないよねー。わたしが男だったら、あんなのに好かれてるって知ったらショックで自殺するわ」
「だよねー。倉井だよ倉井。マジありえねー」

 透歌はゆっくりとその場から立ち去った。
 転げ落ちるように階段を駆け下り、朦朧とした意識のまま歩き続けて、気がつけば家に帰り着いていた。
 真っ暗な自室の中、電気もつけずに隅っこにしゃがみこみ、先程聞いた会話を何度も何度も頭の中で繰り返す。

(きもちわるい。わたしはきもちわるい。赤塚君、わたしを見たら嫌な気分になるんだ)

 頭が殴られたように痛み、腹の辺りがずきずきと痛み出す。背中から嫌な汗が滲み出し、全身を悪寒が襲った。

(どうしよう。赤塚君、わたしが見てたら嫌な気分になるって。ショックで自殺するぐらい嫌だって。赤塚君が嫌な気分になるのはいやだ。でもわたし、赤塚君をずっと見ていたい。だけどそうすると赤塚君が嫌な気分になる。赤塚君が嫌な気分になるのは嫌。でもわたし、赤塚君のこと見られない人生なんて考えられない。だけどわたしに見られると赤塚君が嫌な気分に……ああ、どうしようどうしようどうしようどうしよう)

 思考が堂々巡りし、どんなに努力しても答えが出ない。腹痛と頭痛に加えて吐き気もこみ上げてくる。気がつくと、混濁する意識の中、視界を覆いつくさんばかりに見たこともない生き物が部屋を飛び回っている。
 翌日、透歌はベッドから出ることが出来ずに、結局学校を休んでしまった。



(だけど、わたしはここにいる。わたしに見られると、赤塚君が嫌な気分になると知りながら)

 女子トイレの個室の中で、透歌はため息を吐く。
 結局のところ、彼女は進むことも戻ることも出来ずに日々を過ごしている。
 病院で診てもらったところ、頭痛や腹痛、幻覚等の症状は、全て心因性のものと診断された。透歌にとっては、いちいち言われなくても分かっていたことだったが。
 両親はイジメに遭っているのではないかと勘ぐり、もう学校へは行かなくてもいいと透歌を説得した。しかし彼女は絶対に聞き入れなかった。

「わたし、どうしても学校へ行きたいの。こんな風になってしまった理由は言えないけど、またベッドの中で寝るだけの生活に戻るのは絶対に嫌」

 そんな風に強く主張したのは、生まれて初めてのことだった。両親にとってもそれは同様だったようで、とりあえずは透歌の意志を汲んでくれた。服薬しながらの通学を認めてくれたのである。
 だが、頑張れたのはそこまでだった。苦しみに耐えて学校に通いながら、透歌は状況を何も変えることが出来ずにいる。
 自分に見つめられると赤塚が嫌な思いをするのなら、せめて近くにいられるだけで満足しよう……そんな風に思い込もうとするのだが、気がつくと彼の姿を目で追っている自分がいる。

(これじゃダメだ。赤塚君に嫌な思いをさせてしまう)

 透歌は必死に自分を抑えようとしたが、赤塚が近くにいるだけで、理性など簡単に吹き飛んでしまう。

(赤塚君が嫌がるって分かってるのに、自分勝手な感情を抑えられないなんて。わたしはなんて汚い人間なんだろう)

 自己嫌悪と絶望感は心の病をさらに加速させ、先週更に三錠ほど薬が増えた。
 それでも、透歌は自分の病気の原因を、他人には一言も喋っていない。誰かに話して、それが赤塚に伝わってしまったらと思うと、怖くてたまらなかった。

(わたしはどうしたらいいんだろう)

 バッグを持って個室のドアを開けながら、透歌はぼんやりと考える。

(近くにいると赤塚君に嫌な思いをさせてしまうのに、彼から離れるのには耐えられないなんて)

 女子トイレから出る直前、壁にかかった鏡の中に自分の姿を見る。
 青白い肌、長い前髪に隠された目元、色素の薄い唇、痩せこけた頬。

(ああ、本当だ、きもちわるい。わたし、墓場から出てきた幽霊みたいだ)

 そんなことを考えて、透歌はふと微笑んだ。
 幽霊。もしも自分が幽霊だったら、どれだけいいだろう。
 そうすれば、誰かに気付かれることなく、本人に悟られて嫌な思いをさせることもなく、ただただ彼のことを見つめていられるのに。

(幽霊、か。死んだら、幽霊になれるのかな)

 異常な考えだと、理性が警告する。だが、自分でもそうだと理解できるほどに異常な思考は、闇に差した一筋の光のように、ゆっくりと透歌の心に広がっていく。

(そうだ。死んで幽霊になればいいんだ。大丈夫、わたし、こんなに赤塚君のことが好きなんだもの。きっと、出来るはず。そうだ、死のう、死のう。今日死のう、今すぐ死のう。屋上から飛び降りれば、すぐだ)

 決心した透歌は、女子トイレの扉を開けて外に出た。
 すぐに屋上に向かおうと踵を返したとき、不意に後ろから声をかけられる。

「倉井さん」

 心臓が大きく脈打った。

(この声……! え、でも、そんなはず……)

 かき乱された思考がぐるぐると渦を巻き、透歌は深い混乱の中に叩き落される。
 それでも、体はゆっくりと後ろを向いていた。前髪で半ば塞がれた視界の中に、彼の姿が見える。

(赤塚君……!)

 透歌は目を見開いた。あり得ない事態に、呼吸をすることすら忘れてしまう。

(なに、なんなの、何が起こってるの? ああ、これも幻覚? おくすり、効かなかったのかな?)

 混乱と緊張に身を震わせる透歌に、赤塚は優しく穏やかな微笑を浮かべてみせた。

「ごめんごめん、特に、用があったわけじゃないんだけどさ。あれ、ひょっとして急いでた?」

 近づいてくる赤塚に、必死で首を横に振る。彼は「そっか、よかった」とほっとしたように言いながら、透歌から二歩ほどの距離を空けて立ち止まった。

「大丈夫? なんか、いつもより具合が悪そうだけど」

 心配そうな顔でそんなことを言われて、透歌はますます混乱した。

(ああ……わたし、赤塚君にこんな顔させて……あれ? でも、赤塚君、わたしを心配……? ううん、そんなはず……でも……)

 とにかく何か言わなければと思い、透歌は必死で口を開く。

「……あの……だ、だいじょぶ、です……」

 小さくか細い声だった。ちっとも大丈夫そうに聞こえない。透歌は心の中で自分を呪う。
 赤塚の方は特に気にした風でもなく、「それならいいんだけど」と困ったように笑った。

「なんか、倉井さんっていっつも元気なさげだからさ」
「……い、いつも……?」
「そうそう。ほらなんか、凄い痩せてるし、今にも倒れそうな感じでさ……やっぱ、気になるんだよね」
「……気に、なる……?」

 透歌の体が、冷水を浴びせられたかのように冷たくなった。

(気になる……! 気になるんだ、やっぱり気になるんだ……! きもちわるいぐらいに痩せてて、今にも倒れそうな不気味な女がいつも自分のことを見つめてるから気になって、赤塚君いつもわたしのせいで嫌な気分になってるんだ、わたし、やっぱり赤塚君に嫌な思いを……!)

 そうに違いないと覚悟していたことではあったが、本人から直接事実を突きつけられたときの衝撃は想像以上のものだった。

「……? 倉井さん?」

 怪訝そうな赤塚の声が、やけに遠くに聞こえる。遠のく意識を、透歌は必死に繋ぎとめた。

(ああ……せめて、せめて、謝らなくちゃ……! 嫌な思いをさせてごめんなさいって、もう二度としませんってちゃんと言わないと……!)

 その思いを伝えようと、透歌は必死に口を開く。声の代わりに、涙が出た。

「倉井さん!?」
「……っ……ごめ、ごめんな、さいっ……!」
「お、落ち着いてよ、なんで急に泣いて……っていうか、なに、なんで謝るの? お、俺に謝ってるの?」
「……わ、わたし、赤塚君に嫌な思いを……」
「は? え、俺?」

 困惑したように自分を指差す赤塚に、透歌は無言で頷いた。彼は頭をかきながら、なだめるように言う。

「……よく分からないけど、とりあえず、落ち着いて、話してくれないかな?」
「……は、はい……」

 まだ混乱の渦中にあったが、ほんの少しだけ気持ちが落ち着いてきた。透歌はしゃくり上げながら、謝罪の続きを口にする。

「……あの、わ、わたし、こんな青白くて骸骨みたいに痩せててきもちわるくて……な、なのに、いつも赤塚君のこと見てるから……それで、嫌な思いをさせて……」

 人と話すのは苦手だったが、とにかく何とかして謝罪の意志を伝えようと、透歌は思いつくままに一生懸命喋った。だが案の定上手く伝わらなかったようで、赤塚は眉間に皺を寄せてしきりに首を捻っている。

「……えーと、まだ、ちょっとよく分からないんだけど……つまり、倉井さんは俺に嫌な思いをさせたと思ってて、そのことを謝りたいと思ってる……ってことで、いいんだよね?」
「……は、はい……」

 自分の意志が伝わったことにほっとする透歌の前で、赤塚はまだ首を捻っている。

「……あのさ、なんか、誤解してるみたいなんだけど……」
「……ご、誤解、ですか……?」
「ああ。いや、俺、倉井さんのせいで嫌な思いをしたことなんか、一度もないんだけど……?」
「……え……?」

 今度は透歌が困惑する番だった。

(どうして……? 赤塚君、嫌な思いをしてないって……でも、わたしのせいで……)

 戸惑う彼女をじっと見つめていた赤塚が、不意に声の調子を変えて切り出した。

「それより、聞きたいことがあるんだけど……」

 真剣な声音に驚いて顔を上げると、視界の真ん中に赤塚の瞳があった。透歌が憧れていた、あの真っ直ぐで意志の強そうな瞳だ。瞬間的に顔が熱くなり、透歌は思わず顔を背けてしまう。だが、赤塚はそんなことなど気にも留めないかのように言った。

「倉井さんさ。さっき、自分のこと気持ち悪いって言ったよね?」
「……ええと……」

 透歌は思い出そうとしたが、必死過ぎたせいか、先程まで喋っていた内容をほとんど思い出せなかった。

「……誰かに、そう言われたの?」

 どきりとした。おそるおそる顔を前に戻すと、赤塚は相変わらず、馬鹿正直なほどに真っ直ぐな視線を透歌に注いでいる。

(ああ……赤塚君の顔が、こんなに近くに……!)

 先程とはまた違った意味で、透歌は身動き出来なくなってしまう。
 その肩を、不意に赤塚の両腕がつかんだ。呼吸が止まりそうになる。少年らしい細さを残しながらもしなやかに鍛え上げられた赤塚の両腕が、自分の肩をつかんでいる。彼の手の平の温もりが制服の布地越しに感じられて、冗談抜きで失神しそうだった。
 そんな透歌に、赤塚は力強い声で言った。

「俺は、そんなこと思ってないから」

 その声が、透歌の意識を現実に引き戻した。

「確かに倉井さんはちっちゃいし、今にも倒れるんじゃないかって心配になるぐらい痩せてて、いっつも元気なく見えるぐらいに青白いけど……」

 透歌の肩を握る手に、力が篭った。

「倉井さんは、気持ち悪くなんかない。絶対に。少なくとも、俺はそう思ってるから」

 強い感情が込められた言葉だった。その一語一語を、透歌は全身で受け止めた。言葉は血潮に宿って透歌の体内を駆け巡り、まるで魔法のように、彼女の冷たい体を温めた。

(お日さまに抱きしめられたみたい)

 心臓が力強く脈打つ音を、透歌は確かに聞いた。赤塚の温もりに、汚い体が浄化されていくのを感じる。気がつけば、透歌はまた涙を流していた。苦しさや悲しさ以外の理由で涙を流すのは久しぶりだった。

「く、倉井さん? ご、ごめん、俺、なんか変なこと……」

 赤塚が慌てて透歌の肩から手を離す。透歌は頬を伝う涙の温かさを感じながら、ゆっくりと口を開いた。

「……ありがとうございます、赤塚君」
「え?」
「……わたし、赤塚君の言うとおり、あまり元気じゃなかったんですけど……赤塚君のおかげで、すごく元気になりました」
「そ、そう……?」
「はい……だから、あの……もう、大丈夫ですから……あ、ありがとうございました!」

 これが本当に自分のものかと疑うほど、自然に大きな声が出た。目の前の赤塚もこれは予想外だったようで、驚いたように目を瞬いている。気のせいか、頬も若干赤くなっている。
 途端に恥ずかしくなってきた。体の熱が顔まで上ってくるのを感じる。

「あ、あの……あの、あの……えええ、えーと……し、失礼しますっ!」

 何を言うべきか分からないまま、透歌は踵を返してその場から逃げ出した。
 昼休みも終わりに近づき、廊下には徐々に人が増え始めている。普段の倉井透歌を知るわずかな生徒たちが、我が目を疑うような表情を浮かべる中を、透歌は小走りに走り抜ける。もはや、誰に何を言われようが、どんな目で見られようが、全く気にならない。心の代わりに体が馬鹿になってしまったようで、空も飛べるのではないかと錯覚するほどに、腹の底から訳の分からない力があふれ出してくる。

(そうだ、もう何も気にならない。あの瞬間の思い出があれば、わたしはこれから一生生きていける!)

 確信を抱いて走る透歌のバッグから、薬の入ったプラケースが飛び出し、床に落ちて軽やかな音を立てた。



 こうした次第で、倉井透歌は再び元気を取り戻した。
 とは言え、基本的に内気な彼女のこと、愛しい赤塚との仲は以前とそれほど変わらなかったようである。この後も透歌は周囲にキモいと陰口を叩かれながらも、それを全く意に介さず、幸せな気分で赤塚のことを見つめ続けた。
 ただ、見つめられる側には若干気持ちの変化があったようで、今度は逆に赤塚の方から透歌を見つめることも多くなった。
 互いに「相手の気を散らさないように」と過剰なほど気を遣うせいで、目が合うことは滅多になかったそうだが、
「こっちのちょっとした仕草でも大袈裟に悩む倉井さんが相手だから、これぐらいがちょうどいいのかもしれないなあ」
 赤塚は、半ば諦め半分にそんなことを考えたりするそうである。

 <了>
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