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【ゼロ魔SS】不幸せな友人たち(4)―キュルケ―

昔某所に投稿した、ゼロの使い魔SSです。
原作1桁巻ぐらいの頃に書いたSSなので設定が古いです。
『不幸せな友人たち』は幸せな男爵様の続きとなっておりますので、まずはそちらからお読み下さい。
 


『不幸せな友人たち(4)―キュルケ―』



 あの雨の日も遠く過去へと過ぎ去り、ティファニアがデルフリンガー男爵領に来てから、ちょうど五年の月日が流れていた。
 周囲の風景は時間と共に移り変わっていくが、ティファニアの生活にはほとんど変化がない。
 三日に一度は才人のふりをして手紙を書き、訓練された梟に持たせて城に届けさせる。ルイズからの返事がくれば、よく読んでまた返事を書く。それ以外は、本当に何もない生活だった。正確には、それ以外は何もしようとしない生活だった。
 あの雨の日以来、ティファニアは自分の気を紛らわせたり、罪の意識から目をそらす行為を一切しなくなった。ベッドの中で悪夢にうなされようと、罪悪感で胸が引き裂かれんばかりに痛んでも、寝入るために葡萄酒を飲んだりはせず、ただじっと痛みを受け止めて眠れぬ夜を過ごした。罪悪感は起きている間も襲ってきたが、そういうときも手仕事をして気をそらしたりはせず、黙って椅子に座ったまま、胸を痛めて葛藤の渦に沈んだ。
 一方、城の方でもさほど大きな変化はない。ルイズは相変わらず夫の留守を預かる妻として張り切っている。その努力の甲斐あって、貧しい村は少しずつ活気づきつつある。さらに、貴族には珍しいほど質素な生活を営み、無理な要求もしないため、領民からの評判も上々だということである。
 変わったことといえば、シエスタが弟のジュリアンを呼びつけて、城に住まわせるようになったことだ。買い付けなどの様々な雑用や、女には不向きな力仕事をさせるため、というのが表向きの理由である。実際は、シエスタが自身の仕事を減らし、出来る限りルイズの監視に専念したいが為だった。
 ジュリアンはたまに城周辺の見回りという名目で森に入り、ティファニアに日用品や食料などを届けてくれる。そういうときに、彼女は一度問いかけたことがあった。

「あなたはきっと、これから一生今のような生活を続けていくんでしょう? 私よりもまだお若いのに、よくそんなことを承諾できましたね」

 彼は真面目な表情で答えた。

「僕は以前、サイト・シュヴァリエ・ド・ヒラガ殿に命を救われたことがあります。あの人がいなければ、僕は今生きていません。ですから、彼の願いを叶えるために生きるのは、当然のことです」

 彼もまた、才人の存在によってその運命を大きく変えられた人間の一人なのだ。

(サイトは、一体どれだけの人の人生に影響を与えていたんだろう)

 ティファニアの記憶に残っているのは、能天気で明るい笑顔を浮かべた黒髪の少年の姿だけだ。だが、彼が死んでもう五年も経つというのに、その存在は薄れるどころかますます濃く、日増しに大きくなってくるように思える。
 ルイズが封じられた記憶を取り戻したことは、あのとき以来一度もない。降りしきる雨を見たり、あの日のことを連想させるような物品に触れても、特に変わった反応は見せないという。

「だからこそ、不思議なんですよね。どうしてあのとき、ミス・ヴァリエールは記憶を取り戻してしまったんでしょう」

 シエスタは首を傾げていたが、ティファニアにはその理由が分かる気がしていた
 彼女が最初にルイズの記憶を消したとき、心の中には明らかな迷いがあった。その感情が、魔法の効果を弱めてしまったのかもしれない。対して、あの雨の日はルイズの凄まじい怒りを目の当たりにした直後で、心が恐怖に塗りつぶされていた。あの怒りに滾る瞳から逃れたくてたまらなかった。だから、自己防衛本能が全ての躊躇を消し去り、魔法を完璧な状態にしたのではないか。そんな風に思えた。

(どっちにしても、今はもうどうでもいいことね。私があのとき、自分の保身だけを考えてルイズさんの記憶を奪ったことに、変わりはないんだから)

 ティファニアは今でもシエスタに呼びつけられて、夜半こっそりと城に忍び込むことがある。ニ、三日中のルイズの記憶を消し、「長旅から帰ってきたサイトが少しだけ城に滞在し、また旅に出かけた」という作り物の思い出を植えつけるためである。この企ても、皮肉なほど上手くいっている。
 ルイズに魔法をかけるたび、ティファニアの胸は罪悪感でさらに重くなっていった。その重みで、彼女は底が見えない泥沼に、どんどん深く沈みこんでいくのだ。
 だが、そこから抜け出すつもりはなかった。自分はもう、その資格を永遠に失ってしまったのだと思っていた。
 燃え立つような赤毛を翻してキュルケがやってきたのは、そんな頃のことだった。



「これはまた、ずいぶん窮屈なところに住んでるのね、あなた」

 狭い小屋の中を見回して、キュルケが呆れたように呟いた。彼女の外套は、白く上質な布で織られており、惜しげもなく宝石を使って飾り立てられている。こんな場所には不釣合いなほどきらびやかである。そんな彼女に椅子を引いて勧めながら、ティファニアは答えた。

「わたしには、ここで十分ですから」
「そう? どう見たって、若い女が一人で住むような場所には見えないけど」

 手に持っていた小さな鞄――これも宝石で遠慮なく飾り立てられていた――を、テーブルの上に放り出しながら、キュルケは椅子に座る。無遠慮に小屋の中を見回して、やや不快そうに眉根を寄せた。

「私物らしきものが全く見当たらないんだけど」
「ええ、持っていませんから」
「要するにお茶すら期待できないわけね」
「ごめんなさい」
「ま、別にいいけど」

 ティファニアはキュルケの向側に腰掛ける。テーブルを挟んで彼女と向き合う形だ。人が二人いるだけだと言うのに、狭い小屋の中は既にかなり窮屈だった。そんな中で、赤毛の女はテーブルに頬杖を突き、何か咎めるように目を細めて言った。

「あなた、変わったわね」

 ティファニアは逃げるように顔を伏せて、キュルケから目を背けた。

「そうですか?」
「ええ。昔から内気で大人しい……悪く言えば暗い感じだと思ってたけど、今はもっとひどいわ。なんかどんよりしてて、近づいただけでこっちまで気が滅入ってきそう」

 遠慮というものが欠片も感じられない、うんざりとした物言いである。ティファニアは膝の上で拳を握り締める。一方キュルケは、部屋の中に置いてある櫃に目を止めていた。ルイズから、サイトに宛てられた手紙が入っている櫃である。

「この部屋を見た感じ、あなた、極端に自制した生活を送ってるのね。何の楽しみもなく、退屈を紛らわせることすらせずに、ただただ日々を過ごしているだけ」

 キュルケの声が少し鋭くなった。

「まるで、自分に罰を与えてるみたいに」

 心臓が大きく跳ねた。握り締めた手の平に汗が滲んでくる。

「だって」

 言いながら、わずかに顔を上げる。キュルケはテーブルに頬杖を突き、じっとこちらを見つめていた。落ち着かない気分になり、ティファニアは少し目をそらす。

「わたしがこうしている理由は、分かるでしょう?」
「まあ、大体はね」

 キュルケの口元に微笑が浮かんだ。

「真面目だものね、あなたも。タバサと同じで」

 居心地の悪さに身じろぎしながら、ティファニアは改めてキュルケを観察した。
 白く上質な布で織られた外套の下も、やはり豪華なドレスらしかった。継ぎはぎだらけの薄汚れた服を着ているティファニアとは、正反対の格好である。燃え立つような赤毛も以前より艶を増していた。少々けばけばしいほどの化粧が施された褐色の肌も非常になめらかで、健康そのものに見える。テーブルの上には何か私物が入っているらしい小さな鞄が投げ出されているが、これも宝石が散りばめられた悪趣味な一品だった。
 つまり、目の前にいる女は、富や享楽、世俗的な願望を、これでもかと言うほど凝縮したような姿をしているのだ。服の丈だけは昔と違って非常に長くなっており、露出が極端なほど抑えられているが、それ以外は昔のキュルケそのまま、実に陽気で享楽的な風体だった。

(話に聞いていた通りだわ)

 五年前、東方から帰還したキュルケは、すぐに故郷ゲルマニアのツェルプストー家領に帰ると、かなり強引な手段を使って当主である父を隠居に追い込み、権謀術中により家族親族を巧妙に蹴落として、名実共に家の主となった。ほとんど間を置かずに師であるコルベールと結婚した彼女は、夫を説き伏せて様々な兵器を秘密裏に開発、量産させた。ツェルプストー家の私兵は、周囲が気付かぬ内に強化されていたのである。
 当時、ゲルマニアはアルビオン戦役後間もなく勃発した内戦が激化の一途を辿っており、国内の政情は非常に不安定な状態にあった。キュルケは強化した私兵軍を率いて、突如としてその内戦に参戦した。様々な事前工作のおかげもあって、彼らは破竹の勢いで勝ち進んだ。他の勢力も大方はツェルプストー家の軍門に下り、いつしかゲルマニア最大の勢力となった彼らは、最後まで頑強な抵抗を続けた前皇帝アルブレヒトⅢ世の軍団すらも打ち破るに至る。
 こうして、帰還してからたった三年足らずで、キュルケはゲルマニアという巨大国家の長にまで上り詰めてしまったのである。今の彼女は神聖ゲルマニア帝国ツェルプストー王朝の祖なのだ――。
 というような情報は、かなり正確な形でティファニアの耳にも入ってきていた。情報源はシエスタである。彼女はルイズに嘘がばれないように細心の注意を払っており、様々な手段を用いて各地の情報を集めさせていた。

「何が原因でミス・ヴァリエールが真実を知るか、分かったものではありませんからね」

 淡々とした口調で、そんな風に言っていた。
 ともかくそういった理由で、今のキュルケがどんな生活を送っているのか、頭では理解しているつもりだった。
 だが、実際にこの目で見てもなお、ティファニアはまだ信じられなかった。
 常に自分の胸を締め付け、心を重くする罪悪感が、目の前のキュルケからは欠片も感じられない。
 しかも、彼女はついさっき、久方ぶりにルイズと再会してきた帰りのはずだった。

(あのルイズさんを見ても、この人は何も感じなかったのかしら?)

 疑問が胸の中で膨れ上がる。

「わたしはね」

 と、ティファニアの内心を見透かしたように、不意にキュルケが呟いた。

「あのときの選択……ルイズからサイトの死に関する記憶を奪ったことは、間違った選択じゃなかったと思ってるわ」

 ティファニアは目を見開き、伏せていた顔を上げた。キュルケが大袈裟に目を瞬く。

「あら、信じられないって言いたげな顔ね」
「当たり前じゃないですか……!」

 声が詰まった。何を言っていいのかよく分からない。キュルケはテーブルの上で手を組み、そこに顎を乗せた。派手な外見には似つかわしくないほど静かな瞳が、真っ直ぐにティファニアを見据える。

「よくよく考えてご覧なさいな。あなたはあのときの選択が間違っていたと思ってるみたいだけど、他にわたしたちが選べる選択肢は、なんだった?」
「他の選択肢、は……」
「ルイズの望みどおり、彼女にサイトの後を追わせてあげること。そうよね?」

 ティファニアは再び俯いた。握り締めた拳が、膝の上で小刻みに震えている。

「あなた、あのとき、その選択肢は選ばなかったでしょう? いいえ、選べなかった。そりゃそうよ、わたしたちみんな……最後まで反対してたタバサだって、ルイズに死んでほしくはなかったんですもの。あなただって、そうでしょう?」

 その質問には、ティファニアも迷いなく頷いた。「わたしもね」と、キュルケが吐息混じりに続ける。

「あの子には死んでほしくなかった。そりゃ、家同士は犬猿の仲だったけどね。あの子本人のことは結構好きだったもの。見てるこっちがやきもきするぐらい不器用なあの子がね。そんな友達に、どんな形であれ、生きていてほしかったのよ。それが、一番強い感情だった」

 キュルケは小さく笑った。

「さっき、久しぶりにルイズに会ってきたけどね。凄く幸せそうだったわ。あなた最近、あの子と話した?」

 ティファニアは首を横に振った。彼女がルイズを見るのは、記憶を消すために、深夜城に侵入するときだけだ。それでなくとも、自分にルイズと会って話をする資格があるとは思っていなかった。

「あの子、幸せそうだった。笑っちゃうぐらいベタ惚れよね。サイトのことばっかり話して……そうそう、彼、今はわたしの頼みでゲルマニアの地方領主の反乱鎮圧に協力してることになってるんだったわね。あの子があんまり自然にそう話すんだもの、ついついわたしまで信じそうになったわ。本当に、サイトがまだ生きているんじゃないかって」

 沈黙がやって来た。外から、鳥が鳴き交わす声が聞こえてくる。

「わたしは、悪くない結果だと思ってるわ」

 キュルケの声の調子が変わった。ティファニアは顔を上げる。赤毛の女は、穏やかに目を閉じていた。

「ルイズは幸せに包まれながら生きて、このささやかな領地の領主として頑張ってる。前に来たときは比べ物にならないぐらい、領民の顔は明るかったわ。あの笑顔も、豊かさも、全てルイズが生きていたからこそもたらされたものよ。彼女の頑張りがなければ、死んでいた人だっていたかもしれない。ルイズを生かした私たちの選択は、間違いなく多くの人々に幸せをもたらしたのよ」

 諭すような声音を聞いたとき、ティファニアの脳裏に怒りに滾るルイズの瞳が浮かび上がった。

「やめて」

 か細く呟いた声は、キュルケには届かなかった。

「仮にあのとき、ルイズを死なせていたとしたら、どう? 誰が喜んで、誰が幸せになった? わたしたちはサイトを失った上にルイズまで死なせて、心に深い傷を負っていたでしょう。そもそも、死んだサイトだって、そんなことは望まなかったはずよ。二つの未来を天秤にかければ、どちらがよりよい結果なのかは、子供にだって分かるはず。だからね」

 キュルケの声が、深い優しさを帯びた。

「あなたは、そんな風に苦しまなくたっていいのよ」

 その声音は、じわりじわりとティファニアの胸に染みこみ、おぞましいほどの温かさをもたらした。

「やめて」

 絞り出した声は、小刻みに震えていた。それに気付かぬように、キュルケの声はますます深く響き渡る。

「だって、いいことをしたんですもの。死にゆくルイズを救い、同時に多くの人を幸せにした。サイトの死に囚われて、引きずり込まれようとしていたルイズを助けられる、唯一の人間。それがあなただったの。そのことを誇ったっていいぐらいよ。だから」
「やめてください!」

 とうとう耐え切れなくなり、ティファニアは悲鳴を上げた。小屋の外で、鳥の一群が枝から飛び立った。言葉を失って呆然とするキュルケの前で、ティファニアは両手で耳を塞ぎ、大きく身をよじった。胸を覆わんばかりの温かさが、吐き気となってこみ上げてくる。涙で視界が滲んだ。

「お願い、もうやめて! これ以上わたしを惑わせないで!」
「あなた……」

 視界の隅で、キュルケが手を伸ばすのが見えた。その手から逃れるために、ティファニアは椅子を蹴って立ち上がる。息を飲んで立ち上がるキュルケに向かって、声を絞り出す。

「わたしを慰めないで。あのときの選択が正しかったなんて、言い聞かせないで。今ここにある現実が、いいものなんだと思わせないで。あなたの言葉は、気持ち悪いぐらいに温かくて、優しくて、自分にとって都合がよくて……悪魔の囁きと同じなの。それを聞いていると、わたしはつい『これでよかったのかもしれない』と思いそうになる……自分がしたことの汚さを忘れて、自分を許してしまいそうになる」

 ――あんたはわたしを世界で一番薄汚くて醜い、最低の女にしたのよ!

 降りしきる雨の中に響き渡ったルイズの声が、今また頭の中に蘇る。

「それだけは嫌なの! それだけは、絶対にしてはいけないことなの! だからもう、これ以上わたしに優しい声で語り掛けないで。わたしの心を折らないで。これ以上、醜い人間になりたくないんです……お願い、お願いします……」

 涙を流して懇願しながら、床に膝を突く。視界の隅で、またキュルケの手が伸びてくるのが見えたが、ティファニアの肩に触れるか触れないかのところで、すっと引っ込められた。

「ティファニア」

 先程の優しい声音とは打って変わった、厳しい声が降ってくる。ティファニアが顔を上げると、涙で滲んだ視界の中に、唇を引き結んだキュルケの顔が見えた。

「その生き方は、とても辛いものよ」

 苦しげに細められた瞳が、真っ直ぐにこちらを見つめている。

「それでも、いいのね?」

 ティファニアは涙を拭い、キュルケを見つめ返しながら、しっかりと頷いた。彼女は沈痛な面持ちで顔を伏せ、唇を噛んで一言だけ呟いた。

「不器用だわ、すごく」

 ティファニアは、何も言い返さなかった。



 しばらくの間沈黙と共に過ごしたあと、キュルケはぽつりと呟いた。

「帰るわ」

 ティファニアも黙って立ち上がり、彼女の後に続いた。もう日暮れ時で、こんな深い森の中でさえも、周囲は赤く色づいている。キュルケは数歩ほどで不意に立ち止まり、ティファニアに背中を向けたまま言った。

「さっき、あのときの選択は間違いじゃなかったって言ったけど」

 数秒、躊躇うような間が続く。ため息をつく音がかすかに聞こえた。

「だからと言って、正しい選択をしたとも思ってないわ。あのとき、最良の選択肢と呼べるものは、わたしたちの前には存在していなかった」

 キュルケが振り返る。いつも陽気だった顔に、寂しげな表情が浮かんでいた。

「わたしもね、今のルイズを包む幸せは、とても歪なものだと思う。辛い現実を誤魔化して、忘れて生きるなんて……正直、反吐が出る考え方よ。わたしだって、そんな生き方は選びたくない。それでも」

 キュルケは背筋を伸ばして、力強い口調で言った。

「わたしはやっぱり、あのときの選択は間違ってなかったと思ってる。だって、大切な人が死んで、寂しくて耐えられないから後を追う、なんて……それは、彼の願いや想いを踏みにじる行いだもの。命を投げ出してまで愛する人を救ったサイトのためにも、ルイズは生きるべきだった。でも、彼女一人ではその意志を取り戻すことは難しかったし、わたしたちも、サイトの代わりになるものを用意することなんてとても出来なかった。だから、わたしはルイズが唯一生き延びられる手段を支持した」

 そこまで言ってから、キュルケはまた、寂しげな微笑を浮かべてティファニアを見た。

「……ここまで言っても、あなたはやっぱり、罰を受けることを選ぶのね?」

 ティファニアは迷いなく頷いた。キュルケは「そう」とだけ答えて少しの間俯き、また顔を上げた。

「だったらね、せめて、こう考えてちょうだい。あなたが強く感じているその罪は、あなた一人だけのものではないんだって。あのとき、あの場所にいたわたしたち、一人一人が背負うべきものなんだって」

 そのとき、ティファニアは不意に気がついた。キュルケが羽織っている外套の袖が少しだけ捲れ上がって、彼女の手首が見えている。そこに、醜い傷跡が残っていた。思わず、「それ……」と指差すと、キュルケは恥らうように、そっと外套の袖を戻した。

「戦いなんてやってると、このぐらいの傷は自然と出来るものよ。気にしなくていいわ」

 ――アルビオン戦役から間もなく勃発したゲルマニアの内戦は激化の一途を辿り、あと少しで他国に飛び火する可能性があった――
 以前聞いた情報がちらりと頭をかすめて、ティファニアは何も言えなくなってしまう。キュルケが困ったように笑った。

「そんな顔されると思ったから、隠してたんだけどね。あなたにも、ルイズにも」

 そう言ったあと、キュルケは表情を引き締めた。

「ティファニア。わたしは、何も後悔してないわ。自分の意志で、この道を選んだから。あなたもそうしなさい。自分の意志に従って、罪に苦しみ、罰を受けながら生きていきなさい。でもね」

 キュルケの瞳に、切実な色が宿った。彼女はニ、三歩とティファニアに歩み寄った。

「いつか、自分を許せる日がくるかもしれないってことを、忘れないで。自分を許すという可能性を、捨ててしまわないで。今は無理かもしれないけど、いつかは……いつかは、自分のことを許してあげて」

 キュルケはティファニアの手を、自分の両手で握り締めた。また外套から手首が覗き、醜い傷跡が露わになる。それを気にする素振りすら見せず、キュルケは必死に言い募った。

「忘れないでね、ティファニア。今日、わたしがあなたに投げかけた全ての言葉を。ここにわたしがいたってこと……あなたの苦しみを見るのが辛いと思っている人間が、この世界のどこかに存在しているんだってことを」

 ティファニアはどう答えるべきか迷った。だが、真っ直ぐに自分を見つめるキュルケの瞳から、目をそらすことはできなかった。

「はい」

 しっかりした声で答え、頷くと同時に、目から涙が溢れ出した。堪えようとしても、涙は止め処なく頬を伝って流れ落ちていく。滲んだ視界の向こうで、キュルケが苦笑した。

「これ、あげるわ」

 手に持っていた小さな鞄から折りたたまれたハンカチを取り出し、そっとティファニアの涙を拭う。それから、そのハンカチを彼女の手に握らせた。

「でも、使っちゃだめよ。これは、戒めの証。いいこと、ティファニア」

 キュルケは真剣な口調で言い聞かせた。

「これきり、泣くのはお止しなさい。罰を受ける覚悟を決めたのなら、泣くことで自分の心を慰めてはいけないわ。涙を流すことなく、顔を上げて真摯に痛みを受け入れるの。それが、あなたの意志を貫くということなんだから」
「はい」

 ティファニアは、またしっかりとした声で答え、頷いた。今度は涙は出なかった。

 キュルケは穏やかに笑い、大きく腕を広げてティファニアを抱きしめようとして、止めた。

「抱擁は、次に会うときまで取っておくわ。慰めや別れのためではなく、祝福のために……あなたが自分を許せたことを喜ぶために、抱きしめてさせてちょうだい」

 優しく囁き、キュルケは踵を返した。薄暗い森の中に、燃えるような赤毛が翻る。陽気な笑い声が弾けた。

「なんだか柄にもなく湿っぽいことばっかり言っちゃったけど、今度こそ帰るわ。飛行機械のそばで待ってる家来の頭がまた薄くなっちゃ、可哀想だものね!」

 冗談めかしたその言葉に、ティファニアは久方ぶりの微笑を浮かべた。
 女帝キュルケが夫作の小型飛行機械で勝手気ままに飛び回り、臣下の領地を訪れては無秩序な騒動を巻き起こしている、というのは、何度か耳にしている話だった。ティファニアの耳に入る情報の中で、一番キュルケらしいエピソードだった。
 遠ざかるキュルケの背中に向かって、ティファニアは大きく声を張り上げた。

「コルベール先生にも、よろしく伝えてくださいね! たまには妻のわがままを聞かずに、髪の毛を大事にしてくださいって!」
「分かったわ! また会いましょうね、ティファニア!」

 キュルケが笑って手を振る。ティファニアもまた、声を上げて笑って、手を振り返した。
 友達の想いに応えるために、今この瞬間だけは、自分に笑うことを許してやってもいいと思えた。



 その後、ティファニアがキュルケの抱擁を受けることはなかった。
 デルフリンガー男爵領を訪れてわずか数ヶ月後、彼女は行方不明になったのである。
 夫コルベールが自ら設計した、新型の巨大飛行船の試運転に乗り合わせていた際、この船が原因不明の爆発を起こして炎上、墜落したのである。燃え落ちた船の残骸から彼女と夫の亡骸が発見されることはなかったが、以降彼女の姿を見たものが一人もいないことから、誰もが彼女は死んだものと判断した。
 こうして、神聖ゲルマニア帝国ツェルプストー王朝は、わずか数年、一代限りでその歴史に幕を閉じることになった。
 多くの人々は、このことによりまたゲルマニアが支配権争いによる内乱に突入することを危惧したが、そうはならなかった。
 何故こうなったのかと誰もが不思議がるほど、国内の各勢力の力関係が均等に保たれ、誰もが迂闊に動けぬ状態のまま不思議な平和が形作られることとなったのである。
 その後も、覇権を握るほど飛びぬけて強い勢力が現れることはなく、神聖ゲルマニア帝国は皇帝不在のまま自然消滅し、時代の流れそのままに、平民主体の政治を得るための革命期を迎えることになる。この時代、平民と貴族は武力を持って真正面からぶつかり合ったが、それはあくまでも国内のみの問題に留まり、それ以降長い間、他国がゲルマニアによって侵略されることはなかった。
 女帝キュルケが行方不明になった事件の真相は、今も謎に包まれている。単純に飛行船の設計ミスという説もあれば、暗殺という単語が嘘まことしやかに囁かれることもある。だが、民衆の間で最も好まれ、信じられているのは、政治の面倒くささに嫌気が差した女帝キュルケ自らこの事故を演出し、死んだ振りをして夫ともども他の大陸に逃亡した、という説である。そういった説が信じられるほど、女帝キュルケは自由奔放な人間像を持って、人々に愛されていたのだ。
 女帝死後のゲルマニアに不思議な平和が保たれたことすら、女帝の綿密な工作のおかげだった、とか、彼女は無秩序に遊びまわる振りをしていたが、その実様々な手段を使って、帝国の平和を保つ努力をしていたのだ、という説すらあったほどである。
 なお、巨大だがまとまりに欠けていたゲルマニアにある程度の安定をもたらし、後の時代への布石を築いたという点で、彼女はそのいい加減な人間像とは裏腹に、政治家としても一定以上の評価を受けている。



 こうして、ティファニアの元にはキュルケのハンカチだけが残された。だが、彼女の死を聞いたときですら、それを手に取ることはなかった。
 彼女がそれを使うことになったのは、キュルケとの出会いからさらに5年を経て、青い髪の少女が小屋を訪れたときのことである。

 不幸せな友人たち(5)―タバサ―
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