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【ゼロ魔SS】不幸せな友人たち(9)―再び、ティファニア―

昔某所に投稿した、ゼロの使い魔SSです。
原作1桁巻ぐらいの頃に書いたSSなので設定が古いです。
『不幸せな友人たち』は幸せな男爵様の続きとなっておりますので、まずはそちらからお読み下さい。
 


『不幸せな友人たち(9)―再び、ティファニア―』



 剣の城の城門がゆっくりと開き、降りた跳ね橋を通って慌てた様子のジュリアンが駆け出してきた。

「ティファニアさん、一体どうなったのですか」
「連絡もせずに、ごめんなさい」
「いいえ、それはよろしいのですが」

 言いかけたジュリアンは、ティファニアの格好を見て息を飲み、厳しく目を細めた。

「お覚悟を、決められたのですね」
「そのつもりです」
「分かりました。我が主の下に案内いたしましょう」

 半年前、シエスタが死んだ夜のように、ジュリアンが先に立って歩き出す。ティファニアはその後を追った。薄曇りの空の下、剣の城の中庭を通り抜ける。春の花々が、色とりどりに咲き乱れていた。

「この庭は、ジュリアンさんがお世話を?」
「ええ。奥様も大変気に入られておりまして、ここに椅子を持ってきてサイト殿からの手紙を読むこともございます」

 暖かい日差しの下、花々に囲まれて手紙を読みながら微笑むルイズの姿が思い浮かぶ。不意に、先程までは綺麗に見えていた花々が、何か歪なものに感じられてきて、ティファニアは中庭から目を背けた。
 城館に正面から入るのは、ここに初めて来たとき以来である。シエスタの部屋がある一階を通り抜けて、二階へ上がる。ルイズの寝室は、階段のすぐ近くにあった。大きな両開きの扉が、ティファニアの前にそびえ立っている。

「奥様に、お客様がいらっしゃったことをお知らせいたします」

 扉に手を触れる前に、ジュリアンが振り返った。

「心の準備を、しておいてください」

 そう言い残し、彼はノックしてから部屋に入った。

「あら、どうしたのジュリアン」

 扉の隙間から、シエスタが死んだ日に聞いた声音が聞こえてくる。ティファニアは身を硬くし、ポケットの中のナイフを強く握り締めた。

(タバサさん……どうか、わたしに、選択を誤らぬ力をください)

 念じると同時に、また声がした。

「珍しいわね、お客様? どうぞ、お通ししてちょうだい」

 ジュリアンが出てきて、部屋に入るよう無言で促した。彼はついてこないらしい。ティファニアは一人、帽子のつばをつかんで下げながら、ルイズの寝室に足を踏み入れる。
 寝室は、元貴族のものとしては実に質素なものだった。シエスタの部屋も私物は少なかったが、こちらもさほど多くはない。ただ、部屋の隅に置かれた長櫃だけが、やけに目に付いた。

「ようこそ、剣の城へ」

 長櫃とは反対側の隅から、声がした。ティファニアは、はっとしてそちらを見る。そこには質素だが大きなベッドが置いてあった。一人用ではなく、二人用だ。その事実が、胸を強く締め付ける。
 そしてそのベッドの上で、一人の老女が上半身を起こしていた。

「わたくし、主の留守を預かっておりますルイズ・ド・ラ・デルフリンガーと申しますわ」

 穏やかな声で話しかけられ、微笑みかけられたとき、ティファニアは決意も覚悟も何もかも忘れて、その場に立ち竦んでしまった。

(ああ、この人、この人は……!)

 年老いたルイズの顔を見るのは、これが初めてではない。彼女の記憶を消すために城に侵入したとき、寝顔を何度も見ている。ここに来るまでの間だって、彼女が起きて話をしたらどんな風だろうと、繰り返し想像してもいた。
 だが、実際にこちらに語りかける彼女を目にすると、そういった何もかもが全て虚構に過ぎなかったと、自覚せざるを得なかった。

「こんな格好でごめんなさいね。最近足が痛くて、もう立つことも苦しくて」

 申し訳なさそうに詫びるルイズを見つめていると、ティファニアの胸にじわりと温かさが広がった。今すぐ彼女のそばに駆け寄り、その膝にすがり付いて声を上げて泣きたくなってしまった。そうしたくなるぐらいに、穏やかで、優しい雰囲気を持った老女だった。アニエスがルイズのことを陽だまりと称した理由が、今ではよく分かる。
 そうやって扉のそばで立ちすくむティファニアのことを、ルイズは少し怪訝そうに見つめていたが、やがて何かに気付いたように少し首を傾げた。

「あら、失礼ですけれど、どこかでお会いしたことがあったかしら」

 心臓が高鳴る。ルイズはそんなことには気付かぬ様子で、控え目に微笑んだ。

「気のせいですわよね。こんなに若々しくて、美しい金髪の方と知り合う機会なんて、わたくしのような老人にあるはずがありませんもの」

 そう言ったあとで、まだ自分の記憶を探るように、かすかに眉をひそめる。

「ああ、だけど本当にどこかでお会いした気がするわ。失礼ですけれど、その帽子を脱いで顔を見せてくださらないかしら」

 ティファニアは息を飲んだ。ついに、この瞬間がやって来た。腕を伸ばし、帽子のつばをつかむ。震える手に無理矢理力を込め、ゆっくりと帽子を取った。
 ルイズの顔に驚きが広がった。

「まあ、テファ。ティファニアじゃないの」

 その視線から目をそらしそうになるのを我慢しながら、ティファニアは問いかける。

「わたしのこと、覚えておいでですか」

 声が震えなかったのは奇跡に近い。ルイズは微笑んで、何度も何度も頷いた。

「ええ、もちろん覚えているわ。友達の顔を忘れる訳がないでしょうに。こっちに来て、もっとよく顔を見せてちょうだいな」

 ティファニアはルイズのベッドに歩み寄り、そばにあった椅子に腰を下ろした。自分が変な歩き方をしていないか、座り方がおかしくないか、気になってしょうがない。

 間近で見るルイズの顔は、やはり年老いていた。しかし、もう八十近い年齢とは思えないほどに若々しい。もちろん皺はあるが、一番深いのは口の周りの笑い皺だったし、鳶色の瞳は若いころと同じく、いや、もしかしたら若い頃よりもずっと明るく輝いている。何よりも表情や仕草がとても穏やかだ。一目見ただけで、誰もが彼女の幸せな人生を思い浮かべるだろうと思わせる老女だった。
 ルイズは微笑みながらティファニアの顔を見つめ、深く頷いた。

「本当に懐かしいわ。あなたはちっとも変わっていないのね。やっぱりエルフの血が混じっているせいかしら」

 そう言ったあと、少し慌てて詫びる。

「ああごめんなさい、悪い意味で言った訳ではないの。許してちょうだいね」
「いえ、そんな……本当のことですし」
「そう、ありがとう。だけど本当に嬉しかったのよ、わたし」

 微笑に少しだけ寂しさが混じる。彼女はベッドの枠に背をもたれさせながら、目を細めた。

「何故かしら、一人ぼっちになってしまった気がしていたのよ。キュルケもシャルロットも、ギーシュやモンモランシー、姫様にアニエス様。皆、ずっと前にお亡くなりになって」

 その口ぶりに、悔恨や苦悩の色は窺えない。皆穏やかに死んだと、シエスタが教えたのかもしれない。

「半年前にはシエスタまで死んでしまって。その頃からかしらね、何故だか急に元気がなくなってしまったの」

 疲労の色を滲ませながらも、その顔にはまだ優しい微笑がある。

「変よね、一人ぼっちだなんて。わたしにはまだサイトがいるっていうのに」

 ティファニアは椅子の上で身を硬くした。ルイズの口からサイトという言葉が漏れ出た瞬間、遠い昔の雨の日の、血走ったルイズの瞳が脳裏に蘇ってきた。
 そんな彼女には気付かぬ様子で、老女はゆっくりと言葉を紡ぐ。

「今ではもう食事も満足に食べられないのよ。折角作ってくれるジュリアンには悪いのだけれど」

 彼女のことを見ていられなくなり、ティファニアは目をそらす。そして、ルイズの枕元に、見覚えのある封筒と便箋が置いてあるのを見つけて、思わず訊ねた。

「あの、それは?」

 ルイズはティファニアの視線を追って、笑った。

「ああ、これ? これはサイトからの手紙。サイトったらこの年になってもまだ子供みたいに世界中を駆け回っているのよ」

 もちろん、それは嘘だ。そういう風に、ティファニアが書いただけの話だ。

「そんな元気な人の妻なのに、わたしは今や夫からの手紙を読み直すぐらいしか楽しみのない、寂しい老人だわ。ううん、そのはずだけれど、あまり寂しくはないの」

 先程、一人ぼっちになってしまったと言ったことを考えると、少し矛盾した台詞である。だが、おかしいとは思わなかった。友達が死んでしまったことは寂しく感じるが、今そばにいないとしても、愛しい人が生きているからあまり寂しくない。そういうことなのだろう。
 ルイズはそっと手紙の一枚を手に取り、少し骨ばった指先で、ゆっくりと紙面を撫でた。

「サイトは今でも、三日に一度は手紙を送ってくれるわ。考えてみれば不思議よね。この六十年間、どんなところにいても、サイトからの手紙が途絶えることはなかったもの」

 普通に考えれば、おかしなことである。だがルイズは、あまり訝る様子を見せなかった。サイトならどんなことをしてもおかしくないと、疑うまでもなく信じているような雰囲気だった。彼女は手紙に視線を落としたまま、懐かしむように目を細める。

「本当に、いろいろなことがあったわ。もっとも、わたしはずっとこの領地を守っていただけだったけど。その間、サイトは帰ってきてはすぐに出かけていって。今度こそ落ち着いてくれるかと思っていたら、思い出を作る暇すらなくすぐにどこかへ」

 ルイズは、自分の背後にある大きな窓を振り返った。深い森と山々を背景に、暖かい春の日差しが降り注いでいる。薄くかかっていたはずの雲は、いつの間にかどこかへ消え去ってしまっていた。青い空を一羽だけで飛んでいる鳥を、彼女はじっと見つめている。

「だけど、そういう人なのよね。世界のどこかにあの人を必要としている人がいて、そういう人がいる限り、あの人は躊躇いなく飛んでいくんだわ」

 飛んでいた鳥の後を追って、もう一羽鳥が飛んできた。二羽の鳥が連れ立って空の彼方に去るのを見送ってから、ルイズはまたこちらを向く。目を瞑り、自分の胸に手を当てていた。

「結局、わたしの記憶に色あせずに残っているのは、六十年前の、まだ子供だったサイトの姿だけ。でもね、わたし、それでも後悔はしていないのよ。だって、ずっとサイトを支えてこられたんですもの。困ったり、泣いたりしている誰かのためなら、自分のことなんか省みずに助けに飛んでいく。そんな人の妻として、いつか帰ってくる場所を守ることができたんですもの」

 か細く、だが深く響く声で呟き、ティファニアに微笑みかける。

「だから、とても満足しているのよ。人は不幸な女というかもしれないけど、わたしは胸を張って言うことが出来る。わたしの人生は、他の誰よりも幸福なものでした、ってね」

 ティファニアは表情を隠すために俯き、強く唇を噛んだ。膝の上に置いた右手の手首を、左手で思い切り握り締める。今すぐこの場から逃げ出したいという衝動が、抑えきれないほど高まってきた。

「そうそう、今サイトがどこにいるか、知ってる? 今はね、西の大洋の上よ。サイトが年がいもなく西に向けての航海に旅立ってから、もう何年かしら。ほら見て、あの人からの土産話がこんなにもたくさん。それにね、あの人ったら、昨日の手紙にこんなこと書いてたのよ。『いま、帰りの船に乗っている。長い間待たせてばかりですまなかった。今度こそ、ずっと一緒にいよう。もうすぐ、お前のところへ帰る。愛しているよ、ルイズ』」

 もちろん、ティファニアはその文章を知っていた。なにせ、それは昨日自分が書いたものなのだから。昨日、そんな文章が自然と紙面に記されたこともまた、今日ルイズに会うという決意を後押ししてくれたのだ。
 ルイズはその文に目を落とし、思いやり深く苦笑した。

「ふふ、馬鹿ねえ、今頃そんな風に気を遣わなくっていいのに。ああ、だけど、聞いてちょうだいテファ。わたし、最後の最後にサイトを悲しませることになりそうなの」

 ティファニアは顔を上げた。ルイズの瞳と目が合うと、彼女は一つ頷いた。

「そう、死期が近づいているのよ。サイトが帰ってくるまでは頑張ろうと思っていたんだけど、自分でも分かるの。わたしは多分あと一ヶ月、ううん、きっと一週間も生きていられないだろうって。だから、ね、テファ。友人として、わたしのお願いを聞いてもらえないかしら」
「なんでしょうか」
「せめて、わたしがいなくなってもサイトが静かに暮らしていけるように、遺言を残しておきたいの」
「遺言、ですか」
「ええそう、サイトはずっとこの領地を留守にしていたから、今自分がどのぐらいの財産を持っているかなんて全然知らないと思う。確かにわたしたちはもう貴族ではないけれども、それでもいくらか財産はあるわ。そういうことでゴタゴタさせて、サイトを疲れさせたくないの。だから、ね」

 そう言ったあとで、ルイズは何度か苦しそうに咳をした。気息を整えたあとで、「ごめんなさいね」と申し訳なさそうに言う。自分だって苦しいだろうに、人にはそれを見せないのだ。そんな人の頼みを断れるはずもなく、ティファニアは頷くしかなかった。

「そう、ありがとう、テファ。それじゃあ今から遺言状の内容を言うから、代筆してくれないかしら」

 ティファニアは目を見開いた。手の平に汗が滲んでくる。

「代筆って言うと、わたしが、ルイズさんが仰ったことを書くんですか」
「ええそう。ごめんなさいね、もう手も満足に動かせないの。サインだけは何とかするから、ね」

 ティファニアはぎゅっと目を細めた。自分が書いた文章を見たら、ルイズはずっと届いていた手紙の本当の作者が誰なのか、気付いてしまうかもしれない。そうしたら、それをきっかけに失った記憶を取り戻してしまう。何故か、そんな確信がある。

(どうしよう。どうしたら)

 ポケットの中のナイフを握ることも忘れて、ティファニアは迷う。ルイズに真実を告げることを目的としてここに来たはずなのに、いざそのときがくると、やはり心が大きく揺らいでしまう。
 そんなティファニアを見つめて、ルイズは心配そうに、少し身を乗り出してきた。

「どうしたのテファ。そんな悲しい顔をするなんて」

 ルイズの瞳は穏やかで、そこには相手を案ずる優しさしかない。

「ごめんなさい」

 ティファニアは考えもなしに謝っていた。何に謝っているのか、自分でもよく分からなかった。
 ルイズはゆっくりと腕を伸ばして、ティファニアの手にそっと自分の手を重ねた。

「謝らないで。あなたは何も悪くないでしょう。ね、お願い、テファ。わたしの最後のお願いを、どうか聞いてちょうだいね」

 緩やかな声音に、強いるような響きは全くない。
 断ろうと思えば、断ることもできる。ルイズはきっと許してくれるだろう。それは悪魔の囁きであり、甘美な誘惑だった。ティファニアはポケットの細長い膨らみを数秒見つめ、顔を上げた。

「分かりました、代筆させていただきます」

 ルイズの顔に喜びが広がった。

「ああ、ありがとうテファ。それじゃ、お願いしますね」

 ティファニアはルイズの指示に従って、テーブルをベッドのそばに運んできた。その上にインク瓶と羽ペン、上質な紙を置き、ペン先をインクに浸す。
 それを確認したルイズは、ベッドの上で背筋を伸ばすと、目を瞑ってゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。自分達のわずかな財産を、残された夫が穏やかに暮らしていける最低限の分だけ残して、あとは全て国に返還する、という内容だった。実際には彼女は一人身だから、結局財産は全て国に返還されることになるだろう。
 ティファニアは一字一句違えずに、ルイズの言葉を書き写し続けた。声はこちらを気遣ってか非常にゆっくりだったから、書き写すことそれ自体は、特に難しくはない。
 だが、腕が震えるのをどうしても抑えることができず、書き記された文字はいつもよりも粗雑なものになってしまう。その震えがルイズに真実を知られるかもしれないという恐怖からくるのか、それとも真相を悟られまいとする無意識からくるのか、彼女には判断できなかった。
 そうしている内に、声は終わった。ベッドの上でルイズが目を開き、疲れたようにため息をつく。

「……ありがとう、テファ。これで遺言は全てよ。さあ、サインをしなくっちゃ」

 そう言うと同時に、体が傾いだ。ティファニアは慌てて腕を伸ばし、ルイズの体を支える。さして力のない女の細腕でも支えられるほど、老女の体は細く、軽かった。
 ルイズは恥らうような表情で、ティファニアを見た。

「ごめんなさい、体を支えてくださるかしら。ありがとう」

 ティファニアはルイズの体を支えたまま向きを変えさせ、ベッド脇のテーブルに向き直らせた。遺言の記された紙に目を落としたルイズが、驚いたように目を見開く。

「あら、テファ。不思議ね、あなたの文字、びっくりするぐらいサイトにそっくりだわ」

 息が詰まった。背中に汗が滲んでくる。

(言わなくちゃ)

 ティファニアはぎこちなく唇を開く。
 それは当然だ、と。ずっと自分が手紙を書いていたのだから、と、言わなければならない。
 だが、出てきたのは全く違う言葉だった。

「そうなんですか?」
「ええ、サイトの方がもっときれいだけど」
(何をしているの、ティファニア。早く、ルイズさんに本当のことを打ち明けなさい。何が正しいのか、よく理解してここに来たはずでしょう、あなたは!)

 心の中で罵り声を上げるが、どうしても真実を告げる言葉が紡げない。そんなティファニアの前で、ルイズはしげしげと遺言状を眺め、深く思い悩んでいる様子だった。

「本当に不思議。どうしてこんなに似ているのかしら……」

 そう言ったあとで、彼女は不意に目を閉じ、なにかを考え込むように沈黙し始めた。
 ティファニアは全身に嫌な汗を感じながら、ルイズの言葉を待つ。しかし、彼女は黙ったまま、なかなか口を開かない。

「ルイズさん?」

 耐え切れずに声をかけると、彼女は小さく体を震わせ、目を開いた。ティファニアを見て、穏やかに微笑む。

「ああ、そうだったわね、まだ力が残っているうちに」

 体から力が抜けそうになった。ルイズの顔には、怒りや憎しみどころか、何の疑いも浮かんでいない。

(気付かなかったんだわ)

 ティファニアはどこかぼんやりとした心地でルイズの腕を支え、彼女が震える手でゆっくりと署名するのを見守った。そうしたあとで、すっかり力を失ったルイズの体を、そっとベッドに横たえてやった。

「これでいいわ。この遺言はジュリアンに渡してちょうだいね」

 ルイズの頼みに、ティファニアはこくりと頷いた。ひどく疲れているようで、何も考えることが出来ない。

「本当にありがとう、テファ」

 ティファニアは我に返った。枕に頭を乗せ、眠るように目を閉じたルイズの顔に、満ち足りた微笑が浮かんでいる。

「これで、思い残すことなく逝くことができる」

 ルイズが迷いなく呟く。ティファニアはぐっと拳を握り締めた。何か、胸からこみ上げてくるものがある。それが零れ落ちないように、目に力を込めながら問いかける。

「本当ですか?」

 するとルイズは目を開き、微笑を苦笑いに変えてティファニアを見た。

「ふふ、そう、嘘よ。本当は、最後に一目だけでいいからサイトに会いたかったわ。だけどおかしいわね。最後に思い出すサイトの顔も、やっぱりあの頃のままなの。本当に、おかしな人生だったわね」

 ティファニアは唇を内側から噛み締める。閉じた顎が細かく震えているのが分かった。

「だけど、楽しかったわ」

 ルイズがため息をつくようにそう言ったとき、とうとう耐えられなくなった。ティファニアは両手で顔を覆って、声を上げて泣いた。自分を責める言葉も何かの理屈も、もう少しも心に浮かばない。
 ただ泣きたかった。その想いのまま、声が続く限り、泣き叫び続ける。
 ルイズが困ったように眉尻を下げる。

「ああ、泣かないでちょうだい、ティファニア。わたしはとても幸福なの。幸福なままで、死んでいくのよ。だから、悲しいことなんて何もないの、だから、泣かないでね、ティファニア」

 ティファニアを慰めるルイズの声は子供をあやすように優しく、涙を拭ってやれないためか、少しだけ悲しそうだった。



 なんとか泣き止んだティファニアを見て、ルイズは問いかけた。

「これからアルビオンに帰るの?」
「はい、そうなると思います」

 曖昧な答えになってしまったが、ルイズは特に気にしなかった。

「そう。それがいいわ、友達の葬儀って、悲しいもの。わたしのことは気にせず、気をつけて帰ってちょうだいね。旅の無事を祈ってるわ」
「はい。さようなら、ルイズさん」
「ええ、さよなら、テファ。わたしの大切な友達」

 ティファニアはルイズに背を向け、歩き出した。扉を開けて、外で待機していたジュリアンと入れ違いに部屋を出る。扉が閉まる直前、二人の声が聞こえてきた。

「少し休むわ、ジュリアン。食事はいいから、あなたも自分の部屋で休んでちょうだい」
「分かりました、奥様」
「夜になったら、眠る前にこの部屋に来てちょうだい。愛しい人のために、最後の一仕事をしなければならないの」

 ティファニアは逃げるように駆け出した。



 その夜、ルイズは息を引き取った。
 彼女の言葉に従って、夜になってからジュリアンが寝室を訪れたときには、もう死んでいたそうだ。
 死に顔はとても穏やかで満足そうだったと、彼が教えてくれた。
 その報せを聞いて、ティファニアは涙を流さなかった。
 悲しくなかったのではなく、自分には彼女を想って涙を流す資格すらないと思ったからだ。
 こうして、ルイズは嘘に包まれたまま、その長い生涯を終えた。

 不幸せな友人たち(10)―エピローグ―
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