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【東方SS】時には昔の話を その3

2008/10/19に東方創想話に投稿したSSです。
時には昔の話を その2の続きとなっております
 


『時には昔の話を その3』



「えー、というわけで、いよいよ始まりますのは1万2千年ぶりの弾幕勝負! 前回までは博麗霊夢が6対4で勝ち越しておりますが、果たして今回はどうなりますことやら! さあ張った張った、配当は勝率そのまま6対4だ!」

 拳を握って叫ぶてゐの声に答えて、「霊夢に1000!」「魔理沙に10000!」といった声がそこかしこから乱れ飛ぶ。
 そんな境内の馬鹿騒ぎを少し離れた場所から眺めながら、霊夢は指でこめかみを押さえていた。

「……ノリノリで空に上がったつもりだったのに、どうしてこんなことになってるのかしら」
「まあいいじゃないか、連中は連中で好きに楽しんでるのさ」

 隣にしゃがみ込んだ魔理沙が楽しそうに笑う。
 二人は先ほど、気合たっぷりに1万2千年ぶりの弾幕勝負を始めようとしたのだが、最初の弾を放つ直前に、ある妖怪が間に割って入ったのである。

「それでは、宿命の対決に臨むべく静かに闘気を漲らせているお二人に、一言コメントを頂きたいと思いまーす!」

 そのある妖怪というのが、鴉天狗の射命丸文である。彼女は手帳片手に1万2千年前と全く変わりない営業スマイルを浮かべながら、ペンの先をマイクに見立てて突きつけてきた。鬱陶しい、とそれを脇に除けながら、霊夢は天狗を睨む。

「なにが闘気よ。あんたらのせいでそんなもん霧散しちゃったっつーの」
「あやややや。これはいけません! 霊夢選手、試合前から絶賛気合低下中の模様です。どうやら魔理沙選手の勝利は決定したも同然のようですね!」

 選手ってなんだよ、と霊夢が突っ込む暇もなく、魔理沙が軽く手を振る。

「分からん分からん。弾幕ごっこってのは、双方の純粋な力量だとかあるいは気合だとか、そういうのだけで勝敗が決まるもんじゃあないからな。スペルカードで落ちない奴が、普通の弾で落ちることもある。勝負はやってみなけりゃ分からないのさ」
「おお、さすが魔理沙選手! 1万2千年の研鑽は伊達じゃありませんね!」
「いや、別に当たり前のこと言ってるだけじゃないの?」

 霊夢がそう言ってやると、文は肩を落として盛大にため息をついた。

「お願いですからもうちょっと盛り上げてくださいよ。あなたって人は1万2千年前と全く変わりませんね」
「そりゃその時代から直接来てるわけだからね」
「ああ思い出します思い出します、その投げやりな口調! 異変解決の記事を書こうとしても、あなたって人は、いついかなるときも『異変の原因探してボコッて酒飲ませて解決した』ってそればっかり! なんで一番面白くなるはずの異変の記事が一番つまらない記事になっちゃうんですか」
「知らないわよそんなの。面白い話が聞きたいなら魔理沙にでも聞けばよかったじゃないの」
「この人の話は嘘だらけだから記事に出来ないんですよ」
「よく分かってるねえ」

 まったくもう、と首を振ってから、しかし射命丸はきらりと目を輝かせる。

「ですが今回のは絶対に面白い記事になりますよ! なにせ1万2千年ぶりに帰ってきた弾幕ごっこ創始者、初代博麗霊夢と、1万2千年間ひたすら弾幕を追求し続けて、今や幻想星の弾幕ごっこ第一人者とまで呼ばれる霧雨魔理沙の戦いですからね! ばしばし写真撮らせていただきますよ!」
「まあ好きにすればいいと思うけど」

 霊夢は魔理沙を見た。

「あんた、弾幕ごっこ第一人者なの?」
「知らないね。誰かと勘違いしてるんじゃないのか」
「またまた、ご謙遜なさって」

 文がおだてるように手を振った。

「『赤子でも分かる弾幕講座』『弾幕とはなにか』『忘れがたきあの弾幕』『芸術は弾幕だ』などなど、初心者向けからマニア向けまで実に幅広い弾幕本を出版し、もはや一家に一編と言ってもいいほど爆発的に広まった詩歌、『我が弾幕』を著したあなた以外に、そんな風に呼ばれる人はいませんよ」
「詩歌ですって?」

 霊夢は思わず吹き出した。

「あんた、そんなの書く趣味あったんだ?」
「言ったろ、長く生きてりゃいろんな特技が身につくもんだって」
「見せてよその詩」
「あとでな」
「まあともかく、です」

 文は片目を瞑りながら、気取った風にお辞儀をしてみせた。

「今夜はお二人の周囲を飛び回って、思う存分写真を撮らせていただきますからね。もちろん勝負のお邪魔はいたしませんからご安心を」
「ま、勝手にしたらいいんじゃない?」
「だな。巻き込まれたって大して危険ってわけでもないし」
「どうもどうも。それでは、写真機の最終チェックがありますので、また後ほど」

 口笛のような高い風音を一つ残して、文の姿がその場からかき消える。いつまで経っても姦しい奴だな、と霊夢は苦笑した。
 賭け札の取引はまだ続いているようだった。ここからでは、妖怪たちが作る人垣に阻まれててゐの耳すら見えない。あたふたと走り回っているのは鈴仙のようだ。さっき「死んだら地獄行き確実って言われたから、てゐの真似して健康に気を使ってたらこんなに長生きしちゃった」とか言っていた。実に適当だと思う。

「なんだかなあ」
「どうした?」
「いや、ただあんたと勝負するだけのつもりだったのに、いつの間にやら見せ物みたいになっちゃってるなあ、と思って」
「まあな。ここの連中にとっちゃ、なんだってお祭り騒ぎになっちまうのさ。お前だってよく知ってるだろ?」
「そりゃそうだけどね。でも、ちょっと意外だったかな」
「なにが?」
「あんたよ、あんた」

 不思議そうにこちらを見上げている魔理沙に、霊夢は軽く指を突き付ける。

「あんた、意外とこういうのにはこだわる性質だし。文みたいな邪魔もあいつらみたいな茶々入れも、嫌がるもんだと思ってたんだけどね」
「いいじゃないか。お前は気にしないんだろ?」
「そりゃまあね」
「それに、そもそも」

 魔理沙は肩をすくめる。

「弾幕ごっこってもの自体、そこまで深刻な遊びじゃないしな……だろ?」
「まあね」

 二人がそんなことを話していると、「おーい」と、境内の暗がりから誰かが呼ばわった。長身の人影が、大きく手を振りながら近づいてくる。その額に立派な角が一本生えているのを見て、霊夢はそれが最近知り合った鬼であると気がつく。

「ええと、確か、星熊勇儀、だったっけ」
「おう、覚えててくれたとは嬉しいね。ほら萃香、博麗の霊夢さんだぞ」

 勇儀が背中に向かって呼びかけると、肩のところから一人の妖怪が「んあー?」と顔を出した。赤みがかった長い髪と、頭の両脇から生えた二本の立派な角が印象的な子鬼である。伊吹萃香というこの鬼、1万2千年経っても全く変わっていないらしく、完全に出来上がった風に霊夢を指差しゲラゲラと笑った。

「おー、霊夢だ霊夢だ、脇巫女だーっ!」
「脇巫女言うなっての」

 萃香はずるずると這うように勇儀の背中から降りると、ひどくふらついた足取りでこちらに近寄って来た。

「んー、ひさびさひさびさ、いやー、実に久し振りだ霊夢! 1週間前に会って以来だね!」
「は? 1万2千年ぶりなんでしょ?」
「うははは、冗談に決まってんじゃーん! 霊夢は相変わらず馬鹿だなー!」

 何がそんなにおかしいのか、萃香はその場に蹲って腹を抱えて笑いだす。いつの間にか周囲に集まってきていた妖怪たちも、全員が同じようにゲラゲラと馬鹿笑いしていた。よく見てみると、そいつら全員の頭に角が生えていたりして。

「……鬼ってのはみんなこんなんばっかりなの?」
「酒好き宴好きな連中だからなあ。まあ許してやれよ」

 魔理沙がポンポンと霊夢の肩を叩く。萃香が立ち上がって、「そうだそうだ」と腕を組んで何度も頷いた。

「いやさ、霊夢のおかげで地下住まいの皆もちょくちょく上に出て来るようになったしね! 今では飲めや歌えや、大騒ぎの毎日なのさ」
「鬼は地上の人間に嫌気が差して地下に去った、じゃなかったっけ?」
「その通り、だったんだけどね」

 右手を腰に当てて、遊戯が感慨深げに言う。

「意外や意外、長い年月経た末に、地下から地上へ出てみれば、そこは楽園に様変わりしてたってわけさ」
「わたしらが地下に篭った頃の人間って、鬼やら妖怪やらを殺すのに必死でねえ」
「宴会だっつって酒に変な薬仕込む、一騎打ちだって言っときながら大量に伏兵潜ませてる、こっちが酒飲んで寝てるところに闇討ちかけてくる、もうルールも何もなしにやりたい放題」
「ところが幻想郷の人間は、大半がびっくりするぐらいに大らかでね。そもそも妖怪自体をそれほど恐れてる節がないし」
「その上スペルカードルールなんて楽しいもんまで出来てるわけで、こりゃ気楽に人間と力比べしてた、古き良き時代が戻ってきたんだなあ、と」
「そんなわけで、毎日おひさまの下で楽しく遊んで暮らしているわけですよ」

 周囲の鬼たちが酒を飲みながら口々に言う。全員赤い顔で足取りはふらついているが、この上なく楽しそうだ。

「いやホント、今や毎日が日曜日って感じだよねー勇儀」
「何言ってんだ萃香、わたしらは元からそうじゃないか」

 豪快に笑いながら、萃香と勇儀が肩を組んで踊り出す。小柄な萃香と大柄な勇儀なので当然体型が合わず、5秒もしない内に足をもつれさせてすっ転んだが、それでも二人は愉快そうに笑っている。篝火のぼんやりとした明かりの中に浮かび上がる周囲の鬼たちも、手を打ち鳴らし酒を煽りながら、実に幸せそうだ。

(変わってないなあ)

 霊夢は微笑んだ。何年、何十年、何百年経とうと、幻想郷の宴会はこんな風に底抜けに馬鹿らしい、愉快な雰囲気で続けられていくに違いない。

「準備が出来たみたいですよ」

 いつの間にかすぐそばに文が戻ってきていた。写真機を胸に抱いた彼女の言葉につられるように周囲を見回してみると、境内に集まった人妖が全員、期待に満ちた目でこちらを見ている。その中には318代目もいたし、暗がりの中でよく見えなかったが、まだ泣き続けている紫や、表情を消した幽々子もいるようだった。

(ホント、すっかり見せ物だわこれは)

 霊夢は苦笑しながら、隣に立つ魔理沙に向き合う。篝火の炎に浮かび上がる友人の顔には、ふてぶてしい笑みが浮かんでいた。

「じゃ、始めましょうか」
「おう」
「霊夢、霊夢」

 萃香が両手を腰に当ててこちらを見ていた。握った拳を突き出して、にやりと笑う。

「負けんなよ」
「当然。魔理沙なんかこてんぱんにのしてやるわ」

 萃香と拳を打ち合わせ、霊夢は魔理沙と共に空に舞い上がる。後ろから歓声が聞こえてきた。

 初戦、弾けるような昂揚感に身を任せて戦ったおかげか、霊夢は絶好調だった。
 こちらを追い込むように展開される弾やレーザー、絶妙なタイミングで発動されるスペルカードをことごとく避け、魔理沙に接近しての一撃で片を付けた。
 1勝0敗。



 ギャラリーの盛り上がりを考慮に入れたわけではないが、弾幕勝負は10回行うと、事前に魔理沙と取り決め
てあった。

「それだと引き分けになる可能性があるんじゃないの?」
「別に、それならそれでいいさ」

 魔理沙は気楽にそう言っていた。霊夢としても、別段反対する理由が見つからなかったので、それに従っている。
 ずっと神社上空で撃ちあっていてもつまらないだろう、ということで、勝負は幻想郷の各所で行うことにした。
 そのため、今二人は並んで夜空を飛び、次の会場である紅魔館に向かっている。後ろを追ってくる妖怪はいない。文の他にも一人鴉天狗が付き添って、幻想郷中に勝負の模様を生中継する手はずになっているらしい。
 もちろんずっと二人きりというわけではない。紅魔館も含めた行く先々に霊夢の知り合いが待機していて、短い休憩の間の話し相手になってくれるのだそうだ。

「それは、いい観光になりそうね」
「幻想郷は何も変わってないけどな」

 魔理沙はそう言って笑った。
 霧の湖を通過して、煌々と明かりが灯された紅魔館の門前に降りる。間近で見ても、館はやはり何も変わりない。相変わらず全館真っ赤に塗りつぶされた、趣味の悪い塗装だ。
 立派な洋風の門の前には1万2千年と変わらず、紅美鈴が佇んでいた。

「来たわね、お二人さん」

 美鈴は閉じていた目をカッと見開くと、演武のような流麗な動作を経て、二人に拳を向けた。

「ここを通りたくば、このわたしを殴り倒して」
「妙な戯れはやめなさい」

 門を飛び越えて出てきたパチュリーが、地面に降り様、美鈴の頭を本の背表紙で叩く。「いたぁー!」と両手で頭を押さえる美鈴を無視して、霊夢は軽く手を上げた。

「久々。てっきり喘息で死んでるものかと思ってたけど」
「死なないわよ。未だ持病持ちの身ではあるけれどね。さ、入って」

 昔と変わらず至極冷静な大図書館が、案内するように飛び立った。霊夢と魔理沙もそれを追って門を飛び越える。美鈴が何か言いたげにこちらを見上げていた。

「相変わらず門番の意味がないわね」
「そこんところも変わらない要素ではあるぜ」

 二人が広い庭園に降り立つと、その片隅にあるテーブルの前に、二人の吸血鬼が腰かけていた。

「いらっしゃい、霊夢」
「また会ったね、霊夢」

 笑顔で挨拶するレミリアとフランの手招きに応じて、霊夢と魔理沙とパチュリーは彼女らの対面に腰を下ろす。
 同時にレミリアが立ち上がり、眼前にあったティーポットを手にとって、5つのティーカップに紅茶を注ぎ始めた。カップの中からゆらゆらと湯気が立ち、上品な香りが辺りに漂い出す。

「紅魔館の当主様手ずから、ね。大層な歓待ぶりじゃないの」
「1万2千年ぶりに友人を迎えるのだもの、当然のことだわ」
「っていうか、あんた紅茶の淹れ方なんか知ってたんんだ」
「今の咲夜は紅茶なんか淹れられないからね」

 なんだか妙な言い回しだな、と霊夢が思ったとき、レミリアが紅茶を注ぎ終えた。フランが立ち上がり「どうぞ」と、ティーカップを霊夢の前に置いてくれる。その物腰は実に優雅で、洗練されていた。あの無邪気なフランお嬢様がねえ、と内心で笑いながら、同時に霊夢は一抹の寂しさも感じる。

(本当に、咲夜はいなくなっちゃったのね)

 どうやら他のメイドに咲夜の代わりをさせる、ということもしていないらしい。二人のそばには誰も控えていない。あのプライドの高いレミリアが、たとえお飾りであろうが誰もそばにおかず、身の周りの世話すらさせないでいるということに、霊夢は違和感を覚える。

「まさか、あんた食事まで自分で作ってるんじゃないでしょうね?」
「さすがにそれはないわよ。ああ、食事と言えばね、霊夢」

 レミリアが口元に手を添えて穏やかに笑う。

「あなたの代で人里との交流が活発になってから、もう人間を飼わなくて済むようになってね」
「っていうか飼ってたんだ」
「ええ。もちろん幻想郷の人間じゃなかったわよ? 生きる気力を無くした外来人を飼ってたんだけどね。でもそういう連中の血って不味くって。咲夜が調理したものでなければ、とても生では食べられなかったわね」
「咲夜の料理の腕は凄かったもんねー」

 フランが一口紅茶を啜る。

「わたし、力加減を覚えてから、試しに家で飼ってた外来人の血を飲んでみたけど、脂っぽくて渋くってドロドロしてて、生ではとても飲めたもんじゃなかったもの。よくあんなのを美味しい料理に仕上げてたなあって、感心しちゃったぐらい」
「不味かったっていうのは、健康状態が悪かったから?」
「違うわよ。もちろん老人よりは若い娘とかの方が美味しいとは思うけどね。大切なのはそこじゃないの」
「じゃあなに?」
「魂よ。生きる気力に溢れて、前向きで、何物にも屈しないような気高い魂を持つ者……そういう人間の血こそ、わたしたち吸血鬼にとっては極上のご馳走になるの」
「へえ。分かるような、分からないような法則ね」
「まあともかく、人里との交流が活発になってからは、不味い外来人はさっさと外の世界に返して、幻想郷の人間の血を吸うようになったんだけどね。ああ勘違いしないでね、もちろん闇に紛れて襲いかかって、とか、そういう野蛮な手段じゃないから」
「じゃあどうしたの?」
「募集したの。天狗の新聞とかに『紅魔館の吸血鬼姉妹のために、あなたの血が必要です』って記事を載せてもらって」

 霊夢は紅茶を吹き出しそうになった。実際一部が気管に入ってしまい、ゲホゲホとしばらくむせる。レミリアが心配そうにこちらを見た。

「大丈夫?」
「それはこっちの台詞だっての! なに考えてんの一体?」
「あら、意外に好評だったわよ? 八雲とか上白沢とか、あの辺の連中と取引して安全は保障させてたし、見返りとして、咲夜がたくさん作っておいてくれたヴィンテージワインを提供したり、倉庫で埃被ってた古道具を贈呈したりして」
「ギヴ・アンド・テイクってやつよねお姉さま。魔法の森入口の古道具屋さんも、骨董品目当てにたまに来てたし。まあ半人半妖だったせいかそれとも本人の気質故か、なんとも言えない妙な味がしたけど」
「なにやってんの霖之助さん……」

 霊夢は頭を押さえる。「それでねえ」と、頬杖を突いたレミリアが、夢見るように目を細めた。

「もう、幻想郷の人間の血って、外の人間とは比べ物にならないぐらいに美味しいのよ。精神的に満ち足りているおかげかしらね」
「食道を滑り落ちて行くみたいに喉ごしがいいし、なにより舌触りが凄く滑らかなのよね」
「若い娘は甘くてクリーミィだし、男の人は素朴ながらも落ち着いた味がするし、老人は老人で熟成された味わい深さがあるのよ」
「ああいけない、思い出すだけで涎が」

 話は物凄く異様だったが、二人の満ち足りた顔を見ていると、そう悪いものでもないように思えてくるから不思議である。

(それにまあ、一応平和的な手段ではあるようだし)

 しかし幻想郷の人間も変なのが多いなあ、と思っていると、「それにね」とレミリアが妖しげな調子で付け加えた。

「専属契約を結んでる人間も多数いるのよ」
「専属契約? ってことは、定期的に吸われに来る人間がいるってこと?」
「そう」
「ふうん。よっぽど貧窮してる奴がいるのね」
「まさか。ここをどこだと思ってるの? 今や地上の楽園から宇宙の楽園へと変貌を遂げた我らのアルカディア、幻想郷よ? そこまで貧しい人間は一人もいないわよ。それに、専属契約結んでる人間って、どっちかというと裕福な階級の人間が多いし」
「じゃ、どうして?」
「病みつきになるんだって」
「なにが?」
「吸われるのが」

 霊夢はテーブルに頭を打ち付けた。「うわぁ、痛そう」とフランが口を押さえる。

「なによそれ! 変だとかなんとか、そういうレベルじゃないわよ!?」
「そう言われてもねえ。実際にそうなんだもん。ねえフラン?」
「うん。そういう人達って、凄く気持ちよさそうに吸われるよね?」
「いや、それは……」
「凄く充実した顔で、お礼まで言って帰っていくものねえ。あそこまで悦んでもらえると、わたしたちもつい張り切っちゃって」
「今じゃ、どんな風に吸えば人間が一番気持ちいいのか、知りつくしちゃってるぐらいだし」

 ぺろり、と唇を舐めながら、二人は霊夢に流し目を送ってくる。

「あなたも、悦ばせてあげましょうか?」
「とっても気持ちいいよ?」
「謹んで辞退させていただきます」

 霊夢が両の手の平を向けてそう言うと、二人は腹を抱えて笑いだした。

「冗談だってば」
「そこまで本気にしなくてもいいのに」
「あんたらの冗談は分かりにくいのよ」

 霊夢はため息を吐く。この姉妹、昔のように無邪気に振舞い、乳臭い演技をしているものの、中身の方は完全に妖艶な大人の吸血鬼のようである。たまに垣間見える、背筋が震えるようなエロティックな雰囲気が、なんというかいろいろとたまらない。

「でもねえ霊夢」

 不意に、レミリアが微笑んだ。穏やかで、優しい微笑みだった。

「ここまで平和的に、吸血鬼として幻想郷の人間と付き合っていけるようになったのは、間違いなくあなたのおかげなのよ?」
「なによ。それもスペルカードルールの制定と関係してる、とか言わないわよね?」
「違う違う。まああれが地道に土壌を作ってくれたのは確かだけど、決定的だったのはね」
「霊夢が、みんなの前でわたしたちに血を吸わせてくれたことだよ」
「はぁっ!?」

 霊夢は目を丸くする。これも冗談か、と思ったが、レミリアたちの目は至って真剣である。

「本当なの、それ?」
「本当よ……って、本人に説明するのって、なんだか変な感じね」

 レミリアは苦笑しながら、思いだすように目を閉じる。

「咲夜が死んでしばらく経って……ああ、咲夜、あなたよりも少し早く死んじゃったんだけど。それで、わたしたち二人とも、ほとんど部屋に篭りきりになってたのね」
「そしたらあるとき霊夢が紅魔館に来て、『ちょっとしたデモンストレーションをやるから付き合え』って言ったんだよね」
「付き合え、どころか、ほとんど力づくで引きずり出されたんだけど。外に出てみて驚いたわ。紅魔館の庭園に、人里の人間がたくさんいて、興味津々にこっちを見ててね」
「一体なんだろう、と思ったら、霊夢がわたしたちを皆の前に連れてきて、『これからこいつらがわたしの血を吸うわ』とか言いだして」
「びっくりしたわよねえ、ホント」

 二人は互いに目くばせしながら、クスクスと笑い合う。

「戸惑うわたしたちに、霊夢は『上手くやりなさいよ』って一言だけ言って、首を差し出したの」
「そのときの霊夢ってもうお婆ちゃんだけど、そうとは思えないぐらいに瑞々しい味わいだったなあ」

 フランはうっとりする。霊夢は何とも言えない気分になった。

「なんでわたしはそんなことしたのかしら?」
「多分、わたしたちを吸血鬼として幻想郷に受け入れさせるため、だと思うわ」
「実際、あれで『吸血鬼に血を吸われるとみんな吸血鬼になってしまう』とか、『吸血鬼は我々の血を虎視眈々と狙っている』とか、そういう誤解が解けたわけだしね」
「まあ、面白がって『俺のも吸ってみてくれ』『わたしも』『俺も』とか群がる幻想郷の住人もどうかと思ったけどね」

 楽しそうに話し終えたあと、「さて、と」と、レミリアとフランが同時に立ちあがった。

「それじゃあ、わたしたちは特上の観戦席を探させてもらうことにしましょうか」
「まあテラスに決まってるけどね、お姉さま」

 二人は軽くお辞儀をして、手を繋いで飛び去る。
 そのとき霊夢は、妙なことに気がついた。二人は大きく腕を伸ばした奇妙な格好で手をつないでおり、彼女らの間には妙な空間があるのだ。ちょうど、人が一人入れるぐらいのスペースだ。

(まだぎこちない関係……ってわけじゃないだろうし)

 なんだろう、と首を傾げる霊夢に、今まで黙っていた魔理沙が声をかける。

「不思議かい?」
「え?」
「でも、わたしにはあのときの霊夢の気持ちが分かるような気がするんだな」

 どうやら魔理沙は、先ほどのレミリアたちの話を話題にしているらしい。そちらが気になるのも事実だったので、霊夢はとりあえず話に乗った。

「じゃああんたは、どういう考えでわたしが血を吸わせたと思うわけ?」
「あいつらと人間との縁を切りたくなかったんだろうさ。霊夢、お前はまだ知らないかもしれないが、お前の代で幻想郷は大きく変わったんだぜ?」
「そうなの?」
「おう。博麗大結界の構築で、妖怪が人間を喰う、ってことはなくなったが、それでもまだ二者の間には溝があったんだ」
「そりゃそうでしょうね。寿命やら生活様式やら、何から何まで違うんだもの」
「ところが、そういうぎこちなさは、お前が死ぬ頃にはほとんど無くなってた。まさに人妖戯れる地上の楽園ってやつさ。人間が気軽に妖怪に勝負を挑めるスペルカードルールのおかげで、二者の交流が爆発的に進んだってわけだ」
「わたしがやたらと慕われてるのはそのせいってこと?」

 霊夢が顔をしかめると、魔理沙は片眉を上げてみせた。

「今言ったのも理由の一つではあるね。まあその話はまたあとでするとして、だ」

 魔理沙は紅魔館のテラスの方をちらりと見やりながら続けた。

「ところが、あいつらはそれほど幻想郷の人間とはつながりがなくってな。まあそれも当然っちゃ当然だ。なんだかんだで二人とも館に篭りきりって感じだったし、たまに出かける先もお前の神社ぐらいのもんだったしな。だからお前は、自分が死ぬ前にあいつらに危険性がないことを知らしめたかったんだろうさ。実際、あの珍事のおかげで、紅魔館……いや、吸血鬼の二人は、里の人間と直接交流するようになったんだ。たまにパーティが開かれると、妖怪だけじゃなくて人間もたくさん来るようになったしな」
「なんでそこまでしたのかしら、わたしは」
「その方が楽しいからだろ」

 魔理沙はあっさりとそう言う。隣で静かに紅茶を啜っていたパチュリーも、ゆっくりと頷いた。

「そうでしょうね。あなたって、いつでもそれを優先する人だったもの」
「そう?」
「湿っぽいのは嫌いでしょ、あなた」
「重ったいのもね」
「だから、咲夜が死んで自分も死んだら、レミィたちが館の外に全く出なくなるかも、と思って、それが嫌だったんでしょう」

 霊夢は眉をひそめた。

「わたし、そこまで親切じゃないわよ?」
「『わたしにだって、壊したくない風景ぐらいあるわよ』」

 妙に優しい声が聞こえたので驚きとともにそちらを見ると、魔理沙が片目を瞑って霊夢を見ていた。

「あるとき、お前が言った言葉だぜ? なんだかんだ言って、お前もこの変な場所が好きだったんだろうよ」
「そうなのかしら」

 霊夢が首を傾げたとき、「魔理沙ーっ!」と、テラスの上からフランが呼ばわった。

「おっと、お呼びみたいだな。じゃあ霊夢、もうちょいで勝負開始だから、適当に準備しといてくれよ」
「はいはい」

 箒に乗って魔理沙が飛び去る。霊夢は今までほとんど口をつけていなかった紅茶を啜った。すっかり冷めていて、あまり美味しくない。

「本当、あなたって、いつでも楽しいこと優先だったわ」

 不意に、パチュリーが呟いた。

「自分から人を集めようとはしないくせに、それでいて宴会のときは誰よりもはしゃいでた。湿っぽい顔してる人がいると、一升瓶片手に近づいて『まあ飲め』なんて言って」
「宴会の礼儀みたいなもんでしょ、それは」
「そうね。でも、あなたって死ぬときも、死んだあとも似たような感じだったわ」
「なにそれ」

 霊夢は首を捻る。まさか死ぬときまで酒を飲んでいた、というわけでもあるまいに。
 パチュリーはそんな霊夢を前にして少し迷っているようだったが、やがて溜息混じりに話しだした。

「あなた、ね」
「うん」
「死ぬよりも少し前に、図書館に来たのよ。何冊か本を読んで、『大体わかった』って言って、1時間ぐらいで帰ったわ。どんな本を読んでたと思う?」
「さあ」
「魂とか、輪廻とかに関する本」

 乾いた風が吹き抜けていく。霊夢の脳裏に、妖夢の顔が浮かんだ。

「じゃあ、そのときに?」
「ええ。きっと、誰にも見つからないように、魂ごと行方をくらます方法を考えついたんだわ。あなたが読んだ本をどれだけ読み返しても、わたしには分からなかったけれど」
「わたし、そこまで頭いいつもりないけど」
「いいえ、あなたはとても頭のいい人よ。ただ、考えて得られた結論を、筋道立てて他人に説明するのが壊滅的に下手くそなだけ」
「……ええと、馬鹿にされてる?」
「違うわ。ねえ霊夢、あなたって、勘が鋭いでしょう? わたし、勘っていうのは『自分が認識できる範囲から得られたあらゆる情報を無意識の領域で処理し、その結果得られた結論を、直感という形で漠然と理解する能力』だと思ってるの。そして、あなたは異変のとき……つまり、『異変の原因はどこにいるんだろう』と強く求めるとき、異様なほど勘が鋭くなる」

 霊夢はパチュリーが言ったことを頭の中で何度か繰り返した。

「要するに、そのときも、『魂ごと行方をくらますにはどうしたらいいか』っていう方法を、強く求めていたってこと?」
「そう。あなたの優秀な無意識は、本から得られた情報を基に、自然と結論を導き出した。八雲や西行寺ですら魂の行方を追うことが出来ない、その方法を」
「なんのために?」
「重ったいのと湿っぽいのが嫌なんでしょう?」
「ええ」
「多分、それね」
「よく分からないけど」
「その内分かるわ、きっと。でも霊夢、これだけはよく覚えておいて」

 パチュリーは、真っ直ぐに霊夢の瞳を見つめた。

「あなたが『重ったくも湿っぽくもない方法』として選んだそれは、ある妖怪をとても深く傷つけた。その妖怪は、今もその傷を癒せずに苦しみ続けているの」

 誰のことだろう、と霊夢は思う。一瞬天子の泣き顔が浮かびかけたが、あいつは妖怪じゃなくて天人だ、とすぐに否定する。

(だとすると、もしかして)

 しかし、霊夢がそれを口にするよりも早く、魔理沙が上空から呼ばわった。

「おーい霊夢、そろそろ時間だぜ! 早く来いよ!」

 せっかちだなあ、と上空を仰ぎ見る霊夢に、パチュリーが声をかける。

「またお別れね、霊夢。変なことばかり言ってごめんなさい」
「いいわよ別に。まあ、話の方はよく分かんなかったけど」
「そう。まあいいわ。きっとその内分かると思うから。ねえ霊夢」

 パチュリーが椅子にもたれかかりながら、思いだすように目を閉じる。

「わたしも、楽しかったわ」
「なによ突然」
「あなたたちがあの日……紅霧異変の日にこの館に飛び込んできてから、わたしの生活も大きく変わったの。萃香に指摘されたときは恥ずかしくて認めたくなかったけれど、賑やかで騒がしいあなたたちの中にいて、わたしもとても楽しかった。本を読むのと同じぐらい楽しいことを教えてもらったわ」

 そう言って、1万2千年前の無表情ぶりからは想像もできないような、嬉しそうな微笑みを浮かべる。

「本当に、ありがとうね」

 一切照れのない感謝の言葉に、むしろ霊夢が気恥ずかしくなって、ぽりぽりと頭を掻く。

「思い出を美化しすぎなんじゃないの? あんたはむしろ、魔理沙が図書館から本をかっぱらったりしていって、迷惑してる印象があるんだけど」
「わたしにとってはあれも遊びの一つだったのよ。本気で追い返そうと思えば、いくらでも追い返す手段はあったもの」
「じゃあなんで?」
「あの遊びが楽しかったからよ。だから、魔理沙に本を返してもらったときは、凄く寂しかった」
「え、魔理沙、本返したの!?」

 驚いて叫ぶと、パチュリーは寂しそうに目を閉じて、小さく頷いた。

「捨虫の魔法を使ったその日に、全部一度に返しに来たわ。『この遊びはもう終わりだ。人間としてのわたしは死んだようなもんだからな。これからはちゃんと手続き踏んで、正面から会いに来るさ』って言って。実際今はそうしてくれるんだけど、わたしはやっぱり、昔の方が楽しかったな」
「埃のせいで死にかけたりしてたのに?」
「それでもよ。長命故に、熱心に研究しているつもりでもどこかのんびりしてしまうわたしたちと違って、あの子は凄く生き急いでいてね。人間らしい、物凄い速さで成長していった。そういう変化と、変わらない図々しさを見るのがとても楽しかったの。今でも魔理沙とはいい友達のつもりだけど、ね」

 パチュリーは立ち上がって、空を振り仰いだ。冴え冴えと輝く月の夜空に、箒に跨った魔女が浮かんでいる。霊夢を待っているらしい。

「きっと、レミィたちも同じような想いを抱いているわ。あなたたちがこの館に飛び込んできたその日から、わたしたちの時計は今までとは比べ物にならない速さで時を刻み始めたのだから」
「だから、わたしのことも覚えているってわけ?」
「そう。あなたとの日々は、いつまでも変わらず、宝石のように煌めく大切な思い出なのよ」
「カーッ、さすがに本を読む人は恥ずかしいこと言うわね。それでいて結構様になってるし」

 霊夢は笑って飛び上がる。小さく手を振るパチュリーに手を振り返し、魔理沙のもとへと向かう。

(おっと。その前に、二人にも挨拶していきましょうか)

 テラスに降り立つと、その中央にレミリアとフランが佇んでいた。
 やはり大きく腕を伸ばして手をつないでおり、二人の間には人一人分ぐらいのスペースが空いている。
 その光景を見たとき、霊夢はようやく理解した。

(ああ、そう。そうか)

 そこはあの子の場所か、と。

「あの子は今も、わたしたちの心の中で生き続けている、ってか」

 霊夢は肩を竦める。

「ホント、安っぽくて陳腐なお芝居みたいなことやってるのね、あんたたち」

 そう言っただけで大体意味が通じたらしく、レミリアとフランはちらりと自分たちの背後を見て、微笑んだ。

「そのお芝居が、わたしたちにとっては何よりも幸せなのよ、霊夢」
「そうよねお姉さま。わたしたち、どこへ行くのだって、咲夜と一緒だもの」
「でも、その咲夜は紅茶も淹れてくれないんでしょう?」
「いいじゃない。ずっと働きづめだったから、休ませてあげてるのよ」
「咲夜はね、わたしたちの後ろで笑っててくれればそれでいいの」
「楽な仕事ね、それは」

 呆れてそう言った拍子に、霊夢は幻を見たような気がした。
 レミリアとフランの背後に控え目に立ち、穏やかな微笑みを浮かべている咲夜の姿を。

(やれやれ。ホントに咲夜が生きてるみたいだわ、これじゃ)

 それでいて、二人の笑顔には湿っぽい陰りなど微塵もない。過去を引きずっているわけではなく、本当に今を咲夜と共に生きているらしい。そのことに、霊夢は少し安心感を覚える。

「じゃあね、霊夢。わたしはあなたを応援してるわ」
「わたしは魔理沙を応援してるけどね」
「はいはい。それじゃあね」

 霊夢はふわりと舞い上がり、今度こそ魔理沙のもとへと向かう。
 途中ちらりと後ろを振り返ると、相変わらず咲夜の場所を開けたレミリアとフランが、無邪気に笑ってこちらを見上げていた。

(咲夜自身は、ああいうのを見たらどう思うんだろう)

 わたしだったら嫌だな、と霊夢は思う。
 たとえそこに重ったい湿っぽさがないのだとしても、死んだ人間のことなどさっさと忘れてほしい。

(1万2千年前のわたしも、そんなこと考えてたのかな。だから、本なんかほとんど読んだこともないのに、図書館なんかに来たのかしら)

 まるで、皆のところから必死に逃げようとするかのように。
 そう考えたらなんだかとても嫌な気分になって、霊夢は少し体が重くなったように感じた。

 そのせいか、弾幕ごっこの間中、霊夢は動きに精彩を欠き、とうとうマスタースパークを避けそこなって叩き落とされてしまった。続く一戦も、やはり敗北。
 1勝2敗である。



 次の舞台は魔法の森上空だ。入口に差しかかったとき、霊夢はそこにまだ香霖堂があるのを発見する。

「あれ? 霖之助さん生きてるの?」
「いや。でも、店はそのまま残してある」
「なんでよ」
「お前の遺言に従ってだよ。忘れたかい?」
「今思い出したわ」

 主なき香霖堂を、霊夢は少し寂しい気持ちで眺めやる。
 あそこは、霊夢が自分から日常的に出かけていく数少ない場所だった。店主の薀蓄を右から左へ聞き流したり、気に入った品があれば魔理沙と共に勝手に持ち出したり。

(そういう風景が、今はもうない、か)

 自分と霖之助が死んだのだから当たり前だ、と思いつつ、しかしどうもしっくり来ない。

(魔理沙は、寂しくないのかしら)

 先を行く魔理沙の背中に問いかけてみたい気もしたが、止めておいた。聞いても仕方のないことだ。

「よーっし、じゃあ、アリスの家で休憩するとしようか」
「あんたの家は?」
「誰もいないところに行ったってしょうがないだろ」

 それもそうか、と思いつつ、霊夢は魔理沙とともに魔法の森に降り立つ。
 アリスの邸宅もまた、1万2千年前と全く変わっていなかった。本当にわたしの遺言を守ってくれているのだなあ、と思うと、霊夢は少し申し訳なくなる。まるで、自分が皆を縛っているようだと感じるのだ。たとえ、彼女らがそう考えていないとしても。

(魂ごと行方くらましたりとか、皆とさっさと縁切るような真似しておいて、なんでそういう遺言残したんだろ。凄く矛盾してる)

 霊夢が首を傾げて悩む間に、懐かしい人影が、邸宅の中から姿を現した。

「お久しぶりね、霊夢」
「お久しぶり、霊夢ちゃん」

 出てきたのはアリスだけではなかった。彼女よりも少し背の高い、銀髪の女性が後ろからついてくる。霊夢にとっては見覚えのない人物で、とても整った顔立ちをした若々しい雰囲気の美人だ。ただ、なんというか、物凄く奇抜な髪形をしている。頭の左脇で束ねられた銀髪の一房が、そそり立つように湾曲しているのである。実に見事な形であった。

(たくましいな)

 なぜかそんな感想が胸中に浮かんだ。

「おー、なんだ、神綺ちゃんも来てたのか」
「あら魔理沙ちゃんもお久しぶり。そうなのよ、霊夢ちゃんが帰ってくるって聞いてね」
「え、魔理沙、この人と知り合いなの?」

 やけに親しげに話し始めた二人を見て、霊夢が魔理沙の袖を引く。魔理沙は「んー?」と奇妙そうな顔をしたあと、ポンと手を打った。

「そっか、お前はこの時期まだ知りあってないのか」
「あらあら、そうだったの。困ったわねえ」

 神綺ちゃん、と呼ばれたその人も、頬に手を当てて首を傾げている。どうやら彼女にとっては、霊夢も既知の人間らしい。

「ほら霊夢、わたしらで魔界に観光に行ったことがあったろ?」
「ええと……ああ、魅魔や幽香と一緒に?」
「そうそう。で、わたしらがアリスと遊んでるときに、魅魔様たちがやっつけたっていう魔界の神様。それがこの人、神綺ちゃん。で、アリスのお母さんでもある」
「あなたにとってははじめましてなのね、霊夢ちゃん。いつも娘がお世話になっております」

 神様の割には妙に親しみのある笑みを浮かべて、神綺が頭を下げる。「はあ」と気のない返事をしながら、霊夢はまた首を傾げた。

「そんな人とあんたが、なんで知り合いになってるの? しかも人の母親をちゃん呼びで」
「まあその辺はいろいろあったんだが、長くなるから省略させてもらうぜ」
「なによそれ」
「いいだろ別に。どっちにしろ、元の時代に戻ったらお前ともすぐに知りあうさ。確かそういう時期だったはずだし」

 それだけ言って、魔理沙は神綺と共に少し離れた場所まで歩いて行く。やたらと親しげな二人の後ろ姿は、まるで親子を見ているようである。

「なにがあったんだか」
「いろいろあったのよ」

 声をかけてきたのは、やはりアリスだった。昔と変わらぬ格好で、愛想よく笑いかけてくる。

「本当に変わらないわねえ、霊夢」
「それはわたしの台詞だってば。よくもまあ、飽きもせず昔と同じ格好してられるわね」
「あらそう?」

 突然、アリスは奇妙な笑みを浮かべた。

「わたし、本当に昔と変わらぬアリス・マーガトロイドに見える?」
「ええ。そう思うけど?」
「そう? 本当にそう? 本当にそうかしら?」

 歌うような調子で言いながら、アリスが深く首を傾げる。人体の構造上あり得ない角度まで。

「ちょ……アリス?」
「そうかしらそうかしら、わたしったら昔と変わらないかしら。ねえどう、どうなの霊夢」

 首が逆さの位置まで回って実に気持ち悪くなったアリスの姿に、霊夢は思わず一歩身を引く。そしてはっと気がついた。

「こ、これはまさか、人形!?」
「ご名答!」

 嬉しそうに笑ったアリスの頭が外れて、ごろりと地面に転がった。いや、首だけでなく腕や足も外れて、次々とバラバラになる。
 なんて悪趣味な悪戯だ、と霊夢は頬を引きつらせる。

「ちょっとアリス、出てきなさいよ! いったいなんのつもりでこんな」
「わたしはここよ、霊夢」
「いやいや、こっちだって」
「ここにもいるわよ」

 夜の魔法の森のあちこちからアリスの声が聞こえてきて、霊夢の周りで反響する。見ると、邸宅の屋根の向こうやら森の木の陰やら果ては地面の中から、次々にアリスが姿を現している。いや、もちろん精巧な人形ではあるのだろうが、精巧過ぎて全く見分けがつかない。全部本物に見える。
 混乱する霊夢の前で、突如周囲に明かりが灯った。劇場の照明のごとく、夜の闇をものともしない眩い明かりが、周囲の全てを輝かせる。魔法の明かりらしい。どこからか、やたらと楽しげで軽妙なBGMまで流れ始めた。

「だーもう、いったい何なのよ!?」

 頭を抱える霊夢を見て、たくさんのアリスたちがくすくすと微笑む。見物している魔理沙と神綺も苦笑している。
 いっそ片っ端から全部叩き壊そうか、と半ば本気で考える霊夢の前で、たくさんのアリスたちが奇妙な踊りを踊り始めた。腕を上げ足を上げ、ついでに変な歌まで歌いながら、霊夢の周囲をぐるぐる回り出す。その輪が縮まったり二重になったり大きく広がったりしているのを見ている内に、霊夢はちょっと具合が悪くなってきた。なにせたくさんのアリスの顔が全部こちらを見て笑っているのだから。

(これが世に言うアリス酔い、か)

 口を手で隠して意味もないことを考えていると、たくさんのアリスたちが一斉に空を飛び始めた。びしっと腕を上げぴんと足を伸ばしたシルエットが、ひらりひらりと月の夜空を舞っては次々に邸宅の屋根に着地する。多分やっている本人は幻想的なつもりなのだろうが、何せ全員寸分違わず同じ姿なので、ただただ不気味なだけである。
 やがて全てのアリスが屋根に降り立ち、全員で手をつないで一斉にお辞儀をした。やたらと爽やかな笑顔を浮かべて何かを期待するようにこちらを見ているので、霊夢は頬をひきつらせながら乾いた拍手を送ってやる。

「ブラヴォーハラショーグットジョブ! よくやったわ、わたしの可愛いお人形さんたち!」

 興奮を隠そうともしない声が隣から聞こえてきたので黙って視線をスライドさせると、割れんばかりの拍手を惜しみなく送りながら、そこにアリスが立っていた。感動のためか目の幅涙を流している。どういうセンスしてんだこいつは、と思いながら、霊夢は嫌々ながらも声をかける。

「アリス」
「あら、お久しぶりね霊夢」
「あんたは人形じゃないわよね」
「ええ本物よ。残念ながらバラバラになったりはできないわ」
「残念なのはあんたの脳味噌よ」
「相変わらず酷いこと言うのね」

 そう言いながらも、アリスは上機嫌だ。自信満々に問いかけてくる。

「わたしのスーパー人形劇はいかがだったかしら」
「率直に言ってキモかった」
「そんな馬鹿な!?」

 驚愕に目を見開き、アリスは思い切り仰け反った。

「今や全幻想星で話題沸騰のアリス・イリュージョンが、あろうことか親しい友人にウケないだなんて!」
「そりゃまあ話題沸騰になるでしょうね。あまりの気持ち悪さで」
「まあ仕方ないわね、あなたって昔の人だし」
「いや感性の新古とかの問題じゃないから。誰が見ても気持ち悪いから、これ」
「えー? うそー? 実際大好評なんだけどなーこれって。劇場でやればみんな総立ちで涙を流して拍手を送るんだけど」
「どういう感性してんのこの時代の人間は」
「あ、ひょっとして」

 アリスは首を傾げた。

「あなたに分かりやすいようにと思って、全員わたしと同じ姿にしたのが良くなかったのかしら?」
「それだよそれ! っつーかやる前に気づきなさいよ!」

 霊夢が指を突き付けると、アリスはおもむろに手帳を取り出して、何やら真面目な顔で書きつけ出した。

「やはり大衆に媚びるのはいけない、と」
「いや明らかにズレてるからそのメモ」
「芸術って孤独なものなのね」
「だからそういう問題じゃ……ああもう」

 突っ込み疲れて、霊夢は大きく肩を落とす。

「あんたは、わたしたちの中では比較的マトモな方だと思ってたのに……」
「あら、自分が浮世離れしてるっていう自覚はあったのね」

 くすくす笑いながら、アリスは指を鳴らす。すると屋根の上に乗っていたたくさんのアリス人形が、次々に地面に飛び降りて、邸宅の中に入っていった。一糸乱れぬその動きは、やっぱり非常に気持ち悪かった。
 だが、霊夢は少し感心もしていた。

「凄いもんねえ、あの人形。完全に人間と同じじゃない」
「光栄ね。わたしの腕も、少しは誇れるものになったってことかしら」
「あれが、あんたの目指してた『完全に自律した人形』ってやつなの?」

 昔ちらっと聞いた、魔法使いとしてのアリスの目標を思い出して問いかける。彼女はきょとんと目を瞬いて、苦笑しながら手を振った。

「ああ、違う違う。あれは普通の人形よ。あなたの時代に比べると、格段に精巧になっているとは思うけど」
「そうなの?」

 要するに、あれだけの数をすべて自分で操って、あれだけ複雑な動きをさせているらしい。
 それはそれで凄いと思ったが。

「じゃあ、自律した人形ってのは他にあるんだ?」
「ないわよ、どこにも」
「え? まだその域まで到達してないってこと?」
「違うわ。もう、その目標は諦めたの」

 アリスはやけにすっきりした顔でそう答えた。

「正確には、諦めたっていうのとはちょっと違うんだけどね。作ろうと思えば今でも作れるつもりだし」
「本当? じゃあなんで作ってないの?」
「作る意味が、よく分からなくなったからよ」

 霊夢の顔を見つめながら、アリスは寂しげに微笑む。

「魔界の住人よりもずっと脆い幻想郷の人間たちと交流するようになったり、あなたが死んだり、魔理沙が捨虫の魔法を使ったり……いろいろなことを体験してる内に、命を作り出す重みってものを、以前よりも真剣に考えるようになってね。理論が完成に近づくたびに、どんどん迷いが大きくなっていったわ。本当に、こんなことをする資格が自分にあるんだろうかって」
「そんなもん?」
「そんなものよ。それにその頃、外の世界でロボットっていうのが作られるようになってね」
「なにそれ」
「わたしが作ろうとしていたものと同じ存在よ。まあ、アプローチの仕方は科学と魔法で大きく異なっていたけど。でも、そのロボットの扱われ方っていうのがなかなか悲惨で、『ああ、わたしの作った人形がこんな風に扱われるのは嫌だなあ』と思ったら、完全にやる気がなくなっちゃったの」
「なるほど」

 と納得しかけて、霊夢は「いや待て」と首を傾げた。

「あんたにしたって、爆発させたり囮にしたり、結構悲惨な扱い方してたような」
「わたしはちゃんと後で回収して直してるもの。一体残らずね。なのに外の世界のロボットって、ほぼ完全に消耗品だったから。やっぱり、愛着がないとダメよね」

 霊夢としてはなんとなく納得がいかなかったが、アリスは気にした風もなく話を続ける。

「それでまあ、しばらくは何もする気が起きなくてぼんやりしてたんだけどね。用事があって人間の里に出かけたとき、あるお婆ちゃんに出会ったのよ」
「お婆ちゃん?」
「そう。昔、その人がまだほんの子供だった頃、わたしが祭りで使った人形をプレゼントしてあげた人だったんだけど」

 アリスはおかしそうに笑った。

「なんとその人、そのときあげた人形をまだ大切に持ってて、自分で修繕しながら娘さんやお孫さんに受け継がせてたの。一緒にしたお孫さんも、その人形を大切にしてくれてて……それを見て、わたし思ったの。ああ、これだって」

 アリスの声音に熱っぽいものが混じり始めた。握りしめた拳を掲げ、視線は遥か夜空の彼方へ。

「それ以来、わたしは真の人形遣いになったのよ」
「真の、ですか」
「そう。今まで培ってきた魔法の技術をすべて注ぎ込んで、人も妖怪も一人残らず楽しませる、究極の人形劇を作ろうと決意したの」
「またぶっ飛んだわね」
「そして研鑽に研鑽を重ねてついに完成したのが、わたしのスーパー人形劇よ」
「とりあえず、あんたが間違った方向に全力で突っ走ったってことはよく分かったわ」
「そう言わずに見てよ!」

 アリスが指を鳴らすなり、邸宅の中から出てきた等身大アリス人形が空を飛んだりワープしたりバラバラになったりドリルで土を掘り進んだり。

「どうよ!」
「率直に言ってキモい」
「あなたは昔の人だから」
「だからそういうの関係ないってば」

 凄まじい脱力感を覚えつつも、アリスの表情が昔よりもずっと生き生きしていたので、霊夢はついつい笑ってしまう。まあ本人が幸せならいいか、という気分である。
 どうやら彼女も、すっかり幻想郷の空気に染まってしまったらしい。わたしは都会派だから、とかなんとか言って気取っていた姿が妙に懐かしい。

「まさか、あんたがこんな夢追い人になってるとは思わなかったわ」
「夢、ね。いい言葉だわ。その内宇宙で人形劇をやるつもりだから。外の世界の艦隊戦を題材にしたやつ」

 よく分からないけどそれはもう人形劇じゃないだろ、と、霊夢は笑う。

「壮大ねえ。馬鹿馬鹿しすぎて逆に清々しいぐらい」
「そうかも。でもね、霊夢」

 不意に、アリスの声が湿っぽさを帯びた。驚いて見ると、彼女の瞳が潤んでいる。

「夢追い人って表現、わたしよりも魔理沙の方がふさわしいと思うわ」
「魔理沙が? どうして?」
「あの子、わたしが思い描くよりものも遠い夢を、ずっと追いかけているのよ。わたしや森近さんがどんなに止めても聞いてくれなくて……きっと、これからも追い続けて行くんでしょうね。絶対に追いつけないと知りながら」
「アリス? いったい何を……」
「ごめんなさい、わたし、ちょっとトイレに」

 ばればれの嘘をついて、アリスが目元を押さえながら邸宅の中に駆けて行く。人形たちもいつの間にか姿を消しており、あれだけ明るかった照明も消えて、後に残されたのは夜の森の静寂と、ぽつんと立ちつくす霊夢だけ。

(なんなのよ、もう)

 せっかく楽しい雰囲気だったのに、と思ったとき、霊夢はふと気がついた。
 ひょっとしたら、最初から馬鹿に高かったあのテンションも、溢れ出すかなしみを抑えるためのものだったのかもしれない、と。

(結局、アリスも同じか。こんなに時間が経ったのに、わたしのこと覚えてて、未だにかなしんだり寂しがったりしてる)

 止めてほしいなあ、と思い、俯いて溜息をつくと、視界に誰かの靴が映り込んだ。顔をあげると、そこに神綺が立っていた。頼りない月明かりに、どこまでも優しい微笑みが浮かんでいる。

「許してあげてね」
「え?」
「あの子ね、魔理沙ちゃんから話を聞いたときから、とっても頑張っていたのよ。あなたは何も知らないだろうし、皆が湿っぽくなるのも嫌がるだろうから、ちゃんと楽しんでるところを見せないといけないって」
「そう、なんだ」
「ええ。でもね、心配しなくてもいいのよ?」

 急にそんなことを言われたので驚いて顔を上げた途端、霊夢はなにか暖かいものに包まれた。抱きしめられたのだ、と判断するまで、少し時間がかかった。

「ちょ、ちょっと……!」
「不安なんでしょう?」

 穏やかに語りかけられて、霊夢は動きを止める。

「宴会とかは昔のままで楽しそうなのに、紫ちゃんが泣いていたり、みんなの雰囲気にどこか影があったりするから……ひょっとして、自分がみんなを悲しませているんじゃないかって、不安でたまらないのね。でも、大丈夫よ」

 なんとか顔をあげると、そこには神綺の笑みがある。幼子を安心させようとするかのような、温かい笑みだ。

「あなたがいた頃がとても楽しかったのは本当だし、あなたがいなくなってからも、みんなそれなりに楽しく過ごしてきたの。わたしはいつもは魔界にいて、幻想郷に来るのはたまにでしかないけれど、ここはいつ来たって誰もが楽しそうにしているわ。お手本にしたいぐらいの、楽しく愉快で、素敵な楽園よ」
「だけど」

 霊夢は神綺の笑顔から目をそらしながら、唇を尖らせる。

「その割には、なんか」

 何をどう言ったらいいか分からず、言葉はそこで止まってしまう。それを見た神綺が、霊夢の頭を優しく撫でた。

「時には昔の話をしたくもなるわ。楽しい思い出は思い出すだけで楽しいけれど、同時に拭いきれない寂しさも与えるものなの。もう二度と、その瞬間には戻れないと分かっているから。みんなが少しだけ寂しそうなのは、そのせい」

 だから明日からはまた楽しく過ごしていくわ、と、神綺は続ける。

「きっと、今日というこの日は、あなたが与えてくれた奇跡なのね。もう戻れないはずの時間に、束の間でも戻らせてくれる奇跡」

 神綺はそれがとても素晴らしいことであるかのように語ったが、霊夢の胸には嫌悪感しか湧かなかった。耐えきれず、身じろぎする。

「やだな、そんなの」
「どうして?」
「だって、わたしはずっとこうしてはいられないのよ? 夜明けとともに元の時代に戻るの。そんなの、ただ寂しいだけじゃない」
「でも、今日というこの日は、きっとみんなにとってかけがえのない思い出になるわ」
「それが嫌なのよ。思い出すたびに寂しくなるんだったら、覚えててくれない方が良かった。今が楽しいのなら、今だけを感じて、楽しいところだけ味わっていればいいじゃない。わざわざ昔のことなんか覚えてて、ふとした瞬間につい思い出しちゃったりして、寂しい気分を味わうことなんてないのよ。なのにわたしのことなんか覚えてるから、あんな」

 また声が詰まった。これ以上言うのはたまらない、と思う。
 神綺は黙って霊夢の体を離し、ゆっくりと問いかけてきた。

「やっぱり、みんなをかなしませるのは嫌?」

 霊夢はこくりと頷く。

「それなら、出来る限りの言葉を送ってあげなさい。あなたが、かなしい気持ちを忘れさせてあげたいと思う人へ」

 何も答えられず、神綺の顔を見ることもできずに、霊夢は俯いたままただじっと立ち尽くす。そのとき、上空から声がかかった。

「おーい霊夢、そろそろ再開しようぜ! お喋りが楽しいのは分かるけどさぁ!」

 楽しくないわよ、と心の中で反論しながら、霊夢は「魔理沙が呼んでるから」と言い訳して、逃げるように空へと舞い上がる。多分神綺は微笑んで自分を見送っているのだろうが、振り返る気にはなれなかった。

(楽しいことだけ、考えよう)

 魔理沙のもとへと向かいながら、そう思う。

(重ったいのも湿っぽいのもいや。そんなのに捕らわれてたら、飛べなくなりそうだもの)

 とりあえずさっきので一番楽しかったことはなんだろう、と霊夢は必死に考える。
 そして出てきた結論は、

(……まさか、紫をちゃん呼びする奴がいるとはねえ)

 アリスのスーパー人形劇は、選択肢から除外されていたりした。

 どうにも調子が悪いまま、霊夢は空を飛び回る。魔理沙に近づこうとしすぎたり、逆に距離を取り過ぎたり。それでも魔理沙の癖を知り尽くしていたためか、2回やって1回は勝った。
 2勝3敗である。



 月は高々と空に上り、霊夢と魔理沙の勝負も後半戦に入った。
 次の場所は迷いの竹林上空、だったのだが、永遠亭の庭に降り立った瞬間、霊夢は思わず倒れこむところだった。
 そこで展開されていたあまりにも凄惨な光景に、脳が活動停止寸前まで追い込まれたのだ。
 それは、縁側に並んで座っている二人の女。蓬莱山輝夜と藤原妹紅。霊夢の記憶では、いろいろと複雑な因縁があって、顔を合わせるたびに殺し合いになるという実にイカれた不死人どもだったはずである。
 それが今や、

「はい、もこたん。あーんして」
「あーん」
「どう、おいしい?」
「うん、すごくおいしいよ。はい、かぐやん、おかえし。あーんして」

 これは悪夢だろうか。かみさま、わたしはなにか悪いことをしたのですか。

「驚いたようね」

 涼やかな声を出しながら、背後から誰かが声をかけてきた。振り返ってみると、それは八意永琳。ずうっと昔から輝夜の従者を務めているという噂の、幻想郷三大ババァが一人である。

「今、何か物凄く失礼なこと考えなかった?」
「いえいえ滅相もございません。そ、それより教えてえーりん先生!」

 なんだか変なテンションで、霊夢は輝夜と妹紅を指差した。ちなみにさっきまでメロンを食べさせ合っていた二人は、今は互いの髪の毛を指に絡め合ったりしてそりゃもう百合百合しく不気味なことに成り果てている。

「なにあれ!」
「なにって、妹紅と姫様だけど」
「そうじゃなくて! なんであの二人があんなことになってんのよ! 昔はさ、もっとこう」
「霊夢」

 ふっ、と、永琳の瞳が陰りを帯びる。

「人は、変わっていくものでしょう?」
「いやいや、そんなレベルじゃないし」
「でもあれが現実なのよ。互いの肉を削り骨を砕き血を流し合う殺し合いは、どこか性交に通ずる快楽をもたらすもの。普通の人間ならばせいぜい人生に一度か二度しか味わえないその感覚を、あの二人は何度も何度も共有してきた。その結果があれよ。延々と殺し合った結果があれだよ」
「全然理解できないんですけど」
「できなくても理解しなさい。二人は常人から見れば物凄く異常な状況の中で、自分自身もそうとは気づかぬまま、互いへの愛情を育んでいたの。そしてある日、同時にその感情に気がついた」

 永琳は左手を胸にあて、役者か何かのように空に向かって右腕を突き出す。

「そう、今の二人は、もこたんかぐやんと愛情を込めて呼び合う、永遠のバカップルなのよ!」
「気持ち悪いいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!」

 霊夢は頭を抱えて絶叫する。しかし現実はゆるぎなく、妹紅と輝夜は再び食べさせっこを再開していた。

(お、おそろしい……! 未来の幻想郷はおそろしいところだっぺ! おらぁもうこんなとこさいたくねえだ!)

 自分が田舎者であることを存分に思い知った霊夢は、もう何もかも放り出して帰りたい気分になっていた。
 とにかく本日三回目の土下座をして早く許してもらおう、と駆け出そうとした霊夢は、その瞬間あることに気がつく。

(……二人のこめかみに青筋が立ってる?)

 気づくと同時に、輝夜のフォークが物凄い勢いで妹紅の鼻を抉った。

「ふぐおぉっ!?」
「あぁっ、ごめんなさいもこたん、わたしが不器用だったばっかりに! なにせお姫様だから! やんごとなきお方だから! 竹林で暮らしてる人と違って生活力ないから、わたし!」
「ふ、ふふ、うふふふふ……そうよねえ、かぐやんはお姫様だもんねえ。ああもう、ほんとにかわいい、なぁ!」

 叫んだ妹紅が、皿の上のメロンを皮ごと輝夜の口に突っ込んだ。

「うぐ、うぐおぉっ!?」
「あははは、ほーらかぐやん、たっぷり食べなよっつーか食えよこのクソ姫が」
「げほっ、げほっ……てめぇなにしやんだこの野良犬女!」
「あぁ!? やんのかコラ!? 一日中ゴロゴロしてるもやしにわたしが負けるとでも思ってんのか、おぉ!?」
「てめぇこそ三食竹の子ばっかで栄養失調のくせに、わたしに勝てると思ってんのか、あぁ!?」

 口汚く罵り合いながら、その場で始まる醜い取っ組み合い。

「変わってないじゃん」
「だから無理だって言ったのに」

 冷めた目でその喧嘩を見つめる霊夢の隣で、永琳が額を押さえている。

「霊夢が帰ってくるって言うから、一番嫌がる悪戯をやろう! って姫様が言いだしたところまでは、まあ良かったんだけどねえ……」
「それがバカップルの振りってわけか……まあ確かに死ぬほど嫌だったけど、さすがに無理があるでしょそれは」
「でも1分間ぐらいは大丈夫だった辺り、姫様も成長したと思わない?」
「親のひいき目よそれは」

 ちなみに魔理沙は妹紅と輝夜のそばによって、永遠亭の兎たちとともに「おーしそこだ、ボディボディ!」だのと囃し立てて盛り上がっている。見慣れているだろうによく飽きないなあ、と呆れながら、霊夢は永琳を伴って少しその場から離れる。

「それにしても久しぶりね、霊夢」

 庭園にある大きめの石に腰掛けながら、永琳がたおやかに微笑む。その微笑みを見て、霊夢はなんとも言えない気分になった。

「あんたも同じこと言うんだ」
「なにが?」
「久しぶりね、って」
「それ以外にどんな挨拶があるっていうの」
「あなた誰だっけ、とか」

 霊夢が大真面目にそう言うと、永琳は困ったように眉を傾けた。

「つまり、忘れていて欲しかったのね」
「そう。なんで覚えてるの?」
「あなたがいた頃がとても楽しかったから」
「また同じこと言うし」

 うんざりしながら、霊夢も永琳の隣に腰を下ろす。1万2千年よりもさらに長い年月を生きているという噂の女医は、巫女を見て苦笑する。

「実際、それが正直な気持ちよ。姫様や妹紅だって、同じことを言うと思うわ」
「そう?」
「そうよ。何もなかった100年間と、楽しかった10分間。強く記憶に残るのがどちらかなんて、考えるまでもないでしょう? わたしたちもそうだった。あの満月の夜にあなたたちと出会ってから、それまでの数百年とは比べ物にならないぐらい濃密な時間を過ごすようになった。だから、あなたが生きていた頃のことはみんな覚えている。そういう思い出を胸に、人は生きていくのだから。どんなに長く生きてたって、わたしたちが心を持つ生き物である以上、それは変わらないのよ」

 実際に幻想郷では一番長生きしているであろう永琳にそう言われると、霊夢としては返す言葉もない。

「おーい、霊夢ー」

 呼びかけられて振り向くと、縁側の方から妹紅が歩いてくるところだった。傷がもう治っているのは、さすが不死人というところか。

「あれ、もう喧嘩終わったの?」
「まあね。霊夢も来てるしこんなことやってる場合じゃないって感じで、また明日に持ち越し」
「また明日やるつもりなんだ」

 呆れる霊夢の横で、永琳が場所を譲るようにそっと立ち上がって、縁側の方に歩いて行く。入れ替わりに、妹紅がさっきの石に腰を落ちつけた。

「なんか元気ないね」
「別に。気のせいでしょ」

 出来る限り素っ気なく言って、妹紅から顔を背ける。すると彼女がおかしそうに笑った。

「まあ。分からないでもないけどね」
「なにが」
「自分が別れの辛さを生みだしてる源だ、なんて思うのは、あんたみたいな人間には耐えられないことよね」

 聞いていやがったのか、と思ってじろりと睨みつけると、「まあそんなに怒らないでよ」とぴらぴら手を振る。

「分からないでもない、って言ったじゃない。せっかくだから、ちょいとわたしの話も聞いてみなよ」
「いや」
「別れってのは確かに辛いものだね」

 こちらの返答を無視して、妹紅が滔々と語り出す。

「わたしもこんな体になって以来、たくさんの人と出会って、お別れしてきたよ。そのたびに物凄く辛くて、たくさん泣いて。ときにはその辛さを味わわずに済むように、自分から離れたり、わざと人を避けて暮らしたりしてきた。そしたらまあ実際、あまり辛くはなくなったね」
「じゃあずっとそうしてりゃよかったじゃないの」
「でも楽しくもなかった。あんたなら、分かるでしょ?」

 じっと見つめられて、霊夢はまた目をそらす。今妹紅の意見を肯定するのは、なんとなく気に入らなかった。

「それで幻想郷に辿りついて、永遠亭の連中に慧音やあんたたちとも知り合った。楽しい時間の始まりってわけよ。もちろん、終わりは来たけどね」

 妹紅は伸ばしたつま先を見つめるように、少し顔を伏せる。

「慧音を看取ったのは、わたし。枯れ木みたいに細い手を握ったら、ちょっと微笑んで『ありがとう』って言ってくれた」

 冴え渡る月光を浴びて、妹紅の目元でなにかが光る。
 ほれ見ろ、と霊夢は思った。
 自分たちに比べればほんのちょっとの間しか生きられない、ちっぽけな連中のことなんかいつまでも覚えてるからそんなことになるんだ。一緒に歩けない連中のことなんかさっさと忘れてしまえば、そんな風に泣くこともないのに。そうしたところで、慧音もわたしも怒りはしないのに、と。

「忘れないよ」

 力強い声音だった。

「絶対に忘れない」
「なんでよ」
「決まってるじゃない。別れの辛さ以上に、出会いの喜びがいいものだからよ。最期の辛い瞬間以上に、それまでの楽しい時間が輝いて思えるから。少なくとも、そう信じていたいの。あんたたちとの思い出がそう信じさせてくれる限り、ずっとずっと、どこまでだって倒れずに歩いていくことができる」

 妹紅は飛ぶように立ち上がり、月光の下で輝く長い銀髪を翻らせながら、なんの躊躇いもなく振りかえった。そこに霊夢の姿を見つけて、嬉しそうに微笑む。

「そう、出会いは喜びなのよ、霊夢。わたしたちは新しい誰かと出会うたびに笑って、その人と別れるたびに泣いて、そういうことをずっと繰り返して生きていくの。そうでなければ、なんの喜びもない。永遠に続くこの生が、ただただ空虚な呪われたものと化してしまう。その呪いを浄化してくれるのが、人との出会いであり、思い出なのよ。それがなかったら、動いていたって死んでいるのと変わらない。なんの意味もない。忘れないでほしいね、霊夢。わたしたちは永遠に生きるのであって、永遠に息してるんじゃあ、ないんだ」

 妹紅はもんぺのポケットに両手を突っ込み、自信に満ちた笑みを浮かべる。遥か夜空の彼方を見上げるその瞳には、どこまでも揺るぎない生の輝きがある。言葉の通り、彼女は忘れないだろう。忘れずに、全ての思い出を抱えたまま、ずっと歩いていくのだろう。

「妹紅」
「なに?」
「あんたが言ったことってさ、どんな奴でも変わりないの? あんたよりも遥かに力が強くて、人間なんか石ころみたいに思えるような、ほとんど万能の存在でも、やっぱり忘れてくれないものなの?」

 妹紅は少し難しそうな顔をした。

「さて、どうだろうね。わたしが選んだのは、永遠に生きていくやり方の内の一つにすぎないと思う。もしかしたら、辛いからと言って今までの思い出を捨て去ったり、誰にも愛着なんか抱かずに、冷たい心で生きていくって奴もいるのかもしれない。でもね、一つだけ言えるのは」

 妹紅が片目を瞑る。

「この幻想郷に、そんなクソも面白くない腐った生き方を選んでる奴は一人もいないってこと。忘れられるわけないよ。こんな妖怪よりも妖怪じみた変人ばっかり暮らしてるようなところでさ」
「そうなんだ」

 楽しそうな妹紅に反して、嫌だなあ、と霊夢は思う。
 何故だか寒気を感じて膝を抱えていると、上空から声がかかった。

「霊夢ー、来いよー」
「ほら、お呼びだよ。またね霊夢。たぶんもう会えないだろうけど」

 霊夢は立ち上がり、妹紅を見る。彼女は笑っていた。

「その割には、別にかなしそうでもないのね」
「かなしいよ。でも泣いたらあんた嫌がるでしょ。だからあんたが帰ったあとで一杯泣くよ」

 それが嫌なんだけどな、とため息をつきながら、霊夢は空に舞い上がる。
 途中でちらりと縁側の方を見ると、永琳に肩を抱かれた輝夜が、涙ぐんだ目で空を見上げていた。こちらの姿を見つけると、精一杯大きく手を振ってくる。お姫様らしお淑やかさなんか欠片もなかった。澄ましていてくれればよかったのに。

 そんな嫌な気分で戦ったせいで、調子は最悪だった。ノンディクショナルレーザーを避けきれずに撃ち落とされて、一敗。
 これで2勝4敗になった。



 その後も魔理沙との勝負は続く。
 人の消える道では、ミスティアの屋台で思う存分歌を聞かされた。

「ロッケンロオオオオオオオオォォォォォォォォォッ!! デストロオオオォォォォォォォォイ!!」
「もうちょっと妖怪らしい歌を歌いなさいよ!」

 激しく頭を振りながら歌うミスティアに、耳を塞ぎながら突っ込みをいれると、周囲の馬鹿娘たちがゲラゲラと笑う。

「そういえばさ、霊夢っていつ頃から来たんだっけ? 幻想郷のど自慢とかやってた辺り?」
「なにそれ」
「じゃあ、第一回ミス妖怪の山コンテストの辺り?」
「知らないわね」
「っていうか、魅子ちゃんはもう来てる?」
「ネーミングセンスのなさに大爆笑したぐらいよ」

 素っ気ない口調で言ってやったが、話を聞いていたリグルたちは「うらやましいなあ」と笑っている。

「なんでよ」
「だって、これから先、楽しいことがたくさん待っているんだもの」
「ふぅん。具体的にはどんな感じなの?」
「楽しいことだよ!」
「そうじゃなくて」
「とっても楽しいことだよ!」
「いやだからね」
「物凄く楽しいことだよ!」

 お前らはそれしか言えんのか、と呆れながら見やるも、彼女らがとても幸せそうだったので、すっかり毒気を抜かれてしまう。
 まあ楽しく過ごしているならそれでいいか、と思っておくことにした。

 妖怪の山では「閉鎖的で退屈だった山を開放してくれた英雄」として、能天気な天狗たちから歓待を受ける。

「わたしらも気楽に過ごさせてもらってるよ」

 山頂の神社で、そこに祀られている神から礼を言われた。

「ここ来た当初は、まさかこんな平和な場所だとは思ってなかったからね。スペルカードルールのおかげで、人間とも気楽に勝負ができるし」
「そのせいで手軽に芋奪われる神様もいるけどね」

 恨みがましい口調でそう言ったのは秋穣子だ。何年たっても立場は変わらないらしい。

「まあ、あんたらのおかげで山が賑やかになったのも事実だけどさ」

 だから許してあげるわ、と言わんばかりの口調で、彼女は笑っていた。

 どいつもこいつも楽しそうだったので、霊夢の気分もまた弾む。2回やって、2回勝った。
 これで、4勝4敗。



 ここはある意味一番来たくなかった場所だなあ、と思いながら、霊夢は白玉楼の庭に降り立った。魔理沙ももちろんついてきている。
 まず縁側に座って茶を啜っている幽々子が見え、ついで廊下の向こうの暗がりに隠れるようにして、誰かが引っ込んだのが見えた。緩やかな風に乗って、小さな啜り泣きが聞こえてくる。

(紫、か)

 なんとなく視線を感じる辺り、隙間越しにこっそり覗いてはいるらしい。もしかしたら、今までもずっとついてきていたのかもしれない。一度も姿は見なかったが。

(なんであんたがそんな子供みたいに隠れてるのよ。調子狂うなあ)

 頭を掻きながら、しかしいつまでもそこに立ってはいられない。
 霊夢は罰が悪い気持ちで縁側を見つめる。そこには幽々子が座っていて、こちらを歓迎する気配など微塵もなしに澄ましてお茶を啜っている。

(やっぱりまだ怒ってるかあ。そりゃそうよね、まだ紫泣いてるし)

 どうしようかなあ、と迷って後ろを見ると、魔理沙は頭の後ろで両腕を組んで素知らぬ顔をしている。こういうときだけは薄情な奴め、と思いながら、霊夢は仕方なく幽々子に近寄った。

「ゆ、幽々子?」
「なにかしら?」

 おお無視されなかったぞ、とちょっと喜んでから、はて、と霊夢は首を傾げた。

(わたしは次に何を言うべきなんだろう?)

 謝るべきだ、という意見は当然却下される。確かに紫が泣いているのは霊夢のせいらしいが、それだってあいつがわたしを忘れていないからじゃないか、という想いも、確かに存在するのだ。
 迷いに迷った挙句、霊夢はとりあえず聞いてみることにした。

「まだ、怒ってる?」
「怒ってないわよ」
「そうよね……だけどわたしもって、はい?」

 目を瞬く霊夢の顔を見て、幽々子が愉快そうに体を揺らす。

「あら霊夢、その顔とってもお間抜けさんね」
「いや、ええと……あれ?」

 目の前でのんびりと茶を啜る幽々子を見て、霊夢は信じられない気持ちだった。

「あのー、幽々子さん?」
「なんですか霊夢さん」
「さっきまで、怒ってたわよね?」
「そうね、怒り心頭だったわね」
「でも、今は怒ってないのよね?」
「ええ、怒ってないわ」
「……どうして?」

 首を傾げる霊夢を見て、いつものように口元を隠して笑いながら、「まあここに座りなさいな」と幽々子が誘う。
 釈然としないまま隣に腰かけると、幽々子がおもむろに切り出した。

「さっき、あなたの弾幕を見ていてね」
「うん」
「紫が、笑ってたのよ」
「へ?」

 会話が途切れる。また、小さな啜り泣きが聞こえてきた。

「泣いてるけど」
「でも、確かに笑ってたわ。『やっぱりあの子の弾幕は見ていて楽しいわね』って言って」
「……だから、あんたも怒ってないってこと?」
「ええ。あなたが紫を泣かせたから怒ってたんだもの、笑わせたから許すのは当然のことでしょう?」

 そんなもんかなあ、と、なんだか納得のいかない霊夢を見つめて、「でもね」と幽々子は目を伏せる。

「物凄く怒ってたのは本当よ。あなたはそのぐらい、許せないことをしたんだから」
「紫を泣かせたのが?」
「その原因となったことよ。あなたがここに来ないと知ったときの紫の顔は、今でも忘れられないわ。いい、霊夢」

 幽々子が霊夢の腕をつかんだ。ぐいっと顔を近づけてくる彼女の瞳には、見たこともないほど真剣で、切実な色が宿っている。気圧される巫女に、冥界の管理人は一字一句刻みつけるように言う。

「あなた、ちゃんと責任をとりなさい」
「責任って」
「1万2千年前のあなたは、もしかしたら知らなかったのかもしれない。自分がここまで想われているってことを。だからあんな酷いことができた。ああも残酷に、彼女を傷つけることができた。だけど今、あなたは自分の存在がどれほど大きいかを漠然とでも理解したはず。それなら、やるべきことは分かっているはずよ」
「なにを」
「分からないの? それとも分からないふりをしているの? どっちでもいいわね。それなら分かりやすく言ってあげるわ。あなた、紫を泣きやませてあげなさい。あなたの言葉で、あの子の泣き顔を笑顔に変えてあげるの。それが出来なかったら……ううん、しなかったら」

 本当に幽霊なのかと思わせるほどに強い力が、ぎりぎりと腕を締め付ける。かすかに息を漏らす霊夢の顔を、幽々子は間近から睨みつけた。

「わたしはあなたを呪うわ。どこにいたって関係ない。時間の壁も関係ない。今にいようと過去にいようと、あなたがどこかに存在し続ける限り、永遠に終わることのない苦しみを与え続ける。このわたしの魂が、存在し続ける限りね」

 話はそれだけよ、と言わんばかりに、幽々子は手を離した。あとはこちらを見もせずに、ただ静かに茶を啜り続ける。
 霊夢は幽々子を見て、それから彼女の指の跡が生々しく残っている、自分の腕を見た。

「わたしだって」

 自然と声が漏れる。

「わたしだって、好きで誰かの心に残ってるわけじゃないわよ」

 幽々子は何も答えてくれなかった。

 当然気分は最悪で、弾幕ごっこなどできる状態ではなかった。霊夢は負けた。開戦直後の、ただ自分に向かってくるだけの直線的な弾すら避けられなかった。
 4勝5敗である。



「なあ、本当に大丈夫か、霊夢」
「うるさいわね。ほっといてよ」

 そんなやり取りを何度か繰り返しながら、霊夢と魔理沙は博麗神社上空に戻ってきた。神社の敷地に残っていた妖怪たちが、二人を迎えるような大歓声を上げる。

「さあ、とうとう二人が戻って参りました! ここまでは4対5で魔理沙選手が圧倒しております! はたして霊夢選手は初代の意地を見せつけて引き分けに持ち込めるのか!? それとも魔理沙選手の1万2千年の努力が創始者を圧倒するのか! 最後まで目が離せません!」

 眼下に向かって声を張り上げる文を見て、夜中だってのに本当に元気な連中だな、と霊夢は苦笑する。それから、当たり前のことに気がついた。

(そりゃそうか。妖怪だもんね、こいつら。本来は夜の住人なんだから、夜にテンションが上がるのは当然だわ)

 そんなことも分からなくなるぐらいに彼らとの距離が近づいていたことを、今更ながらに思い知らされる。

(失敗した、のかな)

 変な遊びのルールなんか作らずに、今までの巫女と同じようにやってりゃよかった、と思わないでもない。そうすれば異変もそれをきっかけとした交流も増えずに、ただの巫女と妖怪たちでやっていけたかもしれないのに。
 だが、眼下で馬鹿騒ぎしている妖怪たちを見ると、どうしてもそう言い切ることが出来ない自分がいた。

(やだな。体が重ったいわ。こんなんじゃ勝てるわけない)

 そう考えてから、別に勝てなくてもいいか、と思う。魔理沙だって、別にそこまで勝敗にこだわってはいないようだし。

「さて、霊夢よ」

 魔理沙が声をかけてきた。夜の闇の中でも不思議と浮いて見える黒白の服を風になびかせながら、にやにや笑って話し出す。

「どうやら、お前の勝ちはなくなったみたいだが」
「そうみたいね。っていうかさあ」

 霊夢は投げやりな気分で続けた。

「よく考えたら、それって当たり前じゃない」
「ほう。どうしてだ?」
「だって、あんた1万2千年もこれやってるんでしょ? 創始者だろうが天才だろうが、そんな奴には勝てっこないって」
「でも何度かは勝ってるじゃないか」
「それは」

 霊夢は言葉に詰まる。
 そう思ってみれば、少し不思議だった。確かに魔理沙の弾幕は昔よりもずっと洗練された美しさを持っていたし、弾の配置もスペルカード発動のタイミングも、非常に技量の高いものだった。
 だが、それでも霊夢はどこかに隙間を見つけ、弾の渦をすり抜けて魔理沙を叩き落とした。どんなに厚く緻密な弾幕でも、避けられないな、とか、わたしじゃ絶対に勝てないな、と思うことは一度もなかった。

「どうして?」
「これが楽しい遊びだからさ。あのな霊夢」

 魔理沙は箒の上で足をぶらぶらさせながら、講釈するように指を立ててみせる。

「たとえばこれが本物の殺し合いだったら、勝負は一瞬でついてるんだ。今のわたしは、指を鳴らすだけでお前の存在を消しさることだってできる。いや、わたしだけじゃない。それはたとえば、お前の時代の紫だって同じなんだ。でも、わたしたちはそれをやらない」
「どうしてよ」
「楽しくないからさ」

 魔理沙は嬉しそうにそう告げた。

「分かるか、霊夢? わたしたちは、自分の意思で楽しいことをやろうって選択してるんだ。だからこの遊びは最高なんだよ。元々、実力至上主義を排除して、力の弱い奴でも力の強い奴に勝てるように配慮した遊びだ。だけどそれってさ、逆に言えば強い奴でも弱い奴と楽しく遊べるかもしれないっていう、新しい可能性を見出したってことでもあるだろ? だからこそお前の世代で人妖の距離は飛躍的に縮まったし、今もこういう楽しい楽園が維持できてるわけだよ」

 魔理沙の視線はどこまでも柔らかく、慈しむように幻想郷の大地を見渡している。霊夢もそれに倣って、1万2千年後だというのに全く変わらない、自分の故郷を見下ろした。夜風は二人を祝福するように緩やかに流れ、月光はどこまでも穏やかに、ちっぽけな人間の体を抱きしめるように降り注ぐ。聞こえる音は何もない。眼下の妖怪たちも、二人の勝負が始まるのを今か今かと待ち望んでいるようだ。
 だというのに、どこからか、寂しそうな啜り泣きが聞こえてくるような気がした。
 いやだなあ、と思う。重ったくて、湿っぽい感じがする。

「さてと。それじゃ、そろそろ始めようかい」
「そうね」

 先ほどまでとは打って変わって、霊夢は楽しい気持ちになっていた。見ているだけで心が躍るような美しい弾幕を、この夜空一杯に描いてみせよう、と。
 ところが魔理沙は1枚のスペルカードを取り出して、にやりと笑ってみせた。

「なあ霊夢、ひとつ提案があるんだが」
「なに?」
「最後の勝負ってことで、ひとつ、わたしの提案する特別ルールに乗ってはくれまいか」
「どんなルールよ」
「わたしはこの勝負、このカード1枚しか使わない。ちなみに、この日のために特別に作ったカードだ。お前と遊ぶための、特別な弾幕だよ」
「へえ。じゃ、わたしも1枚だけにすればいいの?」
「いいや。お前は弾を撃たないでくれ」
「なによそれ」
「そういう勝負さ。わたしがこの弾幕でお前を撃ち落とすか、それともお前が……そうだな、この弾幕を潜り抜けて、わたしの体に少しでも触れるか。それで勝敗をきめよう。どうだ?」

 果たしてそれが自分に不利なのか有利なのか、霊夢にはよく分からなかった。
 だが、魔理沙の目を見ていると、なんとなくわかることがある。
 きっとこのルールは、不利とか有利とか、そういうことを問題にしてはいないのだと。

「乗ったわ」
「おうし。じゃあ、最後の勝負を始めるとしますか」

 魔理沙がスペルカードを大きく掲げた。その瞳はまっすぐにこちらを見つめていて、彼女の意思を明確に伝えてくれる。

 ――分かってくれるよな?
 ――分かってやりますとも。

 その瞬間、二人は確かに通じ合った。

「それじゃあいくぜ! 友符『ディアマイフレンド』!」

 霊夢は思わず吹き出した。なんて恥ずかしい名前をつけるんだろう。これなら不夜城レッドの方がまだマシだ。
 しかし、名前に反して弾幕は苛烈だった。霊夢の眼前に、隙間など微塵もないと思わせるほどに緻密な、紅白色の弾幕が展開される。なんの事情も知らない初見の者なら、こんなもの避けられるわけない、反則だ! と、思わず叫んでしまうかもしれない。
 だが、霊夢はそうは思わなかった。これが弾幕で、この勝負がスペルカードルールに則っている楽しい遊びである以上、隙間はどこかに必ずある。

(そう、きっと、あそこに)

 迫りくる凄まじい数の弾を右に左に避けながら、霊夢は自分がここだと思う場所に向かう。すると、思ったとおりそこに隙間が開いていて、悠々と通り抜けることが出来た。

(次は、そこ。その次はあそこで、その次は、っと)

 きっとここで来るな、と思ったので静止すると、自分がいま行こうとしていた場所を、2条のレーザーが通り抜けた。ほれ見ろ、と霊夢は笑う。

(魔理沙なら、きっとここでこう来る)

 自然とそう考えて、流れるような動きで弾を避ける。
 なんだ、こんなの簡単じゃないか。そう思ったとき、霊夢はようやく気がついた。

(ああ、そっか。弾幕ごっこって、こういう遊びだったんだ)

 これは、敵を倒し、排除するための遊びではない。相手を理解し、分かり合うための遊びなのだ、と。
 相手の考えを読み、美意識を理解して、どんな弾幕が描かれるかを予測する。避けそこなって落ちるということは、まだまだ相手のことを理解できていないということだ。しかし、一度落とされてもそこで終わりではない。何度でも勝負を挑み、そのたびに相手への理解を少しずつ深めていくことができる。そうやって少しずつ距離を縮めて、ついに全ての弾を避けることに成功したとき、晴れ渡った空、あるいは夜空の向こうに、相手の姿が見えるのだ。
 その瞬間が互いにとって深い喜びに満ちているからこそ、この遊びは廃れずに続いているし、勝負するたび勝手に友達が増えていく。
 だから、異変を解決する巫女は幻想郷の皆にとって、忘れられない存在なのだ。
 どれだけの者がそれを理解できているのかは知らないが。

(参ったなあ。わたしったら、創始者のくせに何も分かってなかったじゃない)

 苦笑しながら、霊夢は緩やかに飛ぶ。弾が来る場所が分かる。レーザーが体を掠めていく。追う弾逸れる弾、その軌跡が全て理解できる。
 だって、これはあの子の弾幕だから。

(さて、そろそろ行きますか)

 きっと魔理沙もそれを望んでいるはずだ、と思い、霊夢は弾の海に怯むことなく前方へと飛び出す。まるで誘導されているかのように、弾が勝手に霊夢の横を流れていく。地上から大歓声が上がっているのを見るに、他人からは巫女が華麗な動きで弾を避けているように見えているのだろう。

(本当は全然違うんだけどな)

 霊夢はただ道を辿っているだけだ。魔理沙が万感の想いを込めて開いてくれた、弾幕の中の抜け道を。
 そして短い旅の果て、霊夢はついにたどり着く。
 そこは魔理沙の真正面。あの子の笑顔が、一番よく見える場所。

「あんたの負けね」
「そうみたいだな」

 霊夢は思い切り魔理沙の体を抱きしめる。二人の顔には、よく似た笑みが浮かんでいた。
 あれだけ派手に展開されていた弾幕が一瞬で消え去った。ただ大気を揺るがすような大歓声だけが、夜空一杯に弾け飛ぶ。

「やりました! 霊夢選手、誰がどう見ても不利な特別ルールを見事に制しました! とは言えこれで勝負は5勝5敗、どうやら二人の着は永遠にお流れとなりそうです!」

 声を張り上げている文を見て、霊夢と魔理沙は同時に苦笑した。

「なにも分かってないわね、あいつ」
「そう言ってやるなよ。お前だって似たようなもんだったろ」
「うっさいなあ。さ、帰りましょうか」
「わたしたちの友達のところへ、な」
「あんた、恥ずかしいこと平気で言うようになったわね」
「言ったろ。長く生きてると」
「いろんな特技が身につくもんだ」

 二人は大笑いしながら、ゆっくりと神社の敷地へと降りて行った。



 時には昔の話を その4
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