【東方SS】時には昔の話を その5

2008/11/01に東方創想話に投稿したSSです。
時には昔の話を その4の続きとなっております。
 


『時には昔の話を その5』



 目を開けると、薄汚れて染みの浮いた、博麗神社の母屋の天井が見えた。
 霊夢はしばらくの間、状況が把握できずにぼんやりしていた。どうも自分は布団の中にいるらしい。何故だかひどく体がだるかった。

「お、起きたのか」

 耳慣れた声が聞こえた。霊夢は目だけでそちらを見る。魔理沙が畳の上に胡坐をかいて座っていた。

「いやあ、心配したぜホント。キノコ食って急にぶっ倒れちまうんだもんなあ。さすがにヤバいと思ったよ」

 早口にまくし立てながら、魔理沙は盛大に頭を掻く。霊夢が何も答えずにいると、その内気まずそうに問いかけてきた。

「だ、大丈夫か? どっか、痛いとこないか?」
「……なんともない」

 小さく答えて上半身を起こす。居間に寝かされているらしい。横を見ると、閉め切られた障子の向こうに朝の日差しが透けて見えた。

「どのぐらい寝てた、わたし?」
「大体丸一日ってところだな……開けるぜ?」

 魔理沙が一息に障子を開け放つ。差し込む朝日に、霊夢は目を細めた。散り落ちた葉が小さな庭に溜まっているのが見える。そう言えば季節は初夏ではなく秋だったな、と思い出した。

(ああ、帰ってきたんだ)

 そう思った途端、一気に記憶が蘇ってきた。1万2千年後の幻想郷。変わっていたもの、変わらないもの。交わした言葉、交わした弾幕、交わした酒杯、交わした笑顔。そして、二つの泣き笑い。

(……うそつき。ぜんぜん忘れてないじゃん)

 そのことを喜ぶべきなのか嫌がるべきなのか分からず、霊夢は小さく唇を噛みしめる。
 二人はあれからどうしたのだろう。すぐに泣き止んだだろうか。実はあれが嘘泣きで、自分がいなくなると同時にケロッと表情を変えた魔理沙が、「へへ、バカ巫女様を騙してやったぜ! さーみんな、嘘泣き止めて宴会にしようぜ!」なんて笑ったならいいのだが。そうであればいいと思うのに、しかしちっともその光景が浮かばないので、ひどく腹が立った。
 どうせ、あの連中は自分がいなくなったあとも散々勝手に泣き喚いたに違いない。自分のいない博麗神社にただただ泣き声だけが響き続ける光景が勝手に頭の中に描かれて、霊夢はうんざりした。この想像の中に乗り込んでいって湿っぽい顔している馬鹿ども一人一人の首根っこをつかみ、一升瓶を無理やり口に押し込んでやりたいところだ。だがそれはできない。できるはずがない。

(……あいつら、本当にずっと、あんなこと続けていくつもりなのかな)

 弾幕ごっこをするたび勝手に自分のことを思い出して、時には昔の話をして思い出に浸りながら、二度と会えない巫女のことを想って泣いたりするのか。そんな湿っぽい宴会を、ずっとずっと繰り返していくのか。

(ちくしょう)

 布団の中で、霊夢は強く拳を握り締める。なんて自分勝手な連中だろう。あっちが後悔していなくたって、どれだけ満足していたって、こっちはちっとも納得できない。目の前にいたなら有無を言わさず酒を飲ませて黙らせてやるところなのに。

「どうした、霊夢?」

 横を見ると、魔理沙が怪訝そうに眉をひそめてこちらの顔を覗き込んでいた。「なんでもない」と言いながら、霊夢は小さく手を振る。

「あんたが変なモノ食わすから、ちょっと胃の調子がおかしいだけよ」
「いやー、悪い悪い。大丈夫かなーと思ったんだけどさ」
「そう思った根拠はなんなのよ?」
「勘」
「あんたの勘は当てにならないってことがよく分かったわ」
「まったくだぜ」

 魔理沙は不満げに唇を尖らせる。

「ちぇっ、こんなところでもお前には敵わないってわけか」
「嫌なこと言わないでよ」

 ほとんど反射的にそう言ってしまってから、後悔する。

(なに過敏になってるんだか……アホらし)

 苛立ち紛れに舌打ちを漏らすと、魔理沙が頬を掻きながら言った。

「なんか、機嫌悪いな」
「別に」
「嫌な夢でも見たか?」

 何気ない魔理沙の言葉に、霊夢は目を瞬いた。

「夢?」
「ああ。なんか嫌な夢見たんだろ? さっき起きる前、ずいぶんうなされてたぜ」

 そう言ってから、「いや」と小さく首を傾げる。

「嫌な夢、ってわけでもないのかな。たまにニヤニヤしたりくすぐったそうに笑ったりもしてたし。怒ってるみたいにこう、眉を寄せてたりもしたっけ。泣きはしなかったけど」

 どうやらこの時代の霊夢は、未来で過ごした時間と同じ分ぐらい、ずっと寝ていたものらしい。体ごと時間跳躍した、というわけではなさそうだ。

(いや、この解釈は不自然か。むしろ)

 すべて夢だったのではないかと考える方が、ずっと自然に思える。

(そうよね。そもそも、キノコ喰ってぶっ倒れて時間跳躍なんてありえないし。わたしの知り合いが全員あの時代まで生きてたのも、弾幕ごっこがやたらと崇高なものみたいに扱われてたのも、わたしがあれだけみんなに好かれたってのも、やっぱりあり得ない)

 間違いない、あれは夢だったのだ。そう思いつつも、少し不安になった。

「ねえ魔理沙」
「おう、なんだ?」

 掛け布団を巻き上げ、敷布団の上に座りながら、霊夢は魔理沙に問いかける。

「あんたさ。わたしが死んだら、泣く?」
「は?」

 魔理沙はあんぐりと口を開けた。

「急になに言ってんだ?」
「いいから答えてよ」
「そう言われてもなあ」
「じゃあ、質問を変える」

 もどかしい気持ちで見つめていることしかできなかった、知り合い連中の泣き顔を思い浮かべながら、

「レミリアやフランに、アリスに妹紅に幽々子に文に……それになにより、紫。あの連中、わたしが死んだら泣くかしら?」
「……よく分かんないけど」

 魔理沙は怪訝そうな顔をしたあと、馬鹿にするように鼻を鳴らした。

「泣くわけないだろ」

 あっさりそう言ってのける。

「そうかしら」
「そうだって。あの連中の人格破綻者振りを考えてみろよ。どいつもこいつも、『霊夢が死んだから葬式やるぞ』って誘っても、『霊夢って誰だっけ?』とか言って、首傾げてそうな奴ばっかりだぜ? 三日も経てばお前のことなんか忘れるさ。特に紫なんか」

 魔理沙は心底嫌そうに首を振った。

「あいつなんてさ、『ふーん、それで?』ぐらいの反応を返してくれるかどうかさえ微妙だぜ? 『あっそ。じゃあ次の道具を探さなくちゃね』ぐらい言ってくれりゃ上等だな。あんなインチキババァからすりゃ、わたしらなんて道端の石ころみたいなもんさ。お前だって今は利用価値があるからコンビ組んだりしてるけど、それがなくなったらポイだよ、ポイ」
「本当にそう?」
「そうだって。疑いようがないだろこんなの。で、最後にわたしだけどな」

 魔理沙は白い歯を見せて、意地悪く笑った。

「お前が死んだら、葬式で大笑いしながら万歳三唱してやるよ」
「へえ。それは楽しそうね」

 霊夢が笑うと、魔理沙はいよいよ調子に乗り始めた。

「そうだろそうだろ。でな、もし万一泣いてる奴がいようもんなら、そいつに無理やり酒飲まして酔いつぶれさせて、その格好見てみんなで笑ってやるのさ。世界で一番陽気な葬式だぜ」
「それは楽しみだわ。期待してる」

 霊夢は小さく息を吐いた。少しだけ、肩が軽くなったような気がする。
 そんな霊夢を見ながら、魔理沙が居心地悪そうに身じろぎした。

「……っていうか、なんだ? 自分の葬式の夢でも見たのか?」
「似たようなもんね。楽しくて、嫌な夢だったわ」
「どっちだよ」
「どっちもよ」

 さて、と呟いて、霊夢は立ち上がった。ずっと寝っぱなしだったせいか、ずいぶん目がしょぼつく。下らない夢のことなんか顔を洗って忘れて、しっかりと目を覚ましたいところだ。

「あー、霊夢?」

 廊下に通じる襖に手をかけたとき、魔理沙が声をかけてきた。肩越しに振り返ってみると、しきりに鼻の頭をこすりながら、どこか遠慮がちにこちらを見ている。気持ち悪いな、と思いながら、霊夢は答えた。

「なに」
「さっきの話、だけどさ」

 表情を隠すように少し俯きながら、ぼそぼそと聞き取りづらい声で呟く。

「お前が死んだら、わたし、ちょっとはその……泣くかも、なんて」

 上目遣いにこちらを見上げる魔理沙の顔が、一瞬、どこかの誰かの泣き笑いと重なった。
 霊夢は小さく息を飲んだあと、何度か首を振って、その想像を追い払う。

「なに言ってんのよ、気持ち悪い」

 霊夢が無理してせせら笑うと、魔理沙はちょっと顔を赤くして、唇を尖らせた。

「なんだよ。人がせっかく、ほんのちょっと罪悪感を感じて優しい言葉をかけてやってんのに」
「お生憎様、こっちはそんなもの全然必要ありません。罪悪感を感じてるなら、今度からもうちょっとマシな酒を持ってきなさい」
「いいじゃん。水割り焼酎をまずいまずい言いながら飲んで、馬鹿話で無理矢理誤魔化すのがわたしらの流儀だろ」
「そうね。ま、わたしらにはそれがお似合いだわ」

 笑って答えるのと同時に、泣きながら「まずい」と呟いた紫の姿が思い浮かぶ。霊夢は顔をしかめた。

「……いや、やっぱやめ。これからは普通に旨い酒飲みましょう、うん」
「なに言ってんだお前。さっきから変だぜ?」
「うるさいわね」

 呆れ顔の魔理沙に「顔洗ってくる」と言い置いて、霊夢は母屋の裏口に向かう。
 靴に履き替えて井戸に駆け寄り、冷たい水を汲んで何度も何度も顔を洗ったが、気分は一向に晴れなかった。
 未来で、いや、夢で魔理沙に言われた通りだ。こんな記憶を抱えたままでは、到底今までと同じように彼女らと付き合っていくことなど出来そうにない。

(ええい、なにやってんだ。他人のことなんかどうだっていいってのが信条でしょうが、あんたは。忘れろ、あれは夢だった、心底嫌な夢だった。二度と思いだしたくもないぐらい、最低最悪の夢だった。忘れろ、忘れろ、忘れろ……!)

 皮肉なことに、目を閉じて念じれば念じるほど、記憶はより鮮明になっていくようだった。
 ちくしょう、と声を漏らしたとき、不意に目が熱くなってきて、慌てて顔に水をかける。目から溢れた水とは違うなにかが、水と混じってただの水と化す。霊夢はほっと息を吐いた。

(良かった。自分で湿っぽくなってどうすんのよ、ったく)

 心の中で悪態をつくと同時に、困ったような藍の微笑みが頭の中に蘇った。

「泣くわけないでしょ!」

 井戸の縁を強く握って、怒鳴る。周囲の木々から慌ただしく鳥が飛び立った。胸のざわめきがまだ治まらないので、霊夢は怒りに任せて一人言葉を吐き出し続けた。

「泣くわけないじゃない、こんなことで泣きたくなんてなるもんか。知らないわよ、あんなのただの夢だもん!わたしは死んだらすぐ忘れられるし、みんなだって忘れてくれるし、わたしのせいで湿っぽい顔なんてしないし、何年何十年何百年、何千何万年経ったって、あんなかなしいことになんか、絶対ならない!」

 深い井戸の中で、霊夢の怒声が幾重にも反響する。そうやって吐きだしたせいか、怒りはほんの少しだけ薄れてくれた。肩を震わせながら、霊夢は呟く。

「そうよ。あんなの、ただの下らない夢なんだから。なによ、紫がわたしのこと愛してるだとか、魔理沙が弾幕ごっこの第一人者だとか。あり得ないわよ。わたしは紫にとっちゃ単なる便利な道具だし、魔理沙は弾幕ごっこのことなんて遊びとしか思ってないだろうし。あんないい加減な奴なんだから、すぐに飽きるわよ。それでいいのよ、それが本当なんだったら」

 言い聞かせるように呟き続けていると、不意に母屋の中から笑い声が聞こえてきた。はっとして顔を上げ、耳を澄ます。確かに、誰かが笑っている。あのよく耳慣れた、頭の悪そうな笑い声は、

(魔理沙だ)

 霊夢はほっと息をつく。見る見る内に気分が晴れて、とても楽しくなってきた。微笑みながら駆け出し、靴を脱ぎ散らかしながら母屋に上がる。廊下を小走りに駆けている間も、魔理沙はずっと笑い続けていた。

(そうそう、それよそれ。魔理沙って言ったらこういう頭の悪そうな笑い声に決まってんじゃない。あいつが恥ずかしいこと真顔で語ったり泣いたり、なんて、全然似合わないんだから。ああ、それにしても魔理沙の泣き顔って物凄く不細工だったな。二度と見たくないや)

 それにしても、魔理沙の笑い声は本当に楽しそうだ。一体何を見てあんなに笑っているんだろう。

(なんにしたってずるいわ。わたしがいないのに楽しいこと独り占めしようなんて、いい度胸じゃないの)

 心躍らせながら、霊夢は居間の襖を一気に開く。

「ちょっと魔理沙、なに一人で笑って」

 息が止まるかと思った。
 居間の真ん中、巻き上げられた布団の前に胡坐をかいた魔理沙が大笑いしている。その手に何か、薄っぺらいものを持って。

(そんな、なんであんなものがここに!?)

 それは薄汚れた小冊子。紙が黄ばんでインクが掠れて、著者名すら読めなくなってしまった、古い古い、小さな詩。
 詩人霧雨魔理沙の最高傑作、詩歌「我が弾幕」。

 ――お前に渡そうと思って大事に取っておいたんだ。

(知らないわよそんなの! 勝手に押し付けるな!)

 霊夢は心の中で怒鳴り声を上げた。こんなものをこんなところまで持っていかせるなんて、最低の嫌がらせだ。なんて勝手な奴だろう。
 いや、そんなことはどうでもいい。何故あれがここにあるのかとか、そういう疑問すら、もはや大したことではない。重要なのはそこではない。

(夢じゃ、なかったんだ)

 膝から力が抜けて、霊夢はへなへなとへたり込む。どうしようもなく理不尽で少しも理屈が通らないが、あれがここにある以上、あの未来も確かに存在するのだと、認めてしまうしかない。

「お? おお、霊夢、目は覚めたか?」

 ようやくこちらに気づいたらしい魔理沙が、声に笑いを含ませたまま聞いてくる。顔を上げて彼女を見ることすらできずに、霊夢はぼそぼそと答えた。

「……ええ。完全に、ね」
「そりゃよかったな。そうそう、これさ、お前の布団の下に落ちてたんだけどさ」

 霊夢の様子がおかしいことになど気づきもせず、魔理沙はまた笑い始める。おかしくてしょうがないようだ。

「なんだよこれ。爆笑ものだぜ」
「……素人の詩、よ」
「博麗霊夢に捧ぐ、とか書いてあるぞ」
「そうよ。わたしの、友達が書いたものだから」
「へえ。どんな奴だ?」
「クソ野郎よ」
「は?」

 面喰らった魔理沙の顔を憎々しく睨みつけながら、霊夢は呪詛を絞り出す。

「図々しくて自分勝手で史上最低に性格の悪い、極悪非道の、腐れ外道の、人間の屑の……!」
「お、おいおい、落ち着けよ。お前がそこまで言うのって珍しいな」

 魔理沙はへたりこんだままの霊夢の腕をつかんで、ずるずると部屋の中央まで引っ張っていった。

「なに、どうした? そいつと喧嘩でもしたのか?」
「してない」
「……友達なんだよな?」
「ええ友達よ。もうどうしようもないぐらいの勢いで友達ですとも」
「わけが分からん」

 首を捻ってから、魔理沙は馬鹿にするように言った。

「しっかしまあ、そう言いたくなる気持ちも分かるよ。こんな馬鹿らしい詩を捧げられちゃあな」
「……馬鹿らしい?」

 霊夢はゆっくりと顔を上げた。魔理沙が驚いたように、ちょっと身を引く。

「おいなんだよ、顔怖いよ」
「……馬鹿らしいと思うの?」
「なに?」
「その詩。馬鹿らしいって、あんたは思うの?」
「ああ、そりゃそうだろ。だってよ、愛とか言ってんだぜ? ぷふっ」

 口元を手で押さえ、我慢しきれないといった様子で頬を膨らませる。

「なーにが『弾幕は愛の表現である』だよ。言ってること完全にこいつの思い込みで、単なる妄想のこじつけじゃん。こんな風に考えて弾幕ごっこやってる奴なんかいないって。あんなんただの遊びだぜ、遊び」

 ぴらぴらと、気楽に手を振りながら笑い飛ばす。

「まーったくさ。どんな顔してこんな恥ずかしいこと書いたんだろうな。きっとあれだ、自己陶酔しまくりの物凄いナルシストだぜこいつ。なあ、これ書いたのどこの馬鹿だ?」
「目の前の馬鹿よ」
「え、なんだって?」
「なんでもない」

 我ながら力の抜けた声だなあ、と霊夢は心の中でぼんやり笑った。それを見た魔理沙が、不満そうに身を乗り出してくる。

「なんだよ、教えてくれたっていいじゃん」
「教えたらどうするのよ」
「決まってんだろ、そいつの家に突撃して、目の前でこいつを朗読して指さして大笑いしてやるんだよ」

 なんだか殴りたくなってきた。
 ああ、本当にこの馬鹿が、あんな風になるのだろうか? 目の前のバカ面を見ていると、とても信じられない。いつまでもこうやって、弾幕ごっこなんてただの遊びさ、と嘯いて、気楽に生きてはくれないものだろうか。
 だが、なるのだろう。魔理沙はあんな風になってしまうのだろう。
 霊夢の与り知らぬところで弾幕に深い愛着を持つようになり、知らない間に真面目にそれを追求して、ついにこの詩に書いてあるような結論に辿り着いてしまうのだろう。誰が笑おうが何の関係もなく、深い満足と自信に満ちた顔で、穏やかに筆を手に取るのだろう。

「でもまあ、あれだな」

 不意に、魔理沙の声音が優しくなった。

「あの遊びにこんなに夢中になってくれる奴がいるとなりゃ、創始者冥利に尽きるってもんじゃないか、なあ霊夢?」

 嬉しそうに問いかけられて、霊夢は即座に首を振った。

「別に。少しも嬉しくない」
「薄情だねえ、お前は」

 魔理沙は気にした風もなく、また冊子に目を落とす。
 本当に、嬉しさなど欠片も湧いてこなかった。弾幕ごっこなんて下らない遊び、みんなが飽きて、さっさと廃れてくれればいい。
 魔理沙は笑っている。その詩を書いたのが未来の自分であるということになど少しも気づかず、実に気楽に笑っている。

(どうして、ずっとこのままでいてくれないの?)

 魔理沙は変わってしまう。自分の葬式で笑ってくれると言った気楽でいい加減な魔理沙は、どこかに行ってしまう。この瞳からひねくれた光が抜け落ちて、ただただ、かなしいぐらいに真っ直ぐなものだけが残る。

(ずっとこのままでいてくれればいいの。それがわたしの望みなの)

 なのに、そんな声なんかちっとも聞いてくれずに、この自分勝手なバカ女は走っていってしまうのだ。未来永劫届かない巫女様の背中を追って、本人の意志なんかまるで無視してずっと走り続ける。

(勝手よ。勝手すぎるわよ)

 こいつがこんな自分勝手だからいけないんだ。
 忘れてくれればいいのに、勝手にわたしのことなんか覚えていて、勝手に思い出を抱えて、勝手に愛して、勝手に心に住まわせて、勝手に追いかけて。
 少しは賢くなれ。なんでそんなに馬鹿なんだ。
 そんな風に馬鹿だから。そんな風に馬鹿なことばっかりやってるから、あんなにもかなしいことになって、

「っ、うあっ…」

 ぼたっ、と、重ったくて湿っぽい涙が、畳の上に落ちた。

「あ?」
「うぐっ……」
「……どした?」
「……っ」
「霊夢?」

 呼びかけられたので、霊夢は顔を上げた。「なんでもない」と答えようとして、魔理沙の怪訝そうな顔を見たとき、頭の奥で何かが決壊した。
 視界が滲んで何も見えなくなる。胸の奥から何かがこみ上げてきて、とても息苦しい。空気を求めて口を開いた瞬間、呼気の代わりに言葉にならない叫びが、喉の奥から迸る。
 霊夢は大声を上げて泣き始めた。

「お、おい、霊夢!?」

 魔理沙が仰天したような声を上げる。うるさいな、と霊夢は思った。耳元で必死に呼びかける魔理沙の声も、誰かの湿っぽい泣き声も、何もかもがうるさくてたまらない。静かにしてくれと思うのに、その誰かが一向に泣き止んでくれない。

(ああちくしょう。なんだこれ、ぜんぜん止まらない)

 喉が壊れるのではないかと思うぐらい激しくむせび泣きながら、霊夢はやけに冷静だった。

(いや冷静じゃないか。冷静だったら、こんなみっともないことになってないし。ああ、ホントにみっともない。これじゃバカ天人の方がよっぽどマシだったじゃない)

 そんなことを考える間も、霊夢は泣き叫び続けている。大きく開いた唇から、涙と鼻水が入り混じって垂れ落ちてきて、気持ちの悪いしょっぱさが口一杯に広がる。息が苦しくて吐きそうなほど気持ち悪いのに、どうしても、泣くのを止めることが出来ない。腕に力を込めることも億劫で、涙を拭うことすらできやしない。

「だ、大丈夫かおい、やっぱりどっか痛いのか? 永遠亭行くか、永琳呼ぶか?」

 魔理沙がすっかり混乱しきってあれこれ言っているのが、なんだかやけにおかしかった。同時に、ひどくもどかしくもある。

(ああもう、らしくないなあ。頼むから、笑ってよ。ほら、わたしって今物凄く不細工な顔してるでしょ? 指差して大笑いしなさいよ。そうすれば、笑うなり怒るなり、泣く以外のことができるかもしれないのに)

 だが、魔理沙はいつまで経ってもそうしてくれなかった。滲む視界の向こうに、途方に暮れた顔が見える気がして、ますます息が苦しい、胸が痛い。

(ああ、いやだ。いやだ、いやだ、こんなのいやだ。重ったいのはいやだ湿っぽいのはいやだ、かなしいのなんか大っ嫌いだ)

 だって、かなしいのはかなしいじゃないか。

「霊夢……!」

 不意に、魔理沙以外の誰かの声が聞こえた。聞き慣れている声のはずなのに、誰の声だったっけ、と霊夢は心の中で首を傾げる。少し考えて、ようやく分かった。

(ああそっか、紫の声だ。また隙間くぐって不法侵入してきたのね。なんで朝なのに起きてるんだろ?)

 よし、いつものように怒ってやろう、と思うのだが、やっぱり涙は止まらない。それどころか、なんだかやけに深刻そうな紫の声を聞いたらまた胸の痛みが増してきて、泣き声がいよいよ酷くなってくる。

「ちょっと魔理沙、あなたいったいなにしたの!? 霊夢がこんなに泣くなんて、尋常じゃないわよ!?」
「し、知らないよ、、わたしの顔見て急に泣き出したんだ」
「ああもう、そんな犯罪級に不細工な顔してるから……!」
「てめぇこのババァ」
(あはは、おっかしいの)

 大慌てしている二人の間抜けな会話を聞いて、霊夢は心の中で大笑いした。だが顔の方ではやっぱり泣き止めなくて、どんどん気分が落ち込んでくる。
 そうやって馬鹿みたいに泣き叫んでいたら、急に視界が暗くなった。なんだか変に温かくて、それで誰かに抱きしめられているのだと気が付く。

「よしよし、いい子いい子」

 頭を撫でられ、頬ずりされる。しゃくり上げながら顔を上げると、そこに紫の微笑みがあった。鼻を啜りあげる霊夢の顔を、柔らかい微笑みを浮かべてじっと見つめている。
 変な顔、とぼんやり見ていたら、またぎゅうっと抱きしめられた。

「かわいそうに、よっぽどかなしいことがあったのね。でももう大丈夫よ。霊夢がかなしくなくなるまで、わたしがずっとそばにいてあげますからね。魔理沙だってそこにいるわよ、何の役にも立たないけど」
「おいババァ、さり気なくわたしを馬鹿にするなよ」
「うるさいわね、馬鹿は黙ってなさい」

 紫の声音がころころ変わる。さっきまで異変のときよりよほど深刻そうな声を出していたと思ったら、今度はやたらと優しそうな声でこちらに語りかける。

「いい子いい子。大丈夫だからね、我慢せずに、たくさん泣いてもいいからね」
(あはは、ババァがなんか気持ち悪いこと言ってる)

 指差して笑ってやろうと思ったのに、紫がぎゅっと抱きしめているから、全く身動きが取れない。
 いやだなあ、息苦しいから離してほしいなあ、と思って体に力を入れるが、やっぱり紫は離してくれない。それどころか、ますます強い力で霊夢を抱きしめるのだ。まるで自分の温もりを霊夢に分け与えようとするかのように、強く、強く。
 さらに、泣いている赤子を慰めるときのように、小さく体を揺すりながら、規則的なリズムで軽く背中を叩いてくる。霊夢は心の中で唇を尖らせた。

(やめてよ紫。わたし、赤ちゃんじゃないもん)

 抗議の声を上げようとしたら、代わりに嗚咽が漏れた。それを見た紫が、優しい手つきで背中を撫でる。

「いいのよ、無理して喋らなくても。本当に泣きたいときは、涙が枯れるまで思い切り泣いた方がいいんだから」

 なんだか誰かと同じようなこと言ってるなあ、と霊夢はぼんやり考える。だが、その誰かが誰だったのか、どうも思い出せない。
 まあどうでもいいか、と霊夢は思う。力を抜いてみると、紫の胸の中はやけに居心地がいい。泣きすぎてとても疲れているし、このまま眠ってしまってもいいかな、とさえ思えてくる。

(いや、ダメだ。全然、ダメだ)

 霊夢は下がりかけた瞼を無理矢理押し上げた。どうしても、今言わなければならないことがある。眠ってしまったら忘れてしまう。何故かそういう予感がある。

「ゆ、紫っ」

 なんとか絞り出した声は、みっともなく震えていた。霊夢はとても恥ずかしくなったが、紫はそれを笑う気配など微塵も見せなかった。ただ、あのどこまでも優しい微笑みを浮かべて、「ん?」と小さく首を傾げてみせる。

「どうしたの、霊夢?」
「あのっ、わたし、話さなきゃ、だから」

 離してくれ、と言うまでもなく、紫は少しだけ、抱きしめる力を弱めてくれた。ほんのちょっと体を離し、霊夢の顔をじっと見つめ、しなやかな指先で目元の涙をそっと拭ってくれる。

「うん、聞かせてちょうだいな。でも、無理しなくてもいいのよ。落ち着いて、ゆっくり話してくれればいいから」

 こくりと頷きながら、霊夢はちらっと横を見た。魔理沙もちゃんと、そこにいた。畳の上で胡坐をかき、ぶすっとした、いじけたような顔でそっぽを向いている。子供みたいだなあ、と心の中で笑いながら、霊夢はゆっくり話し出す。

「あのね、わ、わたしっ、泣いた、のは、ねっ」

 声を出したら、また涙が溢れてきた。紫がどこからかハンカチを取り出して、霊夢の目元を拭う。

「そう。泣いた理由を、わたしたちに教えてくれるのね?」
「う、うん。あの、泣いたのはね」
「ええ」
「ま、魔理沙がねっ、馬鹿だからっ!」
「ちょっ」

 魔理沙がぎょっとしたような顔でこちらに振り向いた。それを哀れみの視線で眺めながら、紫がしみじみと呟く。

「良かったわねえ魔理沙。あなたの救いようのない馬鹿さ加減を哀れんでくれる、優しいお友達がいてくれて」
「ふざけんなババァ! お、おい霊夢、今のは冗談だよな? そういうんじゃないよな、な?」

 あたふたと手を振り回して、魔理沙はなんだか必死だった。それをおかしく思いながら、霊夢は首を横に振る。

「ば、馬鹿だもん。魔理沙はすごい馬鹿だもんっ」
「えぇっ、な、なんでだよ!?」
「だ、だってっ、わたしのことっ……お、追いかける、からっ……」

 そこまで言ったら、また涙が溢れ出して来た。目の奥に枯れない井戸が出来たみたいだった。

「え、ええ……と。ど、どういう意味だ?」

 困惑しきりの魔理沙に答えるように、紫が「ふむ」と得心したような声を漏らす。

「つまり、魔理沙が粘着質でストーカー気質で吐き気を催すぐらい気持ち悪いから、それが嫌で泣いていたっていうことね。ああ、こんなゴキブリみたいなのに付き纏われるなんて、かわいそうな霊夢。きっと今までずっと我慢してきたのね。優しいわこの子ったら」
「そんな」

 今度は魔理沙が泣きそうな声を出したので、霊夢は慌てて首を横に振った。

「ち、ちがうの、そうじゃなくって」
「お、おう、そうだよな!」
「霊夢、別にこんなのに気を使わなくてもいいのよ? こう、『率直に言ってキモイ』とかはっきり言っても」
「黙れババァ、変な曲解すんな!」
「だって、それ以外考えられないじゃない。霊夢は、魔理沙に追いかけられるのが嫌なんでしょう?」

 霊夢は首を横に振った。

「魔理沙に追いかけられるのは、別に、嫌じゃない、けど」
「そ、そうか!」
「け、けど、ま、魔理沙が、わたしを追いかけるのは、いやっ」
「……ど、どっちだ?」
「自分で考えなさいな、お馬鹿さん。でもとにかく、魔理沙が原因で泣いてたのね?」

 霊夢が鼻を啜りあげながらこくりと頷くと、紫は心底侮蔑した視線を魔理沙に向けた。

「ほら見なさい。少しは反省しなさいな、この黒白ストーカーゴキブリ魔法使い」
「くっ……ババァ……ッ!」
「っていうかあなたね、さっきから遠慮なくババァババァって」
「うるさいな、実際ババァじゃんか」
「クッ……フ、フフン、ま、ストーカーさんに何言われても痛くもかゆくもありませんけどね」
「こ、このっ……!」

 魔理沙はぎりぎりと、実に悔しそうに歯軋りしている。結局なにがなんだか分からないので、上手く反論できないらしい。

(やっぱりわたし、あんまり冷静じゃないなあ)

 どうも、言いたいことが上手く伝えられない。しかしそれでも、まだ言わなければならないことがあるのだ。

「ゆ、紫っ」
「なあに?」
「あ、あの、あの、ね、魔理沙、だけじゃ、なくて」

 何を言ってるんだわたしは、と霊夢は心の中で歯噛みする。これでは全然意味が伝わらないではないか。

「そう。泣いていたのは、魔理沙だけが原因じゃないのね?」

 しかし、ちゃんと分かってくれた。やっぱり紫は頭がいいなあ、と思いながら、霊夢はこくりと頷く。

「じゃあ、他にあなたをかなしませた人がいるの。誰なの、そのお馬鹿さんは」
「ゆ、ゆ」
「え、幽々子?」
「紫っ」

 ようやくそう言ったら、紫は「へ」と間抜けに口を開いたあとで、

「わたし!?」

 信じられないという表情で、自分の顔を指さした。

「おうそうだそうだ、言ってやれ霊夢。わたしだけ馬鹿呼ばわりは納得いかん!」
「うるさいわね、馬鹿は黙ってなさい」

 ここぞとばかりに囃し立てる魔理沙に向かって噛みつくように言ったあとで、紫はまた、やたらと優しい微笑みを浮かべて、霊夢を抱きしめた。

「そう。そうだったの。ごめんね霊夢、そうね、私がいけないのね。霊夢がどうして泣いているのかも分からないようなお馬鹿さんだから。ごめんね、霊夢」

 その言葉を聞いたら、なぜか無性にかなしくなってきて、またぼろぼろと涙が零れ落ちる。少し静まっていた嗚咽の衝動がまた胸の奥から突き上げてきて、こらえきれずにみっともない泣き声が漏れ出した。紫は慌てて霊夢の頭を撫で、一生懸命背中を擦ってくれる。

「おおよしよし、いい子いい子。困ったわねえ」
「へん、慰めるつもりでもっと泣かせてちゃ世話ないぜ」
「うるさいわね、だったらあなたが慰めてあげなさいな」

 紫が霊夢の肩をつかんで、やんわりと向きを変えさせる。だが、視界に魔理沙の帽子が映った時点で、霊夢はいやいやと首を振ってまた紫の胸に逃げ込んでいた。
 いまとても不細工でみっともない顔だと思うから、見られたくない。さっきまでは笑ってほしいと思っていたけど、いまは物凄く恥ずかしい。

「嫌われてるわね、あなた」
「うるさいな、いちいち曲解すんなっての。ええと……な、なあ、霊夢」

 こわごわと話しかける魔理沙の声が耳元で聞こえたので、霊夢はますます強く紫の胸にしがみつく。絶対こいつに泣き顔を見せるものか、と。

「おいおいなんでそんな……あ、分かった! お前恥ずかしいんだろ、わたしに泣き顔見られるのが」

 どうしてこういうときだけわたしの気持ちに気がつくんだ。
 霊夢は悔しくなったので、ちょっとだけ紫の胸から顔を離した。鼻を啜りあげながら、すぐそばにいた魔理沙の顔を思い切り睨みつけてやる。凄まじく不細工なこの顔を笑うかと思ったが、魔理沙はむしろほっとしたように息をついた。

「なーんだ、やっぱりそうか。安心しろよ霊夢、別にいじめたりしないからさ」

 そう言って、紫とは似ても似つかぬ乱暴さで、霊夢の頭をグシャグシャと撫でる。完全に子供扱い。魔理沙のくせに生意気だ、と霊夢は思ったが、そうやって頭を撫でられると、なぜか安心できた。魔理沙はちゃんと、ここにいる。

「それで、紫がどうしたんだ、霊夢? ババァの臭いがキツすぎて嫌だとか?」
「このクソガキッ……!」
「おいおい怖い声出すなよババァ、霊夢が怯えるだろ」
「ぐぅっ……!」

 急に攻守が逆転したようだった。霊夢は安堵していた。二人の間で二人の元気な声を聞いているのが、何故だかとても心地よい。今なら、少しはちゃんと説明できそうな気がする。

「ゆ、紫がねっ」

 なんとか声が出た。相変わらず、みっともなく震えてはいたが。

「おう、紫が?」
「ゆ、紫が、馬鹿じゃないのに、馬鹿だからっ……」
「……ど、どっち?」
「知らないよ。自分で考えろこのババァ」
「……ええと、霊夢。ごめんなさいね、あなたの言っていることがよく分からないの。出来れば、もう少し、詳しく説明してもらえるかしら? 無理しなくてもいいから」

 紫に優しく言われて、霊夢は小さく頷いた。働かない頭を無理やり働かせて、少しずつ言葉を絞り出す。

「ゆ、紫は、頭がいいん、でしょ?」
「ええそうよ」
「謙遜しろババァ」
「黙ってなさい。そうね、頭がいいわね。それで、私の頭がいいと、どうして霊夢がかなしくなるの?」
「だ、だって、紫は頭がいいし、それに、長生きだし……だ、だから、わたしのことなんか、便利な道具とか、道端の石ころとか、そんな風に、思ってればいいのに」
「お前ずいぶん悪い奴だと思われてんだな、ババァ」
「……さすがにちょっとショックだわ」

 頬を引きつらせたあと、紫は不思議そうに首を傾げた。

「でも霊夢。あなた、『思ってればいいのに』って言ったわよね? つまり、私がそういう女だった方がいいってことなの?」

 霊夢が頷くと、紫はますます不思議そうな顔をした。

「どうして?」
「だ、だって、紫がわたしのこと、忘れてくれないから」
「忘れてほしいの?」
「……い、石ころのことなんか、忘れた方が、気が楽だもん」

 なんとかそう言い切ると、紫はようやく納得した顔で、「そういうこと」と呟いた。少し潤んだ瞳で霊夢を見つめながら、何度も何度も、頭を撫でる。

「そう。あなたが言いたいこと、よく分かったわ」
「本当? じゃ、じゃあ、忘れてくれる?」
「ううん。忘れないわ」

 紫があっさり首を振ったので、霊夢は腹を立てた。

「どうしてよっ」
「だってね、霊夢。わたしは、幻想郷のことを愛してるから」
「知ってる」

 それがどうしたんだ、と見上げると、紫は黙って穏やかに微笑んだ。

「私の愛する幻想郷は、たくさんのもので出来ているわ。その一つ一つが、私にとってはどうしようもなく愛しい宝物なの。道端に落ちてる石ころ一つ一つの形まで、全部把握しているぐらいよ」
「うわぁ胡散臭ぇ」
「あら、でも本当なのよお馬鹿さん。あなたの枝毛の本数だって知ってるわ」
「気色悪いこと言うなよ」
「なんで、そこまで」

 霊夢が声を漏らすと、「だってね」と、紫は少し寂しそうに微笑んだ。

「ここにあるものは、外の世界で忘れ去られたものばかりだもの。それならわたし一人ぐらい、覚えていたって構わないでしょう?」

 何も言い返せずにいると、「それにね」と、紫が霊夢の顔を覗き込んできた。

「あなたって、石ころなんかよりはずっと、ずーっと素敵な女の子よ、霊夢。少なくとも、私の中ではね」

 だから忘れない。忘れてあげない、と、悪戯っぽく笑う。人間なんかよりもずっと長く生きている妖怪だとは思えないぐらい、とても優しくて無垢な、それこそ少女のような笑顔だった。

「わたしもだぜ、霊夢」

 魔理沙も、頭の後ろで腕を組みながら自信に満ちた笑みを浮かべる。

「何があったって、お前のことは忘れないよ。いや、忘れられないよ。今日散々泣きわめかれたおかげで、ますます印象強くなったしな」
「そうよねえ。そんな理由で泣いてたなんて、可愛いわよねえ」

 二人がニヤけ出したので、霊夢は慌てて紫から離れようとした。しかし、この少女様ときたらずいぶん強い力で抱きしめてくれやがるので、その腕の中からちっとも抜け出せやしなかった。

「は、離して、よっ」
「いやよ。絶対に離さないわ」
「紫が離したって、後ろにはわたしがいるしな。まあそういうわけだから」

 実にいい笑顔を浮かべて、魔理沙が霊夢の肩を叩く。

「あきらめろ、巫女様」

 ああ、こいつら何て酷い奴らなんだろう、と霊夢は思う。

(なんで……っ!)

 鼻水が出た。涙が溢れた。

(なんで、寄ってたかってわたしのこと泣かせようとするのよ!)

 また声を上げて泣き出した霊夢のそばで、二人が黙って微笑んだ。



 そうして無闇やたらに泣き続けて、気づくと日が落ち始めていた。

「……ホントよく泣いたなあ、お前」
「うるさいわね」

 鳥居の下で鼻を啜りあげながら、霊夢は呆れ顔の魔理沙を睨みつける。その横では、紫が扇で口元を隠しておかしそうに笑っている。

「なにがおかしいのよ」
「ううん、別に。ただねえ、いい抱き心地だったなあ、とか、いい匂いだったなあ、とか」

 顔が熱くなった。霊夢は近くにあった箒をひっつかんで、ぶんぶんと振りまわす。

「このっ、このっ! わ、忘れろ、ババァ!」
「忘れないって言ったじゃないの。ずっと覚えててあげるわ」

 ずっと覚えてる、という言葉でまた鼻がつんとしてきたので、霊夢は慌てて後ろを向く。

「どうしたの?」
「なんでもない!」

 鼻を啜りあげて向きを戻すと、紫が心配そうな顔でこちらを見ていた。

「大丈夫?」
「うるさいわね、その顔止めなさいよ! 率直に言ってキモイ!」
「それを言うのは、今更だわねえ」

 からかうように笑う紫の横で、魔理沙が何か考え込むようにじっと地面を見つめていた。

「おい、霊夢」

 顔を上げて、挑むような目つきで真っ直ぐにこちらを見つめてくる。

「なによ」
「お前、わたしに追いかけられるのが嫌みたいだけどな」

 少し足を開いて大きく腕を伸ばし、魔理沙は霊夢に人差し指を突きつける。

「覚えとけよ、お前が嫌がろうが泣き喚こうが、わたしは絶対諦めないからな!」
「あんた、人にはあきらめろとか言っといて」
「うるさいな、ともかく諦めん。石にへばりついてでもお前を追いかけて、いつか絶対追い越してやる! 弾幕ごっこだって今は4対6で負け越してるが、その内必ず全勝してみせるぜ!」

 また鼻がつんとしてきた。

「……あんたじゃ無理よ」
「なんだと!?」
「無理無理、無理ったら無理、絶対無理、不可能! な、なにが全勝よ、あんたなんかね、どんなに頑張ったって、せいぜい五分五分が、いいとこで」

 また涙が零れ落ちた。霊夢が慌てて目元を拭うと、二人が困ったように顔を見合わせる。

「おいおい。しっかりしてくれよ、霊夢」
「本当に大丈夫なの?」
「うっさいわね、全部あんたらが悪いのよ」
「知らないよ。お前が勝手に泣いてるんだろ?」
「あ、あんたたちの方がよっぽど勝手じゃないの!」

 再びしゃくり上げ始める霊夢を見て、魔理沙がやれやれと肩をすくめ、紫が苦笑いを浮かべる。

「困ったわねえ、これじゃ帰れないわ」
「だよなあ。とてもじゃないけど」
「う、うっさいって、言ってんの。い、いいから帰ってよ。っていうか帰れ」
「そう言われてもねえ……あ、そうだ」

 紫が名案を思いついたと言いたげに、ポンと手を打った。

「ねえ霊夢、今日は添い寝してあげましょうか?」
「はぁ!?」
「そうだわ、それがいいわ。ね、今日はずっと一緒にいて、霊夢が泣くたびに慰めてあげるから」
「い、いらない! わたしもう泣いてないし! ほら!」

 ごしごしと目を擦ってみせるが、「予備の布団って何枚ぐらいあるの?」と、紫はどこ吹く風である。それどころか、魔理沙も便乗し始めた。

「いいねえ。久しぶりに、博麗神社でお泊り会と行くか。三人揃ってぶっ倒れるまで安酒飲もうぜ」
「ちょっと、なんで安酒に限定するの」
「うるさいな、それがわたしたちの流儀なんだよ。な、霊夢」
「むう……まあ、それなら付き合ってあげてもいいけど」

 霊夢は背筋を震わせた。そんなことをされたら、なんでだかはよく分からないけどまた酷く泣いてしまうような気がする。

(冗談じゃない。どうにかして、こいつらを追っ払わなくっちゃ)

 だがどう言えばいいのだろう。霊夢は必死に考えを巡らせる。考えに考えて考え抜いて、いい加減頭がパンクしそうになったときにようやく出てきた言葉は、

「き」
「ん?」
「なに?」
「きらい!」

 ああこれは誰かの真似だなあ、と思ったが、誰の真似だったかはよく思い出せなかった。

「嫌いだ嫌いだ、あんたたちなんか大っ嫌いだ!」

 とにかく勢いに任せてそう吐き散らしたが、もちろんそんな言葉が通用するはずもない。

「あらそう? わたしは大好きだけど」
「だよな。わたしも大好きだぜ」

 二人ともやたらとニヤニヤしている。すっかりからかう気満々のようだ。

「ああでも、どうしようかしら」

 紫が少し頬を染めて、うっとりと呟く。

「今日の霊夢、なんだかたまらなく可愛いわ。昔の藍みたい」
「可愛くないわよ!」
「いや、今日の霊夢は可愛いなあ。うん、凄く可愛い」

 魔理沙が手で口元を押さえている。ときどき指の隙間からぷふぅっと息が漏れ出していた。
 霊夢は全身を震わせた。頭が沸騰したみたいに熱くなっているのを自覚しながら、両手で握り締めた箒をでたらめに振りまわす。

「ちくしょう、こっち来んな! あっち行け!」
「おわっ、ちょ、あぶなっ!」
「お、落ち着きなさい霊夢!」
「うっさい、あっち行け、行けったら!」

 いくら箒を振り回しても、二人はひょいひょい避けて、そのくせこちらと一定の距離を保ち続けるので、霊夢は本気で我慢できなくなってきた。

「ええいもう、埒が開かない!」

 箒を石畳に叩きつけつつ、懐からスペルカードを取り出す。
 それを見た二人が顔を見合わせ、揃ってスペルカードを取り出しながら、挑発的な笑みを浮かべた。

「だよな、やっぱ、わたしらはこれでケリをつけなくっちゃな」
「そうねえ、ここは幻想郷だもの。さ、かかってきなさいな、霊夢。私が勝ったら添い寝よ、添い寝」
「おお上等よ、やったろうじゃない! わたしが勝ったら、わたしのこと忘れてもらうわよ!」
「それはそれは」
「絶対に、負けられないわねえ……!」

 現代に戻ってきても、やっぱりやることは変わらない。
 三人は揃って舞い上がり、博麗神社上空で激しく弾幕を交わしあった。



「うー、ちくしょう……」

 一人で母屋の縁側に座りながら、霊夢は憎々しく呟いた。
 あれから何度か弾幕勝負をやったので、太陽はそろそろ地平線の彼方に沈もうかという時刻だ。遠くに見える山々も、博麗神社の母屋も、霊夢自身も、何もかもが赤く染まりつつある。
 先ほどの弾幕ごっこの結果は、なんと全敗である。これほど調子が悪かったのは初めてだ。
 いや、調子はむしろ絶好調だった、と思う。なのに何故か、二人は霊夢の弾幕をことごとく避けては彼女に近づき、そのくせ撃ち落とすでもなく、からかうように笑いながら肩を叩いたり、あるいは軽く抱きしめたりして、また距離を取るのだ。
 結局、スペルカードを全て使い切っても、二人には一発も当てることが出来なかった。

「なんで、こんなことに」

 疲れ果てて肩で息をしながら霊夢が言うと、魔理沙と紫はむしろ不思議そうに首を傾げていた。

「さあ。なんかよく分かんないけど」
「不思議と、今日のは簡単なのよねえ」

 そういうわけで、霊夢としては全敗だったと思っている。だが、二人はそうではなかったようだ。

「今日のはノーカウントだ。なんでだか、勝負って感じがしなかったし」
「そうね。まあ霊夢も立ち直ったみたいだし、良しとしましょう。添い寝してあげられないのは残念だけど」
「気持ち悪いことばっか言うなよババァ」
「あなたよりはマシよお馬鹿さん」

 憎まれ口を叩き合いながら去る二人を、霊夢は呆然と見送ったものである。ちなみに、紫は欠伸混じりだった。
 そんなわけで、今はこの神社の母屋に一人だ。一人、今日のことを思い出して溜息をついている。

「ちくしょう」

 また同じことを呟いた。
 非常に悔しく、腹立たしい。泣いてしまったことも、二人に勝てなかったことも。
 なによりも、ああして二人がそばにいてくれたことを、嬉しいと思っている自分に腹が立つ。

(ええい、しっかりしろ、博麗霊夢。嬉しがってる場合じゃないでしょ、心を鬼にするのよ。あんたがしっかりしないと、未来がなんかひどいことになるでしょうが!)

 気合いを入れるつもりでそう考えたあと、霊夢は「あれ?」と首を傾げた。

(……なんかひどいこと、って、なに?)

 数秒経って、顔から血の気が引いた。記憶の中から、未来で体験した出来事がすっぽり抜け落ちている。

「え、うそ、ちょっと、なによこれ!?」

 立ち上がり、頭を押さえる。目を瞑って数十秒も唸ってみるが、どうしても思い出せない。
 いつからこうなっていたのだろう。さっきの弾幕勝負のときか、それとももっと前か。涙と一緒に記憶まで流れ落ちてしまったのか。
 ほれ見たことか、と誰かが頭の中で笑ったような気がしたが、それが誰だったのかも、すっかりぼやけてしまっている。

(ヤバい……!)

 霊夢は慌てて箪笥に飛びつき、紙と筆を取り出した。完全に忘れてしまう前に、とにかく書きとめておかなくては。

(ええと、ええと)

 備忘録。
 わたしの死んだ日から数えて、ちょうど1万2千年後の未来に行って来た。
 知り合い連中がほとんど全員生きていた。みんな底抜けに幸せそうだった。
 でもそいつらがわたしのことを覚えていたせいで、なんかひどいことになった。
 そういうわけだから、わたしは未来を変えなくちゃならない。

(おお、意外と書けるじゃない!)

 喜ぶと同時に筆が止まった。これ以上詳しいことが、どうしても思い出せない。

(クソー、あ、そうだ、なんか証拠になるものがあったような……)

 キョロキョロと周りを見回してみるが、お目当てのものは見つからない。なにか、本、のようなものだった気がするのだが。蒐集癖のある魔理沙か、悪戯好きの紫が持っていってしまったのかもしれない。どちらにしても再発見は困難だ。魔理沙が持っていったらのなら出てこないし、紫が持っていったのなら出してくれない。

(あー、もう)

 当然、その本の内容だって思い出せない。なにか、とても重ったいことが書いてあった気がするのだが。

(仕方がない、か)

 霊夢はため息をつき、自分が書いた備忘録の前に胡坐をかく。腕を組んで唸ること数分ほど、思い出せることは何もなく、とうとう頭が痛くなってきた。

「ダメだーっ!」

 霊夢は座ったまま仰向けに倒れた。薄汚れた博麗神社の天井を見上げながら、ぼんやりと考える。

(ああ、どうしよう、どうしよう。絶対未来を変えてやるって思ってたはずなのに。なんでこんなことに)

 わたしのせいで重ったくて湿っぽいことになるかもしれないのに。

(やだやだ、そんなのやだ)

 仰向けに寝転んだままじたばたと手足をばたつかせてもがいてみるが、もちろんそれでなにかがどうにかなるわけもなく。
 ぐすっ、と鼻を啜りあげながら、霊夢はごしごし目元を擦る。

「ええい、泣いてる場合じゃないでしょうが!」

 気合いを入れて跳ね起き、また備忘録の前にどっかり座りこむ。

(とにかく、やるのよ。情報は少ないけど、絶対に未来を変えなくちゃ)

 むむむ、と眉根を寄せて、唸る。

(ええと。みんながわたしを覚えてたからひどいことになった、ってことは、つまり忘れてもらえばいいわけよね。忘れてもらうには……嫌われればいいのかな)

 まずは自然とそう考えて、首を傾げる。

(……嫌われるのって、どうやるんだろ?)

 この博麗霊夢ときたら、生まれてこの方他人の気持ちなんぞ考えたこともないような、根っからの自由人である。好かれようとしたことはないが、取り立てて嫌われようとしたこともないのだ。

(嫌われる……つまり悪い女か。悪い女ってどんなのだろ? あ、唐突に創始者自らスペルカードルールとか無視して、全力で相手を狩りにいってみる、とかどうかな)

 名案だ、と思ったが、すぐに否定する。

(駄目だ駄目だ、それだと仕返しだの恨み殺し合いだの、重ったくて湿っぽいことになるじゃない。今ののん気さを保ち、なおかつみんなに嫌われる女にならなくちゃ)

 霊夢としては、「みんな底抜けに幸せそうだった」という部分には特に文句はないのだ。むしろそれは楽しくていいことだなあ、と思うぐらい。なのに自分のせいでひどいことになったらしいのが嫌なだけで。

(要するにわたしが嫌われて忘れられれば、万事OKなわけよ。うん、よく思い出せないけど、きっとそう)

 そう決めつけながら、霊夢はなおも考える。考えるけれども、さっぱり案が浮かばない。

(くっそー、こんなんじゃまた紫や魔理沙に馬鹿呼ばわりされるじゃない。あんな勝手で嫌な連中……嫌な連中?)

 霊夢は眉根を寄せた。

(……そっか。自分勝手な奴って、嫌な奴だ。あと、相手の気持ち無視する奴も、嫌な奴よね)

 二つを組み合わせると、どうなるか。

「そっか。これだ」

 霊夢は声を震わせながら、両手の拳を握り締める。

「そうよ。自分勝手で相手の都合なんか無視した行動を取ればいいんだわ。たとえば……そうだ、泣いてる奴とか喧嘩してる奴とかって、それぞれなんか事情があってそれやってるわけよね? そこに第三者がしゃしゃり出て行って、泣くのも喧嘩するのもよくないっていう通り一編な正論押しつけて、事情も分かってないのに無理矢理場を収めようとする! やば、凄く嫌な奴だわ、これ!」

 自分の思いつきに興奮しながら、霊夢は今後の行動指針をさらに具体的に固めていく。

「……たまに、誰も頼んでないのに幻想郷中を見回りましょう。んで、泣いてる奴やら喧嘩してる奴らやらを無理やり引きずり込んで、話も聞かずに『いいから飲め』と、強引に酒を飲ませる! グデングデンに酔っ払った連中は泣いたり喧嘩したりするどころじゃなくなるから、鬱憤が溜まる! その怒りは全部、しゃしゃり出てきた巫女に向けられる! だけどわたしは素知らぬ顔でそれを聞き流して、ただただひたすら酒を飲む! これであっという間に嫌われ者よ! うはー、こんな名案思いつくなんて、ひょっとしてわたしって天才じゃないかしら!?」

 一人で興奮しながら、霊夢は立ち上がった。夕陽に向かって腕組みし、ひたすら不敵に笑う。

「フッフッフ、見てなさいよ、未来でわたしにかなしい想いをさせた誰かさん! あんたたちが何を言おうが、わたしは絶対に、未来を変えてみせるからね!」

 気合いを入れてそう宣言したあとで、はて、と首を傾げる。
 未来を変えるのは、重要なことのはずである。そうでなければ、いろいろとひどいことになるからだ。そのことにはなんの疑いもない。
 だというのに、何故だろう。

(なんか、変な安心感があるなあ?)

 霊夢は自分の胸に手を押し当てる。とくんとくんと、心臓が健やかに脈打っている。緊張もしていないし、思ったより興奮もしていない。ただただ、何もかもが穏やかだ。
 困惑しながら、霊夢はこの安心感の出所を探る。そして不意に、胸の隅に宿る一つの確信に辿りついた。

「……失敗しても大丈夫だ、って?」

 驚きながら呟いてみると、その確信がより鮮明になった。
 今、霊夢は相反する二つの感情を持っている。
 絶対に未来を変えなければならない、という強い決意と、失敗しても大丈夫だ、という揺るぎない安心感。

(え、なにこれ? 変だ。変、よね?)

 それでも、やはり安心感は崩れないのだ。霊夢が混乱してしまうほど、彼女の胸の内にしっかりと根付いている。

「ちょっと、なんなのよ一体。少しも意味がわからな」

 そのとき、ふと。

 ――何も心配しなくていいんだよ。
 ――楽しくのん気に生きていきなさい。

 その声はもう遠すぎて、誰の言葉だったのかも思い出せないのだけれど。
 それでも確かに、誰かが気楽に肩を叩き、誰かが優しく抱きしめてくれたような。
 そんな気が、した。

「……そう?」

 ぽつりと、呟く。

「そう? 本当に、そう?

 そうだよ、と力強く答えるように、胸の奥から熱い何かが湧き上がってきた。

「そっか、そうなんだ」

 母の胸に抱かれる赤子のような気持ちで、霊夢は微笑んだ。

「大丈夫なんだ。何も心配いらないんだ。わたしたちの未来は幸せなんだ。楽しくのん気に生きていってもいいんだ、生きていけるんだ!」

 一つ言葉を重ねるたびに、霊夢の笑みは深くなる。笑みが深くなるたび、不安や恐れは小さくなっていく。
 胸の奥から湧き上がった爆発的な喜びが、絶えることなき血流に乗って、霊夢の全身隅々まで行き渡った。体が弾け飛びそうな歓喜。両手を広げて踊り出し、大きな声で歌でも歌いたいようなこの気持ち。
 堪え切れなくなって笑いながら、霊夢は裸足のままで走り出した。母屋の横を突っ切って、境内に走り出る。鳥居の下から見下ろす幻想郷の大地は、沈みゆく夕陽を浴びて真っ赤に染まっていて、とてもきれいだった。
 昔も今もこれからも、ずっとずっと変わりない、楽しく愉快でのん気な故郷。飛び交う弾幕の隙間で誰もが手と手を繋ぎ合う、笑顔に満ちたわたしたちの楽園。
 ずっと遠くにいるたくさんの誰かと一緒に大笑いしながら、霊夢は高く高く、夕暮れの空に向かって勢いよく両腕を突き出した。

「よっしゃ――――――――――っ! やったるぞ―――――――――――っ!」

 カラスが優しく、アホウと鳴いた。



 <了>
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コメント

No title

本当に気持ちよく、泣かせていただきました。

心から感謝いたします。
ありがとう。

No title

>中 三誠さん

ありがとうございます。楽しんで頂けたようで幸いです。
機会がありましたら、またよろしくお願いします。

すばらしい

最近涙腺が緩いんで大泣きでしたσ(^_^;)

とても心に響く小説だと感じました。ありがとうございます。

No title

いい話ですねぇ。たまにはこういうのを見るのも悪くないですね。

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