【東方SS】幻想郷に行きたいか?

2012/9/11に東方創想話に投稿したSSです。
 


『幻想郷に行きたいか?』



「俺、幻想郷に行ってゆかりんとちゅっちゅするんだ」

 そんなことを60年ばかり、飽きもせず口癖のようにほざいていた友人が、つい先日老衰で死んだ。
 結局、幻想郷には行けずじまい、いや、行かずじまいであった。
 そんな友人の寂しい葬儀が終わって数日ほどの後、老人は何をするでもなくブラブラと町を歩いている。
 友人の「幻想郷探し」に生涯付き合ってきた彼もまた、友人と同じく孤独な老人となっていた。
 やりたいこともなく、やらなければならないこともない。
 ただこうして当てもなく町をぶらつき、時折頭上を見上げては、ビルからビルへと飛び移る日傘を差した少女の影が見えはしないかと探すぐらいのものだ。

「ゆ、ゆかりんはときどきこの世界に来て、夜空を散歩したりするんだよ!」

 などと友人が熱心に言うものだから、この60年ほどですっかり身についてしまった習慣のようなものだった。

 そうしてしばらく行き、歩き疲れた彼は、ビル街の隅にある公園で一休みすることにした。
 公園は中ぐらいの規模で、敷地内に足を踏み入れると楽しそうな子供の声がいくつも耳に入ってくる。ちらと見回すと、そこかしこに家族連れの姿が目立った。
 それで、どうやら今日は休日だったらしいな、と気がつく。そんなことも知らなかった程度に、彼もまた世の中の流れとは切り離されているのだった。
 明るい喧騒に囲まれていると、なんだかひどく場違いな場所に迷い込んでしまったような気がしてきた。彼は少し躊躇したが、結局公園の中に足を進める。なにせ、疲れていたのだ。

 一番近い噴水のそばにベンチが一つあった。端の方に先客がいる。長い金髪の上に妙な形の帽子を乗せた少女だ。彼はまた躊躇したが、結局少女とは反対側の端に座ることにした。出来る限り間を空ける。さすがに、悲鳴を上げられるようなことはあるまいが。
 そうして一息つくと、隣に座る少女のことが妙に気になりだした。
 一目見た少女の印象が、友人がいつも口にしていた「ゆかりん」に似ていたからかもしれない。
 彼は不躾にならないように気を付けながら、横目でそっと少女の様子を伺う。幸い、少女は携帯端末を弄るのに夢中でこちらには気づかない様子だ。
 そうして見ると、やはりいくつかの特徴が合致する。長い金髪、妙な形の帽子。
 だが日傘は見当たらないし、件の「ゆかりん」がこんなところでベンチに座って携帯端末を弄っているというのも妙な話である。
 やはり別人か、と落胆したとき、彼はつい苦笑を漏らしてしまった。
 別人に決まっているではないか。何を真面目に考えているのやら。
 そのときふと、少女がこちらに振り向いた。不思議そうな顔で彼を見る。

「あ、いや」

 咄嗟に、口からそんな声が漏れる。何か弁解しなければ、と思うのだが、それ以上言葉が出ない。
 焦ったとき、彼はふと少女の鞄から何かがはみ出しているのに目を止めた。

「それは」
「え? あ」

 少女も気づいたらしく、少し気恥ずかしそうな様子でそれを引っ張り出してみせた。
 鞄からはみ出していたそれは、一冊の雑誌だった。いわゆるオカルト雑誌というやつで、老人にとっては馴染み深いものでもある。
 その雑誌の奇抜なデザインの表紙に、大きな文字が躍っている。

 曰く、「失われた楽園、幻想郷の謎を追う」だ。

「あの。もしかして、こういうのお好きなんですか?」

 不意に、少女が言う。礼儀正しく遠慮がちだが、若干の期待が込められた口調だ。

「ええまあ、それなりに」

 こんな年若い少女と話すのは何十年ぶりのことだろう。彼は変に緊張しながらくぐもった声で答えた。

「その表紙の、幻想郷っていうのに興味がありましてね」
「そうなんですか? 奇遇ですね」

 何が嬉しいのか、少女が少しはしゃいだ声で言う。

「実は、わたしたちもそうなんですよ」
「わたし、たち?」
「はい、わたしと友人で……その、倶楽部活動をしているんですけど。幻想郷とかそういう、不思議なことについて調べるっていうか」

 そう言う少女は少しばかり気恥ずかしそうだが、言葉に嘘はなさそうだ。彼は意外に思う。少女は話し方や仕草から理知的な雰囲気が滲み出ていて、怪しげなオカルトの類はどうもその印象とそぐわないように思えたからだ。
 それはそれとして、友人と一緒に幻想郷を探しているという点に奇妙な親近感が湧いた。
 少女の方でも同様だったらしく、こちらに向ける笑みには先程よりも親しみが増しているように思える。
 彼は久しぶりに楽しさというのを感じた。異国の地で同志に出会えたような高揚感があり、気づけば自然と問いかけていた。

「今日はそのお友達とは一緒じゃないのかい」
「いえ、ここで待ち合わせをしているんですけど、時間になっても来なくて」

 少女はため息交じりに言う。

「また遅刻だわ、あの子ったら」
「その様子だと、よくあることみたいだね」
「ええ、まあ。時間には正確なくせにルーズなんですよね」

 少女の言葉はどうも奇妙に思えたが、口調からしてさほど強い怒りは感じていないようだ。仕方ないなあ、という感じで、友人のだらしなさを笑って許している気配がある。
 きっと、良好な関係なのだろう。

(俺たちは、どうだったんだろう)

 不意にそんなことを考えて、彼の心に影が差したとき。

「おじいさんも、ご友人の方と待ち合わせですか?」
「ん。いや……」

 当然と言えば当然の疑問に、彼は一瞬答えを躊躇う。折角の和やかな雰囲気を壊してしまいはしないか、と。
 だがまあ、隠すようなことでもないし、会話を続けるならその点に触れないのは不自然だ。だから、正直に答える。

「友人は、つい先日死んでしまってね」
「あ……そうだったんですか、ごめんなさい」

 少女が気遣うような素振りを見せたので、彼は苦笑して首を振った。

「いや、気にしなくていいよ。なにせこの歳だし、珍しいことでもない。別に……寂しくもないさ」
「そんなものですか」

 少女の瞳に陰りが差す。自分と友人の未来に想いを馳せたのかもしれない。
 落ち込ませてはいけないと思い、老人は努めて明るい口調で言う。

「本当に気にしなくていいんだよ。まあ奴はどうしようもない男だったがね、それでもそれなりに幸せな人生だったと思うし」
「そうでしたか?」
「ああ。この60年ばかり、我々はずっと幻想郷を探し続けていてね」
「60年も? それは凄いですね」

 口調からして、少女は素直に感心しているらしい。内心呆れていなければいいがと思いながら、彼はとっておきの手品を見せるような気分で続ける。

「実を言うと、奴は一度だけ幻想郷に行きかけたことがあってね」
「え、本当ですか?」
「ああ。我々は扉を見つけたのさ。だが、奴は機を逃してしまってね。結局、行けなかった……いや、行かなかったんだが」

 彼の言葉に、少女はふと俯き、何事か考えだした。
 頭のおかしい老人だと思われているのだろうか、と彼が少し不安に思ったとき、不意に、

「あの、聞いてもいいですか」
「何かな。やはり信じられないかね」
「いえ、そういうわけではないです。今話して下さったこと、全部本当のことだと思います」

 実際、少女の声には疑うような気配が全くない。それはそれで奇妙だな、と思っていると、

「わたしが気になったのは、その点じゃなくて」
「では、何かな」
「おじいさんはさっき、『奴は』機を逃した、と仰いましたよね。自分たちは、ではなくて」
「ああ……そうだったかな」
「それが気になったんです。二人で一緒に幻想郷へ行こうとしていたのではないんですか?」

 やはり理知的と言うか、鋭い娘だ。老人は感心しながら肩を竦めた。

「仰る通り。幻想郷に行きたがっていたのは奴だけさ。わたしはただ付き合っていただけだ。本当のところ、幻想郷というのにもあまり興味はないんだよ。忘れられた物が流れ着く秘境、なんて、面白い話だとは思うがね」
「ただ付き合っていただけで60年も一緒にいたんですか?」
「ああ、まあ、わたしも薄っぺらな人間でね。やりたいことも特になかったし……なんだ、本当に妙なことを気にするのだね」

 彼が言うと、少女はごく真面目な顔で頷いた。

「ええ。正直なところ、幻想郷に行けるかもしれなかったとかそういうお話よりも、お二人のことに興味があります。失礼かもしれませんけど」

 少女は少し躊躇いがちに、しかし好奇心を抑えきれない様子で言う。

「もしよろしかったら、お二人のことを聞かせて頂けませんか?」

 本当に妙なことを気にする娘だ。だが彼は内心嬉しくも思った。
 幻想郷の話ならともかく、自分たち二人のどうしようもなく下らない人生について、誰かに聞いてもらえる日が来るとは思いもしなかった。

「笑わないと約束……いや別に笑ってくれてもいいが」
「笑いません。絶対に。約束します」

 少女が強い口調で断言する。その様子に少し気圧されながら、老人は静かに目を閉じ、語り出した。



 彼が友人と初めて出会ったのは、今から60年ほど前、中学生の時分であった。
 当時の友人の印象は、死んでしまった今と全く変わりない。
 一言でいえば、醜い男であった。目鼻のパーツ一つ一つが不格好だったし、顔全体にいつも吹き出物があり、その上全身ブヨブヨと無駄に贅肉が余っていた。そんな体格から予想される通り運動が苦手で、歩くだけでも汗だくになってふうふう言っていた。いつも猫背で姿勢が悪く、その上言葉もどもりがち、極めつけに生まれつきで体臭がきついらしく、特に女子は誰もが露骨に彼を避けて通るのだった。
 そんな彼であるから、ほとんどごく自然な流れで、いわゆるいじめの対象になっていた。露骨な暴力から陰湿なものまで、サンドバッグか何かのような扱いだった。
 彼もまた、友人がよく校舎裏などの人目につかない場所でボールのように蹴り転がされているのを目にしたものである。
 誰がどう見ても悲惨としか言いようのない環境の中、しかし友人自身は不思議と絶望しているような様子はなかった。かと言って、自尊心を捨て切った卑屈な笑みを浮かべて耐えているといった様子でもない。
 どちらかと言えば、何か楽しげに一人でニヤニヤしているのを見かけることが多かったぐらいである。当然、そんな表情もまたキモいとか言われて更なるイジメを助長したのだが。
 友人がそんな風に過ごしている一方で、彼の方は何と言うこともない中身のない人生を送っていた。
 これも当時から今まで変わりのないことだが、彼はどうにも薄っぺらい性質の人間だった。取り立てて不幸な境遇ではなかったが、充実してもいない。若さ溢れて暴走しがちなはずの中学生という時分から、何を目指すでもなく何を願うでもない、淡々とした日々を過ごしていたのだ。
 そんなだから、学校の中でも影の薄い生徒で、親しい友達の一人もいなかった。
 そんな二人がよく話すようになったきっかけが何であったか、彼はもうよく覚えていない。彼の方から「いつも何が楽しくて笑っているんだ」と話しかけたのかもしれないし、友人が話しやすそうな奴だと目をつけて思いきって話しかけてきたのかもしれない。
 ともかくいつの頃からか、二人は誰もいない場所を見つけてこっそり話すようになっていた。
 話すと言っても、大抵友人が一人でまくしたてるだけだ。いつも一方的にいじめられているところばかり見ていたから知らなかったが、友人は実に饒舌な人間だったのだ。
 そして、変に熱のこもった口調で唾を飛ばしながら話すのは、いつも幻想郷のことだった。

 忘れられた物が流れ着く楽園。
 妖怪や妖精や神様が当たり前に歩き空を飛んでいる場所。
 そこにはとても可愛らしくあるいは美しい少女たちがたくさんいて、毎日何を悩むでもなく明るく楽しく暮らしている。

 そんな風に、いかに幻想郷が素晴らしい場所かを喚き立てたあと、決まってこう結ぶのだ。

「俺、幻想郷に行ってゆかりんとちゅっちゅするんだ」

 ゆかりんというのは幻想郷を管理しているだか守っているだか、ともかくそういう美少女だか老女だかで、ちゅっちゅというのはよく分からないが多分あまり想像したくもないろくでもない行為なのだろう。
 詳しく知りたいとも思わなかったので結局生涯聞かずじまいだった。
 ともかく、友人はいつもそんなことばかり口にしていて、彼はいつも話半分で聞き流していた。
 そんな風に大して興味を抱くこともなかった彼と違い、友人は本気で幻想郷の存在を信じていたし、いつかそこに行くという決意もまた本物だった。
 現に友人は休日になると幻想郷を求めてあちこち歩き回っているらしかった。なけなしの小遣いをはたいて電車なんかで相当遠くまで出かけることも多かったようだ。
 で、観光するでもなく土産を買ってくるでもなく、ひたすら幻想郷を探し回って大抵何の収穫もなく帰ってくる。
 ただ、その道中で思い浮かべた妄想だか聞きかじった噂話だかをいつもの幻想郷談議に盛り込んで語り尽くすのだった。
 目的や成果はともかく、そうやって精力的に動き回っている友人は随分楽しそうだった。
 それを見ている内に、いつの頃からか、俺もついていってみようか、と考えるようになっていた。
 当たり前だが幻想郷に行きたいと思っていたわけではないし、そもそもその存在を信じていたわけでもない。
 ただ、暇だった。やりたいこともなく、楽しいこともなかったのだ。
 だから、この変な友人の珍道中に付き合ったら少しは人生に色がつくかもしれない、などとしょうもないことを考えたのだった。
 それであるとき何気なく、「俺もついていっていいか」と聞いてみたら、友人はたるんだ顔でニタァッと笑い、

「き、君もついに幻想郷の魅力に目覚めたのか! ででで、でも、ゆ、ゆかりんは渡さないぞ!」
「いや別にいらねえよ」
「俺、幻想郷に行ってゆかりんとちゅっちゅするんだ」

 その日の台詞はいつもよりも楽しそうに聞こえた、ような気がする。
 ともかくそれがきっかけで、彼も友人の幻想郷探しに付き合うことになったのだ。

 それから後、休日は大抵家でボーッと過ごすだけだった彼の生活は一変した。
 そうして改めて分かったが、友人の幻想郷に賭ける情熱は間違いなく本物だった。インターネットや怪しげなオカルト雑誌を駆使して幻想郷に関する噂を集め、少しでも見込みがありそうな場所ならどんなに遠くでも躊躇なく足を伸ばす。金があれば電車を利用するし、なければ休日を全て潰して徒歩で移動した。
 おかげでよく野宿もしたが、そうすると普段でもきつい友人の体臭が数倍きつくなった。友人はよく「お、お、お互い臭くなったね」などと言って笑っていたが、俺は絶対奴ほどじゃなかった、と彼は今でも断言できる。
 高校生になると行動範囲はさらに広がり、友人の情熱もさらに深く激しくなっていった。その頃になると旅費を捻出するためにバイトまで始める始末で、幻想郷に関連する紅の吸血鬼伝説を求めて遠い異国の地、ルーマニアまで足を伸ばしたこともあった。
 そんなことばかりしていたものだから相当危険な目にも遭ったし、変に度胸もついてちょっとしたことでは動じなくなっていた。
 あまり熱心に勉強しなかった割に英語や地理や世界史なんかには驚くほど強くなっていて、友人も彼もテストでは大抵上位をキープしていたほどだ。
 それでも二人とも、そういった知識や経験を活かして将来に役立てようなんて考えは全く持っていなかった。
 友人は相変わらず幻想郷のこと以外には頓着しなかったし、彼もまた将来何をやりたいとか死ぬまでに何をしたいとかいう目的や夢を持つことはなかったのである。
 友人は相変わらず「俺、幻想郷に行ってゆかりんとちゅっちゅするんだ」とばかり言っていたし、彼もそんな友人を面白がってどこへでもついていった。
 二人の性質、関係、行動原理は、生涯全く変わりなかったということだ。
 そして、それを恥と思うこともなかった。
 変わらなかったのは学校や社会における立ち位置も同じだ。友人は相も変わらず女子に避けられ男子にイジメられていたし、彼の方はどこへ行っても影の薄い空気のような人間のままだった。
 暗黙の了解というわけではないが、お互いそういう相手の性質や立ち位置を話題にすることはなかった。
 彼は友人を助けなかったし、友人も彼に助けを求めたりはしなかった。
 と言うより、二人で話すときに幻想郷以外のことを全く話題にしなかったという方が正しいかもしれない。

 そうして二人の関わりは何ら変わることなく高校卒業後も続いていた。
 変わったことがあったのは、ただの一度。どこかの県の山奥の、ほとんど廃墟同然となった神社に行ったときだけだ。
 そこが幻想郷にあるという博麗神社に繋がっているのだ、という情報を、友人がどこかから仕入れてきたのだった。

「またガセじゃないのか」
「そそ、そうかもしれないけど、ででも、ふ、雰囲気はそれっぽいよね」

 いつも通りそんな風に話しながら、二人で懐中電灯片手に石段を上がっていったのを覚えている。
 その頃、二人は既に三十を超える年齢だったが、いわゆる標準的な社会人とは到底言えなかった。
 そもそもまともな職に就いてすらいない。彼は短期のバイトや期間の仕事を転々としていたし、友人の方も似たようなものだったろうと思う。恋人どころか相方以外の友達もおらず、彼の方では親にも見放されて放置されていた。
 ただそれでも昔と変わらず、特に不満があるわけでもなかった。友人との間柄も相変わらずで、幻想郷のこと以外は特別話題にすることもなかったのである。

「しかしこうやってあちこち回ったけど、不思議なことっていうのもなかなか起きないもんだな」
「そそ、そうだね。で、でも今度のは本当かもしれないよ。か、神隠しとか多いみたいなんだ、この辺」
「へえ。それじゃ期待できるかもな」

 そんな風に話しながら、石段の終わりに差しかかった頃、ふと、
「ね、ねえ」

 と、不意に友人が話しかけてきた。友人は相変わらず太っていて運動が苦手だったので、このときも彼の後ろを遅れてついてきていた形である。
 彼は立ち止まることも振り向くこともなく、「なに」と答える。

「ま、前から聞きたかったんだけど、き、君はさあ」

 それきり、声が途絶える。
 さすがに気になって立ち止まり、振り返ると、友人がふうふう言いながら彼に追いついて、きょとんとした顔を向けてきた。

「ど、どうしたの」
「いや、どうしたのって……なんか言いかけてたじゃないか、さっき」
「あ、ああ」

 友人はちょっと黙りこんだ後、いつものようにニタニタ笑った。

「な、なんでもないよ。それより、境内だよ」
「ああ、そうらしいね」

 別段問い詰めるでもなく歩を再開し、彼らは予定通り境内に辿りつく。
 境内、と言っても、事前に聞いた通り荒れ放題である。管理する者がいないのだろう。鳥居はところどころひび割れ、参道も石畳があちこち剥がれていて草が生え放題だ。社も無残なもので、正面にある観音開きの扉が片方外れてどこかに行ってしまっている。
 そんな朽ちかけた神社が、誰にも知られず人里離れた山奥の闇の中にひっそりと佇んでいるのだ。
 なるほど、これなら神隠しの噂の一つや二つは立ちそうだな、と彼は変に納得する。
 ただ、言ってしまえばそれだけの話だ。友人と一緒にそれこそ世界中のオカルトスポットを巡ってきた彼にとって、この程度の廃墟は別段珍しいものでもない。
 実際、境内のどこを探しても取り立てて目を引くようなものはなく、待てど暮らせど不思議なことは起きなかった。

「こりゃ今回も外れかね」
「ま、まあ折角だしもうちょっと待ってみようよ」

 友人がそう言うので、彼も少しばかり待ってみることにした。別に急ぐようなことでもないし、少しばかり時間を無駄にしたところでどうということはないのだ。
 そうやって、友人と共に無言のまま、忘れられた神社に立ち続ける。まばらに雲った夜空には満月がぼんやりと浮かび、地上ではひっそりと吹く夜風が時折かすかな木々のざわめきを運んでくる。
 そうしていると、ふと、先程友人が何か言いかけていたことが妙に気になりだした。
 なんだか思いつめたような声だったような気がするが。

「なあ、お前さ。さっき何を言いかけてたんだ」

 聞いてみたが、答えはない。おかしいな、と思って顔を上げると、友人は何やらぽかんとした顔で社の方を見つめている。
 何だろうと思ってその視線を追って、彼はぎょっとした。
 社の前の闇に、異変が起こりつつあった。何か小さな、明らかに人工物ではない光が生まれ、音もなく徐々に大きくなっていく。
 その内光は膨らむのを止め、大体人間一人と同じぐらいの高さの、丸い板のような形で固定された。
 それが何か、と言われても答えようがなかった。少なくとも彼の知識では何とも説明がつけられない。
 友人もまた彼と同様に呆然とその光を見つめていたが、やがてごくりと唾を飲んで、呟くように言った。

「扉だ」

 どんな思考の末にその言葉が出たのかは分からない。だが彼もまた、きっとそうだと心の中で同意していた。何故だか、友人の言葉が正しいという確信めいた想いがあった。
 つまりその光が幻想郷へ通じる扉で、あれを潜り抜ければ探し求めた幻想郷へ行くことができるのだ、と。

(そうだったっけ。幻想郷への行き方ってそんなものだったか?)

 彼は大いに困惑する。今まで聞いたことのある噂話は、日傘を差した少女に誘われて電車に乗ったら辿りついたとか、ぼんやりしたまま歩いていたらいつの間にか迷い込んでいたとか、そういうものだったように思うのだが。
 しかし、彼以上にそういうことを知っているはずの友人には、もはや迷いも困惑も一切ないようだった。
 ただあの光だけを見つめ、呆然とした表情のまま、しかし一歩一歩確かな足取りで歩きだす。
 ついに自分たちの旅が終わるときが来たのだ、と彼は直感した。自分たちの、と言うよりは友人の、と言った方がいいか。幻想郷を探し求めていたのは友人だけなのだから。
 さすがに彼も、そこまでついていく気はない。
 良かったなあ、という感情が自然と湧いてきた。友人の馬鹿げた情熱は、彼が一番良く知っている。あれだけ探し求めていたものが見つかったのだから、そこは素直に祝福してやらねばと思える。
 それで、彼は去りゆく友人に何か一言言ってやろうという気になっていた。
 言ってやろう、ではなく、言わなければ、かもしれない。
 多分、友人が向こうへ行ってしまえば、もう二度と会うことはないだろうから。

(なあ)

 声を出したつもりだったが、実際は口が開いただけだった。
 何を言っていいのか、言葉が頭に浮かばない。
 彼が焦っている内に、友人はなおも一歩一歩光に近づいていく。
 そうしてあと一歩でその足が光に触れようかというとき、友人は不意に、何の前触れもなく彼の方へ振り返った。
 光は次第に強さを増していく。彼からはもう眩しくて友人の顔がよく見えないほどだ。それでも、友人が直前で立ち止まっていることだけはよく分かる。
 一体どうしたのか、と思った瞬間、明滅する光の隙間に一瞬だけ、友人の顔が見えた。
 昔と変わらず丸々太った顔。肉に埋もれそうな小さく細い目が、大きく見開かれている。見たことがない色だ。非常な驚きと、もしかしたら、喜び。
 何か、ずっと探していたものをようやく見つけ出したような表情だ。
 彼がそう思った瞬間、不意に光が消え失せた。
 本当に、一瞬の出来事。後にはもう何の余韻もなく、不可思議なことが起きたような気配すら残っていない。
 ただぼんやりした月明りの下、朽ちかけた神社が闇の中にひっそりと佇んでいるだけだ。
 彼は黙っていた。友人も黙っている。ただもうこちらに背を向けていて、先程まで光があった辺りにフラフラと手をさまよわせていた。
 と、不意に、

「あ、ああ、や、やっちゃったなあ!」

 友人が熱に浮かされたような上ずった声で叫びながら、こちらに振り返った。太った顔にはいつものニタニタした笑みが浮かんでいる。

「で、でも確かに見たよね、幻想郷への扉!」
「あ、ああ。いや、本当にそうか?」

 ようやく正気に立ち返り、彼は首を傾げながら友人に歩み寄る。

「幻想郷に行った奴の話とかで、あんな異世界への扉みたいなのが出てきたことってあったか? なんか違うものだったんじゃないのか?」
「い、いや、あれはま、間違いなく幻想郷への扉だよ! や、やっぱり幻想郷はあったんだ!」

 友人はすっかり興奮しきった様子で贅肉を揺らしながら万歳し、

「俺、幻想郷に行ってゆかりんとちゅっちゅするんだ!」

 と、いつもの戯言を静かな山に大きく響かせる。
 結局こうなるんだな、と思って、彼も小さく苦笑した。

 友人と共に各地を回った中で、不思議なことがあったのは後にも先にもこれっきりだ。
 以降も二人はこの国の常識からすると相当いい加減な生活を送り、相も変わらず幻想郷を探し回った。
 だが結局幻想郷に辿りつくことはなく、友人もとうとう先日くたばったわけである。

「俺、幻想郷に行ってゆかりんとちゅっちゅするんだ……」

 友人は、死の床にあってもうわ言のようにそんな台詞をほざき続けた。
 死に顔はこの上もなく穏やかで、なんだかんだ言って相当幸せな人生だったのではないか、と彼は思っている。



 語り終えて、彼は大きく息を吐いた。金髪の少女がほとんど口を挟まなかったこともあって、そんなに時間はかかっていない。
 少女の相方はまだ現れないようだ。このまま黙っているのも何だろうと思い、老人はぎこちなく笑いながら口を開く。

「どうだい、つまらない話だったろう」
「いえ、とても良いお話でした」

 少女は満足そうに、にっこりと笑う。老人は表面上気のない風に「そうかい」と呟いたが、内心では退屈だと言われなくて良かった、とほっと息を吐いていた。

「一つ、聞いてもいいですか」
「ああ、いいよ」
「ご友人は、どうして幻想郷に行かなかったのだと思いますか?」
「なに?」

 幻想郷のことについて聞きたいのかな、と予想していたので、少女の問いには面喰った。
 しかし、問いの内容ついては彼もずっと考え続けてきていたし、大体結論も出ていたので、割とすんなり答えることができた。

「多分、怖かったのだと思う」
「怖かった、ですか」
「そう。幻想郷へ行くのがね」
「どうしてですか? ご友人は、ずっと幻想郷を探していたんでしょう?」
「ああ、それは間違いないがね」

 頷いて、彼は目を細めた。友人の顔を思い浮かべる。

「まあ、なんだ。実際に幻想郷に行けたとしても、その後が上手くいくとは限らないからね。聞いた話によると外から迷い込んだ人間は食料同然で妖怪に食われてしまうことも多いって言うじゃないか。運よく生き残れたとしても、その先で奴が願っていた通り、『ゆかりん』というのとそのなんだ……ちゅっちゅ、とかできるとは限らんだろう? というかまず無理だよ、彼女はこの世のものとは思えないほど美しいっていうし、奴のような男が好まれるとも思えないし」

 あの日山奥の朽ちかけた神社で、実際に幻想郷に行けるかもしれないという段になって、妄想まみれの友人も初めてそのことに気づいたのではないだろうか。
 それで躊躇って、結局こちらに残ったのだ。

「でも、ご友人はその後も幻想郷を探し続けたんでしょう?」
「きれいな夢を追い続けるというのはそれ自体が幸せな行為だろう? 万に一つもない可能性に賭けて残りの人生全て投げ出すよりは、確実に手に入る『夢を追いかけ続ける』という幸せを選んだんだろう。実際、奴はいつだって幸せそうだったしね。だからさっき言ったろう、それなりに幸せな人生だったと思う、と」

 彼の言葉を、少女は黙って聞いていた。穏やかな顔をしている。
 ふと気になって、聞いた。

「君はどう思う? わたしはやっぱり、奴は幸せだったろうと思うんだが」
「ええ、わたしもそう思います」

 少女は朗らかに笑い、迷いなく頷いた。
 彼はほっと安堵の息を吐く。

「そうだよな。やはりそれなりには」
「だけど」

 彼の言葉を遮るように、少女が言う。

「だけどわたし、彼が幸せだった理由はおじいさんが考えているようなものではないと思います」
「なに?」

 急に何を言い出すのか、と目を剥く彼の前で、少女は少し寂しそうに苦笑した。

「本当に、驚きました。おじいさんたちがわたしたちとあんまりそっくりなものだから」
「わたしたち? 君と、お友達がかね」
「はい。いえ、わたしの友達とおじいさんのご友人が似ているかはまだ分からないですけど。少なくとも、おじいさんはわたしとそっくりです」
「はあ……そう、かね」

 彼が困惑していると、少女はそっと目を閉じ、胸に手を当てた。

「本当はね、わたしも幻想郷そのものにはあまり興味がないんです」
「え?」
「わたし、子供のころからちょっと変わった特技があるんです。人と違う風に世界が視えるんですよね」

 どういうことだろう、と彼は首を捻ったが、口に出して聞くことは出来なかった。
 人と違う風に世界が視える、と語る少女はどことなく浮世離れしていて、それこそこの世の物とは思えない雰囲気を漂わせていたからだ。
 少女は静かに続ける。

「そういう風に生きていると、人が不思議だと言うものがあまり不思議に感じられなくて。わたしにとって幻想は幻想じゃなくて、ただの現実に過ぎないんです」
「はあ。しかし、それが一体……?」

 少女が言わんとするところが、彼にはよく分からない。
 ただ一つ、疑問が浮かんだ。

「だが、それなら何故倶楽部活動なんかで幻想郷を探して……そう言えばさっきわたしに似ていると言ったが、つまり君も」
「人生が退屈だから、とかではないですよ」

 少女は面白がるように言ってから、どこか遠くを見つめるように目を細めた。
 その瞳が、憧憬の色を帯びる。

「わたしの友達は、わたしと違って不思議なものを心底楽しめる人間なんです。幻想郷のことを話すとき、あの子の瞳はいつもキラキラ輝いているの。それが本当にきれいで、愛おしくて……だからわたし、出来るだけ長くあの子のそばにいたいんです」
「そんな理由で?」
「ええ。きっと60年先だってあの子のそばにいます。あの子がわたしを置いてどこかへ行ってしまわない限りは」

 そう言ったあと、少女は何かを訴えかけるような目で老人を見つめた。

 その目は何を言っているのだろう。

 気付いて下さい、か。
 認めて下さい、か。

 いずれにしても、少女の真っ直ぐな瞳を見ていられなくなり、彼は眉根を寄せて顔を背けた。

「おーい!」

 不意に、元気な声が飛んできた。少女と老人が揃って声の方を見ると、小柄な人影がこちらに向かって手を振っている。丸いつばのお洒落な帽子を被った、ボーイッシュな雰囲気の少女だ。

「お友達かい?」
「ええ。やっと来たのねあの子ったら……」

 呆れた風に、しかし嬉しそうに呟き、少女はかすかに金髪を揺らしてベンチから立ち上がる。
 そうして二、三歩駆け出してからふとこちらに振り返り、ぺこりと礼儀正しくお辞儀をして、今度こそ友達の元へと走って行った。
 老人はベンチに座ったまま、黙って二人を見つめる。
 金髪の少女が叱るような仕草を見せ、友達の少女が気楽な風に謝っているのが見える。
 二人はそんな風に仲睦まじくお喋りしながら、寄り添うようにして公園を出て行った。
 後にはくたびれた老人が一人きりで残される。
 何か祈りたいような気持ちだったが、何を祈りたいのかはよく分からなかった。

 老人はしばらくベンチに座ってぼんやりしていたが、日が落ちて冷たい風が吹き始める頃、身を縮めて歩き出した。
 公園を出て夜のビル街に入ると、道路は帰宅する人々で一杯になっていた。
 そんな雑踏に紛れて、老人は一人静かに歩いていく。
 歩いていると、何かを訴えかけるような少女の瞳が思い出された。それについて考えようとするのだが、何か心に抵抗がある。
 考えてはいけないというか、考えたくないというか。
 ともかく何か、辛いことのような気がしたのだ。
 得体の知れぬ葛藤に少し疲れて、小さくため息を吐く。
 そして彼はふと、いつものように頭上を見上げた。

 そして、見た。

 遠く、暗い夜空に向かってそびえる、ビルとビルの間。ぷかりと浮かぶ満月を背に、小さな影がふわりと空に踊る。
 それは、少女の影だった。
 長い髪とスカートを柔らかく翻し、日傘を差して空を飛ぶ、幻想的な少女の姿。
 そんな不思議な人影が、夜空を横切りビルの影へと消えていく。
 彼は唖然として口を開けたまま、立ち止まってその光景を見ていた。
 幻だろうか。いや、確かに。

「な、なあ、おい。今の……」

 と、話しかけようとして、ふと、隣に誰もいないことに気がついた。群衆は誰も頭上になど目を向けないまま、ただ淡々と流れていく。
 彼は口を閉じ、表情を消した。ポケットに手を突っ込み肩を縮めて身を丸め、押し黙ったまま雑踏の中を歩き出す。
 もはや、こうして町中を歩いていても頭上を見上げることはないだろう、と思えた。
 そうして無言で歩いていると、急に目頭が熱くなってきた。老い乾いた頬を濡らして、涙がとめどなく流れていく。
 老人はあの日のことを思い出した。夜の境内に現れた、夢見た地へと続く光の扉。その眼前で振り返ったときの、何かを見つけたような友人の顔。
 あのとき自分はどんな顔をしていただろう。
 今と同じように、涙を流していたのではなかったか。

(ああ、そうか、そうか)

 見知らぬ人々の中を歩きながら、老人はようやく気付き、認めた。

(俺は今、さびしい人間になったのだな)

 子供のようにしゃくりあげながら、老人は口元に笑みを浮かべる。

 どうか、あの子たちが自分たちと同じように幸せでありますように、と。

 老人は生きてきて初めて、強く強くそう祈る。

 孤独な老人がそんなことを考え、泣きながら歩いていくことに気づいた者は、誰一人としていなかった。

 <了>
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